転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



私は目がとても悪いので、ゲームは、しない。
加えて、テレビを観る習慣も、ない。
ただ、この『戦国BASARA』は、西川貴教のabingdon boys schoolが
主題歌を担当していたので、以前から題くらいは知っていた。

きょう、試験の終わった娘が、『戦国BASARA』の録画を
のたのたと観ていたので、私もほぼ初めて、
どういうアニメ作品であるかを知ることになったのだが、
これって、戦国時代の著名人の名前と大まかな設定を借りただけで、
完璧なパラレル・ワールドのお話だったのですね!?

例えば明智光秀は、黒衣に銀髪ロングで、
なんかこれって、『黒執事』のアンダーテイカーが美形になったような、
と思ってしまう私は、既に充分、娘に毒されているわけだが、
妖しい微笑をたたえた殺人鬼で、ホントにヤバいキャラだった
(娘が言うには、ゲームでの光秀は実に鈍足だそうである)。

濃姫は、史実の通り織田信長の妻として登場しているようなのだが、
どう見たって彼女の扮装は「くの一」で、
しかも驚いたことに二丁拳銃を乱射するのだった。
時代考証って、無いんですね???

一番ビックリしたのは、本多忠勝がガンダムになっていたことだ。
いや勿論、そういう名前がついているわけではないのだが、
戦国BASARAにおける本多忠勝は、その強さのあまりか、
本人が戦闘ロボそのものになって登場していたのだ。
変形してガンタンクにもなるのですよ。もう、好きにしてっていうか。

などと思っていたら、きょうはいきなりな展開で
まず徳川家康が死んで(明智光秀に討たれた)、
上杉謙信も銃殺され(未遂かも?忍者の濃姫にヤられた)、
武田信玄もまた光秀に討たれて川に沈み、
真田幸村がそれを助けようと自ら水に飛び込んでいた。
ちなみに真田幸村は武田信玄を「おやかたさま」と慕い、
「ゆきむら~!」「おやかたさま~!」のかけあいは、
私に言わせればアニマル浜口の「気合いだ~!」そっくりだった。

にしても、きょう唐突に家康が死んじゃったんで、
もう金輪際、「大阪・夏の陣」は有り得なさそうだし、
すると幸村はこのあと、一体どこで活躍すればいいんでしょうか。
幸村が政宗や小十郎たちとじっくり話し合ったりしている絵を見ると、
もう、このへんの人間関係や時代考証がどうなっているのかいないのか?

ちなみに、娘が愛しているのは、伊達政宗の片腕「片倉小十郎」だ。
この人は、怒ると線香花火みたいにジジッ!と火花が顔の周囲に出る。
ヤクザか暴力団みたいなキャラだと思うのだが、娘は心酔している。
そして娘は、政宗のことは必ず「ださむねさま」と呼んでいる。
私から見ると、この「ださむねさま」は、声が『銀魂』の土方さんなので、
そのうち、煙草くれ~と暴れそうな感じがして、可笑しくてならない。

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モーツァルトのピアノ・ソナタKV545をずっと弾いているのだが、
前から書いている通り、やればやるほど不備が目に付き、
弾けば弾くほど、出来ていない箇所がよくわかるようになった。
とりわけ、推進力のない(ようになってしまうのだ、私が弾くと)、
穏やかな第2楽章が、本当にどうしたら良いかわからないほど難しい。

先生からは、ひとつの指針として、調性に着目することを教えて頂いた。
この2楽章は、まずト長調で始まって16小節でひとまとまり、
次からはしばらく臨時記号がつき、事実上ニ長調に移って、
また16小節でひと区切りになるのだが、この部分の締めくくりはト長調。
そのあとに続く16小節はこの楽章中、最も劇的な部分で、
ト短調での開始だが、左手は途中から変ロ長調の分散和音が展開し、
またト短調が出現し、やがて優美な半音階からもとのト長調に戻る、
・・・という具合に、見事に整った「起承転結(プラス終結部)」があり、
初心者にも理解可能な仕掛けが、丁寧になされているのだ。

特に、ニ長調に移る、つまり「五度上がる」箇所は、
単に音が全体に高くなるのではなくて、
前の場面に較べて、新しい光がほのかに射してくるような、
面白いニュアンスがあると思う。
尤も、このソナタ全体が、爽やかな木漏れ日というより、
なんだか、晴れた日の、三途の川の手前か向こうか、みたいな感じなので、
「五度」上がったからと言って、現世に戻れたとは思わないのだけど。

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・・・と、つらつら考えていて、ちょっと別のことを思い出した。
ポゴレリチの、99年来日公演時のプログラムのことだ。
あのときは、ショパン没後150周年ということで、
ポゴレリチにしては珍しく、オール・ショパンを持って来たのだが、
その中身が、「ポロネーズ4番」「ポロネーズ5番」「ピアノ・ソナタ2番」
「3つのマズルカ 作品59」「ピアノ・ソナタ3番」、
という構成で、全体を通して、その調性の下降ぶりが凄かったのだ。

まず前半、「ポロネーズ4番 ハ短調」→「ポロネーズ5番 嬰ヘ短調」
→「ピアノ・ソナタ 2番 変ロ短調」、ということで五度ずつ下降。
後半は「3つのマズルカ 作品59」が「イ短調→変イ長調→嬰ヘ短調」、
→「ピアノ・ソナタ3番 ロ短調」。
あの、一曲終わるたびに、どんどんめり込んで行く感じ、
底の見えない、暗い淵を無理矢理覗き込まされているような気分は、
ちょっと独特のものがあった。
私の聴いた大阪公演では、幾度呼び出されてもポゴレリチは結局、
アンコールを一曲も弾かなかったのだが、それも当然だったように思う。

あの頃の異常なほどの暗さや重苦しさを考えると、
最近のポゴレリチには、むしろずっと「動」の色合いが出てきたし、
彼の魂も、比較にならないほど解放されて来たと私には思われる。
どんだけ解体ショーを展開しようが、ゾンビを呼び出して喋っていようが、
私の目には、ここ数年のポゴレリチのほうが元気そうに見える。
そうした、外側に向かおうとする活力ゆえに、
近年のポゴレリチはかつてなかったほどにピアノを強打し、
ときに、自分の要求の大きさに応えきれないでいる楽器に対して、
もどかしさも感じているのではないか(だから椅子を蹴っ飛ばしてみる?)、
・・・等々と、私はよく、勝手に楽しく想像して、遊んでいる。
本当に、来年5月の来日が、実現して欲しいものだ。

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