以前も書いたが、主人は広島カープを昔から愛している。
シーズンが始まると、仕事以外の彼の主な関心事はカープの勝敗となる。
テレビ放映があるときは必ず見るし、ラジオしかなければそれを聞く。
放送中は、試合が終わるまで、家族は不用意に話しかけてもいけない。
うっかり私が部屋に入って喋ったせいで、カープが負けたことが、
これまで幾度もある(のだそうだ)。
主人は、監督が誰であれ、スタメンの顔ぶれがどうであれ、
「広島だから」「カープだから」という理由で、常に応援している。
チームのどこに魅力があるとかないとかは関係がないし、
見事な球団で誇らしいから支持している、のでもない。
どれほどヒドいシーズンでも、絶対に見捨てず、熱くカープを見守る。
それでいて、主人は選手個人のファンになったことが全くない。
特定選手のファンになる心理は理解できないそうだ。
特に、球場で球団グッズを身につけ声を限りに激励し続ける、
応援団とそれに類する方々には共感を覚えないということだ。
勿論、カープを応援する者として彼らに「同志」的な部分は感じるが、
それにしても、一発出ればサヨナラ、みたいな緊迫した場面で、
ひたすら大声を張り上げ続けスクワットに夢中になっているなんて、
応援というより単なる自己陶酔としか思えないと言う。
固唾を呑んで食い入るように見つめてこそ本来ではないか、と。
愛ゆえに、主人には意見もいろいろとある。
カープが勝っても手放しで褒めるなどということは、まず、しない。
現時点での課題、各選手の改めるべき点を必ず指摘する。
また、オーナーの、球団への愛情はよくわかるが、
選手の採用の仕方や、費用のかけかたには異論があるそうだ。
いっそカープは、広島を離れたほうが良い球団になれるのでは、
と思うことすらあるとのことだ。
……こう書くと、主人は実に愛情深いカープファンであるかのように
聞こえてしまうだろうが、いや事実、それはその通りなのだが、
現実をよく見てみるならば、主人は、その熱心さに比して、
全く、カープのためになっていない人間であることは明らかだ。
欠かさず試合中継を見てはいても、現地へ観戦に行くことなど滅多にない。
つまり、チケット買わない・席埋めない。
選手個人への憧れは無いため、球団グッズなど一切買わない。
そして常に、監督采配に注文があり、選手の不甲斐なさに文句があり、
球団の金の無さに呆れ、しかし自分は全く金を落として行かない。
『広島新球場建設たる募金』すら黙殺した男だ。
なんのことはない、びた一文、身銭は切らずに、
安全地帯からエラソーに口だけ出しているという、
最低のファンが主人なのだ。
こんなファンは、何万人いようが、ほとんど何の力にもならない。
むしろ、雨の日も風の日も外野席を埋め、
誰の打順でもどんなスコアでも、大声で声援し試合を盛り上げる、
あの、主人が理解できないという、赤い方々の熱意のほうが、
ずっとずっと、百万倍、カープのためになっているのだった。
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