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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



政府 再来年秋 健康保険証を廃止 マイナカード一体化発表
(2022年10月13日 18時56分 NHK)
『政府は、現在使われている健康保険証を2024年の秋に廃止し、マイナンバーカードへ一体化した形に切り替えると発表しました。また、運転免許証との一体化の時期についても、当初予定していた2024年度末から前倒しする方針も示しました。』

個人的なことだけを言えば、私はマイナンバーカードを既に持っているし、
運転免許証のほうはペーパードライバーで、元々単なる身分証明書でしかなく、
この件で即座に何らかの対応を迫られる状況ではないのだが、
今から2年後に日本の国民全員の保険証の移行を完了しようというのは、
時間的にちょっと無理ではないかという気がする。
そもそも、マイナンバーカードの取得割合がまだ半数にも到達していない。
今の総務省の実力、というかデキなさ加減では、難しいのでは(汗)。

実家両親の場合は、二人ともマイナンバーカードを取得していないので、
原爆手帳の御蔭ですべての医療が無料になる父はまだしも(違)、
母のほうは、健康保険証の有無が即座に問題になる。
90歳超の二人分、写真撮って申請書送って(送信して)、
直筆委任状を書いて貰い私が代理で、田舎の居住区の役所まで取りに行くのか。
私の貴重な休日が……orz
高齢者関連は目下、後期高齢者保険証・介護保険証・負担割合証、
その他諸々、常に「紙」の形態で、しょっちゅう送付されて来るのだが、
あれがマイナンバーカードに本当に一気に移行されるのだろうか?
そこまで漕ぎ着ければ、いっそラクかなとも思うが、
とにかく、あの意味不明なゴチャゴチャの書類に
何度でも何度でも個人番号や口座番号など書かせて返送させる役所に、
こんな大がかりな変更が、たった2年で出来るものなのだろうか。

また、言われているようなことが本当に実現できるとしても、
これはそもそも、現状の何かを改善する話なのだろうか?
個人情報のすべてが集約されたカード本体を、外出時に持ち歩く、
となると、紛失したときには何が起こるのだろう。
再発行にかかる時間、否、日数はどれほどか?
その期間中ずっと、運転免許証や健康保険証が手元に無い状態?
そもそも、「写真付き身分証明書」がマイナンバーカードしかない
となると、それを紛失→再発行という展開になったとき、
かわりの身分証明は、何によって行うことが可能なのか?
現在のマイナンバーカードを受け取るとき、私は身分証明書として
運転免許証を持参したのが、あれがない、となると……?
写真つきでない書類による身分証明は、現在だと「保険証」「年金手帳」、
など複数種類を提示するのが慣例だが、全部なくなるわけですよね…?
住基カードは確か、もう新たには発行されないのよね?
海外旅行しなくてもパスポートを「保険」として持っておくべき??
って、無駄過ぎるやろ(汗)。

免許証のほうも、違反とか免停とか、返納とか、
様々な状況があり得るが、そのときはどう処理されるのだろうか。
これまで、免許センターに行けば一発でできていた手続は、
今後も同様にできるのだろうか?
しかしマイナンバーカードごと紛失、あるいはICチップ部分の故障、
等々の問題が起こったときは、免許センター単独の話ではない、のよね?

こういう、起こり得る諸問題について、
ちゃんと細部まで詰めてあるのかどうか、私は大変不安に思っている。
十年か、もっと先の年限の話ならわかるが、2年後とは。
2年後から当分の間、移行期間を更に設けるという話、
……で、あって、欲しい。頼む。

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私は神社の電話番なので、社務所にかかってきた電話は、
基本的に私のスマホに転送されるように設定してあるのだが、
年々、その件数がただごとでないレベルになってきた。
特に、秋祭りや七五三、厄祓いの季節などになると、
およそ朝8時から夜8時くらいまでの間は、
何をしていても電話が鳴るので、おちおち気を抜けず、
ついに音の出る趣味が駄目になり、
ピアノを弾くのを、自分の精神衛生のためにやめるまでになった

それゆえ、このほど私は社務専用スマホを持つことにした。
社務所からの電話の転送先を、新しいスマホのほうに設定するのだ。
これで、自分のスマホが鳴って知らない携帯番号が表示されるたびに、
「親が死んだとか!?」(爆)と飛び上がる必要もなくなるし、
新スマホを独立の業務用電話として晴れて経費精算できるようにもなる。

予約してauショップに行き、今の自分にとって
最も「ラク」であることを最優先にして、BASIO4を買った。
決め手は「電話・メール・ホーム」の物理ボタンがついていたことだ。
私は本当に目が悪いので、ちゃんと見なくても指先で探れば操作できる、
物理ボタンほど有り難いものはない。
ガラケーのように物理ボタンのついたスマホがあればどんなに良いか。
私は大半のアプリも要らないしゲームもしないので、
ガラホが良かったのだが、総代会幹部LINEが出来なくなるので駄目だった。
とりあえず新スマホは、画面の明るさと文字サイズを最大にした。
仕事関係など、それだけでストレスのモトなのだから、
画面を読んだり文字を入力したりする際に要する努力を最小限にする、
というのが今回のスマホ購入のポイントであった。

もうひとつ、今使っているスマホは、着信通知を見るとき、
よく注意して、アイコン部分にだけ触れるようにしないと、
電話番号に指が当たったら即、発信が始まるので閉口していたのだが、
今回のは、着信記録を開いたあと、
更に、独立した「発信印」(笑)をタップするまでは
電話がかけられないようになっていて、とても有り難いと思った。
また、あまりに今更だが、留守番電話機能もつけた。
村の人は留守録を使わないが、業者さん関連の連絡では重宝する筈だ。
ちなみに、ショップでスマホ購入の話をしている間にも、
神社関係の電話が3件あった。
神楽の問合せと、神棚処分の依頼と、総代長からの連絡と(汗)。

帰宅して、ホーム画面をカスタマイズした。
私は、PCのデスクトップでも、表示項目の多い状態を好まない。
常時要るものだけ厳選して、画面にものを置かないのが私のスタイルで、
それは、家の片付け方と似ていると自分で思っている(^_^;。
新スマホも、日付と時刻、Chrome、電話、メール、カメラ、
それに神社スケジュールのTimeTree、のみを表示させ、
残りの要らない(殴)アプリはフォルダ分けして、次画面に移した。
画面ロックは解除して、当面「なし」に設定し、
画面消灯も最長の「10分」を指定した。
つまるところ、この端末は常識的な意味での「スマホ」ではなく
いわば「神社の固定電話」をモバイルにしたものなので、
ひたすら忙しい社務の最中に、私でなくても誰でも、
即、必要な作業が開始できる状態にしておく必要があるのだ。
ちなみに歩数計もオフにした(^_^;。
私は基本的に真面目(笑)なので、こういうものが表示されていると
少しでも成績を良くしようとして囚われ、ストレスのモトになる。

それから、いろいろいじってみて、操作性の良さに大いに満足した。
今後、完全に私用となる、4年越しのAQUOS sense SHV40も
この際、機種変更をしてシニア用スマホにしようと思っている。
これまで、物理ボタンが無いのは致し方ないとしても、
それ以外には特に不自由している自覚はなかったのだが、
スマホでも、もっとずっと安楽な状態があり得たことを、本日、知った。
私は長らく、画面の文字を解読するときに失敗しないようにと、
我知らず努力をしていたのだ。
文書作成はPCが主力なので、もともとスマホに求めるものは多くない。
生来、目が悪い上に老眼にもなったので、今後は、
「気を抜いて操作していてもミスが起こりにくい」
をポイントに、機種変更をしようと思った(^_^;。

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今年は秋祭にむけて巫女舞指導二社分があるので、3年ぶりの多忙さだ。
秋はもともと、神社の祭りが立て込んで忙しい季節ではあるのだが、
過去2年間は中止や自粛が多かったぶん、ラクで良かったということが、
今になってみるとよくわかる。

「コロナが終わる」ことを私とて本質的には願っている筈なのだが、
本当にそうなると、自分にとってキツい日々が戻って来るだけなので
葛藤のあるところだ(汗)。
現時点で、まだ完全に「コロナが終わった」訳ではないが、
「ウィズ・コロナ」っぽくなるにつれて、
かつての休息の足りない日々が復活して来たのを感じる。
これ以上の忙しさで、更に会社勤めまでやっていた2017~2019年頃は
我ながらよく生き長らえたものだなと思うが、
あれでも今より数年分、若かったということなのだろうかな。

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“推し活”で要介護度が3から1に…「支えられる」より「支える」ことで生命力取り戻すおばあちゃん達
(ORICON NEWS)
『平均寿命が延び続け、高齢化社会が進む中、健康上の問題がない状態で日常生活を送る「健康寿命」よりも、幸せに生きられる「幸福寿命」を重視する考えが注目されている。そんな中、全国各地の高齢者施設で“推し活”が広がっている。』『富山市内の高齢者施設を3年間利用している黒崎幸子さん(82歳)は、かねてから認知症による幻視や目まいの症状があった。しかし、昨年からサッカーJ3・カターレ富山の応援に参加するようになると、孫と同世代の大野耀平選手の夢中に。施設職員は、「要介護度が3から1に改善されたように見える」と話し、大野選手の施設訪問では杖を忘れて駆け寄る姿が見られた。』『神戸市内の高齢者施設で暮らす服部千恵子さん(86歳)は、ヴィッセル神戸のアンドレス・イニエスタ選手を応援。スペイン出身の彼との会話を夢見て、「ゼロから始めるスペイン語」の本で勉強を開始。試合当日には、認知症を患っていながら、一度着たユニフォームを見て「これこないだも着ましたよね?」と発言し、施設の職員を驚かせていた。』

イイ話じゃないか!
私が昔から言っている「道楽」とは、今で言う「推し活」のことよ(笑)。
若いときは勿論、トシがいくつになろうとも、贔屓ができると人生が変わる。
たとえ、病気に悩んでいても、老化が進んできても、
「推し」のことを思うだけで、きっと、目に光が入る。
スポーツ選手でも、アイドルでも、役者でも、演奏家でも、二次元でも(笑)、
誰だっていい、「推し」があると、人生が輝き、活力生命力が漲って来るものだ。

私が二十代の頃、歌舞伎座の幕見で並んでいて知り合った、
某おばあちゃまがあった。当時70代後半になられていたと思う。
最初の会話が何であったか、もう覚えていないのだが、
「なぜか気が合ってしまって(笑)」
と仰って戴き、まだスマホなどない時代のこと、
住所と自宅電話番号を交換し、交流が始まった。

それから幾度か誘い合わせて、歌舞伎座でご一緒したのだが、
あるとき贔屓の話になり、そのおばあちゃまが、
「わたし、今、新之助(今の海老蔵)に夢中なの」
と頬を染めるようにして仰ったのが、とても鮮やかに印象に残っている。
猿之助(今の猿翁)の芝居には「ちょっと大袈裟ねぇ」と苦笑されたり、
玉三郎には「時々、着物の趣味がおかしいことがあるけど」と厳しかったりして、
年月かけて道楽を極めて来られたのだなというのが言葉の端々から伝わってきたが、
若い新之助については甘々で、めろめろであった(笑)。

二十代半ばの私自身は、当時四十代後半であった音羽屋(菊五郎)一筋で、
中学生の新之助など子供としか思えず、眼中になかったのだが(爆)、
今考えると、そのおばあちゃまは、道楽人生で磨かれただけあって、
なかなかの審美眼と先見の明をお持ちであった訳だ。
それは、その後の海老蔵の美しさを見れば、明らかだろう。

私が結婚したときには、主人と私の誕生月にちなんで、
ロイヤルアルバートのFlowers of the monthのシリーズから、
7月のマグカップとカップ&ソーサーを選んでお祝いに下さり、
娘が生まれたときには、
「これは、仲の良い若い人にお子さんが生まれたときには、
必ず差し上げているのよ」
と、テーブルつきのベビーチェアを送って下さったものだった。
私が転勤族となり、更に育児時代に突入してからは、
歌舞伎座まで出かけることができなくなったが、
おばあちゃまとの交流は、電話や文通によって続いていた。
話題はいつも歌舞伎のことで、
我々は純粋に「推し活」の同志であり仲間であった。
お一人住まいで、自由に観劇を楽しまれている御様子だったが、
やがて、「倅の家にて」とだけ住所欄に書かれた、
観劇報告のお葉書が、最後になった。

私も将来、……若い歌舞伎ファンと自分から友達になるようなことは、
この性格だからあまり無さそうだとは思うが、
「わたし、辰之助(←今の左近の将来の姿だ!)に夢中なの」
「ずっと鷹之資を応援しているの!」
「丑之助が初お目見えの頃から観てきたのよねぇ」
等々と、胸をときめかせて歌舞伎座に通えるようでありたいものだ。
たとえば三十年後には、辰之助(だから左近(笑))と鷹之資は
若かった私が最初に恋い焦がれた頃の菊五郎くらいの年齢になっているし、
丑之助はきっと菊之助になり、若い父親にさえ、なっているかもしれない。
更には、それぞれの家の小さな・若々しい息子さんたちが、
栴檀は双葉より芳しとばかり、頼もしい舞台を見せてくれているかも……。
そんなものが観られるなら、私はたとえ認知症になっていても、
観劇の瞬間だけは正気に返りそうだね(笑)。

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台風 広島県に最接近は19日夕方から夜のはじめ頃にかけて(NHK 09月18日 18時24分)
『大型で非常に強い台風14号は、広島県に19日夕方から夜のはじめ頃にかけて最も接近する見込みです。』『18日夜から19日にかけては、線状降水帯が発生して大雨災害の危険度が急激に高まる可能性があるとして、気象台は暴風への厳重な警戒に加え、高波や低い土地の浸水、河川の氾濫や土砂災害などに警戒するよう呼びかけています。』

明日の仕事は、なくなった。さすがに(^_^;。
記録的な強さの台風が接近しているとあって、
JRも運休だし、百貨店やコンビニなども臨時閉店、
誰も彼も、出歩けるような天気では、なくなった。
つまり私も、少なくとも仕事で呼び出されることは、ない。

ので、今夜実家に泊まる計画は、やめて、
きょう夕方前に、神社の仕事を終え、最後に賽銭箱を点検し(笑)、
実家の雨戸を全部閉めたのち、中区のマンションに戻ってきた。

では、これから、寝ますんで(^_^;。

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台風14号 あすにかけ沖縄 奄美 18日は九州接近 暴風など警戒を(NHK 2022年9月16日 12時56分)
『大型で非常に強い台風14号は勢力を維持したまま、17日にかけて沖縄・奄美に、18日の日曜日には九州にかなり近づく見込みです。気象庁は暴風や高波、土砂災害などに警戒するとともに、特に沖縄・奄美や九州、四国では16日の明るいうちに備えを終えるよう呼びかけています。3連休の期間を中心に東日本と北日本を含む広い範囲に影響が出るおそれがあり、そのほかの地域でも雨や風が強まる前に早めの備えを進めてください。』

私はもともと、この3連休は全く休みがなく、
3日とも実家の村の神社に出勤することが決まっている。
台風の進路が逸れてくれることを願ってはいるが、
なるようにしかならないので、現実的な対処を考えておくべきだろう。

とりあえず17日の夜の祭と、18日朝からの祭典会議&巫女舞練習までは、
現時点の予報を見る限り、市内は大荒れにはまだなっていないと思われる。
問題は19日なのだが、朝、中区から出勤しようとすると、
公共交通機関がダメになっている可能姓があるから、
こうなると、18日夜は実家に泊まったほうが良いかもしれない。
布団一式は近年、マンションのほうから持ち込んだ、
ムアツ布団と人工羽毛素材掛け布団があるので、一応清潔だ(ろう)し、
季節的に極寒でないので、寝具がどうでも大きな問題ではない。
食料は冷食その他、事前にコンビニで仕入れておけば。

考えようによっては、暴風雨になれば、
ひっきりなしに人が訪ねて来ることはないし、
電話は、……まあ、あるかもしれないが(^_^;、
それにしても、応じてすぐに出かける等のことは不可能な天候だから、
室内にいて寝間着姿でサボっていることは可能だろう。
18日午後の早い段階から実家で布団を敷いて寝まくる、
というのは案外良いかもしれないな(^_^;。
玄関を閉めて雨戸を全部降ろして、夕方から爆睡するか。
それはそれで、普段の自宅マンションの暮らしでは出来ない贅沢だよな。
ちょっと楽しみだったりして(^_^;。

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Twitterでリンクが貼られていて、少し古い記事だが、読んだ。
大病で入院した料理が得意な夫のレシピメモを、断捨離性分の妻がそっと処分
2ちゃんの伝説のコピペ『鉄道模型を捨ててから、夫の様子がおかしい』
こういうことをやる人というのは「自他の境界」も「自我の境界」も曖昧、
という指摘があり、そうなのか~……、と思った。
『(私の)家にあるものだから』『私が捨てたいと感じたから』
と、家族のものを処分しようとする人たちがいるというのだ。

私も断捨離傾向はあるが、容赦なく捨てるのは
自分の判断で購入し、かつ自分ひとりで使用・管理しているものだけだ。
主人や娘のものは私の判断では捨てず、本人に決めて貰うことにしている。
勝手に部屋に入るな、とはうちの家族は言わないので、
彼らの部屋の掃除をして、乱雑に置かれているものを、
多少、見栄え良く分類したり並べ直したりすることはあるが、
「片付けといて」「適当に捨てといて」
と言われたとき以外は、ものを処分することはしない。

私の目で見て、仮に「捨てれば部屋が広くなるのに」と
思うものがあったとしても、その場では手出しせず、全部とっておく。
私にとっての価値と、相手にとっての価値は、必ずしも同じではないからだ。
処分してしまって、買い直してゴメンで済むものならまだしも
(↑それとて、厳密に言えば同じ品そのものは取り戻せない)、
記事にあるような手書き系や、趣味のある人しか理解できない品は特に、
手放せば二度と取り返せず、責められたときに償いようが無い。

「私」のものを私の判断で捨てても「私」は怒らないから私の身は安全だが、
「人」のものを私の判断で捨てて「人」に怒られたら、私は逃げ場がなくなる。
もしも、そのようなことを家庭内で起こしたら、ほかならぬ私が、
後々ずっと嫌な思いに耐えて行かねばならなくなる。まさに記事にあるように。
私はそれがわかっているから、自分可愛さに逃げを打っているだけで、
つまりは自己中心の変型ではあるのだが、
その意味においては私は、「自分」と「自分以外」の境界が明瞭である。

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先日の賽銭泥棒の話に関して、
防犯カメラをつけて犯人をつきとめるとか、
警察に言って取り締まって貰う、等の方法はないのか、
という質問があったのだが(^_^;、これがなかなか難しいのだ。

まず、防犯カメラは既に取り付けてある。
24時間監視システムにはなっていないので、
定期的に録画をチェックするやり方なのだが、
これに賽銭泥棒の姿はちゃんと記録されている。
だからこそ、「複数の賽銭泥棒がいる」と私たちは知っているのだ。
映像のデータを、地区の交番に持参もした。
受け取って貰えたが、現時点で、それ以上の進展は何もない。

どのドロ助が何時くらいに来るかも、およその傾向がわかっている。
毎日来るとは限らないが、週に何度も来ていることはある。
時間に合わせて、総代会の者で幣殿に潜んでいれば、早晩、出会えるだろう。
彼(ら)が泥棒行為を開始したところへ出て行って、取り押さえる、
ということは、やろうと思えば出来る。
しかし、取っ組み合いになったりすると危険なので、
そういうことはしないでくださいと、警察から言われている。

では、毎日○時頃と、泥棒の出没時間の傾向に合わせて、
警察の人に来て貰うことはできないのか、
と訊いてみたのだが、そんな、来るか来ないかわからない者のために、
警官が予め行って待っていることはできない、というのが返事であった。
結局のところ、被害額数百円みたいな話では、
多忙な警察が、本気を出して張り込みをしたりしないのだ。
通報があればすぐ来ます、と警察は言ってくれているが、
それだと、泥棒が先に帰ってしまう可能性が高いし、
警察が来て泥棒と会えても、せいぜい事情を聞く程度で終わってしまう。

煎じ詰めれば、たまたま泥棒が賽銭箱を開けている最中に、
たまたま警察の人が来て、たまたま取り押さえる、
という現行犯でなければ、捕まえるのは不可能、ということだ。
しかもだ、上記のような状況が巧く実現しても、
泥棒が賽銭箱からまさに千円札をつかみ出している真っ最中、
というのならともかく、ポケットに一旦、入れてしまったら、
盗ったことは明らかでも、被害総額は不明ということになる。

もともとが賽銭箱だから、泥棒が来る直前までに
中にいくら入っていたか、予め正確に把握しておくことは難しい。
また、泥棒のうちの少なくともひとりは、
地域のほかの寺社でも目撃されており、賽銭泥棒のハシゴをしている。
この人の所持しているお金の、どれだけが盗んだ賽銭で、
更にそのうちのいくらが、うちの村の神社の賽銭箱から盗ったものか、
証明することは限りなく困難だ。

また、仮に警察につかまっても、泥棒さんたちが懲りることはない。
事情聴取をされ叱られるのは愉快ではないにしても、
そうやってしばらく「お話」するだけで、解放されるのだ。
恥や道徳の観念が無いならば、少し我慢するだけで終わる、簡単なことだ。
隣町の宮司さんは体育会系の大柄な人で、
あるとき、自分の神社に来た賽銭泥棒を自力で捕まえて説教したが、
そのときは怖がって帰っても、やはりまた、盗みに来るようになったそうだ。
賽銭を平気で盗るくらいだから、罰が当たることも怖くないのだろう。
彼らが、盗癖という不治の病に冒されてしまったことこそが、
既に「罰が当たった証拠だ」と言えなくもないが……。

できるのは、こちらが、ある程度積極的な防止策を講じることだけだ。
24時間、誰かが張りついているのは、費用や時間の面から無理なので、
それなら機械に見張らせることにして、
賽銭箱を開けた途端に防犯ベルが鳴り響くとか、
拝殿にサイレンと警告灯の設備を備えるか、
……等々と考えはしたが、いずれも近所迷惑過ぎるので、実行できていない。
真夜中に大きな音が鳴り出したり、回転灯が赤々と村じゅうを照らしたりしたら
ぐっすりと寝入っている善良な村民にとって、大迷惑だろう。

唯一、完全に近いだろうと思われる防犯策は、
神社の拝殿の正面と左右に、サッシの引き戸を巡らせて
普段は完全に施錠するようにし、賽銭箱もその引き戸の内側に置いて、
郵便受けか何かのように、賽銭を入れることが辛うじて出来る程度にだけ、
賽銭箱の上のところに隙間を設けておく、という方法だ。
今は、賽銭箱が外からいつでも触れる場所に出ているから、盗られるのであって、
建物内に入れてしまえば、鍵を持っていない者は、賽銭箱に触れられなくなる。
参拝して賽銭をしたい者は、隙間から投げ込めば良い。
その隙間からサッシを破壊するとか、バーナーで焼く等、
器物損壊までヤられたら、お手上げではあるが……。

いかなる設備をするにせよ、費用がかかる。
年末年始のお詣りや賽銭だけは、確かに大きな収入源ではあるが、
それらは年間の予算で何にあてるかが既に毎年、固定していて、
よぶんなお金はほとんど出ない。
ただで祭その他の行事はできないし、各種保険の継続もある。
と言って、普段は500円の祭典費を地域で集めるのにも苦労するのに、
特別な寄附など望むべくもない。
だから、我々が日参して宝物のようにお賽銭を集めて貯めているのに、
そのなけなしのお金を、隙あらば勝手に盗っていくヤツらがいて、
そのヤツらのために、費用をかけて新しい設備をせねばならない。
全くもって、許し難い話ではないか。

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死後くん@sigo_kun:近所のスーパーで、ずんぐりしたおじさんが店内に流れるオーシャンゼリゼに合わせ腹をたたきながら買い物をしていた。おそらく狸だと思う。』

というtweetがあった。
我が家の転夫ころもんも常々、腹を叩いており、
自称『伝説の腹鼓(はらつづみ)師』なのだが、
なんと世の中、似たような人がいるものだ。
そういえば主人本人も、以前、八丁堀で同業者に会ったと言っていたな。

主人の奥義は、本人いわく「一子相伝」ゆえ、
伝承者を目指して敗れた者は、腹を潰されるのだそうだ。
だとすると、娘は、どういう位置づけなんだろうか。
彼女は主人にとって、ただ1人の直系なのだが、
私の観察では、彼女は腹鼓師の技は習得していないようである。
修行途中、いやもしかして修行を開始する前に、東京に逃げたのか。
主人はその後、弟子を取ったのだろうか。
八丁堀の男性や、オーシャンゼリゼおじさんは、どこの分派なのだろうか。

……等々と考えていたら、さきほどはまた、狸つながりのtweetに出会った。

大津留 俊一@shun1bb:「原告側のたぬきさん」ってラジオネームが頭から離れない』

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賽銭箱

朝から神社に行って、午前中、授与所番をし、
昼前に賽銭箱を開けて中身を出してまとめ、社務所の某所に仕舞った。
賽銭は、総代長・副総代長・会計・私、の誰かがこうして回収し、
後日、会計さんによってまとめられ、神社の口座に入金される。
上記4名の交代で、できるだけこまめに賽銭箱を改めることになっている。
常駐の宮司さんの居ない神社だから、現状、我々でやるしかない。
それというのも、とにかくフトドキな賽銭泥棒が複数、通って来るので、
こんな山の中の神社でも、賽銭は毎日でも抜いておかないと
勝手に持って帰るヤツらのものになってしまうのだ。

賽銭箱は大きいので、中身を盗もうという明確な意志がなければ
部外者が簡単に動かしたり開けたりできる形状ではないが、
鍵は無いので、開けて中身を持ち出すことは、力業でも可能ではある。
実際には「ごえんがありますよーに」の5円玉を中心に小銭がほとんどで、
窃盗まで働いても、がっぽがっぽ儲かるような話では全然ないのだが、
それでもたまに千円札が入っていることもある。
数年前に一度、現行犯で捕まったドロさんがいて、
そのときに、なぜ鍵を取り付けていないのかと警察に訊かれたのだが、
甘いんだよ、泥棒ってものは、鍵を力づくで壊して開けるのだよ(--#)。
その都度、鍵を付け替えさせられて、神社の経費が無駄になるだけだ。
実際にやってみたから、もう、わかっているのだ。

そういえば、鍵があった頃、開けられなくてキレたのか、
火を点けて燃やそうとした泥棒もいた。
ライターか、もしかしたらバーナーで炙ったらしい黒くなった跡が
賽銭箱の鍵の周辺に集中的についていたので、
賽銭泥棒の仕業としか思われなかった。
さすがにそこまでやられると、
こいつバチが当たってどうにかなればいいのに、
と思いましたね(--#)。
……同じ手口は二度とは見なかったので、もしかして、その後ホントに、
どうにかなったのかもしれないけど(怖)。

お参りして、お賽銭をされる方々は、神さまと神社のためにこそ、
貴重なお金をお供えされているのだ。
総代長以下、我々自身も神社に来たら必ずお賽銭してお参りしている。
こうしたお賽銭はすべて記録し、無駄なく神社の護持運営に還元している。
今の総代会運営になってからは特に、氏子さんから求められれば、
帳簿を開示できる状態にしてあるので、この件は客観的にも確認可能だ。
お賽銭があってこそ、神饌も買えるし、社殿の修理もできるし、
授与品も用意でき、祭りの余興も実現するのだ。
節分祭で配っているお菓子だって、会費も御初穂料も取っていない。
神社の経費として購入し、祭典でお祓いを受けたものをお授けしている。
そういうことにあてている大事なお賽銭を、横合いからかすめ取って
個人的な小遣いの足しにするようなヤツらなんかに、
ビタ一文、渡すものか(--#)!と総代会の面々で誓っている。


実家墓

今日はそれから、神社の帰り道に、実家の墓に寄った。
……と書くと一行だが、なにしろ酷暑だったのと、
うちの村のある山から、別の集落の山への移動になるのとで、
ここはタクシーを使った(^_^;。
今や、綺麗な墓苑の一角にある実家の墓は、いつ行っても美しく整えられており、
うっそうとした山奥にあったときと異なり、明るく、見晴らしが良い。
今回は、私が来るまでに既に親戚が参ったようで、榊が供えられていた。
自家用車でもタクシーでも乗り付けることができ、バリアフリーの墓苑だから、
高齢の親戚でも、車椅子の人でも、問題なくお参りできる。

本当に、あの山の上にあった墓をここへ移したのは大英断であった。
親戚で、神社の裏山がどうなっているか知っている面々は
ほぼ全員、私より年上だし、本家の直系は私ひとりだけなので、
もしあのままだったら、私が行けなくなったときには誰も墓守などせず、
実家の墓は山奥でひっそりと無縁墓になり、荒れ果てるところであった。
墓の移設に伴い、この、管理人のいる霊園を選び、契約したので、
仮に将来、誰も管理費を払わなくなっても、墓じまいまでやって貰える。

一人っ子の強みで、この件はすべて私の独断であった。
誰に相談する必要もなく、私が満足であれば万事OKだった。
父は最初、自宅裏庭の竹藪に葬られたいなどと主張していたが、
最終的には、私の決定を支持してくれた。
親戚には、全部が出来上がった段階で、事後報告した。
今は、こうして、私のほかにもお参りしてくれている親戚がいる。
良くなったじゃないか(^_^;。
私は、実家墓については、自分にできることは総てやったと自負している。

ということで、婚家と実家、両方の墓参りも完了したので、
今年のお盆の行事は、これにてめでたく終了。

「山の上の墓」移転の経緯
53歳の宿題(^_^; (2018年1月17日)
山の上の墓へ行ってきた(2018年05月11日)
山の上の墓その後(2018年10月08日)
山の上の墓その後 2(2018年10月17日)
墓 地鎮祭(2018年11月02日)
墓 完成(2018年12月27日)

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