転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



今朝は霊園の業者さんと待ち合わせて、朝8時半から、
山の上にある実家の墓に行って来た。
山道を行かねばならないので運動靴を履いて、
ヤブ蚊対策に長ズボンとウインドブレーカーを着て臨んだが、
山道は猪に掘り返され、あちこちに変テコな階段みたいな段差が出来ており、
そこに落ち葉が積もっていて足がスベって歩きにくく、遭難しそうだった(^_^;。
途中から、山道にあった太めの木の枝を杖にして登ったら多少ラクだった。

「田舎の墓」というと、田んぼの間とか山肌などに、
たくさんの墓が並んでいる光景を連想されるかもしれないが、
うちの田舎はそうなっていない。
深い山林に分け入っていくと、その途中に、
墓が数基から十数基並んだ墓地が忽然と姿を現す、という感じだ。
周囲はどこまでも山で、木々が生い茂り、道なき道があるばかりだ。

私はもともとは、こういう山林で遊んで育った。
だから、このあたりの山がどうなっているか、全く知らない訳ではなかった。
けもの道程度だが「山頂方面へ行くにはここを通る」的な決まったルートがあり、
木々の間には分かれ道もあって、うちの墓へ行くには右の道なのだが、
「確か、左の道を行くと、先の方にK家の墓があった筈…」
と、登りながら唐突に、遠い昔の記憶が蘇って来たりした。
家のご近所であるKさん宅とは、例の「農家の回覧板」でお付き合いがあるので、
Kさんは、今もあそこに墓を維持されているのだろうか、
と確かめたい衝動にかられたが、
直接の縁もない者が用の無い墓など覗きに行くとロクなことはあるまい、
と思い直して、家の墓へ急いだ。

数十年ぶりに目にした墓地は、私の記憶より狭い感じがしたが、
業者さんが私の祖父母の墓を指して、
「こういう山の中で見ると、そうも思われないでしょうが、
この、一番新しい墓石は、相当、サイズが大きいですよ(^_^;」
と仰った。そ、そうなのか(^_^;。
確かに、墓に正対して立って見ると、
祖父母の墓は、私の通い慣れた舅姑の墓とは、サイズ感が違った。
うぅむ、さすが田舎。なかなか手強そうな。

きょうは下見というか、手始めにデータを取る作業だけだったので、
業者さんが往復の道筋を確認し、墓地にある墓石すべての寸法を測り、
墓石に刻まれている名前や没年月日、故人の年齢などを書き取られた。
後日、移設の作業計画を立てて見積もりを出して下さることになっている。
こちらの希望としては、祖父母の墓だけは、そのまま霊園に移設して、
その他の先祖の墓は文字の読み取れるものは記録を取り、霊標にしてまとめ、
その横に更に新しく一基、私の両親の墓をいずれ建てたい、と考えている。
しかし勿論、見積もり金額による(爆)。

昭和8年に亡くなっている曾祖父までは土葬で、
遺体は土の中に座った姿勢で埋葬されたと、祖母から聞いているのだが、
そういう墓の下には、今となっては何も残っていないと思われるので、
石の下の土をひとつまみずつ取って、新しい土地に埋めると業者さんは言われた。
墓石については、加工のない自然の石を使った部分については、
お祓いしたあと、墓地にそのまま残しておくということで良さそうだった。
人の手の入った竿石はある程度、山から降ろすことになると思うが、
それもまた予算次第で、主立ったもの以外は墓地に片寄せて置いて行く、
ということになるかもしれない。
ただ、あの石の群れの中には、戦後のいつ頃だかに死んだ犬のヒロスケと、
数十年前まで家に居た猫のブチ子とチー子の墓が混じっている筈なのだが(爆)、
今となってはそれらは、江戸時代の名前のない墓石たちとの区別がつかなかった。
動物なので、人間の墓からは離して埋めたと思われるのだが、さて……。
どっちも埋めた張本人である父が、今やここまで来られないので、困ったことだ。

「これからちょっと残って、更に細かい計測をして、周辺の状況も調べますので」
と業者さんが私に先に降りるように促されたので、それに従ったのだが、
下りは登るときよりはラクだとはいえ、うっかりすると谷に転げ落ちそうで怖いし
勿論周囲には誰も居ず、
「私が遭難したら、……帰りに業者さんが発見してくれるか…」
などと考えながら、そろりそろりと下山した。
勾配の急なところは、恥も外聞もなくお尻をついて「すべり台」状態で降りた。

途中の分かれ道でまた、
「あ、そうそう、こっち行ったらKさん家のお墓…」
と思い出し、休憩を兼ねて立ち止まり、その方向を少し覗いたりしているうち、
昔、夏にお線香のあがっていたK家の墓地の光景まで思い出したが、
いや、こういうのに誘われてよその墓へ行ったりしたら絶対ダメ!
と思い直して、それからは後ろは見ないようにして、また山を下った。
眼下に、神社の敷地のヘリが見えて来たときには、
良かった、人間界に帰って来られた……、とさすがに安堵した(大袈裟)。

この先、もしめでたく成約となったら、どなたか神主さんに頼んで
その方と業者さんと一緒に、私も再度、墓まで登山し、
……神職さんは白衣・差袴という姿で登山可能なのか?と心配ではあるが……、
墓の前で祝詞をあげて戴いてから、移設作業の開始となるはずだ。
御霊抜き、御霊入れ、等々にも神主さんに来て戴かなくてはなるまい。
下の霊園に移ってからの式典には、うちの両親も参列できるかもしれない。
どの程度の規模の作業が可能か、すべては、見積もり次第だ。
まさに、地獄の沙汰も金次第(汗)。

**************

8時半などという早い時間に実家の村まで行かなくてはならなかったので、
私は今朝、マンションにタクシーを呼び、高速を使って行った。
墓の一件が終わったあと、両親宅まで下りて来て、
郵便受けの中を改めていたら、牛乳の宅配業者さんから、
『このところ牛乳が取り込まれていませんが、いかが致しましょう』
とメモが入っていて、両親が牛乳を取っていたことを私は初めて知り、
慌てて電話して事情を話し、止めて貰った。
ほかに、宅配便の不在連絡票が入っていたが、
それは私が3月頃、「母の日」のために手配した品物だとわかったので、
宅配会社に電話をかけて、発送元の私の家に転送して貰う手続を取った。

きょうはその他、私が両親宅に居る予定で前から約束してあったので、
母の福祉用具レンタル業者さんが、車椅子の引き取りに来られたり、
ケアマネさんが書類のハンコを受取に寄られたり、
更に、ずっとお世話になっている造園業者さんが、
「松の芽取り」の作業に来られたりして、
それに対応していたら、今度は予期せずダスキンさんが来られて、
両親がモップと換気扇フィルターを毎回頼んでいたことを初めて知り、
これまた訳を話して今月でやめる手続をした。
そのあとは、偶然だが郵便局が書き留めを持ってやってきた。
実家滞在1時間未満の間に、千客万来!

ちなみに私は午後1時から会社でいつもの仕事があった。
正午にタクシーを予約しておいたので、
それに乗って、また高速を使って戻り、12時45分に会社に着き、
辛くも間に合ったorz。
稼ぎ分より多くをタクシー代に費やして、本日は赤字だが、
墓の件が一歩前進したので、良しとする(^_^;。


追記(8月15日):その後3ヶ月ほど霊園業者さんから連絡がなく、
別にこちらは急いではいないにしても、どうなったのかなと思っていたら、
なんと、7月初めの集中豪雨のときに、業者さんの工場も被害に遭い、
汚泥の除去作業等で、しばらくはすべての仕事が止まってしまっていた、
ということを、業者さんを紹介して下さった知人から今日聞いて、知った。
復旧作業は、ようやくメドがついたところだそうで、
近々むこうからまた連絡があるだろう、とのことだった。

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