転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日は、先日御願いした神主さんにおいで戴き、
山の上の墓で移転開始の祭祀をして戴き、
次に地上に降りて、家の裏の竹藪の「お侍さんの墓」でもお祓い、
最後に移設先となる霊園のほうで、新墓の地鎮祭をして戴いた。

朝、家の近くの神社の境内に集合してから、
神主さんは差袴の裾をからげ、足元は長靴、という状態で登山、
業者の代表さんは我々の中で最も若いため、かなり身軽に、
現地で立てる竹笹4本と各種道具類を背負い、
続く私はお供えものを、総代長さんは玉串案をそれぞれ肩にかけ、
勾配の急な山道を、途中で幾度かスベりながら、ゼイゼイと登った。
ちなみに町内会長さんは御用があり、おいでになれなかったが、
こんな過酷な登山は、なさらなくて正解であった(^_^;。
現場に到着してから神主さんが、
「しまった、大幣を忘れた。もう一回降りて、取って来る」
と仰ったので、私は、
「そのへんの榊で代用すれば、いいんじゃないでしょうか(^_^;」
と進言した。幸い、山の中なので枝振りの良い榊がたくさんあった。
結局、手頃な枝を切って紙垂をつけることで結着がついた。

家の裏の竹藪での祭祀は、山の上のものより簡単にしたが、
それでもきちんとお祓いをして祝詞をあげて頂き、
お侍さんの墓のついでとはいえ、横にいる猫のミーコちゃんまで、
切り幣で清めて頂き、光栄なことだった(^_^;。
神道の家の猫として、あの世でも立派にお過ごしください(笑)。

霊園での地鎮祭は、これまた大変正式なものにして頂いた。
私は自分の家を建てる側になったことが無いので、
地鎮の儀など本物は初めて体験し、とても新鮮だった。
今回の墓の建設を考案し決定した立場ということで、
鎌で草を刈る動きをする『刈初めの儀』を務めさせて貰った。
神主さんは昔から我が家によく来て下さっている方で、
墓の下に入っている人達を実際にご存じでもあったので、
祝詞の内容も形式的でなく、我が家の事情を織り込んだ独自のもので、
心を込めて務めて下さったことがよくわかり、本当に有り難く思った。

ちなみに玉串料は、普通の一戸建ての相場の二倍強を包んだ(つもりだ)。
しかし私の想定よりいずれの祭祀も大変に本格的なものだったので、
もっと包むべきだったと、今、恥じ入っている(汗)。
来月になるであろう御魂入れのときに挽回したい(大汗)。
地鎮祭自体はお祝い事であると思い、紅白の水引にしたが、
何度も墓を建てることは普通あるべきでないだろうから、
蝶結びでなく、結び切りのにした。
引き出物的なものは、迷ったのだが小さい日本酒と紅白最中にした。
業者さんと総代長様にはそれに「御礼」の祝儀袋に入れた現金も。
あれもこれも、おかしいところが多々あったかもしれないが、
今のワタシにはこれが限界ということで、お許し下さい(T_T)。

ともあれ、ご先祖のお引っ越しの目処が、ほぼ、ついた(^^)!!
めでた~~~!!!


追記:この地鎮祭には、実は両親も呼んでいたのだが、
結局、当日朝になって母が混乱を来し、来ないことになった(汗)。

早くから予定は言ってあったし、前日夕方に電話で話したときも、
母は翌日を楽しみにしている由、あれこれ語っており、
介護タクシーさんに早めに来て戴いて、一度、2人は実家に寄り、
地鎮祭に着て出られる上着を洋服ダンスから出して用意し、
時間に合わせて現地霊園に行く、ということで万事、話がついていた。
その予定は、私でなく母が希望して決めたものだった。
それが昨日の朝6時、私が起床してみると携帯に母からの着信が5件あり、
かけ直してみると母が慌てた声で、
「ああ、ようやくあんたと電話が繋がった!
今度の話は、えらい急で、こない突然言われても私はどないしよう思うて。
また、おじいちゃんとお父さんに話も全然できとらんし、
あんたは自分のペースでどんどん進めるけど、
とてもじゃないがこっちは全く用意する暇があらへん。
私も体の具合がようないし、そんな言われてもよう行かへん」
とまくし立てた。
そもそも『おじいちゃん』と『お父さん』って誰のことや(^_^;?
そこから質問してみると、母は、『おじいちゃん』は母の父(=私の祖父)、
『お父さん』は母の夫(=私の父)、のことだと言ったが、
いや、混乱しとるだけでそれは両方、うちの父のことだろう(爆)。
よく見るんだ、そこに居る『おじいちゃん』は、
貴女の『夫』が大変にトシを取った、成れの果てだよ(爆爆)。

90歳夫婦に期待されている役割など何もなく、
極端な話、寝間着+車椅子で、その場に居るだけでOKだったのだが、
母はそういう実質的なことよりも、
「きょう今から、自分に馴染みのない、変わったことをしなくてはならない」
というだけでパニックになったようだった。
単に、介護タクシーさんが迎えに来られたら、それに乗って、
霊園に来るだけでええんやで?と私は一応言ってみたが、
母の中では、「自分が準備せねばらないのに出来ていない膨大な事柄」
という実体の無いものが大きくなっており、
「あんたが言うほど簡単でない。あんたは私たちの生活をわかってない。
まだあれもこれも決めなならんのに、おじいちゃんとお父さんに話もしてへん。
今朝起きて私はどないしよう思うて。え?あんたが前から話はしとるて?
ほな、おじいちゃんとお父さんは、どない言うとった?
昨日も何も言うてへんかったよ?
あんた今からすぐ来て、2人を説得してくれる?」
とイミフであった(^_^;。
母の言う両名、……というか、つまりうちの父のことだろうが、
彼は最近は墓の件のみならず万事に関心が薄く、
事前に話しても「わかった」「たいぎいけ、任せるわ」の連発で、
別に自分から何かをする気は毛頭なく、タクシーが来れば乗る程度だ。
説得などという行為は、父に関しては意味がなく、たとえ話したところで、
母の願っているような「万事心得た、任しておけ」状態に、父は、ならない。

ともあれ、私も限りなく面倒になったので、
「ほんなら今日は、来んでええよ(^_^;」
と話を打ち切った。
ホームの職員さんと介護タクシーさんに、外出取消の件を連絡して
この件は終わった。
母は、「きょうは何もせず、らくにしていて良い」とわかり、
機嫌が良くなった(^_^;。
まあ、墓が完成してから、気が向いたときに、見に来れば良かろう。
墓は逃げないからな(爆)。

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