転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



(本来、墓はむやみに撮影するものではない、との意見を耳にしたので、
墓苑で撮影したものをUPするのは止めて、かわりに本日の写真は、
実家で毎年買っているお正月の「松竹梅」。昨日、届いた。)

山の上の実家の墓を、ついに地上の墓苑に移設した。
昭和42年に父が建てた祖父の墓石を、そのまま降ろして貰い、
祖父と祖母の骨壺を取り出して地上に持って降り、
そのほかのご先祖については、墓石の下に残っていた遺骨や
骨のない人のぶんも土をそれぞれ回収し、さらしの袋に入れて貰って、
すべてを墓苑の、新たに我が家の区画となった場所に設置して貰った。
墓石は、持って降りた祖父(と祖母)のものと、
新らしく「(実家)奥津城」として建てたもの、の合計二基で、
ご先祖の墓石から読み取れた姓名や没年月日・享年、などは、
石標にして、両墓石の間に建てて貰った。

そして昨日、業者さんからの
「年を跨がんほうが、ええでしょう」
との御意見に従い、かねてお世話になっている神主さんに御願いして、
墓苑での納骨・魂入れの祭祀をして頂いた。
そのあと、業者さんの主導で、無事に骨壺や遺骨・土の袋を
墓石の下の、納骨棺の部分に納めた。
昭和8年に亡くなった曾祖父は土葬だったのだが、
その遺骨が、「人骨」だとわかる程度には残っていたので感心した。
保存状態が良かったのか、ひぃじーちゃんの骨密度が高かったのか(^_^;。
「50年やそこらじゃ、なかなか『水』にはならんね」
と神主さんも仰った。
祖父母の墓のほうに、それらご先祖様の遺骨や土も合祀するかたちにし、
新しいほうの墓は今はカラのまま、将来的に実家両親が入ることになるが、
その後は誰かが実家を継ぐことにならない限りは、そこで終了、
となる見込みだ。

長かった「墓参り登山」の歴史も、これにて幕。
かつては毎年お盆になると、朝の5時から一族総出で
ヤブ蚊対策の長袖長ズボンを着込み、酒とお供えを背負い、盆灯籠を担ぎ、
道中の補給用に水筒と氷砂糖を荷物に入れて、山を登ったものだった。
「墓に持っていったものは、家に持って帰ってはならない」
との祖母の教えを守り、残った氷砂糖やお茶は上で捨てたりもしていた。
しかし昨日をもって代々の墓は皆地上に降り、すべてが過去の話になった。
もはやあの場所に登ることも、少なくとも私は二度とあるまい。
これからは、見晴らしの良い、バリアフリーの墓苑で、
ご先祖様にも明るく気持ち良く過ごして頂ければと思う。
ここなら両親も私も、そして末裔たる娘も、現実に墓参りが可能だ。

神道の墓なので、厳密には供えるのは榊だけだが、
「彩りを良くするのに、スプレー菊なんか前のほうに一緒に供えてええよ」
と神主さんに教えて頂いた。
榊は花屋さんで売っていることもあるが、無いこともあり、
ホームセンターのほうが確実、との情報も神主さんから頂いた(^_^;。
この神主さんとはお互いに、前の世代からのお付き合いがあり、
現・宮司さんである今回の神主さんは、
我が家の祖父祖母が存命だった頃をご存じでもある。
墓の祭祀までして戴くことになり、ご先祖も喜んでいると思う。

今回の業者さんにも、本当に良くして戴いた。
何もかも人力だった昔とは異なり、今はクレーン等の道具もあるにはあるが、
あの山道から墓石を降ろして戴くのは、やはり大変な作業だったことと思う。
その都度、作業の進行状況をメールで教えて下さったり
家族が少ない(=実質、居ない)施主であった私のために、
地鎮祭その他の祭礼にもすべて立ち会って下さった。
また、この墓苑を紹介して下さった、実家近所の某おじーさんも、
昨日はご厚意から納骨式に参列して下さり、有り難いことだった。
その方のお家のお墓も、同じ墓苑のすぐ近くの区画にあり、
今後は「あの世の町内会」でもご一緒ということになり、
「末永くよろしく御願いします(^_^;」
と、昨日は心からの感謝を込めて御挨拶を申し上げた。

すべての方々のご縁が繋がって、実家墓移設が実現した。
本当に本当に、ありがとうございました<(_ _)>。

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