殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

始まりは4年前・31

2024年08月29日 14時51分14秒 | みりこん流

大きな台風が来ていますが

皆様がお住まいの地域は大丈夫でしょうか?

くれぐれも気をつけてくださいね。

 

 

さて、母の行く末が決まるであろう来月末を

まんじりともせず待つ私だが

それにつけても老人の世話は骨が折れるものだとつくづく思う。

なぜ骨が折れるか。

周りに気を遣う人は、気を遣うのにくたびれて早くいなくなるが

長く生き残る人はたいてい、超絶プライドが高くて超絶ワガママだからだ。

 

プライドが高くてワガママな人と付き合うのは大変だが

さらにアレらは高齢や病気を言い訳にして、周囲の人間をアゴで使う。

しかもタダで。

出費は最低限、実入りは最大限がアレらのモットー。

物資不足の中で生まれ育った時代背景もあろうが

そもそもプライドが高くてワガママな人は

ケチもセットで付いているものだ。

 

その上、運転免許を持ってない人も多いので

車が夢の乗り物だと思っている。

タクシーと違い、タダでどこへでも行ける魔法の絨毯みたいな感覚だ。

急に思い立った要望を容赦なく言いつけるが

その要望の大半は車を必要とする労働なので

アレらに奪われる労働力と時間、ついでにガソリン代は倍化する。

しかし、アレらは知ったこっちゃない。

そういう気遣いをしないで生きて来たから、長寿なのだ。

 

そしてプライドが高くてワガママな人は

自分の命令を聞かない者が許せない。

加齢で理性が失われるのもあって、思い通りにならないとすぐキレたり

尾ひれをつけて他の人間に言いふらす。

そのためアレらの周辺は、いつもゴタゴタしている。

 

あえて言うが、アレらはすでに人間ではなくモンスターである。

なぜモンスター化するのか。

感謝を知らないからだ。

世話をする人間に感謝せぇ、というのではない。

生まれて来たこと、生きていること、家族の存在、美しい自然…

感謝する案件は無限にあるにもかかわらず

それには目を背け、ひたすら自分、自分、自分。

人間とモンスターの違いは、感謝の有無である。

 

しかし、アレらばかりが悪いのではない。

人間、年を取り過ぎると、どうもああなるらしい。

日本の歴史上、老人がこれほど長生きをする時代は無かった。

あんなに生きる老人の前例がほとんど無いから

今のスーパー長生きな老人が必要以上に悪質に見えるだけで

我々もスーパー長生きをしたら、同じ老人になるのかもしれない。

 

『ギャラリー』

この4年、母に多くの時間を費やしてきた私だが

全てが大変なことばかりではない。

4年前から急に私を娘認定した母と

急に娘の役柄を演じることになった私の二人連れに

町の人々は温かかった。

疎遠だった二人の妹と親しく連絡を取り合うようになったのも

母の件があればこそである。

 

中でも幸運を感じたのは、鬱陶しいギャラリーが存在しない環境。

うちには、夫の姉がほぼ毎日やって来るという

嫁にとって悪しき習慣があるので身に染みているのだが

労働はせずに口だけ出されるって、そりゃ嫌なもんよ。

今はもう慣れてしまって何ともないが

町内に住む親戚たちも、似たようなものだ。

 

母の実子であるマーヤや、母の姪である祥子ちゃんが

それをやるような人間であれば、私はブチ切れていただろう。

よくある話を例にすると

「今の病院より、市外の⬜︎⬜︎病院がいいって聞いたよ」

「かわいそう」

「こんな物しか食べさせてもらってないの?」

などと、いかにも老人のことを思っているそぶりで

無責任なことを言われたら、迷惑この上ない。

 

かわいく思っている人物から、そのような発言を聞いたら

ただでさえ揺れやすい老人の心は激しく揺れる。

世話をする者の言うことを聞かなくなったり

発言した人物に世話をしてもらいたいと無いものねだりを始めるだろう。

 

老人を保護するとは、病院その他へ連れて行くこと

老人ができない用事を代行すること

ごはんを作って食べさせること…

つまり地味でしんどくて、時間のかかることばかりだ。

ギャラリーに生半可な善意で口を出されると

ただでさえ厳しい老人の世話が、ますます厳しいものになる。

 

普段、離れて暮らしているギャラリーは

老人の世話に手を染める可能性の無い安全圏にいるからこそ

無意識にいい加減なことが言えるのだ。

医療関係者は、老人や病人の世話を主だって行う1名を

キーパーソンと呼ぶが、ギャラリーの無責任な発言は

このキーパーソンに多大なストレスをかける。

 

私には、それが無かった。

ワンオペは確かにきついが、誰かと協力し合ってやるのは

私の性に合わない。

協力し合うったって、労働の質と量の差はどうしても出るので

言うにいえぬ不公平は付いて回る。

老人は老人で、あんまりやらない人の方が口だけは優しいので

そっちを好んで優劣をつけるものだ。

そんなつまらぬことに腹を立てるより、一人で引き受けた方が

気だけは楽じゃないか。

 

その点、マーヤも祥子ちゃんも潔かった。

距離的に遠くてそもそも無理とか

近くても母が苦手という理由があったにせよ

この徹底した潔さに助けられた。

 

一つ下の妹も

「話し相手ぐらいしかできないけど、たまには行こうか?

その間、姉ちゃんは休めるじゃろ?」

と言ってくれたが、別に会いたいわけでもない継子が

はるばる山口くんだりからやって来たからといって

どうなのかな?と思った。

 

それでも一応、母には妹の意向を伝えてみた。

しかし普段と違う人間が家に来ることに緊張し

具合が悪くなったので、断った。

私も妹の気持ちは嬉しかったが、たまに顔を出すだけで

手と金を出さないギャラリーはいらないのが本音だ。

 

老人の身内であっても、扶養義務や保護責任の無い人はたくさんいる。

その人たちに申し上げたい。

「口は出すな、出すなら手と金だ」

《完》

 

1ヶ月に渡って続けさせていただきましたシリーズに

辛抱強くお付き合いくださいまして

誠にありがとうございました。

毎日の更新は、私にとって一種のチャレンジでしたが

皆様のお陰で成し遂げることができました。

テーマを与えてくださったモモさんを始め

コメントをくださった皆様、応援ポチを押してくださった皆様に

心より感謝申し上げます。

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始まりは4年前・30

2024年08月28日 10時07分43秒 | みりこん流

1ヶ月ぶりに電話してきた母は、長袖の服を持って来いと言ったが

いったい何が目的なのか。

また何か企んで、服を口実に私を呼んでいるのか。

それとも単に友だちができたのか。

思い浮かぶのは、二つだけだった。

 

企むとしたら、どんなことなのか…

これはぜひ予測して対策を講じておきたいところだが

認知症になったことがないので

彼女がどのような手を考えるのか、見当がつかない。

私はうっかり寝過ごして一夜漬けすらできなかった

受験生のような気分で病院に向かった。

 

はたして面会室に入ってきた母は、晴れ晴れとした表情で

とても元気そうだ。

なんか、ふっくらしてるみたい。

「みりこん!よう来てくれたね!」

声も元気そのもの。

不安神経症や鬱病の薬を飲んでいた頃の

ロレツの回らない暗〜い話し方ではなく、完全に若い頃の母だ。

 

そうそう、昔は機嫌のいい時はこうだった…

私は懐かしく思い出す。

歌うように話す母は可憐で華やかな、ミニ薔薇みたいな人だったっけ。

小さくてもトゲ、あるし。

 

病院の薬がバッチリ合ったのだろうか。

あるいは一時的な高揚なんだろうか。

それを見極める間も無く、母は嬉しそうに言った。

「友だちができたんよ!」

「おお!良かったじゃん!」

「毎日おしゃべりができて、楽しいわ」

カンは当たった。

友だちの方だった…ホッ。

 

友だちは二人いて、一人は同室の人、もう一人は別の部屋。

どちらも年下だが、ほぼ同年代だそうで

親しくなって1ヶ月ぐらい経つと言う。

友だちができた興奮で、私のことは忘れてくれていたのかも。

 

母は同室の友だちと一緒に、二人部屋にいると言った。

ということは、継子の陰謀説で母を洗脳していたあの百婆は

1ヶ月に部屋を移動したことになる。

母が不安定になるので、引き離されたのかもしれない。

 

「他にも嬉しいことがあったんよ!」

母は続ける。

夏休みということで、病院には中高生が10人ぐらい入院したのだそう。

「今どきは中学生や高校生も、こんな病院へ入院するんじゃね」

母は驚いたそうだ。

 

その中にモモカちゃんという高校1年生の女の子がいて

その子と仲良くなったらしい。

「長い髪を三つ編みにして、垂らしとる子なんよ。

“おばさんが女学生の頃は、両側の長い三つ編みを二重に巻いて

耳の後ろで止めて、リボンを付けとったんよ”

そう言うて、やってあげたら

“こんな髪型、全然知らなかった”いうて喜んでくれてね」

 

モモカちゃんは2週間、入院して前の週に退院したが

その時、母に手紙をくれたんだそう。

《私を娘みたいに可愛がってくれて、ありがとうございました。

髪型も教えてくれて、ありがとうございました。

おばちゃんが優しくしてくれたので、入院が悲しくなかったです。

元気でね》

手紙には、そう書いてあったという。

 

「良かったねえ」

「ほんと、何でなつかれたんか、わからんのじゃけどね」

「だってあんた、学生は得意分野じゃん」

そうなのだ…母はうちへ嫁に来た当時

学校事務の職員として中学校に勤務していた。

公務員生活の後半は役所関係でお金を相手にしていたが

前半は紛れもなく、学生相手の商売だったのだ。

 

「わたしゃ学校におった?ほうじゃったかいの…?」

前半のことは、忘れてるみたい。

入院する際の聞き取りでも、学校事務の職歴は飛ばしていた。

 

ちなみに私が小学1年生だった頃、彼女は我々の小学校で事務をとっていた。

職員室で仕事をする彼女を覚えている。

2年生になったら他校へ転勤したが

5年後にその人が自分の父親と結婚するなんて、夢にも思わなかったぞ。

 

ともあれ母は、新しい友だち2人とモモカちゃんのお陰で

入院ライフをエンジョイしているようだ。

1ヶ月前の通帳と鍵のことなど、すっかり忘れているのに安堵した私は

母との面会を初めて楽しめた。

そうよ、いつも執拗で意地悪なばかりではない。

この人、調子のいい時は、話がけっこう面白いのだ。

 

長袖の服を届けて以降は、再びパッタリと音沙汰無し。

…と思っていたら先週末、電話があった。

「もっと厚手の服とベストを持って来て」

 

持って行ったら、また友だちの話で盛り上がった。

母はやっぱり元気そのもの。

しかし、気になることが一つ。

「9月の末に退院じゃけんね」

な、なんですと…?

 

そりゃあ入院したら一応の目安として、入院期間は3ヶ月とされる。

3ヶ月経ったら継続か退院か、あるいは施設入所のどれかに決まるのだ。

入院の際の話では、鬱病を改善して施設入所を目指すと言われたけど

それが本当なのか、建前なのかは不明。

病院からは、入院したきり何のお達しも無い。

来月の末、つまり3ヶ月が経過したら、何らかの方針を示されるのだろうか。

 

翌日、マミちゃんに会ったので、このことを相談したら

「妄想よ」

と一蹴。

「認知症なのに退院させるわけ、ないじゃん。

うちのお父ちゃんも、何月何日の何時に退院じゃけん迎えに来いって

いかにもホンマげに言いようたわ。

それが認知症なんよ」

 

「妄想で帰るつもりになって、それが違うと知ったら

お父さんは暴れた?」

私の質問に、マミちゃんは優しく微笑んでシビアな返答。

「認知症じゃけん、自分が言うたことは忘れとるわいね。

もし暴れたら、薬でおとなしゅうさせるんよ。

そういう薬があるのが、精神病院じゃが」

「……」

 

はたして来月末は、どうなるのだろうか。

完全に退院して家に帰ることは、もう無いと思う。

鬱病の方はともかく、認知症で一人暮らしは無理だ。

となると、考えられるのは退院の延期か、施設入所。

とにかく家に帰りたい…その希望が絶たれると、荒れるのは必至だ。

 

入院が伸びたとしたら、また振り出しに戻って

面会の要請、恨み言の羅列が再開するかも。

が、施設も危ない。

だって施設は精神病院と違って制限が緩いので

携帯電話は本人に返却される。

そうなりゃもう、電話魔復活は決定じゃんか。

チ〜ン。

 

さて、どうなるのか。

ちょっとドキドキしながら、その時を待つ私である。

《続く》

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始まりは4年前・29

2024年08月27日 09時04分49秒 | みりこん流

母からの電話が途絶え、私も面会に行かなくなって

約1ヶ月が過ぎた。

面会に行くのをやめた翌週、病院から電話があり

太ももが痛いと言っているので

外科のある病院へ連れて行くという話だったが

結果は異常無しで、病院との連絡もそれきりだ。

 

椎間板ヘルニアになって以降

大腿部の痛みは入院する間際まで、時折訴えていた。

それがヘルニアのせいなのか、私を呼ぶための演技なのか

鬱病による幻の痛みなのかは、わからずじまい。

それも今となっては、どうでもいいこと。

生きた母に会うことは、もう無いかもしれないな…

私はそう思うようになった。

そしてあの時、継子は信用できないと言ったのが

別れの言葉になったのかな…

そうも思うようになった。

 

ところで母が入院して以来、仲良し同級生マミちゃんの経験談に

かなり助けられた。

彼女のお父さんも5〜6年前に母と同じ病院へ入院し

そこで亡くなった話だ。

「実は、うちのお父ちゃんも同じ病院じゃったんよ。

最後が精神病院って、あんまり人に知られたくないけん

今まで誰にもよう言わんかったんよ」

母がそこへ入院したことをマミちゃん伝えた時、彼女はそう言った。

 

マミちゃんのお父さんは

お母さんが急死してほどなく認知症になった。

幸いマミちゃんたち3人姉妹は近くに住んでいるので

お父さんの介護を交代で受け持ち

デイサービスやショートステイを利用しながら数年を過ごした。

 

やがてお父さんの症状は悪化し、暴れるようになったので

◯◯精神病院へ入院することになった。

そこからが姉妹の地獄だったという。

お父さんが入院していた頃は

まだ携帯電話の制限が緩かったそうだ。

 

「ワシをキ◯◯イ病院へ入れやがって!出せ!帰る!」

と電話に次ぐ電話。

そして面会の要請、行けば恨み言。

狂気の電話か、電話が凶器か…

マミちゃん姉妹は電話に苦しめられたという。

母と同じだと言うと

「誰でも最初はそうなるみたいよ」

マミちゃんが教えてくれなければ、私はもっと悩んでいたかもしれない。

 

マミちゃんは三姉妹なので、負担も3分の1だったと謙遜するが

最も困ったのは、毎日のように近所の店に電話をかけて

食料品や日用品を病院に届けるよう注文する行為だったそう。

「みんなご近所さんだから許してくれたけど

謝って回るのは本当につらかったんよ」

お父ちゃんが亡くなった時は、悲しみよりもホッとした…

マミちゃんは言った。

 

彼女がそんな目に遭っているなんて

微塵も気がつかなかったので驚いたものだ。

同級生仲間のけいちゃんは

お母さんが入院していたのをあけすけに話していたが

その時もマミちゃんは「うちもよ」と言えなかったという。

 

それにしても同級生で結成する5人会の中で

3人までもが親を◯◯精神病院へ入院させたのは

なかなかすごいことではなかろうか。

親がいたずらに長生きするようになった時代

◯◯精神病院の需要は高まるばかりだろう。

 

 

さて、やがてお盆がやってきた。

私の携帯に公衆電話から着信が…

実に1ヶ月ぶりだ。

元気なんじゃん…。

 

1ヶ月も放っておいたから、どんな罵詈雑言が飛んでくるやら…

そう思いながら出ると

「あ、みりこん?わたしゃまだ、生きとるんよ!アハハ!」

ものすごく明るいじゃないの。

 

「盆が来るけど、マーヤは帰るって言ようる?」

マーヤの名前が出たら、気をつけなければならない。

イエス、あるいはノーで明確に答えたらあかん。

明確に答える…それはマーヤと私が

密に連絡を取り合っている証拠になるからだ。

 

よその継母のことは知らないが

うちは実子と継子が結束していると知ったら逆上するタイプ。

フォーメーションに過敏というのか

2対1、あるいは一つ下の妹も混じって3対1になるのを

昔からひどく嫌う。

孤独感にさいなまれるらしい。

だから彼女は我々三姉妹を一人ずつ分断することに心血を注ぎ

継子同士を戦わせて実子のマーヤを温室に囲う戦略を取ってきた。

 

よって、つまらぬ受け答えをしたばっかりに

また入院当初の“帰る攻撃”が再発したら面倒なので

ここは慎重かつ敏速に対応しなければならない。

「どうなんかね?知らんのよ」

マーヤは、盆や正月に母が外泊しないか…

その時は自分たち一家が帰って世話をしないといけないんじゃないか…

と悩んでいた。

母はマーヤが一家で帰省しないと気に入らないが

子供たちは怖がっているし、旦那は何も言わないけど嬉しいはずがない…

だからといって自分一人で母の面倒を見る自信は無い…。

 

「盆正月に一家で帰省する習慣は、もう終わったと思いんさい」

だからマーヤにはそう言ったばかりだが、母には“知らない”と言う。

「あっら〜、どしたん!連絡取ってないん?」

嬉しそうな母。

「あの子も忙しいけんね、何も聞いてないわ」

「ふ〜ん、じゃあ帰らんのじゃね。

マーヤが帰らんのなら、私も盆は帰らんけんね」

えっ…帰るつもりだったんかい!

お母様、やっぱり認知症なんですね…。

 

「そうそ、あんた、長袖の服を持って来てくれん?

朝晩が寒うなったけん」

精神病院では、ほとんどの患者がパジャマでなく洋服を着ている。

夏物は実家から何枚か持ち出して届けたが、長袖はまだ届けてなかった。

「わかった、明日持って行く」

 

電話を切ったものの、ここしばらく母のことはノーマークで

マミちゃんやモンちゃんと遊びほうけていた私。

すっかりカンが鈍ってしまって、彼女の考えていることが謎。

 

こういう時は結果が両極端なのを、私は長い付き合いで知っている。

1ヶ月かけて練られた罠が、私を待ち構えているのか。

それとも服を所望したというデータから、友だちができたのか。

私が予測したのは、以上の二つである。

 

服を所望したら、なぜ友だちができたことになるのかって?

老女に新しい友だちができたとしたら

おしゃべりの内容は、ほぼ自慢と決まっている。

自慢するからには、衣装の披露が不可欠。

あの年頃の女子には常識だ。

宝石もバッグも靴も許されない病院で

着る物は、各自のセンスや経済力を証明する唯一のアイテムなのである。

 

翌日になっても丁か半か、全く予測できない。

考えても仕方がないので、実家に寄って母の服を見繕い

病院へ行った。

《続く》

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始まりは4年前・28

2024年08月26日 09時02分00秒 | みりこん流

病院へ面会に行かなくなって、3日。

祥子ちゃんに渡すと言った通帳も鍵のこともすっかり忘れ

母の電話を警戒しながらも、穏やかに過ごしていた私に

その祥子ちゃんから電話がかかる。

 

「サチコさんと連絡が取れん言うて

民生委員さんが心配しとるんよ。

入院でもしたんかね?」

「うん、6月の終わり頃から入院しとるんよ」

「やっぱりそうだったんじゃね。

うちの近所に民生委員さんの畑があるけん

よう会うんじゃけど、サチコさんとこへ何回行っても留守で

携帯も家の電話も繋がらん言うとってんよ」

 

一人暮らしをする後期高齢者には

市から任命された民生委員が担当として付いている。

月に一度か二度、家を訪問して

独居老人の安否を確認することになっているのだ。

その安否が確認できないので、民生委員が困っているという

祥子ちゃんの話であった。

 

入院する時、私は母に問うた。

「近所には連絡したけど、民生委員さんには連絡せんでもええん?」

「民生委員?

3年前に1回来ただけで、顔も覚えとりゃせん。

連絡なんか、せんでええわ」

母がそう言うので、そのまま忘れていた。

 

しかし祥子ちゃんによると、その民生委員はとても熱心な人で

月に2回は必ず母の様子を見に行ってくれるのだそう。

「3年前に来たきりなんて、民生委員さんが気の毒じゃわ」

祥子ちゃんは笑いながら言った。

 

民生委員は、私の携帯番号を母から聞いているので

連絡しようとしたが、その番号が違っていたので

連絡がつかなかったそう。

母の消息を聞くために連絡を待っているので

民生委員に電話して欲しい…

というのが祥子ちゃんの用件だった。

 

「電話をもらったついでで悪いけど…」

私は祥子ちゃんにたずねる。

「今までお母さんの通帳と家の鍵は私が持っとったけど

何日か前、祥子ちゃんに預けたいと言い出したんよ。

念の為に一応聞くけど、それについてどう思う?」

祥子ちゃんと私は、遠慮無く何でも言い合える間柄。

こういう時に、気を遣って話さなくていいので助かる。

この人、本当にあっさりしたいい人なのだ。

母と血が繋がっているとは思えない。

 

「何だって?

叔母さんが言い出しそうなことじゃけど

そんなの、筋が通らんわ。

あの人、やっぱりおかしいんじゃね。

私、あの人が家に居るのが嫌で

高校もわざわざ遠くへ通うたし、大学も大阪を選んだんよ。

あの人がおらんかったら、どっちも近い所で済ませたわいね。

あんた、悪いけど現状維持で頼むわ」

「そう言うと思ったよ」

「あんたにばっかり押し付けて、ホンマにごめん。

私にも手伝えることがあったら手伝うけん、いつでも言うて」

「じゃあ、葬式の時にでも呼ぶわ」

「アハハ!わかった」

 

こうして、民生委員に電話をすることになった。

女性と思い込んでいたのに、男性だったので驚いた。

優しい声の誠実そうな人だ。

はは〜ん、この人、母の好みのタイプじゃなかったんじゃな。

だから、3年前に来たきりなんて言うたんじゃわ。

いかにも母らしい。

 

民生委員との電話を皮切りに

あちこちから母の消息をたずねる連絡が入り始める。

母は精神病院への入院を知られたくないのと

すぐに退院するつもりだったのとで

「近所以外には黙っておいて」

と言っていたが、町から姿を消して半月…

趣味の仲間を始め、1日おきに行っていた美容院などが

心配しているのだった。

 

その中には、コーラスの先生もいた。

黙っていたことを詫び、事情を説明すると

「あの人は、とにかく嘆く人だからねぇ…

病気になるのも無理は無いわ」

と言って納得していた。

嘆きの女王は、先生にもさんざん嘆いていたらしい。

 

さて、私が家に居るようになったので、家族は不思議がっていた。

「今日は電話、無かった?」

息子たちは毎日、電話の有無をたずね

携帯の着信音を口笛で真似る。

「およし!」

私がそう言って嫌がるのを楽しんでいるのだ。

 

義母ヨシコも不思議がった。

「あれだけ日に何回も電話があったのに、パッタリ無いし

あんたも病院へ行かんようになったし、急にどしたん?」

そうたずねるので、通帳と鍵の件を話すと

ヨシコは烈火のごとく怒り狂った。

「恩知らずもええとこじゃ!もうほっときんさい!」

ヨシコもまた、母の被害に遭っていたので彼女には厳しいのだ。

 

母は今年の春あたりから

私の携帯と家の電話の区別がつかなくなり

ヨシコが出る家の電話にも頻繁にかけるようになった。

本人は携帯にかけていると思い込んでいるため

私と間違ってヨシコにぞんざいな口をきいたり

私が留守だと不機嫌になって暴言を吐く。

ヨシコはよく腹を立てたが、相手は病人だと思って

ずっと我慢していたのだ。

 

そして母のワガママぶりを見るにつけ、我が身を振り返るようになった。

「私はサチコさんとは違う!」

口癖のように言い始め、自分でできることは私に頼らず

できるだけ自分でやるようになった。

つまりヨシコは、ちょっと変わった。

 

私もまた、母がこうなって以来

ヨシコがいかに扱いやすい年寄りかを知った。

言い出したら絶対に聞かない、譲らない、諦めない母と違い

ヨシコは話せばわかってくれる。

人の言葉尻を取って執拗に引っかかる母との会話は

常に油断のできない真剣勝負だが

ヨシコと話す時は何も考えなくていいので、楽だと気づいたのだ。

 

通帳と鍵の問題が勃発する少し前…

この辺に暴風雨が吹き荒れた日のことだ。

母からはいつものように、面会に来いと電話があった。

病気や認知症になる前から、彼女はそうだった。

来させるのは我が子でなく継子、天気も危険も知ったこっちゃない。

 

「行ったらいけん!」

その時、ヨシコはいつになく素早い動きで玄関へ走り

私に通せんぼをした。

「大雨じゃのに山奥へ行って、何かあったらどうするん!

また電話があったら、姑に止められたと言いんさい!

それでも来い言うたら、私が文句言うてやる!」

ヨシコの剣幕に驚いて、私は面会に行くのをやめた。

 

私にもしものことがあったら家政婦がいなくなるので

困るのは彼女だから、止めたい気持ちはわかる。

しかしそれ以上に、ヨシコの親心もわかった。

ありがたいと思った。

その日、母からの電話はもう無かった。

《続く》

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始まりは4年前・27

2024年08月25日 09時29分20秒 | みりこん流

入院する前

「これで入院費の支払いをして」

そう言って私に渡した通帳を

姪の祥子ちゃんに預け変えたいと言い出した母。

私は密かにその発言を喜んだ。

だって、祥子ちゃんがウンと言ってくれれば

私は解放されるんだぞ!

…とはいかない。

賢い祥子ちゃんが、通帳を受け取らないのはわかっている。

特にお金のことで母と関わりを持つのは、まっぴらごめんのはず。

 

私の喜びは、母の気持ちがマーヤから遠のいた部分にあった。

娘のマーヤを無職にして家族と引き離し、自分の世話をさせる…

それが母の根底にある最大の願望。

しかしマーヤの名前は出ず、母の意識は祥子ちゃんに向いた。

入院中はお金の管理だけでなく

留守宅の管理も行う必要が生じるため

遠くのマーヤより、同じ町に住む姪の方が現実的…

母が祥子ちゃんを選んだ理由はここだと思うが

叔母と姪なら、母娘の関係より遠いので拒否すればいい。

マーヤはひとまず安全圏に置かれ

祥子ちゃんは逃亡可能となると、重責が少し軽くなった気がした。

 

母は、通帳の管理を

私から祥子ちゃんに変更したいもっともな理由として

相部屋になった百才のお婆さんの話を持ち出す。

その百婆と親しくなった母は

継子が自分の世話をしていることを打ち明けたという。

 

それ以降、百婆はしきりに言うのだそう。

「私は嫁に騙されて、ここへ入れられたけど

あんたも継子に騙されたんよ。

継子と医者はグルよ。

間違いない。

あんた、私と一緒でどっこも悪うないんじゃろ?

それが証拠よ!

あんたの面倒を見るのが嫌になったけん、医者に頼んだんよ。

嫁も継子も他人じゃけん、そういうむごいことを平気でするんよ!」

 

継子の陰謀説にすっかり洗脳された母は髪を振り乱し

依然として私に白目をむきながらわめく。

「A先生と心療内科の女医と、あんたはグルなんじゃ!

私が邪魔なけん、あいつらに頼んでここへぶち込んだんじゃ!

私は何でもお見通しじゃ!

年を取って、継子からこんな目に遭わされるとは思わんかったわ!

退院したら、Aと女医とあんたの3人を訴えるけんね!」

 

私はプッと笑った。

「ほほう、素晴らしい想像力じゃん。

やってみんさいや。

私は受けて立つけど、あんなに世話になった先生を訴えたら

私もあんたを名誉毀損で訴えるわ」

 

「あんた…そんな物騒なこと、言いなさんなや…」

他に誰もいない周囲を見回し、急におとなしくなる母。

「あんたが先に言うたんじゃん。

そういう無茶を簡単に言うのが、すでに病気なんよ」

 

都合が悪くなると話を飛ばす…それが母。

急いで話題を百婆の語録に戻す。

「継子に家の鍵を渡したらダメよ、あんた!

家の中はもう、カラになっとるよ!

いいや、あんたが退院する頃には帰る家も無くなっとるわ!

通帳も渡しとるんじゃろ?

皆使われて、あんた、文無しよ!

悪いことは言わんけん、今から通帳だけでも

血のかかったモンに預けんさい!」

百婆は、何度も言い続けるのだそう。

 

趣味の俳句で鍛えた表現力により

百婆の様子を臨場感たっぷりに再現する母が

とても認知症と思えないのはさておき

毎日、それを言われるたびに不安が増してきたそうだ。

百才になっても、まだ他人のことに興味を示し

首を突っ込んで揉めさせたい人がいる…

ここに私の感動があった。

 

そして母は、結論を述べる。

「隣の人に言われて、私もつくづくそう思うたんよ。

他人に通帳と家の鍵を渡したのは失敗じゃったわ」

さっきのお返しに、これで私を凹ませたいのだろうが

あんたに鍛えられたお陰で屁でもないわ。

 

そう、人を傷つけて生きてきた人は

いつも誰かを傷つけなければ気が済まなくなる。

が、年を取り過ぎて周りに人がいなくなり

若い世代からは相手にされないとなると

当然ながらターゲットは減る。

母が本当に鬱病だとしたら

人を傷つけようにも、そのカモがいなくなり

欲求不満が高じたのが原因だと私は思っている。

 

「わかるよ、その気持ち。

私だって同じ立場じゃったら、そう思うよ。

じゃあ、帰りに祥子ちゃんに頼んでおくわ。

家の鍵は今日渡すとして、通帳は持って来てないけん

明日、祥子ちゃんに渡すね」

私は母に言った。

 

「そうして。

祥子なら安心できるけん。

血のかかったモンしか、信用できんわ」

「そうじゃろう、そうじゃろう!

帰りに受付で、病院の保証人や請求書の宛先も

祥子ちゃんに変えてもらっとくね」

「そうして」

「じゃあお母さん、私の面会は今日で最後になるけど元気でね!」

 

ここで驚く母。

「えっ?もう来てくれんの?」

「当たり前じゃん。

泥棒扱いされても、まだ嬉しげに家や病院へ出入りしょうたら

ホンマに金目当てじゃと思われるが」

「面会には来て!」

「無理、バイバ〜イ!」

 

私は足取りも軽く、スタコラと帰った。

血のかかったモンに任せたい…実のところ、この言葉を待っていた。

私にとって、母の言質を取ったのと同じだ。

今後は血がかかってないことを理由に

様々な面倒を回避できるではないか。

 

だからといって、母を祥子ちゃんに投げるつもりは無い。

70才になり、静かな夫婦暮らしを満喫する祥子ちゃんは

必ず拒否する。

 

私もこんな厄介な人物を、血縁を理由に押し付けるつもりは無い。

今後、あの厄介な人物が厄介なことを言い出したら

「あの時、あんたはこう言ったよね」

そう反撃できるではないか。

お金に対して非常に敏感かつ厳格な母にとって

通帳のてん末は重い内容なので、忘れたとは言わせない。

投げ返せる球を入手できた喜びは、大きかった。

 

「次から、この球が使える」

そう思って、半ば楽しみな私だったが

この日を境に、母からの電話はぷっつりと途絶える。

私にひどいことを言ったと反省するようなタマではないので

“名誉毀損”の熟語が効いたのかもしれない。

 

来いという電話が無いので、私はそのまま面会に行かなくなった。

7月中旬のことである。

《続く》

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始まりは4年前・26

2024年08月24日 09時13分12秒 | みりこん流

針と糸、大きいマスク、ファンデーションを持って来るよう

私に指令を出した母は、面会室に現れるとすぐに言った。

「大きいマスク、持って来てくれた?」

 

「こちらでお預かりしたので、必要な時に出しますね」

看護師が答える。

「マスクは今、いるんよ!」

母は怒りをあらわにして抗議したが

それぐらいで返すようなら、精神病院の看護師は務まらない。

 

「何で大きいマスクがいるん?」

私が聞いても答えない母。

「ファンデーションは?持って来た?」

早くも話は飛んどるし。

 

「化粧品はダメなんだって」

「どうして?化粧をせんと外へ出られんが!」

「あんた、外へ出るつもりなんかい?」

「服は?服は持って来てくれた?」

また話、飛んどるし。

その時に服も上下、持って来るように言われていたので

そっちが気になったのだろう。

 

ここで、やっとわかった。

母は大きなマスクで顔を隠し、私が持って行った洋服に着替えて

病院から脱走するつもりだったのだ。

ファンデーションは、守備よく病院を抜け出したあかつきに

大好きなスーパーへ買い物に行くためである。

 

針と糸を所望したのは

最初は入院した時の服を着て脱走しようと考えていたからだ。

しかし着る物は、病院の管理下に置かれている。

そこで母は

「ボタンが取れているので、面会に来た者に付けさせる」

という言い訳を考え

ナースステーションから服を持ち出そうとしたのだ。

が、そんな面倒なことをしなくても

別の服を私に持って来させればいいことに気づいた。

よって最初に思いついた針と糸は、忘却の彼方となったと思われる。

 

私が持って行った針とハサミを見た看護師は

職業上の常識で自◯や自傷を懸念したが

母は間違ってもそんなことをするタマではない。

ナンボ鬱病と診断されていても、それは無い。

人は容赦なく傷つけるが、我が身だけは守り抜く人間だ。

私の目の前には、自分の思い通りにしようと画策する

昔から変わらない母がいるだけである。

 

子供の頃は彼女の思惑が皆目わからず

うっかり引っかかっては砂を噛んだり煮湯を飲んでいた。

けれどもこっちが結婚して、嫁ぎ先の親と対峙していたら

わかるようになった。

彼らの私に対する扱いは、母のそれと同じだ。

絶対に読み解けない巧妙な罠だと思っていたものは

ワガママな人間の浅知恵に過ぎなかった。

 

『百婆の洗脳』

さて、帰りたい願望が強いのと、針とハサミ事件によって

個室から出るのが遅れていた母だが

いつの間にか、二人部屋へ移動したようだ。

面会で、相部屋の人の話が出るようになったので知った。

話し相手ができると、何が何でも病院を脱走するという固い意思は

徐々に萎えて行った。

 

同室のお仲間は、百才のお婆さん。

母が話すには、一人息子が先に亡くなり

嫁と二人暮らしになった途端、この病院へ入れられたそうだ。

自分との二人暮らしを嫌った嫁が、医者とグルになって入院させた…

お婆さんの主張である。

 

「わたしゃ今のあんたと同じ90才の頃は

まだ自転車に乗ってあちこち行きようた」

「あんたは最初の頃は元気そうじゃったのに

どんどん病人みたいになっていくね」

「医者に、おかしゅうなる薬を飲まされとるんじゃない?」

「実験台なんよ、あんた」

お婆さんは毎日、母にそう言うらしい。

 

母は、お婆さんの陰謀説に洗脳されて行った。

自分は元気なのに、騙されて精神病院へ入れられた…

このまま薬を盛られ続けたら、本当の病人になってしまう…

だから早く連れて帰って…

脱走という強行手段は諦めたようだが

帰りたい願望は前よりひどくなり、泣きながら電話をかけてくる。

すでに病人なんだけど、元気だと思い込んでいるのが

やっぱり認知症。

 

そんなある日、いつものように面会に行ったら

先に面会室に入って椅子に座っていた母が

遅れて入った私を白目でにらみつけている。

シロウトが見たら、怖くて足がすくむだろう。

 

しかしこの目、私にとっては懐かしいもの。

例えば親戚の葬式に、私と一つ下の妹が一緒に行ったら

こういう目をしてにらんでいたものだ。

継子二人のセットを見るのが、ものすごく嫌なのだ。

二人の継子が結束しているように見え、心をかき乱されるらしい。

私が人の態度を気にしないとしたら

それは母が身をもって教えてくれたものである。

 

ともあれ母は、私に大きな不満があるらしい。

口をへの字に曲げて言った。

「あんた、この病院の支払いはどうなっとるんね」

まるでスケバンだ。

これも昔から慣れているので、何とも思わない。

最初はドスをきかせて別件から入るのも、彼女得意の手である。

 

「まだ最初の請求が来てないけん、払ってないよ」

「ふ〜ん…

家の中の物はどうなっとる?」

「そのままよ」

「何か持ち出した物は無い?」

「冷蔵庫の食品は持って帰って捨てた」

「ホンマにそれだけじゃろうねぇ」

「…何が言いたいんや、あんた」

 

母は私の表情から、たじろぎを発見しようと

目をそらさず私を見つめ続ける。

これも懐かしい記憶。

 

高校生の頃は番茶も出花で、私は色が白くなりつつあった。

母はそんな私を「化粧している」と決めつけ

持ち物検査をしたり、時に白いタオルを持って来て

その場で顔を拭くことを要求した。

化粧をしていたら

ファンデーションが白いタオルに付着するはずだからだ。

 

母はその時も、私から目をそらさず見つめ続けたものである。

もしも証拠が挙がったら、口をきわめて責める気満々だ。

しかし結果は残念ながら、いつもシロ。

私からタオルを奪い取り、裏も表もシゲシゲと点検後

母はいつも悔しそうに去った。

少ない小遣いで、ファンデーションなんか買えるわけないじゃん。

継子の娘盛りを許せない、継母の心理を知った。

 

さて、母はいよいよ本題に入った。

「あんたに通帳を預けたのは、間違いじゃったと思うとる」

「何じゃ、それか。

いずれ言うと思よったわ」

「年金が入る大事な通帳じゃけんね!

まさか、使うとりゃすまいね!」

「使うも何も、まだ支払いが無いけん、預かった時のままよ。

返そうか?自分で払う?」

「…祥子にやってもらいたいと思うとる。

あの子は何といっても、私の血を分けた姪じゃけんね」

出た…やっぱり血なんだよね。

《続く》

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始まりは4年前・25

2024年08月23日 13時39分33秒 | みりこん流

次の面会では、ものすごくにこやかに現れた母。

「あんたも忙しいのに、毎日来てくれてありがとね」

自分が呼んでおいて、これなのはさておき

笑顔に猫なで声は一番危険なんじゃ。

裏がある証拠だと、私は長年の経験で知っている。

狡猾なサチコは今回も一晩、考えたのだろう。

 

「あんた、マーヤの電話番号、知っとるじゃろ?

連絡したいことがあるんよ」

母は面会室の椅子に腰かけるなり

身を乗り出して、軽〜くのたまう。

やっぱりな。

 

マーヤの電話番号を教えるわけにはいかない。

彼女は母親の電話を怖がっている。

仕事の合間や疲れて帰った時、あの調子でやられたんじゃあ

たまったモンじゃないわい。

私は母の電話、面倒くさいけど怖くはないので

どこまでもガードする所存だ。

 

「携帯忘れたけん、わからんわ」

持っているけど、そう言う。

「ええっ?!」

「あんたが早よ来い言うて焦らすけん、家に忘れた」

「何で忘れるん!やっぱりあんたって子は!」

何とでもお言い。

 

「じゃあ祥子の電話番号は?覚えてない?」

「電話したこと無いけん、知らんのよ」

母の姪、祥子ちゃんの携帯番号も家の電話も知っているけど

そう言う。

「んもう!役に立たん!」

「自分の実家の電話番号じゃろ。

あんたこそ、覚えてないんかい」

「そんなん、覚えてないわいね!」

「何の用事があるんね」

「あの子らを呼ぶんじゃ。

血のかかったあの子らなら、私の姿を見てかわいそうになって

どうでもこうでも連れて帰るはずじゃ!」

「なんね、その用事か」

「あの子らは、私をここへ置いてよう帰らんわ!

連れて帰る言うて、泣くわいね!

あんたは他人じゃけん、平気なんじゃ!」

「ハハハ!その他人にさんざん世話させたの、誰?」

「今はここへぶち込んで、せいせいしとろうよ!」

「どこが?

毎日ここへ呼びつけられて無茶言われるのに

せいせいどころじゃないわ。

あ、そうそう、家の水道メーターがおかしい言うて

検針の人から手紙が入っとったが、どこの業者に頼む?」

ここでまた別の話を振って切り抜け、その日はそれで終わった。

 

『脱走計画』

さらに次の日。

母から、また明るく電話が。

「あ、みりこん?

あんた、悪いけど黒い糸と針、持って来てくれる?」

「裁縫でもするんけ?」

「入院した日に着て行った服がクリーニングから戻っとるんじゃが

ボタンが取れとるんよ。

わたしゃ大分元気になってきたけん、もうパジャマはやめて

服にしたいんじゃが、ブラウスのボタンが取れとるけん着られんが。

面会の時に、ボタンを付けてちょうだい」

依然として明るさを保ったまま、ペラペラとしゃべる母。

危険信号だ。

 

精神病院に針はNGと、初心者の私でもわかる。

まぁ荷物になる物でもなし、言い出したら聞かないので

一応持って行って面会の前に看護師に聞き

母を納得させようと考えて準備した。

 

少しして、また母から明るく電話。

「わたしゃ小さいマスクしか持って来てないけん

大きいマスク、持って来て」

はいはい、わかった…と言ったものの、これも実はおかしい。

 

母は全身が、小学生サイズ。

マスクも小さい物を使わなければ、目まで隠れてしまう。

だから小さいマスクは、入院の時にたんまり持って行った。

それに入院する時、消耗品のストックが切れたら

介護士に地下の売店で買ってもらうことにしている。

何か変だけど、これも荷物にはならないので

家にあるのを持って行くことにした。

 

少し経って、また母から電話だ。

「あんた、ファンデーションを持って来て。

素顔じゃと、顔がパリパリするけん」

やっぱりテンション高め。

 

化粧品は禁止だったはずだ。

入院した時に持って行った化粧品は返されたので

私が持って帰った。

これも看護師の指示をあおいで母を納得させようと思い、承諾。

 

午後になり、母に言われた品々を持って面会に行った。

病棟のインターホンで面会に来た旨と

面会の前にチェックして欲しい物があることを伝え

応対に出てきた看護師に見せた。

 

「マスクは…

病院でお預かりしているのが、たくさんあるんですけど…」

「大きいマスクが欲しいと言うんですが

病院では大きい方がいいんでしょうか?」

「いえ、そんなことは…

まあ、ご本人が必要とおっしゃるなら、お預かりします。

あ、ファンデーションはダメです。

お持ち帰りください」

 

それから、裁縫道具を見た看護師。

顔色が変わった。

なぜなら私が持って行った透明のジプロックからは

糸切り用の小さなハサミが見えたからだ。

 

「ハサミはダメですね…お持ち帰りください。

こっちの小さいケースには何が入っていますか?」

「針と糸です」

沈黙する看護師。

 

「あの…こういう物を患者さんが持って来るように言われたんですか?」

「はい、着て行った服のボタンが取れたから付けて欲しいと…」

「服のボタンが取れたら

クリーニング業者が付けることになってます。

病院で縫い物はできませんから、お持ち帰りください」

 

実は針と糸は母から言われたが

ハサミは私が勝手に持って行ったものだ。

万一、許されてボタンを付けることができたとしても

糸を切る時にどうするんじゃ?と思い、気を利かせたつもりだった。

 

しかし病院の方は、ハサミと針という危険物を複数

確認したことになるらしい。

急に厳戒態勢になり、看護師が2人、面会に立ち会うことになった。

一人はこんな物を持って来るように頼んだ母を見張るため

もう一人は、こんな物をホイホイと持って来るバカな家族…

つまり私を見張るためかもね。

《続く》

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始まりは4年前・24

2024年08月22日 10時26分55秒 | みりこん流

『面会の難』

母が精神病院へ入院した翌日から、私は面会に通うようになった。

家に居る時と同じく、病院の公衆電話で呼ばれるので

仕方がないのだ。

 

面会するにはまず、受付で面会申込書を書いて提出する。

それを受け取った受付の人は病棟に連絡し、看護師の許可を仰ぐ。

OKであれば面会申込書に受付の印が押され、面会者に渡される。

面会者はそれを持ち、エレベーターで病棟へ。

そして病棟へと続く鉄の扉の横にあるインターホンを押して

患者の氏名を言う。

すると看護師が出てきて面会申込書を受け取り

ロビーにある面会室のドアを開けてくれる。

面会者はそこから面会室に入って待つのだ。

 

一方、患者は看護師に連れられて

病室に繋がる反対側のドアから面会室に入る。

面会室には面会者の入るドアと、患者が入るドアが

向かい合わせに二つあるということだ。

面会者と患者が揃うと、看護師は両方のドアに鍵をかけて去る。

どちらの鍵も、中からは開かない。

面会者と患者は、鍵のかかった部屋で面会をするというシステムだ。

 

面会が終わると面会室のインターホンを押して、看護師を呼ぶ。

看護師が来てドアの鍵を開けてくれ、面会者はロビー側のドアから出る。

そして患者は看護師のボディーチェックを受け、病棟側のドアから出る。

ボディーチェックは、面会者から妙な物を渡されてないか調べるためだ。

妙な物とは自◯や自傷、他傷に使えそうな物や

酒、タバコ、お金など持ち込み禁止の物のこと。

精神病院における面会は、このように厳重だと知った。

 

そういえば面会者の移動手段はエレベーターのみで、階段は使わない。

階段の存在すらも公開されてないので

公共の建物の天井からぶら下がっている

避難経路を示す緑色のプレートも、ここには無い。

移動経路が複数あると、患者の脱走が防ぎにくくなるからと思われる。

だからエレベーターの点検中に行った時は、長い時間、待たされた。

 

そういえば玄関の自動ドアも、一般の病院とは何だか違う。

二つの自動ドアを通らなければ、病院への出入りができない。

そして入る時は普通に開くが、出る時はドアが開くのが遅い。

入った時と同じ感覚で外へ出ようとしたら

未だ空いてないドアにぶつかるだろう。

おそらく玄関の自動ドアは、脱走の最終関門。

よく考えられているものだと、感心しきりである。

 

さて、母は毎日、私に面会要請の電話をかけてくるようになったが

それは決して私に会いたいからではない。

「家に連れて帰って」、「頼むから退院させて」

これを言うためである。

自分から望んでおきながら、思っていたのと違えば

元に戻ることを強く望む…昔から彼女の悪癖である。

帰ったら、また私に世話をさせる気満々。

 

面会2日目、3日目…母の帰りたいという要求は

日増しに強くなっていった。

身をよじりながら時に泣き、時に私を拝み

「連れて帰って」を繰り返す。

どうにもならないことで駄々をこね続ける…それが母である。

 

しかし、救いはある。

幸運なことに病院の面会規則は

毎日午後2時から4時までの15分間と決まっていた。

往復する時間は実家通いの倍だが、母のお守りをしていた頃よりは

拘束時間がかなり短い。

何を言われても15分間、耐えれば

看護師が迎えに来るので解放されるし、15分より早く帰りたければ

面会室のインターホンを押したらいい。

看護師が来て、面会は中断される。

 

とはいえ認知症には、一度に二つのことを考えられないという

便利な特徴がある。

別の話題を振れば、母の意識はそっちへ飛ぶのだ。

で、しばらく別の話しをした後

また「帰りたい」と言い出すので、また別の話題を振る。

これを2〜3回繰り返したら、15分の面会時間は終わる算段。

 

が、敵もさるもの…

誤魔化されているうちに面会時間が終わると気づいたのだろう。

私の顔を見るなり、一晩考えた新案を提示するようになった。

「A先生の所へ行って、私をここから出してくれるように頼んで!

よう考えたら、最初はあの人が言い出して

入院する羽目になったんじゃけん!元はあいつよ! 

ここから出さんかったら一生恨む、言うて!」

一生ったって、もうあんまり残ってないのはともかく

あれほど恋慕っていたA先生をボロクソに言う。

不本意が起こると悪者を作らなければ気が済まない…

それが母である。

 

「何を言いよん…そんなこと言いに行けるわけないが」

「どして?!どうして?!ねえ、どうして?!」

目を釣り上げ、いきり立つサチコ。

「A先生は心療内科を紹介してくれただけじゃんか…

あ、そうそう、心療内科から入院費の請求が来たけん

払いに行っといたよ」

「…ナンボじゃった?」

「1万2400円」

「高いん?安いん?」

「一泊じゃけん、そんなもんじゃろ。

検査を色々したけん、ほとんど検査料金じゃった」

「ふ〜ん」

こうして別の話題を振り、時間を稼ぐ私である。

 

2日後、A先生犯人説が一段落すると

今度は心療内科の女医先生がターゲット。

「あの女医め!

年寄りを騙して、変な所へぶち込むのが仕事なんじゃ!

退院したら怒鳴り込んでやる!」

「私の住んどる町でそんなことしたら、ふうが悪いけん連れて行かんよ」

「タクシーで行くわいね!」

「あ、そうそう、昨日コーラスの◯◯さんにバッタリ会うたんよ。

入院中と言っておいたけんね」

「◯◯さんが?あの人はね〜、いい人なんよ。

いつも私に気を使うてくれてね〜」

 

2人の医師をひとしきり恨むのが終わった数日後

次の新案は、私が病院と喧嘩をするというシナリオだ。

「どうしても私を連れて帰ると、病院に言うてくれたらええんよ。

お母さんをこんな所へ置いておけません、いうて

ちょっと大きい声出して暴れたらええんじゃけん、簡単じゃが」

我が子にはみっともなくて、させられないことも

他人にはやらせたがる、この卑怯。

 

「どこが簡単じゃ…私まで入院させられるわ」

「どして?どしてやってくれんのん?!

私がこんなに苦しみようるのに、あんた、平気?!」

伸びてきた髪を振り乱して、ゴネるサチコ。

 

同じことをマーヤに言えるんか!

継子をバカにするのもええ加減にせえ!

と言ってやりたいが、この方針で何十年も生きてきた母のこと。

今さら言ったって、本人は何が悪いのか、わかりはしない。

そんなだから、人生のラストシーンで不本意な生活を強いられるのだ。

 

翌日、面会に行ったら、敵はいよいよ本丸に突入してきた。

マーヤと祥子ちゃんの電話番号を教えろ…

これである。

《続く》

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始まりは4年前・23

2024年08月21日 08時23分39秒 | みりこん流

『電話問題』

精神病院の規則で携帯電話を取り上げられ、泣く母。

電話魔の彼女は病室に落ち着いたら、娘や姪を始め

あちこちに電話をかけまくろうとウズウズしていたはずだ。

自分の物なのに自由に使えない…

こだわりの強い母の性格上、これは耐え難い苦痛である。

 

しかも日頃から、「私の命綱」と公言している携帯だ。

「早くお迎えが来て欲しい」とボヤきながら命綱を必要とする矛盾はさておき

母はゲーム機を取り上げられた子供のように、返せと泣くしかないのだった。

 

そういえば昨日、入院した病院でも携帯を取り上げられていた。

だから電話を求めてナースセンターへ何度も行き

転院の原因になったと思われる。

 

「こんなひどいことをされるんなら、入院するんじゃなかった!」

母はオイオイと泣き続ける。

しかし携帯を取り上げられたのは、私にとってありがたい措置。

電話魔に持たせて自由にかけまくられたら

こっちは夜も昼もあったもんじゃない。

しかもかけてくる内容は「帰りたい」、「迎えに来て」

そういう無茶な用件に決まっている。

こっちが言うことを聞くまで、永遠にかけ続けるはずだ。

 

それだけではない。

私が必死で母の世話をしてきたのは

母の魔手が、妹のマーヤ一家にまで及ばないようにするためだ。

母は必ず、妹一家をメチャクチャにしてしまう。

 

それは我が子であっても同じ…

いや我が子だからこそ、遠慮の無い暴言を浴びせるのは

母のことでマーヤと連絡を取り合うようになってから知った。

マーヤの携帯、自宅の電話、繋がらない時は両方の留守電にかけまくり

自分の世話をしない、心が冷たいと責めたり

「◯にそう」などと言うので、家族も怯えているという。

「マーヤは忙しいけん、遠慮でようかけん」

母は私によく言っていたが、実は鬼電だったらしい。

こんなことが続いたら、間違いなく心身をやられる。

 

妹が可愛いとか守りたいとか、そんな生やさしい感情ではない。

マーヤだけの問題ではく、母の携帯には姪の祥子ちゃん

そしてこの春から山口県の娘の家に引っ越した、一つ下の妹

さらに地元の知り合いや、コーラス、編物、俳句など

趣味のお仲間の電話番号が入っている。

携帯を持たせたら電話番号がわかってしまうので

災禍が広がるのは火を見るより明らかではないか。

身内は仕方がないが、罪も無い無関係の人々には気の毒過ぎる。

 

だから泣いている母に背を向け、私は相談員に小声で言った。

「私が今日、母の携帯を持って帰るわけにいきませんか?」

しかし相談員の答えは、常識的なものだった。

「患者様ご自身の希望であればできますが、そうでなければ無理なんです。

ご家族や病院への信頼がなくなると

治療がうまく行かない場合がありますのでね」

つまり本人の意思で持ち込んだ物は

本人の承諾が無ければ渡せないということだ。

承諾するわけ、無いわな。

 

「じゃあ、携帯を返さないようにしてもらえませんか?

この人、電話魔なんで、返されたらあちこち電話をかけて

迷惑をかけると思うんですけど」

なおも食い下がる私。

「それは医師が判断するので、私たちには何とも…」

ああそうですか。

どうやら携帯を返す許可が出ないように、祈るしかなさそうだ。

 

「それに…携帯が無くても、電話をかけたくなったら

ナースステーションの公衆電話から、かけられるんです」

相談員は申し訳なさそうに言った。

「公衆電話は介護士が管理しているので

介護士から10円玉をもらって、かけていただくんです。

通話料金は入院費と合わせて、翌月の請求に加算されます」

 

ガ〜ン!

母は私の所へ電話をかけ過ぎて、電話番号を覚えている。

よって私は、逃げられないということだ。

たとえ忘れたとしても、私の携帯と家の電話番号を書いた紙を

入院の荷物のあちこちにしのばせている。

それを出してもらえば番号がわかるので、諦めるしか無さそう。

 

やがて母が落ち着いたので、私は帰った。

落ち着いたというよりも

認知症で、さっき泣いていた記憶が消えたらしい。

家に着いたら夕方だった。

疲れより、今度こそ毎日実家に行かなくていい喜びの方が

大きかった。

 

しかし翌日、それは甘い考えだったと知る。

このところ出ずっぱりだったので

ゆっくりしていた午後、携帯が鳴った。

相手の表示は公衆電話…母に違いない。

「入院して3日間は、鍵のかかる個室に入ってもらって

様子を見させていただくことになりますので

ご了承ください」

相談員が言っていたので、厳重に警戒されていると思い込んでいた。

だから少なくとも3日は静かだと勝手に思っていたけど

はかない夢だった。

 

電話に出ると、怒り狂った母の声だ。

「あんた!ナンボ私が憎い言うても

こんなキ◯◯イ病院へ入れることないじゃろ?!」

たいていの人間は、ここで衝撃を受けてひるむ。

インパクトの強い言葉を投げつけて相手を沈黙させ

その後は罵詈雑言の毒を吐き続ける…母の常套手段である。 

 

しかし母に対して百戦錬磨の私、その手は食わん。

間髪入れず、静かに反撃じゃ。

「あんた、言葉に気をつけな。

周りの人に聞こえたら失礼じゃが」

 

反撃に遭うと別の話題にすり替えるのも、母の常套手段。

「何の治療もしてくれんのよ?!閉じ込められとるだけよ?!

こんなんで、良うなるわけないが!

食べるもんだって、ナッパばっかりよ!」

だから私も話題をすり替える。

「二枚目の院長先生には会えたんかい?」

「来やせんわ!騙されたんよ!」

「昨日、入院したばっかりじゃん。

そのうち会えるよ」

「私を騙してキ◯◯イの中へ放り込んだ男なんか、知らんわ!」

「ヒャハハ!」

大笑いする私。

母との会話は、ポンポンとリズミカルに続けるのがコツだ。

え?そんなコツ、知りたくないって?sorry!

 

「笑いごとじゃないわいねっ!

こんなキ◯◯イばっかりの所、嫌よ!」

と…急に“ピン…”という音がして電話が切れた。

許された電話の時間が終わったのか、10円玉が終わったのか

問題発言が多いので、側で管理する介護士が

意図的に強制終了させたのかは不明。

 

やれやれ、終わって良かったと思ったら、またかかってきた。

再び問題発言を繰り返していて、またピン…と切れ

またもう一度かかって、今度は

「明日、面会に来て」

と言ってから母が自分でガチャリと切り、その日はそれきりだった。

やっぱりピン…は意図的で

公衆電話の使用は1日3回までと決まっているのかも。

 

それはどうでもいいが、翌日から毎日

電話で面会を要求されては病院へ通う日々が始まった。

せっかく入院したというのに、これじゃあ今までと変わらんじゃないか。

《続く》

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始まりは4年前・22

2024年08月20日 10時08分08秒 | みりこん流

『ドクターストップ・part2』

M先生が母をうまくあやしてくれているうちに

母の実子マーヤと打ち合わせていた11時40分になった。

関西で教師をしているマーヤが電話に出られるのが

この時間だった。

 

母は心療内科の入院に引き続き、今回の◯◯精神病院にも

同じ医療強制保護入院の措置で入る。

その措置を執行するためには親族の承諾が必要だが

私と母は養子縁組をしてないので、戸籍上はあかの他人。

心療内科は他人の私で大丈夫だったが、ここは厳密で

入院するにはマーヤの承諾が不可欠だそう。

 

マーヤの手が空いた時、彼女から病院へ電話すればいいようなものの

そこも厳密で、必ず病院側から電話することになっている。

そういうわけでM先生は、マーヤの授業が一段落した休憩時間に

電話をかけるのだ。

内容を母に聞かせないためだろう、M先生は別室へ去った。

 

数分後、戻ってきたM先生は言った。

「今、娘さんとお話しして承諾してもらったので

サチコさんの入院が決まりましたよ。

ハキハキして、しっかりした娘さんですね。

あ、学校の先生だから当たり前か。

先生が頼りないと困るよね」

愛娘マーヤを褒められてご機嫌の母だが

なぜ電話をしたのかは、おわかりでないご様子。

「娘さん、電話があるまで気が気じゃなかっただろうな〜。

生徒さんは、今日の先生、何かおかしいって思わなかったかな?

ハハハ」

どこまでも明るいM先生である。

 

マーヤの承諾があって初めて、母は上階の病棟へ移ることができる。

彼女は迎えに来た病棟看護師に連れられ、診察室を出た。

「じゃあね、また面会に来るからね」

「うん、来てね」

そう言って別れ、残るように言われた私はM先生と面談だ。

 

「先ほど娘さんが承諾されたので

サチコさんの医療保護入院の手続きが完了しました」

心療内科では医療強制保護入院という表現だったが

ここでは医療保護入院と、少し短め。

どっちでもいいらしい。

 

M先生は続ける。

「サチコさんは鬱病ですが、認知症も進行しています。

先ほどの認知症テストの結果は、30点満点の15点でした。

15点以下は、完全な認知症です。

脳の写真では前頭葉の萎縮があって…

ほら、前の方がスカスカになってるでしょ」

M先生はCT写真を指差しながら、説明する。

 

「だけど真ん中から後頭部にかけては、頭蓋骨の中身が満タンでしょ。

新しい記憶は消えるけど、他のことはしっかりしているという

マダラボケの状態です。

だから、好きなことや楽しいことはよく覚えてて

どんどん話すでしょ。

コーラスの話をする時なんか、目がキラキラしてたもんねえ。

だけど鬱病の方も深刻で、一人暮らしはもう無理と判断したので

ドクターストップをかけました」

 

またドクターストップだよ。

2回目ともなると、ありがたみが薄れるわ〜。

その一方で

「じゃあ私はドクターストップをかけられるランクの病人を

ずっと面倒見てたわけ?バカでねぇの?」

という思いも湧いた。

地元の内科医A先生が、私にストップをかけてくれなければ

今日も母を連れてウロウロしていたことだろう。

やっぱりバカでねぇの?

 

M先生との面談が終わり、帰ろうと診察室を出たら

さっき母を連れて行った病棟看護師が、駆け足でやって来た。

「お母様が、どうしても娘さんに会うと言っておられるんですが

ちょっと病棟まで来ていただけますか?」

ずっと我々に付き添ってくれていた相談員は

「どうなさったんですかね?」

と首を傾げているが、私にとってはさもありなん。

精神病院の看護師まで手こずらせる、それが母である。

 

相談員に案内され、エレベーターで病棟へ上がると

そこはロビーになっていて

病棟の入り口には頑丈そうな鉄製の扉がある。

我々部外者は病棟には入れないそうで

患者に会う手段は、ロビーにある二つの面会室のみ許されている。

病棟の扉も面会室も鍵がかかるようになっていて

看護師は皆、それぞれの扉を開閉する鍵を腰にぶら下げていた。

 

母は2人の看護師に支えられ

鉄の扉からヨロヨロとロビーに出てきた。

「何もかも取られた…」

そう言って泣きじゃくっている。

ちょうど面会時間が始まっていたので

面会室は二つとも先客で塞がっている。

そこで病棟の扉の前にある小さな椅子に母を座らせ

看護師立会いのもとで話すことになった。

 

「何もかもって、何?」

「着る物も、化粧品も、ぜ〜んぶ取られた…」

相談員が小声で私に説明する。

「患者様の私物は全部、看護師が管理する規則になってるんです。

持っておられる私物を使って

ご自分や周りの方を傷つけることもあるので

予防のために仕方がないんですよ。

お母様は、大切な物を取られたような気持ちになられたんでしょう。

あ、それから化粧品は一切ダメなので、後で持って帰ってください」

まあねぇ…化粧品も危ないわよね。

飲んだりしたら大変だものね。

 

「必要な物があったら、その都度、看護師に伝えてくださいね。

許可できるものであれば、お渡ししますからね」

相談員は泣いている母に話しかけ、2人の看護師もウンウンとうなづく。

 

「じゃあ、ケイタイ…」

母は小さな声で言った。

「え?」

「携帯よ!

携帯も取られたんよ!

あれはお金が関わる物じゃけん、他人が勝手にできんはずよ!」

急にしっかりして怒り出す母。

相談員は困り顔で私に説明する。

「携帯も私物の扱いなのでね〜

入院直後は看護師の管理になるんです。

ご本人に返すかどうかは、医師の判断になります」

 

「返して…携帯、返して…

あれが無いと私は生きられん…◯んでしまう…」

再びワッと泣き出す母。

 

生きられんじゃの◯ぬじゃのと、昔から簡単に言う癖があるけん

鬱病認定されたんと違うんか…

私から見れば、母はうちへ嫁に来た当初から何ら変わりは無い。

だけど今になって、人は病気だと言う。

やっぱり不思議な気持ちだ。

高齢になって、仮面の自分と本来の自分の区別がつきにくくなり

それで人の知るところとなったのだろうが

ともあれ母がゴネている理由は、携帯だとわかった。

《続く》

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始まりは4年前・21

2024年08月19日 09時52分55秒 | みりこん流

『入院』

母の担当医は、先ほど相談員が私から聞き取った内容の報告書を

別室で確認しているらしい。

母と私と相談員は、診察室でそれが終わるのを待っているのだ。

 

しばらくすると

「初めまして!院長のMです!」

担当医の院長先生が、颯爽と診察室へ入ってきた。

年齢は50才前後か…イケメン&長身だ。

ニッコリ母に笑いかけると、白い歯がキラリ…

七三に分けたヘアスタイルと相まって、昭和の映画スターみたい。

 

ヨッシャ〜!

私は心の中で、ガッツポーズ。

イケメンで長身の男性医師は、サチコの大好物だ。

 

担当医に、ファン心理や恋に似た感情を持つ老女は多い。

老いや病気の不安から、医師を信頼してすがりたい気持ちは

誰でもあるので、それは異質なことではない。

そのすがりたい人が美男子であれば言うこと無し…

老女あるあるだ。

 

母も例外ではない。

例外でないどころか、男性医師が大好き。

だから地元の内科医、A先生を慕っていた。

A先生はイケメンではないものの、とにかく優しいのがお気に入り。

心を病んでからは恋する乙女そのもので、毎日のように通っていた。

 

一方、昨年末に心臓の精密検査を受けた際の医師は

若い女性だった。

母は「あんな小娘…」と言って気に入らなかった。

今朝まで入院していた心療内科の先生も女医さんなので

母は受診し始めた当初から不満タラタラだった。

入院を勧められて最初は渋ったのも

自分より年下の女性が言うことを

素直に一回で聞くのがシャクだったからである。

 

しかし今回は違う。

M先生はイケメン&長身に加え、愛想が良くて優しそう。

母の理想を全て満たしているではないか。

隣の母を見たら、目がハートになっとる。

こりゃ、一目惚れだね。

 

「お家が立ち退きになるんだって?」

M先生は高身長を折りたたむようにしゃがみ

母をのぞきこんで心配そうに問う。

そうさ…さっきの相談員の聞き取りで

立ち退きが迫っていることを話しておいた。

次男の別れた妻で、元精神科の介護士アリサの入れ知恵である。

「立ち退きのことは、ぜひ話しておくべきです。

住む家が無くなるなんて、あんまり無いケースだから

医療関係者の興味を引くはずなので、入院や入所には有利だと思います」

 

話は飛ぶが、実家は道路の拡張工事に伴い

数年後には立ち退く予定である。

コロナで工事は中断されていたが、今年から再開された。

少しずつ実家の方へ近づいて

母の寿命と工事の到達、どっちが早いかというところ。

 

しかし問題は、家と庭の全てが立ち退きの対象ではないこと。

全部取られるのなら、立ち退き料がたんまり出ようから

代替え地に新築すればいいけど、うちは前半分だけだ。

残った後ろ半分に家を建てようにも広さが中途半端だし

母も90を超えて家を新築する気力は無く

年齢的にも、建てた家であと何年暮らせるのやら。

心中は穏やかでなかった。

 

けれども地元生まれ地元育ちの母には

同級生のネットワークがある。

仲のいい同級生が、自分の母親を引き取るために建てた

小さな家を借りる手はずになった。

引き取った母親がすぐに亡くなったので、家は新しいままだ。

しかも母の実家と至近距離。

実家愛の強い母にとって、これ以上の好条件は無く

月5万で借りる下話も済んでいた。

 

が、残念なことに3年前

家を貸してくれるはずの友だちが亡くなってしまった。

認知症のご主人は存命だが、もう家を借りる話などできはしない。

絶好の移転先を失い

「この年で、どこへ行けというの?」

と、コーラスほどではないが、悩んでいたので

「うちの近所に洒落たアパートか建ったけん。

そこを借りてあげるけん、引っ越しんさい」

母にそう言ったのが、この春先。

 

いい加減な気持ちで言ったのではない。

実家へ通うより、すぐ近所の方が私も楽だと考えた。

母はそれですっかり安心したのだが、問題は立ち退く時に

うまくアパートが空いているかどうか。

今は満杯である。

 

 

話を戻すが、M先生が真っ先に立ち退きの件を口にしたところをみると

アリサの言った通り、興味を引いたらしい。

しかし目がハートになっている母は

うちの近所へ引っ越す話に落ち着いているのもあり

「はい…でも私はあんまり気にしておりませんのよ」

と気取って答えた。

 

「そうですか!それなら安心しました。

お家が立ち退きになるなんて、大変なことですからね。

コーラスの方はどうですか?長く続けてこられたんでしょ?」

コーラスと聞いて、食いつく母。

歌が好きなこと、楽しかったこと

だけどしんどくなったことなどを次々と話す。

立ち退きの次はコーラス…M先生のリサーチは完璧だ。

母のツボを押さえて話をさせ

警戒心を解いて心を開かせるのがうまい。

さすがプロ。

 

「しんどくなったのか〜…

潮時だったんだね。

潮時って、あるよね。

コーラスもだけど、お料理もお洗濯もお掃除も、潮時じゃない?

サチコさん、ここらでちょっと休みましょうよ。

もうしんどいこと、み〜んなやめちゃいましょうよ。

入院して、楽しいことだけして

元気になってもらいたいな〜って、僕は思うんだけど

しばらくここに居てもらえますか?」

うまい…こう言われたら、イエスと言うしかあるまい。

 

「先生がその方がいいとおっしゃるなら、そうします」

M先生を見つめてうなづく、乙女サチコ。

「本当?良かった!

イベントもよくあるし、お友だちもできるから

慣れると楽しいですよ。

ねえ、Nさん、皆さんそうだよねえ」

M先生は相談員に相槌を求め、相談員もニコニコしてうなづく。

「ええ、それはもう楽しく過ごしていらっしゃいますよ」

 

入院と言われたら抵抗すると思っていたが

M先生が美男子だったことは、天の助けとしか言いようがない。

こりゃあ、何でも言うことを聞きそうだ。

もしも彼が、母の嫌いな低身長のブスオだったら

こうはいくまいよ。

《続く》

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始まりは4年前・20

2024年08月18日 09時50分17秒 | みりこん流

駐車場の車に着くと、母は車椅子から降りて

車の後部座席におとなしく乗る。

彼女は助手席に乗ってドライブするのが好きだが

しばらく前から助手席には乗れなくなった。

背が縮み過ぎて、シートベルトをしたら首吊り状態になるからだ。

 

介護士に見送られ、転院先の◯◯精神病院へ向かう。

山越えをして、20分余りの道のりだ。

「どこへ行きょうるん?」

途中、何度もたずねる母。

「大きい病院で検査をしてもらうんよ(嘘じゃない)」

「ふ〜ん…検査が済んだら家へ帰れる?」

「検査の結果が良かったらね。

悪かったらもう少し先になるけどね(嘘じゃない)」

「あの病院へ戻るのは、嫌じゃ…」

「あそこへはもう戻らんよ(嘘じゃない…追放されたんだから)」

「ほんま…?」

「あんたが戻りたい言うても、戻られんのよ」

(嘘じゃない…もう受け入れてもらえない)」

「えかった…」

 

“検査”の二文字に助けられ、母を騙すという行為は

からくも回避できた私。

しかし、こうも普通に素直だと、あるや無しやの我が良心はチクチクと痛む。

 

母の世話をするようになってから、彼女は私に言うようになった。

「あんたのお母さんは、ええ子を残してくれたもんじゃ」

「あんたと出会えた幸せに感謝しとるんよ」

けれども私はそれを聞いて

「努力が実った」と感激するようなタマではない。

それらは、子供の頃から言われ続けていた言葉の真逆だからだ。

「あんたらのお母さんは、ロクでもない子を産んで死んだ無責任な人」

「あんたらさえおらんかったら、私はもっと幸せになれた」

 

母は元々、前言撤回の多い人物だ。

本人は無意識だが、聞いた方は

前に言ったこととあまりに正反対なので

「どの口が言う?!」と誰もがびっくりする。

それが母である。

 

母は趣味の俳句を70年続け

入院する前の月まで、句会にも参加していた。

娘を思う母心を詠んだ甘口の句の他は

豪快、時に繊細な情景描写を得意とし

全国ネットの同人誌には毎月欠かさず三句ほど投稿。

ほぼ毎回、選出されて掲載された。

 

しかし彼女の場合、こよなく愛した俳句が

良くない方向に進んで行った。

自身をヒロインに設定してドラマチックを追い求め

自身の発する言葉で人の意識に爪痕を残したい…

若い頃から、その願望が強まる一方だったと私は分析している。

 

言うなれば歯の浮くような真逆のセリフは

無給の家政婦と運転手を維持するためのリップサービスに過ぎない。

だって便利じゃん。

老人は、無料と便利が大好きだ。

そのためなら何だってやる。

 

しかし素直は、うがって考えなくてもわかるというもの。

本来はこういう人だったのかもしれないな…

と思い、ガラにもなくセンチメンタルな気分になってしまう。

「行かんったら行かん!人◯し!恩知らず!それでも人間?!」

「やかましい!それ、ぶち込んでやる!」

この方が、よっぽど気が楽じゃないのさ。

 

ひょっとしたら私がもっと頑張ることで

彼女はまだ一人暮らしを続けられて

浮世の暮らしを満喫できるのではないか…

たびたびそんな錯覚をおぼえるが、いいや…と首を振る。

この素直は、本当に具合が悪いから出現したのだ。

今はやはり、一人で置いたら生命に関わる。

 

前日、心療内科へ入院するために迎えに行った時

「入院費はこれで払って」

母はそう言って私に年金の入る通帳を渡し、暗証番号を伝えた。

親子なら普通のことかもしれないが、疑り深い母と

信用されてない継子の間ではあり得ないことだ。

やっぱり彼女が通常モードでないのは、明らかだった。

 

母親を背負って姥捨山へ向かう息子のような気分を味わいつつ

車は◯◯精神病院へ着いた。

手を引いて玄関まで歩く時も、母は黙って素直に付いて来る。

うう…。

 

受付で書類を渡し、少し待っていたら

若い女性の看護師が迎えに来て、母を検査に連れて行った。

そして私は若い男性看護師に案内されて、応接用の個室へ。

昨日も長くやって疲れた、聞き取りというやつだ。

 

看護師の聞き取りが終わったら、今度は相談員の聞き取り。

物事の柔らかい中年女性だ。

母の入院中は、この人が担当になって家族の相談に乗ってくれる。

 

私が看護師の聞き取りを受けている間に

母は認知症テストを受けたようだ。

相談員はすでに、テストの結果を把握していた。

「テストで認知症がはっきりしました。

こちらで介護申請をするので、書類を書いていただきます。

ご本人からの申請ということにして、代筆してください。

サチコさんの印鑑はお持ちですか?」

ハイ!持っていますとも!

三文判を持って来て、本当に良かった。

忘れたら、昨日のようにまた二度手間になるところだった。

今度の病院はちょっと遠いから、また来るのはかったるい。

 

続いて相談員が言うには、入院はひとまず3ヶ月を目安にして

回復したら施設入所に切り替えるという話だ。

病院は隣の敷地で老人施設も運営しているので

そっちへ行くことになるのかもしれない。

 

となると、病院側が知りたいのは患者の支払い能力。

それを確認するためか、母の職歴を聞かれたので

公務員だと答えたら「うらやましいです〜」と言いながら

安心した様子。

 

もっとも患者の年金額は、病院で調べることができるそうだ。

介護申請をしたら、年金額のわかるサイトに入れるのだと

相談員が教えてくれた。

年金事務所か市役所の税務課か

それとも別の機関なのか知らないけど

アレらが病院や介護施設とグルなのはわかった。

 

やがて看護師に連れられて、母が検査から戻って来た。 

今度は母を交えて相談員と少し話したら

次は女性介護士の聞き取りだ。

この頃になると、もう話し疲れてあんまり記憶が無い。

 

それが終わったら、さっきの相談員と共に診察室へ移動して

いよいよ担当医との面談。

入院と言われたら、泣いて嫌がるだろうな…

まんじりともせず身構えて、母と一緒に先生のお出ましを待つ。

さて、母の運命やいかに!

《続く》

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始まりは4年前・19

2024年08月17日 09時24分50秒 | みりこん流

『転院』

母の入院作業が全て終わり、家に帰ると午後3時半。

朝の10時に母を病院へ連れて行ったきり

飲まず食わずだったが、空腹は感じないままだった。

明日から実家へ行かなくていい…この、ありがたき幸せ!

「今まで昼に留守をしてごめんね!明日からは家におるけんね!」

家族に言ったりして、喜びに浸る。

 

しかしその喜びは、わずか3時間の短いものだった。

午後6時半、病院から電話が。

「急なお話で申し訳ないんですが

サチコさんは明日、転院することになりました」

聞き取りをした男性看護師からだ。

あまりにも意外な話である。

 

しばらく入院した後、落ち着いたら転院させるという話は

女医先生から聞いていた。

転院先は隣市の◯◯精神病院か

遠い市外にある大きな総合病院を考えているが

どっちがいいかと聞かれたので

遠くて車の多い都市に通うのは難しいから

比較的近い◯◯精神病院の方がいいと答えた。

しかし、こんなに早いとは夢にも思わなかった。

 

「転院先は、◯◯精神病院です。

明日9時にこちらへ迎えに来て、連れて行ってあげてください」

「あの…母は何か、ご迷惑をおかけしたんでしょうか?」

とたずねると

「いえ、そんなことは…」

と、にごしながらも

「電話をかけさせて欲しいとおっしゃって

何回も詰所に来られています」

とだけ言った。

 

病室から出ないよう、ポータブルトイレも置かれたが

出入り口にセンサーのプレートを置くとも言われていた。

病室のドアに近づくとセンサーが反応して

ナースセンターのブザーが鳴る仕組みだ。

同室の3人は寝たきりで動けないので、これは母専用の措置。

諦めない女、サチコのことだ…

ナースセンターにある電話を目指し

幾度となくセンサーを踏んだと思われる。

電話の用件はただ一つ、私に迎えに来いと言うためだ。

 

この病院には内科や外科の患者も入院していて

母のような精神的症状の患者に対応できるシステムではないため

入院してから6時間余りで早くも母の扱いに困り

持て余したのは明らかだった。

要するに母は病院を一晩で追い出され、精神病院へ転院させられるのだ。

 

「サチコさんは、こちらへ入院されたのと同じく

◯◯精神病院にも医療強制保護入院として

移っていただくことになります。

うちへの入院はみりこんさんの承諾で大丈夫だったんですが

今度は実の娘さんの承諾が必要になります。

急なことなので、電話で承諾してもらって

書類は後から送ることになると思います。

担当医と直接、話してもらうので

娘さんの都合の良い時間を聞いておいてください」

私と母が他人だということは、家族構成の聞き取りの際

病院側に話してあった。

今回のような手続きをスムーズに行うためである。

 

私は取るものも取りあえず、転院の準備を始めた。

まず妹のマーヤに連絡し、電話に出られる時間をたずねる。

それから妹二人の住所と電話番号、携帯番号をメモに書いた。

マーヤに承諾書の書類を送るそうなので、住所を聞かれるのは必至だ。

一つ下の妹の住所は必要ないかもしれないが、万一に備えた。

 

そうそう、母の苗字の印鑑も忘れてはならない。

印鑑のいらない時代になりつつあるが

病院ではまだ重要な書類に使用している。

この日の入院では母の印鑑を持って来てなかったため

入院手続きの書類が一度で終わらなかった。

実家まで印鑑を取りに行くのが面倒だったので

コップや入れ歯洗浄剤を買いに出たついでに

ホームセンターで三文判を買い、書類に押して再び持って行ったのだ。

その三文判を用意する。

今日やったばかりなので、必要な物はよく覚えている私だった。

 

翌朝は小雨。

私の心と同じ、暗くて重々しい空模様である。

転院させるため、母を迎えに家を出たが

鋼鉄のハートを持つはずの私も、この時ばかりは足取りが重い。

だって、私が迎えに行ったら、母は家に帰れると思い込むだろう。

それが家とは違う方向に走り、別の病院に到着したら…

捨てられると思って泣くだろうか。

怒り出して暴れるのだろうか。

 

手こずるようであれば、病院から搬送車を出して

スタッフが同行する旨を前日の電話で言われているが

親一人、自分で連れて行けないなんて情けないような気がする。

その一方、母を騙して姥捨山へ捨てに行くようで

どっちにしても気が重いのは確か。

 

病院は、家から車で5分と近い。

着かなきゃいいのに…と思いながら、病院に続く細い坂道を登り始めたが

いつもは上から次々と対向車が降りて来て離合に手こずるというのに

こういう時に限って1台も来んじゃないか。

だから、すぐ着いた。

 

受付で迎えに来たことを伝えて待っていると

30代半ばぐらいの男性の介護士が、母を車椅子で連れて来た。

「みりこん…」

母は嬉しそうに私の名を呼び、子供のような小さい両手を伸ばす。

うう…つらいぞ。

 

介護士は、母を駐車場の車まで送ってくれると言う。

昨日持って来たばかりの入院の荷物と、転院先に渡す書類を受け取り

車椅子の後を付いて行く私の心は

歩を進めるごとにますます重くなっていった。

 

が、その介護士、病院の玄関を出ると

車椅子でおとなしく運ばれる母に、優しく話しかけるではないか。

「検査に行きましょうね」

 

その言葉は母だけでなく、私にも言っているように聞こえた。

転院先に着くまで、このセリフで行け…

そう教えてくれているみたい。

でなければロビーの喧騒から離れ、自動ドアの開閉音も消え

静かになったタイミングで、唐突に言うはずがない。

さすがプロだ。

 

その温かい配慮と、決めのセリフを入手した安堵に

私の心はたちまち軽くなった。

向こうに着いたら、まず色々な検査があるのだから

嘘をついて連行することにはならない。

それから先のことは転院先のプロにお任せすることにして

今は考えまい…。

《続く》

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始まりは4年前・18

2024年08月16日 08時32分13秒 | みりこん流

『ドクターストップ』

入院の決心をしたとはいえ、その決心を簡単に覆し

周りを責める材料にするのも母の特徴だ。

よって母の決心は、あんまり信用してない。

 

この入院が失敗したら…つまり病院を抜け出して逃げ帰ったり

病棟で暴れて強制退院させられるようなことになったら

次の入院は難しくなるかもしれない。

そして母は、最初に病院へ連れて行った私を一方的に恨むだろう。

私の言うことを聞かなくなって実子のマーヤを追い求め

以前よりもっと厄介なことになる可能性は高かった。

 

そもそも母は、私に世話をさせるのが不本意なのだ。

老いた彼女の世話をするのは一人娘のマーヤと

長兄の娘、祥子ちゃん…この二枚看板を予定していた。

「あの子らにお金をやって面倒を見てもらうけん。

あんたらの世話になることは絶対に無いけんね!」

まだ若い頃から、私と妹に宣言していたものだ。

 

しかし老後のフタを開けて見ると、そうはいかんかった。

巡り巡って継子の世話になる、あまりにも予定外の老後…

それは彼女にとって、敗北を意味する。

親身に世話をすればするほど、母の心が枯渇していくことに

私は気づいていた。

それが病気の原因になったと思っている。

 

ともあれ本人が入院したいと言っているのだから

躊躇するわけにはいかない。

たとえどんな結果になろうと

行動してみないことには何も進まないではないか。

丁か半か…

私は博打打ちのような気持ちで心療内科の女医先生に電話をし

母が入院したがっていると伝えた。

 

「入院したいって言い出しましたか〜」

「先生のおっしゃる通りにすればよかったと言ってます」

「やっぱりしんどいんじゃね〜…

数値を見ても、しんどくないはずがないんよ〜。

でも寂しいとか、◯にたいとかの気持ちが先になって

本当は身体がしんどいことに、本人は気がついてないんだわ〜」

「え〜…」

「でも気がついて自覚が出たんだから、入院させましょう。

明日の午前中に連れて来てください。

とりあえず着替えとお薬手帳と保険証を持って来てもらうとして

とにかく先に入院させて、後のことはそれからにしましょう」

 

こうして6月25日、母は心療内科のある総合病院へ

入院することになった。

マーヤの出産以来、52年ぶりの入院に

母は何を期待しているのかウキウキしている。

病室に入れられた途端に絶望するんじゃないのか…

病院までの道すがら、私はそれを案じる一方

あれはどういう気持ちなのか、自分が一生懸命に世話をした

ペットか何かを手放すような、うすら寂しい気分になった。

 

病院に着いて血液検査、コロナとインフルエンザの検査

身長体重の測定などがあり、終わったら看護師が母を迎えに来て

荷物と一緒に病室へ連れ去られてしまった。

その後はロビーの一角にあるテーブルで

男性の看護師から入院までの経緯、本人の病歴や職歴

アレルギーと偏食の有無などの聞き取りがあった。

 

「入院にあたって、何かご心配なことがありますか?」

最後に看護師がたずねる。

「心配はしてないんですが、母はものすごくワガママなので

病院の皆様にご迷惑をかけることだけが心配です」

と言ったら、彼は笑って答えた。

「大丈夫ですよ。

いろんな患者さんがいらっしゃるので

慣れていますから安心してください」

 

それが終わると介護士の聞き取りだ。

介護士の聞き取りは、洗濯にクリーニング制度を使うか否かなど

入院生活の細々した内容をたくさんたずねられた。

 

それから、女医先生との面談。

「サチコさんには、ドクターストップをかけます。

だから今回は任意入院でなく

医療強制保護入院という形になりますからね。

患者さんの意志とは関係なく、医師が決める入院です」

にこやかに明るく、けっこうシビアなことをおっしゃる女医先生。

ドクターストップって、ボクシングの試合中

倒れた選手にかける、ちょっとカッコ良さげなものだと思っていたが

まさか、母がかけられるとはね。

 

「しばらくここへ入院してもらって

落ち着いたら精神病院を紹介しますから

そっちへ転院してもらうことになります」

という話なので、母は当分帰れないらしい。

 

女医先生と話していたら、先ほど聞き取りをした男性看護師が

母を車椅子に乗せ、目の前のエレベーターから出てきた。

「どうしても娘さんに会うとおっしゃって、病室で暴れられて…」

すごく困っている様子。

だから言ったろう…サチコを甘く見ちゃいかん。

 

「みりこん!わたしゃこんな所、嫌じゃ!連れて帰って!」

泣きじゃくる母。

「はいはい、その前にどんなお部屋か、見せてちょうだいな」

女医先生と別れ、看護師と母とでエレベーターに乗り込む。

「部屋に行ったって、変なお婆さんしかおらん!」

あんたもじゃ…と思いながら病室へ。

なるほど4人部屋には、寝たきりのお婆さんが3人。

どなたも目を閉じ、口を開け、起きているのか寝ているのか。

「ほれ!見て!変なのしかおらんじゃろ?!

こんなのに囲まれたら、私までおかしゅうなるわっ!」

もうおかしいわ…と思いながら、なだめる。

 

そこへ介護士が来て

「入院に足りない物があるので買って来てください」

とメモを渡した。

前日、必要であろう物を準備したつもりだが

飲み物用と洗面用に加え、入れ歯洗浄剤をすすぐために

コップが合計3個いるのは知らなかったし

入れ歯ケース、入れ歯洗浄剤なども忘れていた。

この病院には売店が無いので、必要な物は町へ出て買うのだ。

 

そのまま母を置いて買いに行き、病室に戻ると

放心状態でベッドに横たわっていた。

目は開いているが、私が来たことに気づかずボ〜ッとしている。

かたわらにはポータブルトイレ。

看護師の聞き取りの際

「部屋から出られない措置を取るので、ご了承ください」

と言われたけど、こういうことなのね。

この状況、母は最高に嫌がるはずだ。

嫌過ぎて、おかしくなったのかも。

 

声をかけて泣かれたら困るので、買った物を介護士に渡し

そのまま帰ったが、冷酷な私もあの姿はさすがに胸にこたえた。

誰よりも自由気ままに生きてきた母が、急に狭い4人部屋に入れられ

ポータブルトイレで用を足すことを強制される現実は

衝撃以外の何ものでもなかっただろう。

自分の親であれば、涙が出るかもしれないな…と思った。

《続く》

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始まりは4年前・17

2024年08月15日 14時56分28秒 | みりこん流

『入院の勧め』

順番が来たので、A先生の診察室に入った。

この日は点滴が無いので、いつものように問診。

毎日A内科医院に来て、一体何をしているかというと

週に一度弱のペースで点滴をする他は、A先生に会うだけだ。

 

もちろんA医院で処方されている血圧の薬や骨粗相症の予防薬

頚椎捻挫用の鎮痛剤や湿布薬、そして心療内科の薬…

それらの薬をもらうため、日替わりのように問診も行われる。

しかし主体になっているのは、寂しさを訴える母に

先生が優しい言葉をかけてくれること。

それで母は落ち着き、満足するのである。

 

が、この日はやはり、ちょっと違った。

いつにも増して機関銃のようにしゃべるそのテーマは

うちの義母ヨシコ。

「この子の姑さんは優しい息子としっかり者の嫁と

可愛い孫に囲まれて、その上、娘さんまで来るんです。

いつも家族と一緒で、何の心配も無い。

姑さんがうらやましい!」

この話、私にはよく言うが、A先生に話すのは初めてだ。

 

「人をうらやんでも仕方がないじゃん。

サチコさんはサチコさんの人生を生きにゃあ」

「いいえ先生!この子の姑さんはね、ホンマにいい人生なんですよ。

それに引き換え、私は一人ぼっち。

これほどみじめな人生が、どこにあります?」

「一人で頑張っとる人は、たくさんおってよ」

「もう嫌なんです、先生!

この子の姑さんの人生と、私の人生を取り替えて欲しい!」

ワッと泣き伏す悲劇のヒロイン。

 

しかしA先生、ちっともたじろがない。

こういう患者に慣れているのだろう。

「そうか、そうか…」

ニコニコしてうなづきながら、優しく母の手を握る。

こういうところ、彼のお父さんそっくりだ。

今は亡きお父さんはA内科医院の先代で

私の実母の胃癌を発見し

他界するまで小まめに往診を続けてくれた人である。

 

その後、幾分落ち着いた母を待合室に待たせ

A先生は私を呼んだ。

「次に心療内科へ行くのはいつ?」

「明後日です」

「先生に頼んで、入院させんさい」

A先生は真剣な表情だ。

 

「患者の方から入院を頼めるんですか?」

「頼めるよ。

明後日、言うてみんさい。

一人暮らしは限界じゃわ。

何かあったら危ないけん、一日でも早い方がええよ。

僕からも連絡しとく」

「わかりました…お願いしてみます。

すみません、いつも先生を頼ってご迷惑をかけてしまって…」

「全然。

町の人に頼ってもらうのが僕の仕事じゃけん」

「ありがとうございます」

「いいね?入院させるんよ」

別れ際、A先生は念を押すように再度言った。

 

施設か入院か…考えていた時期もあったけど

目の前の慌ただしさに、最近はかき消えていた。

それが急に、入院の方から近づいてきた感じ。

母の進路は突然、入院に決まったのかもしれない。

 

2日後、母を連れて心療内科へ行った。

A先生から連絡が行っているようで、女医先生は母に入院を勧めた。

「先週の血液検査で、腎臓が弱ってるみたいなので

ちょっと入院してみましょうか」

 

しかし母は頑なに拒否。

「入院?嫌です!

家がいい。

入院するんだったら、わたしゃ◯んだ方がマシ」

女医先生が何を言ってもダメなので、入院は決まらなかった。

「もし本人が入院したいと言い出したら

いつでもいいから電話してください。

すぐ対応します」

と言われ、その日は帰った。

 

帰りの道中、母はブツブツ言う。

「どうして入院させたいんかしらん。

何が腎臓よ、私は元気なのに」

「最近は三食きちんと食べられんけん、身体が弱っとるんじゃろ」

「どこも痛うも痒うもないんよ?!」

「血には現れるんじゃろ」

 

私から、入院した方がいいとは言わない。

入院を勧めるようなことを言ったら、後が大変だ。

「一人じゃないなら、施設でも病院でもどこでも行きたい!」

日頃はしょっちゅう言っているが

お産以外の入院を知らない母は

病気入院がどんなに楽しくないものかを知らない。

 

思っていたのと違っていたら最後

「継子に騙された!」と騒ぎ出すのは間違い無しだ。

騒ぐだけならいいが、恨み言を言うために

電話をかけまくるのはお決まりのコース。

そうなった時に

「自分が入院するって言ったんじゃん」

そう言い返せる球が必要だ。

球が無ければ応戦できないので、私からは入院を勧めない。

 

母は自分で決めたことでも、思い通りでなかった場合

全てを人のせいにして暴言を吐き続ける。

しかし、こちらに返す球さえあれば

聞くに耐えぬ罵詈雑言を何十秒かはストップできるし

別の話にすり替えるきっかけにも使える。

私が多少なりとも切り返しの口を持っているとしたら

それは母で鍛錬したものである。

 

入院するしないを争点に、長い戦いが始まると思っていたが

2日後、母は意外にも自ら

「入院してみようかしらん」

と言い出した。

「このまま一人でおるのもしんどいし

元気になるんだったら入院したいわ。

一昨日、先生の言うことを聞いて入院しときゃあよかった」

何度もそう言って悔やむ母。

 

「本気で言ようる?」

「本気」

「ただの憧れじゃったら、やめといた方がええよ。

そんなに楽しい所じゃないよ。

一旦入院したら、やっぱり帰りますとは言われんけんね」

「わかっとる」

「私は入院しろとは言うてないけんね?

後から、あんたのせいじゃ言わんといてよ?」

「言わん」

決心は固い様子だった。

《続く》

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