殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

階段

2014年03月30日 11時56分42秒 | 前向き論
その昔、夫の浮気に苦しんでいた頃の話。

夫は何度も、私を新しい奥さんと入れ替えようとした。

私はそのたびに、嘆き悲しんだ。

浮気そのものより、自分が不要な人間だと

思い知らされるのが辛かった。

額に「肉」ならぬ「不」のハンコを押された気分は

この上なく惨めだった。


しかし何回か繰り返すと慣れて、余裕も出てくる。

私は夫の相手に共通する、ある点に注目するようになった。

「一生懸命」…それは、彼女達にあって

私に無いものであった。


あの人達には、遠慮というものが無い。

最初から勝ちに行くつもりなので、建前や体裁はいらないのだ。

そしてイノシシのように突き進む。


その一生懸命が、報われることはなかった。

一生懸命の使いどころを間違えたからだ。

それを世間では、バカと呼ぶ。


一方の私は、血を流す心をひた隠し、斜に構えて

彼女達の一生懸命を鼻で笑っていた。

一生懸命でない者は、体裁がいるのだ。

体裁をつくろいつつ、内心では脅威を感じていた。

彼女達の一生懸命に押されていたのだ。

バカよりバカだった。


自分が一生懸命であれば、横から来る一生懸命は恐れるに値しない。

一生懸命は最大の武器であり、強固な城壁となる…

使用目的の正邪はともかく、私は彼女達からそれを学んだ。


とはいえ、それを知った頃、私はもう若くなかった。

若くなくなる…それは美しくなくなることであり

体力が衰えることでもあったが

子供が成長したり、親が老いることでもあった。


そうなると皮肉なもので、自分は不要どころか

必要不可欠な人間と実感することばかりだ。

働き手であり、介護者としてである。

もはや、私を他の誰かと入れ替えることなんてできない。

誰もこんなことはしたくないので、交代要員が出てこないからだ。

まったく、どうなっとるんじゃ!

チャレンジャー、募集。


ともあれ、ようやく一生懸命は知った。

しかし一生懸命だけでは

どうにもならないことの方が多かった。

尻癖の悪い旦那や、よその女性がどうなろうと知ったこっちゃない。

自分1人の気持ちだけ、泣いたり笑ったりして

納得させればよかったのが

子供や夫の親のことになると、その人達も納得させなければ

おさまらない問題ばかりだからである。


ことに夫の親関係は、消耗に次ぐ消耗だ。

老人特有の迷いや気まぐれに振り回されながら

いまだ“センター”で歌い踊っているつもりの彼らに

つもり舞台をこしらえる作業は骨が折れる。

一生懸命やればやるほど、彼らは「もっと」と

新たなサービスを望み、私は疲労困憊するのだった。


私はいつしか、彼らのことを「おとうさん」「おかあさん」でなく

「じいちゃん」「ばあちゃん」と呼ぶようになった。

子供達が彼らをそう呼ぶので、ついそうなったのだが

不思議なことに「おとうさん」や

「おかあさん」のすることには腹が立っても

「じいちゃん」や「ばあちゃん」のすることは水に流せる。


たまに「おとうさん」「おかあさん」と呼んだら

生々しさすら感じるようになった。

ここで初めて思ったが、そもそも結婚相手の親を

父母と呼ばなければならない社会通念こそが

間違っているのではないのか。

よそのおじさんやおばさんを無理に父母と呼ぶから

ゴチャゴチャするのではないのか。


子供の結婚によって、いきなり父母になった親達もしかり。

父母の称号に自身の人間性が追いつかないまま

体面だけは急いで整えたくなるので

つい尊敬や忠孝を求めてしまい、嫁の怨みを買う。

頻発するこのような事故を防止するためには

名前で呼びゃいいんだ、名前で…などと、1人で自論をつぶやく。


その点、じいちゃんばあちゃんはいいぞ。

他人の年寄りでもそう呼ぶし、昔話にも出てくる。

対象が漠然としているので、構える必要が無い。

孫でもない者にそう呼ばれるのは嫌かもしれないが

ここは平和と安全のために、辛抱してもらおうではないか。


一生懸命で乗り切れないことは、小ワザを使う…

よしよ~し、今後もこの調子で…と悦に入る。

が、消耗及び疲労困憊の主たる原因が

日に数十回昇降する、家の階段にあったと知るまでには

この後、さらに数ヶ月の期間を要するみりこんであった。
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選んだ道・選ばなかった道

2014年03月20日 23時18分46秒 | みりこんぐらし
ここでもお馴染み、3つ年上のラン子と

一回り年上のヤエさんとは、ずっと交流を続けている。

人生劇場で損な役回りばかり演じている、大部屋女優同士…

我々3人をつなぐのは、友情以前にこの連帯感であった。


昔は美貌の小悪魔として名を馳せ、やがて悪魔と化したラン子。

人助けや奉仕が趣味の、天使みたいなヤエさん。

2人の間でチャラチャラする私。

ウグイスとして選挙に参加していなければ

性格も行動範囲も異なる3人が出会うことは無かった。


月に1、2回集合して食事や買い物をするが

おしゃべりタイムの大半は、ラン子の心配話で埋まる。

最近のテーマは孫の通う幼稚園と、その経営者家族だ。


「今はうちの娘がPTA会長だから、うまくいってるけど

来年度から大変よ…どうするつもりかしら」

「あんたが心配せんでも、どうにかするわよ」

「今度、あそこの長男が結婚するけど、あの嫁で大丈夫なのかしら」

「よその嫁より、あんたとこの昼アンドンみたいなムコを心配したら」

不毛なやりとりに、ヤエさんはいつもケラケラと笑うのだった。


ラン子の心配は、尽きない。

無理もないのだ。

30年前に亭主の浮気で離婚し、一人娘を実家に預けて懸命に働いた。

やがてスナックを開店した矢先、癌が発覚して店を手離す。

実家で静養中に、家業が倒産。

肩身が狭くなった実家を出て働くが

10年後、働きやすかった職場は不況で閉鎖。

50を過ぎた転職で得た仕事は、きつかった。

持病を抱えた一人暮らし

甘えたいけど、過去にかけた迷惑が遠慮で甘えられない家族

不運に泣いた半生の中に、ラン子を苦しめるものはたくさんあった。


自分の現在が不満だと、未来が不安になる。

その不満と不安は、過去の後悔から発生している。

過去、現在、未来…3点セットで苦しめば、当然くたびれる。


くたびれたら、人はどうするか。

やたらと人のことが気になる。

自分を直視したくないがため、他者に強い興味を抱くしかないのだ。

そして心配するという名目で誰かに話し、見物人を揃えて失敗を待つ。


うらやましいあの人を、私に冷たいこの人を

後悔、不満、不安にさいなまれる自分に少しでも近づけ

私だけじゃないんだ、と安心したい。

そのあかつきには、心配を話した人々が証人となる予定。


この行為の根本は、悪意ではない。

生き続けるための、非常ボタンみたいなものだ。

心配が本当になる瞬間を見届けるまでは、少なくとも生きる楽しみがある。

よって心配の布石は、多いほど望ましい。

だから口数が増える。


しかしこの手の人の話術は、おしなべて巧みでない。

巧みでないのに、小自慢はちゃんとはさむ。

退屈なので人が離れ、さらなる孤独地獄に陥るという副作用がある。

老人にもよく見かけられる現象だ。


人の心配話をしては、いつも私にこき下ろされるラン子だが

最近ではそれを待っているフシも見受けられる。

「私には友達がいるから大丈夫なんだ」

その確信作業のように感じるのだ。



先日、そのラン子から電話があった。

「もう最悪…人間ドックで引っかかった」


再検査の結果、市外の大病院で精密検査をすることに決まる。

「多分、膵臓と言われたと思う。

目の前が真っ暗になって、よく聞こえなかった。

家族には言ってない…どうせ誰も連れて行ってくれないし」


そこで私は、精密検査の送迎と付き添いに名乗りを上げた。

「長時間待たせたら悪い」「朝が早いから悪い」

いつものことだが、すっかり話が決まった後で

形式的に悪い悪いを連発するラン子に、私は言ってやる。

「こういう時は悪いじゃなくて、ありがとうと言うもんだ。

本当に悪いと思うんなら、黙ってりゃいいんだ。

結局話すんなら、つべこべ言わずに甘えろや」

ラン子の場合、こうしてグイと引っ張るほうが落ち着くのだ。


親切なのではない。

誰かを激しく憎み続けた経験のある女は

根性の曲がり具合が似るようだ。

ラン子と同じ環境で私を培養したら、高確率でラン子ができあがるはず。

私の選ばなかったもう一つの道を歩む彼女に寄り添い

あわよくば楽な場所まで案内したいと思うのは傲慢であろうか。



ラン子が私の選ばなかった道を歩んだ人だとすれば

一回り年上のヤエさんは、私の未来を歩む人と言えよう。

認知症の姑さんを介護する一方で幼い孫を預かり

仕事や家庭に波風立ちっぱなしの子供達をサポートしながら

病み上がりのご主人の体調管理に励みつつ

自身も癌経験者で、今も病気と戦っている。


私の未来を歩む人…とは言ったものの

ヤエさんと私には雲泥の差がある。

この壮絶を歩みながら、ヤエさんは得意の料理で人を喜ばせる。

好きな農作業や手芸もやる。

困っている人がいたら助けに走るし、遊びにも出かける。

どこにそんな時間とパワーがあるのか、不思議だ。

しかし忙しい人にありがちな、荒っぽさや押しつけがましさは無く

決していい人ぶらず、言動が優雅である。


ヤエさんが現役でパート勤めをしていた頃の話だが

身寄りの無い年配の同僚が孤独死した際

自腹で荼毘(だび)にふしたこともある。

本人は言わないが、知る人ぞ知る逸話だ。


ヤエさんの駆け引きの無い安心感は周囲を和ませ

素直に甘えられる雰囲気をかもし出す。

だからヤエさんは、ますます忙しくなる。

もう、いいんだか悪いんだか、わからなくなってしまうが

多くをこなす能力が与えられ、生かされているとしか思えない。

女宮沢賢治、人間笠地蔵…それがヤエさんである。


私にヤエさんの壮絶をなぞる勇気や、人に尽くす心映えなんて

ありはしない。

人間笠地蔵も、時には疲れたり涙が出る時があるので

話を聞いて元気づける端役に甘んじている。
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異星人・外伝

2014年03月08日 17時24分55秒 | 異星人
先日、同級生のユリちゃんと遊んだ。

嫁ぎ先が市外なのでしょっちゅうは会えないが

数ヶ月に一度は行き来している。


彼女の話は以前書いたことがある。

子供の頃からおっとりした美人で、パパが私達の中学で先生をしていた。


高校受験の時、他者の故意によって受験票を紛失した私は

受験当日、高校に着いてからユリパパに言い、引率の彼をぶったまげさせた。

ユリパパは一言も責めず、受験票に代わる紙を入手して

「大丈夫だからね」と渡してくれた。

世の中、たいていのことはどうにかなるもんだと知った最初であった。


先生はそのことを誰にも言わなかったので、うちの親はおろか

一緒に同じ高校を受験した娘のユリちゃんも知らなかった。

誰も知らないもんだから、話にのぼることもなく

そのまますっかり忘れて40年近く経過。

数年前、突然思い出した時にはユリパパはとうに亡くなっていた。


先生のお墓はうちの実家と同じ墓地にあるので

通る時にいつも挨拶していたが

その出来事を思い出してからは、遅ればせながらお礼も言っている…

そんな話をしたら、ユリちゃんが言った。

「実は中学の時、私も辛い目に遭ったのよ。

思い出すと、今でも悲しくなるの」


中2の3学期、“ユリちゃんが、ある男子をデートに誘う過激な内容の手紙”

なるものが、校内で発見されたというのだ。

どんな経緯を辿ったかは不明だが、とにかく手紙は

最終的にユリパパの手元に回ってきた。


娘の字でないことはわかっている。

だが娘が差出人になっているラブレターを

教師として目の当たりにする父の衝撃は、計り知れないものがあっただろう。


また、ユリパパはお寺の僧侶でもあった。

教師と生徒の父娘が同じ学校に通いながら、人の道、仏の心を説く暮らし…

日々細心の注意を払い、厳格かつ慎重に生活してきた彼らにとって

最低最悪の事態であったと想像するのは容易だ。

ユリちゃんは「スキがあるからだ!」「やられるほうにも問題がある!」

などと、両親からさんざん怒られた。


何日の何時にどこそこで待っています…手紙はそう結ばれていた。

家族会議の結果、その日のその時間、町内にいてはいけないということになり

ママに連れられて、遠い街へ出かけたそうだ。

以後もユリ家最大の汚点として、長年に渡り小言を言われ続けたという。


そうなのだ…昔は、悪いことをする者も悪いが

されるほうにも落ち度があるとして、攻めを受けることも多かった。

新種の悪人が生まれ始めていることなんて、多くの大人はまだ知らなかったし

気づいたとしても認めようとしなかった。

心配や仕事が増えるからである。


「今まで、誰にも言えなかったの」

ユリちゃんの瞳はうるむ。

私は問うた。

「誰のしわざか、わかったの?」

「今でもわからないのよ…犯人も理由もわからないって本当に怖いのよ」


それ、ピンクの便箋だった?…私はたずねた。

「忘れもしない、薄いピンクだったわ」

「字は?」

「定規を使ってわざとカクカクした字を書いてて

誰の筆跡か、父もわからなかったみたい」


私は断言した。

「Kよ!間違いない!」

悪魔の申し子、同級生男子のK…ここでもお馴染みの、ヤツである。

詳しくはカテゴリー「異星人」を見てちょ。


私は中2の3学期、確かに見、そして聞いたのだ。

Kは私の目の前で、ピンクの便箋をヒラヒラさせながら

誰に言うともなくほざいておった。

「これを使って、誰を泣かしてやろうかな~」

岩みたいにゴツゴツしたKの人相風体と、便箋の淡いピンク色とのコントラストが

なんともヒワイで不気味な印象だったので、よく憶えているのだ。


当時、Kのターゲットは可愛い子に限定されていた。

女子なら誰でもよかった小学生時代とは、明らかに違う。

生意気にも、おのれの好みで選別なんぞするようになりやがったのだ。


顔が可愛くないおかげで長らく安全圏にいたため、危険察知の勘が鈍り

ヤツがもうじき転校することも知って、すっかり安心していた私は

その便箋で何をしようが知ったこっちゃなかった。

学校を去るにあたり、最後の置き土産計画を企てていることなど

みじんも考えなかったのだ。


本当にその便箋でユリちゃんが被害に遭ったのかどうか

今となっては確認するスベもない。

だが、ここまでアコギなことをするのはK以外にはいない。

ヤツは、おそらく妹の持ち物であろうビンクの便箋を使い

それをやられたら一番困る相手を入念に選び抜いたのだ。

そして転校するその日まで、父と娘をひそかに観察して楽しんでいたのだ。

それがKである。


「やっちゃいけないことをやるのがあいつよ!

簡単に人に言えないような、とんでもないことを選んでやるのよ!

人の涙と生き血が、あいつの栄養よ!」


私はそこで初めて、中2の音楽忘れ物事件をユリちゃんに話す。

Kは転校する直前、音楽室に置いてある忘れ物ノートに細工をして

私を忘れ物女王に仕立て上げたので、音楽の成績が下がった。

先生に抗議したが、やはりユリパパ同様

「そういうことをされる我が身を振り返れ」という趣旨の言葉を返された。

意気消沈した私に、ヤツは言った。

「どう?俺の置き土産」


それを話すと、ユリちゃんも打ち明けた。

成人した後、ひょっこりKから季節の便りが届いたので

何も知らないユリちゃんは、以来ヤツと何年も文通していたことをだ。


そうさ、ヤツは筆マメなのだ。

人を地獄の底に突き落としておきながら、素知らぬ顔で接触を求める。

過去に犯した悪行三昧は、ヤツにとって懐かしい思い出にすぎない。

その極悪は、来年の定年を案じつつ、国を護る某機関にいる。

人間は苦しめても、国は護れるらしい。


ユリちゃんは、文通なんかしていた自分のお人好しを悔やみつつも

犯人がKだと知って納得がいったようだ。

「知らない誰かに陥れられたわけじゃないのね!

ありがとう!ずっと抱えていたものが消えて、楽になったわ」

置き土産の仲間同士と知った我々は

お互いにもっと早く話していればと残念がりながらも

より一層厚い友情を誓うのだった。


ユリちゃんは笑顔で帰って行った。

が、私は悔しかった。

Kの便箋ヒラヒラを見た時、何か起きるかもしれないと周囲に言いまくり

注意を促すべきだったのだ。

それが後でも先でもユリパパの耳にチラリとでも入っていれば

ユリちゃんは40年も悲しみを抱え続けなくてすんだかもしれない。


ユリパパ先生!ごめんなさい!

私はおしゃべりなのに、こんな大事なことはしゃべりませんでした!

今度先生のお墓に行ったら、そう言おう。
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人生の楽園

2014年03月01日 10時36分46秒 | みりこんぐらし
「苦園にて」



『人生の楽園』という番組をご存知だろうか。

よその地域はどうだが知らないが

この辺りでは毎週土曜日の夕方6時から放映されている。

西田敏行と菊池桃子のほのぼのしたナレーションで

老後の夢を叶えた夫婦を紹介するドキュメンタリーだ。


登場する団塊世代の夫婦は、定年や早期退職後

食べ物や陶芸、木工など、好きな分野で念願の店を出したり

農業にいそしんだりしている。

親切なご近所さんやお友達に囲まれて、とても楽しそうだけど

店だの作業だの、怠け者の私には楽園どころか苦園だわ。


しかしこの番組を見るのは好きだ。

彼らは一種、選ばれた夫婦である。

健康の問題や親の介護、素行の悪い子供など

決意を阻むしがらみが無かったからこそ

描いた夢を実行できる、特別な人たちなのだ。

懸命に働き、家族を愛し、まっとうに生きてきたご褒美として

実りの秋を迎えたタイミングに合わせ

しがらみを解かれたのではないだろうか。

人生の苦園なら詳しいけど、楽園についてはあまり知らない私は

こうして週に一度、まっとうな夫婦の楽園をのぞいているのである。


とまれ、のどかさと引き換えの不便を知る田舎在住の私は

夫婦揃って元気なうちはいいけど

病気になったり、運転ができなくなったり、片方欠けたらどうするんだろう…

などと、毎回つい余計な心配をしてしまう。

けれどもそのたびに、彼らは最初からその覚悟をして移住するのだろう…

と思い直す。

訪れた不都合を解決する経済力、あるいは知恵、または心づもり…

準備万端整えた上で、行き当たりばったりを楽しんでいるとしたら

まっとうな夫婦の底力はすごいもんだ。


番組に登場する夫婦のパターンは、おおむね3種類ある。

2人で新しい土地へ移住した、アイターン組。

夫婦どちらかの故郷へ帰った、ユーターン組。

片方の夢はもう片方の夢にあらず…近年増加傾向の、単身赴任組。


新しい生活がしたい…

これはまず、夫婦のどちらか一方が言い出さなければ始まらない。

片方が言い出し、片方が従うから実行できるのだ。

言い出したほうは若々しく、従ったほうは年老いて見えるのが興味深い。


言い出しっぺは、退職金の出どころであるご主人の方が多い。

夢を叶え、明るく元気なご主人と

ご主人よりずっと老けている奥さんとの対比が、私には痛々しく見える。

逆もまたしかり。

単身赴任組は、どちらも若さを維持しているようだ。


ご主人の勤め先によって、実現の見栄えが異なるのを見るのも

楽しみの一つである。

家や店が新築のゴージャス組は、公務員、銀行員、大企業など

元エリート率、高し。


しかしゴージャス組はどれも似通っており

意外性が少ないので面白みに欠ける。

離れて暮らす子供達が、撮影に合わせ

ゾロゾロと孫引き連れて寄ってくる図もお馴染みの光景だ。


ゴージャス組でない人たちは、建物や服装などのたたずまいが

そこはかとなく地味だ。

しかし変わった経歴の持ち主だったり、資金不足をアイデアでカバーしていて

こっちの方がずっと面白い。


さて、このような暮らしを30代で夢見た独身男性がいる。

知人の山本君である。


彼は趣味を通して、あるお金持ちの社長さんと懇意になった。

裸一貫から財を成した、まだ若い社長だ。

仕事であちこち飛び回っているが、住まいは日本の南の方角にある離島。

山本君は社長の住む離島に何度も通ううち

のどかな島と社長の人柄に魅せられ、移住を考えるようになった。


しっかり者の彼は、その島で飲食店を出す計画を立て

数年かけて資金を貯めた。

やがて社長の世話で店と住まいを確保して、いよいよ移住する運びとなる。

軌道に乗ったら、母親も呼びよせるつもりだ。

送別会が行なわれ、彼は意気揚々と新天地へと乗り込んだ。

人生の楽園、早期成就か。


その彼がひょっこり帰って来たのは、2週間後である。

行ってみたら、どうものどかじゃなかったらしい。

借りた店の大家さんは、“組事務所”だったのである。


間に入った社長に相談したが、逃げ腰で

かんばしい回答は得られなかった。

だまされたというより、しょせんよそ者の夢…

社長さん、人柄はいいけど、テキトーな性分だったらしい。

危ないと感じた山本君は、それまでにつぎ込んだ大金をあきらめ

急いで島を引き払った。


話を聞いた私は、その英断に拍手喝采した。

進むのも勇気がいるけど、引くのはもっと勇気がいる。

送り出された手前…やると言った以上…

そんなプライドとの葛藤でズルズルと日にちが経ち

引くチャンスを逃して、にっちもさっちもいかなくなることだって多い。

攻めどきの判断も大事だけど、引き際の判断はもっと大事なのだ。


この出来事を、若さゆえの失敗で片付けるのは簡単である。

だが失敗かどうか、今の時点ではわからない。

この経験が、役に立つ時が来るかもしれないのだ。


苦みや残念の成分が多く含まれた経験ほど、のちのち役立つ機会が多い。

このネタで、辛い誰かを元気づけられるかもしれない。

悲しい誰かに笑顔が戻るかもしれない。

もっとも大きな効果は、人を見る目の最低基準が確立することだろう。

人は残念を重ねて、勘を磨くのだ。


山本君は誰を怨むこともなく、再び就職活動を始めた。

やり直せる若さが、彼にあったことを喜び

そのひょうひょうとした潔さを美しいと思う。

私は心から彼を尊敬するのであった。


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