殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

行いと運命・1

2019年10月31日 10時00分59秒 | 前向き論
いつもお立ち寄りくださって、ありがとうございます。


コメントをくださる方、並びに応援のポチを押してくださる方


いつもありがとうございます。


心から感謝しつつ、励みにさせていただいています。





さて、前々回の記事『台風とダム・2』のコメント欄で


いかどんさんと「日頃の行い」について話した。


「日頃の行いがいいから‥悪いから‥」


この言葉は、大小の幸運や不運の根拠として気軽に使われるものだが


彼女はこれが何げに深いとおっしゃる。



そして私もまた、そう思っている。


なぜなら行いとは言動のことであり、言動は心の表れだ。


つまり日頃の行いとは、その人が日々心で思う内容そのものである。


この日頃の行いが、運命にどのような作用をもたらすか


私が見てきたことをお話ししたい。




結婚して6年目、次男の出産と同時に夫の両親と同居が始まり


家を出るまでの約10年間、散々な目に遭った‥


私は折に触れ、そう話してきた。


この散々には夫の浮気癖と


嫁いだ小姑が毎日帰ってくる習慣に加え


舅の仕打ちも同じウエートで含まれる。



これら三重苦は、文字通り三位一体となって私をさいなんだが


中でも義父の行いは人生上、また商売上において


私に多くの教訓を遺した。


その点、義父は私の恩人といえよう。




嫁舅と聞いたら、義理親と暮らした経験の無い人は


首を傾げてこう思うだろう。


「いじめられるのは、本人にも何らかの問題があるからではないのか。


人のことを悪く言う前に、我が身を振り返ってみてはどうか」



当事者である私も、最初はそう思っていた。


義父のヤクザまがいの恫喝に身を縮めつつ


自分にあるらしき問題を探し


我が身を振り返って改めようと日々試みた。


若かりし私は、謙虚であった。


けれどもその謙虚は


ひたすら怒鳴り声を聞きたくないがために用いられた。


今にして思えばそれは徒労であり


無知な若者が陥りやすい自虐だった。



私の置かれた環境がどのようなものだったかを少しご披露しよう。


私は義父から、名前ではなく「ブス」あるいは「バカ」


時に「デブ」と呼ばれた。


私の靴だけ、いつも庭に投げ捨てられていた。


私に届いた郵便物は必ず開封の上、中を確認された。


我々夫婦の部屋にこっそり入ってタンスやゴミ箱を探索し


レシートなどのつまらぬ物を発見しては、刑事気取りで責め立てた。



私の食事量は常に監視され


「こんなに食いやがった!こんなに!」


親指と人差し指で分量を表現しながら執拗に叫んだ。


わかりにくい場所へゴミを隠しておいては


時間を置いて発見を装い、「掃除が足りない」と怒鳴った。


子供が泣いたり騒ぐたびに、うるさがってヒステリーを起こし


「ワレの里の血がボロなんじゃ!」とわめいた。


ことあるごとに「帰る実家が無いヤツは躾けがなってない」


と言い、結びの言葉は「死ね」で締めくくられた。



ほんの一部だが、これが私の日常だった。


生活費は折半、同居のために増築した家のローンは


我々が払っていたので、両親に養われているわけではなく


目上と目下の立場を除けば対等のはずだ。


それでもこのようなことが起きるのである。



思い起こせば数々の嫌がらせの中で


私を最も苦しめたのは朝の牛乳。


義父は毎朝、起き抜けに宅配の瓶牛乳を飲む。


同居を始めた際、室温より少しだけ冷たい温度にしておくことを


言いつけられた。



熱で人工的に温めるのは匂いが出るからダメだそうで


自然に好みの温度にするのは骨が折れた。


季節によって室温に近づく速度が異なる上に


義父の起床時間が決まってないからだ。


ゴルフや旅行の時は5時か6時、行かない時は9時か10時


この時間に合わせるのは難しかった。



義父は故意に、翌朝の予定を言わない。


そのため私は毎朝、冷蔵庫から牛乳瓶を出し入れしては


目標の温度を目指したが、OKが出ることはなかった。


「冷たい」と言って怒り、「ぬるい」と言って責め


「牛乳ぐらい、ちゃんとできんのか!牛乳ぐらい!」


大音量で怒鳴られたあげく


最後は「出て行け!死ね!死にやがれ!」


これが朝の行事であった。



糖尿病患者、あるいはその予備軍に


朝の機嫌がすこぶる悪いタイプが多いということを


当時の私は知らなかった。


義父にとって牛乳は


毎朝怒鳴り散らしてスカッとできる格好のアイテム。


よって、どんな温度でもガミガミとしぼられるのは決定事項だった。


これがホントの乳しぼり。



ともあれ、この作業は女房の仕事である。


しかしその女房は、冷たい、ぬるいの騒ぎを耳にしながらも


絶対に寝室から出てこない。


人当たりの良い義母が、後先をいくら取り繕ったところで


義父と共犯であることは間違いなかった。



ここで今一度、冒頭の疑問に立ち戻る。


「いじめられるのは、本人にも何らかの問題があるからではないのか。


人のことを悪く言う前に、我が身を振り返ってみてはどうか」


年を取った現在、その返答は簡単である。


乳飲子と幼児を抱え、身動きが取れないとわかっていたからだ。



逃げ場の無い者を虐げるのが、いじめの王道。


身軽に移動できる者を虐げても面白くない。


すぐ逃げられてしまうし


逃げた先で言いふらされては困るからである。



逃げ場の無い者‥


つまり抵抗できる状況でない者を虐げていると


つい癖になるものだ。


そしてどんどん残酷にエスカレートしていくものだ。



私に問題があるとしたら


泣いて詫びることをしなかったからである。


義父は私が傷ついて折れ、泣いて詫びるのを待っていたし


私の方は死んでもそうするものかと思い


どんなに怒鳴られても無反応を通した。


可愛げがなかったのが、問題といえば問題だった。



このように私を苦しめた牛乳だが、8年後にあっけなく解決した。


義父は糖尿病が悪化し、タンパク制限になったので


医師からタンパク質の豊富な牛乳を止められたのだ。


牛乳から解放された私は、密かに狂喜乱舞した。


《続く》
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令和絵巻

2019年10月23日 13時34分37秒 | みりこんばばの時事
昨日は言わずと知れた「即位礼正殿の儀」。


「そくいれいせいでんのぎ」と続けて読むんじゃなくて


「そくいれい・せいでんのぎ」ですって。



私が皇室を大好きなのは


こういう絵巻物みたいな世界があるから。


美しくて、誇らしくて


「日本に生まれて良かった!」


つくづくそう思えるのよね。


サボッてるとか、変なオトコに引っかかったとか


そんなこと知りたくないのよ、本当は。




昨日は朝から、手が空くたびにテレビを見ていたんだけど


中継は完全に雅子様仕様だったわね。



最初にアッと思ったのは、午前9時から始まる賢所大前の儀。


儀式を見守る宮様がたが映し出されていたけど


秋篠宮佳子様は柱の影になったまま。




何とか佳子様が見えないかしらと思って待ってみたけど


NHKは徹底的に佳子様を映さない構え。



お人好し!の私は、一応自分をいましめたものよ。


「偶然よね‥柱が太いから、どうにもならないのかも。


娘盛りの美しい佳子様を先に見せたら


そのうち出てくる雅子様が見劣りするから‥


なんて思惑からじゃないわよね」



やがて天皇陛下に続いて雅子様、白い御装束で登場。


この中継で確信したわよ。




雅子様が賢所へ向かわれるまでは普通に映してあったけど


賢所に到着された途端、画面は30年前に行われた


上皇様の即位礼正殿の儀のVTRばっかり。


当時の海部総理がお祝いの言葉を述べてる画面の右下に小さく


これから賢所へお入りになる雅子様の姿が


オマケのように中継されてんの。



誰に聞いたって、国民が見たいのは30年前の録画じゃないわ。


今、まさに儀式へと臨まれる雅子様のライブよ。


それなのに、あえて大写しにしない。


はっきりした意図以外に無いわよ。



で、その意図はじきにわかったわ。


儀式を終えられて賢所から出てこられた雅子様は


相変わらず右下の小さい画面でしか拝見できなかったけど


身体の向きを変える所作が、うまくいかなかった。


立往生して、御装束のスソのお世話をする女官を


何度も振り返る様子はハラハラしたわ。


同時に、ご成婚の時を彷彿とさせたのも確か。


あの時も同じ賢所で、十二単のスソを気にして


何度もお付きの女官を振り返っていらしたっけ。



こういうことを気にして、小さく映すことになったのね‥


と納得。


雅子様の中継を全く流さないわけにはいかないもんね。




午後1時からは、各国の要人をご招待して


いよいよ即位礼正殿の儀。





テレビに映るのは天皇陛下ばかりで


雅子様はたま〜にチラッと一瞬だけのサービスショット。



天皇陛下の儀式だからいいんだけど


雅子様を映さなすぎにもほどがあるわ。


儀式が苦手とは聞いていたし


お立ちになっている時間が長いとユラユラお揺れになるのも


テレビで実際に見て知ってるわ。


だけど、ありのままでいいと思うのよ。



夜に行われた饗宴の儀は


雅子様のシーンが多くなっていてホッとしたわ。


儀式に比べたら、わりと得意な分野なんでしょうね。



各国の王妃様のドレスも素敵だったけど


雅子様も貫禄では負けてないわ。



ご成婚パレードの当時を彷彿とさせる


襟ぐりにフリルてんこ盛りのドレスがよくお似合いだった。


こういうゴージャスなデザインと生地は


ふくよかな方が迫力があって美しいと思うの。


広い右肩もデザインでうまく隠してあって、感心しちゃった。



たくさんの人々の尽力で作り上げられた、令和の日本絵巻。


絵草紙にならなくて、本当に良かった。
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台風とダム・2

2019年10月18日 16時36分38秒 | みりこんばばの時事
前回の記事で、昨年の西日本豪雨から


ダムのことを考えるようになったと話しました。


それまでの私は、田中康夫元長野県知事の脱ダム宣言の騒ぎや


民主党(当時)の八ッ場ダム建設中止の騒ぎを


ゴシップとしてとらえるにとどまっていました。



「ダム建設をやめて、もしも洪水が起きたら


この人たちはどうやって責任を取るつもりだろう?」


もちろん、そんなことを考えたりもしましたが


私にとって洪水は、どこか遠くで起きるものであり


賢い誰かがどうにかするのだろうとタカをくくっていました。


まさか、日本人の生命や財産がどうなってもいい人たちが‥


責任なんか、はなから取るつもりの無い人たちが‥


何食わぬ顔です政治家になっているとは、まだ思っていなかったからです。



そして昨年の豪雨がやってきました。


見知った町の悲惨な光景をテレビで目にするたびに


土石流や氾濫の恐ろしさを痛感しました。


報道では、どこそこで死者何名という簡単な表現ですが


亡くなった人やその家族の事情はそれぞれ違います。


年老いたお母さんが外の様子を見に出た途端


裏山にあった神社が家に落ちてきて、ご主人と家族が亡くなったり


子供夫婦が川に流され、やはり年老いたお母さんが一人残されたり


そういうことを聞くたびに、明日は我が身と思って


胸を塞がれたものです。



そんな中、ダムの緊急放流が被災の原因ではないかと


問題になった町がありました。


緊急放流のタイミングや水量が適切であったか否かが


被災した住民の間で問われ始めたのです。



私のような一介のオバさんは、緊急放流と聞いたら


水洗トイレみたいに


ザバッと一気に流してしまう印象を持ってしまいますが


実際の緊急放流とは、ダムの貯水量を超えた分だけの水を


下流へ流すことです。


これを行わなければダムは決壊し


下流はさらなる大惨事に見舞われることになるのですが


被災した人々にとっては「ああ、そうですか」


で済まされない気持ちもわかります。



問題のダムは古く、貯水量もさほど大きいものではありません。


昔はこの程度で十分だったのが


それでは間に合わない量の雨が降るようになったのでした。


これはとても怖いことです。



だからといって、おいそれと作り変えるわけにはいきません。


莫大なお金と長い年月がかかります。


新設ならまだしも、すでに存在するダムを改築するとなると


もっと大変です。


今の重機や車両の幅と重量に耐えられるように


まずダムへ続く道路から作り変えなければならないでしょう。



万が一、予算が出てダムを改築することになり


たまたまこの仕事がうちの会社へ回ってきたとしたら‥


遠いのであり得ないと思いつつも


仕事柄、一応は考えてみるわけです。



難工事は間違い無し‥


予算も少ないはず‥


少ない予算の難工事に参加するのはリスクが高い‥


しかもまた氾濫したら「あそこの会社がやった」


なんて言われるかもしれない‥


辞退するに限る‥


その町が二度と洪水に襲われませんように、と祈りつつも


仕事の頭では、ドライにそう考えてしまいます。


私はダムを建造物という


物理的な面から見るようになったのでした。



ゴシップのネタから現実的な建造物へ‥


私のダムに対する印象は変化したわけですが


ダムに関してはもう一つ、別の印象があります。


「教訓」としてのダムです。



ここからは私ごとになりますが


何十年も前、近くの町にダムを造る計画が持ち上がりました。


私が結婚して長男を生んだ約40年前には


周辺住民の立ち退きが少しずつ始まっていました。


それから25年後、業者の入札が行われ


いよいよ着工が見えてきました。



当時、義父の会社はすでに火の車で自転車操業中。


このダム工事に参加できなければ、明日にも倒産です。


なぜならダム建設は、大きな公共工事。


公共工事に参加すると、銀行からお金を借りやすくなるからです。


逆から言えば銀行は、大きな公共工事に参加する会社を


当面は潰さないという習性があるのでした。


義父は何としても工事に参加して、銀行から運転資金の融資を受け


とりあえず一息つきたい一心でした。




やがて入札が行われ、たまたま懇意な建設会社が工事を獲得しました。


仕事は当然のように義父の会社にも振られることになり


彼はとても喜んでいました。



一緒に仕事をするからには、その建設会社と義父の会社とで


単価の契約を結ばなければなりません。


この契約で、義父はひどく安い単価を要求され


利益がほとんど出ない金額を了承してしまいました。


どうしても工事に参加したいと焦る義父は、足元を見られたのです。



ダム工事は始まりました。


巷で立ち退きよ、代替え地よと言っていた頃には


赤ん坊だったうちの子供たちが


大人になって工事に参加するのは感慨深いものがありました。



しかしそれも一瞬です。


困ったことが起こりました。


中東でナンカあったらしくて


ダンプや重機の燃料になる軽油の値段が急騰したのでした。



利益がほとんど出ない仕事で、燃料が値上がりしたら完全に赤字です。


ダムは山の上にあるものですから、上りも下りも燃料を食います。


やればやるほど赤字は膨らんでいきました。



悪いことは重なるもので、ほどなく重機が一台故障しました。


重機が無ければ仕事ができませんから


急いで何とかする必要がありました。



「新調すれば2千万円、修理だと7百万円。


ただし修理しても直る保証はありません」


重機のディーラーは言いました。


建設業界では暗黙の掟の一つに


「修理で直らなくても、修理代は払わなければならない」


というものがあります。


乗用車と違って金額が大きいため


例えば小さな修理工場だと、一回の不払いで簡単に倒産するからです。



昔はトンカンと叩けば何とかなったかもしれませんが


今どきの重機はコンピュータ制御なので


ひとたび不具合を起こしたら、ずっと祟り続けます。


そのため夫は新調を強く主張しましたが、義父は修理を選択しました。


義父が夫の意見を聞かないのは当たり前です。


浮気三昧の合間に仕事をするような


不肖の息子に従う気にはなれないからでした。



結果、修理に出した重機は直りませんでした。


義父は7百万円をドブに捨て、新車を買うしかなくなりました。


この出費がトドメとなって義父の会社は目に見えて弱り


数年後、工事が完了した時には借金が数億になっていました。


早い話が、地獄ですな。



私はこの経緯を淡々と眺めていました。


自分と我が子までが火の粉をかぶるかもしれない恐怖より


私をいじめ続けた義父や、浮気で私を苦しめ続けた夫が


頭を抱えて絶望する姿を見る楽しみが勝ちました。



そして知りました。


落ち目になった者の判断は、ろくな結果にならないこと‥


ひとたび不運に魅入られた経営者には


不運が付いて回ること‥。



ダムは商売上のさまざなことを私に教えてくれました。


しかし最も大きな教訓は


日頃の行いが全てを決めるということでしょうか。



ダムに対する思いを聞いていただいて、ありがとうございました。


《完》
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台風とダム

2019年10月15日 09時22分00秒 | みりこんばばの時事
台風19号‥大きな台風でした。


皆様がお住いの地域は大丈夫だったでしょうか?


お見舞い申し上げます。



テレビで水に浸かってしまった家々を見ていると


昨年の西日本豪雨が思い出され


「どんなに怖かっただろう」と、涙が浮かびます。


命が助かったとしても、その後の後片付けが大変です。


流れ込んだ土砂は信じられないほど重い上に


悪臭を放ちます。


そして乾いたらすぐに凝固して、石のように硬くなります。


打ちひしがれた心で、様々な事後処理をしなければならない‥


被災された方々の気持ちを考えると胸が痛みます。



この痛みは、明日は我が身をひしひしと感じる


いち国民としてのものでもあり


また、建設業界人としてのものでもあります。


建設業界には、主な舞台の一つとしてダムがあり


ダムと水害には密接な関係があるからです。



昨年の豪雨を体験して以来


ダムについて考えることが多くなりました。


今日はそれをお話しさせていただきたいと思います。




さて、ダム建設には莫大なお金がかかります。


一つ作ろうと思えば何百億円もの税金が必要です。


その予算には、工事費用の他に地域住民の立ち退き料や


代替え地での新築費用も含まれます。


誰だって、住み慣れた土地を離れるのは嫌です。


代替え地でダム御殿と呼ばれる豪勢な家を与えられたって


その気持ちは癒えるものではありません。



けれどもダムは、治水のために必要です。


雨水や川水をコントロールして、河川の氾濫を防ぐのがダムです。


大雨が降った時は、ひとまずダムに貯めることで堤防の決壊を遅らせ


人命の安全を図るための時間を稼ぐ役割をはたします。



古くから、雨の多い国々の首長は


人的、経済的に大変な犠牲を払いながら


治水事業に心血を注いできました。


治水を怠ると、国がどんなに栄えていても


台風や豪雨ひとつで尊い人命が失われ


積み上げてきた繁栄は、あっという間に破壊されてしまうからです。


水をコントロールする治水は、国民と国土を守る重要な事業なのです。


お金のかかるダム建設が、最善の治水とは言えないかもしれませんが


今のところ、日本にはダムが必要だと思っています。



な〜んてえらそうに言ってますけど


これはダムの重要性を理解してもらって


自分の会社の仕事を増やそうと思っているからではありません。


我々の町にはすでにダムがあるので


この先、私が生きている間に新設はあり得ないからです。




私がダムについて、かすかに考え始めたのは


20年近く前だったか、小説家の田中康夫氏が


『脱ダム宣言』を訴えて長野県知事に当選した時です。


あの時はなかなかの騒ぎでした。



確かにダム建設をやめれば、たくさんのお金が浮きます。


そのお金を福祉や教育に回して豊かに暮らしましょう‥


有名人がそう呼びかければ、浮動票は獲得できます。


いつ役に立つのかわからず


政治家や土建屋のおじさんだけが得をしそうな印象のダムより


さしあたって多くの人が恩恵を受けそうな福祉や教育の方が


良さげな気がするからです。


田中氏の脱ダム宣言は、選挙の戦法としては斬新で有効でした。



しかしそのために、長野県のダム建設は遅れることになりました。


ダムの建設には10年単位の長い年月がかかります。


着工が遅れると、当たり前ですが完成も遅れます。


そのことと、今回の千曲川の氾濫との因果関係はわかりませんが


ダムのことよりも、このようなインパクトのある甘い言葉で


民衆を扇動する手法があると知った出来事でした。



それから10年ほど前には、政権を獲った民主党が


群馬県で計画中だった八ッ場(やんば)ダムの建設を


中止すると言い出しました。


すでに立ち退きを済ませた住民たちが怒る中


代表で視察に訪れた前原議員は能面みたいに無表情だったのが


印象に残っています。




その後、八ッ場ダムの建設は再開されることになりましたが


先ほど言いましたように、ダム建設には長い年月がかかります。


その長い年月を経て、完成は来年、今は試験運転中という時に


今回の台風が発生しました。


ギリで間に合い、利根川は氾濫から免れたそうです。



近頃ではなぜかダムに人気が出て


ダムカードという物が配られるようになりました。




ダムの写真と共に、規模や特徴などを記した小さなカードが


全国各地の主なダムに用意されていて


それぞれの事務所に行けば、誰でも無料でもらえます。


いろんなダムを訪れてカードを集めるのが


静かなブームになっているそうです。


水害が増えた昨今、ダムへの興味も高まってきたのでしょうか。


だとしたら国土強靱化を念頭に


末席ながらダム建設に関わる者として、ありがたいことです。


《続くかも》
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手抜き料理・魚

2019年10月07日 09時35分58秒 | 手抜き料理
私の住む瀬戸内沿岸は、魚が豊富な所。


うちには週に2回、魚屋さんが来るので魚をよく食べる。


私も家族も本当は肉の方が好きだけど


魚料理の長所は、とにかく早くできること。


切ればいい、煮ればいい、焼けばいい。


調理時間がとにかく短いのだ。


これほどの手抜き料理があろうか。


だからしょっちゅう魚を食べている。



『煮魚』


①鍋にたっぷりの日本酒を煮立て


そこへテキトーに砂糖を入れる


②砂糖が溶けたら濃口醤油をテキトーに入れる


③魚を入れ、鍋にフタをして煮る


以上。




うちでは煮魚に水を使わない。


魚屋さんに教わって以来、ずっとこの方法。



病院では日本酒の代わりにダシを使い


そこへ砂糖と濃口醤油を少し入れるやり方だった。


薄味でおいしかったが


病院じゃ大鍋に30匹ぐらい入れて煮る。


魚の旨味がこれでもかというほど出るため


どうやってもおいしくなるのだ。


時々、病院の煮魚が懐かしくなる。




『リュウキュウ』



写真はシマアジのリュウキュウ


私、シマアジが好物なの。



①何でもいいから生の魚をテキトーに切り


大さじ1杯のゴマ油をかけて混ぜる


②薄くスライスして細切りにしたニンニクひとかけと


小口切りのネギ、すりゴマをたっぷりふりかける


③醤油または麺つゆをテキトーにかけ、全体を軽く混ぜる


以上。



魚は何でもいいと言ったが、鮭やフグは合わないかも。


ハマチ、アジ、サバなどの青魚が向いている。


白身の鯛やヒラメも大丈夫。


カルパッチョの和風版と思ってもらいたい。



この料理は簡単でおいしく、しかもデキる女と思われる。


納豆をプラスしてご飯にかけたら、止まらなくなるかもね。


その時は味付け海苔をバラバラにしたのや


みじん切りのタクアンなんかを加えると


男の客は泣いて喜ぶね。



ゴマ油と醤油の順番はどちらが先でもいいが


私はゴマ油を先にかける。


油を先にすると、醤油を必要以上に吸収しないため


魚がダランとしない。



さて、このリュウキュウ、九州は大分県の料理だ。


25年前、夫の浮気と義父の嫁いびり


毎日帰って来る小姑の三重苦が嫌になり


大分県の親戚を頼って家出した。


その地で唯一覚えた料理が、このリュウキュウ。


リュウキュウの呼び名から、琉球、つまり沖縄を連想するが


沖縄との関連性はわからない。



大分県には老若男女を問わず、親切で優しい人が多かったが


オジサンたちのナンパ上手には目を見張るものがあった。


人づてに、私が他県から来た一人暮らしと知った中年男性からは


挨拶代わりのようによく聞かれた。


「包丁、持っちょる?」



そりゃ、持っちょる。


だから、ハイと言うじゃんか。


すると相手は、包丁の有無を問うたよりもさらに軽い口調で


こう続ける。


「リュウキュウ、作っちゃろか?」



ここで、うっかりハイと言ってはならない。


パンやお菓子と違い、リュウキュウは生鮮食品。


前の日に家で作り、翌日食べる種類のものではない。


よって、作るからには相手の住まいを訪れる必要がある。


つまりリュウキュウは、一人暮らしの女のアパートへ上がりこむ手段なのだ。



妻帯者であろうとブスオであろうと


何でもいいから、とにかく男と付き合いたい場合


美貌も色気も関係なし。


必要なのは一人暮らし。


つまりホテル代がいらない環境のみだと確信した次第である。



このような思い出?のあるリュウキュウは


男でも簡単に作れておいしいからこそ


ナンパの手段になるのだ。


現地では玉ねぎのみじん切りを入れる人が多いけど


水分が出るのと、工程が増えて面倒くさいことから


私は玉ねぎを使わない。


これで十分おいしい。


お刺身に飽きたら、ぜひお試しいただきたい料理である。
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手抜き料理・サラダ

2019年10月04日 07時48分18秒 | 手抜き料理
私の作るサラダは、たいていの人がおいしいと言う。


私も自分の作るサラダはおいしいと思っている。


おほほ。



なぜおいしいか。


ドレッシングに秘密がある。


私が卑怯者だということを思い出してもらいたい。


卑怯者は、サラダドレッシングではなく


醤油ベースのステーキソースを使う。


もちろん、そこらへんのスーパーに売ってるやつ。



男や年寄りが生野菜のサラダを好まないのは


バリバリした食感もだけど、ドレッシングの酸味も原因。


市販のドレッシングをあれこれ揃えて日替わりにしたり


自分でこだわりのオリジナルを作ったって、不人気は不人気。



そこでステーキソース。


酸味が自己主張しないので、抵抗なく食べられるみたい。


しかも少量でたくさんの野菜が食べられる。


これで誰でもサラダ名人さ。




『千切りレタス』


野菜サラダにはレタスの登場が多いと思うが


このレタス、私は包丁で千切りにする主義。



レタスって、手でちぎるのがポピュラーだと思う。


昔の料理本には、ことごとく書いてあった。


「レタスは必ず手でちぎること」


包丁を使うと繊維が寸断されて


歯ざわりや栄養が台無しになるだの


包丁の金属とレタスは相性が悪いだのと理由が並べたてられ


手ちぎり組合からワイロでも受け取っているかのように


レタスの手ちぎりを推奨していたものだ。


そりゃもう、包丁なんか使ったらぶっ飛ばす!くらいの勢い。



しかし以前勤めていた病院の厨房じゃ、レタスは全部千切り。


細く切ったレタスを水にさらしてアクを抜いたら、水気をきって出す。


こうすると口当たりが優しくなって、老人でも食べやすくなる。


千切りレタスにドレッシングをかけると


塩分でカサが減り、摂取量も増える。


食べやすいのは老人ばかりでなく、若い者も同じ。


だからうちでも、千切りレタスを採用するようになった。




『焼きサラダ』


家族に野菜をたくさん食べさせたい‥


主婦なら誰でも思う。


そこで焼きサラダ。


加熱によってカサが減るため、たくさん食べられる。



①白菜の細切り、またはキャベツの細切り


パプリカ、ピーマンの細切り、もやし、小松菜を


好みの油でサッと炒める


②野菜が少し柔らかくなってきたら塩こしょうをふりかけ


フライパンの鍋肌に小さじ1杯のザラメ糖を投入


④ザラメ糖を少し焦がすつもりでさらに炒め


仕上げに焼肉のタレをかけて一煮立ち


以上。



読んでおわかりのように、この料理のキモは


ザラメ糖と焼肉のタレの組み合わせである。


焼肉のタレは市販されている、ごく普通の物。


これに糖分をプラスして加熱すると


タレの戦闘的なトゲトゲしさが消えて


コクのある和風寄りの味に変わる。


ザラメ糖が無ければ、砂糖でもいい。



こんな時はつい欲が出て、玉ねぎやキノコを入れたくなるものだが


これらは水分が多い。


すでに白菜またはキャベツ、もやしなど


水分の出やすい野菜を使っているので


玉ねぎやキノコまで入れたら


ジャブジャブのダシに浸かったボヤけた味の煮物‥


という結果になりやすいため、避けた方が賢明。




『ドレッシングがメインの温サラダ』


①キャベツは幅1センチほどの太めの千切りにして軽く茹で


水で熱を取って絞っておく


②ブロッコリー、またはカリフラワーを茹でておく


③茹で卵を半分に切っておく


④人参半分、玉ねぎ3センチ角を


フードプロセッサーでガーした後、水分を軽く切っておく


⑤水分を切った人参と玉ねぎに


人参と同量のマヨネーズ、薄口しょうゆ少々


塩こしょうを加え、再びフードプロセッサーでガー


⑥茹で卵、茹でキャベツ、茹でブロッコリーを並べた小鉢に


⑤のドレッシングをかける


以上。



これは病院のメニュー。


手抜き料理とは言えないが


ドレッシングの淡いオレンジ色が美しいので


食卓が華やいで喜ばれる一品。


温野菜はさやえんどう、インゲンなどの豆類でもおいしい。


温野菜だけでなく、キュウリやトマトを添えると一層おいしい。



余ったヨーグルトがあれば


処理とカロリーダウンの目的で


「ガー」する時に少し加えてもいい。


ヨーグルトの分量だけ、マヨネーズを減らすことができる。


しかし経験上、加糖ヨーグルトはくどくなるので


よした方がいい。



フードプロセッサーが無い場合


あるいは面倒なので使いたくない場合は


人参と玉ねぎをおろし金ですりおろして


マヨネーズと混ぜるといい。


舌触りの点ではプロセッサーより劣るが


そこそこ似たようなものができる。
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こんな人じゃなかった‥

2019年10月02日 10時35分05秒 | みりこんぐらし
3つ年上の友人ラン子から、女子会の開催をせっつかれている。


一回り年上の友人ヤエさんと3人で行う女子会は


3年ばかり開催してないからだ。



この3年、ラン子は孫と老親の世話に忙しく


休みになると孫か親の所へ通っていたため


日程が合わず、次第に誘わなくなった。


会ったところで娘自慢に孫自慢、あとは職場の愚痴だけなので


万障繰り合わせて会うほどの価値を見出せないのも理由の一つだ。



しかし彼女の孫たちも中学生になり


お祖母ちゃんのおもりはいらなくなった。


足の手術をした親の方も、ラン子の手伝いを必要としなくなった。


田舎に住む足の悪い老人が本当に欲しいのは


たまに来て作る料理ではなく、病院や買い物の送迎である。


運転免許を持たないラン子ではラチがあかず


他のきょうだいが代わるようになり、彼女は暇になった。


そこで急に女子会を思い出したらしい。



私の方はこの数年、同窓会の用事と同級生の女子会で


手いっぱいだった。


そのため中高年になってから選挙で知り合った


ラン子とヤエさんとの集まりは、つい後回しになっていた。


一大イベントの還暦旅行が終わり、同窓会が解散した今


こっちの集まりを復活させるのもやぶさかではないが


ただ、問題が一つ。


ヤエさんだ。


ヤエさんは確かにヤエさんなんだけど


違う人になっちゃったのだ。



45年の長きに渡り、壮絶な嫁姑関係を続けてきた彼女だが


2年前、その姑さんがとうとう亡くなった。


家族だけの密葬だったので、後日お悔やみに行き


「落ち着いたら、また遊びに出かけましょう」


そう言ったところ、終始ボンヤリした表情のヤエさんは


ゆるゆると首を振るのだった。


「今は家から出たくない‥


おばあちゃんのいなくなったこの家が


いとおしくてたまらないの。


もし集まるんなら、ここで何か作って食べましょうよ」



人一倍しっかりしていたはずのヤエさん


なんだか人が変わってしまって、別人みたい。


家で何か作って食べるんなら、うちに居るのと同じじゃん‥


私はそう思い、ヤエさんの燃え尽き症候群がおさまるまで


そっとしておくことにした。



以後、音信不通のまま年が明け、去年の7月豪雨があった。


豪雨から2日後、ヤエさんから電話が‥。


「んもう!やっと出た!」


開口一番が、この言葉だった。


携帯になかなか出なかったことに苛立っておられるご様子。


こんな人じゃなかった‥そう思ったが


用件を聞いて、とりあえず納得。


ヤエさんの家が被災したのだ。


「お久しぶりね、お元気?」なんて言ってはおられまい。



自力で復旧するつもりなので、お宅の商品を少し分けてもらいたい‥


それがヤエさんの希望だった。


「ほんの少しでいいの‥お金は払うから」


ヤエさんは言ったが、金など取れようか。


義父アツシが死んだ時、彼女が山ほどの弁当を作って


届けてくれた恩を忘れはしない。


我々夫婦は、恩返しのチャンスが来たことを嬉しく思った。



夫はすぐさま現場に駆けつけ、ヤエさん夫婦と話した。


必要量を配達すると言ったら


「自分たちのペースでやりたいから、うちの軽トラで運びたい。


2〜3回通えば大丈夫だと思う」


ということだったので、その意思に従った。



そして一週間が経過した頃、夫がポツリと言うではないか。


「恩返しがまだ済まんみたい‥」


あれ以来、ヤエさん夫婦は日に何度も通い続けているらしい。



ヤエさん宅の復旧はとっくに終わっていると思っていたので


かなり驚いた。


最初は床下浸水した自宅だけ、と思っていても


やっているうちに庭も畑もと、欲が出るのはわかる。


が、「少しでいい」と何度も言っていたので


いまだに続いているとは思ってもみなかったのだ。



夫は商品をタダで差し上げるのを惜しんでいるのではない。


災害が起きた時、業者も個人も必要とする商品は同じだ。


主な陸路を断たれたため、船舶には予約が殺到して


仕入れは困難になっていた。


そこで息子たちに命懸けで山道を走らせ、仕入れのために往復させていた。


いつも言うが、命に関わりそうな時は他人様の社員でなく


自分の子供を行かせるのが我が社の掟である。



大型ダンプは運転席の両側に1本ずつ合計2本


荷台は重いので前の両側に2本ずつ、後ろの両側に2本ずつ


合計8本のタイヤを履いている。


全部で10本のタイヤがあるので


大型ダンプには十輪(じゅうりん)という別名がある。



道幅が狭い悪路の場合、前輪さえ通れば


内輪差や外輪差で後輪の1〜2本が脱輪しても


残りのタイヤが持ちこたえるので


すぐさま崖下に転落することはない。


スリル満点のこの状況が平気か平気でないかが


向き不向きということになる。


うちの子は平気なタイプ。



そしてこれを他人様にやらせるとなると


不満の声が出たり、苦労話を聞いた家族が


不安を感じることだってある。


そこで独身のうちの子、という理由もある。



こうして仕入れた商品は、片っ端から買い手がついた。


そこへヤエさん夫婦が加わり、せっせと持って行く。


いくら軽トラといっても日に5〜6回も来れば


けっこうな量になる。


ゼニカネより仕入れが大変なのだが


サラリーマン出身の彼らにその概念は無いようだ。


「この頃じゃあ通い慣れて、自分の会社みたいに我が物顔よ」


無口な夫が言うんだから、かなり横柄な態度なのだろう。




10日、2週間‥


ヤエさん夫婦の往復は続き、私は気をもみ続けた。


いつも人を思いやり、謙虚で優しくて上品なヤエさんは


いったいどこへ行ってしまったのだろう。



3週間後、ヤエさん夫婦はやっと気が済んだようだ。


最後に来た時、お礼だと言って


大きなカボチャを一つ、持って来たという。


苦心惨憺の3週間を過ごしたあげく


大嫌いなカボチャを手渡された夫の心中は察するに余りある。



夫が持ち帰ったそのカボチャに、私は見覚えがあった。


ヤエさんちの庭先にぶら下がっていたものだ。


オブジェと実用を兼ねて、玄関前の一角に実らせるカボチャだ。


私の知っているヤエさんは


こんな手近な物で済ませる人ではなかった‥。



それでも一応、お礼の電話をする。


「まだ早いから、一週間ぐらい置いてから食べてね」


ヤエさんはそれだけ言うと、電話を切った。


本当に、こんな人じゃなかったのだ。


おばあちゃんが亡くなって、人が変わったとしか思えない。



ヤエさんは自宅の復旧にあたって


「一輪車がどこも売り切れで、困ってるの」


と私に訴えた。


だから会社にある一輪車を貸した。


それもいまだに戻らず、彼女の庭に置いてある。


プロ仕様なので、使いやすかったのだろう。


会社では使わないからいいんだけど


借りた物を返さないような人じゃなかった。


本当に、こんな人じゃなかったのだ。




非常識な山姥みたいなおばあちゃんが生きている頃は


つらい日々の中、幸せを模索して


行き着いた結論が「人に優しく」だったのだと思う。


しかしおばあちゃんがいなくなって、その必要は無くなった。


解き放たれたのだ。



ヤエさんは今、本当の自分を生き直しているのかもしれない。


身勝手で厚かましい、普通のおばちゃんの人生を


やり直しているのかもしれない。


それはきっと、良いことなのだ。


やっぱり、そっとしておくに限る。




というわけで、優しくないヤエさんとわざわざ会う必要性は


現在のところ見出せていない。


何も知らないラン子は待ち焦がれているが


3人の女子会は当分実現できそうもない。
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