殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

女三界に家なし

2014年06月30日 17時39分14秒 | 前向き論
女三界に家なし(おんなさんがいにいえなし)。

この言葉を最初に聞いたのは、中学生の時だった。

良き妻、良き嫁になるために…

例のごとく、祖父の明治教育の一端に含まれていた。


聞いた私はといえば

あら、二階までしか住んじゃいけないんだ…

というオツムの程度。

その教育が何ら功をなさず

裏ぶれすさんだ妻道・嫁道・ケモノ道を歩んできたのは

皆様ご存知の通りである。


その後、色々な所で色々な人から耳にする。

三界とは仏教用語で、欲界、色界、無色界のことらしく

仏教で言うところの“世界”とは、この三つで構成されているそうだ。

つまり「女三界に家なし」は

「女は世界中どこにも安住の地は無い」という意味らしい。


「マゾか!」

若い頃は、腹を立てたものだ。

女性蔑視もはなはだしい!

偉い人が言ったことにして、男に都合のいいように女を縛る気だな!

「女三界に家なし」…みりこん辞典の中で

これは脅迫ということになった。


ところが結婚してシミジミ思うのが、まさに「女三界に家なし」だった。

夫はせっせと女房取り替え作業にいそしみ、追い出しにかかっている。

実家へ帰ろうにも拒否される。


これが、かの有名な「女三界に家なし」か!

どこにも行き場が無くて、絶望のあげく絞り出す言葉が

これだったのね!

みりこん辞典に掲載される「女三界に家なし」は

脅迫から絶望のページへと移動。


お前に家は無いと言われれば、追い求めたくなり

追い求めても無理となると、なおさら憧れる。

安住の地を求めてさまよう私は、いっぱしのヒロイン気取りであった。


そのうち夫の浮気にも慣れて余裕が出ると

女に無いとされる安住の地を、ちゃんと持つ人がいるのに気がつく。

だって、うちには嫁ぎ先から毎日実家に帰って来る夫の姉

カンジワ・ルイーゼ様がおられるではないか。


彼女の夫は銀行員。

大口顧客(あくまで当時)の娘、ルイーゼと結婚できたのを

「男の名誉」と公言し、気を使って下へも置かぬもてなしぶりだ。

もちろん日課の実家帰りは奨励されており

実家も諸手を挙げて娘を迎える。


ルイーゼ、三界に家が無いどころか

実家と婚家の2ヶ所をやすやすとゲット。

全国共通じゃないと知ったこの時点で

女三界ウンヌンには見切りをつけ、時代遅れの遺物として辞典から削除した。



それから幾年月…

「女三界に家なし」は、完全におばさんと化した私の元を再び訪れた。

安住の地をダブルで掌握していたはずのルイーゼが

本当は違ったと知ったからだ。


安住の地が消える!

不変のダイヤモンドではなく、生もの!

これはちょっとした衝撃だった。

そこで再考の必要ありと踏んだのであった。


ルイーゼは相変わらず毎日通って来る。

しかし弟一家に乗っ取られた格好の実家は

もはや彼女にとって安住の地にあらず。

機嫌を損ねて母親を押し付けられたら困るので

別人のようにおとなしくなってしまった。


嫁ぎ先の安住も失われていた。

妻の実家が経営不振で、金融事故予備軍になったことは

銀行員である義兄の立場を日夜脅かし、昇進を阻んだ。

彼の豪語した「男の名誉」は、地に落ちたのだった。


閑職に追いやられた彼は精神を病み

そんな一人息子を案じる、彼の両親の態度も推して知るべし。

金融事故をまぬがれて廃業し、義兄が定年退職した現在も

肩身の狭い状況は続いている。


いつ、何がどうなるかわからない。

私が安住の地保有者と認識していた他の人々も

あんまり楽しそうじゃない。

安住の地ダブル確保の先に待っていたのはダブル介護だったり

大好きな母親の死が更年期と重なり、病気になった人もいる。


沖縄を安住の地と定め、早期リタイアして移住した友人も

このほど帰って来た。

本当は、仕事を辞めてブラブラしていると言われるのが辛くて

逃亡したのだと、今になって打ち明けた。

結局私は、安住の地で延々と心安らかに暮らし続ける人を

見たことが無いのだった。


私は、安住の地そのものの存在を怪しみ始めた。

適温適湿、家族円満、経済安定、無事故無違反が

しばらく続いたとしても、明日何か起きれば

安住の地はたちまち消えてしまう。

消える可能性があるのなら、そこはただの通過点に過ぎず

安住の地とは呼べない。


無いんだ、そんなモン。

はかなくて危うい理想郷なんか、無くていいんだ。

無いものを無いと言っている「女三界に家なし」は、正しいんだ。


安住の地とは、場所じゃないんだよ…

探すものじゃなくて、なるものなんだよ…

あんたが周りの人にとっての安住の地となるんだよ…

だから三界に家なんて、いらないのよ~ん…

「女三界に家なし」とは、ミジメな言い伝えではなく

案外こんな積極的な意味かもしれない。

やがて、そうとらえるようになった私である。


あんた、いいこと言うわねぇ!

「女三界に家なし」

これを考えた人の肩を叩いて、そう言いたい気分だ。
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結局金かよ・その4

2014年06月27日 10時55分11秒 | 前向き論
《みりこんさん》

私の前半生に大きく関わった3人の女性…

彼女達の性質に共通点があるのは、おわかりだと思う。

明るい、肝っ玉が大きい、料理上手…などである。

つまり一家に一台は欲しい、好ましい人物ばかりだ。


結局お金、というのは早い時期に知ったものの

好ましい人物には、苦難の人生が与えられるのか…

それとも援助の必要性から、好ましい人物になっていくのか…

この疑問は残ったままだった。

しかしそれは、歳月が教えてくれた。


おばちゃんと呼ばれるのに抵抗が無くなった頃

人の言葉に、はたと気がついた。

「明るい」「肝っ玉が大きい」「料理上手」

人が私に持つ印象は、私が春さん、ミツさん、キミさんに対して

持っていた印象と同じであった。


だが、その印象は私だけのものではなかった。

変わり者でもない限り、おばちゃんと呼ばれる人のほとんどに

これらの印象が備わっていたのだ。


親身に慰めてくれる人達は死んでしまったし

クヨクヨしたってどうにもならないと知ったから

明るくやり過ごすしかない。

「どうしたらいいか、わかんな~い」と首をかしげてみたって

誰もカワイイとは言ってくれず

経験済みのことは、先でどうなるかがわかっているので

ひどく驚いたり嘆いたりする必要が無いため

はた目には肝っ玉が大きく見える。

奥さんやお母さんを長くやってりゃ、得意料理もいくつかできる。

おばちゃんという生き物の大半が、そうだったのである。


好ましい人物に苦難が訪れるのではなく

言うか言わないか、人に知られるか知られないかの問題だけで

人間、生きてりゃいろいろあるのが人生だったのだ。

援助の必要性から好人物を演じるわけではなく

そこに山があるから登るだけだったのだ。


私でお役に立てるなら…

誰だって最初は、美しい真心で新生活の幕が開く。

この私とて、夫の両親の面倒を見ることになった時はそうであった。


慈悲だの奉仕だの言ったって、しょせんただのヒト。

現実は厳しく、サンザンやゲンナリを繰り返すたびに

慈悲も奉仕もどこへやら、日に日にすさんで行くのが自分でわかる。


やるのは自分しかいない…

それは最初、崇高な使命感だったはず。

でも、ちょっと体調が悪かったり用事が重なったりすると

「自分しかいない」の意味が変わってきて

自分だけが損をしているような気持ちになってしまう。


のん気にテレビを見る笑い声にムッとする。

「言ってくれればやったのに」のつぶやきにカッとする。

「こっちだって気兼ねしてる」なんて言われた日にゃ

ぶっ飛ばしたくなる。


いろんな小さなことが積み重なっていっていくと

自分を動かす燃料の効率が落ちていくのがわかる。

そこに老化が追い打ちをかける。

動かなくなった身体に、義務だの家族の笑顔だの

あり合わせの燃料を突っ込んだら、空焚きになる。


ところが、この空焚き中に臨時収入があったりすると

急に元気が出る。

そりゃもう、ユンケルどころの騒ぎじゃない。

自分を動かす燃料は、お金が一番だと知る。

お金しかなくなってきたとも言える。


副作用として、機嫌良く動き回った分、次の空焚きが早く訪れ

空焚きの倦怠感は、前回より強いことが挙げられる。

これを繰り返して、結局お金になっていくのだ。

祖父の彼女達も、同じだったのではなかろうか。


結局お金だったとしても

私は彼女達が注いでくれる愛情を確かに感じていた。

似合いそうな洋服があった、と包みをほどく笑顔

体調や好物を考慮して出される三度の食事

夜なべで編んでくれたリコーダーの袋…

結局お金だったとしても、よその子にそれをする自信が

私には無い。


私は、彼女達が本当に愛しているのは誰かを

よく知ってもいた。

それは祖父ではなく、もちろん我々であるはずもなく

血を分けた子供や孫、甥や姪だ。


その思慕は、言動として頻繁に現れる。

お金が渡るのはもちろんだが

家にいただき物があると、そっちへ渡したがったり

「あんた達も頑張って、あの子のようになりなさいね」

賞賛も惜しみない。


それを見聞きするたび、現在の自分を否定されているような気がして

孤児のような気持ちになったものだ。

どうして知らない誰かをお手本にしなければいけないのか。

どうしてそんなに立派で素晴らしい人達から離れて

ここで暮らしているのか。

なさぬ仲の他人と暮らすということは

このような疑問との戦いである。

私は戦いに疲れ、やがて無関心という線引きをするようになった。

愛情を感じつつも、100%じゃないならいらないという

ふてくされた気持ちがあった。


3人それぞれ、しんどい時もあっただろうし

たまには病気やケガもした。

皿洗いや掃除ぐらいは手伝えたのに

「いつもありがとう」ぐらいは言えたのに

私は無関心を通したダメ子だった。


そのダメ子に、今同じ境遇が与えられている。

お金という目的無しに、彼女達の人生をなぞっているような気がする。

それはもしかしたら、光栄なことではないのか。

大好きだったあの人達の、結局お金でかき消されたあの愛情を

再び噛み締め、輝かせる役目を引き受けたのではないか。


この役目、過酷はあるが燃料安定供給のシステムは無い。

ダメ子だから条件悪いんじゃ。

新燃料を開発するしかないんじゃ。


この新燃料だが、現在会社で着手している

エネルギー開発事業とマッチングしているところが面白い。

言っておくが、太陽光はもう古い。

《完》
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結局金かよ・その3

2014年06月24日 14時03分48秒 | 前向き論
《キミさん》

22年前、祖父の最期を看取ったのは

当時一緒に暮らしていた70代のキミさんである。

老い2人の仲は穏やかで睦まじく

優しく大らかなキミさんの人柄は、祖父はもとより我々まで

温かく包み込むような雰囲気があった。


キミさんは若い頃にご主人と別れた後、ずっと食堂を経営していた。

加齢により、仕事を引退してからは

娘さん夫婦が店をカラオケスナックに商売変えした。


キミさんの娘さんは、当時40代後半だった。

エッちゃんと呼ばれていたこの人も

ミツさんの娘同様に調子がよく

酒とタバコで枯れた声で、祖父のことを「お父ちゃん」と呼んでいた。

老人世帯は両親のサポートで成立していたが

エッちゃんも店の無い昼間、祖父の家を訪れては

チャキチャキと世話を焼いた。


すでに結婚して子供がいた我々孫は

祖父に呼ばれた時以外、彼らに会うことは滅多になかった。

家というのは、女の機嫌さえ良ければ平穏に回るものである。

他人の生んだ我々は、しょせんオトコの付属品に過ぎない。

付属品が気まぐれに出入りし、小姑として女性にストレスをかけるより

薄情者と呼ばれる方が平和である。

その平和が、ひいては祖父の幸せに通じることを

我々は経験から知っていた。


会いたいとか、身体が心配という自然な肉親の気持ちは

途中からそばに付いた女性にとって、面白くない感情のようだ。

こちらが心配することはすなわち、あんたじゃ信用できないと

言われているように感じて傷ついてしまう…

弱った手や背中に触れたり、血縁者だけで会話することに

かすかな嫉妬や違和感を積み重ねてしまう…

それが他人というものある。


キミさんは、そのようにうがった傾向の人ではなかったが

いつ、何に傷つくかわからないのが他人だ。

ほどほどにうまく立ち回るなんて、できるもんじゃない。

ともすればうっかり湧き上がる肉親の情を抑えること…

逆縁の家に生を受けた我々の、それが努めであった。



キミさんと暮らし始めて3年、祖父は入院し

キミさんに見守られて、2ヶ月後に息を引き取った。

葬式の後、娘夫婦の住む自宅に戻ったキミさんだが

それからわずか5ヶ月後、トイレで倒れ、そのまま帰らぬ人となった。


私と妹がキミさんの死を知ったのは、半月ほど経ってからだった。

お悔やみに行かなければ…

単純にそう思い、日曜日に妹と連れ立って

隣の市の自宅兼スナックを訪ねた。


去年の秋、祖父のなきがらの前で一緒に泣いた

あのエッちゃんは、もういなかった。

顔をこわばらせてよそよそしい、エッちゃんという名の女の人ならいた。


キミさんの仏前に手を合わせていると

エッちゃんのご主人を始め、息子や娘や孫が

ワラワラと仏間に集まってきた。

一緒にお参りしてくれるのだと思ったが、どうも違う。

ソワソワした緊張感が漂っている。


幼い孫が叫んだ。

「来るな!帰れ!」

幼児の憎まれ口に、私は全てを理解した。

躾の悪いガキが発したこの言葉は

たまたまとはいえ、今この部屋に集合している人々の総意なのだ。


来てはいけなかったのだ。

そこで初めて、祖父の遺した現金は

全てキミさんのものになっていたことを思い出す。

祖父の入院中、キミさんとエッちゃんはせっせと銀行を回り

祖父の預金をキミさんの名義に書き換えたり、引き出していた。

両親は銀行の人から聞いて知っていたが、黙認していた。

我々がガラクタと呼ぶ、祖父の骨董や調度品も

一つ、また一つと消え

最後にケヤキ材の碁盤を持ち出したのも知っていたが

誰も関心を持たなかった。


キミさんが急死したので、それらの金品はエッちゃんのものになった。

エッちゃんは、相続権を持つ我々が

その件に触れるのを恐れているのだった。


亡くなったキミさんにお礼を言い、冥福を祈りたいだけの我々には

思いもよらぬことである。

しかし相手が脅威を感じている以上

我々は紛れもなく、招かれざる客なのだ。

民家の周辺に迷い出た、熊のような心持ちであった。


その後、エッちゃんと会うことはなかった。

スナックが潰れ、どこかへ行ってしまったからである。

《続く》
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結局金かよ・その2

2014年06月21日 17時47分49秒 | 前向き論
《ミツさん》

彼女のことは、以前書いたことがある。

春さんの次に現れたのが、当時53才のミツさんだ。


祖父は、娘のチーコの後に生まれた女の子を

赤ちゃんの時に亡くしている。

妻に先立たれ、残ったチーコまで失う日が近いと知った祖父は

支えを必要としており、入籍を前提にミツさんを迎えたのだった。


ミツさんはとりあえず、社保厚生年金とボーナスのついた

月給制の社員として家に入った。

家族で検討の結果、我々は彼女のことを

「おばあちゃん」と呼ぶことに決まった。


ミツさんは明るくて面白い人だったが

生真面目な母チーコは、水商売経験者の粋な印象を嫌った。

和服の襟を抜いて着るところや、テレビで水戸黄門が印籠を出すと

「ヨッ!待ってました!」と掛け声をかけるところなんかだ。

けれどもミツさんのそういうところが、私は好きだった。


ミツさんは、張り切ってチーコの看病をした。

癌に鯉の生き血がいいと聞いた祖父は、養殖場から毎日取り寄せ

女板前だったミツさんが、一刀のもとに頭を落として生き血を採取する。

鮎が好物のチーコのために、季節にはやはり養殖場から毎日取り寄せ

手際良く塩釜焼きや串焼きにした。


チーコの癌は、すでに手のほどこしようが無かった。

この植物がいい…あの生き物が効く…

あちこちで延命の方法を聞いては入手に奔走する祖父と

それをチーコのために工夫して調理するミツさんの連携は

子供だった私の目にユーモラスに映り

もうじき母親が死ぬ現実を忘れさせた。


ミツさんが来て1年後、チーコは死んだ。

チーコは弱っていくにつれて、ミツさんの真心を感じるようになり

死ぬ頃には、我々子供よりもミツさんをそばに置きたがった。

最期の言葉は「おばあちゃん」。

ミツさんのことである。


6年生になったばかりの私は、悲しみよりもホッとしたのが先だった。

チーコがやっと苦しみから解放された安堵であった。


チーコの看病、家の改築、チーコの死、父の再婚

うちに来て1年余りの間にあった出来事に

ミツさんは唯一の女手として、完璧な家事労働のかたわら

社交性や気配りの手腕をいかんなく発揮した。

論功行賞としては申し分なく、いよいよ社員から妻に転身と思われたが

肝心の祖父が渋り始めた。

ミツさんに娘がいることを知ったからだ。


一族にとって許されない結婚をしたので

絶縁になった一人息子がいるのは聞いていた。

しかしその妹にあたる、父親違いの娘がいるのは初耳だった。


当時20代後半だったミツさんの娘さんは

ご主人が病気になって生活に困窮していた。

ミツさんは祖父の援助を求めるために、娘の存在を告白したのだった。

…ということになっているが、逆説もまた真実である。

ミツさんが祖父と暮らすようになって経済的に安定したために

娘さんが出現したとも言えるのであった。


祖父はミツさんの懇願を受け入れ、娘夫婦の援助を承諾した。

しかしその代償として、ミツさんの第一希望である入籍は

うやむやになった。

入籍で家族を増産すると

自分の死後、不都合が持ち上がりそうな懸念が

祖父にあったからである。


娘さんは青白くて痩せこけたご主人と一緒に、時々うちへ来た。

ご主人の病名は結核で、完治したとはいえ

我々子供は近づいてはならないことになっていたが

漏れ聞こえる会話から、お金を受け取りに来ているのだと子供心にわかった。


夫婦はいつも、車を家の裏手に停める。

その車は二階の子供部屋から丸見えだ。

祖父のことを「お父さん」と呼び、調子のいい2人だったが

車に乗る時は、封筒のお金を数えていた。

家に帰るまでが遠足です…

私はその光景を眺めつつ、冷ややかに思うのだった。


私が高校生になった頃、祖父とミツさんはよく喧嘩をするようになった。

今思えば、無理もないことであった。

老いを前に身の上は未だ定まらず、家政婦と妻の間を宙ぶらりん。

キップのいいミツさんも、さすがに辛かったと思う。


喧嘩のたびに、ミツさんは弟一家の住む実家へ帰る。

生意気盛りの私は、祖父とミツさんに対して

冷淡な態度を取るようになった。

自分のことは棚に上げて、常識だの人の道だのガミガミ言う祖父に

自分はどうなんだと言いたい気持ちだった。

もう、祖父に関する男女のイザコザはうんざりだった。


ある日、ミツさんは何度目かの家出をして、そのまま帰って来なかった。

私と妹は、それきりミツさんに会うことは無かった。

祖父のほうは数年のブランクを経た後

癌になったミツさんからの連絡をきっかけに

時折見舞うようになっていた。


やがてミツさんは亡くなった。

最期の言葉は「ごめんね」だったと、祖父から聞いた。

その時初めて、チーコを看取ってもらった恩を思い出した

薄情な私であった。

《続く》
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結局金かよ・その1

2014年06月19日 21時22分56秒 | 前向き論
《春さん》

私が小学4年生になったばかりの4月

母チーコが入院することになった。

末期の胃癌だった。


ちょうど家政婦さんが辞めたばかりで

後任を探しているところだった。

しかし口うるさい祖父、小学生が2人、その上病人が出たとなると

労働条件が悪く、求人は難航していた。


そこへ彗星のごとく現れたのが

祖父の古い知り合いという春さんである。

彼女は当時48才。

古いホームドラマ「肝っ玉母さん」の京塚昌子を

もっと華やかにしたような人だ。

祖父から我が家の窮状を聞いて、大阪から駆けつけてくれたのだった。


優しく面白い春さんのおかげで

私と妹はチーコがいない淋しさを感じなかった。

参観日に来てくれ、振り返るたびに教室の後ろから

おどけて手を振ってくれた。

オートミールやマカロニグラタンなど

田舎の子供には未知の食べ物をよく作って食べさせてくれた。

春さんの回りには、いつも明るくて温かい空気が流れていた。


3ヶ月後、チーコは退院した。

本人は胃を切ったと思い込んでいたが

開腹したら手遅れだったので、そのまま閉じたのだった。

家事に看病にせわしく働きながら

常に上機嫌で優しい気配りを見せる春さんを

チーコは姉のように慕い

父も「頭が良くて肝が太い」とほめていた。



春さんが来て1年後の春休み

当時開催されていた、大阪万博に連れて行ってもらった。

休暇で大阪へ帰省する春さんにくっついて行ったのだ。


その日、いつになく気分の良かったチーコも

父の車で新幹線の駅まで見送りに来た。

出発前に家の前で撮った写真が、翌年チーコの遺影になった。


初めての新幹線で、泉大津にある春さんの団地に向かう。

そこには大学生の娘さんが2人と、春さんのお母さん

それに病み上がりで療養中という春さんのご主人がいた。


その時初めて、春さんにご主人がいたことを知った。

うちでは祖父と同じ部屋で寝起きし

大阪ではご主人と寝起きする春さんの不可解に

11才の頭をひねったが、それを不倫と呼ぶことなど

小学生の私には知るよしもなかった。

みんな優しかったし、万博見物へ行ったり

難波のデパートで洋服やローラースケートを

買ってもらったりしているうちに忘れた。


楽しかった万博行きは、春さんとの暮らしのフィナーレでもあった。

春さんには家族がいる。

いつまでも救世主として、うちにとどまるわけにはいかないのだ。

「元気でね!」

春さんは笑って手を振り、新幹線で帰って行った。



翌日、入れ替わりにミツさんが訪れた。

一人娘のチーコが死ぬと知った祖父は

家政婦さんでなく家族を探すことに決め、知人の紹介で

戦争未亡人のミツさんを迎えることにしたのだった。

この人選には、春さんの意見も取り入れられていた。

ミツさんもいい人だったが、7年後、祖父と別れた。


20年余りが経過した。

病気で弱ってきた80代半ばの祖父は

その頃、キミさんという70代の女性と2人で暮らしていた。

彼女もこれまたいい人で、献身的に祖父の面倒を見た。

すでに結婚していた私達姉妹や子供達にも、それは良くしてくれた。


そんなある日、春さんが突然大阪からやって来た。

「最後に一目だけでも会わせて欲しい」

春さんは言った。


両親は困った。

2人の愛の巣へ“昔の女”を連れて行けば、キミさんは傷つく。

それは家族の問題でなく、男と女の問題なのだ。

居場所を教えるわけにはいかなかった。


春さんはそれをキミさんの意思と思い込み

「もし今の女性が会わせるのを拒むのなら、刺し違えてでも…」

と言い放ったが、願いは叶えられず

しょんぼりと大阪へ帰って行ったという。


両親は春さんのこの言動を「情熱」と表現し

それを聞いた私は爆笑した。

情熱…それは我々家族特有のユーモアである。

春さんが、祖父に最後のお金をねだりに来たのはわかっていた。


それまでにも度々、祖父は大阪の春さんに

まとまったお金を送金していた。

我々家族は、祖父の内妻達の本当の目的を

とうの昔から知っていた。

そもそも春さんが最初にうちへ来たのは

病気療養中のご主人に代わって

2人の娘さんを大学に通わせるためだった。

ミツさんにも援助が必要な家族がいたし

キミさんもやがて似たようなことになると知っていた。


「おじいちゃんは生涯で、一体何人を扶養するつもりだろう」

我々家族は、冗談交じりに話すことはあっても

彼女達を悪く言う習慣は無く、そっちに渡る金品にも興味は無かった。

うるさい祖父に耐えるより

需要と供給の合致した人にお任せする方が

誰にとっても良策である。


我々は彼女達の営業活動に垣間見える、思いやりや温かさを尊重した。

刺し違えてでも…春さんの言葉は、情にお金が絡むからこその真剣であり

我々家族にとっては、やはり情熱と評価されるべき名言なのであった。


ともあれ、生きた教材を日々目の当たりにすることで

私は小学生の頃から、一つの教訓について

仮定と確認を積み重ねていった。

たいした教訓ではない。

「結局お金」

その一言に尽きる。


(続く)
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出家

2014年06月09日 15時06分24秒 | みりこんぐらし
老後、もしも暮らしに困ったら

近所の橋の下にダンボールハウスをこしらえ

希望者があれば迎えて共に暮らす…

以前はそんなことを考えていた。

大鍋にいっぱいおかずを炊いて、みんなで分け合ったらおいしかろう。

寝転がって空を見上げ、自由を噛みしめるのは楽しかろう。


しかし夫の実家で老人と生活するうち

それがいかに無謀な計画だったかを痛感。

今の日本の暑さ寒さはどうだ。

エアコン無しでは、すぐに死人が出る。

毒虫やウイルスなんかも、タチが悪くなっているような気がする。


虫や菌だけではない。

人間も古くなると、ややこしくなる。

トイレは近いし、こだわりが強くなるし、昔自慢もくどい。

しょっちゅう喧嘩になりそうだ。


もしも暮らしに困ったら…なんて

のん気なこと言ってる場合じゃないぞ。

まず困らないように頑張ってみるのが先じゃないのか。

私はそう思うようになった。


計画変更を考えていた矢先、同級生のマミちゃんが言い出した。

「老後は出家したいの。

みりこんちゃんも一緒に出家しよう!」

出家!

のんびり屋のマミちゃんから、最もかけ離れた行為に思える。

この2年の間に、相次いで両親を亡くしたのがこたえたらしい。


マミちゃんは優しい両親にサポートされながら

幸せな結婚生活を送っていた。

これまで人間関係の問題が起きなかったのは

男兄弟のいない三人姉妹だったからで

三人の娘を平等に扱える経済力が、両親にあったからだ。

だからマミちゃんは、ずっとのんびり屋さんでいられた。


ところが2年前、マミちゃんの姑さんは入退院を繰り返すようになり

手がかかり始めた。

初めての“大変”に、マミちゃんは思ったと告白する。

「死ねばいいのに…」

そしたら姑さんではなく、ピンピンしていた自分の母親が急死した。

「バチが当たったんだ…」

マミちゃんは思い悩み、その頃から出家を考えるようになったという。


「スレてないって、こんなに美しいものなのか!」

私は感動し、言葉を尽くして慰めたものだ。

やがて私達は、この世やあの世のいろんな話を

語り合うようになった。


ちなみにマミちゃん、出家先は早くから決めてある。

やはり同級生のユリちゃんが嫁いでいる、市外のお寺だ。

老後は3人で、ミホトケにお仕えしながら楽しく過ごすつもりらしい。


グータラの私にとっても、出家は遠くかけ離れた行為である。

まず、夫の親から解放されて自由になる日が

生きているうちに、しかも動ける間に来るかどうかギモン。

私の方が早いような気すらしている。

しかもお寺だよ。

正座と掃除と早起きが、付いて回るではないか。

だり~じゃん。


しかし、ユリちゃんの所へ行くのはヤブサカでない。

ユリ寺から道路を一本渡れば、私の大好きな港町が広がる。

美味いモンは、古くから賑わった港町にあるってもんだ。

靴、洋服、バッグなんかも、店はそれぞれ小さいが

洗練された品が置いてある。

山奥に突然できるショッピングセンターなんて、メじゃねえわ。

とまあ、出家どころか煩悩まる出しの理由により

ユリ寺へ行ってもいいと思っている。


先日、久しぶりにユリちゃんと会ったので

マミちゃんと2人、出家のもくろみを話す。

「大歓迎よ!老後と言わず、明日でもいい!」

ユリちゃんは快く承諾してくれた。

行事が多くていつも人手がいるし、部屋はたくさんあるから

人数が増えても構わないと言う。

とりあえず老後のセーフティネットは確保した気分。


ただし出家するにあたり、私には別の使命があるとユリちゃんは言う。

「打倒!モクネン」である。

ユリちゃんの夫、ナマグサ坊主のモクネンに

何らかの形でダメージを与えてもらいたいそうだ。

この使命と引き換えに、正座と掃除と早起きは免除してやると言う。


モクネンは見合いで結婚して以来、ずっと浮気三昧。

人に仏の道を説き、自分は魔道を歩んでいる。

結婚当初はなかなかの美坊主だったモクネンだが

酒と女の不摂生がたたり、今は見る影もない。


ユリちゃんは期待する。

「お寺に集まる人達に面白い法話をして、モクネンの鼻をへし折って!」

無資格でもいいのかと聞いたら

「大丈夫、大丈夫。

あの人の法話は、面白くないことにかけては天下一品なの。

お寺もこの頃は人気商売だからね」


身の程知らずな口だけ女の法話より、いっそモクネンの消し方を考える方が

私には合っているような気がする。

しかし、モクネン暗殺計画を練る私を

はたしてミホトケがモクニンしてくれるだろうか。

そこが心配である。
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