殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

介護と湯のみ

2015年08月30日 09時04分37秒 | みりこんぐらし

『いただきものの抹茶大福に付いていた…付録?

指輪のような可愛い水引(みずひき)に、萌え~!』




先週、同級生の涼子ちゃんがうちへ来た。

数年ぶりの再会だった。


何で来たかというと、2月に他界した義父アツシのお悔やみである。

涼子ちゃんは私の同級生でもあるが、アツシのゴルフ仲間の娘でもあるのだ。

彼女一家と夫一家の交流の歴史は半世紀を越えており

アツシ夫婦との付き合いは、私より涼子ちゃんの方がずっと長い。


小学4年の時、彼女のお父さんがゴルフでホールインワンを出した。

私と数名の友達は彼女に誘われ、その祝賀会でリコーダーの合奏をした。

曲目は「荒城の月」。


盛況だった宴会は一気に盛り下がった。

涼子ちゃんの両親だけが喜び、あとの何十人かは

完全無視で飲み食いに夢中だ。

選曲に問題があったことを棚に上げ

「こういう失礼な大人もいるんだ…」と苦々しく思った。

結婚してから知ったが、呼ばれたお客の中にアツシ夫婦も居たそうだ。

私と彼らの縁は、この時から始まっていたような気がする。



さて、涼子ちゃんが今までアツシの死を知らなかったのは

母親を介護していたからである。

10年前にお父さんが亡くなると、お母さんの認知症が始まった。

当初は母親と同居する兄夫婦が面倒を見ていたが

3年で音を上げたため、独身で身軽な涼子ちゃんが介護することになったのだ。


彼女は当時、ハワイで暮らしていた。

20代で何を血迷ったか、我々の同級生の一人

大酒飲みのろくでなしと結婚し

さんざん苦労したあげくに30代で離婚後

できた彼氏があちらで事業を始めたため、同行したのだった。


涼子ちゃんは大金持ちの娘で、垢抜けのした美人。

しかも性格が良く、語学が堪能である。

それなりの男が出入りする職場に勤めたからこそ生まれた出会いであり

外国で何か不都合が起きても

親の後ろ盾があるからこその冒険だったのも忘れ

ついでに彼氏が妻帯者というのも忘れて

我々同級生一同は、ろくでなしに泣かされた涼子ちゃんが

幸せをつかんだと喜んだものだ。


母親のために男と別れ、悲壮な決意で帰国した涼子ちゃんと

「今まで好き勝手をしたんだから、今度は頑張ってもらおう」

言動の端々にそんな態度がにじみ出る兄夫婦。

双方の意識差は、埋めようが無かった。

お母さんと涼子ちゃんは次第に家族や親戚から孤立していき

並行して同級生との交流も絶えた。


そして6年が経過した昨年、涼子ちゃんは母親を連れて実家を出た。

2人は市外の介護付きマンションで生活していたが

先月、涼子ちゃんは無理がたたって左手首を疲労骨折した。

それでも片手で頑張っていて、お風呂でお母さんを取り落とし

腰を骨折させてしまった。

それまで母親の施設入所を断り続けた彼女だったが

この一件であきらめがついたと言う。


入所手続きのため、音信が途絶えていた兄夫婦に連絡を取った。

その電話でアツシの死を初めて知り

お母さんが施設に入るやいなや、飛んで来たという経緯である。



久しぶりに見る涼子ちゃんは、7年の介護でくたびれてはいたが

相変わらず美しかった。

女とか年齢とか、細かいことを超越したカッコいい美だ。


長い髪を垂らしたその姿は、歌手の高橋真梨子にそっくり。

55才でロングヘアを垂らして違和感が無いのは

よほどの水準でなければ不可能である。

私なんて、アツシの葬式に着物を着るつもりで伸ばしていたが

垂らすとさらし首みたいになるので、絶対できなかった。


その涼子ちゃん、お悔やみもそこそこに

義母ヨシコと、毎日実家に来る娘のカンジワ・ルイーゼを前に

壮絶な介護秘話を語る。

「ちょっと代わろうか?なんて言葉、ゼロ!

何かあると、任せていたのにと言われる。

私を介護の機械としか思っていないのよ!」

どこの家もそうだけど、介護そのものより

身内の態度が彼女を傷つけていたようだ。


「去年、家を出てからお兄ちゃんは一回も会いに来なかったのよ!

たまには親の顔ぐらい見に来たら?って、ずっと腹が立ってたわよ。

でもね、おばちゃん、私はある日思ったの。

気まぐれで来られて、来た来たと言われても腹が立つわって。

座ってるだけなら、来ない方がずっといいって考えたら

楽になったのよ。

だって何もしない人の顔なんか、見たくもないじゃない?」

涼子ちゃんの勢いは止まらない。


「お供えだけど、お菓子食べる?おいしいのがあるのよ」

話題を変えようと腰を上げるヨシコを制して、涼子ちゃんは言った。

「いいえ!聞いて!おばちゃん!

今日は話させて!

お母さんの介護が終わって、初めて人に話すの。

ここで止めたら、私はおかしくなってしまうわ!」

シブシブ座るヨシコ。


「来たら来たで、お茶を出すのも湯のみを洗うのも私じゃない。

何もしない人の飲んだ湯のみを洗うって、すごくみじめだと思うの」

「オホホ…湯のみぐらいでそんなに…」

ヨシコの言葉をさえぎり、涼子ちゃんは続ける。


「だって、おばちゃんもおじちゃんの介護で経験あるでしょ?

介護って、どうしても家にこもるじゃない。

家の中の些細なことに敏感になるのよ。

介護の大変さには耐えられても、湯のみ一つで簡単に折れるのよ!」

湯のみにこだわる涼子ちゃん。

「わかるわ~」

しみじみうなづく私。


「毎日が崖っぷちだと神経が研ぎ澄まされて

何気ないちっちゃい物で人の心がわかっちゃうの。

バカにされてるとか、いいように利用されてるとかね。

介護そのものより、これを思い知るのが地獄」

「うん、うん」

激しく同意する私。


「だからといって、じゃあ湯のみを洗って帰りゃいいのかって

そういう問題でもないのよ。

それくらいで、やった気になってもらっちゃ困るわよ」

「いやはや、まったく、まったく」

拍手する私。


ここでルイーゼ、急に用があると言い出し、そそくさと帰る。

いつもより1時間早い退出であった。

針のムシロにとり残されたヨシコは、明らかに緊張していた。

相槌を打つ私が、自分の家のことをしゃべりはしないかと

気が気でないのが手に取るようにわかる。


2時間後…

「ああ!話したらスッとした!聞いてくれてありがとう!」

涼子ちゃんは明るい顔で椅子から立ち上がった。

来客が帰る時は門まで見送りに出るのがヨシコの習慣だが

その日は疲れたのか不機嫌なのか、部屋でさよならを言った。

以来、ルイーゼの使った湯のみやコーヒーカップ、皿なんかを

ヨシコが率先して洗うようになったのは、涼子効果であろうか。
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タマネギに負けた

2015年08月22日 10時32分48秒 | みりこんぐらし
「一緒にコロッケを作らない?」

一回り年上の友人、ヤエさんから電話があった。

二つ返事で行くと、すでに大量のコロッケはできあがっていた。

副菜のサラダや汁物も用意されており、持ち帰って並べればいいようにしてある。

気配りの人、ヤエさんがこうする時は

夕飯の支度を気にしないでゆっくり聞いて欲しいことがあるのだ。



「先月、おばあちゃんが老人施設に入ったのよ」

ヤエさんはそう切り出した。

この10年、認知症の姑さんを介護してきた彼女だが

おばあちゃんの体調が悪くなり、入院させたのが昨年。

以来ずっと持病の治療をしていたが

この夏になって、おばあちゃんの心臓がかなり弱っていると判明。


家族は二者択一を迫られた。

「90才という年齢を考慮して、自然に任せるか」

「リスクを承知で手術して、ペースメーカーを入れるか」

医師の勧めもあり、ヤエさん夫婦は前者を選択した。


後でこれを聞いたご主人の妹と弟が、大反対。

普段、母親の所へ寄りつきもしない2人は

病院に駆け込んで泣きわめき、手術をする方へひっくり返した。

母親の年金が生活費になっている彼らにとって

おばあちゃんに死なれるのは死活問題なのであった。


手術は行われ、おばあちゃんは寝たきりとなった。

だが心臓だけは、機械で元気に動いている。

病院で様子を見た後、自宅での介護は無理と判断され

退院後は帰宅せず、そのまま老人施設へ入居することになった。

深刻な状況なので、大勢の入居待ちをゴボウ抜きにしての

異例的措置であった。

自宅介護をまぬがれたヤエさん夫婦も

年金をあてにしているご主人の妹弟も、それぞれに安堵した。


ここまでは良かったのだが、要介護5のおばあちゃんは

施設の入居費用が割高で、毎月17万円かかる。

ヤエさんは意を決して、年金の通帳を握る義妹に言い渡した。

「あなた達が手術をさせたんだから

入居費用はおばあちゃんの年金でお願いしますね」

「生きてもらいたいんです!私達の大切な母ですから!」

そう泣いて、医師に手術を頼んだ義妹は反論できなかった。


一回目の費用が引き落とされると、義妹はぼやいた。

「手術なんてさせなきゃ良かった…いつまで生きるかしら」

これが私に話したかった、おばあちゃん物語のてん末である。

私は「ブラボー!」と拍手し、ヤエさんも満足そうに笑った。



ヤエさんが長いトンネルをようやく抜けたことを喜びながらも

私の心は晴れ晴れとしなかった。

その原因は、いきさつの一つとして

ヤエさんがザッと流した小さな出来事にある。


手術は隣の市にある病院で行われたので、おばあちゃんを救急車で転院させた。

ヤエさんは救急車に乗って付き添い

ご主人は帰りの足のために自分の車で付いて行った。

ここまでは普通。


だがご主人、救急車にはぐれまいとしたのか

救急車の後続という役目に興奮したのか、その心理は定かではないが

車間距離をほとんど取らずに追いかけて来るのだそう。

途中、何度も追突しそうになり、救急車の人はそのたびに車を停めて

「危ないから、もっと車間距離をあけてください」

と注意したが、再び走り出すと、やはりギリギリでついて来る。

病院に到着するまで、このやりとりを10回以上繰り返したそうだ。


これを聞いた私はゾッとして鳥肌が立ち、次に腹が立った。

「嫌だ!こんな旦那!」

自分の夫を棚に上げてそう思った。


ヤエさんのご主人は、真面目で働き者だ。

その時も、きっと真面目に付いて来たんだと思う。

でも救急車の窓から、こんな旦那を見るくらいなら

浮気される方がよっぽどマシとすら思ってしまう。


母親の手術に際し、彼がするべきことは

少なくとも危険を冒しながら救急車を追いかけることではない。

多分、このポイントのズレがわからない人なのだ。

一事が万事…ヤエさんの苦労がしのばれる。



真面目と変は、紙一重…

真面目な人の奥さんって、案外苦労してるんだ…

自分の夫が真面目であればどんなにいいだろうと思った時期もあったけど

私には務まらないわ…

そんな思いにかられたまま迎えた、翌日の日曜日

夫は朝、いつものように趣味のバドミントンに出かけた。

昼過ぎに帰り、入浴した後で

やはりいつものように「買い物に行こう」と言う。


夏が好きな夫は、暑さに強い。

私はこの暑い真昼間に出かけたくないが

荷物持ちがその気になっているうちに行った方が得策ではある。


その日はことのほか暑かった。

私は冷やした台所を出て、灼熱の車に乗り込む。

車内が冷たくなったと思ったらスーパーに到着。

灼熱の駐車場を歩いて冷えた店内に入り、散策。


「あっ、タマネギ買わなきゃ」

そう言って野菜売り場に戻ろうとしたところで、急に気分が悪くなった。

激しい温度差にやられたようだ。


「父さん…気分が悪い…熱中症かもしれん…」

「え…?」

夫は驚いて立ち尽くす。


私の顔をまじまじと見ること2秒、夫は真剣な表情で言った。

「タマネギ取って来る!」

そしてくるりとキビスを返し、野菜売り場へ走って行った。

これが今、彼にできうる最大の配慮なのであった。


「ヤエさんのご主人と似たようなもんじゃん!」

怒りの熱い血が全身を駆け巡り、私はたちどころに

熱中症からの復活を遂げた。
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盆踊りナイト

2015年08月12日 12時50分31秒 | みりこんぐらし
先週の土曜日、我々の住む地区で盆踊りがあった。

盆踊りは、この1年で死者を出した家々にとって特別な行事である。

盆踊りの前に新盆供養が行われるからだ。

供養の希望者は故人の位牌と写真、それにお布施を持って

小学校のグラウンドに集まる。


仏さんのニューフェイスが軒並み連なる

我らデンジャラ・ストリートの住民も参加。

昨年のお盆に亡くなったため、今年が初盆になる左隣の家

そして我が家、それから二軒隣の板倉家。

義父アツシの葬式の晩に亡くなった右隣のおじさんの家は

クリスチャンなのでパスした。


私は左隣のおばさんと義母ヨシコを車に乗せ

途中でアツシの妹を拾って会場へ赴いた。

やっとこの日が来て、私はホッとしていた。


ずいぶん前から隣のおばさんは

伊達こきのヨシコが何を着ていくかを気にし続け

ヨシコはヨシコで、スタンドプレーが得意な隣のおばさんが

お布施を多く包むのではないかと牽制し続けた。

お互いに差がつくのを嫌いながら

どこかで差をつけたいという複雑な心理にかられる2人の寡婦に挟まれ

いい加減なことを言ってはお茶を濁す私だった。


しかし隣のおばさんは、遠方に住む娘を帰らせて法要に臨む予定でいたが

娘に断られ、送迎の足が確保できなかった。

おばさんはうちの車に便乗することなり

「金持ちぶってもアシが無いんじゃあね!」

と、ひそかに勝ち誇るヨシコであった。


当日は隣に呼ばれて、法要に持って行くおじさんの遺影を

壁からはずしに行く。

延々と一人暮らしのわびしさをうかがって家に帰ったら

今度は延々とヨシコの衣装選びに付き合う。

こうして迎えた新盆の法要は、厳かな雰囲気にて営まれた…

と言いたいところだが

読経の最中、壇上にずらりと並べられた23基の位牌の中で

なぜかアツシのだけがパタンと倒れる。

多いにざわめく一同。


お坊さんが元に戻すが、しばらくするとまた倒れた。

お坊さんは放置を決め込み、会場から忍び笑いが漏れる。

この忍び笑いには、私のものも含まれる。


一応注目を浴びる設定で、正装していたヨシコは気が気ではない。

「お父さんたら、生きてる時もよく転んだけど

位牌になってまで倒れること無いじゃないの!」

本人は私にささやいたつもりだが、耳が遠くなっているので声が大きく

さらなる笑いを誘った。


どうしてアツシの位牌だけ倒れるのか…

霊の仕業なら面白いのだが

残念ながら、これには物理的理由がある。

グラウンドには涼しい風が吹き渡っていた。

アツシの位牌はサイズが大きいため、空気抵抗が強いのだ。


位牌が大きいのにも、物理的理由がある。

うちのお坊さんは、ダントツにお習字がヘタ。

小学生並みと言っていい。

ビッグサイズの位牌でないと戒名が書ききれないので

そのお寺の門徒は、おしなべて大きめの位牌である。


さらに、ただでさえ大きい位牌にカバーをかけている。

葬式の時に被せてあった、頭に銀色のハスの花がついており

戒名のところがレース張りになっている紙製のものだ。

葬式が終わったらはずすものらしいが

ヨシコはホコリよけとして、そのままかけている。

お坊さんの字があんまりマズすぎて

直視に耐えられないという事情もある。

これらの諸条件により、風を受ける面積が広いアツシの位牌は

生前同様、直立を保てないのであった。



法要が終わると遺族は祭壇に集まり、位牌と遺影を引き取って帰路につく。

倒れた位牌と遺影を回収する私の隣で

板倉君も自分の父親のを風呂敷に包んでいる。


「この位牌のカバーが、倒れた原因じゃないの?」

板倉君は原因究明を遂げて得意そうである。

「早くはずしておかないといけなかったんじゃないの?」

言い訳するのが面倒なので「おしゃれ」と言っておく。


「そうじゃなくて、これはお葬式が終わったらはずすものなんだよ?

お位牌というものはね…」

別のお寺の総代の息子として、板倉君は雄弁に語るのだった。

この勢いで、ゴミ出しの方も頑張ってもらいたいものだ。


帰宅してから問題発生。

隣のおばさんは、おじさんの写真は持って帰ったのに

位牌を忘れたのだった。

駐車場まで歩くのが嫌だから車を取って来るようにとヨシコから言われ

先にその場を離れたため、アフターサービスが行き届かなかった。

老婆のお出かけには、失敗や忘れ物が付いて回る。

ひとたび関わったなら、最後まで面倒を見てやるべきだった。


「お父さんを忘れて帰るなんて…」

隣のおばさんの嘆くまいことか。

ハハ、その程度の夫婦だったのだ…などと意地悪く思いつつ

小学校へ取りに行こうとしたら、世話役の人が届けてくれた。

楽しい一日だった。
コメント (28)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月6日

2015年08月06日 07時38分12秒 | みりこん昭和話
8月6日…

♩この~日 何の日 気になる日 原爆記念の日ですから ♩


今年は戦後70年。

ということは、広島と長崎に人類初の核兵器が使用されて

70年でもある。

次の節目には生きているやらどうやらわからないので

今日、記しておこうと思う。



私の母チーコは広島生まれ。

原子爆弾が落とされた時は、13才だった。


戦時下の学生達は、学校で勉強する代わりに

勤労奉仕と呼ばれる作業に駆り出されていた。

夏休みなんてありゃしない。

出兵した成人男子に代わって工場で働いたり、道路工事をしていたのだ。

子供まで働かせる理不尽や、罪の無い者が死に追いやられる不条理を

「お国のため」と呼んでいた、それが戦争である。


8月6日の朝も、チーコは同級生と一緒に屋外で作業をしていた。

空襲に備えて家々を取り壊し、火が燃え移らないように道路を拡張するお手伝いだ。


13才の女学生にできる作業といえば、倒した家の瓦を運ぶぐらい。

チーコは早朝から現場に赴き、黙々と瓦を運んでいたが

8時を回って陽射しが強くなると、どうにも暑くてたまらなくなり

隊列を離れて軍手をはずした。


その瞬間、空がピカッと光ったと思ったら

大きな音がして地面が揺れた。

そして夜のように真っ暗になった。


辺りは妙に静かだった。

さっきまで共に瓦運びをしていた多くの者は、一瞬にして

命と共に身体まで消えてしまったからだ。

チーコの居た場所は、爆心地の近くだったのである。

生きているわずかな者が、自分の身に何が起きたかを知るまでの

短い、不気味な静寂が流れた。


爆風で飛ばされたチーコは、すぐに立ち上がって駆け出した。

学校で決められた避難場所へ集合するためだ。

何か異変が起きた時はここへ集まるようにと

日頃から言われていた、町はずれの小高い丘にある公園である。


最初は二人の友達と一緒に避難場所を目指していた。

「あんた、血だらけよ」

「あんたこそ、真っ黒よ」

「あはは」

「あはは」

非常時の興奮のためか、最初は笑いながら走っていたが

いつの間にか一人になっていた。

後で知ったが、チーコの同級生は全員死亡していた。



同じ朝、チーコの父サキオは、母アキヨと自宅に居た。

軍の物資輸送船で、ニューギニアなどの南方戦線へ

食料や燃料を運ぶ仕事をしていたサキオだが

戦争が激しくなると、乗る船が無くなった。

魚雷や戦闘機でことごとく爆破されたからだ。

そのためしばらく前から陸に上がり、内勤になっていた。


自宅に被害は無かったが、何やら大変なことが起きたのは

一人娘が作業に出かけた方角である。

サキオは自転車で家を飛び出した。

しかし爆心地に近づくにつれ、自転車では進めなくなった。

道路は真っ黒に焼け焦げた死体や

倒れた人々で埋まっていたからだ。


自転車を乗り捨てて徒歩になると、倒れた人々が次々とサキオの足をつかむ。

「助けて…助けて…」

サキオは、その手を振りほどきながら進んだ。


そのまま3日間、家に帰らず

娘を探して広島中を歩き回ったサキオは

4日目の朝、ある橋の上を通った。

足元を見ると、折り重なった遺体の隙間から

見覚えのある小さな布きれが目に入った。

自分が着ていた浴衣の生地だ。

妻がこれをほどいて、娘に夏用のモンペを作ったことを

サキオは知っていた。


何体もの遺体をはねのけ、モンペの主を引っ張り出したサキオ。

モンペの主は重傷を負っていたが、まだかすかに息があった。


だが、ここで問題発生。

顔が倍ぐらいに腫れ上がっているため

それが我が子かどうか、全くわからないのだ。


「チーコか?!チーコちゃんなのか?!」

何度も呼びかけたら

「うぅ」とかすかに声を出した。

娘の声だった。


「お父ちゃんだよ!助けに来たよ!」

チーコは目を開けようとするが、腫れたまぶたは

ウミでふさがっている。

サキオがウミを口で吸ってやると、チーコはうっすらと目を開け

「お父ちゃん…」と小さな声で言った。



瀕死のチーコは、両親の手厚い看護で少しずつ回復していった。

顔や身体の火傷は、奇跡的に傷跡が残らなかったが

被爆直前に軍手をはずしたため、原爆の熱で焼けた両手の指は

くの字に曲がってしまった。

チーコは、あの時軍手をはずしたことを悔やんだ。

しかし、軍手をはずそうと瓦運びの列を離れたために

生き延びたのも事実であった。


やがて一家は、チーコの療養のために広島を引き払い

サキオの姉を頼って農村に引っ越した。

ほどなくサキオは、軍隊で取得した運転免許が幸いして

近くの町の企業に迎えられたため

一家は農村を出て、勤務先のある町へ再び転居する。

チーコは2年遅れで中学と高校に通い

卒業後は洋裁学校を経て洋裁講師になった。


サラリーマンになって10年余り経った頃

50才を過ぎたサキオは突如、起業を思い立つ。

一家は同業者のいない町を探して

縁もゆかりもない小さな田舎町にやって来た。


チーコはその町で結婚し、女の子を産んだ。

無事に生まれるか、とても心配だった…

元気な赤ちゃんだったのでホッとした…

放射能の影響があるといけないので、母乳を一滴も与えなかった…

その女の子が私である。



以上は、小さい頃から祖父母や母に聞かされていた話だ。

「うちだけが大変だったんじゃない、みんな大変だったんだよ」

大人達はいつもそう結んだ。



チーコは私が小6の時に、38才で死んだ。

原爆が起因の胃癌と白血病による、壮絶な最期であった。

死ぬ何ヶ月か前、チーコに好きな言葉をたずねたことがある。

彼女は即座に答えた。

「平和」と。



以後の私は学業に励むでもなく、平和や反戦に関心を持つでもなく

母無き子として、世をすねて暮らした。

結婚後にいたっては、長引く浮気戦争に参戦し

あげくは老人兵に手を焼く、不甲斐ないおばさんに成り果てる。


そんな私でも、争いの中に長く身を置いてわかったことがある。

争いはいつも、誰かの我欲から始まるということだ。


「自分だけが得をしたい」「自分の思い通りにしたい」

この我欲を発した者と、「そうはさせない」と反発する者の間に

憎しみが生まれる。

憎しみは争いを生む。


憎しみには、相手を傷つけ侮辱する残酷を

正義と思わせてしまう魔力がある。

悪いから、生意気だから、気にいらないから

言うことをきかないから…

理由はいくらでも出てきて、残酷は進み続ける。

これが家なら家庭不和、学校ならいじめ、国同士なら戦争だ。


まず自分から、我欲をちょっとセーブしたり

身の回りの憎しみを一つずつ、七転八倒しながら消していくことだって

小さな平和の芽になるのではなかろうか。

世界の戦火を消す力は無くても、平和の芽を育てることはできる…

私はそう思っている。
コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セコ王(おう)

2015年08月03日 09時11分35秒 | みりこんぐらし
次男がプリプリと怒っているので、理由を聞いてみた。


友達の友達に頼まれたそうだ。

「仲間17人でバーベキューをやりたいので、肉屋さんを紹介して欲しい」

次男はその場で釣り仲間の精肉卸業者に連絡して

バーベキューの日程を伝え、数量は後日ということになった。


そして数日後、友達の友達から数量の連絡があった。

「カルビ800g、ハラミ800g、ホルモン200g」


若者17人分にしては少な過ぎるので

次男はもっと増やした方がいいのではないかと助言した。

しかし友達の友達は「これでいいのだ」と

天才バカボンのパパみたいに言い、さらに大真面目で続けた。

「先に合計の値段を聞いてみてもらえる?

検討して、安かったら決めるから」

わずかな物で、このもったいぶりように驚いた次男は

よく知らない相手を安易に紹介したことを悔やみ

腹を立てていたのだ。


「先に値段なんか、申しわけなくて聞けない」

と言う次男に

「聞かなくていい」

と答える私であった。

その店は私がよく利用する所で、値段はおよそわかっている。

卸業者だから、大量買いすると大幅にまけてくれる上に

ハシタを切り捨ててくれるため、まとめ買いする方がお得なのだ。


「全部で1万円ぐらいと言っておいたらいい。

ちょっと高めに言って、お釣りが来たらバカは喜ぶ」

「バカを喜ばせたくない」

「それ見てほくそ笑むのが、オトナの楽しみじゃ」

「あんた、ホンマに意地が悪いね!」

「あれ?今知った?」

「前から知ってる」

「量を連絡するついでに、うちで食べる肉も頼んで。

あんたの気持ちも幾分やわらごう」

「どんだけ?」

「キロ買いに決まっておろう。

オトナはこうやってザンネンを切り抜けるんじゃ」


バーベキュー当日、無事に橋渡しを終えた次男。

友達の友達を店に案内して肉を買った後

どうして明らかに足りない量しか買わないのか、たずねてみたと言う。

友達の友達は平然と

「集めた会費を浮かして、一部のメンバーと二次会をするから」

と答えた。


「セコ王だ!セコ王決定!」

帰宅して叫ぶ次男に

「セコ王なら病院よ!」

私は病院の厨房に勤めていた時に行われたバーベキューの思い出を

語って聞かせるのだった。


前半はおむすびと焼きソバを出して、皆のお腹をふくらませ

後半から肉を焼き始めるプログラム…

医者、看護師、部長、課長クラスの肉は黒毛和牛…

その他の者の肉は舶来、つまりオーストラリア産…

この話に激しく喜ぶ次男。


そこへ長男が参戦。

「セコ王なら、まだいる!」


長男はひところ、毎週のように

トンジと呼ばれる友達の家にみんなで集まっては

庭でバーベキューをしていた。

友達の中でトンジ一人が家庭持ちであり、庭付き一戸建ての主だからである。


「オレはある日、気づいてしまったのじゃ。

トンジはみんなから集めた金で、肉を二種類買う。

安い肉と、高い肉。

最初にボロっちい肉を出す。

さんざんみんなに食わせて腹がいっぱいになった頃

いい肉を一応、冷蔵庫から出してくる。

みんな、もう食べられない。

いい肉は残って、トンジの物になる」

「ヒー!」

「あんまりだ!」

「残すつもりだから、出さずに冷蔵庫で保管してある」

「キャー!」

「気がつくまでに3ヶ月かかった。

子供が3人いて、家も建てりゃあ大変なんだろうと思って

その後、何回か行ってやめた」

「すごいワザだ…」


気づきながらも通った長男に敬意を表し

セコ王はトンジに決定した。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする