毎週土曜日の夜。
「チャラリ~ラリ‥」
チャルメラの音が近づき
我が家の門前に軽ワゴン車が横付けされる。
ラーメンの移動屋台だ。
毎週、うちの前を通過しているのは
前から知っていた。
しかし、外へ走り出てまで
ラーメンを食べたい情熱はなかった。
しかしこの3月、土曜の夜なのに
珍しく家にいた次男が呼び止め
家族で食べて以来、毎週の行事となった。
20年くらい前にも、屋台のラーメン屋は来ていた。
いなせなおじさんが作る
トンコツ醤油味のこってりしたラーメンは
子供達の大好物だったが
おじさんはじきに身体を壊して辞めてしまった。
今度のラーメンは醤油味で、あっさりしている。
一杯600円也。
店を出して成功しそうなほどではないが
家まで来てくれるのであれば、喜ばしい。
この移動屋台「大統領」の主は
爽やかで礼儀正しい若者だ。
いくら家まで来てくれるといっても
気味の悪いオヤジでは
毎週お目にかかるとなると鬱陶しい。
見た目は大事である。
私はすぐラーメンに飽きたが
夫と子供達は違う。
土曜日の夜は必ず誰かが遊びに出かけており
全員が揃った日は一度も無いため
彼らにとってラーメン屋台の来訪は
いまだに心躍る祭り扱いだ。
この祭りに、先月から隣のおばさんが参加。
83才のおばさんは、一昨年ご主人を亡くして
一人暮らしだ。
車で1時間余りの土地に住む息子さんと娘さんは
おじさんの危篤から、死後数ヶ月までは
それぞれが夫婦で競うように来ていたが
近頃はすっかり足が遠のいた。
おばさんの説明によれば
急な昇進で多忙になった‥などの
もっともな理由がある。
しかし残念ながら、来なくなった時期と
遺産分配の終了時期は一致する。
寂しくなったおばさんは、よくうちへ来るようになった。
上品で優しい人だが、話が長い。
おばさんと庭先で話した後、義母ヨシコは
疲れて寝込むようになった。
人間、年を取ると、話を聞いてうなづくだけでも
くたびれるらしい。
おばさんもヨシコも
ちやほやしてもらいたいタイプで
性格が合わないのも疲労の一因である。
じきにヨシコは、おばさんが来ると
急いで部屋へ逃げ込み
「パス!」
と叫ぶようになった。
よって、私が応対し始めたが
私は彼女と相性が合うらしく
さほど苦痛を感じなかった。
そんなある日、うちにラーメンの屋台が
停まるのを見たおばさんはおっしゃった。
「私もいただいてみたいわ」
そこでおばさんの分も買い、隣に届けた。
その時、自分のラーメンも買って持ち込み
2人で食べた。
おばさんはたいそう喜んで、来週も‥と言う。
こうして毎週土曜の夜は
隣でラーメンを食べる習慣が始まった。
が、ラーメンだけではすまない。
おばさんの長い話もセットで付く。
内容は主に、大家族へ嫁いで苦労した話。
「子供達は嫌がって聞いてくれないから
言えないの」
早い話、私は子供の代用品だ。
おばさんはラーメンが伸びるのも気にせず
涙を流して話し続ける。
悲しくて泣いているのか
目下、彼女が罹患中の目の病気
加齢性黄斑変性が原因なのかは定かでない。
夜鳴きそばならぬ、夜泣きそば。
そのうち私は、昼間も電話で呼ばれるようになった。
暇な時はできるだけ行ってお茶を飲み、話を聞く。
お茶は、コーヒー、紅茶、抹茶の中から
好きな物を選ぶシステム。
どれも本格的でうまい。
それぞれに合うお菓子も豊富だ。
現在、苦難の昭和絵巻はほぼ終了し
おばさんの子供時代の苦労話を経て
親の代の明治絵巻に突入している。
絵巻が進むにつれ
おばさんはだんだん元気になってきた。
ついでに、おばさんから解放されたヨシコも
元気になってきた。
最初、傲慢にもボランティア気分だった私は
何か飲みたくなったら隣へ行くようになった。
今のところは、これで丸く収まっている。
「チャラリ~ラリ‥」
チャルメラの音が近づき
我が家の門前に軽ワゴン車が横付けされる。
ラーメンの移動屋台だ。
毎週、うちの前を通過しているのは
前から知っていた。
しかし、外へ走り出てまで
ラーメンを食べたい情熱はなかった。
しかしこの3月、土曜の夜なのに
珍しく家にいた次男が呼び止め
家族で食べて以来、毎週の行事となった。
20年くらい前にも、屋台のラーメン屋は来ていた。
いなせなおじさんが作る
トンコツ醤油味のこってりしたラーメンは
子供達の大好物だったが
おじさんはじきに身体を壊して辞めてしまった。
今度のラーメンは醤油味で、あっさりしている。
一杯600円也。
店を出して成功しそうなほどではないが
家まで来てくれるのであれば、喜ばしい。
この移動屋台「大統領」の主は
爽やかで礼儀正しい若者だ。
いくら家まで来てくれるといっても
気味の悪いオヤジでは
毎週お目にかかるとなると鬱陶しい。
見た目は大事である。
私はすぐラーメンに飽きたが
夫と子供達は違う。
土曜日の夜は必ず誰かが遊びに出かけており
全員が揃った日は一度も無いため
彼らにとってラーメン屋台の来訪は
いまだに心躍る祭り扱いだ。
この祭りに、先月から隣のおばさんが参加。
83才のおばさんは、一昨年ご主人を亡くして
一人暮らしだ。
車で1時間余りの土地に住む息子さんと娘さんは
おじさんの危篤から、死後数ヶ月までは
それぞれが夫婦で競うように来ていたが
近頃はすっかり足が遠のいた。
おばさんの説明によれば
急な昇進で多忙になった‥などの
もっともな理由がある。
しかし残念ながら、来なくなった時期と
遺産分配の終了時期は一致する。
寂しくなったおばさんは、よくうちへ来るようになった。
上品で優しい人だが、話が長い。
おばさんと庭先で話した後、義母ヨシコは
疲れて寝込むようになった。
人間、年を取ると、話を聞いてうなづくだけでも
くたびれるらしい。
おばさんもヨシコも
ちやほやしてもらいたいタイプで
性格が合わないのも疲労の一因である。
じきにヨシコは、おばさんが来ると
急いで部屋へ逃げ込み
「パス!」
と叫ぶようになった。
よって、私が応対し始めたが
私は彼女と相性が合うらしく
さほど苦痛を感じなかった。
そんなある日、うちにラーメンの屋台が
停まるのを見たおばさんはおっしゃった。
「私もいただいてみたいわ」
そこでおばさんの分も買い、隣に届けた。
その時、自分のラーメンも買って持ち込み
2人で食べた。
おばさんはたいそう喜んで、来週も‥と言う。
こうして毎週土曜の夜は
隣でラーメンを食べる習慣が始まった。
が、ラーメンだけではすまない。
おばさんの長い話もセットで付く。
内容は主に、大家族へ嫁いで苦労した話。
「子供達は嫌がって聞いてくれないから
言えないの」
早い話、私は子供の代用品だ。
おばさんはラーメンが伸びるのも気にせず
涙を流して話し続ける。
悲しくて泣いているのか
目下、彼女が罹患中の目の病気
加齢性黄斑変性が原因なのかは定かでない。
夜鳴きそばならぬ、夜泣きそば。
そのうち私は、昼間も電話で呼ばれるようになった。
暇な時はできるだけ行ってお茶を飲み、話を聞く。
お茶は、コーヒー、紅茶、抹茶の中から
好きな物を選ぶシステム。
どれも本格的でうまい。
それぞれに合うお菓子も豊富だ。
現在、苦難の昭和絵巻はほぼ終了し
おばさんの子供時代の苦労話を経て
親の代の明治絵巻に突入している。
絵巻が進むにつれ
おばさんはだんだん元気になってきた。
ついでに、おばさんから解放されたヨシコも
元気になってきた。
最初、傲慢にもボランティア気分だった私は
何か飲みたくなったら隣へ行くようになった。
今のところは、これで丸く収まっている。