我が夫ヒロシに人気?があるようなので、特集してみようと思う。
夫ヒロシとの38年に渡る結婚生活を振り返ると
ほとんどの期間を彼、私、そして夫の愛人の
3人4脚で歩んできたように思う。
愛人は時々交代し、今はもう数えるのも億劫な人数である。
おそらく15、6人から20人未満というところか。
数にすると、さも大変そうだが
離婚だの別居だのと泣いたりわめいたり
家族や親戚友人まで登場して、すったもんだを執り行う文字通りの大変は
最初の数人まで。
当時、3人4脚のメンバーはまだ若く、未来が豊富だった。
夫と愛人の将来設計に、私という人間は邪魔であり
私もまた、その身勝手に憤りつつ、幼い2人の子供と歩む未来を模索していた。
が、小さい子を2人連れての自活が無謀であることは
いくら向こう見ずの私でもわかっており
悶々と苦しむうちに月日だけが経つのだった。
そうしているうちに、焦れた愛人側から提案を出されるのが恒例。
「奥さんが子供を連れて出て行かないなら、自分が育ててもいい」
それは本人から直接、または夫から間接的に私へと伝えられた。
夫と愛人にとっては、これが起死回生の隠し球であるらしかったが
身をもってなさぬ仲の理不尽を知る私は、その気軽さに怒り狂い
死んでも思い通りにさせるものかと居座った。
この言葉を聞かなければ、あるいは早い段階で
彼女たちの望みを叶えてやったかもしれない。
しかしやがて、人数をこなすうちにどうでもよくなった。
仕事をしながら年を重ねるうち、浅学無知なオバさんなりにではあるが
経済に少々明るくなった私はハタと気付いたのだ。
「どうしても離婚して一緒になりたかったら
ゼニを積めば済むことじゃないか」
2人でおもむろに風呂敷包みの札束を捧げ
「いかがでしょうか」とたずねられれば
金額によっては考えないでもない。
品質が品質なので、法外な高値をつけるつもりもない。
夫と愛人が、お互いしか無いと言い切れるほど
深く愛し合っているのであれば、2人仲良く有り金をはたき
あとはサラ金、闇金をハシゴして借り歩けばすむことだ。
今後の人生は返済に追われるだろうが、愛し合う2人なら大丈夫。
きっと耐えられる。
それを怠り、彼らがおしなべて精神的攻撃を用いるのは
タダだからだ。
タダで済ませようとするからモメるのだ。
タダでコトを成そうとするのは、ただのダダ。
目の前にいるのは、パンツを脱ぐのが好きなダダっ子2人。
対等に向かい合う相手ではない。
皮肉なことに、それを理解した頃には
夫と結婚したがる女性はいなくなった。
夫と愛人、双方の加齢によって情熱が失せ
将来を語り合う楽しみが無くなったのもあるが
義父の経営する会社が傾き始めたことや
義父母の高齢化も大きく関係していたと思われる。
貧乏&介護というわかりやすい不幸を前にして蜜月を夢見るのは
どんなにバカでもさすがに無理だろう。
そうこうしているうちに、まず介護が着々と近づいてきた。
私が夫の両親の世話をし始めたのは、この数年だけではない。
義父は50代前半から重い糖尿病になり
義母も50代後半から癌や心臓疾患で、それぞれ入退院を繰り返していたので
長男の嫁として、できる限りのことをしたつもりだ。
その過程でわかった。
愛人なんか、チョロい‥
愛人より老人の方がよっぽど大変だと。
愛人は、夫と寝るだけだ。
時たま攻撃してくるのもいるけど
腹が立つとか憎たらしいという感情を別にすれば
こっちは痛くも痒くもない。
しかし老人は違う。
朝から晩まで干渉に次ぐ干渉、ワガママに次ぐワガママ。
嫁が常に働いていないと気に入らない。
休んでいると用事を思いつく。
足が替わらなくなるまで、家事をしたことがあるだろうか。
私はしょっちゅうだ。
季節の模様替え、家具の移動、絨毯の交換、不用品の処分‥
以前なら大掛かりな用事は、銀行員やデパートの外商が複数で駆けつけ
手伝っていた。
義父の会社が落ち目になると、当たり前だが誰も寄りつかない。
そうよ‥介護に追いつくように、貧乏も忍び足で近づいていたのよ。
しかし老人は落ちぶれたからといって、習慣を変えることはできない。
そこで老人が思いつく重労働は、家族で唯一の他人‥
つまり私が任命の栄誉を得る。
春夏秋冬、こまめに掛け軸や絨毯、座卓を取り替えさせ
そこに鎮座してご満悦だ。
「会社は火の車なのに、それどころじゃなかろうが!」
と思いながらも、ついやってしまうのは老人の魔力としか言いようがない。
しかも老人は、ちょっと機嫌をそこねると、根に持って倍返しを企む。
さらに愛人はたいてい1人だが、ここの老人は2人だ。
普段は仲が悪いのに、こういう時の結束はすごい。
やっとられん。
老人の恐ろしさを実感するにつれ、愛人の株が上昇。
時々登場して生意気をほざくぐらい、何じゃ。
げに老人ほど厄介な生物はいない。
老人、最強。
老人、愛人を超える。
というわけで、愛人への耐性ができた私は
夫に対してかなり寛大になった。
寛大になると、見えてくるものがたくさんある。
それをお話ししたいと思ったが、長くなったので次回にさせていただく。
《続く》
夫ヒロシとの38年に渡る結婚生活を振り返ると
ほとんどの期間を彼、私、そして夫の愛人の
3人4脚で歩んできたように思う。
愛人は時々交代し、今はもう数えるのも億劫な人数である。
おそらく15、6人から20人未満というところか。
数にすると、さも大変そうだが
離婚だの別居だのと泣いたりわめいたり
家族や親戚友人まで登場して、すったもんだを執り行う文字通りの大変は
最初の数人まで。
当時、3人4脚のメンバーはまだ若く、未来が豊富だった。
夫と愛人の将来設計に、私という人間は邪魔であり
私もまた、その身勝手に憤りつつ、幼い2人の子供と歩む未来を模索していた。
が、小さい子を2人連れての自活が無謀であることは
いくら向こう見ずの私でもわかっており
悶々と苦しむうちに月日だけが経つのだった。
そうしているうちに、焦れた愛人側から提案を出されるのが恒例。
「奥さんが子供を連れて出て行かないなら、自分が育ててもいい」
それは本人から直接、または夫から間接的に私へと伝えられた。
夫と愛人にとっては、これが起死回生の隠し球であるらしかったが
身をもってなさぬ仲の理不尽を知る私は、その気軽さに怒り狂い
死んでも思い通りにさせるものかと居座った。
この言葉を聞かなければ、あるいは早い段階で
彼女たちの望みを叶えてやったかもしれない。
しかしやがて、人数をこなすうちにどうでもよくなった。
仕事をしながら年を重ねるうち、浅学無知なオバさんなりにではあるが
経済に少々明るくなった私はハタと気付いたのだ。
「どうしても離婚して一緒になりたかったら
ゼニを積めば済むことじゃないか」
2人でおもむろに風呂敷包みの札束を捧げ
「いかがでしょうか」とたずねられれば
金額によっては考えないでもない。
品質が品質なので、法外な高値をつけるつもりもない。
夫と愛人が、お互いしか無いと言い切れるほど
深く愛し合っているのであれば、2人仲良く有り金をはたき
あとはサラ金、闇金をハシゴして借り歩けばすむことだ。
今後の人生は返済に追われるだろうが、愛し合う2人なら大丈夫。
きっと耐えられる。
それを怠り、彼らがおしなべて精神的攻撃を用いるのは
タダだからだ。
タダで済ませようとするからモメるのだ。
タダでコトを成そうとするのは、ただのダダ。
目の前にいるのは、パンツを脱ぐのが好きなダダっ子2人。
対等に向かい合う相手ではない。
皮肉なことに、それを理解した頃には
夫と結婚したがる女性はいなくなった。
夫と愛人、双方の加齢によって情熱が失せ
将来を語り合う楽しみが無くなったのもあるが
義父の経営する会社が傾き始めたことや
義父母の高齢化も大きく関係していたと思われる。
貧乏&介護というわかりやすい不幸を前にして蜜月を夢見るのは
どんなにバカでもさすがに無理だろう。
そうこうしているうちに、まず介護が着々と近づいてきた。
私が夫の両親の世話をし始めたのは、この数年だけではない。
義父は50代前半から重い糖尿病になり
義母も50代後半から癌や心臓疾患で、それぞれ入退院を繰り返していたので
長男の嫁として、できる限りのことをしたつもりだ。
その過程でわかった。
愛人なんか、チョロい‥
愛人より老人の方がよっぽど大変だと。
愛人は、夫と寝るだけだ。
時たま攻撃してくるのもいるけど
腹が立つとか憎たらしいという感情を別にすれば
こっちは痛くも痒くもない。
しかし老人は違う。
朝から晩まで干渉に次ぐ干渉、ワガママに次ぐワガママ。
嫁が常に働いていないと気に入らない。
休んでいると用事を思いつく。
足が替わらなくなるまで、家事をしたことがあるだろうか。
私はしょっちゅうだ。
季節の模様替え、家具の移動、絨毯の交換、不用品の処分‥
以前なら大掛かりな用事は、銀行員やデパートの外商が複数で駆けつけ
手伝っていた。
義父の会社が落ち目になると、当たり前だが誰も寄りつかない。
そうよ‥介護に追いつくように、貧乏も忍び足で近づいていたのよ。
しかし老人は落ちぶれたからといって、習慣を変えることはできない。
そこで老人が思いつく重労働は、家族で唯一の他人‥
つまり私が任命の栄誉を得る。
春夏秋冬、こまめに掛け軸や絨毯、座卓を取り替えさせ
そこに鎮座してご満悦だ。
「会社は火の車なのに、それどころじゃなかろうが!」
と思いながらも、ついやってしまうのは老人の魔力としか言いようがない。
しかも老人は、ちょっと機嫌をそこねると、根に持って倍返しを企む。
さらに愛人はたいてい1人だが、ここの老人は2人だ。
普段は仲が悪いのに、こういう時の結束はすごい。
やっとられん。
老人の恐ろしさを実感するにつれ、愛人の株が上昇。
時々登場して生意気をほざくぐらい、何じゃ。
げに老人ほど厄介な生物はいない。
老人、最強。
老人、愛人を超える。
というわけで、愛人への耐性ができた私は
夫に対してかなり寛大になった。
寛大になると、見えてくるものがたくさんある。
それをお話ししたいと思ったが、長くなったので次回にさせていただく。
《続く》