殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

始まりは4年前・12

2024年08月10日 09時47分47秒 | みりこん流

『変化』

正月が来て、今年になった。

マーヤが帰ったと同時に電話が。

「置き去りにされた」、「見捨てられた」

嘆きの女王は今年も健在、一心に嘆くのだった。

 

去年まではマーヤたちが帰った後、少なくとも1日か2日は

静かになった家で疲れを癒す余裕があったが

今年は呼び出しが早かった。

寂しさがつのって心を病んだ末に、やっと会えた最愛の娘だ。

例年よりも別れの辛さがこたえるのだろう。

 

以後は再び、毎日の電話と1日か2日おきの訪問が再開されたが

マーヤが帰省した後の母は、マーヤ前のそれと違うように感じた。

待ち人来たりて、精神的な刺激が強過ぎたため

故障がひどくなったのかもしれない。

ボ〜ッとすることが多くなり、物忘れもひどくなった。

かと思えば愚痴や悪口はますます研ぎ澄まされ

的確な描写が冴え渡っていて、時に私は腹を抱えて笑う。

言うなれば、落差が大きくなったのだ。

 

妹のマーヤと連絡をとり始めたのは、この頃である。

何かあっても早めに対応できるよう、備える必要を感じた。

彼女が関西へ帰った直後から始まった、母の口癖も気になっている。

「マーヤの所へ行きたいのに、引き取るとは言うてくれん」

嘆きの女王のセリフが、変わってきたのだ。

 

以前はしきりに「娘に迷惑は絶対にかけられん」と言っていた。

私には迷惑をかけていいらしいのはさておき

それが今度は「行きたい」になった。

行きたいと言って嘆き、それから怒り出し、やがて泣く…

この繰り返しなので、引き取るつもりがあるのかどうか

はっきり確認したいのもあった。

 

答えはわかっている。

無理だ。

教師のマーヤは中学3年の担任である。

加えて働き盛りの夫に、思春期の子供3人。

ここにあの母を投入して、家庭崩壊しないわけがない。

私が確認しておきたいのは、母を任せてくれるかどうかだ。

 

引き取る意思があるのなら、私はそれまでの気楽な繋ぎでいい。

しかし無いのであれば、全てを私に任せるという

実子の承諾を得ておきたい。

それは、親切や信頼といったボヤけた世界の話ではない。

入所や入院に向けた手続きや支払いの現実に

他人の私は踏み込めないからだ。

 

しかし、マーヤの返事は想像の上を行っていた。

年末年始の滞在中は毎晩、「苦しい、死にそうな」

と言って起こされ、大変だったらしい。

仕事でパニック障害の生徒を何例か見ているマーヤには

その様子が芝居がかって見えたそうだ。  

 

年が明け、マーヤたちは実家を後にしたが

隣の市内まで走ったら、母から

「苦しい、死にそうな、戻って来て」と電話があった。

急いで実家に引き返すと、母は平然とテレビを見ていて

机の上には“御供”と書かれた熨斗袋(のしぶくろ)。

正月明けに法事をする予定の母の親戚に、これを持って行けと言う。

マーヤは持って行き、改めて関西へ帰った。

 

「子供たちが怖がってしまって…」

そりゃ怖がるわ。

マーヤは、できることなら私に任せたいと言い

私は本気で母に対峙する決意を新たにした。

 

ともあれその話を聞いて、母の真意がわかった。

母はマーヤの帰省が近づいた12月後半から

一緒に暮らしたい気持ちが強くなったらしい。

以前はマーヤを地元に帰らせることばかり考えていたが

現実的にそれは不可能であり、いつまで待っても叶いそうにない。

そこで自分が行こうと思うようになったのだ。

 

だから大晦日、マーヤたちと一緒にうちへ来るという

大異例を決行した。

私に会わせて礼を言わせ、マーヤに

「自分は何もしてない」という自覚を持たせようとしたらしい。

そこから正月中、引き取って欲しい願望を遠回しにたたみかける。

けれども娘に嫌われたくないので遠慮があり

遠回しになり過ぎて不発に終わった。

 

マーヤが関西に帰ってしまうと、次のチャンスはお盆。

それではあまりにも遠過ぎるので、再チャレンジだ。

仮病の電話だけでは弱いので、熨斗袋もプラス。

いかにも母が練りそうな作戦じゃんか。

 

が、そこは認知症一歩手前。

記憶力に問題がある分、昔より精度は落ちている。

マーヤが再び戻ってくれたことに満足し

熨斗袋を持って行かせた間に、肝心な話をを忘れてしまったのだ。

私に少しは洞察力があるとしたら、それは母の屈折した作戦に

さんざん引っかかってきた成果である。

 

じきに2回目の心療内科へ行く日がやって来た。

薬の方は、調子が良いようなので

今飲んでいる弱目の薬をもう1ヶ月、続けることになった。

 

この時、12月の初診で行った血液検査の結果が出ていて

女医先生が言うには栄養失調の状態だそう。

「食事はちゃんと摂れてますか?

特にタンパク質が足りてない数値が出てるんですけど」

とたずねられた。

 

「この人、毎朝、焼肉食べてるんですよ」

と言ったら

「えっ!朝から焼肉?」

と驚かれた。

「じゃあ、年相応に栄養の摂取がしにくくなってるんですね〜」

だそう。

 

そうなのだ…母は食欲だけはある。

何年か前にテレビで見たらしく

朝食で肉を食べたら身体にいいと信じて、ずっと朝焼肉を続けている。

昼はコンビニのサンドイッチとコーヒー、夜は野菜と魚…

こだわりの強い母は、この方針を崩さない。

 

それでも栄養失調と言われたのだ。

認知症の進行には、栄養状態も深い関わりがあると聞く。

精神の方はもう仕方がないけど

認知症まで進んだら本人も周りも大変になるではないか。

 

帰省して以降、マーヤの家と携帯には

良く言えば恨み言、悪く言えば暴言の電話が続いるそうで

家族も怯えているという。

自分の願いを聞き届けてくれなかった者への報復である。

これを実子にまで執行するようになったとはな。

老化とは、そして病気とは、すごいものだ。

シロウトに、あの電話はきついぞ。

ヅカヅカ踏み込んでアハハと笑える私のメンタルでないと

毒にやられてしまう。

 

そういうわけで、食事を作るのが億劫になってきた母に

もっと頻繁に差し入れを持って行くことにした。

焼け石に水とわかっているけど、私にできるのは料理しかない。

女は食べ物が届くと、一瞬でも頬がゆるむものよ。

少しでも目先の転換になれば、という思いである。

《続く》

コメント (2)
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