殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

忘年会・2013

2013年12月25日 19時56分08秒 | みりこんぐらし
            「この冬のお気に入り・カエル色のコート」

           こんなのが歩いていたら、それは多分私です。

           発見してもエサを与えないでください。




先日、会社の忘年会があった。

メンバーは本社の河野常務と経理部長のダイちゃん、我々一家

それに、おぼえておいでだろうか…

営業課長の松木氏の合計7人である。


松木氏は、営業成績ゼロの罪により

確か、別の子会社へ島流しになったはずだ。

それなのに、なぜ?

こっちが聞きたい。


工場長の肩書きをもらって

意気揚々と新天地に赴いた松木氏だったが

待っていたのは、スコップやネコ車だった。

肩書きに釣られて、肩叩きの憂き目に会っているのだ。

片道2時間の通勤も、57才の身にはこたえている様子。

そこで彼は初めて、我が社の長所…ユルさと通勤の近さに気づき

真剣に残留の道を模索し始めた。


何かと理由をつけては、古巣のこっちにばかり来るので

当然だが再三の注意を受ける。

が、ここで松木氏、意外にもホネのあるところを見せるのだった。

「こっちのほうがパソコンの立ち上がりが速いから便利…」

「携帯の充電器を置いてあるから週に何回かは寄らないと…」

パソコンはすぐにバージョンアップが行われ

充電器は回収されて、転属先に送られた。


それでもあきらめない松木氏。

やがて、我々の横領疑惑をでっち上げた。

「在庫が合わない。

 横流しの可能性があるので

 自分が詰めて目を光らせておく必要がある」

そう言い出し、在庫表を作ったり

私のつける帳簿をチェックし始めた。


そうさ、在庫は合わない。

品物を運んでくる船は、いつも余分に荷下ろしをする。

この業界の常識だ。

合わないは合わないでも、余るほうの合わないである。

松木氏の計略は、彼の無知を露呈したに過ぎなかった。


これで彼は、窮地に立つはずであった。

しかし、良くも悪くもずば抜けた者は

変に運が強いところがある。

今月、松木氏を本社に紹介した年配の営業マンが

責任を感じて退職してしまったのだ。

この一件により、松木氏の処遇は当面うやむやとなった。


別れの挨拶に訪れた営業マンは、我々にこう言ったものだ。

「あいつを入社させたのは、一生の不覚」。

彼は30年前、別の会社で松木氏の先輩だった。

リストラされ、日雇いの仕事をしていると聞いて気の毒に思い

声をかけたのだった。


“一生の不覚”と一緒に忘年会なんかしたくないが

誘われた時、松木氏もたまたま居て

みんな一緒においでということになった。

忘年どころか、忘れられない年になりそう。



招かれた店は、本社の飲食部門の中のひとつである。

我ら貧しい一家に高級料理を振る舞ってやりたいという

常務の温情を思えば、メンバーの選り好みなんぞ

できようはずがない。


忘年会の前日、松木氏が夫にたずねた。

「どうやって行くの?」

車で行くなら乗せてくれという魂胆が、見え見えだ。

夫は即座に答えた。

「4人で行く」

これは名言であった。

何も返せないからである。

夫の健闘を一家をあげて讃える。


当日、一応お呼ばれだもんで、私は髪のカールなんぞ試みる。

「何やったって、ババアはババアじゃ!」

「音楽室に、こんなのがいた気がする」

「そうだ!バッハだ!」

「いや、ハイドンだ!」

子供達の罵倒をものともせず、カーラーを巻くのじゃ。



都会に到着した田舎者一家は、店の前で松木氏とバッタリ。

電車で来たと言う。

知らない街で知った顔に会うと

田舎者の悲しき習性で、なんだかホッとするから困ったものだ。


7人のこじんまりした忘年会は『和やかに』始まった。

河野常務が、松木氏に『優しく』話しかける。

「お!スーツじゃなくてセーターじゃないか!

今日『も』仕事しなかったのか!」

「しましたよ、あれやって、これやって…」

「そうか、そうか!

それにしても柄物のセーターは懐かしいな!

遊び人と思われたら嫌だから、俺は着なかったけどな!」

「昔は多かったですね」

両者満面の笑顔で、トキドキこんな会話が交わされるたびに

ドキドキする我々であった。


このところ、本社が力を入れているという店は

インテリアや照明を始め、薬味入れひとつにもこだわりが感じられる。

生き生きと働く若い店員達の

見た目や気配りも行き届いている。

忘年会シーズンとあって、お客はどんどん入る。

本当に素晴らしい店だ…料理以外は。

ヘルシー志向の薬膳めいた料理の数々は、我々には高尚すぎたようだ。


和やかな雰囲気のまま、忘年会はおひらきとなった。

車で一緒に帰りたそうな松木氏を見捨て、さっさと帰る。


家に着いた。

玄関真っ暗・施錠の刑は、いつものこと。

義母ヨシコを置いて出かけると、こうなる。

泥棒や変質者が恐いというれっきとした理由があるが

大丈夫、あなたなら、泥棒も変質者も避けて通りましょうぞ。


チャイム鳴らせど犬吠えど

なかなか出てこないのもお決まりなので、気長に待つ。

待ち時間は、行き先が楽しそうな所ほど長い。

この刑に備え、途中でトイレもすませた。

トイレはすませても、鍵を持って出ないのは

我々なりの小さな意地であった。


やがて大げさに足を引きずりながら、ヨシコ登場。

「足が立たなくてねえ」

電話や来客には誰よりも早くダッシュできるが

こういう時は動かないらしい。

便利な足である。


翌朝、宴会明けとは思えない爽やかな目覚めを体験する一同。

当たり前だ。

遠慮して、モヤシしか食べてないような気がする。

さすが、ヘルシー志向の薬膳料理であった。
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天の優しさ

2013年12月04日 16時07分26秒 | 前向き論
頑張っていたら、いつか幸せになれる…

我慢していたら、きっと良いことがある…

おそらく多くの人がそうであるように、私も以前はそう思っていた。


浮気者の夫、きつい義理親、毎日実家に帰ってくる小姑…

この三重苦に耐えてるんだから、かなりのゴホウビが届くはず…ウッシッシ。

私は待った。

首を長くして待った。

もしかしたら私の住所氏名が、配達リストから漏れてるんじゃないかと

ジリジリしながら待った。


30年余りの歳月を経て、私の手元に届いたのは

爺と婆だった。

ガーン!



しかしその頃には、私もいっぱしのトシマ…

これまでに体験した事例の蓄積により

自分に届く荷物の配送システムみたいなものを知りつつあった。


よそへ回したいだの返品だのと文句を言ったら

もっと変なモンが届くのは、過去に何度も経験している。

「いらんわっ!」と投げ出したかったモンが

歳月やふとした出来事によって

別のモンに変わる可能性が高いのも知っている。

だから、黙って受け取ることにした。



自分への配送システムを知る…

それはすなわち、天の優しさを知ることなのであった。

天とは、人知の及ばぬ大いなる存在のことである。

長く生きてみて、やっとわかったのだが

天の優しさは、我々人間の考える一般的な優しさとは違っていたようだ。


つらいことがあったとする。

ションボリしたり泣いていると、たいていの場合

なぐさめたり励ましてくれる人がいるものだ。

言葉を尽くしてなぐさめられ、励まされるのは心地よい。

一緒に悪口なんか言ってくれると、もっと心地よい。

誰かに気にかけてもらい、同情され、良くしてもらうのは

気持ちがいいもんだ。


ここで発動するのが、天の優しさである。

優しい天は“なぐさめや励ましを必要とせずにはいられない状況”

というのを次々に作ってくれる。

なにしろ天は優しいので、与えてくれるたびに

前回よりもさらにバージョンアップされた境遇が届く。

より多く、より深く、より厚いなぐさめを得るためである。


もっとも、同じ悩みを何十年も抱えていると

人のなぐさめなんか、途中から必要ではなくなる。

慣れてしまって、しゃべるのが面倒臭くなるし

誰かに聞いてもらったって、そこんちの晩酌のツマミになるだけで

こっちはいっこうに楽にならないとわかってくるからだ。


しかし、ひとたび発送を開始した

“天の優しさ・定期お届け便”は、簡単には止まらない。

これを繰り返していると、徐々に悲惨な環境が整備されていく。

人間はこの環境を不幸と呼ぶが、天はただ優しかっただけである。

この観点が正しいかどうかは知らないが

皮肉屋の私には合っているようだ。



天の優しさという観点を添えて、我が人生を振り返ると

私は早くから、天の優しさを受け取っていたことになる。

人のなぐさめや励ましという小口の分割払いで。

ああ、もったいないことをしたわい!



おそらく私は、どこかで気づかなければならなかったのだ。

この世に生まれ出た幸運を始め

健康や子宝、こんな私を気にかけてくれる親族や友人…

天からのプレゼントは、すでにたくさん与えられていたことに。


恨みはいつまでも忘れないのに、人様から受けた温情はすぐ忘れ

一点の不幸だけを凝視して、私は嘆くばかりであった。

なぐさめられるより、なぐさめる人になりたいなんて

みじんも思わなかった。

分割払い終了の印に、爺婆の罰ゲームが届いたって文句は言えない。



この罰ゲームだが、今になって

罰なんかではなく、やはり天の優しさだったと感じている。

経営不振の長かった義父アツシの会社を

倒産させずに廃業するのは、そりゃもう大変だった。

しかし老人達の世話のほうが、もっと大変だった。

介護、廃業を越える。


この“大変”が、どちらか一つだったとしたら…

そう思うと、私はゾッとするのである。

会社のことでゴタゴタしても、家に帰れば老人に翻弄されてかき消され

老人の気ままにわき上がる怒りや

ちょっとしたことで喜んでくれた嬉しさは

翌日の窮地を乗り切るエネルギーになった。

大変が二つだからこそ、心身の健康を保てたと思う。

そのココロは…どっちもテキトー。



思えば我が夫も、天の優しさを得た一人といえよう。

彼には昔から、歴代の愛人達にささやく決まり文句があった。

「僕の仕事は、億単位だから」

パシリの日々を隠し、夢を語ってデキる男を装うのだ。


が、今はどうよ。

ここ数年、彼の仕事はまぎれもなく億単位ではないか。

夫の夢は年月を経て、確かに叶ったのだ。


ただし億は億でも、負債という注釈がつくが

おおらかな天は、細かいことなんて気にしないのさ。

天は彼に、優しかっただけである。

へ…へへ…私の苦笑いは、空虚に響くのであった。
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