森のお屋敷に嫁がれて、心のご病気ということになられ
いつまで経っても温かく見守って欲しがるまさか様。
ご要望通り、温かく見守り続けた村民ですが
十年を超えますと「いい加減にしろ!」と言い始め
次の当主様になられる予定のご長男を心配する声も
大きくなりました。
「女房一人に手を焼くようで、当主様が務まるのだろうか?」
村人たちの疑問は、当主様ご夫妻にもおよびました。
「舅、姑として、まさか様にご指導なさる様子もなく
黙認しておられるのはなぜか?」
中でもお姑様であるマチコ様に対する疑問の声は大きいようです。
高貴なお生まれの当主様に解決を求めても
無理なのは誰でもわかっています。
村人たちの期待は、マチコ様に集まりました。
民間出身なので、浮世のことが多少はわかっておられるだろうし
才媛ともうかがっているからです。
お美しいだけでなく、賢くて思いやり深いマチコ様‥
マスコミの喧伝する内容が真実であれば
きっと鮮やかに解決されるに違いありません。
その手腕を見たいのもありましたが
人は、間違った者が権力者に諭されて反省し
心を入れ替えるドラマを見るのも大好きです。
十年、二十年‥村人たちはその時を待つのでした。
けれども心待ちにしていた瞬間は、いっこうに訪れません。
あてが外れた村人たちは
マチコ様を女神と信じて過大評価していたことに気づきました。
そして、まさか様を黙認し続けるマチコ様を
疑惑の目で眺めるようになったのです。
「黙認以外に無いでしょう」
村に住む、自称・嫁姑研究家のみりこんさんは言います。
この人は、ちょっと義理親と暮らしているからといって
すっかり研究家気取りの厚かましいおばさんです。
そう言うと、このおばさんは怒るのです。
「何を言う!
うちの姑は、マチコ様と同年代であるぞよ!
マチコ様と姑を並べるのは恐れ多いが
姑と暮らしてみたら、多少のことは理解できるのじゃ!
控え、控え〜い!」
まったく、かわいげのないおばさんです。
そのみりこんおばさんは言います。
「あの年代の一般女性は、きついとか、怖いと言われるのを忌み嫌います。
たとえば自他共に認める鬼のような女性であっても
“きつい”とだけは絶対に言われたくありません。
“怖い”なんて言われたら、大ショックです。
戦前生まれで戦中育ちの子供は、いわば非常時の申し子。
戦争に行く予定の男の子と違い、銃後に残る予定の女の子は
大人にとって扱いやすい人間になる必要がありますから
おとなしく従順な女性を尊ぶ教育が行われました。
そのため、突出した激しい性格を恥とする意識が強く
個性という言葉が普及してから生まれた人とは、感覚が違うのです。
戦前生まれの戦中育ちというと
いかにも根性があってたくましそうですが
根性があってたくましいのは、戦時中に大人だった親の代です。
戦後に成人した、あの年代の女性は意外と合理主義。
柔軟な合理精神で、交通や情報、電化製品などの
目まぐるしい発展に順応してきました。
合理的にできていますから
頑張っても成果の得られそうにない事柄とは戦いません。
ガミガミ言って、きつい姑という不本意な称号を得ても
恨まれるだけで、嫁は変わらないことを知っています。
自分がそうだったからです。
しかもまさか様のお輿入れに最も熱心だったのは、マチコ様。
まさか様を逃すと、お屋敷に釣り合う高貴なお家柄から
お嫁さんが来てしまう予定だったからです。
嫁姑の体験が無い人には想像もつかないでしょうが
どこの姑も、嫁の方が上というのは、そのまま屈辱です。
顔、頭、性格などもそうですが
特に家柄に関する屈辱は大きいものです。
努力や手術や言い訳ではどうにもならないからです。
民間出身のためにご苦労されたマチコ様にとっては
今までの半生が全否定される気分といっていいでしょう。
そこで、ご長男の恋をそっと後押しするという形で
まさか様を推されましたが
これが大ハズレとくれば、重大な責任問題ですよ。
嫁を叩き直そうと奮闘しても無理
ミスを認めて謝罪したって何の解決にもならないとくれば
無かったこととしてスルーしかありません。
これこそが合理的手段です。
ことに高齢ともなりますと、自分の行いや他人の言動で
心を波立せるのはしんどいものです。
マチコ様も立派な後期高齢者。
お気をもまれたり、お心を痛められると寿命が縮みますから
黙認しかないのです」
みりこんおばさんはそう言って、この写真を取り出しました。
1994年2月21日(平成6年)
お舅さんの還暦祝
翌日の1994年2月22日
「結婚翌年にやらかした、偽装妊娠の一発芸です。
世間には、こういうオイタをするお嫁さんもいるのです。
注意や指導の段階を超越しているのがおわかりでしょう。
こんな嫁が来たら、ホラーですよ。
周囲は愕然とした後、怖くなって何も言えなくなります。
触らぬ神に祟りなし。
くわばら、くわばら」
どっとはらい。
この物語はフィクションであり
実在する団体や人物とは一切関係ありません。