現在、我々夫婦と一緒に働いている営業の松木氏。
営業成績ゼロの更新は、まだ続いている。
毎週月曜日に行われる本社の会議に出るのが、苦痛でならない模様。
だが、今や彼は、我が家にとって無くてはならぬ大切な人である。
近頃モウロク路線まっしぐらの義母ヨシコは
彼の話を聞くと、シャンとするからだ。
できれば毎日、楽しい話題を提供してもらいたい。
そして期待通りに、必ず何かしてくれるのが、松木氏である。
先日、親会社のエライさんである河野常務がやって来た。
風前のトモシビだった我が社を
自分の働く会社と結びつけた立役者だ。
スマホを自在に操る野村監督…といった感じのおじちゃんである。
河野氏は30年前、我が社の取引先の社員だったので
義父アツシや夫とは、顔見知りであった。
今の会社にヘッドハンティングされて頭角を現わした
義理人情に厚い人である。
彼に行き着くまでに、まだいくつかの縁が存在するが
それはまた、機会があればお話しすることにしよう。
「奧さんがどういう考えなのか、うかがいたい」
合併するか否かの最終判断をする時、彼は私にたずねた。
「このお話がどっちに転んでも、かまいません。
今破談になっても、先で切ることになっても
遠慮なくバッサリやってください。
私は皿洗いでも掃除婦でも何でもして、この人と親を食べさせます」
私がそう答えると、眼鏡の奥にある彼の瞳が、一瞬うるんだ。
その後、彼は、リスクが高いと反対する他の役員を抑え、合併を断行した。
すみません、河野さん…最後の一行は、ノリで言いました。
あの時の任侠映画的な雰囲気に、気分は“つぼ振りおミリ”
…つい口から出てしまいました。
話は戻るが、その日は河野氏の希望で
我々夫婦の友人である某議員を紹介する予定だった。
河野氏の部下にあたる松木氏も加わり、5人で食事に行った。
松木氏、上座へ通した議員の隣りへ、いそいそと着席。
礼節を重んじる河野氏は、松木氏に向かい
黙って指先2本をちょい、ちょいと揺らした。
「どけ」という意味である。
松木氏は理解に苦しんで、しばらく固まっていたが
とにかくこの席はダメというのだけは感知したようで
すごすごと下座へ移動。
食事が終わると松木氏、いち早く三和土(たたき)へ降りて
河野氏の靴だけ揃える。
あんた、秀吉か。
「やめぃ!」
河野氏は松木氏に小声で言う。
松木氏は、上司である河野氏にへりくだることが
なぜ怒りを買うのかわからず、呆然としている。
さて、店を出た松木氏、小走りで車に駆け寄ると
河野氏のためにドアを開ける。
「よせぃ!」
河野氏はまた小声で言い、ドアを閉め直す。
必死で笑いをこらえる我々。
議員を見送った後、河野氏は松木氏を振り返って言った。
「おまえ、営業に向いてないわ。
来年から、こっちの地区の使い走りをやれ。
俺が指示するから」
松木氏は、なぜか嬉しそうだった。
常務の指示で動くという栄誉を、噛みしめている様子だ。
前半は聞こえていないらしい。
「では、さっそくご指示をいただきたいんですが
正月のしめ飾りやお鏡は、どうしましょう?」
河野氏は、苦虫を噛みつぶしたような表情で松木氏を見つめた後
「いらん!」
で終わった。
夜、家族が揃うのを待って、おごそかに今日の出来事を発表。
ヨシコの喜ぶまいことか。
「誰が正客か、わかってないのね!
営業の基礎でしょうに」
などと、しっかりした言葉が出てきて、頼もしい。
その後、河野氏の“ちょい、ちょい”を皆でやってみる。
「ダメ!指はチョキじゃなくて、軽く握って!」
「ハイッ!」
ヨシコは一番熱心だ。
「ヨシコさん!
手首をもっと柔軟に振って!」
「ハイッ!」
「ヒジは動かさず、内から外へお願いしますっ!」
「ハイッ!」
「ヨシコさん、たいへんいいですよ!
では皆さん、ご一緒に~
ちょい、ちょい」
「ちょい、ちょい」
この数日は、ちょい、ちょいの練習で盛り上がっている。
会社が休みになったので、松木ニュースが無いからだ。
ワハハ、ワハハと笑いながら、我が家の年は暮れてゆくのであった。
今年もお世話になり、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
良い年をお迎えください。
営業成績ゼロの更新は、まだ続いている。
毎週月曜日に行われる本社の会議に出るのが、苦痛でならない模様。
だが、今や彼は、我が家にとって無くてはならぬ大切な人である。
近頃モウロク路線まっしぐらの義母ヨシコは
彼の話を聞くと、シャンとするからだ。
できれば毎日、楽しい話題を提供してもらいたい。
そして期待通りに、必ず何かしてくれるのが、松木氏である。
先日、親会社のエライさんである河野常務がやって来た。
風前のトモシビだった我が社を
自分の働く会社と結びつけた立役者だ。
スマホを自在に操る野村監督…といった感じのおじちゃんである。
河野氏は30年前、我が社の取引先の社員だったので
義父アツシや夫とは、顔見知りであった。
今の会社にヘッドハンティングされて頭角を現わした
義理人情に厚い人である。
彼に行き着くまでに、まだいくつかの縁が存在するが
それはまた、機会があればお話しすることにしよう。
「奧さんがどういう考えなのか、うかがいたい」
合併するか否かの最終判断をする時、彼は私にたずねた。
「このお話がどっちに転んでも、かまいません。
今破談になっても、先で切ることになっても
遠慮なくバッサリやってください。
私は皿洗いでも掃除婦でも何でもして、この人と親を食べさせます」
私がそう答えると、眼鏡の奥にある彼の瞳が、一瞬うるんだ。
その後、彼は、リスクが高いと反対する他の役員を抑え、合併を断行した。
すみません、河野さん…最後の一行は、ノリで言いました。
あの時の任侠映画的な雰囲気に、気分は“つぼ振りおミリ”
…つい口から出てしまいました。
話は戻るが、その日は河野氏の希望で
我々夫婦の友人である某議員を紹介する予定だった。
河野氏の部下にあたる松木氏も加わり、5人で食事に行った。
松木氏、上座へ通した議員の隣りへ、いそいそと着席。
礼節を重んじる河野氏は、松木氏に向かい
黙って指先2本をちょい、ちょいと揺らした。
「どけ」という意味である。
松木氏は理解に苦しんで、しばらく固まっていたが
とにかくこの席はダメというのだけは感知したようで
すごすごと下座へ移動。
食事が終わると松木氏、いち早く三和土(たたき)へ降りて
河野氏の靴だけ揃える。
あんた、秀吉か。
「やめぃ!」
河野氏は松木氏に小声で言う。
松木氏は、上司である河野氏にへりくだることが
なぜ怒りを買うのかわからず、呆然としている。
さて、店を出た松木氏、小走りで車に駆け寄ると
河野氏のためにドアを開ける。
「よせぃ!」
河野氏はまた小声で言い、ドアを閉め直す。
必死で笑いをこらえる我々。
議員を見送った後、河野氏は松木氏を振り返って言った。
「おまえ、営業に向いてないわ。
来年から、こっちの地区の使い走りをやれ。
俺が指示するから」
松木氏は、なぜか嬉しそうだった。
常務の指示で動くという栄誉を、噛みしめている様子だ。
前半は聞こえていないらしい。
「では、さっそくご指示をいただきたいんですが
正月のしめ飾りやお鏡は、どうしましょう?」
河野氏は、苦虫を噛みつぶしたような表情で松木氏を見つめた後
「いらん!」
で終わった。
夜、家族が揃うのを待って、おごそかに今日の出来事を発表。
ヨシコの喜ぶまいことか。
「誰が正客か、わかってないのね!
営業の基礎でしょうに」
などと、しっかりした言葉が出てきて、頼もしい。
その後、河野氏の“ちょい、ちょい”を皆でやってみる。
「ダメ!指はチョキじゃなくて、軽く握って!」
「ハイッ!」
ヨシコは一番熱心だ。
「ヨシコさん!
手首をもっと柔軟に振って!」
「ハイッ!」
「ヒジは動かさず、内から外へお願いしますっ!」
「ハイッ!」
「ヨシコさん、たいへんいいですよ!
では皆さん、ご一緒に~
ちょい、ちょい」
「ちょい、ちょい」
この数日は、ちょい、ちょいの練習で盛り上がっている。
会社が休みになったので、松木ニュースが無いからだ。
ワハハ、ワハハと笑いながら、我が家の年は暮れてゆくのであった。
今年もお世話になり、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
良い年をお迎えください。