殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

夫婦模様

2020年01月24日 10時59分25秒 | みりこんばばの時事
どこの誰とは言わないけど、政治家の夫婦。


大変そうね。



旦那さんが大臣になった時は、「ええ〜っ?」と思っちゃった。


なぜって、多分おおごとになるからよ。


人選のセンスの無さでは定評のある現政権だけど


ここまで人材不足なのか‥


つくづくそう思ったわ。



旦那さんがヤバいというのは、よく聞いていたの。


その分野では、かなりの有名人。


何年か前に、「このハゲ〜!」で騒ぎになった


女性の政治家がいたでしょ。


あのタイプだってさ。



頭がいいのと性格は別なのね。


暴言、あるいは暴力を暴露されて任命責任を問われ


政権を揺るがすことになるんじゃ‥


と心配していたのよ。


国会が糾弾のために停滞するのは


良くないと思うのよ。



言動の暴露じゃなくて、先に選挙違反で問題になるとは


意外だったわ。


身から出たサビなのは同じだけどね。



私はあの夫婦を直接知らないから


えらそうなことは言えないんだけど


どちらも県議会を踏み台に国政へと進んだ人。


奥さんの方は県会議員から県知事選に出て落選して


また県議に戻ったんだけど


寛大!な私も、その時はさすがに


「ナメとんか?」と、ちょっと思ったわ。


顔がカワイイって、得だわね。



で、また県議を辞めて、今回、参議院に当選。


顔もスタイルも見映えが良くて、学歴も申し分なくて


政治経験が豊富、かつ配偶者も衆議院の政治家となれば


知名度だけで政治家になった芸能人やスポーツ選手と違って


即戦力よ。


先では露出の高い良さげな地位を与えられて


広告塔のような役割をする予定が


立候補前から決まってたんじゃないかしら。



そりゃ何としても当選させないといけないわね。


旦那さんも張り切ったはずよ。


先頭に立って選挙を取り仕切り


存在感をアピールしなければ。



が、ここでネックになるのが彼の今までの行い。


横暴な旦那さんが選対長じゃ、ウグイスが怖がって集まらん。


彼は過去にも選挙運動中に


ウグイスが全員、怒って選挙カーから降りたという


『ある意味武勇伝』が語り継がれているわ。



ドライバーは残ったようで


その後は彼自らマイクを握り、一人で街宣したんですって。


これも『ある意味武勇伝』よね。


声の方はすぐに枯れたらしいけど


カワイイと思っちゃった。



きつい12時間労働よ。


誰だって、恐怖に怯えながら働きたくないじゃないの。


ウグイスに倍のギャラを払って問題になったというより


倍のギャラを提示しなければ、ウグイスが集まらなかったのよ。


私なら、3倍のギャラでも行かないけどね。


あ、お呼びでない?


こりゃまた失礼。
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脳の切り替え・3

2020年01月21日 15時17分59秒 | みりこん流
前回の記事では、物事をイメージでなく


経済と照らし合わせて考えることの必要性を述べた。


物事を経済の観点から眺めると


憎い、恋しいと八代亜紀の歌みたいに


盛り上がっていた感情が冷めて、事実が見えてくるからだ。


まず事実に向き合わなければ、納得も解決も無い。



生まれっぱなしの本能的思考であるイメージ先行は


自分の好みや、たかが知れている経験を重ね合わせた


ヤマ勘や空想に過ぎない。


ヤマ勘や空想に頼っていると、厄介な問題ほど


事実とかけ離れしまい、必ず行き詰まる。


言い方を変えれば、厄介な問題の多くには


経済が関与しているとも言えよう。


そして、事実と向き合うのが嫌なばっかりに


イメージの中に滞在し続ける方を選択する人が多いのも


また事実である。



ともあれ経済のフィルターを通して物事を眺めるのは


経営者の思考だ。


経営者は世間のニーズ、リスク、リターンなど


数字とデータを常に頭の中で並べ


それらを通して世の中を見ている。


憎い、恋しいの主観で頭の中をいっぱいにしていたら


倒産してしまう。


ちなみに我が家の社長と専務は


愛人恋し、嫁憎しで頭の中をいっぱいにしたため


会社を失った。



物事を経営者の頭で考える習慣は


サラリーマンにも主婦にも高齢者にも必要だと思う。


なぜなら人間は皆、『わたくし株式会社』の社長。


自分を経営して生きている。


与えられた仕事をきちんとこなすのも


周りの人と円滑に過ごすのも


わたくし株式会社の経営を順調に回すための企業努力だ。



人はもの心がつくと、大人や教師から教わる。


「相手の立場になって考えましょう」。


もっともな言葉である。


しかし勤め人が、経営者の立場になって


ものを考えることはほとんど無い。


それをやったら、不満が言えなくなるからだ。



経営者の仕事は


社員の希望を叶えて喜ばせることではない。


社員に給料を支払うことである。


降っても照っても、楽でも苦しくても


自分や、自分の命である会社をボロクソに言う社員にも


給料日には1円も欠かさず支払う。


経営者は、そのために存在する。



経営者は、自分が社員に何と言われているかを知っている。


自分や自分の会社だけでなく、家族のことまで


ボロクソに言われているのも知っている。


しかし、それを嘆く経営者はいない。


経営者は悪口を言われ慣れ、怨まれ慣れている。



また、会社に不満を持つ人の大多数は


自分を優秀な人材だと思っている。


「会社が欲しいのは優秀な人材」


このフレーズも、社会の常識として浸透している。



誰よりも働いている優秀な人材のはずなのに


他の人々と十把一からげに扱われていると思うと


腹が立つものだ。


しかし、「この優秀な人材」の条件は


雇う側と雇われる側とで少々違う。



雇われる側の考える優秀な人材とは


人の倍働いて、会社の利益にいささかでも貢献する人。


しかし、雇う側の考える優秀な人材とは


文句を言わず、休まない人。



雇われる側は、これがわからない。


ちょっとばかり文句を言ったって、疲れて休んだって


普段たくさん働いてるんだから、いいでしょ?


と思っている。



経済オンチほど、その傾向は強い。


だから経営者や上司に


「僕は、私は、こんなに頑張っているんです」


とアピールしたい。



しかし経営者や上司は


背中を曲げ、しかめっ面でパソコンをつついて


自分たちが近づいたって振り向きもしない者を


「頑張ってるね」とは思わない。


むしろ不機嫌で反抗的ととらえる。


姿勢を正して軽く会釈をするような余裕すら無いとなると


優秀とは言えないのだ。


双方の意識のギャップを知らないばっかりに


損をしている人もいると思う。



社長がベンツに乗るのは


裕福を見せびらかしたいからではない。


中にはそんな人もいようが、それはさておき


自分の身に何かあった場合


迷惑をかける人の人数が多いからだ。


取引先や支払先に迷惑がかかり、社員は路頭に迷う。


だから衝撃に強い車を選ぶ。



しょっちゅうゴルフや海外旅行に行って


いい気なもんだ‥


社長は社員からそんなイメージを持たれ


嫉妬から批判の対象になりやすい。


けれども毎月、期日に支払いをし


期日に給料を払うプレッシャーを始め


ライバルとの商業的な戦い


安定するほど増える罠や落とし穴


人の口にのぼりやすい私生活


今は大丈夫だとしても、いつどうなるかわからない恐怖


本当は誰も信用できない孤独など


社長の精神的消耗の度合いはサラリーマンの比ではない。


時に浮世から離れ


電話も来客も無い時間を過ごさなければ


やっていられない。


ちなみに我が家は


社長が浮世から離れる時間を持ち過ぎたため


会社を失った一例である。



このようなことを基礎知識として頭に入れてから


仕事や世間を経営者の眼で眺めてみてもらいたい。


仕事のほうはともかく、世間を見ると面白い。


面白い…それでいい、それがいいのだ。


例えば今話題沸騰中の、どっかの国の王子様の件。


自分の社員(妻)の希望を叶えたら


本社(王室)をクビになった、子会社の社長(王子)。


ザンネン!


《完》
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脳の切り替え・2

2020年01月15日 13時10分32秒 | みりこん流
唐突ではあるが、ブログの文体でもお分かりのように


私はどちらかといえば文系脳。


風が吹いたわ、いとをかし‥


葉っぱが落ちたわ、いとあはれ‥


この脳みそで生きてきて、そのまま死んで行くことに


何の疑問も抱いていなかった。



しかし、それだけでは生きられないと気づき始めたのが


夫の浮気問題。


やれ悲しや‥それ憎や‥あな口おしや恨めしや‥ヨヨヨ‥


これら「腹ふくるるわざ」の他に、持ち球は見当たらない。


あとは努力、辛抱、根性というのがあるらしいので


いざとなったらこれをやってみて


とりあえず生きてりゃ


神だか仏だかが何とかしてくれると思っていた。


それが私の全レパートリー。



その間にも、私を取り巻く環境は年々厳しさを増し


起こる事態は複雑で難解になっていった。


自分の理解力を超えたことがどんどん起きる中


イメージやフィーリングが先行した従来の思考で


いちいち一喜一憂していたら、いずれ頭がおかしくなってしまう。


このままではこの先、子供を二人抱えて乗り切れそうもない。


では、どうしたらいいのか‥


一応はそう考えるが、名案が浮かぶはずもなく


悶々と日を送るしかなかった。



浮気と嫁舅で揉めまくった20代が終わり


30代になったばかりの私は


事務の短期アルバイトをすることになった。


事務といったら子供の頃、遊び半分に父を手伝っていた程度で


仕事としてやる自信は全く無かったが


お金が欲しいのと、短時間なのと


子供の夏休みは休めるという条件に惹かれて


引き受けたのだった。



無理ならすぐに辞めるつもりで行ったが


簡単な簿記だったので、意外にもできた。


根気よく教えてもらったのが良かったらしい。



あれれ?‥


そこで私は驚くのだった。


父親の会社で事務を担当し


両親に経理のプロと絶賛される夫の姉は


こういうことをやっていたのか‥


目からウロコ。



義姉は会社の他、実家の一室を事務室に


隣の部屋をコピー機や、雑多な資料を置く部屋にして


時々仕事をしていた。


我々が生活する二階の二部屋を義姉に分捕られ


私は不満に思っていたが


両親の方は仕事中の彼女に気を使いまくり


センター試験を控えた受験生のように扱った。



だから私は、思い込んでいたのだ。


義姉はこの部屋で、凡人には不可能な


とてつもない大仕事をやってのけているに違いない‥


私が彼らからバカにされるのは、当たり前なのだ‥。



でも事務って、電卓と細書きのボールペンがあれば


賢くなくてもできるもんだったのね。


欲を言えば税理士と、当時は普及してなかったパソコンがあれば


大丈夫だったのね。


ああ、びっくりびっくり。



好きだから正しい、嫌いだから悪いといった


イメージ先行型の思考から


数字やデータ重視の物理的思考へと


努めて変換し始めたのは、この時からだ。


数字に親しむことを覚えたのもあるが


他者の都合や気分に影響されて事実を誤認し


はては自分さえも見失ってしまうのは愚かだと


知ったことが大きい。



自分の周りで起きる様々な出来事を


イメージでなく、数字やデータで考えると


現実が見えてくる。


現実を把握することで、問題に向き合える。


きちんと向き合わなければ、理解も解決も無い。


それが私にとっての物理的思考である。



物事を努めて物理的にとらえるうち、私は気がついた。


「これって経営者の考え方じゃん」。


素早く正確な判断をするためには


物事を素早く正確にとらえなければならない。


「もののあはれ‥」などと呟いて、物思いにふける暇は無いので


数字とデータを重視するようになるのだ。



それが習慣になると


それまで他人事だと思っていた経済というものが


浮かび上がってきた。


どうあがいても読み取れなかった人の心が


経済と連動していることに気づき


何となくわかるようになったのだ。


物事を一個人のイメージでなく


まず経済から考えると効率が良い。


これが経営者の考え方なのだ、多分。



慣れると、様々な疑問や悩みの大半には


経済が深く関わっていることがわかるようになる。


例えば旦那の不倫。


主観でとらえたら、「許せない裏切り」だ。


そりゃ憎い、歯がゆい、恨めしい。



が、経済でとらえると、「貧乏人の背伸び」で終了。


シロウト相手は安上がりだ。


一膳メシでもおごれば、コジキは喜んで付いてくる。


が、シロウト同士なので、やがては必ず揉める。


庶民が殿様の真似をしたら、金が足りなくなるからだ。


浮気で揉めるのは、単に経済の問題なのだ。



あくまで我が家の場合と断っておくが


これは決して、運命の出会いや愛ではない。


妻子を泣かせてまで無い金をふりしぼり


一膳メシを食わせる価値のある女かどうかの


値踏みすらできない経済オンチの亭主と


その亭主を奪われそうになって初めて


そいつが稼いでくるわずかな収入が


急に輝いて見えるようになった


経済オンチの女房がいるだけだ。



とまあ、物事を経済で考えると


たいていのことは興ざめしてケリがつく。


そのため、人のやることや言うことに


いちいち舞い上がったり落ち込んだりしなくなり


自分というものが、はっきり見えてくる。



要はバランスだと思う。


主観で解釈するイメージ先行型思考と


数字やデータで解釈する物理的思考のバランスが


初めから取れている人はいい。


そんな人は大人と呼ばれる。



けれども私には、物事を物理的にとらえる能力が


圧倒的に不足していた。


そして私を取り巻く環境は


物理的思考でしか乗り越えられないものだった。


物理的思考のアイコンを新規作成するしか


生きる道は無かったのだ。


以後、生きるのが楽になったような気がしている。


《続く》
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脳の切り替え・1

2020年01月08日 16時17分51秒 | みりこん流
明けましておめでとうございます。


旧年中は大変お世話になりました。


コメントをくださった皆様


応援ポチを押してくださった皆様


本当にありがとうございました。


何のお礼もできないので、せめて皆様のご健康と幸せを


お祈りさせていただいております。


今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。




さて、初老の自分より若い人たちと話して感じるのだが


この数年来、自身の仕事に幸せを見出せない人が


増えているように思う。


給料が少ない、上司が悪い、会社のシステムが気に入らない‥


といった話が多い。


初対面であっても、話題はこれらの愚痴になる。



年寄りのワガママと承知だが、若者や中年からは


年寄り同士では聞けない、希望に満ちた新鮮な話を聞きたい。


ツルツルの眉間にシワを寄せ、みずみずしい唇をとがらせて


会社の批判をブツクサと論じられると


残り少ない人生を損した気分だ。



気持ちはよくわかる。


40代に勤めた病院の厨房がそうだった。


法律が、経営が、と理由をつけては給料をジワジワと減らされ続け


極限まで減らされた人数の中、親の死に目にも会えないシフトで


前人未到のオーバーワークを強いられた。



人を増やすと言われてホッとしていたら


日替わりでヨボヨボのシルバーさん、来襲。


室内で働ける調理補助はシルバー人材センターで人気だが


記憶力に問題があるため、できる仕事が限られる。


いつまで経っても洗い物とレタス切りしか、させられない。


レタスとくればトマトだが、トマトは無理。


数を計算して切り分けなければならないからである。



それでもレタスがある洋食の日はマシだ。


和食の日は、振る仕事が無い。


説明が理解できなかったり、ちょっと失敗すると


老女のプライドは深く傷ついて、立ち直りに時間がかかる。


そっちのフォローが大変で、要するにありがた迷惑。



なぜこんなことになるかというと


病院と、市役所から天下りした事務長の間で


積極的にシルバー人材を使う契約が交わされていたため。


数年後、市役所から数えて二度目の定年退職をした事務長は


今度はシルバー人材センターのえらい人におさまっている。


最初から、この設定だったというわけ。



シワは、上や中心には寄らない。


常に隅っこや端っこに現れるものだ。


だからシワ寄せと言う。


それが世の中の仕組みである。



というわけで、給料が、上司が、システムが‥


などの言い分は、わかるつもり。


ましてや若ければ、誰かに聞いてもらわないと


やっていられない気持ちも理解できる。



が、私が気になるのは、若い人の愚痴で一番多いのが


このセリフであることだ。


「社員旅行に行くお金があったら、給料を上げて欲しい」


槍玉に挙げられるのは、社員旅行だけでない。


制服を新しくするお金があったら‥


社屋を新築するお金があったら‥


というのも時々ある。



それらをさんざん口走ったあげく


最終的に「面白くない」と吐き捨てた後


結びの言葉は、お決まりのこれ。


「どこかにいい仕事が無いですかね?」


聞くたびに、私は心配になるのだ。


「大丈夫か?」と。



社員旅行や制服、新築費用の出処と


人件費の出処が違うこともわからず‥


あるいは頭でわかっていても、心で理解することができず‥


とにかくその金を自分の給料に回せと


人前で豪語できる神経に驚いてしまうのだ。



日頃、ブツクサ言っていると癖になる。


最初は小声でも、興に乗ると声が大きくなり


麻薬のように、いつでもどこでもボヤかなれば


気がすまなくなるものだ。


そうなると不思議なことに、ボヤきたくなる新たな事柄‥


つまり嫌なことや不利なことが次々と押し寄せるようになり


ますますボヤくようになる。



こうしてボヤきが癖になると、人から嫌われる。


聞いたってどうしようもないことを延々と聞かされると


暗い気持ちになるからだ。


ボヤッキーとしては自分だけでなく


相手も同じように重くて暗い気持ちになって欲しくて


ボヤくのだから満足だが


聞かされる同僚や家族はいい迷惑だ。


「そんなに嫌なら辞めればいいのに」


と思われるようになるが


ボヤッキーは自身のボヤきに酔いしれているので気付かない。



これがボヤッキーの待遇に少なからず影響することを


ボヤッキーは知らない。


社内で、あるいは全く関係無い場所で


うっかり吐いたボヤきが


回り回って上司の耳に入る偶然って


サラリーマンが想像するより、ずっと多い。


文句だけは経営者気取りの者を優遇してやるような


お人好しの上司は皆無である。



そもそも経済や人の心の仕組みを知らず


知ろうともしない人間が


面白おかしく働ける仕事なんか、あるわけないだろ。


嫌なことを我慢するから、お金がもらえるのだ。


いい仕事なんて、あるわけないじゃないか。


あったら人に言わずに私が行っとるわい。



とはいえ終身雇用制度が崩壊し、不況が長引いて


将来の見通しが立ちにくい現代である。


子供は「努力しろ」「辛抱が大事」と教えられて育つが


その努力や辛抱だけでは


幸せになれない時代になったのではないか‥


私はそう思うのだ。



努力や辛抱を続けるだけでは花が咲かないのは


私も身に染みている。


いつか自分の時代が来ると信じ


舅、姑に耐え忍んで40年。


未だ、私の時代は来ていないではないか。



だって、昔と違って高齢化社会になったのだ。


昔の常識は通用しない。


不死身の老人を相手にいつか、いつかと待っていたら


こっちが先に死にそうだ。


平凡な家庭でも、このありさまなんだから


給料の発生する職場が、昔の常識と違ってきているのは


当たり前のことかもしれない。



努力や辛抱でどうにもならないとなれば


ものの見方や考え方を変えるしかない。


そこでお勧めしたいのが、脳の切り替え。


‥と、本題に入りたいところだが


長くなったので、今日はこの辺で。


《続く》
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