先日、同級生の友人けいちゃんは
大好きな広島カープの試合を見に行った。
途中でトイレに行くと満員だったので、個室のドアの前で待つ。
すると中から出てきたのは、なっちゃん。
少し前の記事、『また留守番』に登場した
悪い子ではないけど何かと厄介な同級生である。
「きゃ~!誰かと思った!」
あまりの偶然に、けいちゃんはつい叫んだ。
そしてなっちゃんに厳しく注意される。
「声が大きい!」
遠くで知り合いにバッタリ会った驚きと
冷たく叱られた悲しみを胸に
けいちゃんはトイレをすませて外に出た。
と、出口になっちゃんと
教師をしているご主人が立っているではないか。
夫婦は、けいちゃんがトイレから出てくるのを待っていたのだ。
そしてけいちゃんは、面識の無いご主人からも
厳しい注意を受けたのであった。
「声が大きいです!外まで聞こえた!」
すごく怖くて、なさけなかった…
けいちゃんは恐怖の体験を、我々同級生5人組に打ち明けた。
ガッチリ組んだ夫婦から攻撃されることは
一人暮らしのけいちゃんにとって脅威。
家に帰って、家族に聞いてもらうことができないのだ。
親身になって気持ちを共有してくれる相手がいないのは
亭主持ちの我々が想像するより、ずっときついことだと察する。
誰かに話さなければ、立ち直れないだろう。
「ひえ~!こわ!」
「災難だったねえ」
「旦那さんまで出てこなくても」
聞いた我々は、モンちゃんを除いて口々にそう言うのだった。
農協で保険担当のモンちゃんは
なっちゃんが顧客なので滅多なことは言えない。
はなから戦力外だ。
メンバーのユリちゃんと私は
けいちゃんの心細さや恐怖を理解しつつも
なっちゃん夫婦がそんな行動に出た理由も理解していた。
ユリちゃんは教師の娘で、なっちゃんの旦那は父親の後輩。
私は、なっちゃんの旦那が息子の先生だった。
どちらも、彼のコンセプトをある程度知っているため
この不幸な出来事の原因がわかるからだ。
みんなが使うトイレは、教育関係者にとって要注意スペース。
トイレは陰口やいじめ、暴力などの問題が発生しやすい。
人間が隠したがる、しかし行かずにはいられないトイレは
恥と本能が共鳴し合う厄介な空間なのだ。
よって、みだりにトイレで「きゃ~!」と叫ぶ行為は
本人に何もなくても、周囲の人心に影響する可能性をはらむ。
保育士の彼女と教師の旦那は公衆の心理上、そしてセキュリティ上
けいちゃんの「きゃ~!」を見過ごせず
二人で正しく導こうとしたのだと推測される。
そしてけいちゃんの地声が並外れて大きく
キンキンと高音なのも事実だ。
私は彼女と一緒に働いていたからわかるが
病院の厨房というのは、ゴォ~という換気扇の騒音が
一日中鳴り響いているため、長く勤めたらたいてい耳をやられる。
つまりけいちゃんは元々声が大きい上に、耳が遠くなっている。
ちょっとしたことでも殺人事件のような反応になってしまうので
けいちゃんの大音響に慣れてないなっちゃんには
絶叫に聞こえたと思う。
どちらの気持ちもわかる、複雑な心境というやつよ。
メンバーの一人マミちゃんは、けいちゃんの不幸に深く同情した。
おとなしいマミちゃんは、いつもなっちゃんにやられっぱなし。
去る2月の還暦旅行でも、解散した後で
なっちゃんにきついことを言われ、泣きながら帰ったそうだ。
それを根に持つマミちゃんは
この時、ある過去の出来事を告白した。
なっちゃんとマミちゃんは、結婚が遅めだった。
若い頃は町内に残っている数少ない独身仲間として
また、無類の酒好き同士ということで
二人は親しく交流していたそうだ。
やがて結婚が決まると、お互いを結婚披露宴に招待し合った。
なっちゃんの方が先だったので、マミちゃんは友人代表のスピーチをし
翌年、マミちゃんが結婚する時は
なっちゃんがスピーチをすることになった。
披露宴で、なっちゃんは一冊の絵本を携え、マイクの前に立った。
普通のスピーチをしてくれると思い込んでいた花嫁のマミちゃんは
悪い予感がしたという。
「泣いた赤鬼…むかしむかし…」
なっちゃんは、おもむろに絵本を読み始めた。
保育士として幼児教育に燃えるなっちゃんにとって
得意の読み聞かせは最高の自己表現であるらしかった。
けれども『泣いた赤鬼』の読み聞かせは、招待客にとって異様だったらしく
会場は大いにざわつく。
しかしなっちゃんは一同の当惑を気にもせず
平然と絵本を読み続ける。
赤鬼のところは低い声で怖く
村人や子供はそれぞれ声色を変えて、渾身のパフォーマンス。
読み聞かせは、なかなか終わらない。
思い余ったマミちゃんのお母さんが、ひな壇へ走って来て耳打ちした。
「ちょっと!頭がおかしいって言われてるわよ!
やめさせてよ!」
しかし今後の関係を考えると、マミちゃんにはどうすることもできず
ひたすら耐えたるしかなかったと言う。
スポットライトに浮かび上がったなっちゃんは
赤鬼どころじゃなく怖かった…
悲しくて、すごく疲れて、終わるとクタクタになった…
その後も、変な友達がいるお嫁さんということで
旦那の親族からバカにされた…
今まで誰にも言えなかった…
マミちゃんは当時を回想するのだった。
この話を聞いた我々の反応は、四者それぞれ。
ユリちゃんは怒りで顔が変わり、押し黙る。
けいちゃんは「披露宴が台無しじゃん…」とつぶやく。
モンちゃんは例のごとく
「でも、なっちゃんも一生懸命だったんだし…」
と言葉を濁す。
今度はマミちゃんもなっちゃんも顧客だからだ。
なっちゃんのほうが大口なので、どちらかといえばなっちゃん寄り。
「モンちゃんてば、同級生の悪口を言わない立派な子だわ…」
長い年月、そう思って感心していたが
何のことはない、同級生の大半が彼女の顧客であった。
私は大笑い。
「疲労宴」
この三文字が頭に浮かんでしまって
マミちゃんに悪いと思いつつも笑いが止まらない。
申し訳なかった。