殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

打つ・買う・飲む

2014年10月31日 10時18分37秒 | みりこんぐらし
「おみやげ」

選挙用。

爪先がバレエのトウシューズみたいな所が気に入りました。




先日、同級生のケイちゃんと2人で

やはり同級生のユリちゃんが住む町に出かけた。

3人で、とっておきの秋の一日を過ごすのだ。


今回の旅の目的は、もう一つある。

私はユリちゃんの嫁ぎ先であるお寺に出家して、老後を過ごす予定だが

ここにケイちゃんを誘うつもりで下見に案内したのだった。


ケイちゃんは離婚して長い。

ずっと一人暮らしだ。

仕事と、老いた両親の世話に通いながら暮らしている。


彼女は大変な綺麗好き。

たとえ「突撃お宅訪問」や「隣の晩ごはん」の撮影隊が来ても

にっこりお通しできる、数少ない人である。


老後をユリ寺で過ごす予定のメンバーは

家主のユリちゃんを筆頭に、私もマミちゃんも

掃除はあんまり得意じゃない分野。

バリバリの掃除好きが一人は欲しいということで

強制的にケイちゃんを引き入れることにしたのだった。


我々はケイちゃんに建物を案内する。

「ここが今、モクネン(ユリちゃんの夫)のお母さんが住む離れ。

数年後には空く予定。

あっちは現在空いている離れ。

そっちに見える建物も、空き部屋。

我々はここに分散して入居予定。

ゴールドの豪華なインテリアをご希望なら

永代供養の位牌を祀る部屋」


ケイちゃんはお寺をすっかり気に入った。

「私は一人ぼっちになるのが決まってるんだから、嬉しいわ!

もう老後を恐れなくていいのね!」

喜ぶケイちゃんに満足するユリちゃんと私。


「でも、1人で掃除するのはきついから手伝ってよね」

ケイちゃんは心配そうに言う。

「当たり前じゃん。

ケイちゃんは掃除係じゃないのよ、クリーン部門の部長よ」

ダラダラ部門の部長に就任予定の私は言う。

「わかった、それで手を打とうじゃないの」

ケイちゃんは部長のポストに気を良くしてうなづいた。


話がまとまったところで、買い物に繰り出す。

なにしろユリ寺は、繁華街のすぐ近く。

ここ数年、ユリ寺訪問のたびに靴を買う。

商店街にお気に入りの靴屋があるのじゃ。

普通のおばさんが1人でやっている小さな古い店で

品数も少ないのに必ず私の感性と必要性にヒットする靴がある

不思議な店なのじゃ。


今回は選挙用の運動靴を買う。

選挙運動だから運動靴。

スニーカーじゃあ脱ぎ履きに手間がかかるし、芸が無い。

楽で、品性とおしゃれ感がさりげなく漂うものが望ましい。

楽はともかく、持ち主の品性に疑問は残るが

今回はこれで出陣じゃ~!


後は飲む。

ユリちゃんの案内で、予約が取りにくいという人気店に行く。

私は最近、赤ワイン。

何のウンチクもありゃしないし、ポリフェノールにも無関心。

回りが早いという効率の良さが選択ポイント。

白でもいいのだが、見た目もくすんできた今日この頃

せめてテーブルに彩りが欲しい。


日本酒の好きなユリちゃんと、下戸のケイちゃん

3人のおしゃべりは尽きない。

あっという間に時間が経ってしまう。

近いうちにまた来る約束をし、ケイちゃんの運転で家路につく。


家に着いたら10時半だった。

珍しく玄関の明かりが点いている。

うちの玄関はガラス張りなので、中がよく見えるのだ。


おっ!鍵もかかっていない。

どうしたことだ!

私の夜遊びには、義母ヨシコによる

玄関真っ暗・施錠の刑がセットで付くはずだが

ヨシコ、具合でも悪いのか?


台所に行くと、テレビを見ていた夫が「お帰り」と言った。

近年は早朝デートのために早寝をする夫が

この時間に起きているのは珍しい。

「待っててくれたの?」

「うん、お袋が鍵をかけないように番をしてた」

「ありがとう」

「楽しかった?」

「うん、とっても」

買って来たお菓子なんぞ披露する私。

ハートほっこり、穏やかな夫婦の時間が流れゆく…。



これで終わらないのが我が家。

私は先月のことを思い出したのだ。


玄関真っ暗・施錠の刑は、昔からヨシコが行う伝統の刑。

「つい習慣が出た」

「もう帰っているのかと思った」

「一人だと怖い」

ヨシコの言い訳はさまざまだが、何だかんだいったって

夜遊びをする嫁へのこらしめであり、楽しんだ者への嫉妬である。


刑には慣れっこ。

しかし先月、刑が執行された時

トイレに行きたかった私は烈火のごとく怒り狂った。

いつも気をつけているのに、この日は油断があった。

「この次やったら、殺す!」

トイレから出るなりつぶやいた私の前に、夫がいた。


夫も多分、それを覚えていたと思う。

となると、彼はヨシコの刑から私を救おうとしたのではなく

ヨシコを私の殺意から守ったことになる。

どっちでもいいけど、親思いのいい人なのは本当だ。
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風邪

2014年10月27日 22時13分11秒 | みりこんぐらし
風邪を引いた。

2月にかかったインフルエンザほどの辛さは無い。

咳が出る程度。

原因ははっきりしている。

2週間ほど前、ズブ濡れになった。

あれからおかしい。


その日、義父アツシは病院から外泊で家に帰っていた。

以前は毎週だった外泊も、今は月に一度だ。

それはアツシが家に帰れる病状ではなくなったこともあるが

スタッフが手薄になる土日に、手のかかるアツシを外泊させて

調整したい病院の都合もあり

病院に近くて人手が多いという我が家の条件も考慮されて

割り出された回数だ。


外泊の送迎は介護タクシーに頼っていたが

そのうちアツシの病状では責任を負えないと

辞退をほのめかされた。

誰も責任を取ってくれなんて言わないが

全身麻痺のアツシを送迎するには、1人では難しい。

2人も出動させると、採算が取れないのが本音であろう。


そこでしばらくの間、夫が付いて行って2人で送迎していた。

やがてコツを覚えた夫は

シブシブやってもらうより自分1人でやろうと考え

友人が所有する介護カーを借りるようになった。

後部座席に車椅子が乗せられる軽自動車だ。


この方法で、今回もつつがなく外泊を終えるはずであった。

しかしアツシが病院に帰る夜

介護カーのバッテリーが上がって動かなくなった。

前日、アツシを連れて帰るのに使わせてもらった時

夫がライトを消し忘れたのだった。

病院へ戻る時間が迫っていたため、修理は明日ということにして

夫は帰って来た。


彼のドジは、今に始まったことではない。

ダンプの荷台を上げたまま走って電線を引っかけ

電柱をドミノ倒しにしたこともある。

対向車の知り合いに手を振った途端、前の車に追突したこともある。


どう言い聞かせたって、やるものはやる。

そして何をやらかしても、自分だけは無事なのだ。

謝って直せば済む失敗なら、むしろ喜ぶようでなければ

彼の妻なんかやっていけない。

私は確かに夫の浮気と戦ってきたとは思うが

それ以上に激しく戦ったのは

フジツなこの男が引き起こすウカツだったように思う。



ともあれ今夜中に病院へ戻らなければ、翌朝の透析に支障が出る。

我々は介護カー無しでの移動にチャレンジすることにした。


全く動けない人間を普通車に乗せるのが

こんなに大変だとは知らなかった。

しかも外は土砂降りだ。

ズブ濡れになって試行錯誤したあげく、夫が運転席から引っ張り上げ

私が足を持って押し込んで、どうにか助手席に突っ込む。


後部座席は無理。

姿勢を保つ力が無いので座れない。

寝かせようにもヒザが曲がらないため、シートの長さが足りない。

床ずれが痛まないよう、シートを倒した助手席に

半身で横たえるしかないのだ。


「手伝おうか?私が乗って、一緒に行こうか?」

乗せ終わった頃、化粧直しと着替えをすませた義母ヨシコが出てくる。

力を入れたら脱腸になる人に、何の手伝いができようか。


「いらんっ!」

夫と私が同時に叫んでドアを締める。

「んまあっ!」

怒るヨシコを置き去りにして、車は病院に向かった。


走ること数百メートル、何とか病院に着いたが

今度はアツシを車から降ろす作業がある。

土砂降りは続いている。

また雨に濡れながら、2人でアツシを引っ張り出す。

引っ張り出しながら車椅子に乗せる…

介護シロウトの我々には、この合わせ技が難しい。

駐車場で苦心さんたんする我々であった。


その様子を眺めながら発進した別の車が

ボコッと音を立てて街灯にぶつかった。

「じいちゃん!見れ!ぶつかったぞ!」

ようようアツシを乗せたばかりの車椅子を、問題の方角へ向けてやる。

ただでさえ濡れネズミの3人が

その物見高さゆえに、さらなる土砂降りをかぶったのは言うまでもない。


車は幸いたいしたことはなかったらしく、そのまま走り去った。

ズブ濡れになってエレベーターに乗り込み

3人で「ククク」と笑う。


病室に戻って寝かせたら、アツシのスネの皮がペロッとはがれて

血が滲んでいた。

車から出し入れする時、どこかで怪我をしたらしい。

痛くても我慢したのか、麻痺しているのでわからなかったのかは

定かではない。


翌日からアツシは、風邪で生死の境をさまよう。

とうとう殺害しちゃったか…と思ったけど、今週復活した。

アツシの熱が下がった頃、夫と私も風邪の症状が出た。


今も調子が良くないが、チンタラしてはいられない。

来週から選挙が始まる。

ウグイスは引退したはずじゃなかったのかって?

テヘペロ。
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危険な香り

2014年10月19日 09時06分06秒 | 前向き論
24才の時、付き合いで講演を聞きに行ったことがある。

講演といっても私の立ち回り先だから、勉強の類いではない。

訪問販売に勧誘するための客寄せである。

講師は、当時60代後半の無名の女性。

その訪問販売の成功者であり、霊能者というプロフィールだった。


話の内容は、今で言えば綾小路きみまろ的な毒舌。

彼女の“予言”ではこれから先、老人はなかなか死ななくなると言う。

「死なないんですから、あなた、生きなきゃなりません。

長い老後をどうやって過ごします?」

老人は死ぬものだと思い込んでいた当時の私は

周りの聴衆と同じように笑った。


「同じ長いんなら、楽しく生きたいのが人情ですよ。

でもね、おおかたの老人は楽しくないんです。

何で楽しくないかというとね、お金が無いからですよ。

お金の無い老人は、嫌われます。

タダで人を使うので、近寄ったら損をするからですよ。

お金のある老人の周りには、人が集まります。

何で集まるか。

得をするからですよ。

子供や孫が離しませんよ、お小遣いがもらえるから」

よそのおうちの話として、やはり大笑いする一同。


とまあ、こんな口調で語る行き先は

「だから副業を持ちましょう。

この仕事をやってお金持ちになりましょう」

になる設定だ。


「老人が好かれるには、お金しかないんです。

老人の幸せは、お金で買えます」

彼女はきっぱりと断言した。


24才の私は、お金について

こんなにダイレクトに聞くのは初めてだったので、たまげた。

その驚きは、潔さと清々しさを含んだ小気味よいものである。


しかしながら、これは副業の勧誘が目的なので

聴衆の心をつかむために大胆発言は当然なのだ、と思い直す。

お金だけで幸せにはなれない…

心がけ一つで、きっと幸せになれるわ…

まだ青く清らかだった心の内で、ひそかに反論したものだ。


講師は老人について、もう一つ言及した。

「老人は臭いんです」

長年、配偶者の両親や自身の母親と暮らしたという彼女は

自身も例外ではないという注釈を付けて、そう言い放った。


清潔不潔の問題ではなく、消化機能の衰えによるものだそうだ。

飲んだり食べたりしたものの分解速度が遅くなるため

体内に残留して臭気を放つ。

若い者が老人を嫌うのは、お互いの性格以前に

この匂いによるというのだ。


匂いの程度には、個人差がある。

消化機能の衰え加減はそれぞれ違うし、飲み食いする物によっても変わる。

誰が嗅いでも悪臭と呼ばれるものから、感覚的なものまで千差万別だ。

しかし程度は関係ない。

うっかり近寄っては不毛な会話や労働を繰り返し

疲労と傷心を重ねるうちに、その匂いを脳が記憶してしまうという。

近寄ってはならない危険な香りとしてである。


「匂いは盲点です。

ただでさえ臭いのに、そこへ酒、タバコ、飲み薬

サロンパスに歯槽膿漏、虫除けのショウノウの匂いなんかが

足し算されたら、どうなります?

これで家族に愛されたいなんて、無理ですよ」

おおいに湧く会場。

匂いを中和させてくれるのは、お金しかない…

お金を配って我慢してもらうしかないのだ…

だからこの訪問販売を…と続く。


訪問販売の方はどうでもいい。

しかし老人と匂いの斬新な理論は、衝撃として私の心に深く刻まれた。


…あれから30年。

その“予言”は、少なくとも私に関しては的中していた。

彼女の言っていた、そのまんまの老人と暮らしているではないか。


誘われてシブシブ行った講演会だったが

今、ものすごく役に立っている。

老人を理解する大きな手がかりになっているからだ。


「無い」または「惜しい」

これでたいていケリがつく。

不可解かつ不愉快な発言の意味を考えて、苦しむことが無い。


匂いもしかり。

ああされた、こう言われたと数え上げて時間を割き

愛せない理由、好きになれない事情を探す必要は無い。

脳が「危険な香り」に反応しているのだ。

脳が嫌がってるんだから、しょうがないんだ。

それで終了。


老人を理解することは、やがて老人になる予定を避けられない

自分を理解することでもある。

私もいずれああなるのだ。

いや、すでにそうなっているかもしれない。

そこで「なんとなく…」ではなく、はっきりした理屈を知っていると

あきらめもつこうというものだ。

正しいか否かは、この際関係ない。

くっきり明快が、重要なのである。


というわけで、私の虎の巻をご披露させていただいた。

親孝行の三文字に縛られ、道徳心の葛藤に苦しんでいる人の

「なんとなく…」が、少しでも払拭されれば幸いである。

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中国王朝ドラマ

2014年10月12日 22時30分31秒 | みりドラ
中国の王朝ドラマが好きだ。

といっても見たことがあるのは

「宮廷の諍い女(いさかいめ)」と

「宮廷女官ジャクギ」の二つだけの初心者。


何が好きって、お金のかかった豪華なところ。

そこで繰り広げられるドロドロ。

たまらんわ~。


韓国の王朝ものも好きだけど、中国に比べるとチープ感は否めない。

最近はずいぶんマシになってきているものの

経費の都合なのか、実在する古い建造物をそのまま使用するため

玄関や板の間、外壁や石垣なんかがボロい。

満艦飾に着飾って、ボロ家から出てくるやんごとなき方々。

このチグハグに、心は騒ぐ。


衣装は、つい襟に注目してしまう。

中国ものは私の大好きなスタンドカラーだが

韓国の衣装は、日本の和服と同じように

うち合わせの白い襟が付いている。

主役級はアップが多いので、白い襟元はパリッと綺麗。

大臣A、女官Bあたりになると使い回しになるらしく

黄ばんでくたびれている。

襟の階級、身分制度より厳しそう。


「整形しました!

美しいかどうかじゃなく、手術したことに意義があるんです!」

とでも言いたげなおばさんが、必ず出てくるのも怖い。


最も苦しいのは、日本語版の吹き替え音声である。

職業声優を使うため、自分の美声と滑舌に酔っているフシが感じられ

せっかくのドロドロが際立たないではないか。

これら身勝手な理由により、韓国より中国に軍配を上げてしまう私である。


それに私は、なにげに紫禁城がごひいき。

なぜか懐かしい気持ちになるのだ。

前世に興味は無いが、もしも私に前世というものがあるとしたら

紫禁城の片隅で掃除か洗濯でもしていたのではなかろうか。


ごひいきの理由はもう一つ。

義父アツシの知り合いに、老後のライフワークとして

中国王朝の研究を始めた人がいる。

その人が自費出版した本が家に何冊かあり

誰にも読まれないまま、軽く20年は本棚で待ちぼうけていた。

今回、夫の実家で暮らすようになり、暇にあかせて読んでいたら

ややこしい身分制度や慣習の知識が少し備わって

紫禁城がより近づいた気分になったのである。



「宮廷女官ジャクギ」は、現代の中国に生きる歴史好きの女の子が

事故に遭い、突然、清朝の時代にタイムスリップしたという

荒唐無稽な話である。

意識が戻った女の子は、ジャクギという名前で

皇子の側室の妹になっていた。

美人じゃないんだけど、いまどきの女の子っぽい

あっけらかんとした言動で、皇帝の座を争う美しき9人の皇子にモテモテ。

彼らにピースサインなんか教えちゃう。


ジャクギちゃんは誰が皇帝になるか、誰が罪に問われて失脚するかなど

皇子達の先行きを知っている。

他の人には未知なる運命でも、ジャクギちゃんにとっては

決定済みの歴史なのだ。


知ってるけど言えない…

みんなの未来はジャクギちゃんにとって過去…

失脚するとわかっている人に告られて困ったりしながら

知っているゆえの苦悩と戦いつつ

最終的には皇帝の座に就いた第四皇子の側室になる。

が…やはり過去を知っていることが何かと災いし

ゴタゴタしたまま病死して、現代に戻る。


ドロドロの愛憎劇は薄口だが

このドラマで一番すごいと思うのは

男性俳優の辮髪(べんぱつ)である。

前半分を剃り落とし、後ろ半分の髪を伸ばして三つ編みにした

キョンシーでお馴染みのヘアスタイルだ。


今をときめく中国や台湾のイケメンスター達が

惜しげもなくツルツルの丸坊主にして

後頭部に辮髪のカツラを付けている。

端役もしかり。

その意気込みは見事だ。


この「宮廷女官ジャクギ」より前に作られた「宮廷の諍い女」。

ジャクギが側室になった皇帝と、「宮廷の諍い女」の皇帝は

演じる人は違うものの、たまたま同じ皇帝。

ジャクギの方は、皇子から皇帝に進む若かりし頃が舞台

諍い女の方は、その皇帝の中年以降の話である。


ただし「宮廷女官ジャクギ」に登場する皇帝は

ニヒルなイケメン。

「宮廷の諍い女」の皇帝は、むくつけきおじん。

この落差をどうしてくれよう。



「宮廷の諍い女」は、このおっさんを取り合って繰り広げられる

正室、側室入り乱れての正統ドロドロ劇である。

敵対する相手に命を狙われるのは当たり前…

信じた相手に陥れられた…

心の友に裏切られた…

控えめで優しい正室が、実は一番のワルだった…。


女達は自身と実家のプライドや権勢をかけて、死闘を展開する。

その美しさ、残酷さ、哀しさ。

そうまでして取り合うのは、不細工なおっさん。

このザンネンが、女達の華麗を引き立てているという見方もあるが

同じ命を賭けるなら、イケメンの方がいいぞ!

と、心で叫びながら鑑賞する私である。


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こんにゃくコレクション

2014年10月08日 09時31分23秒 | みりこんぐらし

先日、義母ヨシコはいつになく自転車に乗り

義父アツシの病院へ見舞いに行った。

ちなみに自転車は、長男が買い与えたものである。


「自転車さえあったら、おじいちゃんの見舞いに行けるのに」

この春、ヨシコは孫…つまり私の長男に話した。

前のボロボロ自転車は、一昨年、私が捨てたのだった。


しかしヨシコの意図は、自転車ではなかった。

おじいちゃんの見舞いをパパの送迎に頼るのは気兼ねだけど

自転車が無いんだもの、仕方ないじゃない…

捨てておきながら、毎日行ったらダメって言われる…

要するに「あんたのママは残酷だ」というボヤキに過ぎなかった。


だが老婆特有の思わせぶりや遠回しは、青年に通用しなかった。

青年は老婆が自転車を所望していると感じ

また、自転車を与えれば父親が解放されると信じた。


青年は即刻、老婆を自転車屋へ連行した。

電動アシストの自転車は、ペダルは軽いが車体が重いため

後期高齢者には向かないそうで

ブリジストンの「カルク」という名のママチャリが与えられた。


こうして「カルク」はうちにやって来たが

ヨシコ、当然ながら乗る気配無し。

「自分で見舞いに行くと言うから買ってやったのに、どういうことだ。

早くカルクに乗りなさい、乗ってじいちゃんの所へ行きなさい、さあ、さあ」

度重なる長男からのプレッシャーに、「今は暑い」で逃げていたヨシコ。

ついに涼しくなって言い訳ができなくなり

一度だけ、シブシブ自転車でアツシの病院へ出かけたのだった。


その帰り道、知り合いの畑に寄ったのがいけなかった。

そこへこんにゃく屋のオヤジが来合わせていたのだ。

60半ばのこの人と初対面だったヨシコは

誰にでもするように、自分の病気の話をしたらしい。


不幸は翌日から始まる。

そのおじさんが、こんにゃくを土産にうちへ来るようになったのだ。

ヨシコが惚れられたのではない。

本業の方がいまひとつなので、副業として

バカ高い健康器具の訪問販売を始めた彼は

病気自慢のヨシコをターゲットに定めたのであった。


3日をあげずに訪れ、来たら長い。

門越しの会話で、少なくとも1時間は粘る。

4~5回も続くと、話し好きのヨシコも苦痛になってきたようだ。

おじさんが帰ると、疲れて寝込むようになった。



ある休日の朝、チャイムが鳴った。

私が出たら、彼だった。

こんにゃくを2つ3つもらった手前、しかたなく付き合ってやる。


どうして長いか、よ~くわかった。

話す分量はたいしたことない。

「ほんで…」「へでから…」の接続詞が多過ぎる上に

接続詞の後は急に話が飛ぶ。

健康器具の素晴らしさを熱く訴えていたかと思うと突然、別の話になる。


あさっての方へ飛んだ話を元へ戻すのに、また時間がかかる。

会話に集中力が無いのだ。

総合すると、その健康器具のおかげで元気になったので

人にも勧めたくなったと言いたいらしい。


車で1時間以上かかる配達先に、以前は休憩を取りながら通ったそうだが

この健康器具のおかげで、今は休憩無しで行けると得意そう。

「んまあっ!すごい!」

私はつい叫んでしまう。

「そうでしょ?すごいでしょう」

「ええ!単価の低い商品をそんな遠方まで配達したら

商売というより奉仕ですね!」

「え…」


そこでまた、何の脈絡も無い方向へ話が飛ぶ。

この男、人の言ったことをキャッチできなくなったら

話をそらす癖があるらしい。

そんな幼い話術で、よくも高額商品を売りつけようとするものだ。

この調子でしょっちゅう来られたら、たまったもんじゃない。

彼の訪問を終わらせるために、買ってしまう人もいるのではなかろうか。


そもそも何十万もする物を売りつけようというのに

くたびれたTシャツで来ることから間違っている。

商品の価格に見合った服装をするのは、営業の基本だ。

薄利多売のこんにゃくとは、売り方が違うのだ。


「だから、お母さんに元気になってもらいたいんだよね」

やっと本線に戻れて満足げな彼。

私はTシャツからのぞく、白髪の胸毛を剃り落としてもらいたいんだよね。


「長生きしてもらいたいでしょう?親だからね」

「もう充分長生きしてますから、けっこうですよ」

「親だよ?同じ長生きなら、健康にしてあげたらいいじゃないの」

お!珍しく会話が続くじゃないか。

私の親不孝発言に食いついたらしい。


「お気持ちはありがたいですが、このままでいいです」

「健康になって欲しいと思うでしょ、普通、そうでしょ」

普通じゃないヤツに限って、人に普通を求めたがる。

「いや、全然」

「親の健康を願うのは子の努めじゃないか!

あんたみたいにひどい嫁さん、見たことないわ!」

フフフと笑う私。


「おじさんが来て、長いこと外に立たせるから

このところ調子が悪いんですよ。

義母の健康を願ってくださるなら、そっとしてやってくださいな」

「ワシが悪い言うんか?!」

「うん」

「なんちゅう嫁じゃ!ヨシコさんもかわいそうに!」

怒り狂うおじさんであった。


「おじさん、後期高齢者はクレジット通らないよ」

「え…」

「うちのばあちゃん、キャッシュも無いよ」

「え…」

急にテンションの下がるおじさん。

「あの…じゃあお母さんに買ってあげる気も…無い…よね?」

「見たことないくらい、ひどい嫁だからね。

お疲れ様でした、バイバイ」

「バイバイ」


おじさんは帰り、それっきり来なくなった。

うちには、来るたびに渡されたこんにゃくが貯まっている。

寒くなってきたので、近いうちにおでんでも作ろうと思う。

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ヤエさんの幸せ計画・その5

2014年10月06日 09時06分01秒 | みりこんぐらし
「ヤエさんの“功徳”改め“作品”」



「ホホホホ…」

感度のいいヤエさんは、魔女の呪いつながりで

眠れる森の美女に引っ掛けられたと気づいて笑った。


おばあちゃんの施設行きを勧める私ではあるが

内心、この嫁姑に施設という選択肢は合わない気がしていた。

話は去年に飛ぶが、ヤエさんは腰を痛めた。

私はおばあちゃんの介護認定とデイサービスを強く勧めた。

ヤエさんはすぐさま申請して要介護1を勝ち取り

おばあちゃんをデイサービスに通わせ始めた。


喜んだのもつかの間、肝心のおばあちゃんが不登校。

若い男性介護士が部屋まで迎えに来ないと、行かないそうだ。

「ボケて、白髪が逆立って、山姥のようになっても

オトコを選ぶのがあさましい!」

デイサービス通いは、かえってヤエさんの憎悪とストレスを

増やしたに過ぎなかった。

悪いことをしたと思った。


そのうちデイサービスの送迎を

シルバー人材センターが請け負うようになると

おばあちゃんは完全に行かなくなった。

入浴介助で、さらに腰を痛めたヤエさんであった。


凝りずに施設入居やショートステイを勧めたが

コルセットをはめてウンウン言いながらも、ヤエさんは首を振る。

日帰りのデイサービスは良くても、泊まりは抵抗があるらしい。


ヤエさんの健康状態をハラハラしながら見守るうちに

この夏が来て、おばあちゃんの足が腫れてきた。

「それ、糖尿病のムクミよ」

義父アツシの糖尿病進行の経緯を

つぶさに見ている私はそう言ったが

ヤエさんはムクミでなく、報い(ムクイ)だと主張した。


ま、人のことなのでそれ以上は言わなかったが

この時、最後にして最善の方法を発見した。

「そうだ、京都へ行こう!」ならぬ「そうだ、病院へ行こう!」。

入院である。


ヤエさんは複数の老人を介護した実績から

「認知症のおばあちゃんを自分で看取る」

という目標に意識を集中させている。

しかし私は、糖尿病の方がヤバいんじゃなかろうかと

思い始めたのだった。

ムクミが出たとなると、腎機能がかなり低下している。

それまでの長い小康状態から一転、急激に弱り始めるのがこの頃だ。


個人的な意思や都合の絡む施設入居と違い

入院は人命救助という必然性があるため

ヤエさんとおばあちゃんは強制的に引き離されるはず。

後期高齢者の入院費は安い。

施設の3分の1程度で済む。

まさに最後にして最善の方法ではないか。


だがこの方法には、最大の難点が存在するのも確かだった。

入院のタイミングである。

はやばやと入院させると、ひとまず元気になったり

また入院したりを繰り返すようになる。

入退院の繰り返しは本人もつらかろうが、嫁にとってもきついものだ。


入院中はいい。

つかの間の自由を満喫できる。

日々の見舞いや洗濯物のお届けなんか

日頃の苦難に比べれば屁でもない。


だが自由は、退院によって奪われる。

病人は退院のたびに、前より手がかかってワガママになる。

一度自由を知ってしまっただけに、喪失感は巨大だ。

緩和と緊張の繰り返しで、嫁の心身は疲れていく。


根性のあるヤエさんだが、変に根性があると

この緩和と緊張に自分の心を柔軟に添わせることが難しい。

心は天国と地獄を往復しながら、身体は馬車馬のように働いてしまい

ブレーキが効かなくなる。

癌経験者であり、腰椎ヘルニアのヤエさんが

これに耐えられるかどうか疑問だったので

とりあえずの安全策として施設の方を推奨する私だった。



じきに、おばあちゃんの足から水が出るようになった。

「それ、壊死よ。

傷口があるはずよ」

私はそう言ったが、ヤエさんは

「水に流せないことが多過ぎたからよ」

と取り合わず、おばあちゃんが昔から通っている

外科医院へ連れて行っては薬を塗ってもらっていた。

やはり人のことなので、それでいいならと放置する私であった。


ほどなく、おばあちゃんの足から出る水の量が増えてきた。

バスタオルが一晩でベタベタになるほどの量だという。

「糖尿病、かなり進んでるよ。

足を切断することになるよ」

しかしヤエさんにとっての問題はそこではなく

その足で歩き回るために畳や廊下が濡れることだった。


その数日後、私はヤエさんに呼び出されたわけだ。

彼女は、畳や廊下の拭き掃除に疲れ果てたのだった。


「もう、いいんじゃないの?」

その言葉は戦いの終結宣言として

ヤエさんと、目の前にいないおばあちゃんに向けたものであった。

そして自分自身にも、別の意味で向けられていた。

今入院しても復活の可能性は低い…

退院できたとしても、この先、入退院を繰り返す回数は少ない…

私はそう判断したのだった。


「明日、おばあちゃんをちゃんとした病院へ連れて行くこと」

ヤエさんと約束した。

ついでに廊下の鬼の面をはずすことも約束した。


約束ばっかりじゃナンだから、おばあちゃんと小姑のモノマネも披露。

「お迎えがはよう来ますように、何妙法蓮華経、何妙法蓮華経…」

「あ、お義姉さん?これ、もらって帰ってもいいんかね?

良かった、ちょうどいい所へ来た、儲かった」

2人でゲラゲラ笑って解散した。


そして翌日、検査に行ったおばあちゃんは、そのまま入院した。

ヤエさんに平穏が訪れたのは、顔のツヤでわかる。


最初の関門は、入院後1ヶ月で訪れるはずだ。

定期的なプログラムとして、家で面倒が見られる状態かどうかを

病院からたずねられる。

「ええカッコするんじゃないよ?

無理だって、はっきり言うのよ?」

と指導する私であるが、なんだかんだ言っても

いずれヤエさんは、おばあちゃんを連れて帰るだろう。


疲れたら、また何度でも話を聞くつもりだ。

そうこうしているうちに嫁姑の戦いは

永遠の終わりを告げるはずである。


《完》

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ヤエさんの幸せ計画・その4

2014年10月03日 21時01分20秒 | みりこんぐらし
とりあえず報われたらしきヤエさんから

呪いの処理をたずねられた私である。

「おばあちゃんにそんな力があると思ってるの?」

「そうは思わないけど、ずっと気になっていることがあって…」

ヤエさんは声をひそめて話す。


おばあちゃんの実家はすでに絶えており

実家の位牌はお寺に預けて永代供養をしてもらっていた。

が、信者仲間との口論で興奮したおばあちゃんは

位牌をその場で風呂敷に包み、根こそぎ家に持ち帰った。

「こっちの先祖の位牌と一緒くたにして、仏壇に並べているの。

その人達に、束になって見張られているような気がするのよ。

私を呪うおばあちゃんに、力を貸していると思えてならないの」

風呂で突然死した姑の母親の一件が

ヤエさんの心に影を落としているのだろう。


「少子化だもん、実家の位牌付きで結婚する人は

増えてると思うよ。

いちいち気にしてたら身がもたないよ」

うちの義母ヨシコは、半世紀以上前にそれをやってのけた先駆者だ。

義父アツシは次男なので、自分の家の位牌は無い。

祖母の死によって実家の絶えたヨシコが

実家の位牌だけを家で祀っている。

新興宗教をかじっているため、先祖供養だの因縁だのと

よく口にするが、そのわりには祖父母や両親の命日すら知らない。

このテキトー感、面白いので嫌いじゃない。

よその家のことなので、あれこれ言うつもりもない。

ヨシコ亡き後は、永代供養という便利なシステムがある。


「気になるんなら、またお寺へ返せばいいじゃん」

「おばあちゃんがきかないわよ」

「認知症なんだから大丈夫よ」

「そういうことには敏感なのよ」

「いずれわからなくなるわよ、待ってりゃいいのよ」


「その“いずれ”が待てないのよ」

ヤエさんは思い余ったように絞り出す。

「おばあちゃんの怨念に負けそうなの。

私は孫の成長が見たいし、みりこんさん達ともっと遊びたい。

もう少し長生きがしたいのよ」


だからね…ヤエさんはいたずらっぽく言った。

「おばあちゃんの部屋の前の廊下に、父の形見を飾っているの。

私の父が使っていた、お神楽(かぐら)のお面よ。

おばあちゃんから守ってもらおうと思って」

ヤエさんのお父さんは、地元では有名な神楽の舞手だったという。

家へ行った時、何で廊下に鬼の面があるのかと不思議に思っていた。

怨念ストッパーのつもりだったのか、と納得。


「よしなよ…お父さんがかわいそうだよ」

「やっぱり?

私もねえ、いつかははずさなきゃと思ってはいるの。

ちょっとした抵抗のつもりなんだけど

こんなことで解決しないのはわかってるのよ。

でもなかなか思い切れなくて」


舞手の命であるお面を部屋の真ん前に飾られたら

おばあちゃんもお父さんも、いい気分ではないだろう。

おばあちゃんは実家の位牌でヤエさんを狙撃

ヤエさんはお父さんの鬼面爆弾で応戦

実家と実家の対戦じゃ~!ボォ~(これはホラ貝の笛よ)!

そんな図を想像してしまい、つい笑いを漏らす私であった。


「誰にとっても、施設に入れるのが一番いいと思うよ」

私は前々から何度も言っていたことをまた言う。

おばあちゃんとヤエさんを引き離した方がいい。

このまま泥仕合を続けても、お互いがかわいそうである。


それには先立つものがいる。

おばあちゃんは厚生年金なので、そのお金で施設に入れても

お釣りが来るはずだが、肝心の通帳は小姑が握っている。

年金が小姑一家の生活に流用されているのは

急に派手になった服装や外食の頻度から明らかであった。


これを取り上げるのは至難の技だ。

こういうことをする人は、通帳を奪われて食い詰めることよりも

第三者に印字を見られて横領が露見することの方をひどく恐れる。

だから通帳の譲渡を申し出ても「お母さんがかわいそう」と

泣いたりわめいたりして、証拠を死守するのだった。


切迫詰まれば、自腹でどうにかする覚悟はあるとヤエさんは言う。

実際、年寄りまみれに捧げた半生に遺産のご褒美は無かったが

金運は備わるようだ。

それがしっかり者のヤエさんに鷹揚と優雅を与え、華を添えていた。


しかし腹が立つとか憎たらしいの段階を超えると

離れるよりも、自分の目で相手の死を見届けたい願望が強まるらしい。

「おばあちゃんの最期を見届けた時、呪いが消えると思うの」

小姑よりも強く、おばあちゃんの施設行きを拒んでいるのは

ヤエさん自身だった。


私は言った。

「眠れる森のヤエさんか!」

《続く》
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ヤエさんの幸せ計画・その3

2014年10月01日 22時17分33秒 | みりこんぐらし
ヤエさんは、テレビドラマの半沢直樹に似ている。

いつも微笑んでいるような、あの役者さんにそっくりだ。

「今まで気持ちをわかってくれる人がいなかったから

みりこんさんに出会えて本当に嬉しい」

ただでさえ柔和な面立ちをいちだんとほころばせ、いつもそう言う。


自由が、相手の死によってしか得られないと知りゆく哀しみ。

誰よりも解放を望みながら、共存を願う矛盾。

荒野の決闘場にたたずむガンマンのように

「先に死ぬのはヤツか俺か…」

とつぶやきたくなる時だってある。

おそらくヤエさんと似た心境だとは思うが

口先で適当に合わせているだけの時もあり、気恥ずかしい私である。



私はその日、彼女の歴史を聞いてみようと思った。

「亀松おじいちゃん」「鶴代おばあちゃん」などと

それぞれ名前をくっつけないとわかりにくい家族構成から

複数の老人に捧げた結婚生活の様子は想像できたが

人数が多くてややこしいし、会えば遊ぶのに忙しいしで

詳しく聞いたことは無かった。

ちゃんと聞いて、真面目に考えようと思ったのだ。


「いっぺん、きちんと教えてよ」

私の要望に応え、ヤエさんは老人歴を話し始めた。

客観的で整然とした説明である。


聞いた後、私が彼女の気持ちをわかっているかどうかは

はなはだ疑問となった。

今まで誰にもわかってもらえなかったと、言うはずである。

わかるわけがない。

現代の日本で、これほどの年寄りまみれは珍しい。


ヤエさんの壮絶は、40年前の結婚当初

大舅、大姑、舅、姑との同居から始まる。

嫁ぎ先は、長生きの家系であった。


「承知で嫁いだのだから」と、3人の子供を育てながら

家事一切をこなし、パートに出るかたわら

時間差で動けなくなる老人を何年にも渡って次々に介護した。

見送ったのは大舅、大姑、舅、それから姑の母親の計4人。


大舅と大姑亡き後、姑が突然、自分の母親を引き取った。

姑の母親は、ヤエさん一家と10年過ごして亡くなった。

この人だけ、入浴中の突然死だった。

介護が無いとなると、何もしなかったギャラリーほど死因で騒ぐ。

「年寄りを夜遅く風呂に入れるなんて」

「年寄りを一人で入浴させて」

ヤエさんは、姑とその姉妹にさんざん責められたという。


その後、舅が寝つき、10年介護して見送った。

そして現在、年寄り達の世話を全くしなかった90才の姑が残っている。


壮絶な半生の中で、ヤエさんの良き相棒となったのは料理だった。

みんなの喜ぶごちそうを並べれば、少なくとも食べ終わるまでは

大小の舅姑から繰り出される小言がゆるむ。


パーティー料理は、一旦取りかかったら案外早くできあがるし

オードブル形式で大皿に盛れば、後片付けも早い。

たくさん作って人を呼んだら、その間の安全も確保される。

栄養なんて言っていられない。

いびり殺されないための自衛策だ。


私にもその経験はあった。

他人ならではの曲解と思い込みによる、皮肉と罵倒の暮らしの中で

たまに聞く「おいしい」は、「ありがとう」の代用品となり

元気が出たものだ。


うるさい者には、わかりやすい物を与えれば静かになる。

体のことを考えた、手間だけかかって見栄えのしない料理なんか

攻撃の材料を与えて自分の首を絞めるだけだ。

したがって夫の両親の糖尿病発症に

少なからず私が関与している疑いは濃厚である。


ともあれ老人問題は、生死やあの世が関わっているので

道徳心が自分の意思を制限してしまう。

嫌なことを嫌と言えなくなるのだ。

一般的に弱者と呼ばれているからには攻撃しづらいし

「嫌になりました、さようなら」と

髪ひるがえして立ち去りにくい。

浮気より老人の方がよっぼどきついと思うのは、この点である。


出口の見えないトンネルの中で苦しんだあげく

恨みや憎しみを超越した崇高な存在になりたがるのは

自然な成り行きといえよう。

最初は安全確保の手段だった料理が、やがて功徳と名を変え

人間でないものに近づくチケットに見え始めた…

それを誰が責められようか。


たった2人でネを上げた私は、功徳なんて思いつきもしなかったぞ。

何もせず、悟りだけひらきたいと願っていた。

高い所から下界を見下ろして「あらあら、大変ねえ」と

言えるようになれたらどんなに楽だろう…

その野心だけだった。

人でないモノに憧れて、結局なれたのは

「人でなし」くらいのもんだ。


「すごいね、よく頑張ったね。

私には無理だわ!」

そう言うと、ヤエさんはハラハラと涙を流し

「報われた」と言った。


でも…とヤエさんは再び顔をくもらせる。

「おばあちゃんの呪いの方は、私の中でどう処理したらいいの?」

そういえば、まだその問題が残ったままであった。


《続く》



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