殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

ターシャからの贈り物

2012年01月27日 10時57分17秒 | みりドラ
ターシャ・テューダーという人をご存知だろうか。

数年前に92才で亡くなった、アメリカの女性である。

見た感じは、白雪姫にリンゴを売りつけそうなお婆ちゃんだ。

会ったことはもちろん無い。

テレビで知っただけである。


バーモント州の広い土地に、究極のナチュラルガーデンを作り上げ

世界中のガーデナーにとって憧れの的だったという。

絵本作家としても、19世紀初頭のスローライフ実践者としても有名だった。

人形作家、料理研究家でもある。

手作り、手仕事、素朴に丁寧…

おおざっぱな私から、遠くかけ離れたおかたであることは、間違いない。


なんでも23才の時、働かないダメオと結婚したようで

4人の子供を養うため、絵本作家になった。

好きなことが仕事になり、好きな仕事で子供を養えるのは

今も昔も女の夢である。


とはいえ、崖っぷちで破れかぶれのあげくに起きた奇跡…

というわけではなさそう。

デビューするまでは、出版社をいくつも回って苦労したそうだが

肖像画家の母親から絵の手ほどきを受けて育ったので、基礎ができていた。


絵本に取り組むかたわら、好きな農業もやっており

実家は裕福な名家なので、一家で飢えるという最悪の事態は

あらかじめ回避できていたと思われる。

夢にじっくり取り組める環境が、ある程度整っていたのだ。

希有な才能と努力を背景が後押しした結果、半ば必然的に叶った夢であった。


しかし、たとえ厳しい時期があったとしても

彼女は、さらりと静かに楽しんだであろう。

「苦節何年、逆境にもめげず、やり遂げました」

という主張はしない。

その時その時を完全燃焼して生きた人は、靜かだ。

多くを語らずとも、包まれている空気が人の心を魅了する。


私はターシャ関係の番組を二つ録画していて、たまに見る。

一番大切な録画と言っていい。


4人の子供のうち、主にテレビに出てくるのは

近所に住んで、母親の好む暮らしを全面サポートする長男一家だけ。

あとの3人はどうしているのやら…

根が下世話な私は、すぐこういうことを考えてしまう。

ああ、いかん、いかん。

母の選んだ道…それが特異であればあるほど

遺伝子レベルですんなり受け容れられる子供と

そうでない子供が出てくるのは、自然の摂理と言えよう。


二つの録画のうち、特に好きなのは、90才の最晩年を記録した

『ターシャからの贈り物』というタイトルのもの。

病気をしたそうで、2~3年前より格段に衰えている。

一回り小さくなった顔と体、浮世を眺める役割りを勇退したような瞳…

足元もおぼつかず、好きな庭仕事もあまりできなくなっている。

しかし、彼女ならではのユーモアは健在。


ペットの雄鶏にチョコレートを与え

「おいしいわよ…体には悪そうだけど…」

なんてつぶやく。

昔、孫に作ってやった、古びて顔が変色した人形をながめ

「この子にはビタミン剤が必要ね…」

とポツリ。

私のツボである。


ユーモアの他にもう一つ、彼女から受け取る贈り物は“ゆっくり”。

ターシャは老人だから、ゆっくりなのかもしれないけど

ゆっくりは、ぜひ受け取って身に付けたいところである。


「おいしいものを作るコツは、近道を探さないこと」

ターシャ語録の一つであるが、他の家事でもそうだと思う。

私はせっかちなタチで、つい急いでしまう。

何でもかんでも、時間短縮、ついで、ハショリの道を探すと

途端に今やっていることが、面倒で嫌な作業になってしまう。

早くケリをつけたくなって、セカセカする。


一人でセカセカする分には人畜無害だが

周囲に人がいる場合、セカセカは無言の圧力を与えてしまう。

自分で勝手に加速しておきながら

スピードの異なるトロい者、要領の悪い者に向ける目が厳しくなるのだ。


心が早送りになってきたと感じる時は

「ターシャ、ターシャ」と、まじないを口ずさむ。

するとスローテンポになり、楽しんでやっているような気分になる。

レジで支払いの段になってから、初めてバッグから財布を取り出し

ポイントカードを探しまくったあげく

下三ケタを一枚一枚小銭で払うおばさんの後ろに並んでも、笑顔で耐えられる。

私には必要な呪文だ。


録画を見る、見るとは言っても、一度に全編を通して見たことは無い。

途中で眠ってしまうからだ。

見事な庭の四季、子供の歌う賛美歌のようなBGM

斉藤由貴のおっとりしたナレーション…

すべてがリラクゼーションの世界。


これを見るのは、寝不足かつ予定の無い日の昼間と条件を決めている。

人はどうだか知らないが、私は必ず眠れる。

ターシャからの一番の贈り物は、睡眠である。
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大柄組合

2012年01月20日 13時24分34秒 | みりこんぐらし
               “アツシの見立て”



知人のラン子は、このところ仕事が暇だそうで、よく電話をしてくる。

この日、長い世間話の後で、思い出したように彼女は言った。

「そうそ、3月は、孫の卒園式なのよ」

   「あら、おめでとう」

「娘に着せるものがねえ…

 そこら辺のものじゃ気に入らないのよ」


ラン子の一人娘は、30代前半。

人間がもう一枚、人間の着ぐるみを着たような

縦も横も巨大な女の子であった。

そこら辺のものじゃ入らないのは“気”じゃなくて“体”だと思う。


「着物にしようかしらん」

   「そうしなさいよ…わざわざ買うことないじゃん」

「ねえ、みりこんさんの着物って、やっぱり長めに作ってあるんでしょ?」

   「うん…普通のサイズだと、袖が短いからね」

「じゃ、みりこんさんのだったら、合うかもしれない」

電話の本題は、これであった。


ラン子はどうも、着物を所望しているようだ。

「着物は私、うるさいほうだから、娘にもかなりの支度をしたのよ」

前にそう言っていたが、どうやら口ほどでもないらしい。


ラン子の遠回しな要望を受けて、娘に洋服をあげたことは

これまでにも何回かあった。

いつも、世間話でのさりげない情報収集と打診を経て

孫の行事が…友達の結婚式が…そろりそろりと本題に入る。

おしゃべりしているうちに、成り行きで希望が叶ったという

ストーリーが必要なのだ。

いきなり言って拒絶されると、立ち直れないからだと思われる。


孫ができれば、なんやかやと行事が多くなる。

独り身で、持病を抱えながらのパート勤めでは

嫁いだ娘の衣装まで面倒見きれないのは、他人でもわかる。

娘のほうも察してやればいいようなものの

「無い」だの「欲しい」だの、つい口に出してしまうのが

娘という生き物だ。


ラン子は親心と現状の板挟みで、ひそかに苦しんでいたが

やがて新調でなく、娘と同じ大柄組合員の私から調達する道を切り拓いた。

娘のほうが私より格段に大きいので

着られたのか、小さかったのかは知らない。

よそのオバサンの古着なんていい迷惑だと思うが

娘の選択肢を一つ増やせたことに、ラン子は満足そうだった。


若い頃別れた旦那、離婚の原因となった浮気相手の女

旦那の両親、冷たかったあの人この人、ついでに娘の姑…

憎む相手がたくさんいて、忙しいラン子だった。

その姿は、別の道を選んだもう一人の私のような気がしてならない。


私は着物を貸すことを快諾した。

今の流行ではないし、たいした品でも無いが

役に立てれば嬉しいではないか。


若いお母さんらしいもの…という理由で選んだ訪問着は

その昔、夫の両親があつらえてくれた。

出入りの呉服屋の口車に乗って、御所車の訪問着ができあがったわけだ。

柄の見立ては、なんと義父アツシ。

我ら義理の親子にも、短かったが、こんな蜜月時代があったのだ。


夫の度重なる浮気で、それは終わったとも言える。

しかし現実に手を下して終わらせたのは、負の感情に支配され

愛することをやめた私自身だったと、今は思う。


こんなありがたさの一つ一つに気づけなかったから

氷河期がやってきたのだ。

氷河期を経て、再び蜜月となったのは、私にとって幸運であった。

着物を手に、しばし感慨にふける私よ。


ラン子に、この着物を近いうちに届けると約束する。

「ついでに帯と、長襦袢もね」

「草履とバッグも貸して」

結局、何も無いんじゃんか。

最後に「あ、足袋も、足袋も」と言われ、承諾した私を

人はバカと言うだろうか。


翌日、またラン子から電話。

「ねえ、借りる予定の着物だけど、もらうわけにはいかない…よね?」

うっ、そうきたか。

    「やらんで」

「下の子もいるし、活用すると思うのよ。

 あなた、娘もいないんだし…」

    「ダメじゃ」

思い出深い着物である。

いずれ両親亡き後、たまには眺めて偲ぶ予定だ。


さらに翌日、電話。

「卒園式は何とかなるとして、入学式はどうしよう。

 みりこんさん、黒の絵羽織があるって、言ってたわよね」

言った、言いました。

   「いまどき黒絵羽織なんて、化石よね~!ギャハハ」

と笑いました。

「決めた、それにしよう。

 誰も着ないから、かえって新鮮かも」

   「ラン子君、それは、君が決めることかな?」

「フフッ」


ここで初めて気づく。

今年の卒園式と入学式が終わったら、2年後には下の子が控えている。

また何年かしたら、上の子が中学、次に下の子が…

そのたびに、これかよ。

わ~!めんどくさ!


大柄組合・衣装部は、当分閉店できないじゃないか。

いったい何年後まで営業するんだろう。

それを知りたい欲望は、軽い後悔を越えた。
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年越しダイアリー

2012年01月12日 12時00分23秒 | みりこんぐらし
おまえの旦那は、近頃どうなんだ…

気のせいかもしれないが、そんな声が聞こえるような気がするので

したためておこうと思う。


《12月31日》

夜、宅配業者から電話。

「昨日うけたまわりました冷凍便ですが

 お届け先へ何回うかがってもお留守で…」


依頼主は夫、送り先は市内のとある女性。

年内配送の指定になっているが

送り状に相手の電話番号が記入されていないので

携帯番号を教えるか、年を越してもいいか、または送り返すか

指示してほしいという内容であった。

夫はサウナに出かけて留守だったので、すぐには聞けない。


私はその名前に心当たりがあった。

町内にある小さな居酒屋の女将だ。

若く見えるが、60もつれの既婚女性である。

結婚前は看護師で、バブル全盛期には主婦業のかたわら

市内の建設業者の愛人だった。

基礎知識としてあるのは、そこまでだ。


2ヶ月ほど前、肉屋の店先で彼女にバッタリ会ったことがあった。

一緒に行った友人が、彼女の古い知り合いだったらしく

二人は久しぶりの再会に大はしゃぎしていた。


大人の作法としては、落ち着いた頃をみはからって

友人が私を紹介する流れとなる。

   「主人がお店にお邪魔しているそうで、お世話になります」

名字を名乗ってそう言った途端、彼女からくしゃくしゃの笑顔が消えた。

「どうも…」とつぶやきながら、そそくさと立ち去ったのを見て

友人は首をかしげ、私はピンときた。

離婚のゴタゴタで傷ついたと言って近付く、夫のいつもの手だ。

いないはずの女房が肉買ってりゃ、とりあえずびっくりする。


何週間か前、車で30分ほどの町にある釜飯屋から

たまたま夫と彼女が一緒に出てきたのを目撃した。

こっちはたまたま友人と、釜飯屋のすぐ先にある

ホームセンターへ行く途中だった。

間の悪いことである。


フグ屋の前なら、あるいは文句を言っていたかもしれないが

釜飯はどうでもいい。

彼女は釜飯食ったのがよっぽど嬉しかったのか、ぴょんぴょん跳ねていた。

そこで“かまめしどん”と命名した次第である。


夫は昨年から急に、同級生との旧交を温め始めた。

幹事が常連という理由で、会合はいつもかまめしどんの店で行われていた。

元看護師、さらに知人のお古とくれば、夫の大好物。

“複数の偶然は黒”という私の定義によれば

何回か通ううちに、懇意になったと言えよう。

資金繰りに忙しい夫と、閑古鳥鳴く店の経営者…

爺と婆が肩でも頬でも寄せ合って、現実から目をそらしていれば、日は経とう。


夫は昨日の夕方、未歳暮(みりこん語…まだお返しをしてない歳暮のこと)

が何軒か残っているのを突然思い出した母親に泣きつかれ

親しい水産会社に駆け込んで手配した。

ついでにかまめしどんにも、大晦日のサプライズプレゼントを

届けるつもりだったと思われる。

送り状に自分の携帯でなく、我が家の電話番号を書いたばっかりに

私が知る羽目になったのは、残念なことであった。


宅配業者にたずねてみる。

    「中味は何ですか?」

「カニです」

よその旦那に釜飯をたかる身の上で、生意気な。

きさまは腐ったイモか、クズみかんでも食べておればいいのじゃ。

    「お手数ですが、こちらへ送り返してください」

そう言うと、宅配業者はホッとしていた。


ほどなく帰宅した夫には、何も言わない。

そして我が家に、タラバガニが訪れた。

着服。



《1月1日》

元旦の食卓にカニを横たえる。

雑煮とおせちの嫌いな夫は、歓迎した。


「どうしたんだ?これ」

いつになくたずねる夫であった。

   「頂き物よ」

「誰から?」

珍しく食い下がる夫であった。

   「人」

「…」

およそのことを察した夫であった。



《1月2日》

3年に一度の同窓会。

ここ何回か、仕事で行けなかったので、久しぶりの出席である。


私は今年から3年間、同窓会の会計係に任命された。

その特権で、出席者の名前は把握しており

大嫌いないじめっ子、Kは来ないとわかっているので、足取りは軽い。

何年も前、国を守る某組織の制服を着込んで同窓会にやって来た、あのKである。

詳しくはカテゴリー『異星人』を見てちょ。


これも会計の引き継ぎで知ったのだが

ヤツは年間5千円の会費を5年分払っていない。

同窓会に出席するには、未払いの会費に加え

今年の会費と、同窓会の参加費8千円

計3万8千円を受付けで支払わなければ、参加できないのだ。

ヤツのケチな性格上、同窓会には二度と来ないと踏んでいる。

国を守る前に、決まり守れや。

くっくっく。


数名の友達と誘い合わせ、会場のホテルがある町へ早めに出かけた。

お茶よ、買物よと遊び回り、同窓会に遅刻。


受付けで、席順のくじ引きがあった。

遅刻したので、くじはもう数枚しか残っていない。

人をつかまえてはくどくどと出世自慢をし、あげくはバカにするので

誰も近寄らないM君の隣りだけは嫌…

先生達と一緒のテーブルも、騒ぎにくくて嫌…と思っていたら

よりによってM君と先生に挟まれた席を引き当ててしまった。

確率37分の1のプラチナシートである。


が、今年はM君、Kの話をするではないか。

「転勤してくれてホッとしたよ」

それまでは住所が近かったので、たかられたり

遊びに来た家族を泊めろと言われたり、色々あったらしい。

「地元の子にも迷惑かけてるのか…彼の勘違いは病的だから、気をつけなよ」

忠告はあとの祭だったものの

途端にM君がいい人に見えるゲンキンな私であった。



《1月3日》

家事を夫に任せ、帰省中の友と遊ぶ。

もちろん送迎もしてもらう。

今のうちだ…今なら何でもしてくれる。

実家の倉庫の片付けも、近いうちにやらせる手はずになっている。

母は遠慮して、暖かくなってからでいいと言ったが

バレ始めの今が、一番使い出があるのだ。


こうして私の年末年始は終わった。

ありふれた日々であった。
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羽子板

2012年01月05日 10時53分48秒 | みりこん昭和話
明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願い致します。




子供の頃、正月には毎年、羽根つきをした。

普段はしないのに、なぜか正月には、しなければ気がすまなかった。

三が日が過ぎると、なぜか途端にやる気が失せる

期間限定の不思議な遊びであった。


元日、晴れ着を来て写真館へ行き、妹と二人で記念写真を撮ったら

心はすぐに羽根つきへと向かう。

羽根つきは、まず近所にある駄菓子屋で

プレー用の羽子板と羽を買うことから始まる。

元日から営業しているのは、商売気というより

コマや羽子板を買いに来る子供に、いちいち店を開けさせられるのが

面倒だからと思われる。


羽子板は、小ぶりな木の板に

花や人形の絵が描いてあるシンプルなものと

板の下方の持ち手に近い部分に、直径2センチほどの穴が空いており

そこに小さな鈴がぶら下がっている豪華版とがあった。

羽を打つたびに、チリン、チリンと鳴る仕掛けである。


小さい頃は、鈴に惹かれて豪華版を求めていたが

勝負にこだわる年齢になると、鈴の穴が

羽の行方に差し支えることを発見する。

シンプルイズベスト。


私は無敵であった。

なにしろ対戦相手は、一つ下の妹のみ。

周辺の子供は皆、母親の実家へ出かけていたからだ。

我が家の場合、家がそのまま母親の実家なので

帰省する必要が無いのだった。


3年生の時だったか、妹は着物を早く脱いだ。

洋服に着替え「羽根つきで姉ちゃんに勝ちたい…」

などと、母に耳打ちしている。

なにをこしゃくな…こっちは着物のまま勝ってやるわい。


が、洋服の妹は、身軽で強かった。

私はジリジリと追い上げられ、負けそうになる。

これはいけない…ということで、私はタイムをかけ、家にとって返した。

家には“羽根つきをしてはいけない羽子板”

というものがあるのを思い出したのだ。


いつもガラスケースに入っているそれは、子供の私にとって

かなり大きいものであった。

片面には、ごついアップリケが貼り付けてある。

着物を着て日本髪を結った女性の上半身。

肩や髪が羽子板の幅に収まりきらず、はみ出しているさまが横柄そうに見え

つり上がった細い目に、以前から軽い恐怖を感じていた。

しかし、勝つにはこれしか無い!と思った。

“羽根つきをしてはいけない羽子板”には、隠れた魔力があるに違いないのじゃ!


問題の羽子板をこっそり持ち出す。

お…重たい。

この重さは、秘めたる力の重量…私にはそう思えた。


羽子板を抱え、意気揚々と勝負の場に戻った私を見て

妹は「いけないんじゃないの…?」とは言ったが

姉に逆らう勇気は持たなかった。


   「さあ、来い!」

得意げに振り上げようとするが、羽を追うどころか

持ち上げるのがやっとこさ。

勝負は逆転というより、自滅。


その時、私はひらめいた。

そうだ…使用法を間違っていた…

表のアップリケの部分で打てば、つり目のオネエさんが

キャッチしてくれるのではないか。


私は峰打ちをする武士のように、羽子板の向きをくるりと反転させ

アップリケの面を妹に向けた。

しかし、羽はアップリケの凸凹に当たって

イレギュラーな方角への落下を繰り返すだけであった。

オネエさん、キャッチして投げ返してくれそうな気配は無い。

ふがいない女だ。


振り回しているうちに、アップリケの上半分が

板からバラリとはがれた。

羽を打とうと羽子板を動かすたびに、半分はがれたアップリケが

バッタンバッタンと遅れて羽子板に跳ね返る。

ろくに打ち返せないまま、点差はさらに開いた。


「姉ちゃん…もうやめようよ…」

妹は心配そうに、何度も言う。

    「いいや!まだまだじゃ!」

しつこく食い下がる私。


やがてアップリケの全身が、土台から完全に分離して地面に落ち

羽子板はグンと軽量化された。

勝負はこれからじゃ。

やっと羽子板に慣れてきて、いよいよ魔力が発揮されるのじゃ。

アラジンの魔法のじゅうたんだって、最初はうまく乗れなかったじゃないか。


「私、帰る…」

妹は、家の中に入ってしまった。

   「ダメじゃ!まだやるんじゃ!」

その背中に向かって叫ぶ。

家の前で臨戦態勢のまま待つが、妹は戻ってこなかった。


しかたがないので、私も帰ることにする。

落ちたアップリケを拾ったが、顔の部分は泥で汚れてしまった。

羽子板と一緒に、父の事務机にそっと放置。


始末に困ったものは、こうしておけばたいていどうにかなる。

行き詰まった工作の宿題も、壊れたおもちゃも、どうにかなっていた。

空の財布を置いておけば、小銭が入れられていた。

露店で買ってつつきまわしたあげく、ぐったりしたヒヨコだって

新築の小屋に入れられて、元気にピヨピヨ鳴いていた。

私にとっては魔法の机であった。


後で見たら、羽子板は予想通り、ガラスケースに戻っていた。

ただし羽子板の女性は、色白ではなくなり

褐色の日焼け美人になっていた。
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