ターシャ・テューダーという人をご存知だろうか。
数年前に92才で亡くなった、アメリカの女性である。
見た感じは、白雪姫にリンゴを売りつけそうなお婆ちゃんだ。
会ったことはもちろん無い。
テレビで知っただけである。
バーモント州の広い土地に、究極のナチュラルガーデンを作り上げ
世界中のガーデナーにとって憧れの的だったという。
絵本作家としても、19世紀初頭のスローライフ実践者としても有名だった。
人形作家、料理研究家でもある。
手作り、手仕事、素朴に丁寧…
おおざっぱな私から、遠くかけ離れたおかたであることは、間違いない。
なんでも23才の時、働かないダメオと結婚したようで
4人の子供を養うため、絵本作家になった。
好きなことが仕事になり、好きな仕事で子供を養えるのは
今も昔も女の夢である。
とはいえ、崖っぷちで破れかぶれのあげくに起きた奇跡…
というわけではなさそう。
デビューするまでは、出版社をいくつも回って苦労したそうだが
肖像画家の母親から絵の手ほどきを受けて育ったので、基礎ができていた。
絵本に取り組むかたわら、好きな農業もやっており
実家は裕福な名家なので、一家で飢えるという最悪の事態は
あらかじめ回避できていたと思われる。
夢にじっくり取り組める環境が、ある程度整っていたのだ。
希有な才能と努力を背景が後押しした結果、半ば必然的に叶った夢であった。
しかし、たとえ厳しい時期があったとしても
彼女は、さらりと静かに楽しんだであろう。
「苦節何年、逆境にもめげず、やり遂げました」
という主張はしない。
その時その時を完全燃焼して生きた人は、靜かだ。
多くを語らずとも、包まれている空気が人の心を魅了する。
私はターシャ関係の番組を二つ録画していて、たまに見る。
一番大切な録画と言っていい。
4人の子供のうち、主にテレビに出てくるのは
近所に住んで、母親の好む暮らしを全面サポートする長男一家だけ。
あとの3人はどうしているのやら…
根が下世話な私は、すぐこういうことを考えてしまう。
ああ、いかん、いかん。
母の選んだ道…それが特異であればあるほど
遺伝子レベルですんなり受け容れられる子供と
そうでない子供が出てくるのは、自然の摂理と言えよう。
二つの録画のうち、特に好きなのは、90才の最晩年を記録した
『ターシャからの贈り物』というタイトルのもの。
病気をしたそうで、2~3年前より格段に衰えている。
一回り小さくなった顔と体、浮世を眺める役割りを勇退したような瞳…
足元もおぼつかず、好きな庭仕事もあまりできなくなっている。
しかし、彼女ならではのユーモアは健在。
ペットの雄鶏にチョコレートを与え
「おいしいわよ…体には悪そうだけど…」
なんてつぶやく。
昔、孫に作ってやった、古びて顔が変色した人形をながめ
「この子にはビタミン剤が必要ね…」
とポツリ。
私のツボである。
ユーモアの他にもう一つ、彼女から受け取る贈り物は“ゆっくり”。
ターシャは老人だから、ゆっくりなのかもしれないけど
ゆっくりは、ぜひ受け取って身に付けたいところである。
「おいしいものを作るコツは、近道を探さないこと」
ターシャ語録の一つであるが、他の家事でもそうだと思う。
私はせっかちなタチで、つい急いでしまう。
何でもかんでも、時間短縮、ついで、ハショリの道を探すと
途端に今やっていることが、面倒で嫌な作業になってしまう。
早くケリをつけたくなって、セカセカする。
一人でセカセカする分には人畜無害だが
周囲に人がいる場合、セカセカは無言の圧力を与えてしまう。
自分で勝手に加速しておきながら
スピードの異なるトロい者、要領の悪い者に向ける目が厳しくなるのだ。
心が早送りになってきたと感じる時は
「ターシャ、ターシャ」と、まじないを口ずさむ。
するとスローテンポになり、楽しんでやっているような気分になる。
レジで支払いの段になってから、初めてバッグから財布を取り出し
ポイントカードを探しまくったあげく
下三ケタを一枚一枚小銭で払うおばさんの後ろに並んでも、笑顔で耐えられる。
私には必要な呪文だ。
録画を見る、見るとは言っても、一度に全編を通して見たことは無い。
途中で眠ってしまうからだ。
見事な庭の四季、子供の歌う賛美歌のようなBGM
斉藤由貴のおっとりしたナレーション…
すべてがリラクゼーションの世界。
これを見るのは、寝不足かつ予定の無い日の昼間と条件を決めている。
人はどうだか知らないが、私は必ず眠れる。
ターシャからの一番の贈り物は、睡眠である。
数年前に92才で亡くなった、アメリカの女性である。
見た感じは、白雪姫にリンゴを売りつけそうなお婆ちゃんだ。
会ったことはもちろん無い。
テレビで知っただけである。
バーモント州の広い土地に、究極のナチュラルガーデンを作り上げ
世界中のガーデナーにとって憧れの的だったという。
絵本作家としても、19世紀初頭のスローライフ実践者としても有名だった。
人形作家、料理研究家でもある。
手作り、手仕事、素朴に丁寧…
おおざっぱな私から、遠くかけ離れたおかたであることは、間違いない。
なんでも23才の時、働かないダメオと結婚したようで
4人の子供を養うため、絵本作家になった。
好きなことが仕事になり、好きな仕事で子供を養えるのは
今も昔も女の夢である。
とはいえ、崖っぷちで破れかぶれのあげくに起きた奇跡…
というわけではなさそう。
デビューするまでは、出版社をいくつも回って苦労したそうだが
肖像画家の母親から絵の手ほどきを受けて育ったので、基礎ができていた。
絵本に取り組むかたわら、好きな農業もやっており
実家は裕福な名家なので、一家で飢えるという最悪の事態は
あらかじめ回避できていたと思われる。
夢にじっくり取り組める環境が、ある程度整っていたのだ。
希有な才能と努力を背景が後押しした結果、半ば必然的に叶った夢であった。
しかし、たとえ厳しい時期があったとしても
彼女は、さらりと静かに楽しんだであろう。
「苦節何年、逆境にもめげず、やり遂げました」
という主張はしない。
その時その時を完全燃焼して生きた人は、靜かだ。
多くを語らずとも、包まれている空気が人の心を魅了する。
私はターシャ関係の番組を二つ録画していて、たまに見る。
一番大切な録画と言っていい。
4人の子供のうち、主にテレビに出てくるのは
近所に住んで、母親の好む暮らしを全面サポートする長男一家だけ。
あとの3人はどうしているのやら…
根が下世話な私は、すぐこういうことを考えてしまう。
ああ、いかん、いかん。
母の選んだ道…それが特異であればあるほど
遺伝子レベルですんなり受け容れられる子供と
そうでない子供が出てくるのは、自然の摂理と言えよう。
二つの録画のうち、特に好きなのは、90才の最晩年を記録した
『ターシャからの贈り物』というタイトルのもの。
病気をしたそうで、2~3年前より格段に衰えている。
一回り小さくなった顔と体、浮世を眺める役割りを勇退したような瞳…
足元もおぼつかず、好きな庭仕事もあまりできなくなっている。
しかし、彼女ならではのユーモアは健在。
ペットの雄鶏にチョコレートを与え
「おいしいわよ…体には悪そうだけど…」
なんてつぶやく。
昔、孫に作ってやった、古びて顔が変色した人形をながめ
「この子にはビタミン剤が必要ね…」
とポツリ。
私のツボである。
ユーモアの他にもう一つ、彼女から受け取る贈り物は“ゆっくり”。
ターシャは老人だから、ゆっくりなのかもしれないけど
ゆっくりは、ぜひ受け取って身に付けたいところである。
「おいしいものを作るコツは、近道を探さないこと」
ターシャ語録の一つであるが、他の家事でもそうだと思う。
私はせっかちなタチで、つい急いでしまう。
何でもかんでも、時間短縮、ついで、ハショリの道を探すと
途端に今やっていることが、面倒で嫌な作業になってしまう。
早くケリをつけたくなって、セカセカする。
一人でセカセカする分には人畜無害だが
周囲に人がいる場合、セカセカは無言の圧力を与えてしまう。
自分で勝手に加速しておきながら
スピードの異なるトロい者、要領の悪い者に向ける目が厳しくなるのだ。
心が早送りになってきたと感じる時は
「ターシャ、ターシャ」と、まじないを口ずさむ。
するとスローテンポになり、楽しんでやっているような気分になる。
レジで支払いの段になってから、初めてバッグから財布を取り出し
ポイントカードを探しまくったあげく
下三ケタを一枚一枚小銭で払うおばさんの後ろに並んでも、笑顔で耐えられる。
私には必要な呪文だ。
録画を見る、見るとは言っても、一度に全編を通して見たことは無い。
途中で眠ってしまうからだ。
見事な庭の四季、子供の歌う賛美歌のようなBGM
斉藤由貴のおっとりしたナレーション…
すべてがリラクゼーションの世界。
これを見るのは、寝不足かつ予定の無い日の昼間と条件を決めている。
人はどうだか知らないが、私は必ず眠れる。
ターシャからの一番の贈り物は、睡眠である。