殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

イチゴ狩り

2024年02月27日 09時41分22秒 | みりこんぐらし
先日、同級生のマミちゃん、モンちゃんとイチゴ狩りに出かけた。

子供がまだ小さい頃、リンゴ狩りとサクランボ狩りには行ったことはあるけど

イチゴ狩りは初めて。

リンゴ狩りはそんなにバクバク食べられるもんじゃないし

サクランボ狩りは監視の人が付きまとい

「1本の木で一粒か二粒、味を見る程度にしてくださいね」

とうるさかった。

そんなに惜しいんなら客を呼ぶな…と思ったものである。


ブドウ狩りは高校の夏休みに妹とバイトをしたので

お金を出してまで行く気は起きない。

電車でふた駅の、今住んでいるこの町にあるブドウ園だ。

普段は地元のおばさんが10人ほど働いているが

お中元シーズンにはブドウを買いに来る人が増えて人手が足りないため

お盆までの2週間弱、数人の高校生バイトを雇っていたのである。


ブドウ園の持ち主夫婦は、ケチで意地が悪かった。

大人になったら、ああはなるまいと誓ったものだ。

雇い主がそんなだから、働いているおばちゃんたちも萎縮して

卑屈な人が多かったが、中には優しい人もいた。

大人になったら、ああいう人になろうと誓ったものだ。


私と妹をバイトに誘った2人の同級生は過酷な労働に音をあげ

一日で来なくなった。

私たちも辞めてしまおうかと思ったが、二人いなくなったので辞めにくくなり

そのままシーズンが終わるまで通った。

そこで学んだ知識?により、ブドウの品質にはうるさくなった私である。


いずれにしても私と“狩り”は相性が良くないと思っていたので

長い年月、狩りと名のつくものに手を出す気は無かった。

が、急きょ行くことになったのは中学と高校の同級生トシ君が

イチゴ園の管理人をしていると聞いたからである。


中高で野球部だったトシ君とは、わりと仲が良かった。

彼は野球部の主将、私はブラスバンドの副部長だったため

試合の応援で接触があったからだ。


が、我々の地元には小学校の同窓会しか無いので

大人になってから接触したことは無い。

知っている消息は勤務先と、私と同じ町に家を建てたことぐらい。

もっとも彼は長年、とある市議の選挙ドライバーをしていて

4年に1回、選挙カーですれ違っていたので顔は見ている。


「定年間際に色々あって、遠い島にある系列会社のイチゴ園に飛ばされた。

桃より甘いイチゴだから、ヤツが退職する前に行った方がいい」

高校の野球部だった子に言われ、その気になった私は

トシ君と小学校から一緒のリッくん(ここに時々出てくるお茶の師範)

に電話して、連絡してもらう。


しかしリッくんが伝えてきたのはトシ君の携帯番号だけで

あとは本人同士でよろしくということだった。

そうだった…この子、人の世話が苦手なのだ。

チッ!役に立たない男、いやゲイだ。


トシ君の声を聞いたのは、実に46年ぶり。

思わず「トシ君?」と名前を呼んでしまった。

「おお!みりこんちゃん!」

向こうもすっかり高校生に戻っとる。

彼の話によるとイチゴ園は予約でいっぱいだそうだけど

曜日と人数によっては調整できるということで

急きょ、この日曜日に行くことになった。


リッくんも行きたがり、バイトを休める3月まで待ってくれと言ったが

見捨てた。

だってこの人、経済的理由で車を出したがらない。

そのためかどうかは知らないが、日頃から極度の方向音痴を主張している。

イチゴ狩りの世話もしてくれなかったし

彼が我々に混じるメリットは、彼にあっても我々には無いからだ。


こうして25日の日曜日、マミちゃんの運転でイチゴ園に向かった。

それにしても島は遠く、1時間半近くかかった。

橋が通っているので地続きではあるが

トシ君はほぼ毎日、この道のりを通勤しているのだ。

彼の性格だと、この通勤を楽しんでいるだろうし

職場の人たちとも仲良くやっていると確信しているが

物理的には早く辞めろと言われているのと同じじゃないか。

若い頃は、職場にいる年配者が鬱陶しかったが

いざ自分が年かさになると、このような扱いが身に染みる。


「よう来たのぅ!」

イチゴ園に着いたら、トシ君が出迎えてくれた。

おお、がっしり体型はそのままだけど、頭も眉毛も真っ白になっとる。

が、やっぱり農園ライフを楽しんでいる様子。

景色もいい。



入場料一人あたり1,700円を支払い

トシ君の案内でさっそくイチゴ狩りにいそしむ我ら3人組。






甘くて美味しいわ。




イチゴを食べるために昼を抜き、午後1時の予約にしたけど

そうたくさん食べられるもんじゃないわね。

40分の制限時間より早く、ギブアップ。

マミちゃんは「もう当分、イチゴはいいわ」とつぶやき

モンちゃんは「あと2年、イチゴ無しで生活できる」と言った。


それからトシ君に連れられ、同じ敷地にあるカフェへ。

彼はそのまま仕事に戻ったけど、3人のコーヒー代は払ってくれていた。

こういうところが、トシ君なのよね。

カフェのおばちゃんもトシ君のファンらしく、彼の昔話で盛り上がった。


カフェの隣にあるレストランで食事をし、お土産を買って帰ることになった。

このイチゴ園は狩るだけでイチゴの販売をしてないので、イチゴのお土産は無し。


コーヒーのお礼を言うため、トシ君に声をかけたら

彼はレモンやデコポンを詰めた袋を3つ持って来て

「土産じゃ」

と言いながら我々にくれた。

我々のために用意していたらしい。


そして彼と4人、駐車場で1時間ほど立ち話をしたが

午前中は雨だったし夕方が近づいていたので、ものすごく寒かった。

ビニールハウスだから暖かいと思い込んでいた我々は、軽装だったのだ。

ビニールハウスには間違いないけど、曇っていたし

イチゴが傷むので暖房なんか無いし、そう言えば着いた時からずっと寒かった。

イチゴは寒い時期が美味しいそうだけど、こう寒くっちゃ…。

遭難するかと思った。
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5年越しの戦い

2024年02月22日 15時20分59秒 | みりこんぐらし
昨年12月は、5年ぶりに運転免許の更新だった。

ゴールド免許を自慢しているわけではない。

遠くや知らない所へ行かない、できるだけ運転しない…

この精神で無事故無違反を継続しているだけなのはともかく

免許証の写真を撮ったのも5年ぶり。


5年前、証明写真のボックスで写真を撮った時は

ちょっと値段の高い「美肌モード」を選んだ。

その時、顔はまあまあに写ったけど、髪の方が今ひとつ。

美肌用の強いライトのせいだろう、髪が光によって飛んでしまい

ペチャンコに見えて不満だった。

そこで、今回はどうしようかなぁ…と思いつつ、ボックスの中の人となる。


が、5年の月日は私に冷たかった。

この近辺も外国人が増えて、証明写真のボックスは

複数の外国語の自動音声が内蔵されていたのだ。

どこでボタンを押し間違えたのか、説明が中国語になっちまったじゃないか。


日本語に変えようにも、自動音声の女は早口でまくし立てるばかりで

何を言うとるのかわからん。

ヒ〜!もはや美肌モードどころじゃない!

焦った私は一刻も早くここを出るために当てずっぽうで選択ボタンを押し続け

何とか写真は撮れた。


が、美肌モードでなく通常モードで撮った私は傷んだお婆さんでしかない。

髪はちゃんと残っているけど、何だか色黒で小ジワとたるみがバッチリよ。

5年前に撮って免許証に載っている写真と比べたら

「この5年で何があった?!」のレベル。

まあ、色々あったのは確かだけど、ここまで老けるとはね。

髪の写りなんかどうでもいいから、次の更新は絶対に美肌モードで撮ると誓う。

その前に、中国語のボタンをうっかり押さんことじゃな。

いや、また間違えたら恐ろしいので、写真屋さんへ行こう。



5年前といえば…いや、もう6年前になりそうだけど

2018年7月の西日本豪雨。

あれは私の住む町にも、大きな影響をもたらした。

我が家は庭や前の道路が浸水した程度で済んだものの

多くの家々が浸水や土砂崩れで被害に遭い、犠牲者まで出て

そりゃもう大変な騒ぎだった。


あれから約5年と8ヶ月…一部の山を除いて町はほとんど復興したが

我々一家は豪雨の後遺症とでも言うべき、ある問題を抱えることになった。

その問題とは、クマネズミ。

目の前にある川が豪雨で増水したため、生態系が変わったらしい…

それまで我が家に何十年も常駐していた小さな家ネズミがいなくなって

10センチ超の大きなクマネズミ数匹が棲みついてしまったのだ。


自然豊かな田舎のこと、小動物との共存は致し方ないと諦めているが

小柄で上品な家ネズミと違い、クマネズミ戦闘的で悪辣。

丸くて小さい可愛らしい耳をしているから

クマネズミと呼ばれるのかどうかは知らないが

可愛いのは耳だけで、身体は大きいし意地も悪い。

ヤツらのやらかす悪さは家ネズミの比ではなく

壁や柱をガリガリとかじり、夜中には天井裏でドタバタと大運動会。

家もメチャクチャになるが、サツマイモ大のアレらは体重が重たいので

うるさいんじゃ。


我々とて、手をこまねいて我慢ばかりしていたわけではない。

手始めに、ドブネズミ用の大きな粘着シートを仕掛けた。

すると一発で、最初の一匹がかかった。

クマネズミには違いないけど、ずいぶん小さい子供だ。

おぼこいので、罠にかかるというヘマをやったらしい。


これに気を良くした我々は、粘着シートを買い足してあちこちに仕掛ける。

犬がいるので滅多な所には置けず、場所を考えながら設置に励んだが

二度とかからなかった。


ちなみにペットが粘着シートにくっついてしまった時は

ペットに小麦粉をまぶすといいそうだ。

獣医さんから聞いた。


粘着シートがダメとなると、夫家に伝わるネズミ獲りのカゴの出番。

そのカゴは私が嫁いだ頃、すでにあった。

長方形の金属製のオリで、オリの奥にエサを引っかける針金がぶら下がっている。

ネズミがエサに誘われて、ぶら下がったエサを食べ

針金が動くとオリの入り口がガシャン!と閉まって生捕りになる手はず。


その後はどうするのかって?

カゴごと水に沈めて他界していただく。

ぐったりしたその子をオリから出して廃棄するのはキツい作業だが

家庭だけでなく、食品を扱う店などでも使われる古典的な罠。

この装置最大の長所は、薬品を使用しないので安全なところである。

我が家もこの装置で、これまで多くのネズミが処刑されてきた。


ともあれ誘うエサの手を変え品を変え、カゴを仕掛けて数日後。

少し大きいのが、かかった。

その時のエサは、ウインナーだったと思う。

しばらく裏の納屋へ置いていたが、そこを通るたびに

カゴの中からシャーッ!と喧嘩腰の態度。

やがて帰って来た夫が水の中へ沈め、さようなら。


一度かかった罠には二度とかからないのか、その後は何ヶ月も不作が続いた。

そこで今度は毒物。

古典的な赤いお米みたいなのやスプレー式などを色々試し

行き着いたのがこれ。



イカリ印の殺鼠剤、メリーネコ。

パッケージのイラストが可愛いので買ってみた。

写真は野ネズミ用だが、家ネズミ用もある。

私はクマネズミが野ネズミか家ネズミがわからなかったので、両方を買った。

中身は3センチ四方ぐらいの紙パックがたくさん。

その紙パックの中に、ネズミに良くない粒状の毒が入っていて

ネズミが食すると屋外で絶命するそうだ。


これは効いた。

家のあちこちに置いたら次々に3匹、庭の植木鉢や花壇の隅で息絶えていた。


気をよくしてメリーネコを買い足し、またあちこちにばらまく。

が、それっきり成果は無かった。

やっぱり同じ手には引っかからないみたい。

クマネズミは数々の危険を学習したらしく

我が家には、最も頭のいいラスボスが残った。


「一匹、賢くて大きいヤツがいる」

彼?を目撃したり被害を受けたりするうち

我々はそいつを『クマよし』という名前で呼ぶようになった。

クマよしはその後、何年にも渡って我々を苦しめるのだった。


もちろん、プロに退治してもらう方法もある。

事実、同級生のマミちゃんは自宅に野生動物が棲みつき

天井裏でおしっこをしたり、壁や柱に足跡をつけたりと悪さをするので

プロに駆除を依頼した。


捕獲された動物は、テンという生き物だった。

料金は50万円で、5年間の保証付き。

向こう5年の間に再びテンが棲みついたら、無料で駆除をしてくれるそうだ。

だけど5年なんて、あっという間よ。

マミちゃんの家は日本建築の豪邸なので、動物に傷められるのは困るだろうが

うちは古いボロ家。

値打ちが無いので、ネズミのために大金を払うのは惜しい。


粘着シート、ネズミ捕りのカゴ、そしてメリーネコ…

この3点セットで捕獲を試みる日々は続いた。

が、敵もさるもの、一向に引っかかる気配は無い。


そのうちクマよしはさらに賢くなって、あからさまな悪事をはたらくようになった。

インコに与えた小松菜を鳥かごから引っ張り出したり

義母ヨシコが隠しているお菓子をかじったり

チューブのハンドクリームに穴を開けていたこともあった。

ヤツは天井裏や壁の中というマイナーな箇所だけでなく

人間のテリトリーに踏み入ってきたのだ。

我が家での暮らしにも慣れ、調子に乗ってきたらしい。

が、人間だろうとネズミだろうと、調子に乗ると落とし穴に落ちやすいもの。

私はその瞬間を気長に待った。


そして先日、ついにその瞬間が訪れる。

まだ夜明け前の早朝、長男が台所へ行くとガサガサと音がしたという。

あんまりうるさいので音源を探すと

台所のフキン掛けにぶら下げたスーパーのポリ袋の中で

出られなくなったクマよしがもがいていたそうだ。


クマよしほどの“手だれ”なら、ポリ袋を噛み破って外へ出られたはずだが

大容量のホットケーキミックスが邪魔をして、逃走に時間がかかったらしい。

食べ物に手を出し始めたクマよしを危険視した私は

少し前からホットケーキミックスやお菓子類をポリ袋に入れて

高い所へぶら下げるようになっていたのだ。


長男は急いで袋の口を縛り、クマよしを車で会社へ連行。

ホットケーキミックスもろとも、焼却炉へ投入した。

長男の話によるとクマよしはかなり大きく、コロコロに太っていたそうだ。

あれから数日、我が家は静かな夜を過ごしている。
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天のカラクリ

2024年02月19日 15時18分05秒 | 前向き論
決して悪い人ではないのだが、私を昔から馬鹿にする年上の女性がいる。

何を馬鹿にするかというと、仕事。

その人は誰もがうらやむ、安定かつ高給の仕事に就いていたので

当時、病院の厨房でパート勤めをしていた私を見下げていたのだ。

そんな人と会わなきゃいいんだけど、たまに会ってしまう機会があった。


「ちゃんとした仕事に就いてないと、少ない給料でこき使われて大変ね」

「私は老後も安心、誰にも迷惑をかけないで済む」

彼女は会うたびに仕事の話を持ち出し、得意顔でそのようなことを言った。

その一方、私は私で思っていた。

「あんたは両親に子守りをしてもらってたじゃん。

あんたと私の違いは、子守りのある無しだけじゃ」


現にそうなのだ。

昔は就職先がたくさんあった。

お役所、銀行、電報電話局に郵便局、近隣の大企業…

働く女性が少ない時代は、たいていの所に紹介で入れた。

しかし、どんなに良い所へ就職したって子守り…

しかも健康でしっかりした子守りがいなければ続けられない。

仕事を続けるには根性も不可欠なので

子守りさえいればオールOKというわけではないが

彼女に親への感謝は皆無。

自分だけが頑張った口ぶりで、武勇伝を語るのだった。


そして月日は経ち、彼女は定年退職。

さんざん子守りをさせた親は、とうに他界している。

来る日も来る日もハードワークと責任感の必要な子守りを続けると

くたびれて早めにいなくなることが多いものだ。

子供たちも独立しているし、年金は十分。

彼女を待っているのは悠々自適な老後…のはずだった。


やがて70代になり、運転免許を返納。

早めの返納に驚いたが、ご主人が運転するので困らないという話だった。

しかし、それからほどなくご主人が他界。

「私より給料が低い」と、さんざん馬鹿にしていたご主人である。


一人暮らしになった彼女、買い物やドライブに行くことはできなくなったが

強気は変わらなかった。

「車が無くても、買い物は町内でこと足りる。

お金さえあれば、人に迷惑をかけることは無い。

歯を食いしばって一つの仕事を続けてきて、本当に良かった」


彼女の暮らす町は、小さい。

小さいからこそ、たいていの所は徒歩圏内だ。

しかし小さい町の抱える問題といえば、人口減少。

年々過疎化が進み、店主の高齢化も相まって

食料品や日用雑貨を売る店は次々に閉店し

常連だった小さな惣菜店も無くなった。

かろうじてコンビニが一軒あるものの、年がら年中コンビニ弁当では飽きる。

彼女は三度の食事に困るようになった。


そうよ、この人はずっと働いてきたので、あまり料理をしたことがない。

若い頃から、食生活の大半をその惣菜店でまかなっていた。

ご主人も子供たちも、そこの惣菜で生きていたようなものだが

その現実に気づいていなかったらしい。


彼女は私だけでなく、他の女性たちのことも馬鹿にしていた。

パートで働く人を見下し、専業主婦には

「税金も納めずに、旦那の稼ぎでのうのうと生きるなんて」

と嫌悪感をあらわにした。

そのうち、私が仕事を辞めて親の面倒を見るようになると

ますます勝ち誇って言いたい放題。


人間性を置いてけぼりにして、気位だけがパワーアップの一途を辿る人…

つまり、あからさまに人を馬鹿にする人には

貧しかった生い立ちが見え隠れするものだ。

もっとも戦後の日本は貧しかっただろうから、彼女だけがそうなのではない。

社会に出て現金を握ったために

自分だけが偉くなったような勢いの人は数多く存在する。


聞かされる側の私は、その吐き捨てるような言葉の陰に

「自分の人生はこれで良かったのか?」

そんな疑問を払拭したい願望を感じていた。

県外で生活している子供たちは、知らん顔を通しているという。

ご主人が存命の時には気にならなかったが、こうして一人になると

そこにいるかとも言われず放置された身の上がこたえるらしい。

「自分の手で育ててないから、私に冷たいところがある」

強気な口調の端々に、本音が見え隠れするのだった。


それにしても何とまあ、勝手な言い草。

子守りをしてくれた親にも、祖父母に育てられた子供にも失礼だ。

だけど人を馬鹿にする人って、何でも自分の都合のいいように解釈するので

こんな寝言みたいなことを平気で言う。

私に言わせると、きついから子供たちが寄りつかないんじゃないのか。

そうでなければ、彼女の冷たい心を受け継いだに過ぎない。


ともあれ親切!な私は、困っていると言う彼女に生協の宅配を勧めた。

でも、年を取ってから急にカタログショッピングを始めるのには

向き不向きがあるらしい。

カタログを見て、細かい文字や数字の並ぶ注文表に

番号を書き込む作業は無理だった。

惣菜店に駆け込んでその日の夕食を買う習慣を

何十年もやってきた人が、あらかじめ一週間の献立を決めて

必要な物を計画的に注文するなんて至難のワザなのだ。


切った食材と調味料が届くヨシケイなどの宅配サービスも

一応は勧めてみたが、そもそも煮炊きが嫌いなんだから

案の定、これも無理。

最後の手段として宅配弁当もあるけど、お気に召すとは思えない。


もっと親しい人なら、たまには何か作って持って行くかもしれず

彼女にもう少し可愛げがあれば

専業主婦の底力を見せつけてやりたいところ。

が、さんざん馬鹿にされてきたので、その気は無い。

親切ごかしに差し入れをしても

こういう人はマズいだの何だのと絶対に文句を言うものだ。

関わらないに限る。

周囲の人たちも、同じ気持ちなのかも。


あ、そうか…

だから皆、彼女の周りには近づかなかったのだ。

それなのに私ときたら、一人で座る彼女に呼ばれては近づいて

馬鹿にされ放題だったわけか。

彼女は人を馬鹿にすることで、自身のストレスを解消していたのかもしれない。

何十年も経ってやっと気づく、このカラクリ。


カラクリといえば、「お金はあるのに店が無い」という

彼女の置かれた状況はどうだ。

まさか、お金はそのままに買う店を無くすとは。

なるほど、そう来たか…と思わずにはいられない。

「天はいつも、想像の先を行く」

面白いので、そう考えるのだ。

となるとこの先、私にはどんなカラクリが摘要されるのだろうか。

何だか怖いので、とりあえず口を慎もうかのぅ。
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悪趣味

2024年02月15日 11時15分07秒 | みりこん流
洋服はほとんど、おしゃれメイト・マミで買う。

同級生のマミちゃんが経営する洋品店だ。

今では全身、おしゃれメイト・マミの商品で生きているような気がする。


それでも、たまには他の店で洋服を見る。

巷で何が流行っているか、どんな素材や組み合わせが今どき風かを

自分の目で確認し、あるやなしやのファッション感覚を養うのは

年寄りにとって大事だ。

未だバブル期のコーディネートをしていたり

娘にそそのかされて似合わぬ若作りをしている同年代を見たら

特にそう思う。


そんな私には、去年から注目しているブランドがあるんじゃ。

シンプルなデザインと比較的手頃な価格により

私が若い頃、つまり昔はけっこう人気だったものだ。


そのブランドが、隣市の大型スーパーにある。

何があったのか、今はスーパーブランドに落ちぶれたため

テナントでなく衣料品売り場の一角に置かれているのだ。

デザインは相変わらずシンプル、しかし堅苦しくなく

どことなく柔らかい雰囲気…

私の好みとするコンセプトは昔と変わらないように思う。

「アルファ・◯◯◯◯◯◯だ!」

見つけた時は、懐かしくて駆け寄ったものである。


その中に、黒のパンツスーツを発見。

このブランドの特徴の一つになるが、上下が別売りになっているので

厳密に言えば薄手のジャケットと、同じ生地のパンツ。

上下を買うと3万5千円ぐらい。


黒のパンツスーツは、近年の私が探しているアイテム。

なぜって、葬式用よ。

マミちゃんの店では買えない。

取り寄せをしても、パンツの丈が短いからだ。

しかし、パンツの喪服は動きやすくて温かいので魅力的。

通夜葬儀には老若を問わず、パンツスーツの喪服が増加の一途。

私も持っているが、ある事情によって着なくなった。

ここはひとつ、その事情を避けられるデザインのを探したいところよ。


その点、この黒のパンツスーツは良さげだ。

薄手の生地で襟が無く、前身頃が打ち合わせになっている女らしいデザイン。

そして細身のパンツは、見たところ足首までしっかり長さがありそう。


試着したかったが、夫と一緒だったので遠慮して売り場を離れた。

夫を待たせるのも気が引けるけど

亭主の目の前で洋服を買うのはもっと気が引けるからだ。

それが昨年春のこと。


そのうち季節は巡り、冬がやって来た。

この日は長男とその彼女マーコと共に、かのスーパーへ赴いた。

例のコーナーへ行ってみると、まだあるではないか…

あの黒いスーツが。

しかも半額になっとる!


長男はどこかへ行ったので、マーコと二人だ。

「試着してみてもいい?」

私はマーコにたずね、マーコは

「もちろんです!着たら見せてくださいね」

と言った。

交際中の彼女というのは、彼氏のママに寛大なものである。


着てみたら狙い通り、ジャケットは優しく身体に添い

パンツの丈もちょうどいい。

試着室から出ると、マーコは驚いたように目をパチクリさせて言った。

「お母さん…すっごく似合ってますっ!」


わかってるよ。

こういうスーツ、わたしゃ似合うんだよ。

だけど似合うって、美しいとか素敵という意味じゃないのも

わかってるんだよ。

板につき過ぎてる…

つまり葬儀場の社員みたいにピッタリってことなんだよ。


黒のパンツスーツで通夜葬儀に参列し

これまで何度、葬儀場の人に間違えられたことか。

「お手洗い、どこですか?」

「献花を申し込みたいんですけど」

「火葬場行きのマイクロバスは…」

「お弁当の数を変更したい」

そう言って呼び止められる確率100%だぞ。

だからパンツの喪服を着なくなった。


間違えられるのは嫌じゃない。

元々世話好きの出しゃばりなんだから

私でわかることなら喜んで対応するし

わからなければ、本物の葬儀場の人に繋いで差し上げる。

しかし、私がただの弔問客と知ったその人たちの

申し訳なさそうな表情といったら。

こっちが申し訳なくなるじゃないか。


人を惑わせるのは良くないと思って、パンツスーツを避けるようになった…

これが、私の言う“事情”。

マーコの反応を見ると、また間違えられそうじゃんか。

よって、この日も買わずに帰った。


さらに季節が巡った、先日の連休。

やはり長男とマーコと一緒に、あのスーパーへ。

衣料品売り場は、春の装いで溢れている。


例のコーナーへ行ってみると、あのスーツがまだあるではないか。

が、値段は半額ではなかった。

値札が付け替えられ、また定価になっとる。

生地が薄いので、再び春物扱いになったらしい。


去年、発見した時も春物扱いで定価。

着る物が厚手になる冬には半額となり

今年の春が近づいたら、また定価に戻っているというわけ。

卒業式や入学式のシーズンなので、まかり間違って買う人がいるかも…

とでも思ったのか。

何だかアパレル業界の闇を見た気分。

じゃあ次の冬が近づくと、また半額になるのだろうか。

ぜひ確認したい。


売れてしまっていたらどうするのかって?

売れるわけないじゃん。

あの上下を着られる女子は、そういないはずだ。

袖丈やパンツ丈が長くてカットしたら台無しになるので

私みたいに長身で手足の長い人間でないと無理。


そんな人間が、そうたくさんいるとは思えない。

さらにその手足の長い人間が、このように特徴的なデザインを選び

しかもスーパーで買い求めるとなると、確率はかなり低くなる。

絶対に売れ残って、次の冬にはまた半額になっているところを

ぜひ見たい。

冬が来るのが、今から楽しみだ。
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プラスワン

2024年02月07日 09時14分11秒 | みりこんぐらし
同居する義母88才と、実家で一人暮らしの母90才にかまけ

何かと慌ただしい日々を送っていることは

折に触れてお話ししてきた。

ところが先月末からここに、夫が参戦。

この人だけは手間が要らないばかりか

私のハードな日常をさりげなくフォローしてくれていたのに

一番手がかかるようになった。


認知症ではない。

ヒザ関節症の悪化。

急に寒くなって、痛みがひどくなったらしい。

患部は左足なので運転はできるため

仕事には出ているが、歩行には難儀する状況。

よって、こちらが動いて彼の要望を叶えることが増えたのだ。


夫は元からマメだったわけではない。

女房にタバコの火を点けさせたり、足の爪を切らせたり

ゴルフ道具の手入れをさせていた男の息子なんだから

結婚当初は何もしないのが当たり前だった。


しかし、身辺清らかでない暮らしが長かったせいで

冷蔵庫から食品を出したり、着替えを取りに行ったり

うっかり床に落とした物を拾ったり、ゴミを捨てるといった

何げない日常の動作は妻を頼らずに自分でやるようになった。

よそのおネエちゃんのアパートへ住み込んだり

駆け落ちを繰り返している間に

自分のことは自分でやる癖がついたのである。


なぜって、よその旦那と遊ぶ女は横着者と相場は決まっとる。

横着だから、すでに仕上がった妻子持ちを自分の物にしたがるのだ。

その横着者、最初のうちは甲斐甲斐しいフリをするが

それは演技なので続かない。

続かないから、夫は自分のことを自分でする癖がついた。

女との蜜月を引き延ばしたければ

自分が甲斐甲斐しくなるしかないのだ。

可愛い子には旅をさせよ…じゃないけど、これも一種の成長。


言うなれば私は、身辺清らかでない夫を持ったお陰で

この手の細かい世話を免除されてきたというわけ。

それがどうよ。

これじゃあ、関白亭主にかしづく世話女房と同じじゃないか。


しかし最も困るのは、2匹の犬の散歩。

体力が有り余っている夫は、朝昼晩の1日3回

アレらを散歩に連れて行った。

それが癖になっているもんで、急に行けなくなると犬が納得しない。


そこで長男と手分けして散歩をするが

長男がいない時は、私が2匹を連れて行くことになる。

1匹ずつというわけにはいかない。

アレらは仲悪いくせして、散歩はニコイチでなければ動かないのだ。


かたや体重30キロ超の若い大型犬

かたや8キロと小さいものの、13才の老犬。

犬種と年齢が違えば習性やスピードも違い、非常に骨の折れる作業だ。

ただでさえ忙しいのに、この上、犬に時間を取られるのは厳しい。


そもそも夫は元々重度のO脚で

身長180センチ、体重85キロの巨漢。

この条件でバドミントンを週に3回続けていたら

重い体重を支えるヒザに無理が来るのは当たり前だ。


野球をやっていた夫に、バドミントンは合わない。

たまに走り、たまに打つ野球と違って

バドミントンは最初から最後まで動きっぱなしの激しいスポーツ。

あれは足がまっすぐで、身軽な人が楽しむものだと思う。

人より多い頻度でバドミントンをやるには、夫は大柄過ぎるのだ。


思い返せば夫がバドミントンに手を染めたのは、30年ほど前。

当時の愛人だった第一生命のおネエちゃんに誘われて始めた。

以来、バドミントンのトリコとなった彼は

生命保険のおネエちゃんと別れて以降も

私に隠れながら細々と続けていた。

この10年余りは複数の人から誘われるままに入会し

3つのバドミントンクラブを掛け持ちするありさま。


この男が限度というものを知らないのは

長い結婚生活で熟知しているつもりだった。

昔やっていた野球も、6チームか7チームぐらい入っていた。

どれがどのチームのユニフォームか、わからなくなったり

試合にどのチームから出場するかでトラブルになったことも

一度や二度ではない。

請われればホイホイと行ってしまう…

それはスポーツでも女でも同じ。

バドミントンはたまたま市内に3チームしか無いため

3つで留まっているだけである。


けれども近年、彼のヒザは悲鳴を上げていた。

壊れるまで秒読み段階になってからは

「早く辞めないと車椅子になるよ」

私は何度も言った。

そうなれば夫も辛かろうが

こんな大男を介護する身の上になったら、こっちも死活問題。


しかし、止められると意地になるのが夫。

「このまま進み続けたら大変なことになる」

頭ではわかっていても、引き返したり諦める勇気が無く

つい前に進んでしまう…

登山で遭難する人や、マルチ商法にハマる人と同じ心理である。


そしてとうとう、彼のヒザは使い物にならなくなった。

いずれ足が悪くなるのは予測していたが

せめて自分の親を見送ってからにしたらどうだ。


私におびただしい洗濯物を洗わせ、高いラケットを次々と変え

ヒザ痛で病院通いをしながら続けてきたバドミントンが

いったい何の役に立ったというのだ。

痩せたわけでもなく、品行方正になったわけでもなく

変な女に引っかかって、会社に入れただけじゃないか。

ちなみにその女、今回も教員採用試験に落ちたらしく

4月以降も続投決定。


ともあれ親に手がかかるのは、仕方がない。

誰でも年を取る。

年を取れば意固地にもなるし、心細くもなる。

自然なことだ。


しかし、夫のヒザは違う。

人一倍大きい身体とO脚に目を背けたまま

人並みに週1回程度の楽しみにしておけばいいものを

週に3回も続けた挙句に歩行困難となった。

誰にも訪れる自然の摂理ではなく

自身の欲望をセーブすることなく破滅にひた走った忌々しさ。

これで懲りるかといえば、絶対に懲りない。

それが夫である。


さて、このまま介護生活突入か?と思われたが

数日続いた雨が上がって気温が上昇すると

少し楽になってきたようだ。

夫も楽になったが、私も週3回やっていた膨大な洗濯が減って

よく考えれば楽になったかもしれん。


私は洗濯が苦になるタイプではないが、夫の洗濯物はマジで多い。

限度を知らないという呪われし悪癖は、ここにも発動。

バッグには入り切らないので

大きなゴミ袋へパンパンに入れて持ち帰る。

こんなにたびたび着替えて、バドミントンはいつするんだろう?

と不思議なくらいだ。


前に一度、洗濯が大変だと知り合いにこぼしたら

「あら、私は主人が週に一度、バレーボールに行くけど

その洗濯物を干しながら

主人が健康でバレーボールを楽しめることに喜びを感じるわ」

彼女は細い目を丸くして言ったものだ。

あんたの所は夫婦二人やんか。

週に一度やんか。

が、そういう考え方もあるのだと知った。


夫は現在バドミントンを休んでいるので、膨大な洗濯物は出ない。

動けない夫に世話が焼けるのと、寮母並みの洗濯…

どっちがマシだろうと考えてみる。

…今のところ、ドローだ。

いずれにしても、バドミントンは辞めてもらう。
コメント (4)
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