殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

千円の価値

2012年06月27日 15時54分03秒 | みりこんぐらし
この正月、3年に一度の同窓会があったのは、以前お話しした。

同窓会はいつも、車で30分ほどの町にあるホテルで行われる。

4時からだったが、私は地元の子ばかり4人で午前中から出かけ

ランチにお茶、ショッピングを楽しんだ。


最初は気の合う竹馬の友3人で行くはずだったが

同級生のルリコが、出かける間際になって電話をかけてきたので加えた。

ルリコはこのブログに時々登場する、食堂の女将だ。


「ねえ、○○ホテルって、どこにあったっけ」

ルリコからの電話の言い出しはこれであった。

宴会好きの彼女、同窓会は皆勤賞だ。

転んで両足を骨折した時も、松葉杖をついて参加。

文字通り、這ってでも行くタイプである。

3年ごとに必ず行くホテルの場所が、わからないはずはないのだ。


“一緒に行こう”と言えなくて、ナゾかけをされたと思えば感じ悪いけど

私は近年、彼女から老化を感じている。

身勝手に思えるのは、もしかしたら忘れっぽいからではないのか。

老化で本当に忘れていると思えば、正月から腹を立てることはない。


電話を受けた私は、ルリコに早乗りの計画を話し

ルリコは当然のように言った。

「じゃ、店の前へお願いね」

急な高飛車だって、老化現象の一つかも。

この場合、忘れたのは“モノ”ではなく“立場”。


店の前でさんざん待たせたあげく、車に乗り込んだルリコは

運転する同級生に

「ホテルへ行くには、こっちのほうが近いわ」

と、道を教える。

どうも、ホテルの場所がわからないと発言したのを忘れたらしい。


同窓会に続いて二次会までは無事終了し

割り勘の精算になった時、ルリコが私に言った。

「千円貸して」。


ランチをフンパツしたため、持ち合わせが足りなくなったのだ。

今度は、財布の事情を忘れていたらしい。

私はこころよく立て替えた。

千円は、それっきり。


その一部始終を見ていたのが、几帳面なアツコ。

あの千円はどうした、返してもらったかと、半年経った今でもうるさい。

「帰りに店まで送った時、正月から借金してごめんねって

 ルリコは確かに言ったわ!

 店に寄ったんなら、レジから返すこともできたはずよ!

 何で返さないの?」

会うたびに言う。


   「忘れてるんでしょ…1万円なら言うけど、面倒臭いもん」

「金額じゃないわよ!バカにしてるわよ!

 たかが千円、されど千円よ!

 同窓会の用事で、あれからルリコに何回も会ったのに

 すっかり忘れてるじゃないの!

 請求しなさいよ!

 甘い顔したら、ダメよ!」

千円貸して怒られて、合った話じゃない。




そのアツコは数年前、信号待ちで前の車に追突した。

ごく軽い接触で、前の車は、ボロボロの古い軽トラだったそうだ。


謝ると、軽トラを運転していた初老の男が

「いいよ、いいよ…こんなボロなんだから」

と言ってくれ、それで終わるはずだった。

しかし、同乗していたアツコの父親が

「大丈夫、大丈夫」

と言ったため、話は振り出しに戻った。


「バカにするな!

 大丈夫かどうか決めるのは、こっちじゃわい!」

運転手は怒り始め、“誠意”なるものを要求した。

「誠意って…どういった…」

こじれるようなら警察へ連絡しようと思いながら、アツコは恐る恐るたずねた。

「千円でも、二千円でも…気持ちだよ、気持ち!」


アツコが三千円出すと、運転手は千円札を一枚取って、走り去った。

「千円ですんで良かった…」

当時、アツコはそう言い、私は大笑いした。




千円といえば、数日前。

次男が私の前で、千円札をヒラヒラさせた。

「昨日の夜、親父が○○山で、女と手ぇつないでホタルを見てた。

 今度のは、ちょっと若い」

   「で、この千円は?」

「今朝、親父がオレにくれた。

 子供の時は、これで黙ってやったことがたくさんあった。

 でも今は、この金額じゃ通用しないから、チクる」

   「ワハハ!」


夫は昔からこの季節になると、女を連れて

○○山へホタルを見に行くならわしである。

○○山は、隣の市へ行く近道。

真っ暗闇にホタルが飛び交う、ホタル見物の穴場だ。

次男は遊びに行った帰り、滅多に通ることのない寂しいその場所を

たまたま通りかかったのだった。

我が家にこういう偶然は、よくある。


「まだ子供だと思って、バカにしてるんだ。

 オレはもう25だぞ。

 口止め料は、諭吉のみ受け付ける」

千円の価値は、父子の間で大きな格差があったらしい。
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見える子

2012年06月18日 08時19分50秒 | みりこんぐらし
毎週水曜日の午前、夫の実家の前には、魚屋さんの車が訪れる。

魚屋さんは、気さくで明るい70代の夫婦連れだ。

近所のご婦人がたが魚を買いに集まり

買物の後は、桜の木陰でおしゃべりをするのが長年の習慣である。


今週の水曜日、義母ヨシコと一緒に魚を買いに出ると

隣の石野夫人が駆け寄って来た。

「みりこんちゃん、待ってたのよぉ!」


御年88才の石野夫人、ネックレスの留め金が壊れて

どうしてもはずれないと言う。

首の回りに密着したチョーカータイプなので

頭からスルリとはずすわけにいかないのだ。


「私も主人もお手上げで…。

 はずせるのは、みりこんちゃんしかいないと思って

 朝が来るのを待ちこがれていたのよ…」

この近所は、平均年齢78才くらいの高齢化地区。

どなたも老眼で、目がよく見えないのだ。


「奧さん、この子、見えるのよ」

ヨシコがちょっと得意げに言う。

そうです…私はまだ見えるんです。


    「すてきなネックレスね」

「どうしてもはずれなくて、犬になったような気分だったわよ。

 切るしかないとも思ったんだけど、大事な人からもらったものだから…」

    「夜中でもいいから、困った時にはすぐ電話してよ。

     人数だけはいるんだから」

「ありがとうね。

 日頃は、元気で長生きが一番の願いだけど

 こんなありさまになっちゃったら

 とにかくはずして解放されたいというのが、一番の願いになるのねえ」

    「同じ、同じ」

なんてことを話しながら、留め金を動かしていると

ネックレスは、ほどなく夫人の首を離れた。



その日の午後、近所の山本夫人がヨシコを呼びに来た。

「ちょっと、ヨシコさん、うちの庭に来てくださる?」

ヨシコが行ってしばらくすると

「みりこんちゃん、ちょっと来て」

外から、ヨシコの声がする。


行ってみると、山本夫人とヨシコが庭石の前にたたずんでいた。

牛が寝そべったくらいの大きさの庭石である。

どうやら、テーマは石の模様らしい。

石の前には、小さな花束が置いてある。


ヨシコは、朝と同じ口調で言った。

「奧さん、この子、見えるのよ」

    「えっ?!」

山本夫人と私が聞き返したのは、同時だった。

マジっすか…?

 
    「見えん、見えん」

「見えるじゃないの。

 私は昔から、あんたは見える子だと思ってるわ!」

ヨシコは、半ばムキになって主張する。


「じゃあ、見て、見て!

 この石に浮き出ているの、何だかわかる?」

夫人は私にたずねたものの、待ちきれずに言った。

「亡くなった実家の母が、お地蔵さんを信仰していたの。

 このあいだから、だんだん顔がくっきり浮き出してきてね…」

     「はあ…」

「うちの主人は、私に何かと厳しくてうるさいでしょう。

 私がこんな年になってもつらい目に遭ってるから

 心配した母が、お地蔵さんになって現われたんだと思うの。

 だからこうして、お花を供えてね…」

夫人はいとおしそうに石をなで、供えた花を整える。


何十年も前に他界した母親が、80才の娘を心配し

お地蔵さんに変身して、娘の家の庭石に現われる…ありえんだろ。

地蔵組合(あるのか?)に掛け合って

一般死者から地蔵に昇格させてもらうほどの交渉力を持ち

石に浮き出てやろうと考えるほどの企画力を持つお母さんだったら

娘を苦しめる口うるさい娘ムコを永遠に黙らせるとか

その実力をもっと合理的に使用していると思うのだが。


おそらく歳月の流れで石の色が変化し、埋まった土が落ち着いて

今まで隠れていた部分が出てきただけだ。

彼女がお地蔵さんだと主張する部分の下を掘ってみたら

全然違う形だったりするんだ。


「よく見たら、このお地蔵さん、実家の方角を向いているのよ」

夫人は感慨深げに言うけど、夫人の生まれたN町とは

かなりずれているような気が…。

そして、正確に実家の方角を向いていたとして、それが何になるのか…。

しかし老い先短い夫人に余計なことを言うより

このまま“お母さんと一緒”を楽しんでもらおう。
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メダカの恩返し

2012年06月11日 14時02分37秒 | みりこんぐらし
                 「葉ート」

あじさいの葉っぱです。

ハート型が好きってわけじゃないけど

見つけた時は、なんだか嬉しかったなあ。




夫の実家の庭に点在する艱難辛苦の道、天竺ロードの整備に着手して以後

私は、庭全体をさっぱりと整理したい思いがつのってきた。

“成りもの(実の成る木)が軒(のき)を越えると、病人が出る”

“根が張り過ぎると、家(家屋および家運)がかたむく”

年寄りがそう言うのを聞いて育った。

言い伝えを鵜呑みにするつもりはないけど

昔の人の言うことをあなどってはいけない。


要は、庭の管理に対する責任感の問題なのだ。

体調や経済力、敷地の面積や周囲の状況に調和した

分相応の庭をキープしなさい…そういうことだろうと思う。


おやつの少ない昔のこと、木においしい実が成れば

来年はもっと、再来年はもっと…と欲が出る。

欲で木を大きくしてしまうと、食べ過ぎたり、実が地面に落ちて不潔になったり

日陰になって、健康面に支障が出やすい。


根が張りすぎると、自分の家だけでなく、周囲の家の地下にも根がはびこり

近隣の家々の土台にも影響する懸念や不満を与える。

人の懸念や不満を日々受けていれば、運だって次第に停止に向かうだろう。

そこへ気持ちを向けないから、病人出っぱなしじゃないか

かたむき放題じゃないか、と思うわけよ。


「このうっそうとしているのが涼しげで、私は好きなの」

私の野望を察知してか、義母ヨシコはしきりに牽制(けんせい)する。

時々、ヨシコはこの野放しの庭に魅入られ、支配されているような

ホラーめいた雰囲気を感じることすらある。


庭師に来てもらおうと言うと

「今の人は、人目につく表の方だけ熱心にやるから、いけ好かない」

と言う。

じゃあ庭師を変えようと言うと

「誰がいいか、わからない」

話はいつも、そこで止まる。

老化で判断力がにぶっているのもあるが

年2回の剪定と合間の消毒で、年間20万ほどかかる庭関係の出費を

我々にバトンタッチしたがっている打算も感じる。


ここで、はいそうですかと言えないのが私の悪い癖。

人が好き勝手にし、やがて手に負えなくなったカスに

1円だって払うものかと思ってしまう。

しかし、さっぱりしたいこの思いは、もう止められない。

野生化した庭木は、隣家に越境して影を落としている。

隣人は何も言わないが、さぞ迷惑だろう。


せめて隣家にはみ出ている分だけでも…と、生い茂った枝を少しずつ切る日々。

そこへ、近所の早川氏が通りかかった。

「自分で切ってんの?」


早川氏は、ヨシコと同郷の幼なじみ。

30年ほど前、たまたま近所に家を建てて越して来た。

ヨシコよりひとつ下の75才である。


「前から気になっていたんだよ。

 オレにボランティアさせてくれない?

 切るのが好きなんだ」

     「本当?」

「シルバー人材でやってたから、オレでよければやるよ。

 いろんな家の庭に入ったけどな、ここ、相当ヤバイぞ」

     「やっぱり?」

「庭木が茂り過ぎると、風通しが悪くなるから

 心にも体にも良くないよ。

 よっしゃ!任せろ!」

夢のような話であった。


翌朝、早川氏は道具を自転車に積んでやって来た。

彼は庭木の枝をガンガン切りまくり、私と長男は助手を務めた。

切った残骸は、親戚の山に捨てる許可も取ってある。


「これ、切っていい?」

    「切っちゃえ」

「これ、抜いていい?」

    「抜いちゃえ」

師匠と弟子の息は、ピッタリであった。


時々ヨシコが出てきて、あれはダメ、これは置いて、と止める。

ヨシコ「その花は“ひとりしずか”よ!

    茶花(ちゃばな)なのよ!」

早川氏「なに~?亀井静香?」

私  「おじちゃん、せめて工藤静香と言って!」

ヨシコ「何もかも抜いたらだめよ…長年かけて育てたのよ」

早川氏「育てたんじゃなくて、植えただけだろ?

     だから、こんな節操の無い庭になるんだ!」

私  「そうだ、そうだ!」

早川氏「集めるだけで放っておいたら、日も当たらないし

    風も通らないし、かえってむごいんだぞ!」

ヨシコ「だって、好きなんだもん!」

早川氏「じゃあ、好きなものが過ごしやすい環境を作ってやれよ!

    人間でも同じだぞ!」

私  「(小声で)そうだ、そうだ…」

早川氏は幼なじみの気安さもあり、容赦ないのであった。


やがて作業は、裏庭へと進んだ。

そこで早川氏が叫ぶ。

「あっ!メダカじゃないか!」


裏手には、長男が最近飼い始めたメダカの水槽がある。

    「飼う?」

「いや、飲むんだ」

    「何でっ?」

「女房の病気に、メダカがいいらしい」


誤解を避けるために病名は伏せるが、早川氏の奧さんは闘病中であった。

あらゆる薬が効かず、万策尽きた思いでいたら

朝晩3匹ずつメダカを飲んで、症状が改善した人がいると聞いて

メダカを欲しがっていた。

日本に昔からいる「黒メダカ」がいいと言う。


早川氏、さっそく川へ行ってみたものの

どれが黒メダカなのか区別がつかなかったらしい。

近頃は、外来種の「カダヤシ」というグッピーの仲間が増えているのだ。

彼は定年まで、外国船の乗員として世界中を回っていた。

海には詳しいが、川の方面はさっぱり。

「迷信でも何でも、いいと言われるものは手に入れてやりたいから

 見分け方や、捕れる場所を教えて」

早川氏は、長男に頼んだ。


「教えるし、川にも案内しますけど

 1日6匹ずつ確保するのは、けっこう大変ですよ。

 うちで増やして、届けます」

長男は答え、早川氏は喜んだ。

奧さんもやって来て、二人でうれし泣きしていた。

庭木の剪定とメダカ…どう見ても釣り合わないが

双方の需要と供給は、たまたまピッタリと合致したのであった。


3日後、庭はよその家のようになった。

敷地が広くなったような気さえする。


切る時には邪魔をしまくったヨシコだったが、さっぱりするとご機嫌である。

「“涼しげ”じゃなくて、本当に涼しい!

 魔物が去ったみたいで清々しい!」

病院から外泊で帰宅した義父アツシも

数ヶ月ぶりに庭へ出て、満足そうに眺めていた。


だが、一番嬉しそうだったのは、隣の老夫婦であった。

「さっぱりしましたね~!」

顔を合せるたびに、何度も言う。

病人だから…と慈悲の心で我慢してくれていたのだ。


ところでこの早川氏、今はシルバー人材で

港の電話番の仕事をしているという。

本人は多くを語らないが、おいおいに聞き出したところによると

電話番は電話番でも、外国の貨物船が着岸する際の電話番らしい。


    「じゃ、外国語ペラペラじゃん!」

「ペラペラじゃないけど、言ってることがわかって、話すことが伝われば

 まあ、どうにかできる仕事よ」

    「そういうのをペラペラって言うんじゃん!」

「仕事で覚えただけで、習ったわけじゃないからよぅ」

奥ゆかしい海の男、早川氏であった。
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天竺ロード

2012年06月03日 15時17分41秒 | みりこんぐらし
              「モッコウバラ」

写真上部の黄色い花です。

本当はバラじゃないんだけど、そう呼ばれているようです。

私が洗濯物を干しながら、いつも見ている風景です。





夫の実家の片付けは、依然として続行中。

先日は、洗濯物を干す周辺を片付けた。

洗濯物を物干し竿へ運ぶまでの道中に、問題が生じていたからだ。


勝手口から物干し竿まで、ほんの数メートル。

問題は、この数メートルの内容だ。

義母ヨシコと私は、身長差が13センチある。

ヨシコにとっては何てことない配置が、大柄な私には意外な危険をもたらす。


毎日洗濯物を干すたび、取り込むたび

ヨシコ・コレクションのプランターや植木鉢が行く手を阻む。

頭上にも数個の植木鉢が、ブラブラとぶら下がっている。

足元に気をつけながら、頭上の鉢をよけよけ

あともう少しというところに、なぜか鎌(カマ)や花バサミがぶら下がる。

ひ~!

身をかわした先には、トゲトゲのヒイラギがお待ち。

ヒイラギをかわせば、物干し竿の先端が、頭を直撃。

ぎゃ~!

孫悟空は、数々の艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越え

天竺(てんじく)…いや、物干し竿を目指すのであった。


毎日これだと、さすがに嫌気がさす。

体が弱くても足だけは達者で、まだハイヒールでツカツカ歩けるヨシコだって

そのうち足元がおぼつかなくなったら、つまづいて怪我をするだろう。

そこで、天竺までの道のりの整備に乗り出した。


家の片付けはしても、ヨシコの植木コレクションはそのまま…

というのが、暗黙の約束ではあった。

安全のため…と説得しても、ヨシコは不満げであった。

「何もかも捨てられて、変えられて…

 年を取って病気になると、みじめだわ」

とつぶやく。


冷酷な嫁に、おびただしい物品を容赦なく捨てまくられた直後なので

その気持ちはわかる。

が、ただでさえ手のかかる老夫婦を抱え

いつまでも天竺渡りに時間を食ってはいられない。

無視して決行。


天竺ロードは、半日で整備された。

さっぱりしたら、ヨシコもまんざらでもない様子で

珍しく洗濯物を干してみたりしていた。


このような天竺ロードは他にもあり、次の整備に乗り出したところ

木の枝にぶら下がっているスズメバチの巣を発見してしまった。

この季節になると、よくあるのだ。


巣は、まだ着工したばかり。

短い首のついた小ぶりな一輪挿しを逆さまにぶら下げた形状である。

私の報告を聞いたヨシコは、おもむろに

高枝切りバサミと、息子達が釣りに使う長い網を取り出した。

各種ある網のうちから、目が細かくて軽いものをチョイスしている。


そしてそろり、そろりと巣に近付くと

狙いを定め、巣のぶら下がった枝を高枝切りバサミで切り落とした。

まだ柔らかい巣は、地面に落ちると瞬時にバラバラになった。

破壊された巣の中から、スズメバチが一匹

ブ~ンとうなり声を上げて飛び出す。

建築中の家を壊されて、かなり怒っている感じ。


ヨシコはひるまず、もう片方に持った網で

飛び出したハチをキャッチした。

鮮やかに手首を返して網を地面に落とすと、すかさずハチを足で踏んで殺害。

「おおっ!カッコイイ!」

その勇敢なハヤワザに、私は感嘆の声をあげた。


「“VS嵐”を見てるから…」

ヨシコは静かに言う。

“VS嵐”は、毎週木曜の夜7時から放送されるテレビ番組。

ヨシコの大好きな芸能人グループ“嵐”が

ゲストと共にさまざまなゲームを楽しむ、ヨシコが一番好きな番組だ。

その中に、何バズーカといったか

フリスビーを大きな網でキャッチするゲームがある。

「あれを見ていて、コツがわかったの」

ヨシコは謙虚であった。


長い高枝切りバサミと網を持って、仁王立ちするヨシコこそ

よっぽど孫悟空みたいであった。

姑にハチ退治をさせておいて、後ろで「やった!やった!」と騒ぐ私は

猪八戒未満か。
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