殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

冬季オリンピックに寄せて

2018年01月20日 11時01分20秒 | みりこんばばの時事
平昌オリンピックが近づいてきたわね。

開催国の韓国と、北朝鮮が合同参加ですって?

前にもやったじゃん。

南北統一、統一、言ってたけど、結局その時だけで終わったじゃん。

統一、統一、言ったら、世界の目が優しくなるからでしょ。

今回も、肩を抱き合って感涙にむせぶ統一芝居を見せつけるつもりね。

それが終わったら、また従軍慰安婦問題よ。

やれやれ。


で、今日はその話をしたいの。

実は私ね、小学5年の時、とんでもないことを考えたのよ。

いかに大バカだったか、これからお話しするわね。


当時の私は本ばっかり読んでたの。

母は心配して、読書禁止令を出したわ。

勉強する時間が無くなるからですって。

本は全部取り上げられたし、学校の図書室で借りることも止められたわ。

でも辞書は残された。

仕方がないから辞書、読んでたわよ。


でも辞書って飽きるのよね。

そこで目をつけたのが祖父のコレクション

『大東亜戦争の記録』。

戦争に行った祖父は、この種の写真集が発売されると

注文して取り寄せていたから家にたくさんあったの。


「写真集は本ではない」

私は言い訳を見つけたつもりになって写真集を眺めていたけど

母から物言いはつかなかったわ。

写真集って字が少ないから、費やす時間も少ないもんね。


軍艦、戦闘機、特攻隊、訓練する兵隊さん、くつろぐ兵隊さん‥

死体の写真もいっぱいあったわ。

その中に、雰囲気の違うページを見つけたの。

女の人が3〜4人、並んだ写真よ。


写真のタイトルは『従軍ナントカ安婦たち』。

私、慰安婦の慰の字が、まだ読めなかったのよ。

サブタイトルは忘れもしない、こうだったわ。

『明るい従軍ナントカ安婦たち。

カメラを向けたら撮って、撮ってと大はしゃぎ』


白黒写真だから色彩はわからないけど

その人たちは粗末な小屋の入り口に立ってた。

小屋の入り口には『ナントカ安所』と墨で書かれている、縦書きの看板。

その前で、遠足や修学旅行の写真みたいに楽しそうに笑ってるの。


他のページに載ってる日本の女の人はみんな痩せてて

モンペをはいて竹やりなんか持ってるんだけど、ここは違う。

ブラウスにスカート姿でサブタイトルの通り、明るくはしゃいでる。

丸々と太っているからか、おかっぱや三つ編みじゃなくて

ふんわりと女らしい髪型だからか、あんまり若くは見えなかったわ。



私ね、祖父母や母から戦争や原爆の話を聞かされて育ったもんだから

戦争というものがすごく怖かったの。

戦争になったらどうしよう‥って、いつも恐れおののいていたわ。

でも、この写真を見てひらめいたのよ。

「戦争になったら、従軍ナントカ安婦になろう!

戦争中でもこんなに太って、楽しそうに笑っていられる!」


彼女たちが何をしている人なのか、もちろん知らなかった。

でも子供ながらに、優遇されてる雰囲気はわかったわ。

従軍看護婦というのは知っていたから、似たようなものだろうと思ったのよ。


歳月は流れ、高校生になった私は従軍慰安婦の業務内容を知ったわ。

そりゃもう、びっくりしたわよ。

あの人たちが募集に応募した朝鮮の女性だったことも

かなりの高給取りだったことも、高校の先生から聞いたわ。

私が高校生だった40年前にはね、実際に戦争へ行った先生がまだいたのよ。

「すぐ横で銃弾に当たって、戦友が死んだ。

彼が履いていた靴を拝借したら水虫がうつって、いまだに治らない」

なんて話もしてくれたものよ。


募集に自ら応募した志願者であり、高給優遇、栄養満点‥

これが従軍慰安婦に関する私の基礎知識。

そこからスタートしたもんだから、今世間で言われていることには

違和感満載なのよ。

年端のいかない少女を無理やり連行して

ひどい目に遭わせたってことになってるじゃないの。

どっちが正しいのか、事実を知る人の多くが亡くなって検証が難しくなると

声の大きい者が勝つのよね。

祖父の写真集が残っていれば、お目にかけたいんだけど

死んだ時に処分しちゃったから残念よ。


今度さあ、テレビでブロンズ色の慰安婦像が映る時、よく見てね。

帽子かぶらせたり、マフラー巻いたり、膝掛けしたり、毛布巻いたりで

原型がわからなくなってる、最初に据えられた像よ。

椅子に座ってる女の子の像の隣にもう一つ、空席の椅子があるから。


あれ、何だと思う?

何年前だったかしら、私、これ疑問に思ったの。

それで賢い人にたずねたり、ネットで調べたりしたんだけど

あの像、元は女の子2人の像で

空の椅子にはもう1人、女の子が座ってたらしいわ。

在韓米軍の車にはねられて亡くなった2人の女の子を悼んで作られた物で

そのうち1体を外して使ってるんですって。

でも椅子はつながってるから外せなかった。

つまりインスタント像という話よ。


もしもこれがただの噂で、私の聞いたことが間違っているとしても

隣の空席は不自然。

慰安婦像は流用で、慰安婦問題は賠償金欲しさに

歴史を捻じ曲げた捏造とささやかれても仕方ないわね。

慰安婦問題が事実だと主張するなら、あの像の周りに群れて泣き崩れたり

膝掛けや毛布でもう一つの椅子を隠す前に

ちゃんとあつらえた専用の像を作りゃよかったのに。


とまぁ、こんな予備知識があると

そんな国で開催される平昌オリンピックが、より楽しめるかもね。

頑張れ!ニッポン!
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近時事三題

2018年01月15日 09時24分08秒 | みりこんばばの時事
もう去年の話になっちゃったけど、富岡八幡宮。

神社という、いわゆる聖域で起きたことに衝撃が走ったわね。

外車を乗り回したり、キャバクラ通いをしたり

贅沢が過ぎて神主の地位を剥奪された弟が

後継者におさまったお姉さんを日本刀で斬り殺して自殺した事件よ。


殺害されたお姉さんは気の毒だけど、かなりの変わり者に見えた。

変人の姉とボンクラの弟による後継者争いといえば

我が家を思い出さずにはいられなかったわ。

義姉と我が夫の戦いよ。

あちらのお姉さんは整形、こちらのお姉さんはアイプチ‥

予算と手段の違いはあるけど

直視のはばかられる低い完成度に、共通するものを感じたわ。

弟の方も、懲りない甘ったれという面は同じね。


こういう時、親の育て方が悪いと言うのは簡単。

でもね、親は我が子を客観視できない。

客観視できないから、我が子が可愛いんだもの。

うちの娘が変とか、息子がおかしいとか、なかなか思えないし

気がついたところで修正の仕方なんてわからないわよ。


お金があれば、なおさら。

たいていのことはお金でケリがつくから

子供のことをあれこれ心配する必要が無いじゃないの。

後継をエサに、上の子と下の子を天秤にかけながら

我が世の春を謳歌してればいいんだもの。



一つ間違えると、うちも似たようなことになっていたかもね。

会社の調子がいい時は、姉の野心も絶好調。

仕事の会合なんかあると、弟に知らせないで自分が出席するかたわら

大型免許を取るため自動車学校にも通ったわ。

運転手になる気は無いけど、経営者として現場を知るためですって。


それから銀行勤めの旦那を役員にすると言い出したの。

その話に乗る旦那も旦那だけど

身内の後継争いに配偶者までが参戦すると

ますます厄介になるものよ。


目的のために準備と努力を惜しまないところは尊敬に値するし

浮気三昧で駆け落ち常習のボンクラ弟に会社を任せておけなくて

私が‥と立ち上がる気持ちはよくわかるんだけど

彼女の行いは、弟のプライドをズタズタにしていったわ。

親はそれ見てどうしてるかというと

やる気満々の姉を頼もしがって、弟をコケにするのよ。

きょうだいの骨肉って、そういう親のところで始まるものなのよ。


やられっぱなしの夫は一人でよく泣いていたけど

その苦しみは得意の恋で昇華していたわ。

殺人事件にならなかったのは

生死に関わるほどの財産や特権が無かったのもあるけど

愛人さんたちのおかげだと思ってる。

家に日本刀が無かったのも、幸いだったわね。

あるとね、つい使いたくなるんだそうよ。


そうこうしているうちに、ボンビーが訪れたの。

会社が潰れそうになると、姉弟間の後継問題は

醜い奪い合いから美しい譲り合いに変わっちゃった。

だから姉弟は両方無事。

ボンビーも、いい仕事するのよ。

ということで、身につまされた事件だったわ〜。



お正月が過ぎて、はれのひ事件も驚いたわ。

経営者が雲隠れして

成人式の着物を着られなかった女の子がたくさんいたそうだけど

ひどい話よ。

着物はちゃんとしたお店で買うか、借りるかした方がいいわね。

着物は金額が張るので、悪徳商法に使われやすいのよ。


余談になるけど私が成人式の時は、市が左寄り思想に転換して

何かっちゅうと声高に平等が叫ばれた時代だったわ。

その平等精神によって、前の年から成人式の晴れ着が禁止になったの。

晴れ着を用意できない家庭への配慮ですと。


私はどっちみち私用で出席できなかったから

着物だろうと洋服だろうと、どうでもよかったんだけど

少数のために多数に我慢を強いることも配慮と呼ぶのかと

疑問に思ったわ。

今はわかる。

貧困家庭への配慮は表向きで

本当は着物が民族衣装でない人たちのためだったのね。


晴れ着の禁止はその後も何年か続いたけど

いつの間にやら解禁になって、今は着物で参加できるのよ。

このいい加減ぶり。

何よ、平等はどこ行っちゃったのよ。


はれのひ事件で泣いた女の子たちには、その分きっと

幸運が待っているはずよ。

そしてどんな事情であれ、成人式に着物を着なくても

明るく参加できる女の子が増えるといいな‥

おばさんはそう思ってるわ。



カヌーの薬物混入事件も、びっくりよ。

ライバルの若手選手の飲み物に禁止薬物を入れて

ドーピング違反をさせたベテラン選手。


主役を争うライバルのトウシューズに画鋲を仕込むバレリーナの話を

子供の頃、少女漫画で読んだことがあったけど

漫画の世界の話だと思ってたわ。

大人になってからは韓国ドラマね。

ライバルを蹴落とすために直接、間接にかかわらず使われるいろんな手口に

「よくもまあ、恥知らずな」

とあきれていたけど、現実にあるのね。


私が食いついたのは、説明と謝罪に『義父』が出たこと。

血の繋がりが無いのに出てきて、立派なもんだとは思うけど

義父というからには奥さんの父親よ。

ガタイのいい、スポ根親父という印象の人だったわ。

同じカヌーでオリンピックに出た娘さんを鍛えていたんでしょうね。


その義父が出てくるということは、物心両面で

奥さんの父親に主導権を握られた夫婦と言っていいんじゃないかしら。

加害者が経営しているというスポーツジムのスポンサーは

あの親父さんかもね。


どこの家もそうだけど、妻の父親の発言力が強いと

お婿さんは痛々しいものよ。

小さくなって舅の意見をハイ、ハイと聞かなきゃならない。

今後もジムを経営していくには

奥さんだけオリンピック選手だったというより

夫婦ともにオリンピック選手の方が、ハクとしては段違いよ。

頼りの女房は、パパを尊敬しているから味方じゃない。

孤立無援の中、オリンピック、オリンピックと言われて

プレッシャーはすごかったと思うわ。

自分で罪を告白したのが、せめてもの救いね。


あ〜あ、今年も勝手なこと言っちゃった。

ごめんなさいね〜!
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うらやましい

2018年01月09日 15時36分42秒 | みりこんぐらし
夫と二人、会社の近くにあるスーパーで買い物をしていた。

このさびれた店は、私のお気に入り。

駐車場はスカスカ、レジで並ぶこともないからだ。


狭い店内を夫婦で徘徊していると、一人の女性に声をかけられた。

夫の知り合いらしい。

年は私より10才くらい若そうな美人である。


「おっ!愛人か!」

ここでそう思うのは初心者。

夫の愛人は、ブサイクと決まっている。

『美人は100回褒めても振り向かないが

ブスは1回褒めればすぐ落ちる』

夫の座右の銘である。


「◯◯社の事務員さんだよ」

夫が紹介する。

会社が近所にあり、仕事で毎日のように出入りしている所だ。


「あら〜!いつもありがとうございます」

「こちらこそ〜、お世話になっております」

彼女は明るく挨拶を返し、そして言う。

「優しい旦那様で、うらやましいです」

「あら〜、そんなこと〜」

一応、謙遜。


「ご主人、本当に優しいんですよ。

ガサガサした男が多い職場でしょう。

ご主人の柔らかい話し方に、すごく癒されるんです。

会社の女子社員も、みんな言ってるんですよ。

奥様がうらやましいって」

「え〜?」

「そうなんです。

どんな奥様かしら、お幸せねって、よく話しているんですよ」

「それはそれは‥」

「お会いできて、嬉しいです」

「こんなので、ごめんなさいましよ」

「いえ、想像していた通りの方でした」

どんな想像をしていたやら。

そして彼女は「うらやましい」を連発しながら去って行った。


私は彼女に申し上げたかった。

優しい旦那様には、親もセットで付いてくるんじゃ、と。

親の面倒を見させるためには、優しくするしかないんじゃ、と。

が、言わぬが花よ。

夫のこれまでの行状を知らない人類が、増加しているのだろう。


家に帰って、息子たちに報告。

「人様から、うらやましがられるなんて初めて。

びっくりしたよ」

いやほんと。

きついと評判の舅、毎日帰って来る娘、浮気亭主の三点セットにより

「あすこの嫁にだけは、なりとうない」

そう言われることは多々あったが、うらやましいと言われたことは

長い結婚生活で一度たりとも無かったのだ。


すると息子たちは口を揃えて言った。

「そこは“やるで?”じゃろ!」

それからくどくどと怒られる。

「何で言わんかったん?」

「受け答えが、なってない!」

「やるで?の後は、バアさんも付けるで?じゃろ」

「ここは、そう言うところでしょうが」

厳しい指導である。


「驚いたけん、とっさに出んかった」

言い訳する私に、指導は続く。

「何年ワシらの親、やりょうるん?」

「軽く、サッと出んとダメじゃろ」

「つまらん!」

「修行が足りん!」


以後、気をつけるように‥と言われて許されたが

次があるかどうかわからない。

あんまりうらやましがられると、身の置き場がないことはわかった。
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最後の同窓会

2018年01月04日 10時41分56秒 | みりこんぐらし
明けましておめでとうございます。

旧年中は楽しいコメント、温かいコメントをたくさんいただき

ありがとうございました。

いつも感謝しております。

本年も真実と笑いを信条に

下世話で口うるさいおばさんブログを続けたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。




正月二日、隣の市のホテルで3年に一度の同窓会があった。

同窓会は小学校のもので、女子が前厄を迎える30才で発足し

60才の還暦で解散するのがならわし。

還暦まであと2年あるが

我々の学年は3年に一度しかやらないので

同窓会という名のパーティーは、今回で終わりとなる。


前回の同窓会が終わった後、私は地元の同級生に

「先生を送迎したい」と提案した。

5年生と6年生の時に持ち上がりで担任だった先生たちが

2人ないし3人、毎回来てくれる。

とっくに80才を過ぎた先生たちに自力で来させるのは

酷だと思ったからだ。


それに先生たちはいつも御祝いの金一封に加え

二次会用のお小遣いまでくださる。

それらで充分、お車代になるではないか。

会計を引き受けて以来、初めて迎えた前回の同窓会で

私はこれらの細かい事実を知った。

先生たちの優しい心配りと、同級生たちの甘えっぷりに

愕然としたものだ。

もっと早く気がつけばよかった。

そこで送迎を言い出したわけ。


いつもつまらぬことを重要がり、しかめっ面をして

ああでもない、こうでもないと検討を重ねる役員の男どもだが

「それは名案だ!」ということで、すんなり通過。

タクシーをチャーターしようが、有志で送迎しようが

金は自由に使ってかまわんと許可がおりる。

ただし先生への連絡も準備も、お前が仕切れと言う。

要するに丸投げよ。


だから私はこの3年、どの先生をどんな方法で送迎しようかと

そればかりを考えてきた。

3人の先生たちは、それぞれ全く方角の違う市外に在住なので

タクシーをチャーターしたら何万もかかる。

なんぼ自由に使っていいと言われても、会計報告が全員に回ったら

文句を言う者が出てくるのは過去の前例で明らか。

不本意な暮らしをしながら細かいことに目を光らせて

糾弾の機会をうかがう面倒臭いヤツは

どんな集団にもいるものだ。


先生たちの近くに住む者や

あるいは通り道の者を送迎係に抜擢することも考えたが

皆、飲みたくて電車で来るんだから無理。


さりとて自分で送迎するのも不可能。

会計なので早めに会場入りして受付をやるし

帰りはホテルと二次会の支払いがある。

酔っ払いどもにゼニは預けられないし

たまっている年会費を一度に払う者もいて収支が複雑になるため

人任せにできない。


今回の同窓会が近づき、いよいよ決断の時がやってきた私は

近くにちょうどいいのが3人いることに気がついた。

夫と息子たちである。

だってタダじゃん。

しかも運転するのが重機やダンプとはいえ

一応はプロのドライバーじゃん。

そこで彼らに話してみると二つ返事で了解され

私が3年に渡って抱え続けた難題は一瞬で解決された。


さんざん考えたのに、いざ出欠のフタを開けてみると

先生は1人しか来ない。

あとの2人は高齢による体調不安で、残念ながら欠席の返事。

力が抜けた。


唯一出席する先生は、息子に送迎させることにした。

「あんたが思っているような、ただのお爺さんじゃないんだよ。

すごくダンディで、優しくて、かっこいいんだから」

などと事前の打ち合わせを行い、当日を迎える。


最後の同窓会は盛大に行われた。

恒例の『近況コーナー』では、一人ずつ順番に前へ出て

短いスピーチをする。

まずは今年から会長になったA君。

「去年、夢だったオープンカーを買いました。

天気のいい休日には嫁さんを乗せて走ってます。

見かけたら手を振ってください」

推定体重100キロ、鬼瓦にそっくりの奥様が

オープンカーの助手席で髪をなびかせるさまを思い浮かべ

一同はおし黙るのだった。


一番笑ったのは、若いうちからスキンヘッドのB君。

開口一番

「去年の流行語大賞を取りそこねました」

間髪入れず、誰かが解説を兼ねて叫ぶ。

「このハゲーッ!」


B君は続ける。

「髪は長い友達と申しますが、僕と髪との付き合いは

わずか30年という短いものでした」

そこで私が叫ぶ。

「顔がいいから許す!」

「ありがとう!

皆さん、髪を大切に!」

B君はそう言って、爆笑と拍手の中を悠々と席に戻った。


女子は人前で話す時、いい子ぶるのであんまり面白くない。

お稽古ごとを頑張っていますとか、孫が生まれました‥

あとは病歴をくどくど話す者が多いが

学年で一、二を争う秀才だったシズちゃんは違う。

「去年の衝撃は痔の手術をしたことと

シルバーシートを譲られたことです」

子供の頃と同じ、ひょうひょうとした口ぶりに

やんやの喝采であった。


終始、和やかで楽しい同窓会だった。

最後ということで、先生たちに記念品の置き時計を用意し

贈呈式もした。

裏のプレートに同窓会の名前を入れた特別製である。


欠席した先生には後日、私が記念品を届けることになった。

先生、先生と言うわりには、いざとなると恥ずかしがって

誰も行きたがらないからだ。

ともあれ役員の一人として、一応は奔走したつもりだったので

終わってホッとした。


今回出席してくれた先生は87才。

「これで終わり‥淋しいねえ」

帰り道で、息子にそう漏らしていたという。

それを聞くと大変だったことも忘れ

小規模でいいから次もやろうよと、提案するつもりになっている。
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