殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

ダイちゃん

2013年06月23日 10時26分16秒 | 前向き論
ダイちゃんは、親会社の経理部長である。

我々のボスである河野常務がクラブのママとしたら

ダイちゃんはさしずめ、チーママというところ。

本社の経理を担当するかたわら、我々の会社の面倒も見てくれている。


初対面は、昨年の今頃だった。

河野常務に連れられて我が社を訪れた彼は、そっけなく冷たい印象であった。

とりつく島もない爬虫類系の登場に、少々困惑。


仕事が一段落すると、爬虫類君はトイレの場所を聞いた。

やがてトイレから出てきた爬虫類君、キッチンでなにやらゴソゴソしている。

振り返ると彼は、花柄の小鍋を持って、オロオロしているのだった。


    「どうなさいました?」

「いや、あの、トイレが…」

トイレの水が流れないと言うのだ。

だからって、なぜに鍋?


おかしいわねえ、と言いながら、トイレを見に行こうとしたら、止める。

「あの…自分でなんとかしますから…」

    「あら、大丈夫ですよ」

「いや、もう1回やってみますから」

爬虫類君は、私の服のスソをつかむ。

止められるとムキになって、さらに歩を進める私。

よいではないか…およしになって…まるで悪代官と町娘だ。


爬虫類君は、なんとか私を制すると再びトイレに戻り

数分後、笑顔で帰還した。

「流れたっ!」

    「あ、良かったねえ!」

「うん!」

この一件で、すっかり打ち解けた二人であった。


話してみたら、年下だと思っていた彼は、私と同い年だった。

好きだったアニメ、当時の流行歌など、共通の話題がたくさんある。


話の中で、彼はたずねた。

「奧さんは、昔から楽天家なんですか?」

今までにも何度か、傾いた会社を引き受けて仕事をしたことがあった…

どの経営者も体裁をつくろって事実を隠したがり

立て直しよりも、そっちに手間がかかった…

こんなにあっけらかんとしているのは、何か宗教でもしているか

生まれつきの楽天家に違いないと思った…

爬虫類君は、質問の理由をそう付け加えた。

彼のそっけなく冷たい第一印象は、この経験に由来していたのだった。


   「他人事だからですよ。

    自分のやったことなら、責任の所在を少しでも遠ざけようと

    悪あがきしてますって」

そう答えたら「なるほど…」と真面目にうなづく爬虫類君であった。



楽天家と言われて「へえ!こういうのを楽天家というのか!」

と驚いたのは、やっぱり楽天家だからか。

つぶれそうな会社の可哀相な嫁を演じていたつもりだったのに

なんだか残念よ?


以前の私は、クヨクヨしぃの泣き虫であった。

浮気者の夫、相手の女、舅、姑、小姑…

私の不本意な現在を構成する登場人物を挙げては、日夜嘆いていた。

そこに浮気があれば、相手がいるのは当たり前で

家族関係も、元々良好でないのがいっそうぎくしゃくするのは当たり前だが

この一連の当たり前が許せず、個別に考えていたので

そりゃもう、忙しかった。


ひとしきり嘆くと、不本意の原因を究明したくなり

過去を振り返るのが日課として定着する。

原因究明といったって、今の不幸をどうにかして他者のせいにし

それを証明する作業に尽きる。

結婚したのは、決めたのは、居着いたのは

まぎれもなく自分だというのをさておいて考えるから

これだという原因に至るはずがない。

至らないから、ますます考える。


暗黒の思い出ばかりをコレクションしていると

自動的に先が不安になるシステムがあるようだ。

そこで、まだ来ぬ未来を案じる作業も日課として行なう。


過去をさかのぼって悔やむと、知らない前世が気になるし

未来の心配をしていると、まだ見ぬあの世が気にかかる。

毎日、過去と現在と未来をそれぞれバラバラに考えていたから

考えることがたくさんあった。


が、長く人間をやるうち、過去も現在も未来も同じ一本道だと

やがて気づいた。

昨日が今日を作り、今日が明日を作るのだ。


どうして気づいたかというと、ひとえに加齢のたまものである。

半世紀以上も生きていると、古い出来事が

ずっと後になって作用するのを何度も体験するからだ。


前に言ったり、行動したり、会ったりした…それは日常と呼ばれるものであった。

田舎の主婦だから、地味で平凡だ。

それでも長短の歳月を経て、実るのである。

嬉しい実も、嬉しくない実もあるが

おおむね「まあ!なんてラッキー!」という実のほうが多めのようだ。


ラッキーの実が熟したのを知る瞬間は、なかなか爽快だ。

爽快ついでに、他のラッキーも思い起こしてみる。

すると、過去の積み重ねで現在が作られているのが、まざまざとわかる。

この年になると、ろくでもない思い出もたくさんあるが

本当はラッキーネタもたくさん持っているのだ。

過去の暗黒部門をほじくるのに忙しくて、封印していただけである。


ラッキーを思う時、長い過去のどこかに、必ず布石があるのに気づく。

布石は不幸の原因究明の時と違い、簡単に見つかる。

嬉しいことは自分をさておかずに、受け容れられるからだ。

ラッキーの種は、一本道の道中で出会う

さまざまな人物や出来事の中に隠されていたのだった。


過去、現在、未来が1本にしぼられたので、私は考えることが無くなった。

考えなくなると、忘れる。

何はともあれ今日一日を生きられた…死なずにすんだ…ありがたい…

感謝印のフリカケをかければ、おいしい明日ができあがるのだから

簡単で気楽なもんだ。

楽天家、一名増産。



話は戻るが、会社のトイレの水が出なくなったのは

後にも先にもその1回こっきりであった。

もしもこんな不思議印のフリカケが、たまに落ちているとしたら

この世は何と面白い所であろう。


親しくなってみると、爬虫類君はカミソリのような頭脳と

温かい心を持ち合わせた好人物であった。

今では頼れる兄貴のような存在になり

我々は、彼のことをダイちゃんと呼ぶようになった。

表向きは、名前の一文字を取ったことになっている。

例のトイレ事件が語源というのは、永遠の秘密だ。
コメント (34)
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