殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

団さん

2015年01月26日 16時07分24秒 | みりこんぐらし
72才の団さんと、うちの夫とは20年来の付き合いだ。

20年前、取引先の雇われ専務だった彼と

仕事を通して知り合った夫は

それ以来、兄と弟のような関係である。


トレードマークのチョビ髭から

子供達は「ジャムおじさん(アニメのアンパンマンに出てくる人)」

と呼んでなついていたが

スリムな体にまとったチェックやストライプの派手なスーツは

芸人か腹話術の人形のようで、最初の頃、私は大いに怪しんだものだ。


それから数年後、彼に勧められて、夫が税理士を変えた。

その税理士は団さんの甥だ。

それを聞いた私は、脱サラして税理士を始めた甥のために

カモにされたと思い、ますます怪しんだ。

しかしフィーリングで生きている夫に何を言っても無駄だし

すでに乗り変えた後だった。


その翌月、前任の税理士が急死した。

いずれにしても変えることになっていたのだ。

夫の気まぐれには苦しんできたが

その刹那的フィーリングに一目置くようになったのは

それからである。



5年前、団さんとひとまずの別れが訪れた。

勤務先が倒産し、職を失った彼は

独身の気楽さを強みにどこかへ流れるつもりだと言った。


ほどなく流れた先は、都市部にあるA社。

当時67才の団さんは、営業の腕を買われたのだった。

住まいが遠くなり、以前のように会えなくなったが

時々遊びに来た。


そして3年前、義父の会社が倒産の危機に瀕した。

この時、親身になってくれたのが

団さんと、その甥の税理士であった。


団さんは自分の勤務先に、吸収合併を前提とした援助を頼んでくれ

税理士の方は義父の会社の廃業のため

遠くから毎日のように通って、数字のサポートをしてくれた。

この叔父と甥は相談しながら、無知な我々一家が

親を抱えて生活できるよう立ち回ってくれていたのだ。


税理士の愛車が駐車場に停まるたび、会社の周りには人が集まった。

この辺りでは珍しい最上級クラスのベンツを

見に来ているのかと思っていたが、後で聞いたら違っていた。

取り立て屋の車だと勘違いして

「あそこもいよいよ…」と言いながら見物していたらしい。


負債が大きいため、A社はハイリスクな合併に難色を示しており

団さんの奔走むなしく、この話は立ち消えになりそうだった。

我々はそれでいいと思っていた。

元々、この仕事に未練は無い。

団さんと税理士の真心は充分受け取った。

それだけで幸せ者だ。


しかしそこへ、Bという会社から合併の話が持ちかけられた。

A社とB社は、同じ都市部にある同じぐらいの規模の同業者。

昔から仕事の取り合いで熾烈な戦いを繰り広げていたため

非常に仲が悪かった。


合併の価値が我が社にあるわけではない。

たまたま市内には、数年後に大きな公共工事が予定されていたからだ。

工事に関わる業者は地元優先という前提があるため

市外に本拠地のあるB社は参入が難しい。

そこで我が社を吸収し、地元業者の名目を得た上で

工事受注のトップを取るつもりだった。


団さんは言わないが、これは彼が仕掛けた熟練のワナであったと

私は思っている。

団さんには我々を助けたいのと同じ割合で

B社にひと泡吹かせたい願望があった。

団さんが専務をしていた会社は、B社に乗っ取られていたからだ。

二代目のボンボン社長を丸め込んで合併話を進め

急に援助を打ち切って倒産させる手口である。


団さんは、このやり方を繰り返して大きくなったB社を憎んでおり

また、弟のような夫を自分と同じ目に遭わせるのを恐れた。

そこでB社に我が社の身売り話をほのめかし

名乗りを上げさせて、A社の負けず嫌いを刺激したのだった。


このタイミングで、団さんは上司の河野常務を引っ張り出した。

そう、負けず嫌いのA社というのが、今の我々の親会社である。

合併に際し、河野常務が立役者なら

団さんは筋書きを考えた脚本家と言えよう。


このような経緯で合併が成立して現在に至るが

恥をかかされた格好になったB社は怒り心頭で

本社とB社の戦いはますますヒートアップした。

そして昨年の秋。

本社との戦争で無理を重ね、経営不振に陥ったB社は

県外の企業に吸収されて消滅した。

戦いにひとまずの決着がついたのである。


これに一番喜ぶのは団さんのはずだったが

彼はすでに退職した後だった。

原因は、我が社の営業課長だった松木氏である。


団さんは以前から、我々一家の行く末を見届けたら

引退すると公言しており、自分の後継者を探していた。

そこで声をかけたのが、若い頃に働いていた会社の後輩

松木氏であった。


団さんは我々の目の前で、松木氏に電話した。

一時は生コン会社の工場長をしていたが

子供の運動会でアキレス腱を切り、そのまま解雇されて

今は瓦屋でアルバイトをしている…

このままでは離婚されそう…

この話に同情した団さんは、その場で面接の日取りを決めた。


だが、これがアダとなった。

入社させたはいいが、営業成績ゼロ更新が続き

かかる経費と損害だけは人一倍。

そのたびに「誰が入れた」という話になるので

団さんの肩身は狭くなっていった。


その上、松木氏は団さんの追い出しを会社に提案した。

理由は、高齢。

親心で叱咤激励する団さんが、煙たくなったのだ。


松木氏の主張に耳を傾ける者はいなかったが

団さんは、松木氏の本性に深く傷ついた。

そこで「あいつを入社させたのは一生の不覚」

という言葉を我々に残し、サッと退職した。


今も団さんから、夫に時々電話がくる。

「元気でやってるか?」

「親父さんの容態はどう?」

「本社は良くしてくれるかい?」

多分団さんが亡くなるまで、この関係は続くと思う。


先週、本社の経理部長ダイちゃんに

団さんの退職理由を質問されたのがきっかけで

以上の経緯を話す機会に恵まれた。

もちろん松木氏の悪行の暴露も添えた。


ダイちゃんはその事実と、私の剣幕にたじろぎ

いつもの宗教勧誘も忘れて早々に帰って行った。

団さんの仇を討ったような気持ちで見送った私である。
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ぷくぷくちゃん

2015年01月19日 08時52分21秒 | みりこん童話のやかた
わたしはきんぎょです。

いちばん下にいるのがわたしです。

からだがさかさまになってしまう「てんぷくびょう」にかかっています。

およげないので、下にいるしかありません。

なまえは「てん・ぷくぷく」といいます。

お兄ちゃんがつけてくれました。


わたしはきょねんの春まで、みんなといっしょに

よそのおうちでくらしていました。

お兄ちゃんがみんなをもらうことになったとき

びょうきのわたしもいっしょにつれてかえりました。


わたしは生まれつき、お口のかたちがゆがんでいるので

ごはんをうまくたべられません。

お兄ちゃんはわたしのために、やわらかいごはんをかって

「ぷくぷくちゃん、ごはんだよ」

と言いながらたべさせてくれます。

お兄ちゃんはわたしのごはんを

「てんぷくスペシャル」とよんでいます。


おばあちゃんと小さいお兄ちゃんは

上を向いてうごけないわたしを見て

ときどき「死んだ」とさわぎます。

死んだとおもわれたらこまるので

わたしはいそいでヒレをうごかします。


お父さんはわたしのことをしりません。

お母さんはいつもはしらんかおなのに

きゅうにプログにのせると言いだして

わたしのしゃしんをとりました。

「もっと前にでろ」とか「わらえ」とめいれいするので

ちょっとはらがたちました。

犬のパピ兄ちゃんが

「あの女にはきをつけろ」とおしえてくれたいみが

よくわかりました。


わたしのいるおだいどころで、かぞくのみなさんがよくはなすのは

おばあちゃんのことです。

お父さんもお兄ちゃんたちも「ばあちゃんはボケた」と言います。

でもお母さんは「ちがう」と言います。

「むかしからおかしいんだ。

あんたたちは家にいないから、しらなかっただけだ」

といばります。


「にんちしょうかもしれない」

だれかが言うと

「40すぎからずっとあのまんまだから、にんちしょうではない。

せいかくがくさっているだけだ」

と言います。

かばっているのか、わるくちを言っているのか、よくわかりません。


わたしはかぞくの中で、お兄ちゃんがいちばんすきです。

「てんぷくスペシャル」をたくさんたべて

はやくげんきになりたいとおもいます。
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探索

2015年01月13日 09時47分00秒 | みりこんぐらし
このところ、コンビニへ行く回数が

「たまに」から「月数回」に上昇。

ある食品を探すためなのじゃ。


その食品の存在を昨年11月に知った。

選挙で一緒にウグイスをやった、あの懐かしきナミ様に

もらって食べたのじゃ。


それは噛んだらスッとする

フリスクやミンティアの仲間と思ってもらいたい。

5センチぐらいの楕円形のケースに入っていて

中身は直径3ミリぐらいの丸くて黄色い

昆虫のタマゴみたいなグミなのじゃ。


決しておいしいわけではない。

噛んだらプチッと裂けて、ひえ~っと叫びたくなるような

ミントの味がはじけるのじゃ。

口や鼻だけでなく、目までチカチカするのじゃ。


「セブンイレブンにありますよ」

刺激に衝撃感激の私から入手先を問われ

ナミ様はこともなげにおっしゃった。

あれをまたプチッとやりたい。

家族に食べさせて驚かれたい。

特に、病院で寝たきりの義父アツシに与えて反応を見たい。


寝たきり老人の虐待ではない。

アツシは七味や胡椒などの刺激物が好きだ。

健康法も、危険と隣り合わせの刺激的なタイプを好む。

スタミナがつくと聞き、生のニンニクを食べたり

痔にいいと聞き、ナメクジを飲んだりしていた。


最も刺激的だったのは「おおやいと」と呼ばれる激しいお灸だった。

遊び仲間と月に1回のペースで山陰地方へ赴き

腰に2つの大きなお灸をすえてもらう。

当然火傷を負い、直径2センチ、深さ5ミリ程度の穴があく。

そこへ秘伝の吸い出し軟膏を塗ると

1ヶ月間、黄色いウミが出続ける。

これでどんな病気もたちどころに改善するという。


どこの県にあるんだか、飲むと激しい下痢を起こす温泉水を

泊りがけで飲みにも通っていた。

トイレと温泉水の蛇口がセットでずらりと並んでおり

これで体内の毒素を一掃するという。


ウミを出し、毒も出したが徒労に終わり、今じゃ寝たきりのアツシ。

刺激を求めて西へ東へウロチョロしているうちに、会社は傾いた。

いくら刺激が好きでも、不渡り手形や借金取りは

ちょっと刺激的過ぎたみたい。

でもこのグミの適度な刺激なら、きっと喜ぶと思うの。

だってスキッとし過ぎる目薬をさしてあげた時も

「ヒー!」って喜んだもん。

多分、あれは喜んだのよ…?

というわけで、この口腔清涼剤を探す私よ。


商品名を忘れ、パッケージもうろ覚えなので自力で探すしかない。

ナミ様にたずねればいいようなもんだけど

わかる?過ぎ去ってみればウザいだけのこの気持ち。


私は探索の対象をセブンイレブンからローソンにも拡大し

我が町にあるローソンへ赴く。

やはり見当たらないのでパンなんぞ買い、レジへ。

清算してもらう間に、唐揚げやウィンナーの焼いたのが並ぶ

ケースを眺める。


こんがりと焼けた鳥の脚が1本ある。

「家じゃあ、こんなにこんがり焼けないわねぇ」

つぶやくと、レジのおネエちゃんが言う。

「ここまで焼くと、普通焦げますよね」

「でしょ?」

店の客は私だけだったため、鳥の話で盛り上がる。

そう、田舎の昼下がりのローソンはそんなもんなのよ。


「いかがですか?」

こういうものを買ったことも食べたこともない私は

勧められて心が揺れる。

「うちには息子が2人いるから、1本じゃあねえ」

「私は息子が1人います」

「何才?」

「今8ヶ月です」

「あら~!可愛いでしょうね!」

「はい」


でも…とおネエちゃんはつぶやいた。

「別々に暮らしているんです…」

「あらそうなの?」

「色々あって…子供に会えないんです…私…」


厄介なことになったと思ったが

ここでひるんでいては、みりこんがすたる。

「大丈夫よ!絶対一緒に暮らせるようになるわよ!」

「本当ですか?」

「そうよ~、母親と子供の絆ってね、そう簡単に切れるもんじゃないわ。

血が呼び合って引き寄せるんだから」

「じゃあ、辛抱していたら会えるようになりますか?」

「血は運命より強いんだから、血を信じて待つのよ」

「はい!ありがとうございます!」

おネエちゃんは涙を浮かべた。


30才ぐらいのおネエちゃんは、暗く寂しげな印象で

見るからにサチ薄そうな感じ。

そのサチ薄度の心理的要因は、色々あるという生活に起因している様子だが

物理的要因はスッピンにあると思われる。


スッピンはけっこうだけど、ある程度年のいった女には不利に働くことが多い。

多少は自分に手間をかけないと、人からぞんざいに扱われやすいのだ。

客商売なんだから、せめて口紅のひと塗りでもして武装し

サチ薄を吹き飛ばしたらいいのだが

こういう人はわりと意固地なので、言わない。



ところであなた…私は言った。

「これこれこういうグミ、知らない?」

オバタリアンは切り替えが早いのだ。

「見たことありませんねえ」

おネエちゃんも切り替えが早いタイプらしく

鼻をすすりながら首をかしげる。


「もし見つかったら、うちの旦那にことづけてちょうだい。

毎朝ここへスポーツ新聞買いに来る大男よ。

ローソンのカードでポイント貯めちゃあ肉まん買うヤツよ」

「スポーツ新聞…あっ!わかりました!」

「じゃ、よろしく!」


店から出た私は、外で待っていた夫の車に乗る。

「今度、グミを出されたら買っといて」

ポイントで肉まん買う男は、了解とうなづくのであった。
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初笑い

2015年01月07日 10時14分03秒 | みりこんぐらし
「一部の年賀状に描いたさし絵」

裏が白いハガキ限定。

ちなみに今年の目標は無口。



あけましておめでとうございます。

旧年中は誠にありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。




5日に本社の新年会があった。

人数が多いため、毎年都会のホテルで行われる。

正社員限定なので夫と息子達だけで、私にお呼びは無い。


夫は今回、舞台に上がって短い挨拶をすることになっていた。

これを昨年末から気に病み、日夜苦しむ夫であった。


あがり症って、苦しむ機会が多くて大変らしい。

あがらない性格の私は、気の毒に思う。

「良く見せようとするからあがるのだ。

本当の自分でいいと思えばあがらない」

♩ありの~ままの~姿見せるのよ~♩

アナと雪の女王の歌など歌い、メンタル面のフォローを試みるが

今ひとつ。


思えば何十年の間、夫は苦手なことをするのを避けてきた。

自営業なので、避けられる身の上でもあった。

気の進まないことは「行かない」「やらない」で済んでいたが

本社と合併したからには、気ままは通らない。

安定を得た代わりに自由を失ったというところ。


何かを得るためには、何かを失うものだ。

親の保護のもと、その究極を知らずにオジンとなった夫には

50半ばでいきなり発生したこのような義務が

緊張以上にこたえるのだろう。


ここはひとつ、スーツでも新調してやろう…

私はフンパツした。

既製品ではあるが、イタリアのマリオなんちゃらというメーカーの

スーツやワイシャツ、ネクタイなどを揃えた。


ついでに靴も買うつもりだった。

しかし夫の足は、病的な幅広甲高(はばひろこうだか)で

指の太さも人の倍はある。

原因は母親からの遺伝と、幼少よりいそしんだ柔道だ。


スポーツ業界ならいざ知らず、一般人で

夫ほどの幅広甲高を見たことは、未だに無い。

結婚式で履く白足袋…既製品では合わず、あつらえた。

タキシードの靴…貸衣装にはサイズが無く、自前の普段履きを使った。

運動靴は伸びるので入るが、皮は伸縮性に乏しいので無理なのだ。

「よくもまあ、あんな醜い足をぶら下げて女とチャラチャラ…」

浮気者の夫に対する私のひそかなつぶやきには

その足への攻撃がたびたび登場したものだ。


ゲタしか合わない足に履かせる靴には、いつも困った。

何とか合う物が見つかると、同じのを何足も買ってしのいできた。

しかしデザインは変化してゆく。

今主流のつま先が長く、足首を入れる所が狭い紳士靴なんて

入り口から指5本分を侵入させるスペースすら無い。

店の人はあれこれ出してくれるが、どれもだめ。

「もういい!」

夫は大汗をかいてキレ、靴売り場から逃亡した。


そして新年会の日はやってきた。

新しいスーツに身を包んだ夫は、馬子にも衣装

きちんとした初老のおじさんに見える。

長年愛用している、はき慣れた靴以外は。

「今年はこの人の靴を探そう」

年頭に当たり、そんな目標を掲げた私であった。


ホテルへは家族で行った。

参加資格の無い私が行ったってしょうがないのだが

挨拶に不安を訴える夫のたっての願いなので

新年会の間、駅前のデパートで都会の空気を吸うことにした。


2時間後、ホテルのロビーで合流。

挨拶がうまくいったらしく、ご機嫌な夫であった。

しかし歩き方がなんだかおかしい。


壇上へ上がる時に緊張してつまづき、スネでも打ったのかと思ったら

夫がヘラヘラ笑いながら足の裏を見せる。

…靴のカカトが片方無かった。

劣化し、もげたのだ。

寿命は今日だったのだ。


「いつから?!」

「最初ごろ」

「じゃあ、ずっとカカト無し?」

「うん」


次男が叫ぶ。

「あ!俺、カカト見た!会場の床に落ちてた!」

他の人と一緒にカカトを発見した次男は

“よっぽどのことだ”と言い

その人も“終わってるね”と言ったそうだ。

「よっぽどで終わってるのは自分の父親だった!」


4人で腹がよじれるほど笑い転げ、帰途についた。

激しい初笑いであった。

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