72才の団さんと、うちの夫とは20年来の付き合いだ。
20年前、取引先の雇われ専務だった彼と
仕事を通して知り合った夫は
それ以来、兄と弟のような関係である。
トレードマークのチョビ髭から
子供達は「ジャムおじさん(アニメのアンパンマンに出てくる人)」
と呼んでなついていたが
スリムな体にまとったチェックやストライプの派手なスーツは
芸人か腹話術の人形のようで、最初の頃、私は大いに怪しんだものだ。
それから数年後、彼に勧められて、夫が税理士を変えた。
その税理士は団さんの甥だ。
それを聞いた私は、脱サラして税理士を始めた甥のために
カモにされたと思い、ますます怪しんだ。
しかしフィーリングで生きている夫に何を言っても無駄だし
すでに乗り変えた後だった。
その翌月、前任の税理士が急死した。
いずれにしても変えることになっていたのだ。
夫の気まぐれには苦しんできたが
その刹那的フィーリングに一目置くようになったのは
それからである。
5年前、団さんとひとまずの別れが訪れた。
勤務先が倒産し、職を失った彼は
独身の気楽さを強みにどこかへ流れるつもりだと言った。
ほどなく流れた先は、都市部にあるA社。
当時67才の団さんは、営業の腕を買われたのだった。
住まいが遠くなり、以前のように会えなくなったが
時々遊びに来た。
そして3年前、義父の会社が倒産の危機に瀕した。
この時、親身になってくれたのが
団さんと、その甥の税理士であった。
団さんは自分の勤務先に、吸収合併を前提とした援助を頼んでくれ
税理士の方は義父の会社の廃業のため
遠くから毎日のように通って、数字のサポートをしてくれた。
この叔父と甥は相談しながら、無知な我々一家が
親を抱えて生活できるよう立ち回ってくれていたのだ。
税理士の愛車が駐車場に停まるたび、会社の周りには人が集まった。
この辺りでは珍しい最上級クラスのベンツを
見に来ているのかと思っていたが、後で聞いたら違っていた。
取り立て屋の車だと勘違いして
「あそこもいよいよ…」と言いながら見物していたらしい。
負債が大きいため、A社はハイリスクな合併に難色を示しており
団さんの奔走むなしく、この話は立ち消えになりそうだった。
我々はそれでいいと思っていた。
元々、この仕事に未練は無い。
団さんと税理士の真心は充分受け取った。
それだけで幸せ者だ。
しかしそこへ、Bという会社から合併の話が持ちかけられた。
A社とB社は、同じ都市部にある同じぐらいの規模の同業者。
昔から仕事の取り合いで熾烈な戦いを繰り広げていたため
非常に仲が悪かった。
合併の価値が我が社にあるわけではない。
たまたま市内には、数年後に大きな公共工事が予定されていたからだ。
工事に関わる業者は地元優先という前提があるため
市外に本拠地のあるB社は参入が難しい。
そこで我が社を吸収し、地元業者の名目を得た上で
工事受注のトップを取るつもりだった。
団さんは言わないが、これは彼が仕掛けた熟練のワナであったと
私は思っている。
団さんには我々を助けたいのと同じ割合で
B社にひと泡吹かせたい願望があった。
団さんが専務をしていた会社は、B社に乗っ取られていたからだ。
二代目のボンボン社長を丸め込んで合併話を進め
急に援助を打ち切って倒産させる手口である。
団さんは、このやり方を繰り返して大きくなったB社を憎んでおり
また、弟のような夫を自分と同じ目に遭わせるのを恐れた。
そこでB社に我が社の身売り話をほのめかし
名乗りを上げさせて、A社の負けず嫌いを刺激したのだった。
このタイミングで、団さんは上司の河野常務を引っ張り出した。
そう、負けず嫌いのA社というのが、今の我々の親会社である。
合併に際し、河野常務が立役者なら
団さんは筋書きを考えた脚本家と言えよう。
このような経緯で合併が成立して現在に至るが
恥をかかされた格好になったB社は怒り心頭で
本社とB社の戦いはますますヒートアップした。
そして昨年の秋。
本社との戦争で無理を重ね、経営不振に陥ったB社は
県外の企業に吸収されて消滅した。
戦いにひとまずの決着がついたのである。
これに一番喜ぶのは団さんのはずだったが
彼はすでに退職した後だった。
原因は、我が社の営業課長だった松木氏である。
団さんは以前から、我々一家の行く末を見届けたら
引退すると公言しており、自分の後継者を探していた。
そこで声をかけたのが、若い頃に働いていた会社の後輩
松木氏であった。
団さんは我々の目の前で、松木氏に電話した。
一時は生コン会社の工場長をしていたが
子供の運動会でアキレス腱を切り、そのまま解雇されて
今は瓦屋でアルバイトをしている…
このままでは離婚されそう…
この話に同情した団さんは、その場で面接の日取りを決めた。
だが、これがアダとなった。
入社させたはいいが、営業成績ゼロ更新が続き
かかる経費と損害だけは人一倍。
そのたびに「誰が入れた」という話になるので
団さんの肩身は狭くなっていった。
その上、松木氏は団さんの追い出しを会社に提案した。
理由は、高齢。
親心で叱咤激励する団さんが、煙たくなったのだ。
松木氏の主張に耳を傾ける者はいなかったが
団さんは、松木氏の本性に深く傷ついた。
そこで「あいつを入社させたのは一生の不覚」
という言葉を我々に残し、サッと退職した。
今も団さんから、夫に時々電話がくる。
「元気でやってるか?」
「親父さんの容態はどう?」
「本社は良くしてくれるかい?」
多分団さんが亡くなるまで、この関係は続くと思う。
先週、本社の経理部長ダイちゃんに
団さんの退職理由を質問されたのがきっかけで
以上の経緯を話す機会に恵まれた。
もちろん松木氏の悪行の暴露も添えた。
ダイちゃんはその事実と、私の剣幕にたじろぎ
いつもの宗教勧誘も忘れて早々に帰って行った。
団さんの仇を討ったような気持ちで見送った私である。
20年前、取引先の雇われ専務だった彼と
仕事を通して知り合った夫は
それ以来、兄と弟のような関係である。
トレードマークのチョビ髭から
子供達は「ジャムおじさん(アニメのアンパンマンに出てくる人)」
と呼んでなついていたが
スリムな体にまとったチェックやストライプの派手なスーツは
芸人か腹話術の人形のようで、最初の頃、私は大いに怪しんだものだ。
それから数年後、彼に勧められて、夫が税理士を変えた。
その税理士は団さんの甥だ。
それを聞いた私は、脱サラして税理士を始めた甥のために
カモにされたと思い、ますます怪しんだ。
しかしフィーリングで生きている夫に何を言っても無駄だし
すでに乗り変えた後だった。
その翌月、前任の税理士が急死した。
いずれにしても変えることになっていたのだ。
夫の気まぐれには苦しんできたが
その刹那的フィーリングに一目置くようになったのは
それからである。
5年前、団さんとひとまずの別れが訪れた。
勤務先が倒産し、職を失った彼は
独身の気楽さを強みにどこかへ流れるつもりだと言った。
ほどなく流れた先は、都市部にあるA社。
当時67才の団さんは、営業の腕を買われたのだった。
住まいが遠くなり、以前のように会えなくなったが
時々遊びに来た。
そして3年前、義父の会社が倒産の危機に瀕した。
この時、親身になってくれたのが
団さんと、その甥の税理士であった。
団さんは自分の勤務先に、吸収合併を前提とした援助を頼んでくれ
税理士の方は義父の会社の廃業のため
遠くから毎日のように通って、数字のサポートをしてくれた。
この叔父と甥は相談しながら、無知な我々一家が
親を抱えて生活できるよう立ち回ってくれていたのだ。
税理士の愛車が駐車場に停まるたび、会社の周りには人が集まった。
この辺りでは珍しい最上級クラスのベンツを
見に来ているのかと思っていたが、後で聞いたら違っていた。
取り立て屋の車だと勘違いして
「あそこもいよいよ…」と言いながら見物していたらしい。
負債が大きいため、A社はハイリスクな合併に難色を示しており
団さんの奔走むなしく、この話は立ち消えになりそうだった。
我々はそれでいいと思っていた。
元々、この仕事に未練は無い。
団さんと税理士の真心は充分受け取った。
それだけで幸せ者だ。
しかしそこへ、Bという会社から合併の話が持ちかけられた。
A社とB社は、同じ都市部にある同じぐらいの規模の同業者。
昔から仕事の取り合いで熾烈な戦いを繰り広げていたため
非常に仲が悪かった。
合併の価値が我が社にあるわけではない。
たまたま市内には、数年後に大きな公共工事が予定されていたからだ。
工事に関わる業者は地元優先という前提があるため
市外に本拠地のあるB社は参入が難しい。
そこで我が社を吸収し、地元業者の名目を得た上で
工事受注のトップを取るつもりだった。
団さんは言わないが、これは彼が仕掛けた熟練のワナであったと
私は思っている。
団さんには我々を助けたいのと同じ割合で
B社にひと泡吹かせたい願望があった。
団さんが専務をしていた会社は、B社に乗っ取られていたからだ。
二代目のボンボン社長を丸め込んで合併話を進め
急に援助を打ち切って倒産させる手口である。
団さんは、このやり方を繰り返して大きくなったB社を憎んでおり
また、弟のような夫を自分と同じ目に遭わせるのを恐れた。
そこでB社に我が社の身売り話をほのめかし
名乗りを上げさせて、A社の負けず嫌いを刺激したのだった。
このタイミングで、団さんは上司の河野常務を引っ張り出した。
そう、負けず嫌いのA社というのが、今の我々の親会社である。
合併に際し、河野常務が立役者なら
団さんは筋書きを考えた脚本家と言えよう。
このような経緯で合併が成立して現在に至るが
恥をかかされた格好になったB社は怒り心頭で
本社とB社の戦いはますますヒートアップした。
そして昨年の秋。
本社との戦争で無理を重ね、経営不振に陥ったB社は
県外の企業に吸収されて消滅した。
戦いにひとまずの決着がついたのである。
これに一番喜ぶのは団さんのはずだったが
彼はすでに退職した後だった。
原因は、我が社の営業課長だった松木氏である。
団さんは以前から、我々一家の行く末を見届けたら
引退すると公言しており、自分の後継者を探していた。
そこで声をかけたのが、若い頃に働いていた会社の後輩
松木氏であった。
団さんは我々の目の前で、松木氏に電話した。
一時は生コン会社の工場長をしていたが
子供の運動会でアキレス腱を切り、そのまま解雇されて
今は瓦屋でアルバイトをしている…
このままでは離婚されそう…
この話に同情した団さんは、その場で面接の日取りを決めた。
だが、これがアダとなった。
入社させたはいいが、営業成績ゼロ更新が続き
かかる経費と損害だけは人一倍。
そのたびに「誰が入れた」という話になるので
団さんの肩身は狭くなっていった。
その上、松木氏は団さんの追い出しを会社に提案した。
理由は、高齢。
親心で叱咤激励する団さんが、煙たくなったのだ。
松木氏の主張に耳を傾ける者はいなかったが
団さんは、松木氏の本性に深く傷ついた。
そこで「あいつを入社させたのは一生の不覚」
という言葉を我々に残し、サッと退職した。
今も団さんから、夫に時々電話がくる。
「元気でやってるか?」
「親父さんの容態はどう?」
「本社は良くしてくれるかい?」
多分団さんが亡くなるまで、この関係は続くと思う。
先週、本社の経理部長ダイちゃんに
団さんの退職理由を質問されたのがきっかけで
以上の経緯を話す機会に恵まれた。
もちろん松木氏の悪行の暴露も添えた。
ダイちゃんはその事実と、私の剣幕にたじろぎ
いつもの宗教勧誘も忘れて早々に帰って行った。
団さんの仇を討ったような気持ちで見送った私である。