『鬱病』
毎朝、実家へ行くようになって半月が経った。
暖房ガンガンの蒸し風呂の中で、母の回復を待つのが嫌になった私は
その間に洗濯その他を済ませ、やがて起きられるようになった母を連れて
A内科医院とカフェのハシゴという日課だ。
日課とはいえ、A医院にもカフェにもそれぞれ定休日がある。
その時は、布団から出て動けるようになると
車で少し遠出をして買い物と外食をご所望。
ドライブ、買い物、外食の三大好物に、母はご機嫌だ。
ある日、いつものように母を連れてA内科医院に行くと
待合室に同級生のヤスヒロがいた。
認知症のお母さんを連れて来たのだ。
「ヤッちゃん!」
話しかけると、彼はキョトンとして言う。
「…どなた?」
「やぁね、みりこんじゃん」
「…嘘…」
「嘘じゃないわ」
「どしたんね…あんまり痩せとるけん、わからんかったわ。
どっか悪いんか?それで来たんか?」
「母親を連れて来たんよ」
「あんたも苦労するのぅ…ワシもよ」
そう言って、お母さんを見るのだった。
ヤスヒロの話によると、彼のお母さんは最近
要介護1から2に進んだ。
要介護2になって、週1回のデイサービスが
2回になると喜んでいたら、逆だったそうだ。
介護保険で借りる手押し車などの補助や税金の面では
わずかに手厚くなったものの、なぜかデイサービスが隔週になり
困っているとボヤいていた。
要介護度が上がったのにデイサービスの回数が減る…
この残念な措置は多分、お母さんとヤスヒロが
一緒に住んでいるからかも。
要介護の人に同居する親族がいる場合
条件が厳しくなるのは聞いたことがある。
ヤスヒロはお母さんの施設入りを切に願っているけど
道のりは遠そうだ。
さて、6月も下旬にさしかかった頃…
母とA内科医院に行ったら、A先生が言う。
「もう一回、心療内科へ行ってみようや。
薬を変えた方がいいと思う」
月に一回の心療内科通いは、ひとまず4月で終了していた。
最初に弱い薬で様子を見て
2ヶ月後に中くらいの強さの物に変え
さらに1ヶ月後、調子が良いのでA内科医院に返されたため
不安神経症の薬はA内科医院から処方されていた。
この時、A先生は、母のいない所へ私を呼んで言った。
「鬱病だと思う」
「えっ?朝が調子悪いだけで、午後は普通に元気なんですよ?
昨日だって夕方、私が帰った後で美容院に行ってて
びっくりしたんです」
そうなのだ。
母の具合が悪いのは、とにかく朝。
昼が近づくにつれて元気を取り戻し、午後は元気な頃と変わらない。
「それが鬱病なんよ。
朝はドヨ〜ンとして動けんけど、昼頃、だんだん元気になって
午後から夕方はすごく元気。
で、夜になるとまた落ち込んできて、朝起きたら最悪。
典型的な鬱病の症状よ」
「知らんかったです…
寂しいから呼ばれてると思ってました。
私が行ったら元気が出るんじゃなくて
昼が近付くから元気になるということですか?」
「そうなんよ。
調子の悪い時間と、調子のいい時間がはっきりしとるじゃろ。
専門の先生に診断してもらって、治療させんさい」
「わかりました」
母は性格の悪い寂しがり屋ではなく、れっきとした鬱病らしい。
ああ、びっくり。
数日後、A先生の紹介状を持ち、母を連れて再び心療内科へ行った。
A先生が言った通り、診断は鬱病。
薬は今まで飲んでいた不安神経症の薬と同じ種類だが
成分が1.5倍程度、強めの物に変わった。
薬が合っているかどうかを見るため
次は1週間後に行くことになった。
しかし、この薬はあんまり効かなかった。
母は不安を感じたら飲むことになっている精神安定剤に
依存するようになり、以前は夜間を中心に飲んでいたのが
朝や日中もたびたび飲むようになった。
その精神安定剤を飲むと、不安な心はひとまず落ち着くが
副作用として足のフラつきが出たり
ボンヤリするようになると、薬局で聞いた。
だから飲んだ時は、階段の上り下りをしないように
一人で外出しないようにと言われていた。
だが、一人暮らしの身でそれを守るのは難しい。
もっと長く一緒に居る必要があるのだろうか…
とも思ったが、今以上の世話をする自信など私には無く
また、今以上の世話をするつもりも無かった。
階段を踏み外しても、外で事故に遭っても、それは運命…
本人も90年は長いと言ってるんだから、年に不足は無かろうよ…
そう思うことにした。
心療内科へ行って数日後…
いつものように呼ばれて行ってみると
珍しいことに母は自力で洋服に着替え
鏡台の前で化粧をしているではないか。
「どしたん?今日は気分がええんじゃね」
「ええこともないんじゃけど、これからA先生の所へ行こう思うて。
もう電話してあるけん、連れて行って」
シャキッとした話し方といい、テキパキした動作といい
昨日までの彼女とはとても思えない。
鬱病と聞いてなかったら、昔の母に戻ったと錯覚していただろう。
A内科医院へ行くと、受付の周辺にいる数人の女性たちの態度が
何となくいつもと違っていた。
言葉は変わりなく優しいが、ほんのわずかによそよそしく
母と目を合わさないようにしている感じ。
医療従事者は絶対に言わないだろうけど
母が「これから行く」と電話をかけた時に、何かあったと思われる。
鬱病だか認知症だかで身内と他人の区別がつかなくなり
私や家族に対するのと同じく、地獄の底から聞こえるような声で
人を人とも思わない命令的でぞんざいな口をきいた可能性大。
他人には高く明るい声で歌うように話す母を
優しい常識人だと思ってきた人は、驚いて怖がると思う。
世話になった人に恩を仇で返すのも、病んだ老人の特徴である。
《続く》