殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

洗濯と認知症・2

2014年07月24日 11時04分33秒 | みりこんぐらし
私はまず、おばあちゃん達が洗濯にこだわる理由を考えた。

《安全》

昔の人の多くは働き者だ。

その上、常に他者と比較される教育で育った。

加齢や病気で以前ほど動けなくなったとはいえ

自分だけが何もしないのは落ち着かない。

何かの役に立ちたい…

ありがとうを言うばっかりじゃなく、たまにはありがとうと言われたい…

若い者と立場が逆転して以来、とんとご無沙汰の指示や命令もしてみたい…

それが人間というものだ。


しかし、家に居ながらできることといえば

さし当たって家事ぐらいしか無い。

そこで手を出す。


しかし嫁は、それを歓迎しない。

おばあちゃんの家事には、覚悟が無いからだ。

急な思いつきでやりたがるが、やり遂げる意思が無いのだ。

その準備や後始末のために、嫁の仕事が増えることなど

おばあちゃんは知るよしもない。

狭い台所を長時間占領して、ゆるゆると料理を一品だけ作り

「お母さんのと、どっちがおいしい?」

なんて宣戦布告までされたら、ムッとしてしまう。


おばあちゃんにしてみれば、身体と相談しながら

自分なりにできる範囲で頑張っているつもり。

なぜ嫁の機嫌が悪くなるのかわからない。

それでも台所は危ないというのは、本能でわかってくる。


じゃあ掃除…とはいかない。

掃除は体力がいるし、暑いし寒いし、面倒臭い。

「できるんだったら、これからはおばあちゃんにお願いしようかしら」

なんて言われたら一大事。

掃除も危険なのだ。


そこで洗濯。

洗濯は、途中まで機械がやる。

おばあちゃんは家事のうち、最も軽作業である洗濯部門に着目し

さらにその中で一番楽な、干し方の指導と修正で

社会参加意欲を満たしているのだ。


洗濯なら、しゃしゃり出て嫁の機嫌を損ね

「じゃあ自分でやれ!」と言われても

機械がやるので何とかなる。

口出ししても安全なのは、洗濯しか無い。


《安心》

年を取ると、下から大小漏れやすくなる。

みんな言わないだけだ。

尿取りパッドは、高齢になると管理が難しくなる。

尿漏れより、買い忘れや置き忘れ、捨て忘れで人知れず苦しむようになり

やがては使用すること自体を忘れる。


男性も漏れるが、女性はそれを恥じる傾向が強く

家族、とりわけ他人である嫁に知られるのを

この世の終わりのごとく恐れる。

自分が嫁の悪口をよそで言ってきたように

嫁もこのことを人にしゃべるとわかっているからだ。


秘密裏に処理を行う目的のため

日頃から洗濯には関心有りの態度を表明し

いざという時、洗濯を行っても怪しまれないよう

手を打っておく必要がある。



《聖地》

注目すべき点は、物干し竿であろう。

地味で目立たないが、これはおばあちゃんに残された最後の領土だ。


若い者が暮らしやすいよう、動かされ、捨てられ

一つ、また一つと変えられていく家の中。

おばあちゃんにとってその行為は

自身の生きた証しを否定される辛い仕打ちだ。

仕方がないと言い聞かせても、おばあちゃんの心は傷つく。


しかし唯一残されている物がある。

家のどこを見ても、そこしか無いであろう適所に置かれ

今さら動かしようがないため

若い者がノーマークのままでいる数本の物干し竿だ。


シャツはここ、パンツはこっち、タオルはあっち…

お父さんの物は前、私のは後ろ、子供達はその間…

おばあちゃんの頭の中では、ずっと昔から配置が決まっている。

脱ぎ捨てられた家族の抜け殻を洗って、並べて

おばあちゃんは毎朝、家族の絵画を完成させてきた。

無意識であっても、青空の下にひるがえる洗濯物は

おばあちゃんのアートであり、祈りだった。

そのキャンバスの役割を務めた物干し竿は、おばあちゃんの聖地なのだ。


その聖地も、嫁と共有になって久しい。

干し方…つまりアートの仕上がりを、ついつい評価せずにはいられない。

日頃押さえ込んだ不満や、嫁へのライバル心が

指導や修正という名目でそこに集中してしまうのは

致し方のないことといえよう。


《まとめ》

おばあちゃん達が、安全、安心、聖地という条件のもと

洗濯を選択するのは、自然な成り行きと言える。

しかしそれは、諸事情によって行動半径が制限されたために

家庭内の作業で妥協するしかなかった結果である。


行動半径が制限される諸事情とは

病気だったり、加齢で弱った気力や足腰だったり

友達がみんな死んでしまって交流が無くなることだったりする。

しかし最も恐るべき事情は、経済的事情である。


経済的事情が、おばあちゃんを洗濯に追い込んでいる。

おばあちゃんは、洗濯しか無い状況に持って行かれている。

私にはそう思えてならず、このどうでもいい研究をさらに進めるのだった。


《続く》
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洗濯と認知症・1

2014年07月21日 14時08分57秒 | みりこんぐらし
夫の実家で義母ヨシコと暮らすようになってから、2年余り。

姑と同居する友人と、嫁姑や介護について話す機会が増えた。


昔から女が集まると、この手の話は出ていた。

みんなで愚痴を聞いたら「大変ねえ」「頑張って」で終わるパターン。

同居10年でケツを割り、家出した経歴を持つ私なんぞ

「そんなに辛いんなら、どうして別居しないのだ?」

と直接たずねたり、たずねにくい相手の場合は心で思っており

はなから戦力外であった。


しかしこっちが同じ境遇になると、相手も話しやすいようだ。

嫁も年老いたが、おばあちゃんも年老いた。

家族生活というより、人命救助に近い日常を送る嫁同士は

全部言わなくてもわかり合える戦友であり

交わす会話も、ずいぶん具体的なものになった。

話題は緊急事態の対処法や脳トレ、デイサービスの格付け

後期高齢者医療制度、税金、法律問題に及び

それはもはや愚痴でなく、情報交換に格上げされたように思う。


とはいえ各家庭で日々繰り広げられる、女同士のあつれきは健在。

私の周りだけなのかもしれないが、なぜか頻繁に登場するのが洗濯ネタだ。

「出勤前に干した物が、帰宅したら干し直されていた」

「片方の袖がひっくり返ったまま干していたと

鬼の首でも取ったように言う」

「嫁のだらしのなさが干し方に出ていると人に言った」

「干し直されていたので直し替えたら、また直されていた」

「姑流の干し方でないと気に入らない」

いくらでも出てくる。


中でも姑流の干し方というのは厄介だそうで

パンツもシャツも何もかも太陽にさらす昔のやり方が

家族を危険にさらすと、何度説明しても理解せず

両者、険悪な雰囲気になるという。

洗濯物で「家に女の子がいます」とうっかり発表してしまうことが

変質者のハートを刺激するのも、花粉や黄砂も

昔はポピュラーではなかったからだ。


どうしてこうも洗濯のイザコザが多いのか。

しかも干すことばっかり。

それを話すお嫁さん達の表情も、他のイザコザとは異なるみたい。

口元が曲がり、瞳は憎しみにうるむ。

昔話の桃太郎を持ち出して「おばあちゃんと洗濯はセットなのだ」

なんて言おうものなら、ぶっ飛ばされそう。

嫁姑、負の記憶部門・第一位は

洗濯物の干し方になりそうな勢いではないか。


物理的な解消ならば簡単だ。

干さなきゃいい。

ドラム式の洗濯機で、乾燥までやっちゃえばいい。

しかしそれは、おばあちゃんと暮らす家庭の洗濯量を

知らない人の言うことだ。


あの人達は脱ぐ。

とにかく脱ぐ。

脱いで、やたら着替える。


それは尿漏れの措置だったり

低血糖や高血圧による発汗だったり

よそ行きと普段着のケジメをつける世代的習慣だったり

さっき脱いだ上着のことは忘れて

また新しくタンスから引っ張り出す、物忘れのせいだったりする。

とてもじゃないが、機械乾燥では追いつかない。


その上、おばあちゃんの着る衣服はデリケート素材が多い。

古くなったよそ行きを普段着におろす習慣があるからだ。

機械乾燥で劣化したら大騒ぎするのは、目に見えている。


さらに機械乾燥をしたら、すぐに取り出してたたまなければ

シワクチャになってしまう。

そんな贅沢な時間は取れないのが、おばあちゃんのいる家庭なのである。

言い出したらきかない…

おとなしいと思ったら倒れている…

おばあちゃんの揺れるハートと体調の波間を縫って家事をこなすには

時間配分の技術が必要だ。

せめて洗濯物には、手が空くまで

おとなしく竿にぶら下がってもらわなくては。



私は洗濯に興味を持った。

いや、持たざるを得なかった。

なぜなら洗濯にこだわっていたおばあちゃん達のことごとくが

やがて認知症になったからである。


うちにも一人、他の家事はしないけど

洗濯だけはたまにやるおばあちゃんがいる。

やりたがるのは洗剤投入とスイッチを押すところまでで

干すのも、取り込むのも、たたむのも忘れるため

腹を立てるほどのこともないが

認知症の足音が近づいている気配は否定できない。


明日は我が身…

認知症の面倒を見るのもゲロゲロバーだが

自分はそうならないという保証がどこにあろう。

「ああは絶対にならない」と言っていた人ほど

後々その「ああ」になっていくのをたくさん見た。

自分の姑を嫌いまくっていたうちのおばあちゃんも

顔つきや口癖が、その姑とそっくりになってきた。


このまま行くと、私もそうなる可能性、大である。

私は洗濯と認知症の関係を解明すべく

数々の証言と自身の体験を元に研究を開始した。

洗濯問題をどうにかすれば、認知症問題もどうにかなるのでは…

そんな野望に燃えた。


《続く》
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ごきげんよう

2014年07月12日 23時17分25秒 | みりこんぐらし
『蓮子様のつもりです…念のため』


NHKの朝ドラで放映中の「花子とアン」。

かの有名な小説「赤毛のアン」を翻訳し

日本に紹介した村岡花子さんの話だ。


大正モダン好きの私としては

当時の髪や着物、家具調度を眺められる喜ばしい番組だ。

お気に入りの登場人物は、きつい性格の小説家、宇田川満代である。


毎朝見ているが、ここしばらくの感想は「結局不倫じゃんか」。

後付けで美しく飾ったって、そういうことなのよね…

なんだかガッカリな展開が続いている。


花子が恋するのは、結核の奥さんがいる村岡印刷。

誠実なセレブ男子の裏の顔は

シモの方がしばらくゴブサタだった男が、よその女によろめいただけ。


画面では、雨の中で抱き合うところまで。

しかしその後、奥さんがいると知った花子の狼狽ぶりは

昔の乙女の純情を考慮しても、尋常ではない。

本当は、二人の関係はもっと進んでいた…と勝手に決める。


二人の関係を察知して「待たれるのは嫌なの」と

自ら離婚を切り出した奥さんだが、ほどなくあっさり死ぬ。

夫の心変わりに苦しむ気力体力が残っている妻が

そう都合よくコロッと死ぬもんか。

夫と花子の恋心を知りつつも

病気でどうにもならない奥さんの気持ちは、いかばかりであったろう。

瀬戸際でサッと死んでもらい「不倫じゃなくて恋!セーフ!」

ということにして、嬉し恥ずかし結婚式へと進めたいんだろうけど

本当はもっとゴタゴタしたに違いない…とやっぱり勝手に決める。


花子のお友達、蓮子様もご多忙のご様子。

蓮子様のモデルは実在の人物、歌人の柳原白蓮らしい。

シナリオが史実に忠実であれば、彼女はこの後

今付き合っている思想家の彼氏と駆け落ちし

石炭王の旦那にあてた離縁状を新聞にデカデカと発表して

大恥をかかせる予定。

やがて思想家とは別れて、最終的には昔馴染みの新聞記者と一緒になる予定。


蓮子様の気持ちは、わからないでもない。

旦那だった石炭王は、無骨ながらも温かい人物に描かれているが

実際には家の中にお手つき女中がウヨウヨおり

そこに産まれた継子もいた。

下賤の嫉妬や好奇の渦巻く家で、敵陣にただ一人。

気の休まる時が無かっただろう。


伯爵家の令嬢を家に迎えるにあたって、当時は珍しかった

水洗トイレまで用意する気遣いをした石炭王だが

自分にはべる女達を片付けようとは考えなかった。

無骨ゆえの片手落ち…それはそのまま、妻への残酷となった。



さて、こっちにはレン子様じゃなくてラン子様がおられる。

すっかりお馴染み、友人のラン子である。

選挙のウグイス仲間として親しくなり、遊ぶようになったのは3年前。

30年以上前に旦那の浮気で離婚したきり

独り身を通してきた彼女に、時折オトコの影がちらつくのを

年に一回ぐらい感じていた。


最初は一昨年のゴールデンウィーク。

友達と九州方面へドライブに行ったそうで

帰りにうちへ土産を持って来た。

うちの義母ヨシコが、“アオサ”という海草の乾物が好きだと

私から聞いていたので、見つけて買ったという。

優しい心くばりであった。


外まで見送りに出たが、免許の無いラン子が

乗せてもらって来たはずの車はどこにも見当たらない。

見通しのいい道路の構造上、あえて隠れているとしか思えなかった。


隠れるということは、車の持ち主は私の知っている人であり

見られると都合が悪いというのはわかった。

もったいぶるほどでもないのに隠したがり

隠したがりながらも、わざわざ危険をおかしてしまう…

不倫の習性に似たその行動に、きな臭さを感じた私であった。

後で包みを開けたら、それはアオサではなく青のりだった。


そんなことなどすっかり忘れた翌年の同じ頃

一緒に隣の市へ洋服を買いに行った。

店の人がラン子に「ご主人、お元気ですか?」とたずねた。

ラン子は平然を装い「ええ、元気よ」と答えた。

「お買い物に付き合ってくださるなんて、優しいですね」

「まあね」

「あれだけ体格がいいと、食事のこととか、大変でしょう」

「まあね」


つまりラン子は、男とここへ買い物に来たらしい。

その男が元気かどうか聞かれるからには、ずいぶん前のことらしい。

体格がいいのが食事に連結するところを見ると

そいつはかなりのデブらしい。


私はひそかにホッとしたものだ。

一人暮らしで身体の弱いラン子を気にかけてくれる男性がいるなら

心強いではないか。

だから聞こえてないふりをした。


そして今年、詳しくはつい先日…

ラン子の身体に異変が起きた。

ゼリー状の健康飲料を飲んで、仕事中に倒れたのだ。

高血圧の薬を服用しているのに

グレープフルーツのゼリーを飲んだのが原因だった。

降圧剤と果物のグレープフルーツは、相性が悪いのだ。

タクシーで早退したが、回復しないので

友人のヤエさんを呼んで病院へ行った。


後日、ヤエさんと私はラン子に言った。

「一人暮らしは気楽だけど、そばに誰かいるほうが安心だから

真剣に再婚を考えてみたら?」

ダメ元で、婚活に協力するつもりもあった。


それを受けて、ラン子は言った。

「ケンちゃんと、どうして結婚しなかったんだ?って

同級生がみんな言うのよ」

ラン子とケンちゃんは同級生だ。

私も知っている。

すんごく太っていて、色黒の上に重篤なブサイク。

こう言ってはナンだが、歩く焼き豚みたいな人だ。


「結婚たって、ケンちゃんには奥さんがいるじゃないの」

「フフ…そうだけどぉ」

この時、二人の関係を確信した。

3年がかりで、はからずもラン子様の秘密を知ることとなる。


ケンちゃんは、建設関係の会社の跡取り息子だった。

過去形なのは、会社が経営不振で廃業したからだ。

チヤホヤされて育ったボンボンで

生活力は無いのにプライドだけは二人前。

そう、どこかの旦那と似ている。


お相手は判明したものの

あまりにザンネンな男のため、反応する気も起きない。

ごきげんよう。
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電気椅子

2014年07月08日 08時17分18秒 | みりこんぐらし
我が町に住む一部の老人達が夢中になっているもの…

それは電気椅子。

商店街の空き店舗を会場にして老人を集め

20脚ある特別な椅子に並んで座らせて電流を流す。

それで殺害するのではなく、元気にするという。


ちなみに無料。

この2ヶ月、義母ヨシコも

近所に住む老夫婦の車で毎日通っている。


ヨシコが言うには、大きな機械とつながった椅子に流すのは

電気でなく電子だそうだ。

座りながら20分、開発チームの一員と名乗る男性の説明を聞く。

世のため人のために開発された、万病に効果のある機械で

みんなはその男性のことを「先生」と呼んでいるという。


先生がおっしゃるには、この機械は1億円以上するので

一般の人に売るつもりはなく、病院に置いてもらうための

デモンストレーションなのだそうだ。

だったら直接病院に行って営業すればいいようなものだが

先生は、まず充分なデータを集めたいとおっしゃる。

会場に集う人々は、モニターさんとして

日々社会貢献をしているのだそうだ。


又聞きというのは胡散臭く聞こえるものだ。

しかし胡散臭く聞こえた話が

胡散臭くなかったタメシが無いのも本当である。



実はこの機械、何年も前から我が町に存在していて

社名と会場を次々に変えながら、営業を続けている。

データはもう充分集まったはずだが、まだ不足のようだ。

先生はとっても慎重な性格らしい。


そのうち月末が近づくと、先生はこう言い出したそうだ。

「あまりにも効果があるので

患者を奪われた医師会から圧力がかかっています。

ひょっとすると、今月いっぱいで撤退することになるかもしれません。

もっと人数を集めて、数の力で対抗したいので

皆さんご協力をお願いします」

病院に売り込みたいと言いつつ、医師会を敵に回す矛盾には

どなたも気がつかない。


先日、ヨシコは先生に言われた。

「これだけ通って誰も紹介しないのは、ヨシコさんだけですよ。

一人ぐらいはお願いしますよ」

先生は飴とムチをうまく使うのだ。

家に帰って、悩むヨシコ。


思いつく知り合いは、すでに誰かの紹介で会場に通っているか

入院中の者ばかり。

それでも電話帳をめくり、勧誘にとりかかる。

対象は、昔、買物をしていた店の店員や

たまにスーパーや病院で会う人だ。

が、名字を思い出せなくて挫折。


ヨシコより困ったのは、私であった。

彼女が電気椅子へ座りに行く昼間の1時間は

夕方の日課、義父アツシの見舞いと並び

私にとって静寂のパラダイス・アワーだ。

これが無くなるのは惜しい。

だから先生と電気椅子のご盛栄を

ひそかにお祈り申し上げていたのだ。


「私でよかったら行くよ?一回行けばいいんでしょ?」

と、提案してみた。

しかしヨシコは首を振る。

はっきり言わないが、私を連れて行くのは嫌らしい。

ともあれ忘れっぽいヨシコ、翌日にはすべて忘れた様子で

元気に通っている。


私だって、先生に会ってみたいぞ。

店舗用の電源から2万ボルトの電流を作り出し

それをさらに電子に変えて椅子に流すという優秀な頭脳を持ちながら

エネルギー分野で儲けることは考えず

地味に老人のおもりをしてくれる

立派な先生のご尊顔を拝見してみたいじゃないか。


「病院に置いてもらいたいなら

厚生省に手を回す方が早いのではないでしょうか」

などと、おそれながら進言させていただきたいじゃないか。


「昨日は367人来られました」

とおっしゃる先生に、1回30分かかる電気椅子20脚に

全て満員御礼で人が座ったとしても

昼休みを除いた7時間の間では、どう計算しても280人だと

掛け算を教えてさしあげたいじゃないか。


クーラーが無くてウチワなのは

節約なのか、電気のプロだからこそのエコなのか

たずねてみたいじゃないか。


売り物じゃないはずの椅子を50万で買った人がたくさんいるけど

それは先生のそっくりさんがやっていることなのかどうか

ちゃんと確認したいじゃないか。


ついでに、上着を脱いで椅子に座るのを計算して

黒のブラジャーに付け替えるヨシコのように

ときめいてみたいじゃないか。

冗談だよっ!

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