殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

肉問題

2016年04月27日 16時16分45秒 | みりこんぐらし
《問題の肉》

日曜日に行われた、姪の結婚式の続き。

披露宴では席次表に従い

我々一家4人は正方形のテーブルに付いた。


座ったはいいが、このテーブル

ひどく小さい。

2人で向かい合わせに座って

お茶を飲むのがやっとのサイズに

4人分の皿がはみ出して置かれ

無理やり並べられたカトラリーやグラスで

隙間が無い。

うっかり身動きすると大惨事になりそう。


身長体重、共に大型の家族にとって拷問に等しい。

男どもからは、妹の陰謀説も出る。

しかし、いくら油断ならない女とはいえ

そこまで頭は回るまい、ということに落ち着き

若者相手のやっつけ商売的な式場を

憎む我々であった。


さて、いよいよ食事だ。

お腹が空いているので、何でもうまいぞ!

しかし、このけだるいマンネリ感は何だ?

4人で考えた末

このメンバーで顔を突き合わせるのは

家と同じだからという結論に達した。


やがてメインの肉料理。

飢えた我々は

牛フィレ肉のフォアグラなんちゃらかんちゃらに

いそいそとナイフを入れた‥。


肉が硬い。

それはいい。

メニューに和牛とは書いていない。

それより、肉を切るのに合わせて

テーブルが揺れまくる。


近い親族である我々は、末席が当然ではあるが

端っこの窓際は床が傾いているらしく

テーブルの足が安定しないのだ。

皿やグラスがひしめく中、ナイフを動かすたびに

地震みたいにガタガタ揺れるもんだから

危なっかしくてしょうがない。


「お待ち!」

私は肉を切る夫と息子達を制して提案した。

「向かい合って座ってるパパと兄ちゃんが

先に切ろう。

その間、ヨシキは私と一緒に

テーブルを持って支えるのよ!」


交代制の肉切りは妙案に思われたが

2人が同時に切ると

残りの2人では支えきれない。

そこで1人ずつ切っては

残りの3人がテーブルを持つ方式に変更。


「待って」

「次、誰?」

「そっと、そっと」

「大丈夫?ゆっくりね」

家族4人は絶妙のチームワークで

文字通り支え合い

硬い肉を乗り越えたのだった。

こういうのが、先で良い思い出になる。
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結婚式

2016年04月25日 16時10分02秒 | みりこんぐらし
昨日は上の妹の娘、つまり姪の結婚式だった。

夫と2人の息子、実家の母の5人で

隣の県までドライブ。

式の開始が中途半端に早くて

各駅停車の新幹線では間に合わないのだ。

関西在住の下の妹一家とは、あちらで合流した。


3年前、この娘の兄が結婚した時に

妹は電話でこう言ったものだ。

「そっちのお義父さんの会社

無くなったらしいけど大丈夫?」


てっきり私の身の上を案じてくれていると思ったら

違った。

妹の価値観によれば

もし倒産していたり、借金取りに追われているならば

大切な息子の門出に縁起がよくないということで

事情聴取のためであった。


妹に悪気は無い。

ただ、何でもはっきりさせないと気がすまない性格。

「昔から思ってたけど、何でそんなにバカなん?」

「あら、親切心じゃが!

もし生活に困っとったら

招いてもかえって迷惑じゃん」

「ひ~!なんちゅう言い草!」

「心配してあげようるんじゃが!」

はい、大喧嘩。

折にふれ、価値観の異なりでひと騒ぎ起きるのは

古来?より、我々姉妹の恒例行事である。


ま、なんだかんだ言っても姉妹。

結局のところ、我が家では私一人が

出席することになった。

その理由は、本当に心から祝ってくれる人だけ

呼びたいという新郎の主旨によるもので

我が夫は、心から祝ってないとジャッジされたわけ。

根っからサラリーマンの妹一家にとって

父親の会社を閉じた夫は、やはり縁起が悪いらしい。


今回は、その甥の妹が結婚する。

そして我々には一家4人で来てと

お達しが。

縁起にも時効があるらしい。


事情を知らない夫は、首をかしげる。

「もらう時は人数を削って

出す時に増やして、どういうつもりだ」

「お兄ちゃんの時に親戚が少なくて

寂しかったからじゃないの?

もらうより、出す方が心配なものよ」

と言っておく。


本当のことを言ったらヘソを曲げるに違いない。

それも面白そうだが、久しぶりのハレの催し。

私は衣装選びや顔のメンテナンスで多忙なため

夫には気持ち良く列席してもらう方が楽だ。


それはさておき、新婦の親族である我々は

姪がどんな男と結婚するのか全く知らない。

妹から仕入れた情報は、優しいということのみ。

結婚前は誰でも優しいものだ。

他を語らないのは

自慢するほどでもないからであろうと踏んで

式に臨んだ。


今回は、今流行りのレストランウエディング。

挙式の形態は、人前結婚式。

人前結婚式とは、ある新興宗教が行うと聞いており

我々は多いに怪しんだが

普通のチャペルで、牧師の代わりに司会者が進行し

新郎新婦、それぞれの友達がサインして終了

というものだった。


姪の可愛らしい花嫁姿にウルウルしながら

新郎の顔をよく見ると

妹の別れた旦那、シュンにそっくり。

ガーン!

涙はひっこんだ。


あれほどすったもんだして

母子共々、憎いだの苦労しただのと

大騒ぎしておきながら、娘で振り出しかい!

我々親族一同は、複雑な衝撃にうろたえるのだった。


やがて披露宴も滞りなくお開きを迎え

優しいという新郎のご挨拶だ。

「ブライダルコーディネーターの

◯◯さんを始め、スタッフの皆さんには

本当にお世話になり、ありがとうございました」

他にもっと何か言うと思っていたら

これで終わりだった。

やっぱりシュンじゃ‥

なんだか疲れた1日であった。
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ヨリトモ・その後

2016年04月20日 17時21分12秒 | みりこんぐらし
いつでもどこでもおしっこが漏れてしまう

尿漏れのおチヨ

不眠症で精神安定剤を飲み過ぎては入院する

バランスのおシマ

所構わず着物のスソをまくって

太ももにインスリン注射を打つ

インスリンのおタツ

嫁姑問題に悩む骨肉のおトミ

そして大腸癌の後遺症でトイレ通いが頻繁な

我が姑、かわやのおヨシ

義母ヨシコの年寄りの友達、略してヨリトモは

以上の5名で構成されている。


平均年齢81才の彼女らは

この数年、月に1~2回、集まっては

食事やお茶を楽しんでいた。

しかし昨年、尿漏れのおチヨが脱落。

集まりの計画には楽しく参加するのだが

当日迎えに行くと

「どうしても家から出る気になれない」

という理由で断るのを繰り返す。


「そんなことじゃ、本当にダメになっちゃうよ!」

友情に厚いバランスのおシマは

一度、無理に連れ出した。

行けば行ったで楽しく過ごしたその帰り。

おシマの車から降りた途端

おチヨは玄関の前で転んで病院送りとなった。


よその老人を連れ出す恐ろしさを思い知ったおシマは

おチヨを誘わなくなった。

おチヨもまた、外出が恐ろしくなって

引きこもるようになり、認知症の進行いちじるしい。

友情がアダとなり、トドメを刺したというところ。


インスリンのおタツも災難続き。

昨年の始めから二度骨折した。

動けないので糖尿病が悪化し、今度はそっちで入退院。

そこへ20年前に他界したご主人の弟夫婦が

おタツの住む家の権利を主張し始めた。

ご主人が亡くなった時

相続をきちんとしていなかったのが原因。

現在、抗争中である。


骨肉のおトミは、昨年ご主人が亡くなった。

うちのヨシコは通夜に参列したが

葬儀の朝、低血糖で倒れたので

私が名代として骨折中のおタツを連れて参列。


葬儀で美人の嫁は、おトミの手を取り

東京だよおっかさん状態でしずしずと歩く。

パッと見は仲が良さそうな感じ。

舅がいなくなったら家族の関係が変わるかも‥

などと思っていたが、甘かった。

おトミが言うには、あれは嫁の芝居で

ご主人の死後、骨肉はさらにひどくなったらしい。


この骨肉、実家べったりでハイミスの

おトミの娘が原因なのは、はっきりしている。

しかし愛する娘を切って

息子一家に迎合する気はおトミには無い。

ご主人が生きていた頃はまだ強気で

夫婦が娘を守っているつもりだった。

が、娘と2人になると

骨肉暮らしがこたえるようになったという。


もうじき、おトミのご主人の一周忌がやってくる。

法要後の会食は、駅前のホテルでやるつもりだった。

おトミの娘は父親の死後、そのホテルへ就職し

予約係をしている。

父親の通院の運転をするという名目で

給料をもらっていたのが、出なくなったからだ。

無職歴30年を経ても就職できたのは

小柄な美人だからと察する。

うちの義父アツシの一周忌も

働き始めて日の浅いおトミの娘のために

そこでやった。


が、先日、衝撃の事実が発覚。

嫁が早々と別のホテルを予約していたのだった。

それを息子から言い渡された時

おトミ母娘の嘆きはすさまじかった。

「ヨシコさん一家もあなたに気を使って

うちでやってくれたのに

あなたの家がよそでやるってどういうこと?」

娘は上司に言われ、情けない思いをしたという。


私は嫁のカシコさにうなった。

長年、自分を苦しめた小姑に恥をかかせ

娘をかばい続けた姑に打撃を与えるには

千載一遇のチャンスであり、かつ労働量の少ない

非常に合理的な行動である。


私にはとても無理だ。

頭がそこまで働かない。

骨肉を行う根性も無い。

あ、骨と肉ならたっぷりある。
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私はウズラ

2016年04月18日 22時18分06秒 | みりこんぐらし
私達、ウズラの夫婦なの。

写真は庭で日なたボッコ中のスナップよ。

美人に撮れてるかしら。


私達、ここんちの台所で暮らして、もう4年。

名前?

旦那が「オス」で、私が「メス」。

それは名前じゃないって?

知らないわよ。


まだヒナの時に、次男のヤツが

友達から押しつけ‥いえ、譲られたんだけど

私達を見た途端、ここんちの人達は

何て言ったと思う?

「かわいくない!」

だってよ。

失礼しちゃうわ。


それからあの人達、何をしたと思う?

ネットでウズラの寿命を調べたのよ。

ひどいと思わない?


「2年!」

ヤツらは言ったわ。

「2年なら、ま、いいか」

だって。

バカにしてるわよ、まったく。


こうして私達の生活は始まったわ。

ところが次男のヤツ

もらって来ただけで知らん顔。

みりこんって女は

「手を出したヤツが泣きを見る」

なんて言うのよ。

そこで動物好きと呼ばれる長男が

私達の世話係に決まったけど

「かわいいと思えない動物の世話をするのは

つらいと知った‥」

なんてつぶやくのよ。


そうなの、ウズラの世話は大変なのよ。

水やエサだけじゃなくて

毎日、砂浴びの砂を替えたり

チラシを細く切ってクッションにしたり

手間がかかるの。

食べ物も、わりと贅沢よ。

ウズラ専用のエサに、ボレー粉と呼ばれる貝殻

それに新鮮な野菜が欠かせないの。


エサの銘柄は「バーディー・ウズラ」。

市外のペットショップにしか売ってないの。

私達、セレブなんだから。


町内のホームセンターには

「エクセル・ウズラ」ってのがあって

名前はこっちの方が上等っぽいんだけど

体臭が出ちゃうのよ。

台所に住んでるから、臭うと困るのよね。

そこで消臭効果のある「バーディー・ウズラ」

ってわけ。

これをはるばる買いに行くのが

みりこんって女と、その亭主の仕事。


そのうち私が卵を産むようになると

おばあちゃんが急にかわいがり始めたわ。

ウズラの卵は美容にいいんだって。


この人、卵を待つだけで世話はしないんだけど

カゴをのぞき込んで優しいこと言ってくれると

ウズラとしてはやる気が出るわけよ。

おばあちゃんのために毎日1個

出産を頑張ってるわよ。


でもみりこんって、ほんと嫌味な女。

「卵産ませるために、どんだけ経費が

かかってると思ってんだ。

毎日ゆでさせられる身になってみろ」

なんて言うのよ。


そして2年経ち、3年が経ち

もうじき4年よ。

ヤツら、私達に寿命が来ないのを

不審に思い始めたわ。


で、再びネットで調べたら

寿命が2年なんてどこにも書いてないらしいわ。

「詐欺だ!」

なんて騒いでるの。

サギじゃないわよ、ウズラよ!
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みりこんおばちゃんのお勝手相談室・仕事について・3

2016年04月13日 10時56分01秒 | みりこんおばちゃんのお勝手相談室
《この数年、古参のクロガネモチをしりぞけ

シンボルツリーになり変わろうとしている

菊桃さん、今年もよく咲いてます》



今回の精鋭は、私じゃなくて夫の所に来たの。

この人が一番の精鋭かもしれない。


《飛び過ぎた男》

6年前のある日、私は何の用事だったのか

たまたま夫と2人で会社にいた。

すると駐車場に、白いヤン車が乗りつけられたわ。

今どきシャコタンよ。

昭和にタイムスリップしたみたい。


車から降り立ったのは、一人の男性。

松葉杖をついて、片足はギプス。

服装は、ラッパーっていうの?

金髪に野球帽みたいなキャップ

ダボダボのトレーナーと膝丈のズボンに

ハイカットのスニーカーを片方。

ピアスも指輪も腕輪もジャラジャラ。


お堅い会社じゃないから

どんな格好してようが別にいいの。

ただし、その男性は40代後半くらい。

姉ちゃん婆ちゃんなら時々見かけるけど

兄ちゃん爺ちゃんってのは

なかなかお目にかかれない。

私は珍獣に出会ったような気分で

つい凝視しちゃった。


夫はその人と親しいわけではないの。

近くの会社で守衛をしている人で

顔は知っているという程度。


彼、C君は事務所の入り口に立つと

藪から棒にこう言った。

「ワシ、市会議員に立候補しちゃろう思いよん」

折りしも数ヶ月後に市議選が迫ってたわ。


「あ、そうなん?」

平凡な反応を示す夫。

夫のこういうとこ、実はひそかに尊敬してんの。

鈍いんだか平常心だか、驚きそうなところで

変に静かなのよ。

私だったら爆笑しちゃう。


「やり方がわからんけ、誰か市会議員、紹介して」

「いいよ」

夫は友人の市議、O君に電話をかけた。

私が専属でウグイスをやっているY市議とは別の人。


O君はちょうど議会が終わったところで

すぐに向かうと言ってくれた。

やがて到着したO市議、C君を見て少々驚いた様子。


「こんにちは、初めまして。Oといいます」

「あ、ども。立候補のやり方、教えて」

O市議、面食らっていたけど、そこはさすが議員。

「足はどうされたんですか?」

と心配そうにたずねる。

「折れたんよ」

「そりゃまあ、見ればわかるけど‥」


気をとり直して、O市議は聞いた。

「どうして市議になろうと思われたんですか?」

「今の仕事が嫌じゃけん、転職したいんじゃが。

尊敬されるし、ヒマそうじゃん」

「‥なるほど」


O市議は親切に、手続きや準備のあれこれを

わかりやすく説明。

C君は応接セットにふんぞり返ったまま

ふん、ふんと聞いていたわ。

「ま、およそわかったけん、帰るわ」

C君は松葉杖にすがって立ち上がる。

「外出許可取って来とるけん、はよ帰らにゃ」

彼、骨折して入院中だったのね。


「ゆっくり足を治して

それから立候補した方がいいですよ。

松葉杖で選挙活動するのは大変だからね。

お大事にね」

O市議に見送られ、C君は

「じゃ」

とクレヨンしんちゃんのように言うと

シャコタンに乗って帰って行った。

「もっとマシなのに会わせてや」

その後、O市議が夫に文句をつけたのは

言うまでもないわ。


そして4年の月日が経った一昨年

C君はまたシャコタンで夫の所へやって来た。

その頃、夫の会社で事務をするようになった私は

会社にいたので、再び彼を目撃する幸運に

ありついたってわけ。


「ワシ、今度こそ転職しちゃろう思いよん。

議員はワシに向いとる。

今年の市議選に立候補するけん」

事務所に入るなり、そう決意を述べるC君だけど

また松葉杖をついてるの。

前回も今回も左足だから、車が運転できるのね。


「足、また折れたんけ?」

夫がたずねる。

「うん」

「どうしよったん?」

「飛び降りたんよ」

「前の時も、飛び降りて折れたん?」

「時々、死にとうなるんよ」

「そうなん」

お互い、日常会話みたいにやりとり。


「足が治ってからの方がええで」

夫は変わらずの鈍感だか平常心だかで

普通に話してる。

「痛かろう」

「うん、まあ」

そう言うとC君は、きびすを返して

よっこらしょとシャコタン車に乗り込むと

改造マフラーの音もいさましく帰って行った。

その年の市議選に、C君は立候補しなかったわ。


結局のところC君は、時々死にたくなり

4年に1回、転職したくなる人らしいわね。

転職先に市会議員‥

向き不向きはともかく、斬新なアイデアだと思うわ。


次の市議選は2年後。

三たび、C君の訪れはあるのかしら。

今度もどこか折れてるのかしら。

それより、生存していればいいけど。

そこが心配よ。

(完)
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みりこんおばちゃんのお勝手相談室・仕事について・2

2016年04月10日 11時03分59秒 | みりこんおばちゃんのお勝手相談室
こんにちは!みりこんおばちゃんよ!

今日も引き続き、仕事について

お話しさせていただくわね。


《食い過ぎた女》

23才のBちゃんは、かわいくておしゃれな

今どきの女の子。

大学卒業後は大手食品メーカーの事務に就職して

元気に働いていたの。


ところが何ヶ月か経った頃、急に元気が無くなって

会社を辞めたいと言いだしたの。

家族が理由を聞いても言わない。

セクハラを心配したお母さんが、友人の私に相談したわけ。


お母さんに席をはずしてもらって、Bちゃんと2人

何もたずねずに別の話ばっかりしてた。

で、たまたま回転寿司の話になったのよ。

そしたらBちゃん、泣きだしちゃった。


「回転寿司、嫌か」

そうたずねたら、Bちゃんは

涙をポロポロこぼしながらうなづく。

「回転寿司、悪いのか」

と聞いたら、首をブンブン振る。

どうも、回転寿司が問題らしいのはわかった。


「おばちゃんも回転寿司、嫌いよ。

Bちゃんが嫌いなら、おばちゃんも一生行かん」

本当は回転寿司、嫌いじゃないけど

この際どうでもいい。

そしたらフッと顔を上げて、Bちゃんは話し始めたわ。


会社帰りに上司のおごりで

同僚数人と一緒に回転寿司へ行った。

「遠慮せずに、どんどん食べなさい」

上司の言葉を真に受けて、Bちゃんは燃えた。


か細いBちゃんの食欲に、最初は盛り上がっていた一同。

一同の期待に応えたくて、皿を積み上げるBちゃん。

でも40皿を越えたあたりから、何やら雰囲気が‥。

支払いの時、上司がボソッと言った。

「親の顔が見たい‥」


以上がコトの経緯。

Bちゃん、食べ過ぎちゃったのね。

かわいいじゃないの。


「お母さんの悪口を言われた気がして

すごく悲しかった‥」

だから親には言えず、一人で苦しんでいたのね、

それ以来、上司を始め会社の人達も

なんだかよそよそしい気がする。

それで会社が辛くなっちゃったのね。


Bちゃんは未熟児で生まれたので

心配な両親と祖父母は

たくさん食べるとほめてくれた。

大人はたくさん食べると喜ぶ‥

Bちゃんはそう思い込んだまま、大きくなったみたい。


Bちゃんは大好きなお母さんのことを

悪く言われたと思って傷ついてるけど

実際は、お金の出どころの問題。

他人のお金でお腹いっぱい食べたら

そりゃ嫌われるわよ。

若いBちゃんは、親と他人の財布の区別を

忘れちゃったのね。


連れて行ったが最後、とことんやられたら

たとえそれが安い回転寿司であっても

「怖いヤツ」と警戒される。

Bちゃんは愛されて育ってるから

世の中の人はみんな

自分のことが好きなんだと思ってるけど

家族の他人率が高かった私に言わせれば

あんまり可愛がられて育つのも、一種の不幸だわ。

こういうことがあった時のショックが大きいもんね。


他人ってね「食う寝る」に厳しいものなの。

食べることと、寝ること‥

そうよ、この二つを落としたら生きられない

人間の本能よ。


我が子がよく食べても、よく寝ても腹は立たない。

これが血の証明なの。

だけど血のかかってない他人は違う。

食う寝るという当たり前のことが

強く印象に残るし、カンに触るものなのよ。


盆正月に旦那のきょうだいが帰ってくる‥

本家の嫁は、嫌よね。

他人の食う寝るを目の前で見せつけられるからなの。

そのための準備に気ぜわしくて、物入りな自分‥

強気になる舅や姑‥

バカバカしくて、やってられないわよ。

でも我が子が帰省するとなると

いそいそ準備するわよね。


会社で居眠りする上司は、誰だって嫌よね。

のんきにイビキまでかきやがって、死んじまえ‥

くらい思うわよ。

これ、父親だったら平気よね。

血って、そういうものなのよ。


仕事って、周りが全部他人じゃん。

血の味方が無いわけよ。

食う寝るには他人の目が光ってるから

細心の注意が必要なの。


与えられた物で足りなかったら

帰って食べ直すとか、先に何か食べておくとか

ご馳走してもらったら何かお返しするとか

その時だけじゃなく

後々会うたびに何回もお礼を言うとか

配慮って大事。

そうよ、面倒くさいの。

タダ飯って怖いんだから。

食う寝るで、知らず知らずに逆境に立つ人は

案外多いのよ。


「部下を回転寿司なんかに連れて行く上司がおかしい!」

私は憤慨して見せるの。

きついことを言われたBちゃんを楽にするため。

他の食事なら一人分の量が決まってるから

こんな事態にはならなかったの。

食後に食べた分を精算する、回転寿司が不運だったのよ。

その不運がかわいそうでね。


「回転寿司が原因で会社辞めても、後悔しない?」

そう聞いたらBちゃん、後悔すると言うじゃない。

仕事は続けたいんだって。

そこで、何ヶ月も経ってるけど上司に謝る‥

ひたすら記憶が薄らぐ時効を待つ‥

会社の宴会か何かあった時、上司にお酌でもして

「あの時はすみませんでした。

深く反省してます」と言う‥

これらの対策を提案したの。


じきに会社の宴会が予定されていたので

Bちゃんは第3案のお酌を選択した。

上司は笑って「気にするな、また行こう」

と言ってくれたそうよ。


親は子供を可愛がるばかりじゃなく

他人の目という怖いお話を聞かせてあげるのも

大切な教育の一つだと思うわ。

(続く)
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みりこんおばちゃんのお勝手相談室・仕事について・1

2016年04月08日 10時46分12秒 | みりこんおばちゃんのお勝手相談室
以前、小姑問題に触れてそれっきりのお勝手相談室。

今日は、仕事についてお話しするわね。


実は前々回までの記事「レジェンド」は

お勝手相談室でやりたかったんだけど

長くなったので、シリーズにまとめたのよ。

まだ話したいことはたくさんあるの。

今日は私が受けた相談の中から選び抜いた

精鋭の話をするわね。


《青過ぎた女》

Aちゃんは、私と同年代のおばちゃん。

職業は団体職員。

可もなく不可もなく、地道に仕事をこなすタイプ。

が、本人が言うには10年ほど前から

急に職場の雰囲気が変わったらしいの。


10年前といったら40代半ば。

ベテランとして、主任や係長といった

肩書きが付き始める頃よ。

だけどAちゃんには付かない。

付かないだけじゃなく

毎年、あちこちの支所や出張所へ

転勤するようになった。

毎年のように、じゃないのよ。

本当に毎年。

ノルマもきつくなって、こなせなかったら

上から厳しいことを言われるようになったそう。


団体職員は品物を売り買いする職業じゃないから

会員の勧誘や、引き落としができなかった会費の集金

団体で扱う保険の勧誘なんかがノルマ。

中でも団体保険の勧誘が厳しいけど

毎年転勤させられたんじゃ

信頼関係が築けなくて難しいらしいわ。


最初のうちは「不況だから」と諦めてたけど

そのうち、わかったそうなのね。

毎年転勤してるのは自分だけだって。

ノルマが達成できなくても

きつく言われてるのは自分だけだって。

肩書きが付くのを待ってたら、肩叩きが来たって感じよ。


「どうしてこうなったか、わからない」

Aちゃんは頭を抱えるけど

私は何年も前からわかってたの。

問題は、その頭なのよ。


Aちゃんは地味で真面目で誠実な子。

だけど学生時代から、隠れアニメおたくなの。

旦那と子供がいても、それは変わらない。

Aちゃんはアニメのヒロインを真似て

髪にこっそりブルーのヘアマニキュアをしていた。


ヘアマニキュアが流行った頃って

20年か30年ぐらい前じゃん。

Aちゃんはその頃からやってたのよ。

毎月、美容院でブルーのヘアマニキュア‥

地味な彼女にとって、唯一のおしゃれってとこ。


最初の数年は、誰にも気づかれなかった。

Aちゃんを昔から知ってる私も気づかなかった。

でも歳月は残酷なもので

Aちゃんの頭に白髪を増やしていったの。


白髪にブルーのヘアマニキュアをしたら

綺麗に色が入るわよ。

Aちゃんの頭は年々、青さを増していったわ。


見た目は地味なのに、頭だけ青いって怪しいわよ。

でもAちゃんが気に入ってやっているのを

「おかしい」だの「怪しい」だの

「よした方がいい」だのとはどうしても言えなかった。

譲れないコダワリって、あるじゃない。

遠回しに「ブルーは卒業して、今ふうの色にしたら?」

などとは言ってみたけど、Aちゃんは聞く耳を持たない。

代わりに私は、彼女が通う加野美容室を憎んだわ。


そうこうしてるうちに、Aちゃんの頭は

暗い所で見てもブルー、というところまで来ちゃった。

その時点で、転勤とノルマが始まったってわけ。


Aちゃん、ずいぶん耐えたんだけど

去年、辞めようか、どうしようかと相談しに来たの。

そこで意を決して、私は言った。

「髪の色じゃない?」


するとAちゃん、驚いたように言ったわ。

「こないだ、上司が朝礼で言ってたのよ!

“職員の髪の色で、お客さんからクレームがきてる”って。

その色は赤だと言いながら、私の方をチラチラ見るのよ。

私はブルーだから関係ないと思ってたんだけど」


上司の気持ち、よくわかるわ。

なかなか言えないのよ、そういうことって。

青を赤に言い変えるなんて、いい上司だと思うわ。


「ピンとくることは、変えた方がいいよ。

働く人の外見に厳しい時代になったのよ。

うちの行ってた病院でも看護部長の方針で

看護師は整形や歯の矯正をしてたよ。

夜勤でも見苦しくないようにってことで

若くない看護師は、眉やアイラインの入れ墨もしてた。

今は赤い髪が問題になってるようだけど

いずれ青も指摘されたら居づらいじゃん」

私はこの時とばかりに言ったわ。


Aちゃんは早速美容院へ行って

ブルーのヘアマニキュアから足を洗い

普通色の白髪染めをした。

その素直さに、ホッとしたものよ。


Aちゃんは現在も働いてる。

この4月から、また移動だけど

定年まであと数年、ヒラのまま

転勤しながら頑張るんだって。


もしも‥と言ってみたところでしょうがないけど

髪が青じゃなかったら、多少は過ごしやすかったかも。

趣味が足を引っ張った例でした。

(続く)
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デンジャラ・ストリート・隠し芸の巻

2016年04月05日 13時54分16秒 | みりこんぐらし
おとといの日曜日は、自治会のお花見だった。

後期高齢者だらけのシルバー・ストリート

名付けてデンジャラ・ストリートでは

毎年恒例の春の行事だ。

お花見といっても花は見ず

集会所に集まって飲んだり食べたりする。


私は義母ヨシコの要望で、初めて参加した。

組長の任期は3月で終わったが

引き継ぎがまだなので、最後のご奉公として

ヨシコの代わりに手伝いをするためだ。


当日、ストリートの面々30人ほどは

腕を組んで支え合ったり、途中で休みながら

200メートル先の集会所を目指す。

足元はおぼつかないのに皆の荷物が大きいのは

バッグにそれぞれお座敷用の携帯椅子を

しのばせているからだ。


ようやく会場に入ると

座敷の一角に紅白の幕が張ってある。

何だか、めでたげな雰囲気。


お花見では毎年、有志が隠し芸を披露すると

聞いている。

しかしその感想をヨシコから聞いたことがない。

話し好きのヨシコが触れない芸‥

それが一体どんなものなのか、興味しんしんであった。


さあ、宴会が始まった。

司会の自治会長が紹介する。

「トップバッターは、山川さんのフラダンスです!」


拍手の中、紅白の幕の影から出てきた

山川夫人、78才。

花をたくさん付けた帽子と花のレイ

腰には鮮やかなピンクの布を巻いて

一人、フラダンスをフラフラと踊る。

時折よろけつつ、能面のように無表情な

ちょっと怖いフラフラダンスはすぐに終わり

山川夫人はやはり無表情のまま、幕の後ろに消えた。


お次は小池のおばあちゃんの民謡だ。

「小池さんは日本の北から南まで

たくさん民謡をおぼえておられるそうです!」

自治会長が言うと、85才の小池ばあちゃん

ニッコリとかわいい笑顔でうなづいて

「北から行きましょうか、南からがいいですか」


1曲か2曲のつもりだった自治会長は

一瞬戸惑いを見せたが

「き、北からお願いします」と答えた。

と、小池ばあちゃん

やにわにヤーレン、ソーラン‥と唄いだす。

日本民謡巡りは、北海道のソーラン節から

スタートしたようである。

ようである‥というのは、ばあちゃんの唄に

音階が存在しないため

歌詞が判断材料だからである。


退屈なお経のごとく、ばあちゃんの唄は続く。

合いの手に「ゴホ、ゴホ」と咳を挟みつつ

青森、岩手、山形と、1曲ずつ南下。

自治会長がやんわり止めるのを振り切り

ばあちゃんは唄い続ける。


何曲めかで「貝がら節」になった。

どうやら和歌山まで来たようだ。

「あと数曲で終わるはず‥南は民謡が少ない‥」

そう思ったのは、私だけではないはずである。


すると「会津磐梯山は~」

北上しとるでねえか。

ガックリとうなだれる一同。


やがて四国と九州を一曲ずつ唄ったところで

「まだ鹿児島と、沖縄と‥」

唄い足りないばあちゃんの背中を押して

自治会長が幕の後ろへ連れ去った。


「次は杉本さんの獅子舞です!」

気をとり直して自治会長が紹介する。

杉本じいちゃん88才、正月やお祭りに出てくる

本物の獅子頭をかぶって登場。


さっき日本民謡巡りをした小池ばあちゃん

今度は太鼓で参加。

獅子の後ろで小太鼓を叩いて踊っている。

赤いズキンに赤いちゃんちゃんこが

猿の置物みたいだ。

自治会の副会長はおたふくの面をかぶり

会計は鈴を振って盛り上げる。


「あの獅子は、杉本さんの私物だよ」

周りの老人達が教えてくれる。

「えっ!マイ獅子?」

「鈴も、太鼓も、お面もよ」

「マイ鈴?マイ太鼓?マイ面?」


神社の巫女さんが持つような本格的な鈴も

小池ばあちゃんが叩く、本格的な太鼓も

お神楽で使う、本格的なお面も

全部杉本じいちゃんの持ち物らしい。

「紅白の幕も杉本さんのじゃ」

「マイ幕まで?」

恐るべし、杉本翁。

私はその情熱に驚くばかりであった。


じいちゃん、獅子舞を始めたものの

何とな~く違和感が‥

よく考えたら、直立した獅子舞を初めて見るのだった。

じいちゃんは足腰が弱って

獅子舞特有の中腰が無理なのだ。

ズボンのチャックが全開なのも、よく見えるぞ。


獅子舞を早々に終了した杉本じいちゃんは

持ち込んだマイ音響設備で

CDでなくカセットテープを流す。

曲は花笠音頭。

これもマイ花笠が、会場にいくつも配られ

それを持って有志が踊る。

公民館活動で日舞を習っている

浜野のおばちゃんが指導。


次の曲は炭坑節。

私は一番の若手ということで、指名された。

内心は嫌だけど、拒否するとカドが立つので

浜野さんの指導をあおぎつつ、何とか踊る。

炭坑節は長くて疲れた。

一応、トリを務めたことになるのだろうか。


お花見は盛況のうちにお開きとなり

行きと同じく、ゾロゾロと連なって帰途につく。

炭坑節がトドメだったのか

私は毒気に当たったかのように疲れ果てていた。

毎年、ヨシコがお花見の内容を語らない理由が

わかったような気がした。
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レジェンド・10

2016年04月01日 19時30分55秒 | みりこんぐらし
これまで、仕事に悩む若者について

色々な事柄をお話しさせていただいた。

実はこれらは全て、若かりし日の私なんじゃ。


昭和の頃、結婚を

「永久就職」と呼ぶのが流行った。

離婚の増えた昨今では死語になったが

知らない所へ一人で入るシステムや

入ってみないと実情がわからないところ

周りが皆、上司みたいな生活は

給料が出ないことを除けば就職に似ている。


私は結婚するまで働いたことがなかったので

結婚が最初の就職もどき。

ここで知らず知らずに

見てくれが悪い、出勤が遅い、無愛想

この三拍子をやっていた。

もしも最初にどこかへ就職していたら

その職場でやっていただろう。


三拍子が損なのは、周囲に軽視されるからだ。

車でも家電でも

標準装備を満たしてない品物は安い。

三拍子は標準装備を満たしてないサインであり

安く見られ、軽く扱われるのは当然なのである。



私の苦しみは突然始まった。

新婚から6年の別居を経て

夫の両親と同居を始めた時からだ。

いくら鈍感でも、自分が見下げられているのはわかる。

私の扱いは、家族でなく無給の家政婦だった。


義父は、私に厳しく接する理由をたびたび口にした。

「帰る家の無い者は、どんな目に遭わせても

苦情がこない」

つまり私の実家が複雑なことが

突っ込みどころであるらしかった。


しかし義父はズケズケ言うタイプではあるものの

世間では人情家で通っている。

その彼が、私にのみ残酷を執行するのは

大きな疑問だった。

義父の残酷を引き出している張本人が

まさか自分だとは思いもよらず

おののくばかりだった。



まず私は、見てくれで失敗している。

夫の両親は、自他共に認める町一番の伊達こき。

そこへノコノコやって来たのが、一人のデブだ。


そうよ‥私は昔、デブだったのさ。

元は痩せていたが、出産で膨張したのだ。

太っているのが悪いわけではないが

私の場合、太るには背が高すぎた。

その姿は、さながら女横綱。


同居を始めた頃、義父は糖尿病で激痩せし

食事制限が始まったところだった。

おまけに夫の姉はガリガリに痩せており

よく倒れるので、両親はいつも心配していた。


そんな人々にとって

野放図に肥え太った私はイライラの種。

「だから亭主に浮気されるんだ」

「怠け者だから太れるんだ」

折に触れて、義父に痛いところを突かれた。

太ってはいけない家に来たのを知らず

私は嫁いびりだと根に持った。


女横綱は、出勤でも失敗していた。

主婦の出勤は、朝、起きて台所へ入る時だ。

夫と子供を送り出すんだから

自分では普通に起きているつもりだったが

両親を計算に入れる頭は、まだ無かった。


私は三世代の家族をカバーしきれず

朝食を待たされる両親はいら立った。

今思えば、彼らには血糖値の問題があり

空腹の朝は機嫌が悪いのだが

私はイジメだと思い、やはり根に持った。


女横綱は、愛想も悪かった。

年中ガミガミ怒られ、亭主は浮気三昧

嫁いだ小姑は毎日帰って来る。

この背景で無給の家政婦なんだから

意地でも愛想なんかするもんか。

そんな私には、デブに加えて

ブスの称号も与えられ、ますます根に持った。


義理とはいえ、親の一人や二人を懐柔できず

実家の親にも親孝行どころか心配させ続け

育ちやしつけを疑われながら

泣いて暮らしたのは他でもない、私なのである。


当時の両親の気持ちを知ったのは、40代の頃だ。

結婚に辞表を出すか‥つまり離婚

人生に辞表を出すか‥つまり死

この二者択一を日夜考えあぐねて10年

第3案である同居に辞表を出した私は

病院の厨房で働いていた。


ある日、職場に身長170センチ、体重85キロの

文字通り大型新人が入った。

私より5才年上のその女性、エミさんは

同じ町の顔見知り。


が、顔見知りと同僚じゃ全く違う。

「何とはなしにイラッとくる」

それが彼女の印象だった。

やたらとかさばる身体に息子のお古をまとい

出勤は遅く、退勤は早く、いつも仏頂面。

しかもスピードが命の調理場で、トロいときた。


早く動けないのはママさんバレーで傷めた

ヒザの古傷のせいだそうで

「だったら来るなよ」と、何度も言いたくなった。

でも自分じゃすごく働いてる気で

待遇や人間関係に関するボヤキだけは

一人前だった。

走り回れないはずなのに、お菓子が出た時は

誰よりも早く駆けつけた。

ちなみに彼女が差し入れを持って来たことは

一度もない。


無駄に大きい女、エミさんと働くうちに

私はハタと思い出した。

「昔の私じゃん!」


何とはなしにイラッとくる、無駄に大きい女‥

両親にとって私はそういう存在だったのだ。

嫁舅問題以前に、私は標準装備を整えないまま

同居を始めてしまったらしい。


あの頃、自分じゃすごく働いてる気だったけど

あれは太っていたからしんどかったのではないのか。

朝起きるのが遅くてスタートが遅れ

一日中家事に追われていたのではないのか。

おまけに仏頂面‥これじゃ嫌われる。

全部、後手後手になっていたのに気づかず

嫁いびりやイジメだと思い込んでいたのでは

なかろうか。


悩める若者を見ていると、昔の私と重なる。

どんなに苦しいか、よくわかる。

が、あえて言う。

今の若者は、左寄りの教育で育っている。

「外見で人を判断してはいけません」

と言われて大きくなったので

人も自分を外見で判断しないと思い込んでいる。

しかし、それは違う。

標準装備の備わっていない者は

安く見られ、軽く扱われるのだ。

それが社会であり、他人である。


三拍子を改めたら人生が変わるわけではないが

せちがらい時代だからこそ

標準装備を整えて身を守ってもらいたい。

誰も言ってくれないだろうから、私が言わせてもらった。

健闘を祈る。


(完)
コメント (8)
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