地域密着、地元貢献という本社のモットーに反して地元を無視している…
裏を知らずに聞けば、それはけしからんことであり
地元の共存共栄を主張する永井部長の意見こそ、正論だ。
しかし地元業者の腐りっぷりに加え、永井部長の本心を知る我々は
彼の地元活用論に従うわけにはいかなかった。
藤村が肩書きを外されてヒラに戻った時
彼と癒着していたM社を切っているからである。
当時、M社の社長は慌てて詫びを入れに来て
引き続き使って欲しいと頼んだが、夫は許さなかった。
仕事をもらう立場のチャーターが発注先の会社を揉ませるのは
この仕事に携わる者が一番やってはいけないことだからだ。
お互いに雇ったり雇われたりして助け合うのがチャーターとはいえ
雇われる側になった時は、雇った側の一員として働くことになるため
仕事がスムーズに進行するよう全力を尽くすのが、この業界のスジである。
裏で揉め事を大きくしたり
発注先の誰かと結託して乗っ取りを企てるなど、言語道断。
簡単に許せば、こちらに負い目があるとみなされるので
二度と出入りさせるわけにはいかない。
それも、この業界のスジである。
大切に守ってきたそれらのスジが
永井部長の個人感情によって脅かされようとしていた。
F工業を切るのが永井部長の私意であるにもかかわらず
それを地元貢献という正論にすり替えて公然と押し付けられるのは
我々にとって受け入れがたいことだった。
合併して10年、最初の頃は確かに存在していたマトモな人や普通の人が次々と辞め
本社にはイエスマンばかり残っている。
その中からは永井部長のように、出世して権力を持つ人が出てきた。
我々の庇護者である河野常務がいなくなると
かなり厳しい状況に置かれるであろうことは予測していたので
常に覚悟は持っていたが、どうやらその時が来たらしい。
やがて本社から河野常務と永井部長が来て人払いがあり
次男一人が事務所に残されて面談をすることになった。
地域密着、地元貢献のモットーに逆らう主犯格として事情聴取を受けるのだ。
永井部長から見れば、配車を担当する次男はF工業を使う首謀者。
最初のターゲットに選ばれるのは当然だった。
近いうちにこれをやると想定していたので、次男にはあらかじめ言い含めておいた。
「もし永井が常務を連れて来たら、罠と心得よ。
ターゲットを定めて個人攻撃をするのは、ダメな組織の特徴だからよく見ておくように。
永井はわざとカッとするようなことを言って
あんたが常務の前で逆上するか、辞めると言い出すのを待つはず。
そうなると思う壺だから、何を言われても
相槌は“はい”だけにして、反論と説明は一切するな。
バカに自分の気持ちをわかってもらおうなんて、夢にも思わないことだ。
あんたの感情がつかめなければ、向こうは打つ手が無いから帰るしかない」
後から次男に話を聞いたところ、やはり罠だったようだ。
「こちらの言うことが聞けないなら、辞めてもらってかまわない。
今日はそのつもりで来た」
永井部長は開口一番、そう言い、次男がキレるのを待つそぶりだったという。
他にもあれこれと重箱の隅をつつくような挑発が繰り返されたが
次男はオール“はい”で乗り切り、短時間で解放された。
母による事前講習が功を奏したと言いたいところだが
次男は一連の経緯をF工業の社長に話していた。
「無茶なことを言われたら、すぐ辞めてうちへ来い」
F社長にそう言われて、安心していたことが大きい。
「言われたことは何ともないけど、常務が変わってしまったのが残念だった。
前は両方の話をちゃんと聞いてくれたのに、今は永井部長に引きずられるお爺ちゃん。
揉め事はしんどいんだって」
次男は我々に、そう報告した。
情に厚く公平だった常務も病気と加齢には勝てず、とうとうヤキが回ったらしい。
十年ひと昔というが、時の流れはこのような形で表れたようだ。
ともあれ常務の権力が、天敵の永井部長に渡ったからには
もはや合併当時の恩や義理に縛られている場合ではない。
この恩や義理があるからこそ、たくさんの我慢をしてきたが
あの時、倒産を免れるために本社から用立ててもらった大金は
2年前に完済しているのもあって、もう時効でいいんじゃないかと思うようになった。
我々は、様々な事柄を一から考え直すことにしたのである。
で、永井部長が抱えているという秘密のトラブルだが
それは山陰に建設される国防系の公共工事で起きた。
F工業はこの仕事を獲得するために山陰支店を作り、予定通り獲得。
さあこれからという時に、しゃしゃり出たのが永井部長だった。
太鼓持ちの藤村を従えて、工事を入札した発注元へ乗り込み
「F工業より安い工費で引き受けるから、うちを使って欲しい」
とねだった。
つまりF工業を排除して、本社を下請けにしろという永井部長の常套手段
“飛ばし”である。
彼は昨年の秋口にも、夫の親友である田辺君が振ってくれた仕事にこの手口を使った。
田辺君の会社を飛ばして仕事を奪おうとして、田辺君と小倉の業者を怒らせたものだ。
永井部長は逃げ、取り残された藤村が田辺君に土下座をして何とかおさまった。
その記憶が薄らぐ間もない晩秋、今度はF工業の仕事で飛ばしをやろうとしたのだった。
しかし今回も、発注元であるゼネコンに断られた。
だって山陰の冬は早い。
冬になれば雪が降る。
国防施設なんだから、春を待つなんて言っていられない。
一日でも早く着工しておかなければ、有事の際に間に合わない。
遅れて現れた知らんヤツのワガママなんか、聞いてやる暇は無いのだ。
全てのお膳立てが整うまで待って、最後にかっさらう永井部長のやり方は
場所と季節にマッチしなかった。
しかし永井部長は諦めない。
今度は発注元とF工業の間に、自分たちを入れて欲しいと食い下がった。
つまり発注元とF工業の間に入り、F工業を自分たちの下請けにするのだ。
全部の仕事ではない。
本社の得意分野、つまり大量仕入れによって値引きが可能な一部の仕事である。
これも永井部長お得意の、“割り込み”と呼ばれる常套手段。
“飛ばし”と同様、汚いやり口として商売の禁じ手とされているが
彼はこれらの手口を平然と使うのだった。
発注元としては、工費を少しでも安く上げたいので
「あっちがああ言って来てるけど、どうする?」
と、F社長に打診した。
これを聞いたF社長は、もちろん気に入らない。
土壇場でこれだから、そりゃあ腹が立つ。
が、うちの夫や息子たちが世話になっている本社だからと思い直し
この時は拳をおさめた。
そして発注元とF工業の間に本社を割り込ませることを
自ら了承するという苦渋の決断をしたのだった。
永井部長は狂喜乱舞。
さっそくF社長の所へ挨拶に行き
上から目線で「仲良くやりましょう」とホザく。
「泥棒が、なに言ってやがる…」
F社長は苦々しく思ったが、表向きは平静を装ったという。
これで終われば、まだよかった。
しかし永井部長の真骨頂は、ここからだった。
《続く》
裏を知らずに聞けば、それはけしからんことであり
地元の共存共栄を主張する永井部長の意見こそ、正論だ。
しかし地元業者の腐りっぷりに加え、永井部長の本心を知る我々は
彼の地元活用論に従うわけにはいかなかった。
藤村が肩書きを外されてヒラに戻った時
彼と癒着していたM社を切っているからである。
当時、M社の社長は慌てて詫びを入れに来て
引き続き使って欲しいと頼んだが、夫は許さなかった。
仕事をもらう立場のチャーターが発注先の会社を揉ませるのは
この仕事に携わる者が一番やってはいけないことだからだ。
お互いに雇ったり雇われたりして助け合うのがチャーターとはいえ
雇われる側になった時は、雇った側の一員として働くことになるため
仕事がスムーズに進行するよう全力を尽くすのが、この業界のスジである。
裏で揉め事を大きくしたり
発注先の誰かと結託して乗っ取りを企てるなど、言語道断。
簡単に許せば、こちらに負い目があるとみなされるので
二度と出入りさせるわけにはいかない。
それも、この業界のスジである。
大切に守ってきたそれらのスジが
永井部長の個人感情によって脅かされようとしていた。
F工業を切るのが永井部長の私意であるにもかかわらず
それを地元貢献という正論にすり替えて公然と押し付けられるのは
我々にとって受け入れがたいことだった。
合併して10年、最初の頃は確かに存在していたマトモな人や普通の人が次々と辞め
本社にはイエスマンばかり残っている。
その中からは永井部長のように、出世して権力を持つ人が出てきた。
我々の庇護者である河野常務がいなくなると
かなり厳しい状況に置かれるであろうことは予測していたので
常に覚悟は持っていたが、どうやらその時が来たらしい。
やがて本社から河野常務と永井部長が来て人払いがあり
次男一人が事務所に残されて面談をすることになった。
地域密着、地元貢献のモットーに逆らう主犯格として事情聴取を受けるのだ。
永井部長から見れば、配車を担当する次男はF工業を使う首謀者。
最初のターゲットに選ばれるのは当然だった。
近いうちにこれをやると想定していたので、次男にはあらかじめ言い含めておいた。
「もし永井が常務を連れて来たら、罠と心得よ。
ターゲットを定めて個人攻撃をするのは、ダメな組織の特徴だからよく見ておくように。
永井はわざとカッとするようなことを言って
あんたが常務の前で逆上するか、辞めると言い出すのを待つはず。
そうなると思う壺だから、何を言われても
相槌は“はい”だけにして、反論と説明は一切するな。
バカに自分の気持ちをわかってもらおうなんて、夢にも思わないことだ。
あんたの感情がつかめなければ、向こうは打つ手が無いから帰るしかない」
後から次男に話を聞いたところ、やはり罠だったようだ。
「こちらの言うことが聞けないなら、辞めてもらってかまわない。
今日はそのつもりで来た」
永井部長は開口一番、そう言い、次男がキレるのを待つそぶりだったという。
他にもあれこれと重箱の隅をつつくような挑発が繰り返されたが
次男はオール“はい”で乗り切り、短時間で解放された。
母による事前講習が功を奏したと言いたいところだが
次男は一連の経緯をF工業の社長に話していた。
「無茶なことを言われたら、すぐ辞めてうちへ来い」
F社長にそう言われて、安心していたことが大きい。
「言われたことは何ともないけど、常務が変わってしまったのが残念だった。
前は両方の話をちゃんと聞いてくれたのに、今は永井部長に引きずられるお爺ちゃん。
揉め事はしんどいんだって」
次男は我々に、そう報告した。
情に厚く公平だった常務も病気と加齢には勝てず、とうとうヤキが回ったらしい。
十年ひと昔というが、時の流れはこのような形で表れたようだ。
ともあれ常務の権力が、天敵の永井部長に渡ったからには
もはや合併当時の恩や義理に縛られている場合ではない。
この恩や義理があるからこそ、たくさんの我慢をしてきたが
あの時、倒産を免れるために本社から用立ててもらった大金は
2年前に完済しているのもあって、もう時効でいいんじゃないかと思うようになった。
我々は、様々な事柄を一から考え直すことにしたのである。
で、永井部長が抱えているという秘密のトラブルだが
それは山陰に建設される国防系の公共工事で起きた。
F工業はこの仕事を獲得するために山陰支店を作り、予定通り獲得。
さあこれからという時に、しゃしゃり出たのが永井部長だった。
太鼓持ちの藤村を従えて、工事を入札した発注元へ乗り込み
「F工業より安い工費で引き受けるから、うちを使って欲しい」
とねだった。
つまりF工業を排除して、本社を下請けにしろという永井部長の常套手段
“飛ばし”である。
彼は昨年の秋口にも、夫の親友である田辺君が振ってくれた仕事にこの手口を使った。
田辺君の会社を飛ばして仕事を奪おうとして、田辺君と小倉の業者を怒らせたものだ。
永井部長は逃げ、取り残された藤村が田辺君に土下座をして何とかおさまった。
その記憶が薄らぐ間もない晩秋、今度はF工業の仕事で飛ばしをやろうとしたのだった。
しかし今回も、発注元であるゼネコンに断られた。
だって山陰の冬は早い。
冬になれば雪が降る。
国防施設なんだから、春を待つなんて言っていられない。
一日でも早く着工しておかなければ、有事の際に間に合わない。
遅れて現れた知らんヤツのワガママなんか、聞いてやる暇は無いのだ。
全てのお膳立てが整うまで待って、最後にかっさらう永井部長のやり方は
場所と季節にマッチしなかった。
しかし永井部長は諦めない。
今度は発注元とF工業の間に、自分たちを入れて欲しいと食い下がった。
つまり発注元とF工業の間に入り、F工業を自分たちの下請けにするのだ。
全部の仕事ではない。
本社の得意分野、つまり大量仕入れによって値引きが可能な一部の仕事である。
これも永井部長お得意の、“割り込み”と呼ばれる常套手段。
“飛ばし”と同様、汚いやり口として商売の禁じ手とされているが
彼はこれらの手口を平然と使うのだった。
発注元としては、工費を少しでも安く上げたいので
「あっちがああ言って来てるけど、どうする?」
と、F社長に打診した。
これを聞いたF社長は、もちろん気に入らない。
土壇場でこれだから、そりゃあ腹が立つ。
が、うちの夫や息子たちが世話になっている本社だからと思い直し
この時は拳をおさめた。
そして発注元とF工業の間に本社を割り込ませることを
自ら了承するという苦渋の決断をしたのだった。
永井部長は狂喜乱舞。
さっそくF社長の所へ挨拶に行き
上から目線で「仲良くやりましょう」とホザく。
「泥棒が、なに言ってやがる…」
F社長は苦々しく思ったが、表向きは平静を装ったという。
これで終われば、まだよかった。
しかし永井部長の真骨頂は、ここからだった。
《続く》