殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…新たな展開なのか?・3

2022年02月28日 08時28分12秒 | シリーズ・現場はいま…
地域密着、地元貢献という本社のモットーに反して地元を無視している…

裏を知らずに聞けば、それはけしからんことであり

地元の共存共栄を主張する永井部長の意見こそ、正論だ。


しかし地元業者の腐りっぷりに加え、永井部長の本心を知る我々は

彼の地元活用論に従うわけにはいかなかった。

藤村が肩書きを外されてヒラに戻った時

彼と癒着していたM社を切っているからである。


当時、M社の社長は慌てて詫びを入れに来て

引き続き使って欲しいと頼んだが、夫は許さなかった。

仕事をもらう立場のチャーターが発注先の会社を揉ませるのは

この仕事に携わる者が一番やってはいけないことだからだ。


お互いに雇ったり雇われたりして助け合うのがチャーターとはいえ

雇われる側になった時は、雇った側の一員として働くことになるため

仕事がスムーズに進行するよう全力を尽くすのが、この業界のスジである。

裏で揉め事を大きくしたり

発注先の誰かと結託して乗っ取りを企てるなど、言語道断。

簡単に許せば、こちらに負い目があるとみなされるので

二度と出入りさせるわけにはいかない。

それも、この業界のスジである。


大切に守ってきたそれらのスジが

永井部長の個人感情によって脅かされようとしていた。

F工業を切るのが永井部長の私意であるにもかかわらず

それを地元貢献という正論にすり替えて公然と押し付けられるのは

我々にとって受け入れがたいことだった。


合併して10年、最初の頃は確かに存在していたマトモな人や普通の人が次々と辞め

本社にはイエスマンばかり残っている。

その中からは永井部長のように、出世して権力を持つ人が出てきた。

我々の庇護者である河野常務がいなくなると

かなり厳しい状況に置かれるであろうことは予測していたので

常に覚悟は持っていたが、どうやらその時が来たらしい。



やがて本社から河野常務と永井部長が来て人払いがあり

次男一人が事務所に残されて面談をすることになった。

地域密着、地元貢献のモットーに逆らう主犯格として事情聴取を受けるのだ。

永井部長から見れば、配車を担当する次男はF工業を使う首謀者。

最初のターゲットに選ばれるのは当然だった。


近いうちにこれをやると想定していたので、次男にはあらかじめ言い含めておいた。

「もし永井が常務を連れて来たら、罠と心得よ。

ターゲットを定めて個人攻撃をするのは、ダメな組織の特徴だからよく見ておくように。

永井はわざとカッとするようなことを言って

あんたが常務の前で逆上するか、辞めると言い出すのを待つはず。

そうなると思う壺だから、何を言われても

相槌は“はい”だけにして、反論と説明は一切するな。

バカに自分の気持ちをわかってもらおうなんて、夢にも思わないことだ。

あんたの感情がつかめなければ、向こうは打つ手が無いから帰るしかない」


後から次男に話を聞いたところ、やはり罠だったようだ。

「こちらの言うことが聞けないなら、辞めてもらってかまわない。

今日はそのつもりで来た」

永井部長は開口一番、そう言い、次男がキレるのを待つそぶりだったという。

他にもあれこれと重箱の隅をつつくような挑発が繰り返されたが

次男はオール“はい”で乗り切り、短時間で解放された。


母による事前講習が功を奏したと言いたいところだが

次男は一連の経緯をF工業の社長に話していた。

「無茶なことを言われたら、すぐ辞めてうちへ来い」

F社長にそう言われて、安心していたことが大きい。


「言われたことは何ともないけど、常務が変わってしまったのが残念だった。

前は両方の話をちゃんと聞いてくれたのに、今は永井部長に引きずられるお爺ちゃん。

揉め事はしんどいんだって」

次男は我々に、そう報告した。

情に厚く公平だった常務も病気と加齢には勝てず、とうとうヤキが回ったらしい。

十年ひと昔というが、時の流れはこのような形で表れたようだ。


ともあれ常務の権力が、天敵の永井部長に渡ったからには

もはや合併当時の恩や義理に縛られている場合ではない。

この恩や義理があるからこそ、たくさんの我慢をしてきたが

あの時、倒産を免れるために本社から用立ててもらった大金は

2年前に完済しているのもあって、もう時効でいいんじゃないかと思うようになった。

我々は、様々な事柄を一から考え直すことにしたのである。



で、永井部長が抱えているという秘密のトラブルだが

それは山陰に建設される国防系の公共工事で起きた。

F工業はこの仕事を獲得するために山陰支店を作り、予定通り獲得。

さあこれからという時に、しゃしゃり出たのが永井部長だった。

太鼓持ちの藤村を従えて、工事を入札した発注元へ乗り込み

「F工業より安い工費で引き受けるから、うちを使って欲しい」

とねだった。

つまりF工業を排除して、本社を下請けにしろという永井部長の常套手段

“飛ばし”である。


彼は昨年の秋口にも、夫の親友である田辺君が振ってくれた仕事にこの手口を使った。

田辺君の会社を飛ばして仕事を奪おうとして、田辺君と小倉の業者を怒らせたものだ。

永井部長は逃げ、取り残された藤村が田辺君に土下座をして何とかおさまった。

その記憶が薄らぐ間もない晩秋、今度はF工業の仕事で飛ばしをやろうとしたのだった。


しかし今回も、発注元であるゼネコンに断られた。

だって山陰の冬は早い。

冬になれば雪が降る。

国防施設なんだから、春を待つなんて言っていられない。

一日でも早く着工しておかなければ、有事の際に間に合わない。

遅れて現れた知らんヤツのワガママなんか、聞いてやる暇は無いのだ。

全てのお膳立てが整うまで待って、最後にかっさらう永井部長のやり方は

場所と季節にマッチしなかった。


しかし永井部長は諦めない。

今度は発注元とF工業の間に、自分たちを入れて欲しいと食い下がった。

つまり発注元とF工業の間に入り、F工業を自分たちの下請けにするのだ。

全部の仕事ではない。

本社の得意分野、つまり大量仕入れによって値引きが可能な一部の仕事である。


これも永井部長お得意の、“割り込み”と呼ばれる常套手段。

“飛ばし”と同様、汚いやり口として商売の禁じ手とされているが

彼はこれらの手口を平然と使うのだった。


発注元としては、工費を少しでも安く上げたいので

「あっちがああ言って来てるけど、どうする?」

と、F社長に打診した。

これを聞いたF社長は、もちろん気に入らない。

土壇場でこれだから、そりゃあ腹が立つ。

が、うちの夫や息子たちが世話になっている本社だからと思い直し

この時は拳をおさめた。

そして発注元とF工業の間に本社を割り込ませることを

自ら了承するという苦渋の決断をしたのだった。


永井部長は狂喜乱舞。

さっそくF社長の所へ挨拶に行き

上から目線で「仲良くやりましょう」とホザく。

「泥棒が、なに言ってやがる…」

F社長は苦々しく思ったが、表向きは平静を装ったという。


これで終われば、まだよかった。

しかし永井部長の真骨頂は、ここからだった。

《続く》
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現場はいま…新たな展開なのか?・2

2022年02月25日 09時38分23秒 | シリーズ・現場はいま…
シゲちゃんにトトロ、そして佐藤君とヒロミの近況をお話ししたので

昨年の春に入社して秋には退職したシゲちゃんの前任

スガッちのこともお話しさせていただこう。

彼は正社員で雇用してもらえるということで、隣の市にある三交代制の工場へ転職したが

またいつの間にか転職して、やはり隣の市の山奥にある産業廃棄物処理場で働いていた。


その彼が先日、ふらりと会社に現れ

産廃処理場を辞めて、ここへ戻りたいと夫に言ったそうだ。

そこは家から遠く、10時と3時の休憩も無く

夕方5時までビッチリ働かされるので、とてもしんどいのだそう。

そして仕事のひとつに、墓じまいをした墓石の粉砕があり

毎日、それが怖くてしょうがないと言う。

仕事は変えるたびに、自分の理想とはかけ離れていくものだ。

いい仕事なんて、あるわけないじゃないか。

夫が丁重に断ったのは言うまでもない。



さて、本題へと移らせていただこう。

今の慌ただしさの原因だ。

我々一家が何を考えているかというと、転職さ。

まだはっきり決めているわけではない。

だって、仕事は変えるたびに、自分の理想とはかけ離れていくものだと

さっき言ったばかりじゃないか。

考える時間はたっぷりあるので、ゆっくり考えるつもりだ。


息子たちはともかく、我々夫婦はこのまま可もなく不可もなく夫の定年を迎え

ありがとうございました、と穏やかに去る予定だった。

4年前、夫は還暦を迎えた時点で、当面は70才までの勤続を保証され

その後の進退や待遇は本人の体調を考慮した上で

本社と話し合って決めることになった。

当時の我々は、それで十分だと思った。

今年に入り、ひとまずのターニングポイントと定めた70才まで

残すところ5年となったが、やはりそう思っていた。


とはいえ私は一方で、夫がしんどくなったら

いつ退職したってかまわない気持ちでいた。

夫個人に対する本社の配慮はありがたいが、会社に対しては違う。

変なヤツを送り込んではゴタゴタを引き起こす繰り返しに

しぶとい私がうんざりしているのだから、単純な夫の精神的苦痛は相当なものだ。

夫の社会人生活の最後がこれでいいのか…とも思うようになった。

年を取って残された日々が目減りしてくると

そのわずかな年月が、ことさら貴重に思えてくる。

人生の晩秋を迎えても、いまだ姑仕えを続ける我が身のザンネンを痛感するにつれ

夫の無念をも感じられるようになったのだ。


若い頃から父親に押さえつけられ、五十を過ぎたら

その父親が作った借金が原因で合併を余儀なくされ

今度は合併先に押さえつけられる身の上になって、はや10年。

夫は本社に巣食うゲスどもに陥れられ、足を引っ張られ、罪を着せられてきたが

そのゲスどもはさんざんひどいことをしておきながら、危なくなると夫に泣きついた。

そして問題がおさまると、自分の手柄にする。

ゲスとは、そういう生き物だ。


それでも夫が耐えたのは、親を養っているからである。

私が「親を扶養してござい」と威張ったところで

彼の稼ぎ出す現ナマが無ければ日干しじゃ。

その彼をそばで見てきて、このまま終わるのが何だか気の毒になってきたのだ。


そんな心境になり始めた、このところ…

我々の守護神だった本社の河野常務の衰弱が目立ってきた。

数年前に癌の手術したので仕方がないが、70才を過ぎてめっきり年老いた。

引退時期が近づいているのは、誰の目にも明らかだ。


そうなると急に強気になったのが常務の子分、永井営業部長。

50代半ばの彼は、得意の嘘と芝居を駆使して取締役に成り上がった

卑怯が服を着ているような男だ。


常務の引退後、その仕事を受け継ぐことが決まっている彼は

当然、我が社も担当することになる。

彼は自発的にその準備段階に入ったらしく、何やかんやと仕事に口を出し始めた。

仕事を理解して口を出すならいいが、何も知らないまま見当違いの指示をするので

夫や息子たちは辟易している。


中でもうるさいのは、チャーターの配車。

チャーターとは、うちのダンプだけでは回らない時

よその同業者から応援に来てもらうことだ。


このチャーターに、地元を使えとうるさいのなんの。

だけど地元の業者は規模が小さいので、台数が揃わない。

特に同じ市内だと、うちが忙しい時はよそも忙しいため、頼んだって来られないのだ。

しかも市内の同業者といえば、反社会勢力の企業舎弟なので付き合いをしていない所か

あの藤村と癒着して我が社の乗っ取りを企んだM社。

M社は藤村と癒着しながら、神田さんのパワハラ、セクハラ問題の時には

裏で彼女をたきつけ、問題がさらに大きくなるよう立ち回っていたことがわかっている。

精神科の診断書を取った上で労基へ駆け込め…などのアドバイスを行ったり

藤村の発言や無線の会話を録音するボイスレコーダーを彼女に貸したのはM社の社員だ。


つまり藤村はM社にチヤホヤされてヨコシマな野心を膨張させながら

一方ではしっかり陥れられていたピエロである。

かたや反社、かたや盗っ人以下。

究極の選択にもほどがあるというものだ。



とはいえ永井部長が異常に地元にこだわる理由を、我々は知っていた。

彼の大嫌いなF工業を使いたくないからだ。

F工業は、記事で何度か触れたことがある。

市外の会社だが、規模が大きいので急な要請にも対応でき

ドライバーの技術と運転マナーが良いため、安心して任せられる所だ。

我々もF工業の社長を始め社員と親しく

知り合ってからここ数年は、お互いに助け合いながら仲良くやってきた。


しかし昨年秋、永井部長はこのF工業とトラブルを起こした。

我々の業界においては、けっこう大きなトラブルだ。

F工業の社長からは、その内容をすでに聞いていたが

永井部長は誰にも知られてないと思っている。

かなりカッコ悪いので、誰も知らないと思い込みたいのだろう。


ともあれ河野常務の引退後、彼がうちを担当するようになったら

こちらへも嬉しげに顔を出し、上司風を吹かすようになるのは明白。

すると、どうしてもF工業と顔を合わせる機会が出てくる。

だから彼は今のうちに、F工業を切っておきたいのだ。


けれどもF工業を名指しで排除するわけにはいかない。

切りたい理由を説明する必要が出てくるからだ。

そこで「地元を使え」と強行に主張。

地域密着、地元貢献は、古来より本社のモットーである。

「そのモットーをないがしろにして、市外の業者を使っている」

彼は言い出し、我々は本社の方針にたてつく違反者ということになった。

《続く》
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現場はいま…新たな展開なのか?・1

2022年02月19日 11時09分25秒 | シリーズ・現場はいま…
寒さのため、唯一の持病である五十肩…いや、すでに六十肩か…

が悪化したのと、会社のことで少々慌ただしかったため

ご無沙汰してしまった。

肩の方は治療に通ってずいぶん回復したが、会社の慌ただしさは現在も継続中。

徐々に落ち着いていくのか、これからもっと騒がしくなるのかは今のところ不明。


その件に触れる前に、1月から入社した五十代半ばの重機オペレーター

シゲちゃんのことをお話しさせていただこう。

彼は、正月休みの明けた1月7日から初出勤することになっていた。

しかし前日の1月6日に急な仕事が入り、夫が一人で対応。

明日から出勤する会社の様子を見に来たシゲちゃんは…

そう、このように意味不明な行動をするのが彼…

とにかくその光景を目撃して、次男に連絡してきた。

「専務(シゲちゃんは夫のことを昔の肩書きで呼ぶ)が重機に乗ってる。

僕は行かなくてよかったんだろうか?」

次男が言うには、泣きそうな声だったそう。


「大丈夫、今日は親父だけ出てるから。

シゲちゃんは明日からお願いしますね」

そう言ったら、彼は落ち着いたという。

我々はそれを聞いて、シゲちゃんのこれまでの苦労をしのぶのだった。


彼は職場でからかわれたり、のけものにされることが多く

皆に連絡が回っても彼だけ知らされないことがよくあったと聞いている。

休みのはずの会社で夫が働いているのを見て、彼は悲しくも驚愕したのだ。

「シゲちゃんが入ったら、安心して働けるように気を配ろう」

我々は、そう誓い合った。


こうしてシゲちゃんは会社の一員になったが

ブランクが長かったのと、コンピュータ制御の重機が初めてなのとで

期待通りの即戦力とはいかず、夫が密かにイラッとしているのは見て取れた。

また、社員一同の反応もあまり良いものではなかった。

滅多に口を開かないシゲちゃんだが、必要にかられてその滅多が訪れた際に

言い方が上から目線でムッとするらしい。


それもそのはず、彼の最初の職歴は国土交通省の役人。

お役所系の前歴を好む本社が飛びつき

前任のスガッちより好待遇で迎えたのが当然だったのはともかく

職を転々としてきたシゲちゃんが、おとなしいにもかかわらず

あちこちでいじめられてきた原因はこういう所かもしれなかった。


ともあれシゲちゃんには気長に練習してもらうことにして、現在に至っている。

スピードさえ望まなければ、どうにかやれるまでに成長し

「たまに物を言うと憎たらしい」との評判も、社員に役人の前歴を話すと納得した。

満点の人間なんて、いない。

そんな人は、どこか素晴らしい職場で高給を取っているだろう。

うちに、そんな人は来ない。



さて、力士並みに大きな女子事務員、旗野さん…通称トトロも続いている。

仕事はあんまりやらないが、次男は彼女を諜報部員として活用するようになった。

事務所で小耳に挟んだ本社サイドの密談や

これはと思った電話の内容を次男に伝える役目である。


本社に巣食う月給泥棒たちに寝首をかかれないように、情報収集は必要だ。

夫婦共に事業主の子供として育った我々は

転職を繰り返して今の仕事に流れ着いた人々の気持ちに疎いところがある。

一例を挙げれば、我々が最も大切にしているのは商道における義理やスジだが

彼らが最も大切なのは自分の手柄、自分の保身、自分の利益。

我々の視線は主に安全と顧客に注がれるが、彼らの視線は上司一本。

見解の相違がはなはだしいため、こちらが気にも留めない些細な事柄が

彼らにとっては一大事だったり、また、その逆もあるというものだ。


ずいぶん慣れたとはいえ、このような価値観の相違から生じる問題は多く

それが大きくなって禍根が残ることは未だにある。

そのため、まず彼らが何を企だてているのかを把握する。

その企だてがたいてい失敗するのは、経験でわかっている。

だから失敗した時、勝手にこちらのせいにされないよう

複数の対応を考えておいて、無駄な消耗を防ぐのが目的である。


トトロは平素の怠惰な仕事ぶりに似合わず、実に的を得た情報を的確に流す。

皆、彼女を巨大なオブジェと認識しているのか、ノーマークでしゃべるため

トトロの暗躍には気づいてない。

仕事では使えないが、スパイとしてはなかなかのもの。

人間、何かの取り柄はあるものだ。


仮病大王の佐藤君と、天然アサハカのヒロミも相変わらず働いている。

ヒロミは働くうちに、佐藤君が本社からも我々からも嫌われていることを認識したらしく

中でも我々のボスである河野常務が夫に漏らした一言に、強い衝撃を受けたようだ。

「佐藤は口が二つあるけんのぅ」。


事務所に入って来て、これをたまたま聞いてしまったヒロミは

「ニコイチと思われたら私も危ない」

自分からそう言いだして、少しばかり距離を置き始めた。

調子のいいヒロミのことだから信用には値しないが

それでも彼女は時々、息子たちにくっついて慣れないチャーター…

つまり出仕事に行くようになった。


拘束時間の長い出仕事が嫌いな佐藤君にあれこれ吹き込まれ

心底嫌がっていたヒロミだが、コツさえつかめば体力的に楽だと知り

「早く行けばよかった」と言う。

配車係の次男が、楽で技術のいらない現場を厳選してヒロミに振っているとは

永遠に気づかないだろう。

《続く》
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駅ピアノ

2022年02月04日 10時01分58秒 | みりドラ
駅に限らず、街角、空港と

昔では考えられなかった国内外の場所にピアノを置いて

通りすがる人に弾いてもらい、その人の人生を軽く紹介する番組が増えた。

ハラミちゃんというスターも生まれて、ちょっとしたブームだ。

積極的に見ているわけではないが

自分もピアノをやっていたので、放映しているとつい見てしまう。


幼児期から高校卒業まで、ほんの十数年ピアノをかじった私だが

才能の方はさっぱり。

途中でやめなかったのは下手の横好きではなく、諸事情というやつ。


というのも同級生に、サヨちゃんという歌のうまい子がいた。

同級生というだけでなく、小学校では聖歌隊も音楽クラブも一緒だったし

中学のブラスバンド部でも、高校のコーラス部でも一緒の仲良しだ。


歌がうまいのにも色々ある。

流行りの歌から民謡まで、彼女は何でも歌えるが

主にオペラやカンツォーネを得意としていた。

先生に付いて歌の勉強をしていたわけではない。

しかし天性の才能は、誰もが認めるものであった。


彼女は美しい歌声と同じく、優しい天使のような心を持ち合わせていた。

かといって、ただフワフワしているだけではなく、誠実でしっかりした面もある。

文科省推薦ジャンルに属する歌と共に、彼女の柔和な性質は大人たちの理想。

よって教育関係者の御覚えめでたく、何かと引き立てられるようになるのは

私を含めて誰もが納得する成り行きであった。


こうして中学、高校時代のサヨちゃんは

校内のみならず、たまに市の内外で開かれる公共の文化的催しに呼ばれるようになり

ソロで歌声を披露した。

ふくよかな身体から流れ出る鈴を転がすような美声は

出だしの一声で自然に拍手が沸き起こり、会場を魅了したものである。


そのサヨちゃんのピアノ伴奏をしていたのが

何を隠そう、この私さ。

私よりピアノのうまい子は何人もいたが、サヨちゃんの希望でコンビを組むことになった。

時々、部活の終わった音楽室でサヨちゃんに歌わせてはピアノを弾いていたので

二人の個性が合うことはわかっていたため、決定は不自然ではなかった。


仲良しの彼女と二人で休日に、あるいは早退して演奏会に向かう楽しさよ…

何だか旅芝居の一座にいるような、この気分…

歌手を立て、息の合った伴奏ができた時の充実感…

こたえられんぜ!

私はこの役割を気に入っていた。

いつ要請があるかわからないので

日頃からコンディションを整えておく必要がある。

よってピアノ教室は続けたというより、やめなかっただけのことだ。



あれから44年…

天使のようなサヨちゃんは、てっきり音大の声楽科に進むと思っていた。

しかし奈良にある普通の大学へ行き、そこで知り合った男性と結婚して

今は兵庫県の山間部に住んでいる。

身体の弱いお子さんがいて、本人いわく苦労している様子だ。


かたや悪魔のごとき私の方は、姑仕えと女中奉公の日々。

その合間に駅ピアノ、街角ピアノ、空港ピアノを見ていると

サヨちゃんのうっとりするような歌声を思い出し

彼女の歌う『帰れ、ソレントへ』を聴きたくなる。

楽しい思い出をくれたサヨちゃんには、今も感謝している次第だ。


というわけで前置きが長くなったが、惰性で続いただけで上手くはないという

私のピアノのレベルはおわかりいただけたと思う。

その中途半端な無責任で駅ピアノ、街角ピアノ、空港ピアノを見ると

プロのかたには笑われちゃうだろうけど

中途半端なりに楽しめるというのをお話ししたい。



番組が始まり、ポツンと置かれたピアノに誰かが近づいて来る。

テレビで流すのは、ある程度の実力を備えた人だろうが

幼少期から弾いてきた熟練者か、大人になってから始めた初心者かを当てるのが

私のギャンブル。

熟練者は指先が丸いので、近くで見たらすぐわかるんだけどテレビじゃ見えない。


そこで男女や老若にかかわらず、最初に注目するのは座り方。

熟練者、つまり熱心に耳を傾けるに値する人は椅子の位置や高さを気にする。

良い演奏をするためには、ピアノ本体と椅子との関係性が重要なことを

身体で知っているからだ。

そのような準備段階はカットされている場合が多いけど

上手い人は気にして坐り直すし、そうでない人はいきなり座って弾き始める。

その無邪気もまた、いいものだ。


弾き始めたら、ギャンブルの結果はすぐにわかる。

熟練者は手首を柔軟に使うが、そうでない人は肘を支点にして

手首はまっすぐのまま指だけを動かす。

肩に負担が来て五十肩にならないか、心配しながら見る。


そして大人になってから始めた人は、薬指で弾くはずの鍵盤の音が弱い。

薬指は鍛えにくいからだ。

そのため、曲が荒く聴こえる。

決して本人が荒っぽいわけではなく

音がよく出る所と出ない所のバラつきが、荒く聴こえてしまうのだ。


で、ギャンブルが当たると単純に嬉しい。

それだけなんだけど、私には楽しい。

女性はおよそ似たり寄ったりだが、まさかと思うようなヨボヨボのお爺ちゃんや

部活帰りのスポーツ少年が見事な演奏をすると、なお楽しい。


コロナで外出しなくなって始めたという人もけっこういて

とても良いことだと思う。

ピアノを弾くと優しくなれる、私のように!


…それは冗談として、駅や街角にピアノが置かれていたら私も弾いてみたい。

だから、万一に備えて爪を切る。

曲は何が良かろうか、とも考える。

駅ピアノなど弾こうかと思われる方々はクラシック率が高めで

あとは若い人が、今どきの知らないポップスをよく弾いている。

私だったら、みんなが知っているノリのいい曲を選ぶ。

とりあえず『ルージュの伝言』か、『ダンシング・クイーン』じゃな…

もう指が動かんから、サビ頼みの曲が安全じゃ…

などとつらつら思うのも、また楽しい。


これは、あんまり外へ出ないから言えるのだ。

ピアノが置いてあるような所へ行かないから言えるのだ。

実際に遭遇したら、恥ずかしくてとても無理。


とはいえ駅ピアノに対峙する前に、ちょいと練習できそうな所を知らないでもない。

人が少なくて、誰も気にしない所。

同級生ユリちゃんの嫁ぎ先のお寺だ。

本堂の隣の部屋にグランドピアノが鎮座していて

有名じゃないプロの人が時々、奉納演奏会を行っている。

寺ピアノである。


ユリちゃんとは学校の文化祭で

『学園天国』や『五番街のマリー』を連弾していた仲。

弾きたいと言えば、彼女も懐かしがって歓迎してくれるだろう。

しかし、行ったついでにごはんを作らされるのは間違いなし。

そして私のつたない演奏を聴いた仏様からは、天罰が下るかもしれない。

やっぱりやめとこう。
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