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殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

近時事・安倍首相

2020年08月29日 08時48分58秒 | みりこんばばの時事
昨日、安倍首相が辞意を表明。

健康不安が取り沙汰されるようになって

秒読みが始まった感じはしてたわ。

白髪が増えたし、顔色が冴えないし

肩のあたりの痩せ方を見ても心配だった。

安倍首相が弱るにしたがって

マスコミの安倍叩きがひどくなっていったしね。


で、17日に慶応大学病院で検査を受けたという触れ込みだけど

7時間もかかったと知って、検査じゃなく治療だと思った。

それから1週間後の24日にも、3時間の「検査」。

もう確信するしかないじゃない。

それでも現実となるとショックよ〜。


潰瘍性大腸炎って難病指定の病気で、すごくつらいらしいわ。

新聞によると安部首相は

17才の時からこの病気に悩まされていたそうよ。

8月は6日と9日が広島、長崎の平和記念式典

15日は全国戦没者追悼式と、はずせない行事があるので

酷暑の中、這うようにして出席されたじゃないかしら。

それが終わって病院に行ったのかと思うと

お気の毒でならないわ。


安倍首相は、日本の誇る総理大臣だったと思う。

顔が良くて身長があるという部分だけでも誇れるわよ。

外国の首脳と並んでも見劣りしないって、大事よ。

だから、ありがたかったわよ。


批判もあるけど、じゃあ別の人だったら

どれだけのことができたかしら。

言うだけなら何とでも言えるわ。

不祥事で足を引っ張る人が多いし

反日の政治家はゴロゴロいるし

反日のマスコミはこぞって敵に回るし

コロナなんて、とんでもない疫病は流行るし

大変だったでしょうけど

日本のリーダーとして頑張ってくれたと思う。


今後は、いち国会議員として頑張るそうだけど

健康に留意して、末長く活躍していただきたいわ。

日の丸の似合う総理、お疲れ様でした。

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現場はいま…

2020年08月25日 17時09分36秒 | シリーズ・現場はいま…
盆明けから入社した48才の新人女性、神田さんは

元気に働いておられる様子だ。

まだ入社してない頃に名前を聞いて

夫の知り合いだと思い込んでいたが、いざ来てみたら違っていた。

その姉だか妹だからしい。


私はまだ会ってない。

暑いので会社へ出てないのもあるが、行ったって会えない。

だって今のところ、神田さんの仕事はドライブ。

連日、昼あんどんの藤村が運転する車の助手席に座り

県内の支社、支店、営業所を挨拶がてら見学して回るのが日課である。


藤村はこれを新人研修とうそぶくが

定年エイジとなった夫から人事権が移行して以来

初めて自分が入れた社員であり、しかも自分好みの女性。

嬉しさのあまり、社内各所で女連れを見せびらかしつつ

彼女には会社の規模を見せびらかしたいのだ。

自分の会社なら自由だろうが、雇われの身でたいした度胸だ。


ともあれ、藤村の大胆不適で厚顔無恥な行いは早晩、噂となって

藤村は直属の上司である河野常務にこっぴどく怒られるはずだった。

我々はその日を待ち望んでいたが、お楽しみはまだ訪れない。

おバカな藤村にも計算高い部分はあるようで

河野常務は盆前から入院中。

腰の手術なので、しばらくは出社できない。

藤村はそれを見越して彼女を盆明けに入社させ

鬼の居ぬ間に遊び倒す所存だった。


しかし藤村の愚行はすでに、病床に伏す常務の耳に入っている。

なぜなら藤村が彼女と挨拶回りに行った先には

常務の妹ヨリコさんが働く支社も入っていて、彼女がチクッた。

常務は自分の妹であるヨリコさんを支社の一つに

別の支社へは彼女の息子を入社させているのだ。

身内に甘いのもあるが、自分の息のかかった者を要所に配置し

各種の情報を入手する目的もある。

こういうことをするから常務には敵が多いとも言えるが

敵が多いからこその措置とも言える。


ヨリコさんは、常務にそっくりのいかつい顔立ち。

俗に言うお局(つぼね)で

立場はいち事務員ながら支社を牛耳っており、支社長より断然強い。

そして兄の虎の威を借り、自分だけでなく

息子の就職まで甘えるような女性だから、気性がきつい。

気性のきつい女性が、自分に甘く他人に厳しいのはお決まりで

この状況を看過するわけがなかった。


一方の藤村は一人っ子なので、きょうだいの結束を知らない。

行った先に上司の妹がいて、全部告げ口されるなんて

考えてもいないのだった。


ちなみに常務は、自分の子供たちを入社させていない。

彼の子供たちは優秀なので

父親の勤める会社に入れてもらう必要は無かったのである。


ヨリコさんと我が夫は、同い年で仲がいい。

年に一度、全社員が集まる新年会で

たまたま隣りの席に座ったのが発端。

スポーツ特待で遠くの高校へ行った夫の同級生に

彼女の中学の同級生がいて、そこから親しくなり

時々、電話で情報交換を兼ねたおしゃべりをしている。

無口で物腰の柔らかいダメオと

きつくて口が立つ猛女の相性が良いのは

夫と私の関係性を見ても明らかである。


どこの会社でも、合併してもらった側の人間は新体制の厄介者。

昇進の道を閉ざされ、還暦を迎えたら

速攻でお払い箱になるケースが多い。

しかし夫は、ヨリコさんと同い年という共通点があるために

生き延びている気がする。

63才の年令を理由に夫を退職させるなら

同時に彼女も退職させなければ示しがつかないからだ。

私は常々、夫は強運だと思っているが

その強運とはこういうことなのである。



さて、ヨリコさんの話によれば

藤村の行状を知った常務は怒り心頭だったという。

最も怒り狂ったのは、藤村のこの発言。

「女の運転手を増やして、会社をハーレムにする」

藤村特有のジョークだ。

ジョークとは言えないが、藤村はジョークだと思っている。

そこが彼のバカなところ。


しかしまた一方、それは藤村の本音でもあった。

夫に息子たちに社員…みんな、中途で入った藤村より先輩で

藤村より仕事を知っている煙たい存在だ。

マウントを取りたい性格の藤村が、何も知らない女性を集めて

その上に立つというのは、彼なりの名案ではあった。


夫は最初のうち、「楽しみは後になるほど大きい」

と言って藤村の行いを奨励しつつ

常務にお灸をすえられる日を待っていた。

しかし歯止めがきかなくなっていく藤村を見ているうちに

だんだん腹を立てるようになった。


「見苦しい!最低だ!」

家で私に訴える夫。

最初は奨励していた手前、本人たちには言えなくなったのだ。


「ほんまじゃね、気持ちが悪いね」

私は応じながら、密かにほくそ笑む。

忘れたんけ?あんたも何十年か前に

その見苦しくて最低なことをしてたじゃないの…

なんて本当のことは、武士の情けじゃ…言わない。


もう26〜7年前になろうか、夫は愛人を会社に入れ

仕事そっちのけで見せびらかすために連れ歩いたり

ランチをご馳走したり、提灯持ちのごとく機嫌を取っていたものだ。

自分が昔やっていたことを他人がやり

それを毎日見せつけられるのは、無性に腹が立つらしい。

藤村、神田さん、夫…

あまりに面白くて、今はこの3人から目が離せない。
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手抜き料理・ビミョ〜編・2

2020年08月21日 11時19分06秒 | 手抜き料理
この日、会食の参加者は我々3人を入れて18名。

いつもより5〜6人多い。

料理番が交代したことを知って、急遽参加した人もいると聞いた我々は

大いに気を良くした。


「この際、料理寺としてメジャーを目指そう」

などと冗談を言って笑ったものだが、フタを開けてみれば何のことはない…

今まで料理番だったおばあちゃんの一人が

今回はフリーということで家族連れだったのと

お客が中学生の男の子を一人、連れて来ていただけだった。



料理があらかた完成したところで

私は自身の作品、タコ酢に取りかかった。

とはいえタコはすでに茹でてあり、適当な大きさにカットして

高齢者でも食べやすいように隠し包丁を入れたものを持参している。

キュウリも蛇腹(じゃばら)と呼ばれる切り方にして

塩でしんなりさせたのを持って来た。

あとは飾りになるミョウガと大葉を切り、合わせ酢を作ってかければいい。


ああ、何て簡単で涼しいのだ…

よくぞ思いついたものよ…うっしっし…

ほくそ笑みつつ、タコとキュウリを四つの鉢に分けて盛り付けていたら

またもや伏兵現る。


「合わせ酢、作ろうか」

そう言いながら近づいてきたのは、けいちゃん。

作ろうか、というのは私への問いかけではなく決定の伝達。

手が空いたので、手伝ってくれるらしい。

合わせ酢は自分で作りたかったが

リーダーが意欲を示してるんだから譲るしかない。

私は「お願い」と言い、持参した酢を手渡した。


けいちゃん、ボールに酢と砂糖を入れる。

それで終わると思っていたら濃口醤油をドバドバ注いで

黒い合わせ酢をなみなみと作るやいなや、全ての鉢にぶっかけた。

真っ黒な液体に溺れるタコとキュウリ。


ひ〜!おめぇ、何てことするだ!

叫びそうになったけど、我慢。

透明な合わせ酢で、爽やかに仕上げるつもりだった私は残念に思った。


続いて、ミョウガを切ると言い出したけいちゃん。

ダダダとまな板を鳴らして、みじん切りにした。

続いて大葉も同じ制裁を受ける。

フリカケと化したミョウガと大葉は

タコとキュウリを隠すように山と盛られ

ブラックな酢の海へと沈んでいった。

ミョウガは斜めスライス、大葉は極細の千切りにして

飾りにしようと考えていた私は、憎しみすらおぼえた。


やっぱり、この子に魚介は鬼門じゃ。

ヘタとか、知らないとかじゃないの。

実は前からわかってんの。

私が魚介を持ち込むのが気に入らないのよ。

息子が釣った魚はタダだから、主催者のユリちゃんが喜ぶし

もちろん食べる人も喜んで、主役がかすむからよ。


病院の厨房で同僚だった頃も、似たようなことがよくあったわ。

尊重して頼り切れば、申し訳ないぐらい良くしてくれるけど

やる気を見せたら最後、何度も叩き潰されたもんよ。

だったら平和のために、魚なんか持って行かなきゃいいじゃん…

ということになるけど、そこは私よ。

ますますやっちゃるもんね。



そして会食が始まった。

問題の炊き込みごはんは豚肉の薄切りとゴボウ、人参の組み合わせ。

問題が起きたとは思えない仕上がりで、けいちゃんも私も胸をなでおろした。


タコ酢は大人気で、すぐに無くなった。

私の住む瀬戸内ではタコ好きが多いのもあるけど

黒い合わせ酢と、刻んだミョウガと大葉が

しこたま絡まるタコの目新しさも一役買っていたと思う。

誰かを蹴落とそうと思ってやったことが

かえって良い結果を生んだ…みたいな寓話があったっけ。

私が食べる前に無くなったので、味見をしておけばよかったと思った。


トンカツと海老フライの盛り合わせは、いっこうに減らない。

これは当然といえば当然。

けいちゃんはソースを用意してなかったからだ。

盛り付けの時、ソースは?と聞いたら

「私はトンカツ食べる時、ソースはかけへんから」

と答えたので、それ以上は言わなかったが

硬い豚肉と安い海老にはソースが必要だったと思う。


キムチ味のそうめんチャンプルーも、大量にあるのに全然減らない。

当たり前だ。

味が無い。

家で茹でた時、運搬中に絡まないよう胡麻油を揉み込んだからだ。

油でコーティングされたそうめんは、味を吸収しない。

それに高齢者は、安上がりのチャンプルーを好まない。

先の短い彼らは会食となると、金めの料理や珍しい料理を尊ぶものなのだ。


マミちゃんが作って来た、そうめん瓜のマヨネーズサラダは

茹でたそうめん瓜を少量のポテトサラダに混ぜたもの。

これはパクパク食べられる料理ではないが、そうめん瓜といえば

煮物か酢の物くらいなので、サラダは珍しがられた。

けいちゃんは渾身のフライと一押しのチャンプルーが不人気で

相当ふてくされていたが

ササミのレモン和えが好評で機嫌が良くなり、ホッとした。


げに、人と料理をするのは気を使う。

私も含めてそれぞれが、自分の献立と味を最高だと思い込んでいるので

色々あるのが当然だからだ。

しんどいし、暑いし、もうこりごり…

と言ってる先から、ユリちゃんの予約が入る。

次は秋の行事。


秋、冬は楽だ。

灼熱地獄は無いし、温度管理も夏ほどではないし

一品は温かい汁物で誤魔化せる。

だからつい、うなづいてしまう。

今度は一人でやるもんね。



というわけで、たいした料理が出てこなかったため

私が頻繁に作る大根のサラダをご紹介してお茶を濁そう。

『大根サラダ』

①大根半分は皮をむき、円形の薄切りにしたものを千切りにする

②千切りにした大根に塩を振りかけ、しんなりしたら洗って絞る

③絞った大根をボールに入れ、そこへ小さいツナ缶をぶちまける

④たっぷりのマヨネーズ、コショウと薄口醤油少々で味付けして混ぜる

以上。


うちは姑がツナ嫌いなので老人は知らないが

たいていの人は喜んでナンボでも食べる。

大根のカットは、かったるければスライサーを使ってもいい。

私は手切りした時の食感が気に入っているので、包丁を使っている。


大根でなくても、太めの千切りにして茹でたキャベツを

水にさらして絞ったものや、茹でた人参を冷ましたものでもおいしい。

酢の物に飽きたら、お試しいただきたい。

野菜がたくさん食べられること、請け合いだ。

《完》
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手抜き料理・ビミョ〜編

2020年08月19日 08時30分58秒 | 手抜き料理
先日は…いや先日も

同級生ユリちゃんの実家のお寺で料理をした。

施餓鬼供養の会食だ。

今回は前回と違って一人ではない。

仲良し同級生5人で結成する5人会のメンバー

けいちゃんとマミちゃんも一緒。


けいちゃんが参加するということは、彼女が仕切るということ。

3月まで病院調理師だったけいちゃんは

メンバーの中で唯一のプロを自負しているからだ。


マミちゃんと私も何か一品、作るように言われ

つらつらと考えてはいたものの、暑いので買い物に行きたくない。

そこで家の冷凍庫に眠るタコを掘り出し

タコ酢でお茶を濁すことにしたのは前回の記事でお話しした。


が、タコ酢に決めた理由はそれだけではない。

メインはトンカツに決まっていたので

それを引き立てる地味な物でなくてはならない。

凝った物を作ってしまうと、仕切るけいちゃんに失礼だからだ。

単独でない安堵と引き換えに、脇役へと回る配慮が無ければ

複数の人数で料理は作れない。


2日前、ユリちゃんから

「何か用意しておくものがありますか?」

という内容のLINEが来た。

けいちゃんに伝えると

「デザートに、スイカなんかの果物を買っといてもらえると嬉しいかな」


甘い。

けいちゃんはまだ、ユリ寺をわかってない。

用意してくれるのは貰い物の天ぷら油と、お供えの片栗粉か小麦粉ぐらい。

デザートはユリ寺にとって料理ではなく

作り手のサービスの扱いなんだから、自前じゃわい。


が、そんな本当のことをけいちゃんに伝えると

ユリちゃんに改善の交渉をするかもしれない。

生真面目なけいちゃんは、奉仕の心や忖度で回る

お寺のシステムが理解できないのだ。

LINEに残したら、けいちゃんがそれを証拠に使う可能性があり

今後の付き合いに支障をきたす。


ということで、スイカは私が買うことにした。

お盆なので、いつもお世話になる青果店は休み。

スーパーでは美味しいかどうかの判断がつかないので

無理を言って店を開けてもらい、入手した。


そして当日、私から地獄のように暑いと吹き込まれたけいちゃんは

家で下ごしらえの大半を済ませていた。

野菜は全部カットされ、トンカツと海老フライは衣をつけてあり

そうめんまで茹でてジップロックに入れている。

さすがだ。


この日のメニューは

⚫︎炊き込みごはん

⚫︎トンカツ、海老フライ、ウィンナーの盛り合わせ

⚫︎鶏ササミのレモン和え

⚫︎キムチ味のそうめんチャンプルー

⚫︎そうめん瓜のマヨネーズサラダ

⚫︎タコ酢


そうめん瓜のサラダはマミちゃん作で、私がタコ酢

あとはけいちゃん作である。

トンカツたちの付け合わせには、キャベツやトマトと共に

いつぞやの会食作りで、けいちゃんがこだわっていたものの

私が苦労して却下させた冷凍フライドポテトが…。

やっぱり食べたかったらしい。


鶏ササミのレモン和えは、病院のメニュー。

一口大に切ったササミに片栗粉をまぶして揚げたものを

醤油、ミリン、砂糖、レモンの絞り汁1個分

それからパセリのみじん切りを和えたタレに絡めたらできあがり。

酢を使わず、レモンの酸味だけで作る南蛮漬けみたいなものだ。

タレの味が濃いようなら、水を少し入れてもいい。

レモン使用の証拠として、レモンスライスをあしらうのもいい。

さっぱりしておいしい一品である。



さて調理は、トンカツやササミを揚げるのをマミちゃんが担当し

けいちゃんは料理の仕上げと盛り付け

私は食器を出して並べたり、配膳の準備。

3人の息はピッタリと合い、作業は順調に進んでいた。


しかし、ここに思わぬ伏兵が。

時々、お寺の料理を手伝うCさん。

今まで料理番をしていたおばあちゃんの中では一番の若手で

70代前半の美人である。

この日は連絡の行き違いにより、本人は料理を手伝うつもりで

我々より早く来ていたのだった。


炊き込みごはんは10時に炊飯器のスイッチを入れよう…

我々は彼女のいる所で、そう話した。

やがて10時になると、彼女は言った。

「スイッチを入れますね」

けいちゃんの準備が周到だったので、あんまりやることが無く

手持ち無沙汰のCさんは時計を意識していたようだ。


「あ、もう10時?お願いします」

信じたうちらがバカだった。

炊き上がりを見計らってフタを開けたら、米が生煮え。

炊飯器は、保温のままだったのだ。


合間で確認したかったよ、そりゃ。

Cさんは自称料理好きだけど

今までに何度かご一緒して、詰めが甘いのは知っていたもの。

何でわかるかというと、野菜を切るのは早くても

ゴミ処理がずさんだから。

病院の厨房で働いていた頃にたくさん見たが

調理を一連の流れでとらえられない人は、時にひどい失敗をするものだ。


でも炊飯器は台所の奥まった場所にあり

その方角へ向かう行為は、炊飯器の確認に限定される。

スイッチを入れたCさんを信頼してないことになってしまうので

気になりながらも行けなかったのが敗因。


こういう時は騒いだらダメ。

Cさんが傷つく。

生煮えを発見したけいちゃんは、Cさんに聞こえないよう

ジェスチャーで私と交信。

このあたりでは生煮えの米のことを「ホチ」と呼ぶので

無言の交信は簡単だ。

手で炊飯器を指差し、口でホとチを表せば

炊飯が失敗したことは伝わる。


会場のセッティングのために、Cさんが席を外したのを見て

けいちゃんは大鍋を取り出し、コンロに置く。

私はガチガチに固まっている生煮えの塊を運んで、鍋に移す。

けいちゃんがその鍋に水を足し、グツグツ煮た。


病院時代は、途中で炊飯器が故障したり

うっかりして炊飯でなく保温のスイッチを押していたりで

時間が迫っているのに米が生煮えだったことが何度かあったが

こうして乗り越えたものだ。

いや、生煮えどころか、そもそも米の用意を忘れたことすらあった。

食事を出す時になって気がつき、病棟には炊飯器が故障したと虚偽の申告。

食事の時間が遅れると低血糖が懸念される糖尿患者だけには

残りごはんで提供しておいて、急いで米を研いで鍋で煮たこともある。

鍋で煮ると、早いのだ。


米を煮ているところへ戻ってきたCさん、心配そうにたずねる。

「あの…ちゃんと炊けてました?」

「ハイ!ありがとうございました。

けいちゃんの炊き込みごはんは、仕上げに鍋を使うんです」

「そうなんです、おほほ」

そう言って誤魔化して、炊き込み、いや、煮込みごはんは完成した。

《続く》
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盆日記

2020年08月17日 07時28分38秒 | みりこんぐらし
お盆休みが終わった。

今年は13日から16日までの4日間で、例年より短い。


短かろうが長かろうが家事労働に大差は無いので

どうでもいいようなものだが

我々夫婦が注目するのは義母ヨシコの動向。

3〜4軒のお中元の購入及び配布と、墓参りだ。

毎年、どんなに促してもギリギリまで動かず

13日か14日にいきなり言い出して、すぐ対応しなければ怒り狂う。


ギリギリまで動かないのは、世間が盆休みになって

町に人が出てくるのを待つからだ。

そしてお中元を買う店や墓参りの花を買う店で

誰かにバッタリ会える機会を狙う。

会ったら最後、お互いに暇なもんで

延々としゃべり倒すため、運転手の夫は待たされる。


お中元も、全部宅配にすればいいものを

近い所は持って行くと言ってきかない。

持って行ったら最後、そこでもまた延々。

夫は1日、あるいは2日に渡って拘束されるのが

昔からの習慣である。


今年の休みが例年より短いとなると、夫は貴重な盆休みを

彼女に振り回されて終わる可能性が出てくる。

私も常々、これでは夫が気の毒だと思っていたため

お盆を迎えるにあたり、計画を立てた。

今年は特に暑いという理由で

12日の夕方、お中元を買いに行って配り

13日の午前中に皆で墓参りに行くという

ごく簡単なものだ。


しかしヨシコ、気に入らない。

12日では早過ぎるという。

お盆は15日から始まるものだから

どうしても14日にお中元を配ると強く主張。

店で誰かに会うためには

全国共通のお盆の日取りまで変える勢いだ。

こういう時のヨシコは顔が歪み、目がイッているので

手がつけられない。


が、その対処も考えてある。

「買っておくだけ買って、配るのは別の日にしたら?

暑いから、みんな日が暮れたら

駆け込みでお中元の買い物に来るよ」

ヨシコはシブシブ、12日の夕方案を承諾。


そして当日は打ち合わせ通り、夫はヨシコを連れて買い物に行く。

そのまま有無を言わせず、その足でお中元を配るのだ。

こうしてお中元問題は、無事にクリア。

我々は晴れ晴れとした気持ちで、盆休みに突入した。



13日・木曜日

盆休み初日の今日は、墓参りだ。

午前中という目標だったが、朝寝坊のヨシコ

その朝はいつもよりさらに遅い10時半起床。

墓参りの日程を決められたことへの抵抗と思われる。

できれば早朝に済ませて、盆休み初日をゆっくり過ごしたかった夫は

「老害め…」とつぶやきながら、イライラして待っていた。


ヨシコが朝食と支度を済ませると、昼になった。

午後12時半、出発。

スーパーの花屋へ寄ると、混んではいたものの

クソ暑い真っ昼間に花を買っている命知らずの客は

ヨシコよりひと世代下のおばさんばかりで、顔見知りは皆無だった。

墓参りをして家に帰る。



14日・金曜日

夫の姉カンジワ・ルイーゼから、「差肉」の授与。

差肉とは年に一度、ルイーゼがくれる肉のプレゼントだ。

自分の母親には牛ロースの小さいパックを一つ

我々には硬くて不味い輸入牛の大きいパックを一つ

例年はヨシコの誕生日か敬老の日に、もったいぶって渡される。

ヨシコはありがたがって、我々にお礼の言葉を強要し

ヨシコだけがご満悦で一人焼肉

仏頂面の我々は野菜とウインナーを食べる行事だ。


この差肉、今年は初めてお盆に行われた。

そして今年はもう一つ、初めてのことが…。

ヨシコの牛ロースは例年通りだが、我々のは豚肉。

もはや牛肉ですらなくなった。

悔しい。



15日・土曜日

明日は同級生の友人ユリちゃんのお寺で

施餓鬼供養の会食を作るので、1日留守をする。

会食のほうは、一緒に行くけいちゃんが仕切ってくれるので

留守中の家族の食事を準備して過ごす。

会食では私も何か一品、作らないといけないらしい。

それで買い物に行こうと思ったが、あまりの暑さにその気は萎える。


買い物に出たくない一心で冷凍庫を探し、いつぞや息子が釣ってきたタコを発掘。

タコは内臓を出し、そのまま何もしないでビニール袋に入れて冷凍しておくと

何ヶ月、いや何年ももつ良い子だ。

このタコと、冷蔵庫にあるキュウリ、もらい物のミョウガ

庭に生えている大葉で、タコ酢を作ることに決定。

ほぼ自給自足の発案に、我ながら満足。


タコを茹でたり、ユリ寺の灼熱地獄に耐えるべく

タオルや着替えの他に経口補水液や塩あめをバッグに詰めて

明日の準備をした。

塩あめの他に塩分補給の錠剤も買っていたが

おいしくないので塩あめだけにする。


夕方、ヨシコが部屋でいきなり嘔吐。

熱中症だ。

「扇風機は身体の水分が蒸発するから、ずっと当たるのはいけない」

と何度も言ってきたが、嫁の言うことをきかないからだ。

吐いたのは、寝転んでテレビを見ていたからだ。


私も熱中症になりやすい…というか、一度なったら癖になって

なりやすいそうだ。

暑いとすぐ気分が悪くなって吐きそうになるが

たいてい立って働いているため、口まで上がってくるのに時間がかかる。

だからそれまでに手当てをすれば、おさまる。

それだけの違い。


高齢者なので救急車を呼ぼうかとも思ったが

口をゆすがせて経口補水液を飲ませ、アイスノンを後頭部と両脇の下へ置いて

塩あめを舐めさせたら落ち着いた。

「おかゆが食べたい」などと言い出したので呼ばなかった。



16日・日曜日

ヨシコの具合が悪ければ、ユリ寺行きは断ろうと思っていたが

朝、華麗に復活していたのでホッとした。

迎えに来たけいちゃん、マミちゃんと一緒に予定通りユリ寺へ行く。

腹が立つほど暑かったが、けいちゃんが家でほとんど作って来てくれたので

身体は楽だった。


ユリちゃんは我々に、駄菓子や昆布の佃煮のお土産を用意してくれていた。

その包みをそれぞれ自分のバッグの周辺に置いていたが

帰りに見ると、マミちゃんのが無くなっていた。

私のも中身が一つ消えていて、こじ開けられたお菓子の箱の残骸が

別の場所で発見された。


料理の配膳を手伝いに来た、ユリちゃんの伯母さんのしわざであることは

明白だった。

皆の荷物を置いた小部屋に入って、ずっとゴソゴソしていたし

来る時はバッグ一つ、帰りは大荷物だったからだ。

この数年、認知症が進んでいるのだ。


伯母さんが帰った後、お供えの缶詰なんかも無くなっていたので

ユリちゃんはかなりショックな様子だったが、私は大笑いした。

お互いのために今後は気をつけようと話し合って、解散した。
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施餓鬼供養(せがきくよう)

2020年08月14日 22時24分36秒 | みりこんぐらし
このお盆は、同級生ユリちゃんの実家のお寺で料理をする。

ついぞ月初めにも、お盆前の大掃除をする人たちの昼ごはんを作った。

エアコンも換気扇も無い灼熱の台所で一人、奮闘したあげく

死にそうになった悪夢も冷めやらぬうちに今度はお盆の行事だ。


しかし前回と違い、今度は同級生で結成する5人会の仲間がいるので

休憩を取りながらやれそう。

東京で娘と同居するはずが、娘が来なかったので

ひとまずこっちへ帰ったけいちゃんは

丸ひと月が経ち、自粛期間は十分ということで参加の運びとなった。

マミちゃんも参加するので、3人だ。


持病のあるモンちゃんには、知らせなかった。

定年後は嘱託で働いている彼女を

貴重な休みに労働させるのは酷だし

本人も飲み食いの時と違って楽しそうではない。

何より、灼熱の台所で命に別状があってはいけないからだ。



けいちゃんはさっそくメニューを考えていた。

「鶏の唐揚げ!

あとは味噌汁と、サラダか何か作ったら済むやろ」

ダメだ、こりゃ。

「鶏の唐揚げは夏祭りで毎年出しとったけん、飽きとるよ」

「だって私は一人やから、家で揚げ物なんかせぇへんやん。

たまには食べたいわ」

「あの台所は暑いけん、揚げ物はきついで」

「揚げ物せぇへんかったら、何してええかわからへんやないの」


あくまで自分の食べたい物にこだわるけいちゃんと

食べる人の失望を避けたい私の攻防は続く。

外食で美味しい物を食べ慣れているユリちゃん一族はもとより

高齢の檀家さんたちは鶏の唐揚げなんて喜びはしない。


主催者のユリちゃんの体面を考え、食べる人の気持ちを考え

けいちゃんのプライドを傷つけないよう考えて発言するのは

骨が折れる。

努力の甲斐あって、何とかトンカツまで持って行った。

トンカツも微妙だが、鶏の唐揚げよりは幾分マシだ。


以後は連絡を取ってないので、どうなったか知らない。

みりこんでは面倒くさいと踏んで、マミちゃんと連絡し合い

2人で頑張ってくれるんじゃないかと思う。



ところで、今回のお盆の行事だけど

ユリちゃんのお寺を始め、多くのお寺では

これを「施餓鬼供養」と呼ぶ。

この意味、私はガキというくらいだから

「お腹をすかせた子供の妖怪を慰めるお経の会」だと勝手に思っていたが

ちょうど新聞のコラムに施餓鬼供養の由来が載っていたので

読んでみたらどうも違うらしい。


由来は複数あり、創作という説もあるが、とりあえずメジャーなのは

お釈迦(しゃか)様の弟子だった目連(もくれん)さんの話。


人間離れした神通力を持つ目連さんは

ある日、亡くなったお母さんがどうしているかと思って

あの世を訪ねてみた。

すると、安らかに過ごしていると思っていたお母さんは

「餓鬼道(がきどう)」という劣悪環境に滞在していて

瘦せおとろえ、苦しんでいた。

餓鬼道は、食べ物や水に近づくと片っ端から燃えてしまい

何も食べられない地獄のことである。


大切なお母さんが苦しむのを見て、目連さんは大ショック。

師匠のお釈迦様に相談した。

すると釈迦の言うことにゃ

「お前の母の罪はとても重い。

生前は人に施さず、自分勝手だったので餓鬼道に落ちた」

と衝撃のお答えが。


なんでも以前、目連さんが僧として修行をしていた頃

数人の修行仲間と托鉢(たくはつ)の旅をしたことがあった。

托鉢とは、家々を回って食べ物の施しを受ける修行だ。


ある時、目連さんは自分の実家で托鉢をした。

母親は喜んで、目連さんにたくさんの食べ物を施した。

けれども一緒に並ぶ他の僧には、何もあげなかった。

釈迦は、それがいけなかったと言う。


そして釈迦は、解決法も教えてくれた。

「多くの僧が九十日間の雨季の修行を終える7月15日に

ご馳走を用意して経を読み、心から供養しなさい」

目連さんがその通りにすると、母親は餓鬼の苦しみから救われたという。


我が子可愛いさで他者への配慮をしなかったために

餓鬼道へ落ちた親を救うことから始まった施餓鬼供養。

以後は何らかの理由で餓鬼道行きを余儀なくされた亡者に

救いの手を差し伸べる法要となり

新暦の8月15日前後に行うようになったそうだ。


親なら誰でも我が子が可愛い。

我が子だけに食べ物を与えて他人には惜しむだけでなく

我が子を優遇してくれなかった人に腹を立てたり、憎んだりして

知らず知らずのうちに餓鬼道行きの候補になっていることが

絶対に無いとは言いきれない…気をつけたいものだ…

そんなことを考えて、反省。


しかし、ここで私には疑問が生じる。

あからさまな分け隔てをして餓鬼道に落ちた母親は確かに愚かだが

自分だけがたくさんの施しを受けるのを当たり前だと思って

違和感を感じなかった目連さんにも責任があるのではないのか。


托鉢の旅ができるくらいだから、小さい子供ではなかろうに

「僕だけでなく、みんなにもあげて」

と母親に言えなかったのか。

たとえ托鉢中はしゃべっちゃいけない決まりがあったとしても

母親の行いを恥ずかしいとは思わなかったのか。

仲間に対して何とも思わなかったのか。

後で皆に分けようとは思わなかったのか。

空気、読めんのか。


ということで私の中では目連さん、空気読めんマザコン男認定。

ついでに、この世とあの世を自由に往来できるほどのすごい神通力と

空気読めん鈍感ぶりに整合性が無いため、私の中でこの話は創作認定。

あ〜あ。
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ニューフェイス

2020年08月13日 15時41分52秒 | シリーズ・現場はいま…
今年もお盆がやってきた。

以前は東京から毎年、義父の弟が泊まりに来ていた。

彼の子供たちが小さい頃は一家で

子供たちが巣立った後は夫婦で、半月ほど逗留する。

菓子折り一つでホテル代わりさ。

弟の前で、いつもより一層威張り散らす義父と

兄に倣って人をアゴで使う叔父のために

義母と私は山海の珍味を用意して

のごとく仕えるのがお盆の風物詩だった。


義父が寝付いて以降はあまり来なくなり、ホッとした。

が、合間で義父の見舞いや親族の葬式に訪れては

やはりうちへ泊まった。

若くして東京へ行った叔父の故郷を思う心は強いが

心臓にペースメーカーを入れているため

身障者ということで、新幹線の料金が割安なのも

フットワークが軽い理由。


義父が亡くなった時も、泊まった。

茶碗一つ洗わず、布団一つ敷かない彼らを飲ませ、食べさせながら

私は通夜葬儀を仕切った。


それからしばらく来ないうちに、彼は80才を超えた。

年を取るにつれて郷愁が強くなるようで

「帰る、帰る」と電話をしてくるが、コロナを理由に義母が断っている。

「俺たちは大丈夫だよ」

根拠も無く叔父は言うが、こっちが大丈夫じゃないわい。

こんなのがいるから、ウイルスが拡がるのだ。

義父と同じく大きな声の叔父が

東京弁でしゃべったら周辺に丸聞こえだ。

近所付き合いに支障が出る。


コロナは日本に大変な厄災をもたらし

様々な習慣を見直すことになったが

まさか帰省の習慣にまで影響するとは思わなかった。

身内に会えなくて残念な人が多いだろうが

一方で配偶者の実家へ帰省するのがつらい人や

当たり前のように押しかける帰省家族を迎えるのが苦になる人には

安堵の夏になったかもしれない…

などと考える今日この頃、会社では楽しみな事態が起きている。

盆明けから、新人が入社するのだ。


この人事は、我が社に巣食う本社の回し者

昼あんどんの藤村が独断で決めた。

独断でいいのよ。

63才になった夫は、定年退職を数年後に控えた窓際年金エイジ。

そのため、幾つかの権限が夫から藤村へと移行したが

そのうちの一つが人事権。


夫は給料がそのままで、責任から逃れられたことを喜んでいる。

長年やってきた者ならわかるだろうが

人を入れたり辞められたり、なんてのは一番消耗するのだ。

信用しても裏切られ、親身になっても良くは言われない。


一方の藤村は、権力を手にして大喜び。

彼も50代半ばなので、手にしたものは近い将来

別の誰かに移ることになるだろうが

本人は偉くなった気がして嬉しいらしい。


折しもささやかな業務拡張が予定されていて

本社からは、運転手を2〜3人見つけて入れろという指示が

ずいぶん前から出されていた。

夫は面倒くさがって無視していたが、藤村は人事権を手にした喜びを胸に

さっそく一人、見つけてきた。

よその会社でダンプの運転手をしている、48才の女性だ。

今度、その会社と取引をすることになっていて

藤村はその話で出入りするうちに親しくなり、誘ったらしい。


運送業と違って、うちらの業界では

女性運転手を雇うことに抵抗のある会社が少なくない。

トイレの問題があるので仕事を選ぶ必要があるし

アクシデントへの対応が女性では困難なケースが多く

結局は男性がフォローすることになるからだ。

それでも女性を雇うのは、上記のハンデによって人件費が安いからであり

それでも女性が運転手になるのは、これといった資格を持たない女性が

手取り20万円以上の給料を手にするには

田舎じゃ運転手しか無いからである。


このあたりの同業者の間には

女性運転手を雇う所は経営が悪化するというジンクスめいた話もあるが

女性差別ではなく理論的にうなづける。

すでに経営が悪化しかけた会社の経営者が

人件費節約のために女性を雇い、仕事を選んで優遇すると

男性の仕事がハードになり、不満をつのらせて辞める…

これを繰り返して、気がついたら仕事が無くなっていたということだろう。


実際に今度入る女性の会社も、倒産しては経営者と社名が代わり

今は三つ目の社名を名乗っている。

ついでに言えば、義父の会社も女性運転手を入れたことがある。

最初は夫の愛人、数年後に別の人がしばらく来ていたが

結局会社は滅亡した。


ちなみに経営をしながら運転手として現場に出ている同業の女性なら

2人知っている。

どちらも見た目は普通の可愛らしい人だが

ハートは男より男らしく、メカに詳しくて人望のある稀有な人物である。



さて、入社する彼女はバツイチで、孫が数人いると聞いたので

私の中では元ヤン確定。

ついでに藤村の浮かれようから、ヤツのタイプであることも確定。

四度目だか五度目だかの結婚を夢見ていたフィリピン人ホステス

テレサとは、コロナが原因なのか、愛が消えたのかは不明だが

終わったと思われる。


そのうち、本人の名前が判明。

昔、取引のあった個人の土建会社の姪で、夫はよく知っていた。

私も10年ほど前、コンビニで勤務中の彼女に会った際

夫から紹介されたことがある。

明るくて綺麗な子で、その時も元ヤン確定したものだ。


彼女が乗るダンプは注文済みだが、自家用車と違って

こういった乗り物は仕上がるまで日数がかかるため

納車は9月になるという。

それまで藤村は新人教育の一環として、彼女と一緒に本社を始め

グループ会社全てに挨拶回りをすると張り切っている。


これはどう考えてもおかしい。

新人が彼女じゃなくて、お爺さんか何かでも同じことをするだろうか。

すれば立派なものだが、絶対しないと思う。

盆明けから半月もドライブに明け暮れる2人に、給料を出すのもおかしい。

おかしいが、放っておくに限る。

早い段階で本社から大目玉をくらうのは、火を見るよりも明らかだ。



ところでバツイチの元ヤンといえば、夫の好物でもある。

会社に自分の愛人を入れて運転手をさせた過去もあるし

心配じゃないのかって?

いや、全く。


これがザンネンさんだったら積極性を見せるかもしれないが

夫は美人が苦手である。

美人は、自分の値打ちを知っているので

安い一膳飯をおごろうとしても付いて来ない。

美人は、よその男に相談しなければならないような悩みが無いので

相談に乗る作戦もダメ。

夫が長年かけて培ってきたスキルは

まずザンネンありきでなければ作動しないのだ。


それでも…私は淡い期待を持たずにはいられない。

夫は、人のお古が好きだ。

藤村のお古でもかまわないのであれば

そしてあちらさんがOKであれば、浮気と言わず結婚をお勧めしたい。

私は出て行くから、家とおばあちゃんをあげよう。

慰謝料はいらないから、手続きをして夫の年金を半分もらう。

この条件でいかがだろうか。

彼らのことは知らないが、私は薔薇色…などと妄想。


冗談はさておき、美人が来ると会社が華やかになりそうだ。

盆明けを楽しみにしている。
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手抜き料理・灼熱編・2

2020年08月06日 10時47分46秒 | 手抜き料理
この暑さの中、エアコンの無い台所で料理を作るには

相当の覚悟と知恵が必要だ。

メニューを考え、秘策を練りながら当日を迎えた私だった。


その秘策とは…

何のことはない、買って済む物は買い

あとは、でき得る限りの煮炊きを自宅で済ませる手段。

つまり現地では、なるべく火を使わないという単純なものだ。


それから、案外熱がこもるのが炊飯。

事前にユリちゃんに頼み、早い時間に1升の米を研いで

炊飯のスイッチを入れてもらい、私がお寺に着く午前9時には

とっくに炊き終わっているよう企てた。


それでは私の秘策をお話しさせていただこう。

『いなり寿司』

暑い目に遭いたくない時は、これに限る。


★味付きのいなり揚げを買う。

具はタクアンと大葉のみじん切りと黒ゴマ

人参とゴボウを甘辛く煮詰めたものと白ゴマの2種類。

人参とゴボウは家で煮詰め、ゴマは炒って持参する。

ごはんに寿司酢を混ぜ、具を投入して混ぜ合わせたら

ひたすらいなり揚げに詰めるだけ。


タクアン入りの方だけでもよかったが

大葉の嫌いな人がいると聞いていたので

人参とゴボウの古典的な物も作った。



『鯛そうめん』



愛媛県の郷土料理らしいが

こちら広島でも祝い事の料理として広く知られている。

が、実際に食べたことのある人はあまりいないという

不思議な料理。

私も公式に食べたのは、35年ほど前に出席した友人の結婚式の

一度きりである。

今どきは鯛を買う予算があれば肉を出した方が喜ばれるため

廃れたと推測する。


しかしこの鯛そうめん、単なる釣った鯛の処分方法ではない。

麺つゆで食べたら信じられない美味となるため、あなどれない一品。

尾頭付きでなく、切り身でも十分楽しめる。


★家で鯛を塩焼きにし、錦糸卵を作って持って行く。

現地ではたっぷりの酒に砂糖、醤油をテキトーに入れ

薄味でサッと煮て冷ます。

この時、鯛の煮汁を捨てずに

市販の麺つゆと混ぜておくのが最大のコツ。

そしてそうめんを茹でて、大皿全体に一口ずつ盛る。

火を使うのは嫌だけど、そうめんは茹でないと作れないので我慢。

その上に煮た鯛を横たえ、飾りとして

錦糸卵、ミョウガ、大葉の千切りを散らし、煮汁を混ぜた麺つゆで食す。



『鯛の塩焼き』

★鯛そうめんのために焼いた鯛のうち、一番大きいのを一匹

大皿に横たえて、いかにも別あつらえを装う。



『皿うどん』

鯛そうめんの写真の左上にチラッと写っているが

ご存知、長崎名物皿うどん。

うどんとは言いながら、麺は髪の毛のように細く、パリパリの食感だ。


鯛そうめんに皿うどんだと、麺がダブるので

バカじゃなかろうかと思うかもしれない。

が、家庭料理としては珍しいのと、具を乗せたら彩りが華やかになり

野菜を食べた満足感も満たされる魅力的な食品が

他に思いつかなかったので、迷ったあげく採用。

しかし最大の長所は

ひと袋に2人前の乾麺と粉末スープが入って88円也の安さに加え

麺を袋から出して、そのまま盛ればいい手軽さにより

少なくとも麺の加熱が回避できるところである。


★まず、市販の皿うどんを買う。

家でチンゲン菜を縦に4等分して茹で

水で戻したキクラゲ、キャベツ、人参、ピーマン、カマボコを

テキトーに切って持って行く。

現地で皿うどんの麺を皿に乗せ、豚バラの薄切り、シーフードミックス

キクラゲ、キャベツ、ピーマン、カマボコを炒める。

火を使いたくないのは山々だが、やはりこれはどうしようもない。

添付の粉末スープを水に溶かして味とトロミを付けたら

皿うどんの上からかける。

仕上げに缶詰めのうずら卵を置き

皿の隅っこに茹でたチンゲン菜を1〜2本横たえればできあがり。



『鶏の味噌焼き』

これは以前、手抜き料理のカテゴリでご紹介したことがある。

家で全部作って持ち込むことができ

タッパーに入れて運搬しても型くずれしにくく

時間が経っても味が変わらないのが採用の理由だ。


★鶏のもも肉に塩コショウをふり

皮を下にして魚焼きグリルで素焼きにする。

それからミリンと砂糖で甘くした味噌を塗って、また焼き

最後に小口切りのネギをどっさり乗せて、さらに焼き

焦げ目がついたら、グリルから出してできあがり。

現地でテキトーに切り、テキトーに盛る。



『クラゲとキュウリの中華風和え物』

中華料理の箸休めによく出る、酢とごま油と赤唐辛子の味。

私はキュウリにはこだわりがあり

細めで、切ったら中も淡いグリーンの物を好む。

このタイプは青臭くなく、歯ごたえもパリパリと爽快なので

同じキュウリでも、料理が垢抜けるのだ。


★市販の冷凍味付き中華クラゲを買う。

現地でキュウリを太めの千切りにし、塩でしんなりさせたら

洗って水気をしぼり、中華クラゲと混ぜたらできあがり。




さて当日は、とにかくお寺で火を使いたくない一心で

私は早朝から準備に余念がなかった。

とはいえ作業自体は息子の弁当作りや

家族の朝食作りの片手間にできる、たやすいものだ。

焼いた4匹の鯛を無傷で運ぶため

ダンボール箱を探すのが一番難航した。


出かける時には、灼熱を心配した義母ヨシコが

ヒンヤリするタオルを貸してくれた。

水に濡らして振ると、冷たくなって涼しいタオル。

元は私のだったが、ヨシコが欲しがったので、あげたやつだ。


荷物と着替えを車に積み、ヒンヤリタオルを首に巻いて

さあ出発よ!

飲み物はお寺の冷蔵庫に山ほど入っているので

脱水症状になる心配は無い。

私は意気揚々と現地へ乗り込んだ。


そして汗だくになって、昼ごはんを作る。

なるべく火を使わないように、と言ったって

台所そのものが暑いんだから、どうしようもないが

全力で作った料理は、どれも喜んでもらえた。

大いに気を良くしながら、皆さんと会食した私だが

暑い台所で蒸し焼きになったからか、食欲は湧かなかった。


食後は檀家さんの手土産用に、残った料理をパック詰め。

それが終わったら、ユリちゃん夫婦と兄嫁さん一家の晩ごはんを作る。

相変わらずユリちゃんは人使いが荒い。

風の通る本堂で少し休憩したかったが

グズグズしていたら、台所に西陽が射し始める。

すると灼熱地獄はさらに熱を帯び、私は容赦なくあぶられるのだ。

仏のお膝元、お寺で地獄を見る、この皮肉。


暑くて、早く帰りたくて、もう火を使う使わないの段階じゃねぇわ!

とにかく手早く作れるもの、ということでオムライス。

ババッとオムライスを5つ作り、急いで車に乗った。

だって車には、夢にまで見たエアコンがあるじゃないか。

おお!この冷気、懐かしいぞ!

灼熱地獄から生還できた喜びに浸る私だった。


が…

あと少しで我が家に着くという時、足がつる。

え〜?マジか…

と思っていたら、今度は手がつる。

ハンドルを握っているはずの左手の人差し指が

あらぬ方向を指さしてるじゃあないの。

ギャ〜?何じゃ!これ!

手がつるのは初めてじゃ…

私ってば、危ないのかも…。


やっとの思いでガレージにたどりつき

つった手足でロボットのように家に入る。

経口補水液OS-1をグビグビ飲んだらおさまったので、ホッとした。


お寺では水分補給に気をつけたし

ヒンヤリタオルもいい仕事をしたはずだ。

が、私は肝心な物質を忘れていたように思う。

それは塩分。

大量に汗をかき続けて、塩分が不足したようだ。

火を使わないための策を練るばかりで、自分の身体のことを忘れていた。

こういうのを策に溺れると言うんじゃないのか。


溶鉱炉で働く人は、塩を舐めながら仕事をするという。

あの台所も似たようなものだから

次はOS-1と塩飴を持って行こうと思う。

《完》
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手抜き料理・灼熱編

2020年08月05日 08時45分52秒 | 手抜き料理
先日、同級生の友人ユリちゃんの実家のお寺へ

また料理を作りに行った。

近頃の私は、ユリ寺の料理番と化しているような気がする。

料理が得意だの、うまいだのという部類ではないが

嫌いじゃない、苦にならないの部類には属していると思うので

やぶさかではない。


この日、お寺では「お磨(みが)き」が行われる。

お盆の前に檀家さんが本堂を掃除し

本尊の周りにぶら下がっているキンキラキンの装飾を磨き上げるのだ。

その人たちの昼ご飯を用意するのが、私の役目である。


お磨きは正式な行事ではないのでお経は無く、カジュアルな集まり。

だから食事もカジュアルでいいようなもんだけど、私は張り切っていた。

なぜならユリちゃんの身内も含め、総勢10人余りと少なめ。

暑いので、参加者が少ないのだ。

作る側にしたら、これくらいの人数が一番やりやすい。


「5人会のメンバーも呼ぶ?」

ユリちゃんは気を使って私にたずねた。

5人会とは、同級生で結成している仲良しグループのことである。


が、私にたずねるということは、本当は一人でやって欲しいのだ。

それはメンバーの中で、私を一番頼りしているからではない。

今回のように参加者が少ないプラスアルファの集まりにまで

仲良しメンバー全員をいちいち呼んでいたら、飽きられる。

飽きられると、本当に人手が必要な行事の時

理由をつけて逃げられる懸念があるからだ。

そのため小さな集まりには、放っておいても来る私を活用し

ここぞという時にフルメンバーを使って強弱をつけたいのだった。


その気持ちはわかるので、私は言った。

「お願い!一人希望!単独プリーズ!」

10人程度なら一人でできるし、一人の方が気楽だ。

そりゃ忙しいけど、自由にメニューを決めて、好きに動けるメリットは大きい。


他のメンバーと働くのが、嫌なわけではない。

それはそれで楽しい。

しかし、たかが10人ちょっとの会食にメンバー全員が加わると

作る量が増えるじゃないか。

台所も狭くなって動きにくくなり、それなりに気も使うため

かえって疲れるのだ。


しかも、うちの冷凍庫には長男の釣ってきた

ちょうどいいサイズの鯛が4匹、出番を待っている。

単独での調理を強く希望したのは

他のメンバーの魔手から鯛を守る目的もあった。

以前、ユリちゃんの嫁ぎ先のお寺で会食を作った時の

苦い経験があるからだ。


当時、私は長男が釣ったアコウ(別名キジハタ)と

ヤズ(ブリの少年時代の呼び名)を持って行き、夕食で出すことにした。

魚を夕食にしたのは、昼だと数が足りないからである。


メンバーの一人、旅館の娘モンちゃんは魚好きで詳しいが

緑内障で日が暮れると視力が落ちるため、夕方以降は戦力外。

あとのメンバーは魚が嫌いなので、あまり料理を知らない。

その日、マミちゃんはアコウを煮ると言い出して

水を張った鍋にザブンと魚を沈めた。

ひ〜!

私は心で叫ぶ。

カドが立つので、声には出さない。


それとなく誘導して私が煮させてもらったが

今度はけいちゃんがショウガのスライスを入れようとする。

「煮魚はくさいからやぁ!」

アコウはくさみが無いから

シンプルに酒と醤油で煮るのだと言ってもきかない。

3月まで病院の調理師だったけいちゃんは

鯛より珍重される高級魚のアコウを

病院食で出す冷凍赤魚や冷凍メルルーサと同じに扱おうとする。

押し問答の末に私が折れ、ショウガは投入された。


そして青魚のヤズは、知らないうちに

けいちゃんの手で竜田揚げになっていた。

病院食で出すサバの竜田揚げのヤズバージョンである。

「ヤズはくさいからやぁ!」


チャラリ〜…照り焼きで和風にしたかった私は残念に思った。

息子たちが釣り好きのため、人様より少しばかり魚に慣れた私には

ニンニクや生姜で味付けした竜田揚げでは

もったいないような気がしてしまうのだ。


今回の鯛も、行く末があやぶまれた。

くさい、くさいと蔑まれながら切り刻まれ

煮込みや生姜煮にされたり、揚げ物にされたら気の毒だ。

よって私は、一人の道?を選んだのである。


さて、鯛のために単独調理を選択した私だが

このお寺で料理を作るには、もう一つの難関が待ち構えている。

前にもお話ししたが、ここの台所はエアコンも換気扇も無く

壁に取り付けた小ぶりな扇風機が1台だけ。

夏に煮炊きをしたら、灼熱地獄は必至だ。


考え無しにあれこれ作ったあげく

熱中症でお陀仏になったら目も当てられん。

だからといって冷奴にキュウリ生酢なんてショボいモンでは

働く人に申し訳ない。

地味できつい作業に汗を流す、わずかな人々にこそ

喜んでもらいたいじゃないか。

私は加熱が最小限にとどめられ

かといってチープでない料理を考え続けるのだった。


そして数日後、メニューは決まった。

いなり寿司、鯛そうめん、鯛の塩焼き、皿うどん、鶏の味噌焼き

クラゲとキュウリの中華風和え物。

今のところ思いつくこれらが

灼熱地獄を回避しつつ、食べる人の笑顔を引き出せる究極のメニューだ…

多分。

《続く》
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近時事

2020年08月02日 10時13分16秒 | みりこんばばの時事
時事といったって、コロナばっかりで食指が動かん。

強いて挙げればコロナ鬱、コロナ解雇なんかの新語が登場して

最近じゃコロナ不倫なんてのも出てきたことかしらん。



あ〜あ、老けたお雛様みたいに並べられちゃって。

故・橋本龍太郎総理大臣の息子の衆院議員

橋本岳・厚生労働副大臣(46)と

参院議員、自見英子(はなこ)政務官(44)。

自見氏の住む議員宿舎に長時間滞在するなど

「不倫関係」にあることを週刊文春が報道して

政府の偉い人に叱られた話。

関係者のリークね。


自見さんは独身だけど、橋本さんには奥さんと4人の子供がいるんですと。

気持ちはわかるわ。

家に帰ればワイワイガヤガヤ…

気が休まらなくて、外に安らぎを求めたくなることって、あると思う。

だけどそれを実行するかしないかは、本人次第なのよね。


マスコミは政府与党の要人

しかもコロナ担当の厚労副大臣と政務官が

コロナ真っ盛りに浮かれていたことを問題にしたがっているけど

私ら庶民は受け止め方が違う。

お世辞にもイケメンとは言い難いおじさんと

お世辞にも美女とは言い辛いおばさんが

ナンカしようがしまいが、どうでもいいわ。


「どうせなら、見つからないようにやれ!」

皆さん、そう思われるでしょうけど

美から遠い者ほど、人目につきやすい行動を取るのは決定事項よ。

経験が少ないので、気をつけるポイントがわからなくて無防備。

にもかかわらず、若い頃にやってみたかったデートの王道ってのを

このさい実行してしまうから悪目立ちするんだわ。


不倫とくればうちの夫だけど、彼は天然無防備。

なぜって夫には、失うものが何も無いんだもの。

自営業の二代目で、会社のお飾り専務。

元々、仕事らしい仕事をしていたわけじゃないから

彼がいなくても誰も困らない。

だから失ったら困るものって、これといって見当たらないのよ。


え?少なくとも家族を失う?

大丈夫。

妻子を一掃して、愛人と新しい家庭を作るのは

彼の夢だったもの。

失うことができたら、これほど好都合なことは無いじゃん。


だけど、生きたまま失うと慰謝料がいる。

彼と愛人の願いは、私の死よ。

死んでくれたら、これほどの好都合は無いわい。

わたしゃ、その好都合がシャクで

とにかく生きたし、意地で居座ったんだけどね。


そういうことだから、注意を払う必要が無い。

浮気する男の頭の中なんて、そんなもんよ。

このスタンスで生きてきたもんで

最終的には親の会社そのものが無くなっちゃったわ。

ハハハ。


紀元前の大昔、息子の学校の先生とねんごろになった時は

PTAの役員会で一つの椅子に二人で座って

先生を膝に乗っけてたんですって。

これでまず、みんなに知れ渡っちゃったのよ。

人前で乗っける方も乗っける方なら、乗る方も乗る方だわよ。

割れ鍋にとじ蓋ね。

笑っちゃうわ。


うちの夫と違って、地位とか、高い給料とか、票とか、信用とか

失うものがたくさんある人は気をつけないとね。

でも叱られたくらいじゃ、変わらないと思うわよ。

ますます燃えるんじゃない?

厄介なのよ〜、こういうことってね。

くわばら、くわばら。








1939年の映画「風と共に去りぬ」で

ヒロインの義妹メラニー役を演じたオリヴィア・デ・ハヴィランドさんが

7月26日、104才で亡くなったニュースにはビックリしたわ。

「風と共に去りぬ」の出演者が、まだ生きていたことに驚いたのよ。

ヒロインのスカーレットを演じたヴィヴィアン・リーも

相手役のレット・バトラーを演じたクラーク・ゲーブルも

50代でとっくの昔に亡くなってるんだもの。




「風と共に去りぬ」、大好きな映画なのよ。

ほら、私、ゼニのかかった作品が好きじゃん。


作品との出会いは中学1年の時に読んだ本。

マーガレット・ミッチェルの原作が、うちの本棚にあったのよ。

百科事典みたいに分厚くて大きい本が上巻、下巻と2冊。


で、ある日、手に取って読んでみたらハマっちゃった。

食べ物の話がけっこう出てくるからよ。

導入部分で、園遊会に出かけるスカーレットに

黒人メイドのマミーが軽食を食べさせるの。

ハムの浮いたスープ。

お出かけ先でムシャムシャ食べて、大食いと言われないように

家で軽く食事をして行くのが淑女のマナーだったのね。


スカーレットはハムが好きと書いてあって

私もハムが好きだったもんで、そこからすっかりトリコ。

南北戦争と奴隷制度を背景に繰り広げられる

華やかで波乱万丈のストーリーは、ついでみたいなもんよ。


ヒロインのスカーレットは傲慢で、ワガママ。

私、心がけの良くない女の子の話は初めてだったので驚いたわ。

とはいえ、美人で大金持ちの娘という部分を除いて

性格が自分と似ていると思ったのは確か。


この性格でありながら、美人でも裕福でもないとなれば

取るとこ無いのはともかく

よく考えたら大人の小説を読んだのは、これが最初だったのよね。

それまでは、逆境でも明るく優しい女の子がヒロインの

少女小説しか読んだことがなかったんだわ。


で、高校1年の時にテレビで映画が放映されたの。

スカーレットの吹き替えは、女優の栗原小巻さんだったわ。

長いので二週に渡ったけど、かじりついて見ましたとも。


先に本から入って、映画を見た場合

自分が本の中で思い描いていた登場人物と

出演者のイメージが違っててガッカリ…

なんてことがよくあるけど、この作品はドンピシャ。

根性の良くない絶世の美女、スカーレット

ダンディで洗練されたおじ様、レット

スカーレットが恋する優柔不断のやさ男、アシュレー

スカーレットの世話を焼くメイドのマミー…

みんな想像していた通りで、わたしゃ大興奮したものよ。


で、このたび104才の長寿を全うなさったのが

スカーレットが最初に結婚した男の妹で

後にアシュレーの妻になった、メラニー役のオリヴィアさん。

メラニーは美人ではないけど、心美しく常識をわきまえた賢女で

つまりヒロインのスカーレットとは真逆の人物。

メラニーの額はハート型だという描写が原作にあって

実写でもホンマにハート型だったから感動したわ。


映画の中で印象深いシーンは、スカーレットが畑で大根かじるところ。

戦火を逃れるため、アシュレーの子供を出産したばかりのメラニーを連れて

長旅のあげく実家にたどり着いたスカーレットは、荒れ果てた家に呆然とするの。


実家に帰ったら何とかなると思って帰ったんだけど

頼りの母親は死んでて、父親はボケてて

食べる物すら無くて、畑にあった干からびた大根をかじるのよ。

で、吐く。

それから立ち上がって腕を振り上げ、神様に誓う。

「この先一生、家族の誰も飢えさせません!

二度と飢えに泣きません!」


そこからお嬢様だったスカーレットの

時に正しいとは言えない快進撃が始まるんだけど

あの心境は義父の会社を閉じた時、身に覚えがあるのよ。

大根かじったり、飢えに泣いたわけではないけど

どんなことをしてでも、絶対に家族の誰も路頭に迷わせるものかという

堅い決意がいつも胸にあったわ。

この映画を初めて見た15才の頃には

「ひゃ〜、大変そうだなあ」と思っただけで

まさか自分がこの誓いを立てる日がくるなんて、夢にも思わなかったわよ。


家族を路頭に迷わせないとは誓ったけども

その家族の中には私をいじめてきた人もいるわけで

普段はそういう人はどうでもいいんだけど

非常時に、そんな選別できゃしないのよ。

スカーレットも、大好きなアシュレーの妻になったメラニーを

ずっと憎たらしいと思ってたけど、飢えさせないと誓った家族の中に

ちゃんとメラニーも入ってる。

そこが泣けるわ。


ともあれ緊張感のあるストーリーの中

穏やかなメラニーが出てくるとホッとしたものよ。

ご冥福をお祈りいたします。
コメント (6)
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