殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

裏夜叉(うらやしゃ)

2013年01月16日 16時33分36秒 | 前向き論

「人は誰でも、心の中に龍を飼っています。
 
 龍は一人ひとりの心の中にいます。

 私たちは“人格”という名の龍を持っています」

昨年来日したブータン国王は、日本の子供たちにおっしゃった。

「龍は、私たちの心の中にいて“経験”を食べて成長します。

 だから私たちは日増しに強くなるのです。
 
 そして龍をコントロールして生きることが大切です。

 どうか自分の龍を大きく素晴らしく育てていってください」


ニュースでそれを耳にした多くの人と同じく、私も感動した。

心の奥底で、始終荒ぶりっぱなし、のたうち回りっぱなしの龍を

長年持て余した経験のある身ゆえ、感慨ひとしおである。

私のは、制御不能の肥大した龍であった。

育成、失敗。


さて、ブータンでは国旗にも使われる馴染み深い龍であるが、ここは日本。

「人は誰でも、心の中に夜叉を飼っています」

と申し上げよう。


とはいえ、夜叉ってインドのおかたらしい。

顔が恐く、性格がどう猛で劣悪な鬼…

だったらストレートに鬼でもいいんだけど

夜叉は最終的に良い子になって、仏のガードマンになったらしいので

それをせめてもの救いと受け取り、夜叉という表現でお話ししたいと思う。


夜叉…それは誰の心の中にも住んでいる。

太陽と月があるように、この世とあの世があるように、前と後ろ、裏と表…

ものごとのすべてには、陰と陽が存在する。

人の心にも、仏心と夜叉心の両方があるのだ。


夜叉は普段、心の奥の小さな部屋にいる。

明るい笑顔や笑い声が苦手なので、じっとしている。

通常、部屋には鍵がかかっており

部屋を開ける鍵は、大家である人間が持っている。

一生開けずにすむ人は、滅多にいない。

どんな鍵かというと、それは嫉妬である。


亭主の浮気を知って、嫉妬しない妻はいない。

さほど有り余ってもいない稼ぎと愛情を

みすみすよそへ分け与えるのを歓迎する妻がいようか。

本人が望んだことではないにせよ、そこで夜叉部屋の扉はギ~と開かれる。


「お呼びですかぁ?」

好物の恨みや憎しみテンコ盛りで、夜叉君、大ハッスル。

どんどん大きくなり、大家である妻を支配するようになる。

支配された大家、鬼の形相で亭主を責め立て、泣きわめき

亭主の非を人に言いまくる。


風邪をひいたら、喉が痛くなって熱が出る。

しつこい咳や鼻水にも悩まされる。

全快するには、一通りの段階を通過しなければならない。

腹が立ったら、鬼でも夜叉でもなればいいのだ。

これが“夜叉期”である。

肝心なのは、そこからだ。


やがて怒るのにもくたびれ、そろそろ夜叉君にお引き取り願いたくなってくる。

だが、ひとたび部屋から出た夜叉君、おいしいものがたくさんあるので

お部屋に帰りたくない。


その頃には、妻を取り巻く周囲が騒がしくなっている。

思いつく限りの人に話を聞いてもらったあげく、うざがられたり

話が自分の望まない離婚の方向へ向いてしまったからだ。

人にあんまり言うな、言うなと私が言うのは、このためである。

期待に応えて離婚…ではなく、プレッシャーに押されず

自分のペースで人生を決めたほうがいいからだ。


最初は興味から親身に話を聞いてくれた人々も、やがて

「そんなに悪い旦那なら、別れたら?」

としか言いようが無くなるのは当然であるが

ここで妻は、突き放されたような気持ちになる。

怒りが先に立ってあまり考えなかったが、本当は取り戻したいのだ。


その時点では、なぜ取り戻したいかがはっきりしていない。

愛しているからなのか、奪われて捨てられる

負け犬の身の上になるのが嫌なのか…である。

ほとんどは後者であるが、妻はそれを認めたくない。

そこに何とか、愛を見出そうと躍起になる。

そうすればするほど亭主はのさばって、悪行を繰り返す。


そこでモヤモヤ、モンモンとするうち、亭主のことが

二度と得難い特別な男に思えてきて、恋い焦がれる。

エルメスのバーキンみたいに、入手困難なプレミア品として値がつり上がるのだ。

戻ってくれさえすれば、何もかも元通りになる!と

根拠無く思い込むのも、この時期の特徴である。

元通りには、なりませんから。


モヤモヤ、モンモンもつらいので、また誰かに話を聞いてもらいたい。

しかし傷ついた心で、別れろ切れろと言われるのは厳しい。

かといって、毎度毎度の堂々巡りも気が引ける。

何か進歩を見せたくて、愛しているから頑張ります…明るく待ちます…

などと、つい前向きな発言をしてしまうのは、無理もない。


けれども、心には嫉妬の炎がまだメラメラしている。

前向きな美しいことを言うたびに、メラメラは強くなっていく。

言うことと本心に、ギャップが生じてくるのだ。


この頃には夜叉君、長期滞在を決め込んで、あまり表に出てこなくなる。

裏に、もっとおいしい食品を見つけたのだ。

恨みや憎しみなんていう感情の二次製品ではなく、人格、魂そのものである。

それをゲットしようと、貯蔵庫のドアを嫉妬の炎であぶり始めたのだ。

裏夜叉期の始まりである。


口と腹との差が開いてしまうと、苦しくなって

言ったハシから落ち込むようになる。

なぜ苦しいか…自分の良心に嘘をついているという感覚があるからだ。

人には正道に戻ろうとする大切な本能があるのだ。

裏夜叉の浸食を阻止する最強アイテムである。

これを失う時、人格は破滅する。

これで苦しむ者を、天は必ず救う。


あまりの苦しさに、ここで初めて妻は、自分の夜叉に気付く。

何が情けないといって、自分の中に夜叉がいると知るくらい

情けないことがあろうか。


あまりにも情けないので、夜叉が巣くってしまったもっともな理由…

というのを探し回るようになる。

そこで、亭主や女の生態監視が強化される。

恥を知らぬ、神をも恐れぬ彼らの非は当然ワンサカ出てきて

しまいには、息を吸った吐いたまで、いまいましい。

悲しいのは、苦しいのは、亭主や女の言動ではない。

本当は、我が身に息づく夜叉の存在に傷ついているのだ。


が、心配はいらない。

咳や鼻水と同じ、一過性のものだ。

風邪ひきましたけど、咳も鼻水も出ませんでした…と装うと、悪化する。

悪化すると夜叉が人格を横領し、戻るのは困難になる。

亭主の帰りを待つどころか、自分が永久にお留守になってしまうのだ。

亭主を乗っ取られるどころか、自分が乗っ取られてしまうのだ。

夜叉の存在を認め、本心を吐き出していれば、やがて消える。


いったん消し方を覚えたら、次からコントロールできるようになるという

嬉しいオマケも付いてくる。

もっとも、二度とお出ましいただかない生活をするのが

一番のコントロール法であろう。
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夫婦心中

2013年01月06日 16時46分08秒 | みりこんぐらし


「オレと心中してくれ!」

夫は言った。

義父アツシの会社が、いよいよ倒産するか否かの瀬戸際を迎えた

昨年秋のことであった。


心中といっても本当に死ぬのではなく、命運を共にして欲しいということだ。

会社の始末に加え、病身の親に振り回される日々で

夫は精神的に追い込まれていた。

私の図々しさと無責任な励ましは、彼の必要とするところであった。


ここで「おまえ」「あんた」と手を取り合えば

それなりの夫婦像が、一体できあがるはず。

が、そんな純情は、すでにどこかへ置き忘れた私であった。

昔から、おいしい時はよそのオネエちゃん…

痛そうだったり、苦しそうな時だけ女房…

という習慣は、どうにかならんもんか。


心中と言うからには…と、私は口走った。

    「どこでっ!」

「ゆ…夕焼け山…」

夫はノってくれた。

なかなかいいヤツじゃないか。


夕焼け山は、遠足で登るのにちょうどよい

我が町のシンボル的存在のお山である。

    「ええ~?」

私はちょっと不満であった。

いや、その時、不満に目覚めたのであった。

死ぬならば、実家の町にある桜山!と、その瞬間、思ったのだ。

幼い頃から慣れ親しみ、校歌にも歌われた桜山が良くなってきた。

意外な感覚であった。


夕焼け山だ、桜山だと議論しているうちに

義父アツシの会社の閉鎖も、新会社の立ち上げも

親会社の尽力で、どうにかなっていった。

我々があんまりバカで頼りないから、助けてもらえたのだと思う。


そんな甘い話があるものか、絶対だまされている…

乗っ取り屋に引っかかったんだ…と世間は言う。

悪いことは言わない、今のうちに手を引け…

これが本当だったら、宝クジに当たるよりすごい…とも、人は言う。

しかし、身を削って他を救い、喜びを分かち合うことで繁栄した社風が

私の感覚にヒットした。


頭は、人を幸せにするためにひねるもの。

腰は、人を尊重するために曲げるもの。

足は、人を助けるために千里を駆けるもの。

身体の正しい使用方を、背中で教えてくれる親会社の人々であった。

感謝と恩義の気持ちは、日増しに強くなる。


後で知ったことだが、親会社の所在地が

奇しくも母の生まれた町内という偶然もあった。

昨年春、上の妹も、就職した甥も、たまたまその町に転居していた。

我々姉妹を陰に日向に支えてくれた父方の従姉妹の勤務先も、同じ町であった。

大都市の中の狭い一角に、関係者集合。

これらは多くの偶然の、ほんの一部である。

何か大きな力が、総動員してくれているような気がしてならない。


だから、もしもだまされたって、いいもんね。

こんなに面白い目に会わせてくれたのだ。

すべてを奪われ、捨てられたあかつきには、笑って礼を言おう。

が、いまだにその気配は無いばかりか、再生後は再び手放して

我々に独立経営させる方針らしい。


調査や分析が進み、私も経理をするようになってわかったが

義父アツシの会社がだめになったのは

不況や公共工事の減少も確かにあったものの

そもそも詐欺に引っかかったためであった。

友人である元県会議員に、マンモス霊園を造成するとだまされ

厳しい経営の中、長年に渡って多額の資金をつぎ込んでいた。

アツシは友人と言い張るが、くだんの元県議が

病床のアツシを見舞うことは、これまで一度も無かった。

これからも無いだろう。


くもり時々詐欺。

ひと山当てるバクチ癖に翻弄された、哀しき昭和経営。

これが破綻の主たる原因であった。


アツシの迷走が無ければ、単独経営は充分可能ということだが

もはやそんなことはどうでもいい。

我が身に起きた幸運を噛みしめるばかりである。

何が幸運か…地獄で仏に会ったこともだが

一番の幸運は、年齢や病気を理由に現実から目をそむけるほうでなく

汗を流して尻ぬぐいをするほうになれたことである。


幸運は、もう一つ起きた。

夫の実家で寝起きし始めて9ヶ月…私は10キロ痩せたのだ。

心労ではなく、仕事や家事で走り回った成果である。


ただ、外で遊び歩く暇が無いため

せっかく入手したスレンダーボディ?を

人に見せびらかせないのは、ちょっとザンネンよ。

何かを得れば、何かを失う…人の常ではある。
コメント (14)
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