「人は誰でも、心の中に龍を飼っています。
龍は一人ひとりの心の中にいます。
私たちは“人格”という名の龍を持っています」
昨年来日したブータン国王は、日本の子供たちにおっしゃった。
「龍は、私たちの心の中にいて“経験”を食べて成長します。
だから私たちは日増しに強くなるのです。
そして龍をコントロールして生きることが大切です。
どうか自分の龍を大きく素晴らしく育てていってください」
ニュースでそれを耳にした多くの人と同じく、私も感動した。
心の奥底で、始終荒ぶりっぱなし、のたうち回りっぱなしの龍を
長年持て余した経験のある身ゆえ、感慨ひとしおである。
私のは、制御不能の肥大した龍であった。
育成、失敗。
さて、ブータンでは国旗にも使われる馴染み深い龍であるが、ここは日本。
「人は誰でも、心の中に夜叉を飼っています」
と申し上げよう。
とはいえ、夜叉ってインドのおかたらしい。
顔が恐く、性格がどう猛で劣悪な鬼…
だったらストレートに鬼でもいいんだけど
夜叉は最終的に良い子になって、仏のガードマンになったらしいので
それをせめてもの救いと受け取り、夜叉という表現でお話ししたいと思う。
夜叉…それは誰の心の中にも住んでいる。
太陽と月があるように、この世とあの世があるように、前と後ろ、裏と表…
ものごとのすべてには、陰と陽が存在する。
人の心にも、仏心と夜叉心の両方があるのだ。
夜叉は普段、心の奥の小さな部屋にいる。
明るい笑顔や笑い声が苦手なので、じっとしている。
通常、部屋には鍵がかかっており
部屋を開ける鍵は、大家である人間が持っている。
一生開けずにすむ人は、滅多にいない。
どんな鍵かというと、それは嫉妬である。
亭主の浮気を知って、嫉妬しない妻はいない。
さほど有り余ってもいない稼ぎと愛情を
みすみすよそへ分け与えるのを歓迎する妻がいようか。
本人が望んだことではないにせよ、そこで夜叉部屋の扉はギ~と開かれる。
「お呼びですかぁ?」
好物の恨みや憎しみテンコ盛りで、夜叉君、大ハッスル。
どんどん大きくなり、大家である妻を支配するようになる。
支配された大家、鬼の形相で亭主を責め立て、泣きわめき
亭主の非を人に言いまくる。
風邪をひいたら、喉が痛くなって熱が出る。
しつこい咳や鼻水にも悩まされる。
全快するには、一通りの段階を通過しなければならない。
腹が立ったら、鬼でも夜叉でもなればいいのだ。
これが“夜叉期”である。
肝心なのは、そこからだ。
やがて怒るのにもくたびれ、そろそろ夜叉君にお引き取り願いたくなってくる。
だが、ひとたび部屋から出た夜叉君、おいしいものがたくさんあるので
お部屋に帰りたくない。
その頃には、妻を取り巻く周囲が騒がしくなっている。
思いつく限りの人に話を聞いてもらったあげく、うざがられたり
話が自分の望まない離婚の方向へ向いてしまったからだ。
人にあんまり言うな、言うなと私が言うのは、このためである。
期待に応えて離婚…ではなく、プレッシャーに押されず
自分のペースで人生を決めたほうがいいからだ。
最初は興味から親身に話を聞いてくれた人々も、やがて
「そんなに悪い旦那なら、別れたら?」
としか言いようが無くなるのは当然であるが
ここで妻は、突き放されたような気持ちになる。
怒りが先に立ってあまり考えなかったが、本当は取り戻したいのだ。
その時点では、なぜ取り戻したいかがはっきりしていない。
愛しているからなのか、奪われて捨てられる
負け犬の身の上になるのが嫌なのか…である。
ほとんどは後者であるが、妻はそれを認めたくない。
そこに何とか、愛を見出そうと躍起になる。
そうすればするほど亭主はのさばって、悪行を繰り返す。
そこでモヤモヤ、モンモンとするうち、亭主のことが
二度と得難い特別な男に思えてきて、恋い焦がれる。
エルメスのバーキンみたいに、入手困難なプレミア品として値がつり上がるのだ。
戻ってくれさえすれば、何もかも元通りになる!と
根拠無く思い込むのも、この時期の特徴である。
元通りには、なりませんから。
モヤモヤ、モンモンもつらいので、また誰かに話を聞いてもらいたい。
しかし傷ついた心で、別れろ切れろと言われるのは厳しい。
かといって、毎度毎度の堂々巡りも気が引ける。
何か進歩を見せたくて、愛しているから頑張ります…明るく待ちます…
などと、つい前向きな発言をしてしまうのは、無理もない。
けれども、心には嫉妬の炎がまだメラメラしている。
前向きな美しいことを言うたびに、メラメラは強くなっていく。
言うことと本心に、ギャップが生じてくるのだ。
この頃には夜叉君、長期滞在を決め込んで、あまり表に出てこなくなる。
裏に、もっとおいしい食品を見つけたのだ。
恨みや憎しみなんていう感情の二次製品ではなく、人格、魂そのものである。
それをゲットしようと、貯蔵庫のドアを嫉妬の炎であぶり始めたのだ。
裏夜叉期の始まりである。
口と腹との差が開いてしまうと、苦しくなって
言ったハシから落ち込むようになる。
なぜ苦しいか…自分の良心に嘘をついているという感覚があるからだ。
人には正道に戻ろうとする大切な本能があるのだ。
裏夜叉の浸食を阻止する最強アイテムである。
これを失う時、人格は破滅する。
これで苦しむ者を、天は必ず救う。
あまりの苦しさに、ここで初めて妻は、自分の夜叉に気付く。
何が情けないといって、自分の中に夜叉がいると知るくらい
情けないことがあろうか。
あまりにも情けないので、夜叉が巣くってしまったもっともな理由…
というのを探し回るようになる。
そこで、亭主や女の生態監視が強化される。
恥を知らぬ、神をも恐れぬ彼らの非は当然ワンサカ出てきて
しまいには、息を吸った吐いたまで、いまいましい。
悲しいのは、苦しいのは、亭主や女の言動ではない。
本当は、我が身に息づく夜叉の存在に傷ついているのだ。
が、心配はいらない。
咳や鼻水と同じ、一過性のものだ。
風邪ひきましたけど、咳も鼻水も出ませんでした…と装うと、悪化する。
悪化すると夜叉が人格を横領し、戻るのは困難になる。
亭主の帰りを待つどころか、自分が永久にお留守になってしまうのだ。
亭主を乗っ取られるどころか、自分が乗っ取られてしまうのだ。
夜叉の存在を認め、本心を吐き出していれば、やがて消える。
いったん消し方を覚えたら、次からコントロールできるようになるという
嬉しいオマケも付いてくる。
もっとも、二度とお出ましいただかない生活をするのが
一番のコントロール法であろう。