殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

追い込み

2017年12月31日 15時56分50秒 | みりこんぐらし
それにしても今年は忙しかった。

なぜこんなに忙しいのか‥たびたび考えた1年だった。


今年の前半は『加齢』で片付けていた。

やっていることは去年と変わらないのに

やる気や体力が減ってきて

仕事にも家事にも時間がかかるようになった‥

だから仕方がないのだ‥

そう思っていた。


が、後半になるにつれ、本当の原因が解明された。

私はついに、去年と今年の大きな違いを発見したのだ。

それは、葬式の多さ。

義母ヨシコの関係者や同級生の親たちが

バタバタとあの世へ行きなさる。

そういう年頃であろう。


ヨシコの関係者の場合、通夜と葬儀の送迎や付き添いがいる。

同級生の親の場合、役員として同窓会からの香典を届ける。

葬式は急なので、ひとたび連絡を受けたら

他の用事は全部ストップして取り組むことになるため

忙しかったのだ。


こればっかりは予防や改善が難しい。

休み休み逝ってくれだの、日にちを空けてくれだのと

頼むわけにはいかないし、それでどうにかなるものでもない。

不可抗力である。


そして暮れも押し迫った28日、骨肉のおトミから電話があった。

インスリンのおタツが亡くなったそうだ。

おトミもおタツも、ヨシコの年寄りの友達‥

名付けてヨリトモ軍団のメンバーである。


おタツは持病の糖尿病が悪化して

この数年は入退院を繰り返していたが、最近は小康状態を保っていた。

クリスマスに親戚が集まり、市内のホテルで宴会をして

そのまま宿泊した翌朝、倒れたという。

救急車が来るまで、後のことを携帯で

あちこちに指示していたというのがおタツらしい。

病院に運ばれてから昏睡状態になり、数日後、帰らぬ人となった。


親しい友人が亡くなったショックで、ヨシコは精神不安定となり

一人でしゃべり続ける。

「ナンなら後を追ってもいいぞ」

騒音に辟易した夫が、そっとつぶやいたことは秘密。


とはいえ老人は、案外ドライだ。

じきに元気を取り戻し、喪服をあれこれ並べて選んだり

電話で連れを誘ったりとはしゃいでいた。


ヨシコは30日の午前中に行われた葬儀に参列し

昼前に帰って来た。

「ピンポーン」

そこへ試練が訪れる。

こはぎちゃんがやって来たのだ。

近所に住む90才超えのおばあちゃんだ。


どこへでも押しかけるのと、長っ尻という面において

この界隈ではちょっとした有名人。

外見が小さくて可愛らしいのと、豪邸に住んでいるのと

ええとこの奥さんというプロフィールで

誰もがマトモと思い込んで油断してしまい、地獄を見る。

昼前に来たということは、本日の昼ごはんはうちで食べるつもり満々。


門を開けて、中へ入ろうとするこはぎちゃん。

そうはさせまいとガードするヨシコ。

二人はしばらくの間、門の所でせめぎ合っていたが

やがて根負けしたヨシコ、あきらめて家に入れた。

こはぎちゃんは靴を脱ぎ、サッサとヨシコの部屋へ入って座った。


「どこも行く所が無いのよ。

誰も相手にしてくれないの」

こはぎちゃんは、薄くなった眉毛を八の字にして訴える。

当たり前だ。

暮れの30日に遊んでくれる人なんて、いるものか。


「家から歩いて来た」

こはぎちゃんは200メートルほど歩いたことを自慢し

「忙しいのに、ごめんね〜」

ほんのうわべで言う。

忙しいとわかっているなら、来ないでもらいたい。

でも、仕方ないのだ。

こはぎちゃんの認知症は、いちだんと進んでいるみたい。


お茶とお菓子を出した後、私は残っている仕事を片付けに

会社へ行く。

年内に出さないといけない書類があったのだ。

昼ごはんなんか、知るもんか。

頑張れ!ヨシコ!


夕方、家に帰ると、ヨシコは疲れ果てていた。

「さっき帰ったんよ」

目の下にクマができている。

この日ほど、仕事があって良かったと思ったことは無い。

最後までバタバタした年末だった。



今年もお世話になりました。

ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。
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サザエさん・あれこれ

2017年12月29日 09時07分34秒 | みりこんぐらし
私が子供の頃、『サザエさん』は

朝日新聞に4コマ漫画で連載されていて

字が読めるようになると毎朝見ていた。

そのうちテレビアニメが始まり、日曜の6時半が楽しみになった。


気がつくと、サザエさんのアニメは

火曜日の夜7時にも放送されるようになっていた。

よその地方のことはわからないけど、私の住む地方では

火曜と日曜の週2回、サザエさんを楽しむことができたのだ。


ただし火曜と日曜では、脇役や雰囲気が少々異なる。

火曜日のサザエさんはお隣の住民が

小説家のいささか先生ではなく、画家の浜さん。

いささか夫妻より浜夫妻の方が、こなれた感じで親しみがあった。

主役のサザエさんも火曜日の方がくだけていて

たまにお酒を飲んだり、他人と口喧嘩をする。

火曜日のマスオさんも、日曜日のように品行方正ではない。

酔っ払って帰宅したり、麻雀をすることもあったように記憶している。

日曜日の夕方は子供が見るので、羽目を外せないらしい。

火曜日の方が自然体で、私は好きだった。


やがていつの間にやら、サザエさんは日曜日だけの放送になった。

けれどもうちのテレビは、愛媛放送が奇跡的に映った。

愛媛では相変わらず、火曜日にサザエさんをやっていたのだ。

映りはあまり良くないものの、しぶとく見ていたが

いつしかそれも無くなり、完全に日曜日だけのサザエさんになる。


日曜日のサザエさんばかり見ているうち

彼女の狡さやしたたかさを感じるようになった。

サザエさんが悪いのではなく、ひとえに私のせい。

嫁いで以降も毎日帰って来て、実家を牛耳る義姉と

それを歓迎する義理親に辟易し始めたのが原因だ。


弟のことを何でも父親に言いつけ

雷を落としてもらうサザエさんの手口なんざ、義姉そのもの。

「カツオッ!ワカメッ!タラちゃ〜ん」

我が子だけをちゃん付けで、甘ったるく呼ぶところもそっくり。

サザエさんが義姉に、夫がカツオに見えるようになってしまった。


本来の後継者である弟を陥れることで

実家へ寄生する正当性を主張し、安泰を図る姿に

女の情念を感じずにはいられない。

口では立派なことを言いながら、娘と初孫かわいさで

他者の犠牲に気づこうとしない両親も鼻につく。


辛抱人の結婚相手、子宝、二世帯同居による安定した生活‥

理解ある親や近所に恵まれ、義理親と小姑はいない‥

昔の女が夢見た暮らしを手に入れた稀有な女性、それがサザエさん。

彼女の天真爛漫は、弟カツオの涙と

配偶者マスオさんの我慢によって成立している‥

そんな気がしてしまう私である。



ともあれ私にサザエさんを語らせたらキリが無いので

この辺にして、本題へ進もう。

(えっ?これから本題かよ)


年配の知人のお母さんが、福岡県の出身だった。

サザエさんの作者、長谷川町子さんも福岡で少女期を過ごした。

二人はご近所だったそうだ。


やがて長谷川さん一家は東京へ転居し

戦争疎開でまた福岡へ戻った。

その頃、福岡の地元紙でサザエさんの連載を始めたが

戦後になると再び東京へ出て、漫画家としての地位を築く。


昔は近所同士の付き合いが密接だったようで

長谷川さん一家が上京した後も、福岡の人々とは交流が続いていた。

やがて長谷川さんの近所だった人たちは

東京見物を兼ねて、順番に長谷川さんの自宅へお邪魔するようになった。

一生に一度のお伊勢参りのようなものだ。


長谷川さんは故郷の人々を優しく歓待し

帰りには必ずお小遣いを手渡したという。

帰りの汽車賃を払ってお釣りがきたというから

けっこうな金額だったらしい。

厚かましいのになると、帰りの汽車賃を持たずに上京したという。

いくら出世したからといって、なかなかそんなことはできない。

長谷川さんの知られざる一面をご紹介した。


さて、長谷川さんに会うため東京見物に出かける人の中には

長谷川家訪問に加え、もう一つの目的を持つ一行がいた。

親戚に、昭和天皇の侍従がいる人だ。

この話を聞かせてくれた知人のお母さんも、親戚の一人だった。


親類縁者はその人の案内で、昭和天皇のお住まいを見学できた。

身内に限り、年に一度か二度、そういうことが許されていたらしい。

それこそ洗濯物が干してある奥深くまで行けたそうだ。

今では考えられない大らかさである。


知人のお母さんは結婚して故郷を離れていたため

皇居にも長谷川さん宅にも行けなかった。

それが心残りだと話してくれた。

かく言うお母さん、身の回りの世話をする女中を2人連れて嫁いだ

バリバリのお嬢様。

侍従が出るくらいなので、ええとこの一族だったようだ。

けれども嫁ぎ先は、子だくさんのひなびた農家。

女中さんは早々にお暇を願い出て、福岡へ帰ってしまったそうだ。


「なんでこんなに遠い田舎の農家へ‥」

思わず口にした私に

「器量が悪かったからよ」

知人は耳打ちするのだった。


あわただしい年の瀬、こんな話でひと息ついていただければ幸いです。
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今年の忘年会

2017年12月25日 14時50分16秒 | みりこんぐらし
先日、町内の焼肉屋で会社の忘年会があった。

毎年のことながら、私の足は筋肉痛。

普段使わない太ももの筋肉を使うからだ。


女は私だけなので、いつも下座に座る。

下座の担当者は、飲み物や追加の食べ物の注文に忙しい。

それらは、ひとまず下座へ運ばれる。

焼肉屋の座敷は狭いため、店員が配って回るスペースが無いからだ。


下座担当者は、それを注文した者へと振り分ける。

近い者には直接、遠い者には参加者の善意にすがって回してもらう。

そのたびに中腰になり、片足を軸に方向転換を繰り返すと

ほぼ日舞。

太ももに負担が来るのだ。


せめて焼酎ぐらいはボトルで取り、各自がセルフで飲んだらどうか‥

そう考える人もいようが、それは庶民の酒席をご存知ないお方。

ボトルを頼めば、焼酎の瓶は確かに一本来る。

しかしそれに付随する氷や湯、レモンに梅干しなんかは

酒に対して圧倒的に量が少ないものだ。


庶民の酒飲みは、この時とばかりにグラスへ氷をぶちこみ

アイスペールをすぐ空にしてしまうし

女房が怖くて家では使いにくい、レモンや梅干しを入れまくる。

それら付属品の追加注文で、かえって忙しくなるのだ。


しかもほとんどゼニにならないためか

田舎の店ではおおむね、付属品を持って来るのが何げにごゆっくり。

まだか、まだかと言われながら催促を繰り返すのは

面倒くさいったらありゃしない。

ボヤボヤしているとお代わりを作らされ、単品を注文するよりせわしい。

触らぬ神に祟りなし。


寄る年波か、今年は特に筋肉痛が重篤。

来年はウォーミングアップをしてから臨まなければなるまい。


そんなことよりも我ら一家の注目は、例の苦労人。

この焼肉屋を前日にドタキャンした男が参加するというので

その図々しさに半ば腹を立て、半ば楽しみにしていた。


はたして苦労人は、いつもの作業服ではなくスーツ姿で現れた。

散髪までして、白髪をソフトモヒカンに刈っている。

上司である河野常務と同席するので、身づくろいをした模様。


この日の席次には気を使った。

ドタキャンの怒り冷めやらぬ夫とは距離を置かなければならないし

地位や勤続年数といった身分の順で座らせると、私の隣になってしまう。

あんなに大きくて気の利かないのが隣に来ると

身動きが取れないではないか。


が、心配はいらなかった。

ザ・苦労人、藤村は、我々が考えるよりもずっとしたたかであった。

この席の最高権力者、河野常務にピッタリとくっついて

No.2の席を自ら確保。

本来、この席ではNo.2であるはずの

経理部長ダイちゃんがその隣で、言うなればNo.3の位置に下がった。


結果的に藤村は、常務と経理部長の間に挟まれる形となる。

そこで初めて、彼は自分の置かれた環境に気づいた模様。

左右を煙たい人物に挟まれた緊張のためか

ほとんど飲まず、食べず、しゃべらない。

そのあわれな姿に、我々は溜飲を下げだのだった。


やがて上着を脱ぎ、ネクタイを緩めた藤村。

その首には何やら神社仏閣系らしきネックレスがぶら下がり

手首にも念珠のブレスレットが複数。

「怪しいヤツ‥」

息子たちは夫に耳打ちし、夫は

「弱いんじゃ」

と返していた。

その夫も浮気三昧の頃は

念珠のブレスレットを後生大事に付けていたけど、すっかり忘れたらしい。



忘年会は和やかに終了。

翌朝、藤村から夫に電話があった。

夫の携帯は着信拒否のままなので、会社の電話だ。

「昨日はありがとうございました。

あんなにおいしいとは思いませんでした」


「礼の電話はちゃんとかけられるらしい」

夫は気を良くして着信拒否を解除した。

私は意外に狡猾な藤村が、河野常務と親密な夫を

初めて目撃したからだと思っている。

社内の人間関係を把握したため、すり寄ってきたのだ。

が、忘年会も終わったことだし、忘れることにした。
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窓との闘い

2017年12月23日 09時59分13秒 | みりこんぐらし
今年も大掃除の季節が訪れた。

訪れはしたものの、我が家ではそのまま停滞していた。

2〜3年前から急に大掃除がつらくなり、どうもやる気が起きない。

加齢による体力減退が原因と思われた。


そんなにつらいなら、普段からやっておけばいいのに‥

早めに取りかかればいいのに‥

誰でもそう思うだろう。

けれども姑と暮らす嫁に、その手段は通用しない。

庭の剪定が終わる12月中旬までは、普段の掃除とみなされ

大掃除を行ったことにならないのは過去に何度か経験済み。


「今年はやってもらえない」

姑の脳内ではそういうことになる。

姑という生き物は、そして年寄りという生き物は

ひとたびインプットされた認識を簡単に変えることができない。

そこで悶々と苦しむ。

決して意地悪なのではなく、それが姑であり、年寄りなのだ。


納得させるため、再びやって見せる必要が生じる。

つまり普段からやっていても、早めに取り掛かっても

徒労でしかない。

とはいえ、こちらもあと2年で還暦だ。

今までと同じことをしていたのでは、しんどい。

そこで今年は対策を練ることにした。


まず、私を取り巻く環境を冷静に眺めてみる。

そうしてみると、我が家はむやみに窓が多い。

数えてみたら大小合わせて30ヶ所ぐらいある。

総二階で、家のぐるりに窓が付いた設計だから仕方ないのだ。


窓の掃除は、ガラスの部分を磨いたら終わりではない。

網戸とサッシの溝もセットで付いてくる。

網戸、ガラス、サッシの溝‥この3点セットは

手の届かない高い所にもたくさんある。

そしてそのたびに、脚立の昇降と移動が付いて回る。

脚立は高く、そして重い。

年々高い所が苦手になり、スリルで足がガクガクと震えることもある。

この時点で、窓の数もさることながら、脚立もガンと判明。


思えば嫁いで以来、この窓たちと闘ってきた。

結婚して最初の大掃除には

外側の窓ガラスに付着した白いウロコ状のクモリを

完全に除去するまで家に入ってはならないと

舅から厳しく言い渡された。

あまりにも窓が多いので、姑は磨く気にならず

ホースで水をかけて終わらせていたツケが、このウロコ。

昔は効果的な薬剤も無く、マジックリンを片手に奮闘したものだ。


つらくはなかった。

大掃除となると、待ってましたとばかりに

危ない所、汚い所を命令されて行ってきたが

私が嫌なのは狭い所だった。

長身の者は、体をかがめるような狭い所が苦手なものだ。

伸び伸びすることが仕事になる、窓磨きは好きだった。

働いてさえいればそっとしておいてもらえるため

安全も確保できたので、むしろ張り切った。


ちなみにマジックリンでウロコは落ちなかった。

「よう落とさんのか!つまらんのう!」

嫁が寒風吹きすさぶ屋外で悪戦苦闘する姿をコタツから眺めた後

成果を点検しては怒鳴られるのも恒例だった。


お前の女房がつまらんのじゃ‥

私は心の中で、いつも反論していた。

私が毒舌というものを手に入れたとしたら、この積み重ねがあればこそ。


「若かったから、できたのだ‥」

自由は無かったが、体力だけはあり

高い所も平気だったあの頃を懐かしく思い出す。

そして窓さえ制すれば、うるさ方は静かになり

大掃除はほぼ終わったようなものだったことも、ついでに思い出す。

敵は本能寺でなく、窓にある‥

私は確信し、いよいよ具体策の検討に入った。


脚立を使わずに窓と取り組める物といえば

長さのある棒状の物体が浮かぶ。

腕力の衰えた私がダメージを受けないように

棒は軽くなければならない。


そこで目をつけたのは、浴室にあった風呂掃除の道具。

伸縮するアルミの棒の先に、長さ6〜7センチの

白いフサフサした化学繊維が付いた

『LEC激落ちお風呂まるごとバスクリーナー』。


当初、私が注目したのはカツラ状のフサフサではなく

伸縮する棒の方だった。

脚立を使わずに窓が磨けたら‥その一心で、棒を手に取ったのである。

使ってみると、いい!

非常にいい!


まず網戸にガラスクリーナーをシュッシュと散布し

水に浸したカツラの毛で洗うと、一発で綺麗になる。

作業の合間に、毛を軽く水洗いしてリセットしながら

次に窓ガラス、最後にサッシの溝‥全部これ一本で美しい仕上がり。

それからホースで水をかけ、乾いた雑巾で拭くとピカピカになる。

雑巾が届かない所は、やはり伸縮する棒の付いたモップの先に

雑巾をセットして拭く。


室内は毛をよく絞って使う。

毛は細くて長いので、桟(さん)のホコリも一緒に綺麗になる。

調度品や飾り物、額にも使える。

今まで数日かかっていたのが、数時間で終了。


網戸は網戸、ガラスはガラス、溝は溝と

それぞれ道具を取っ替え引っ替え

ポケットに入りきらない物は腰に挿したり背中に背負ったり

八つ墓村みたいな格好で奮闘していた、あれは何だったのだ!

私の37年を返せ!


窓との闘いを楽勝で終えた私は、この文明の利器を何人かに勧めた。

が、誰も関心が無いようだ。

そりゃそうだろう。

姑と暮らす人なんて滅多にいないし

窓だらけの古い家に住んでいる人もいない。


唯一、うちへ週に2回来る魚屋の奥さんが興味を示した。

商売をしていると忙しい。

魚屋さんだと、年末は特に忙しい。

大掃除に良い方法は無いかとたずねられ、我が意を得たりとお勧めした。


素直な奥さんはさっそくホームセンターで買い求め、使ったという。

すごくいいと喜んでくれて、非常に満足した私であった。
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怪文書

2017年12月18日 12時43分35秒 | みりこんぐらし
先日、夫宛てに郵送で封書が届いた。

薄っぺらい簡素な茶封筒。

パソコン印刷の宛名。

消印は町内の郵便局。

差出人の名前はどこにも無い。


うちは自営業なので、サラリーマン家庭より郵便物が多い方だと思う。

うちは義父と夫、浮気者人口が2名と多かったので

不可解な郵便物が届く機会も、よそ様より多かった方だと思う。

つまり私は、自宅へ届く怪しい郵便物に対し

ある程度の経験を積んでいると自負している。


その経験から見るに、この封書から色気は感じない。

メールが普及した昨今

思わせぶりな手紙を送る女はほぼ絶滅したのもあるが

これ以上の安物を探すのは無理と思われるペラペラの封筒と

初夏に買い求めた残り物らしき

アジサイの描かれた切手が物語っているように思う。

どうでもいい相手に宛てたと考えていいだろう。


な〜んて無い頭をひねるより、開封すれば全てがわかる。

が、宛名が夫である以上、開けるわけにはいかないので

夫の帰りを待つ。

ペーパーナイフなんて洒落た物は無いから

ハサミを捧げて開封を促す私に

「オレは何もしてないぞっ!」

身の潔白を叫ぶ夫。


中から出てきたのは、一枚のコピー用紙だった。

迫りつつある選挙に関するものだ。

優勢と言われている新人候補の悪口が、びっしりと印字してある。

俗に怪文書と呼ばれる物体。


すでに出回っている事柄ばかりで、目新しいことは書かれていない。

不倫相手を選挙事務所に入れて、女房と一緒に働かせているだの

その女房がろくでもないだの、そんな内容。


一部を抜粋してみよう。

“この嫁の底意地の悪さは職場で知らない人がいないほど評判で

自分が仕事を全くしないことを棚上げし

夫の地位を利用し気に食わない人物に

左遷やいじめなどでたびたび苦痛を味合わせ

周囲から腫れ物扱いされる性根の腐った女のようです”

(改行と個人情報以外は原文ママ)


底意地が悪く性根の腐った女‥

まるで私ではないか。

会ったこともない候補者の奥さんに、俄然親近感がわく。

が、本当に私みたいな女房だとしたら

おとなしく旦那の不倫相手と働くわけがない。

はなから手伝わないか、それこそズタズタにいじめ抜いて叩き出すか

事務所で暴れまくって立候補自体を潰す。


よって選挙事務所で不倫相手と女房を一緒に働かせるという

極めて封建的な妻妾同席行為と、悪魔のような女房‥

怪文書が並べて主張するこの二説は両極にあり、論理的に成立しない。

つまり虚偽捏造ということになる。


内容の真偽はともかく、このような文章を長々と書き連ね

他者を貶めようとするあさましさと幼稚な根性は見上げたものだ。

人心をおもんばかる能力に欠けた、傲慢な人間が作成したのはバレバレ。


内容が嘘とわかれば、今度はどの陣営の仕業かが気になるところ。

が、調べるまでもない。

封筒に印字された我が家の住所から、犯人の目星はついている。


我々夫婦は夫の実家で生活して5年経つが、住所変更はしていない。

よって郵便物は、元の住所から転送されて届く。

しかし怪文書の住所は、最初から実家の番地である。


夫が実家の番地を使い始めたのは、ごく最近。

しかも香典限定。

四十九日には茶の子が届くが

留守宅より、実際に生活している実家に届く方が便利だと

今頃になって気づいた。

そこでこの9月から、香典や記帳に実家の住所を書くようになった。


夫の名前と実家の住所を組み合わせて書いた葬式は、まだ二軒。

会社の付き合いで発生する香典は会社の住所だし

家同士の付き合いで発生する香典は義母の名前にするため

夫の個人名で、かつ実家の住所となると少ないのだ。


うち一軒は姉の姑なので除外し、あとの一軒が

怪文書送付の目的で香典帳を提供したか

もしくは茶の子を配達した進物屋の仕業。

どちらも現職と親しい。

新人の勢いを恐れた、現職の陣営で間違いなかろう。


「あんたにも怪文書が来るようになったのねえ」

私は夫を賞賛する。

「こういうのが届くようになったら一人前よ、さすがね!」

もちろん、こういうのが届いたら一人前という根拠は無いが

そもそも怪文書なんて、あんまり気持ちのいいものではない。

だからこうやって盛り立ててやるのだ。

夫はまんざらでもない様子。


翌日、夫の従姉妹の旦那、ユキオ君が会社へ来た。

63才の彼は、夫の伯父の会社を引き継いで社長をしている。

結婚相手の親がたまたま会社を持っていたという逆玉で

何十年前だったか、サラリーマンを退職して経営に参加した当初は

生まれながらの社長族の中で苦労していた。

しかし元々頭が良くてやり手なので

会社は彼無しでは存続しなかったと思われる。

その分、気位が非常に高い。


夫はさっそく、ユキオ君に怪文書のことを話した。

「え〜?ウッソ〜!

なんでヒロシの所へ来て、俺の所へ来ないんだ!」

ユキオ君は、たいそう悔しげに叫ぶ。

やっぱり怪文書が届いたら、男として一人前なのだろうか。


香典帳が怪しいと説明したが、ユキオ君は納得していない様子で

「ヒロシより俺の方がメジャーなのに!」

とプリプリ怒っていた。

めんどくさい男だ。



さてその後、怪文書の効果が現れた。

現職を応援する者が、どんどん減っているという。

逆効果というやつ。

気に入らない者への誹謗中傷を黙認して一味のままでいると

明日は我が身になってしまうという理由らしい。

まともな有権者がまだいると知り、ホッとしている。
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苦労人・4

2017年12月14日 16時58分30秒 | みりこんぐらし
それから数日、我ら夫婦は新しい未来へと想いを馳せていた。

「クビになったら、O君の所へ行こう」

夫は勝手に決めている。

O君とは夫の友人で、市会議員をやるかたわら

小さい売店を経営している。

いつも人手不足なので、そこで働くと言うのだ。


「あんたに客商売は無理よ。

お釣り、間違えずに渡せる?

店って、信じられないほど細かい仕事がいっぱいあるし

変な客も来るんよ」

ほんの一時期とはいえ、似たような店で

土産物や宝クジを販売した経験のある私は

大雑把な夫に向かない職業だと思っている。

お釣りをもらってないと言い張る確信犯や

先に「一万円札を千円札10枚に替えて」と言っておいて

自分の一万円札をなかなか出そうとしない両替詐欺も来る。

財布を忘れたと言い出すサザエさん詐欺も来るし

おおらかにレジの素通りを試みる認知症詐欺も来る。

夫がこれらをさばけるとは、到底思えない。


「再就職するんだったら、厚生年金の付く所にしてちょうだい」

「O君の所は、ある」

「あんたに客商売は無理じゃ言うたが」

「O君は人材派遣もしょうるけん、他の仕事もある」

「何?言うてみんさい」

「夜間の電話番」

「あんた、無口じゃが」

「配管のメンテナンスもある」

「その巨体じゃあ配管に詰まる気が‥」

「まあ、何かあるわ」

などと、クビになったあかつきを呑気にディスカッションしていた。


この呑気は、夫の性質から来ている。

そもそも夫には

「誰それが、あんたのことをこう言っていた」

なんていう密告を鵜呑みにし、先走って悩む習慣が無い。

いくら親しい人の言うことでも、そのまま信じて揺れるようでは

会社なんかやっていけない。

代表者って、社員を始め世間から悪く言われるものだ。

いちいち評判を気にしていたら、生きていけない。


しかも彼は勤め人になったことが無いので

「クビになったらどうしよう」という気持ちが起こらない。

「クビを言い渡される前に辞めてやる」

といった勤め人の意地も無い。

義父が会社を経営していた頃は

こう言い捨てて去っていく社員をたくさん見た。

勤め始めて年月が経つと、ちょっとしたことが発端で

煮詰まっていくタイプがいるものだ。

最初は誰よりも調子のいい人に多い。


彼らの中には早まったことを後悔し

戻れるものなら戻りたいと言ってくる者も多勢いた。

そんな人々をさんざん見てきたので、夫は悩まない。

本当にクビを宣告されるまでは、動くつもりがない。

グズグズ言わないので、そばにいる私は楽である。



さて、夫と二人で残り少ない未来を語っているうち

社員の健康診断が近づいた。

検診は毎年1回行っているが、今年は夜間労働があったため

年に2回行う義務が生じたのだ。

そこで夫はいつものように、近くの病院へ予約に行った。


ところが検診用の受付に座っていたのは

例の焼肉屋のお嫁さんだった。

昼はパート、夜は姑の店を手伝う働き者だ。

彼女は別の医院で受付をしていて

そこへ通っていた夫とは長年の顔見知り。

先月、ここに転職したという。


あの一家とは二度と顔を合わせられない‥

そう言っていた夫だが、こうなったらどうしようもない。

夫は彼女にドタキャンの無礼を詫びた。

すると嫁は言ったという。

「気にしないで。

忘年会は今年もうちでしょ?お義母さんも待ってるよ」

夫はその場であっさり予約し、ダイちゃんに連絡した。

「わしゃ絶対に折れん」と言っていたのは、マボロシだったのか。

こうして偶然にも忘年会の予約に至り、本社の方もそれきり静かになった。


後日、河野常務から夫に電話があった。

この件で、常務は板挟みになっていたと思われるが

多くを語らないため、その胸中は不明。

「ヒロシ、忘年会の人数、一人増やしてくれや」

電話の用件は、これだった。

「わかりました、どなたですか?」

「藤村」

「‥」


藤村とは所属が異なるので

彼が我が社の忘年会に参加するいわれは無い。

和解させようと思ったのか、単に近くで仕事をしているから

呼んでやろうというだけなのかは不明。


「自分がドタキャンした店に、よう来るのぅ。

命令なら仕方がないんか、何とも思ってないんか」

夫は面白くなさそうだが

そもそも我が社の忘年会というのは、ちっとも面白くない。

ネギとタマネギが嫌いな常務のため、事前のチェックが面倒くさい。

ネギとタマネギを徹底的に排除した宴会料理って

あんまり無いからだ。

そこで去年から苦肉の策ならぬ、焼肉の策を取った。

タン塩に、ネギを散らしてくれるなと頼む程度でいい。


ネギとタマネギをクリアしたところで、女は私一人。

飲み物の注文や世話に忙しく、食べる暇がない。

近年は知恵がつき、いつも事前に腹ごしらえをして行く。

ダイちゃんを始め、本社の人たちって信じられないほど飲むのだ。

タダ酒が好きな人はよくいるけど、尋常ではない。

田舎の店の人員と能力では、回しきれないほどの飲みっぷりだ。

私にとって会社の忘年会は、労働の日。

夫も藤村の参加で面白くなかろうが、私はずっと面白くない。


今年のテーマは「苦労人、藤村の顔を拝む」にして溜飲を下げよう。

忘年会はもうすぐだ。

《完》
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苦労人・3

2017年12月10日 18時55分40秒 | みりこんぐらし
焼肉屋のドタキャンで、怒り冷めやらぬ夫。

その彼に試練が訪れる。

我が社の忘年会を問題の店でやることになったのだ。


昨年の忘年会で、本社のえらいさんたちをご案内したところ

とても気に入った様子だった。

「今年もぜひそこでやりたいそうだから、予約して」

経理部長ダイちゃんに言われた夫は

藤村の一件を話して別の店に変えたいと伝えたが

ダイちゃんの返事はすげない。

「それはそっちの問題であって、僕たちには関係ないよね」

しかし夫は譲らず、ちょっとした言い合いになって

予約の件はひとまず保留となった。


夫はダイちゃんの冷たさを嘆いたが、これは夫の甘えだ。

私がダイちゃんでも同じことを言う。

二代目のボンボン稼業が長かった夫は

組織の一員となった自分の立場を未だに理解できていない。


ボンボンと呼ばれた頃は、腹の立つことがあれば

お父ちゃんに言いつければよかった。

モメた経緯や、自分にも非は無かったかを考える前に

お父ちゃんがそいつを呼びつけて怒鳴ったり

誰ぞに頼んで遠くへ飛ばしてくれて、いなくなった。

悪い習慣ほどなかなか抜けないもの。

たかが数年で、自分の置かれた立場をわきまえるのは

夫には無理であった。


しもじものいざこざなんか、上にはウザいだけ‥

そもそも正義と悪の基準は、その行いではなく雇用形態で決まる‥

本社採用の正社員と、我々のような中途合併の異分子では

前者の方が無条件に正義となる‥

面倒な問題に首を突っ込まず、自分のことだけ考えてきた人たちしか

生き残れないし、上には上がれない‥

長引かせたらトラブルメーカーということになり、こっちの人格が疑われる‥

腹を立てた方が負け、それが組織というものだ‥

長年よそで働いて、私なりに学んだことを噛み砕いて聞かせるが

人に使われた経験が無く、ましてや腹を立てている夫には馬耳東風。


それにつけても近頃のダイちゃんは厳しいのだ。

9月末付けで本社にパワハラ撲滅委員会が発足したのを機に

社内での宗教勧誘がついに公になったからである。


暴露したのは松木氏。

「いい機会だから、上層部の前で注意しといたよ」

彼が夫に自分でそう言った。

松木氏は元々ダイちゃんと仲が悪いので、ちょうどいい仕返しである。


夫は以前、ダイちゃんの勧誘に一家で辟易している旨を

松木氏にしゃべっていた。

松木氏が我が社の営業課長を外され

遠い生コン工場の工場長になった一昨年のことである。

近くにいる時は犬猿の仲だったが、離れるとお互いに気が緩み

色々なことを話すようになったのだ。

「とんでもないパワハラだ!」

松木氏はそう言って驚いていたという。


ダイちゃんの宗教勧誘の件は、夫に口止めしてあった。

松木氏が我々を売って社内をゴタゴタさせ

同時にダイちゃんへの復讐を叶えるには絶好のネタだからだ。

しかし、しゃべってしまったものは仕方がない。

それ以来、いつか必ずこの日が来ると覚悟していた。


会社での立場が悪くなり、我々一家が宗教に入る可能性が消滅したため

ダイちゃんはそりゃもうネチネチと意地が悪い。

手のひら返しというやつである。

特に秘密をしゃべった夫には

障子(しょうじ)の桟(さん)を指でなぞる姑のごとく

きつい嫌味や皮肉が容赦なく散布された。

繊細な人間だったら参っているだろう。


宗教の勧誘が無くなったら、今度はこっちでパワハラ気分。

夫が焼肉屋の予約を頑なに拒んだ理由は、そのいら立ちもあったと思われる。

ここは黙って見守るしかなかった。



「ヒロシさん、大丈夫ですか?

なんか大変なことになってますよ?」

夫と親しい本社の営業マン、野島君が飛んで来たのは翌日のことだった。

焼肉屋の件が、本社上層部の間で問題になっているという。


藤村が、本社の名前で予約をドタキャンしたことではない。

藤村の罪は問われず、予約を拒んだ夫が問題らしい。

ついでに藤村を出入り禁止にしたことや

携帯を着信拒否にして、藤村との連絡を本社営業部に中継させていることが

組織の一員としてあるまじき行為だと、ダイちゃんから報告されたのだった。

それがダイちゃんの報復であることは明白で

野島君は、ダイちゃんを敵に回した夫を心配しているのだった。


「どうするんですか?

ヒロシさんを解雇する話まで出てますよ?

僕に何かできること、あります?」

涙目の野島君。

「俺が間違っていたら、すぐに河野常務から注意があるはず。

でも今のところ無いから大丈夫、ありがとう」

夫は笑って答えた。


野島君が帰ってから、夫は言った。

「クビになっても、わしゃ絶対に折れんけえの」

焼肉屋の予約でクビなんて、みっともないけどしょうがない。

「いいよ、思った通りにやりんさい」

私は答えた。

年金暮らしが近づくと、職場のいざこざなんかどうでもよくなる。

肌に合わない所で耐える夫を見るより、好きなことをさせてやりたくなる。

年を取ってみなければわからない感情であった。

《続く》
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苦労人・2

2017年12月08日 09時34分53秒 | みりこんぐらし
運転手募集の件で夫を怒らせて以来、藤村はしばらく顔を見せなかった。

それでも仕事の連絡は必要なので、電話はかけてくる。

夫は最初のうちこそ冷ややかに対していたが

良く言えば根に持つタイプではなく、悪く言えば忘れっぽいので

じきに普通のフレンドリーな会話になった。

そうなると藤村はまた会社に訪れ始め

二人は何事もなかったかのように交流を再開した。


そして先月半ばのこと。

藤村はいつものように無言で、のっそりと事務所に入って来ると

夫にたずねた。

「現場の取引先を招待して忘年会をすることになったけど

みんな焼肉がいいんだって。

近くに安くておいしい店、無い?」

この時、その場にいた私は冷淡に言った。

「田舎には高くておいしい店か、安くておいしくない店しか無いですよ」


藤村、いつになく私の発言が聞こえたようで

少し考えてから、私にではなく夫に言った。

「じゃあ、高くておいしい方」

生意気な‥おまえらは食べたらお腹が痛くなる店でええんじゃ!


この高くておいしい店の女性店主は、焼肉店には珍しく日本人。

“故郷の味”には無関係で、同胞利権による安い仕入れとも縁がない。

よって料金は高くなるが、良い肉を出す。

店主は“焼肉屋のおばちゃん”という印象に程遠い、細身で上品な女性だ。

彼女のご主人は昔、義父の会社の社員だった。

彼女とは子供会が一緒だったので、私も親しい。

当然、店主の息子はうちの息子たちと幼なじみ。

その息子の勤務先は夫の親戚。

何かと縁がある上、誰を連れて行っても喜ばれるので

大切にしたい店だった。


夫は親しい店を喜ばせたくて

さっそく電話で交渉し、特別に飲み放題にしてもらった。

17人の宴会で、一人7千円。

忘年会シーズンに突入する前の11月は暇ということで

店の方も喜び、かなり勉強してくれた。


喜ぶでもなく、夫に改めて礼を言うでもなく

「それじゃ‥」と無表情のまま帰ろうとする藤村に、私は釘を刺した。

「ドタキャンしないでくださいねっ!

こないだの運転手のようなことになったら、困りますよっ!」

藤村は返事をするでも、うなづくでもなく

いつものように無視して帰って行った。


それから一週間が経過。

藤村主催の忘年会などすっかり忘れていた私は

夜になって今日がその日だと思い出した。

「今頃、宴会中ね」

すると夫は短い沈黙を経た後、苦渋の表情で答えた。

「よその店でな‥」

「ええっ?」


前日の夕方、藤村から夫に仕事の連絡があったという。

そして電話の切りぎわ

「そうそう、予約してた焼肉屋、キャンセルしてくれる?」

軽〜く言ったそうな。

7千円はやっぱり高いので、他の人に頼んで別の店に決めたという。

「自分で断れ!」

夫は怒鳴ったが、藤村はそのまま電話を切った。

彼がキャンセルの電話をするかどうかわからないので

夫が渋々、店に連絡したというてん末。


「昨日ほど情けなかったことは無い‥焼肉屋の一家に合わせる顔が無い」

夫は辛そうにつぶやいた。

「あんまり腹が立ち過ぎて、すぐ言えんかった‥」

夫は打ち明けるが、おそらく私に

「それ見たことか」と言われるのが怖かったからだと思われる。

二杯目の煮え湯を飲まされた夫に、私は心から同情するのだった。


しかし藤村の行いは

過去何十年、夫が私たち家族に対して行ってきたことだ。

夫の辞書に、約束の文字は無かった。

コトの大小に関わらず、行くと行って行かない、やると言ってやらない。

そのために何度待ちぼうけをくらい、何度恥をかき

何度謝り、何度怒り、何度泣いたかしれない。

彼が誠実になるのは、愛人の前だけであった。


自分が人にやってきたことを

今度は人からやられると、怒りと恥が倍加するようだ。

怒りと恥が混ざると、情けなくなる。

夫は“情けない”という未知の感情に苦しんでいた。

人はこうして、自分が貯めてきたツケを払うんだわ‥

その姿を眺め、ひとときの感慨にふける私。


それから焼肉屋へ謝罪の電話をした。

キャンセル料が必要なら自腹で払い

金額によっては藤村から厳しく取り立てるつもりだったが

店主は怒っておらず、ホッとした。


以後、藤村はぱったりと来なくなった。

藤村に謝罪の意思が無いのを知った夫が、彼の携帯を着信拒否に設定したため

藤村からの業務連絡は、本社を経由して夫へと伝えられるようになった。

《続く》
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苦労人・1

2017年12月06日 13時36分17秒 | みりこんぐらし
現在、我々の住む市内では、比較的大規模な公共工事が行われている。

昨年から始まり、あと数年は続く予定。

この工事に、我が社は資材供給部門で

本社は建設部門でそれぞれ関わっている。


我が社は現場に近いので何ら不自由は無いが、本社はとても遠い。

遠くても建設はできる。

現場に近い他社へ仕事を振り

本社の人間を数人送り込んで統括するからだ。

送り込まれた人間は営業系のため

現場経験者が欲しいということで募集をかけたところ

一人の男性が採用され、現場監督になった。


藤村と名乗るこの男、年令は私と同じくらい‥

つまり年寄りなので、工事が終わる頃には定年だ。

それはどうでもいいけど、やたらデカい。

身長は190センチ超え、体重も120キロは軽く超えていよう。

夫と息子たちもデカいので、他人のことは言えないが

うちの男どもを一回り大きくしたサイズ。

無駄に大きいという印象は否めない。


というのも、ヌーボーとした顔つきからスポーツ歴が全く読み取れない。

何かの運動によって大きく育ったのであれば

視線が安定していたり、アゴが発達していたりの片鱗が残っているはず。

この男には、それらが見当たらない。

よって、無駄に大きいおじさん決定。


採用されて以来、仕事の打ち合わせのため

藤村は週に何回か我が社にやって来る。

私は初対面から、この男を怪しんでいた。

なぜなら私と目を合わせない。

むしろ私を避け、夫しか部屋にいないかのごとくである。

これは相手を見分けるための、ある程度の基準になる。


責任者の妻であり、事務員である私は

身分的に微妙な存在といえよう。

共に働くわけでもなく、取引や損得に無関係で

ましてや若くも美しくもないオバンには何の値打ちも無く

会社に出入りする人々にとっては、ただわずらわしいだけの添え物。

オバンに挨拶をする言葉が惜しい、下げる頭が惜しいから無視するのだ。


無視されて憤慨しているのではない。

誰かに尊重してもらいたいなどと思ったことは無い。

しかし男の本心は、こういう所に現れる。


いくら夫に友好的でも、その夫の添え物にぞんざいであれば

腹は違うと見て間違いない。

私はこれで最終的に合併先を決め、取引先を選別してきた。

失敗したことは無い。

長く付き合える人は、最初から添え物に対しても礼儀正しく丁寧だ。


夫の方はこの男に親しみを持ち、優しく接していた。

よその土地から来て、周辺の地理がわからない藤村のため

買い物や医者の世話までしてやる夫は

彼の過去を聞いてシンパシーを感じている様子。

父親が経営していた建設会社を引き継いだものの

元々潰れそうだったので、すぐ倒産

それから自分で建設会社を起業するも、また倒産

次はペットショップを開業して、やはり倒産

それから今の仕事に就いたという悲惨な経歴である。


「倒産王‥」

苦笑する私に夫は言う。

「苦労人なんだ。

お互いに何か、分かり合える所がある」


苦労人が、あんなに太っていられるものか‥

私は声を大にして言いたかった。

言いたかったが、藤村は仕事で、夫は女で

それぞれ失敗を繰り返した学びの無い半生が

“お互いに分かり合える所”なのかもしれず、議論は避けた。



夫と藤村の関係が平穏に続いていたある日

藤村が相談を持ちかけてきた。

「生コン車の運転手が不足して困っている。

地元の人を3人、紹介して欲しい」


夫は即日、知り合いの定年退職者や離職者3人を揃え

あとは日当と初出勤日を告げるだけとなった。

そのことを藤村に問い合わせたが

「本社に聞いてみる」

と言ったきり、なしのつぶて。


そのまま一週間が過ぎ、十日が過ぎた。

藤村に電話をしても「もう少し待って」と言うばかり。

入社以来、しょっちゅう我が社を訪れていた彼は

その間、一度も来なかった。


できないならできないで、それを夫に言えば

直接本社と話し合うことができたが

一応責任者ということになっている藤村の顔を立てて

任せたのがアダとなった。

やる気になっていた運転手候補は次々と辞退を申し出て

この話は立ち消えた。

残ったのは、大恥をかいて謝る夫のみ。


後で本社の人間に聞いたところ

やっぱり運転手は今の人数でいいということになったそうだ。

田舎住民のネットワークを知らない藤村は

夫がその日のうちに人を集めてしまうとは思っていなかったようで

何と言って断ろうかと思案しているうちに、日が過ぎた模様。


夫はかなり怒っていて

「会社を3つも潰すような男は、やっぱりそれなりの理由があるんかのう」

と何度も言う。

それ見たことか‥

何が苦労人だ‥

常識が無いから3つも潰せるんだ‥

言いたいのは山々だが、夫の傷口に塩をなすりつけるだけなので

我慢した。

《続く》
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