殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

三つ子の魂・後編

2014年02月20日 20時12分59秒 | みりこん昭和話
その後も私は、光彦を警戒し続けていた。

しかし彼は教科書の件以降、私を避けている様子だった。


母チーコが末期の胃ガンで入院した小4の始め

久しぶりに近づいて来て、小声でこう言った。

「これで成績が下がったろう」

怒りは無かった。

その頃すでに、入学式の日にこうむった冤罪の原因を思い出していた私は

やっぱり…と思ったまでだ。


出席番号の近い光彦と私は、式の前に行われるテストを並んで受けたのだ。

フリーハンドで三角や四角の図形を描く、簡単なテストである。

お絵かきが大好きな私は慣れており、スラスラ描いて終わった。

隣に座っていた知らない子…つまり光彦は

初めての試みに長いこと悪戦苦闘していた。

悲劇はこの時に始まっていたのだ。


6年の始め、母チーコは死んだ。

「もう勉強どころじゃないよな」

光彦はまた言ったが、それは彼の杞憂に過ぎない。

ご心配なく…私は三角や四角をたまたま描けたが

学業においては凡児である。


光彦とは、中学まで同じ学校だった。

順調に凡児の道を歩む私は、もはや敵ではないため

彼の視界から完全に消えていた。


安全を確保して初めて、様々なことを考える余裕ができる。

憎たらしいので困らせてやろうと思った…腹が立ったので隠した…

言い方はいくらでもあるが、彼のしたことは

まぎれもなく窃盗である。

泥棒をしておいて平気なのはなぜか…

私は 興味を抱き、ひそかに観察を始めた。


しかしごく普通の家庭で、両親と姉に可愛がられて育ち

イケメン、スポーツマン、成績優秀、さらに表向きは快活で友達の多い彼に

邪悪の芽吹く要素は見当たらなかった。

だとすれば先天性腐敗か、親からして腐っているのだ…

私はそう結論づけた。

いかにもモテそうな条件を備えながら

不思議と彼に憧れる女子が皆無だったことも、その結論を裏打ちした。


廊下や職員室で教師達の交わすささやきも、幾度となく耳にする。

「また田島ですか」

「ええ、やっぱり裏に田島がいました」

光彦の苗字は、トラブルの黒幕として挙がるのだった。


彼の性格を矯正しようと試みる教師はいなかった。

内面をほじくり返す博打に出るより、このまま秀才として送り出すほうが

誰にとっても安全である。

光彦は学業に励みつつ、ライバルを蹴落す器用さを発揮しながら

やがて教師の期待通り、難関を突破して進学校へ進んだ。



前置きが長くなったが、光彦。

3年に一度開かれる大がかりな同窓会とは違って

いつもの地元在住メンバー10数名の中では、やはり人となりが際立つ。


その夜の会合は、同窓会事務局担当のヤスヒロが呼びかけて開かれたものだ。

光彦と同じ高校に進んだヤスヒロは、彼が帰省するたびに

一緒に飲んでいるという。

「同じ高校に進“め”なかった子達と交流するのも、たまにはいいもんだね」

光彦は明るくのたまう。


その場にいない者の悪口を最初に振っておきながら

誰かが「そうそう、こんなこともあった」と思い出話を続けると

「あ~!聞きたくなかったな~!そういう話!

やめようよ!ね!やめようよ!」といい子ぶる。

まったく、期待を裏切らん男よのぅ!

変わらぬ腐りっぷりに、一人ほくそ笑む私よ。


気づけば、雰囲気が悪くなっていた。

誰かが何か言うたび、光彦は小馬鹿にしたり揚げ足をとりつつ

カラオケに古手のつまらぬ曲を次々と入れては人に歌わせ

その歌唱力や人物を辛口で批評するという持ち前の器用さを

ここでも発揮したからだ。

他の者にさんざん前座を務めさせておいて

おのれはトリのつもりで、うまくもないEXILEなんぞ歌うからだ。


みんなの兄貴分、祐太朗が険悪なムードを察知し

急いで最後の曲を入れる。

流れてきたのは、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」。


私と祐太朗は、さっきまでこんな話をしていた。

「いつ考えても、今が一番いいって思う。

そりゃ色々あるけど、言動に制約があった若い時よりずっといい。

僕、まだ未来が楽しみなんだよ」

「私もだよ…死ぬまで、ずっと楽しみ」

「みりこんは死なないと思う」

「死なせてよ、人並みに」


祐太朗と私の関係は、幼馴染みに超がつく。

あっちはうちと違って、ええとこのボンだが

誕生日が近いため、生まれた病院の新生児室に

2人並んで寝かされていた仲なのだ。

人生や経営について語り合える、数少ない相手である。


そんな会話をした直後なので、歌詞が沁みること。

みんなで一緒に歌い、踊る。

若いモンだけでなく、年寄りも楽しませてもらうぞ!


終わり良ければすべて良し。

楽しかったのかも…な宴会は、お開きとなった。



それから3日が経った。

事務局のヤスヒロからメール。

「光彦君の奥さんのお父さんが亡くなったそうだけど

これ、どうしたらいい?」

ヤスヒロは会計係の私に判断をゆだねるべく

光彦から届いたメールの全文を添付していた。


「昨夜、妻の父が他界しました。

同窓会からは香典も弔電も出ないのですか?

妻の家族に対する僕の立場もあるので、よろしくお願いします。

場所は◯◯県◯◯市…」


同窓会の規約では、配偶者の親は対象外だ。

3日前にみんなと会ったからといって、特別措置を望む図々しさ!

ブラボー!


私はすぐさまヤスヒロに返信した。

「却下」。


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三つ子の魂・前編

2014年02月16日 13時12分45秒 | みりこん昭和話
先日、同窓会の事務局から招集がかかった。

「光彦が帰省しているそうなので、集まって飲みませんか?」


同級生の光彦は、某通信会社勤務。

順調に出世街道を歩んでいると聞いていた。

10年ぶりに見る光彦は相変わらず

整った面立ちとスレンダーボディを保ち、おしゃれな服を着こなしている。


実は私、この男が大嫌い。


話は小学校の入学式の日にさかのぼる。

式が終わって、付き添いの親達は教材を受け取りに別室へ行った。

我々子供は教室に入り、先生のお話を聞いて解散する運びとなった。

その時、この男はいきなり私を指さして、先生に訴えたのだ。

「この子が、僕のあだ名を言った!」


私は驚愕した。

まず、あだ名という単語の意味、知らず。

次に入学式からその時まで、私は言葉を発しておらん。

さらに幼稚園が違うこいつとは、見ず知らずの初対面。


私に落ち度があるとすれば、苗字が同じ「た」行であることのみ。

出席番号が近くて、たまたまこいつの横に座ったからだ。

みりこん、6才にして冤罪(えんざい)を知る。


ヤツがしつこく言い続けるので

先生は「どんなあだ名?」とたずねた。

「だから、あだ名…」

「どんな?言ってごらんなさい」

ヤツは答えられず、白い男雛のような顔を真っ赤にして

すごすごと引き下がった。

この一件により、自分に恥をかかせた仇として

ヤツの歪んだ性根に私が刻み込まれたことなど、知るよしもなかった。


そのまま1年生を過ごすうち、我が6年間の人生で最大の不幸が起こった。

ある日、社会科の教科書が忽然と消えたのだ。

半世紀近く前、教科書を無くすのは、大変不道徳でウカツな行為だった。

母チーコと一緒に、家、学校、通学路などを何日も探し回ったが

その行方はようとして知れない。


「このまま探し続けて勉強が遅れるより、新しいのを手に入れよう」

チーコはそう判断し、学校や、教科書を卸す書店に頼んでみたが

予備が無いと言われた。

当時の教科書業界は、四角四面のお役所的なムードが強く

小売のシステムも無かったので

右から左というわけにはいかなかったのだ。


もっとも、事故や天災で教科書を失う場合もあるので

本当は手立てがあったかもしれないけど

不注意で教科書を無くすような不届きな子供に

救いの手は差し伸べられないのであった。

チーコは書店で東京の出版社の電話番号を聞き出し

電話で何度も交渉して、予備を探してもらうことになった。


教科書が無い間は、先生が指導者用のものを貸してくれた。

児童用よりも一回り大きいそれは、同級生の羨望を集めた。

特に光彦は「いい気になるなよ」

「先生のつもりになってるんなら大間違いだぞ」

などと、執拗にからんだ。


2ヶ月後、新しい教科書が届いた。

初めてそれを学校に持って行った日

皆は、無くした教科書が再び買える事実に驚いていた。

光彦が遠くから口惜しそうに眺めているのを見て、胸がすいた。


しかし午後になって、不幸が再び私を襲う。

昼休みに、なんと私の無くした教科書が

男子トイレから出てきたのであった。


今のようなトイレではなく、皆が並んでいっせいに用が足せる

長いコンクリート製のミゾだ。

そのミゾでたっぷりとおしっこを吸収した教科書を

火バサミでつまんで持って来たのは、あの光彦であった。

私のじゃない!と言いたいのは山々だが、困ったことに名前が書いてある。


残酷な興奮でホオズキのように赤くなった光彦の顔を見た瞬間

私はすべてを理解した。

教科書を隠したのも、トイレに捨てたのも、こいつだったのだと。

みりこん、6才にして陰謀を知る。


このことは、誰にも言わなかった。

今も、誰にも言ってない。

感覚だけの確信であり、証拠が無いからだ。


いいさ、新しいのがあるもんね~!

前のは捨てるもんね~!


しかし帰りの会で、さらなる不幸に見舞われる。

「みりこんさんは、教科書が出てきたんだから

そっちを使わないといけないと思います」

こんな提案が出されたのだ。


「新しいのがあるから古いのを使わないというのは

わがままだと思います。

教科書もお金なので、大切にしないといけないと思います」

言ったのはもちろん、光彦である。

クッソ~、光彦め。


たとえ屁理屈であっても、議場で提案が出されたからには

それについて話し合い、裁決しなければならない。

民主主義の哀しいところよ。

先生は止めたが、私は多数決を承諾した。

ここで泣いて甘えては、今後の子供稼業に支障が出る。


多数決の結果、私は古い教科書を使うことに決まった。

光彦が事前に男子に計画を話し

手を上げるよう指示していたと知ったのは、その後だ。

男子のほうが、女子より人数が多かったのが敗因である。

みりこん、6才にして根回しの重要性を知る。


家にションベンまみれの教科書を持ち帰り、決定の旨を母チーコに伝える。

チーコはその仕打ちに激怒したが、決定に従うと言う娘のために

教科書を丁寧に洗って乾かし、花模様のブックカバーをかけてくれた。


一旦水分を吸収した過去を持つ紙は、いつまでもブヨブヨのシワシワで

取れない黄色や茶色のシミは、便所帰りを物語り続けた。

社会の授業のたびに、光彦や、彼に迎合する男子達に

臭いとかションベン女と呼ばれながら過ごす。

一年生が終わって、ションベン本と永遠にお別れできた時は

心から嬉しかった。



続く




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みりこん家のオキテ

2014年02月12日 14時42分27秒 | みりこん昭和話
節分の日、隣のおじさんが車ごと川へダイブした事件について

詳細を聞きたがる人が多いので、このところ義母ヨシコは対応に忙しい。

その日も近所の人と、庭先で話し込んでいた。

外で1時間も立ち話をしていたため、ご飯を食べるのに

手がかじかんで箸が持てず、うろたえるヨシコ。


「お湯に手をつけて…ストーブより早いから」

私は蛇口から適温の湯を出し、切羽詰まったヨシコは従順に従う。

「本当だ!手だけじゃなくて、体までサッと温かくなった!

よく知っていたわねえ!」

いつになく感心するヨシコ。

「子供の頃、お祖父ちゃんに聞いた」

と私。

「他にもあるよ…ゲップの出にくいジュースの飲み方とか」

「ワハハ!お祖父さん、面白い人だったのね!」

と笑うヨシコ。


そうなのだ…亡き祖父は、役に立つのかどうかわからないことを

私と妹によく教えていた。

ゲップの出にくいジュースの飲み方は、簡単である。

グビグビ飲まずに、少しずつ飲むだけだ。

そのタマモノかどうかは知らないが、私はこれまでゲップをしたことが無い。

ゲップ…一度でいいからやってみたい、夢の行為である。


そんなことを話すとヨシコが爆笑するので、いい気になり、もっと話す。

「それから、船が爆撃で沈没した時に生き残るコツとか…」

戦争中、戦地に物資や兵隊を運ぶ輸送船の乗員として

太平洋を往復していた祖父は、何度かこういう経験をしていた。


「え…?どうやるの?」

「海に投げ出されたら、まず冷静になって周りを見回して

自分のつかまってる板より、もっと大きい板を探す。

泳いで行ってその板をつかんで、また周りを見回す。

みんな必死だから、奪い合いもあるし死人もいるけど、極力気にしない。

その繰り返しでだんだん大きな板を手に入れて

最終目標は、上に乗っかれる板。

その板の上でサメをよけながら救援を待つ、わらしべ長者方式」

…ギャハハ!ヨシコはのけぞって笑う。


他にも手旗信号やら、敬礼の仕方やら、切腹の作法やら

祖父は幼い孫に向かって真剣に言い聞かせ、訓練させるのだった。

幼い私と妹は、戦争や原爆で何度も九死に一生を得た祖父の中に潜む

かすかな狂気を感じていた。

逆らうと面倒臭いことになるので、おとなしく非常時向けの訓練に従った。



実用性はあまり無さそうな訓練に加え、我々姉妹は小学生の頃から

出産に備えたトレーニングを毎日行っていた。

祖父が日頃主張する数々の事柄の中に

お産で身体を痛める女性が多い、というのがあったからだ。

強い母胎を育成することが、ひいては自分や家族の幸せにつながると言う。

体の弱い妻と娘を見てきたからであろう。


たいしたトレーニングではない。

腕立て伏せと逆立ちだ。

逆立ちのほうは、最初、引力を利用して

私の首を長くするために行われていたが、そのうち目的がこっちになった。

これを祖父の号令のもと、何年も続けていた。


その成果は、長男の出産で証明されることになる。

今はどうだか知らないが、30数年前

出産後の子宮は、数週間かけて元通りのタマゴ大に戻るのが一般的だった。

しかし私の子宮は、出産直後から驚異的な速さで回復を始めた。

医師は就寝中の看護学生を急いで起こすよう指示し

寝ぼけまなこで集まった学生達に、代わる代わる私のお腹を触らせて

収縮の過程を触診させた。


入院中、レアな子宮を持つ産婦として、私はちょっとしたスターであった。

産後の経過も良く、祖父のおかげだと思った。


やがて退院の日。

産後は夫の実家で厄介になることに決まっていたので、私は迎えを待った。

しかし、迎えはなかなか来なかった。

午後になっても、日が暮れても来なかった。


ついぞ昨日まで、娘と毎日やって来てワイワイと賑やかだった姑が

退院となったら来ないのを病院の人々はいぶかしみつつ

「ごちそう作ってくれてるのよ」

「きっとお布団干してくれてるんだわ」

口々にそう言ってなぐさめてくれた。

レアな子宮の持ち主は、誰も迎えに来ない気の毒分野においても

レアケースとなったもよう。


夜9時を回って、やっと夫とヨシコ登場。

「ヒロシが野球に行って、なかなか帰って来なくてねえ」

ヨシコはヘラヘラ笑いながら言った。

ようするに私と新生児は、野球に負けたのだった。

しょせん、その程度の存在でしかなかった。

その後もよそのおネエちゃんに負け続けることになるのだが

当時は知るよしもなかった。


約30年後、両親の面倒を見る運命になることも当然知らなかった。

亭主の浮気もきつかったが、精神面だけの問題であった。

老人相手のほうは、浮気より精神的苦痛が少ない分、肉体労働が加算される。

浮気と比較して、ダメージはプラマイゼロというところか。

どうにか続いているのは、産後の面倒を見てもらった恩義があるからだ。


さて、ヨシコはなおも祖父の話を聞きたがるので

私は調子に乗り、やがて話は我が実家に伝わる珍妙なオキテに及ぶ。

「トイレ、刺身、おでん…この単語の使用は禁止。

トイレはご不浄、刺身はお造り、おでんは関東炊きと呼ばないと怒られた」

「なんで?」

「知らん」

「ワハハ!」


他にも、赤飯を家で炊くのが禁止とか、行ってはいけない島というのがあった。

何代か前、赤飯を炊いたら死人が続いたり

一族の誰かが用事や観光でその島に行ったら、留守中に家が火事になったり

やはり死人が出たので、相性が悪いんだろう、という結論になったそうだ。


私が小学一年の時、父が用事でたまたまその島に行くことになったので

付いて行ったら、翌朝うちの祖母が死んだ。

中学の遠足でも行ったが、その時は何も無かった。

今、赤飯を炊いて問題の島へ行ってみたら、どうなるんだろう…

時々そう考えているのは、秘密だ。


「あと、ミカンを焼いて食べるの禁止」

「ミカンを?なんで?」

「貧乏になるから」


その時、折悪しく、ヨシコはストーブでミカンを焼いていた。

焼いて温まり、甘さを増したミカンは、ヨシコの大好物なのだ。

「だから貧乏になったのかしらねっ!」

ヨシコは怒って部屋を出て行った。


ま、いいか…祖父が私に一番多く語った内容は、話してないから。

「あの会社は、潰れるぞ。

チンピラ上がりの社長をいつまでも相手にしてくれるほど

世の中は甘くない。

あいつらは見栄っ張りだから、ギリギリまでそれを隠すだろう。

常に潮の流れをよく見て、早めに撤退しなさい。

船と一緒に沈むのは、船長だけでいい」


逃げ遅れて沈没したけど、例の教えの通り

より大きい板を模索しながら救援を待った私を、祖父が見たら何と言うだろうか。

あの世に行ったら聞いてみたいが、返事はおそらくこれだろう。

「プラマイゼロ!」
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でんじゃら・ストリート

2014年02月04日 13時15分31秒 | みりこんぐらし
義父母の世話のため、夫の実家で寝起きし始めて

もうすぐ2年になる。

川沿いの一本道に家々が並ぶ、この静かな通りには

後期高齢者しか生息していない。

静かなはずである。


この「ご長寿ストリート」で、随一の若手を自負する我ら一家は

時折、老人世帯のお手伝いをすることがある。

水道の蛇口が壊れた、今朝は神経痛で生ゴミが出せない

家電の操作がわからない…などの要請があれば駆けつけるのだ。


「ありがとね、助かったよ」

「なんのなんの、いつでも言ってね」

彼らと我々の間に、そんなリズムができあがっていた。


この方針で“最期”まで行くつもりだった。

ところが最近になって、方針に修正の必要性を感じている。

我々のスタンスに、なんら変わりは無い。

老人達が変身し始めたのだ。



昨年の晩秋、右隣に住む90才のおじさんが

「スズメバチを退治して欲しい」と言ってきた。

見に行くと、巣は軒下と屋根の空間にはびこり

ハチの増殖いちじるしい。


シロウトには無理だと言っても、おじさんは納得しない。

あくまで我々シロウトに処分を強要。

ご希望に添いたいのは山々だが、我々とて命は惜しい。

半ば強引に業者を呼んだが、無茶と執拗さに病的なものを感じた。



年明けには駅前の路地で、そのおじさんとバッタリ会う。

我々夫婦は和食屋に入るところで

おじさんはその店の前に車を停めていたのだった。

90才のドライブテクニックはかなり危なっかしく

乗るよりも、修理に出している期間のほうが長い。


おじさんは我々を発見し、運転席から手招きする。

「この店、よう来るんかいな?」

「時々」

「ほな、ここの大将に聞いてくれへんかな…

ワシ、大将に、もう来んといてくれ言われたんや」

「何で」

「知らんわ、そやから聞いてくれ言うてんねん」

「おっちゃん、何か言うたんやないのん」

彼に合わせ、つい関西弁になる私だった。


「ワシ、気になってな、こうして毎日店の前で待ってんねん」

「それ、ストーカーいうんちゃうん。

かえってこじれるで。

機会があったら聞いとくさかい、はよ帰り」

「ほな、頼むわな」

「機会があったらな」


機会は永遠に来ない。

理由がわかっているからだ。

彼の趣味である“書”…つまりお習字が原因に違いない。

おじさん、この方面ではかなりの有名人なのだ。

ただし、有名なのは書ではない。

誰かれなく作品を贈呈しては、謝礼を要求する方面において、である。


企業の雇われ社長だった頃は、多くがありがたがって押し頂き

中には金品の謝礼を手渡す者もいた。

それは書に対する評価ではなく

彼に便宜を図ってもらうための交際費であった。

退職しても、その味が忘れられないのだ。


なにしろ暇があるので、作品の仕上がるピッチは早まるいっぽう。

よって、被害者は増加するいっぽうであった。

この和食屋にも彼の魔の手が伸び…

いや、作品が飾られるようになったので、ひそかに心配していたが

ここまで重症化していたとは知らなかった。


そのおじさんだが、昨日、車庫入れに失敗して

前の川にダイビングした。

パトカーにレスキュー隊、消防車に救急車もやって来て

ちょっとしたお祭り騒ぎである。


川面に前半分が突き刺さり

逆さまになった乗用車から救出されたおじさんは、幸いにも無傷。

浸水により、足が濡れただけであった。

車がスクラップになったので、和食屋のストーカーからも

足を洗えるだろう。



パトカーや救急車といえば先日の夜

左隣のおばさんが、泣きながら駆け込んできた。

「助けてください!」

82才のご主人が、暴れているという。

ご主人は昨年、認知症と診断されていた。


「俺にどうしろと…」

シブる夫の尻を叩いて駆けつけると

奥さんは帰省中の娘さんが運転する車で、どこかへ行ってしまった。

そこへ暗い庭から、フラフラとご主人登場。


近寄って話しかけていたら、パトカー2台到着。

おばさんは、警察へ駆け込んだのだった。

数人の警官が、おじさんに優しく話しかけながら

取り囲むようにして家の中に入った。


しばらく後、ご主人と接触した人物として

私は警官から事情をたずねられる。

物見高い私としては、心躍る瞬間であった。


しかし警官が最初に言ったのは

「どこも怪我はないですか?」という

予想外の質問であった。

      「…無いですよ」

「良かった!」

警官の安堵が、まだ理解できない私だった。


「ここのご主人が庭から出て来られた時

 手に何も持っていませんでしたか?」

  「はい…手ぶらだったと思いますけど」

「本当に無事で良かった!

 布団がズタズタに切り裂いてあったんで。

 包丁を振り回して、暴れておられたんですよ」

      「…」

どうやら私は、布団と同じ運命になる可能性があったらしい。


やがて救急車到着。

おじさんは救急車に乗せられ、そのまま精神病院へ入院した。

単なる老人多発地区と思っていた、この「ご長寿ストリート」だが

ヤバい老人増殖中。


家の中でも外でも、老人と関わりを持つ時は

自己防衛の準備と、相当の覚悟が必要といういましめを込め

私はこの危険な通りに、新たな命名をほどこした。

その名はでんじゃら・ストリート。


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