殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

始まりは4年前・8

2024年08月06日 08時43分02秒 | みりこん流

『女優』

夜中の呼び出しは、その後も数日間、続いた。

2時、あるいは3時…

車を飛ばして実家へ行き、母が落ち着くのを見届けてから

早朝に帰宅する。

 

私は夜の7時台という超早寝で、夜間の呼び出しに備えた。

このハードな日課でみるみる痩せたため

減量したい人に母を貸し出す商売でも始めようかと

半分真面目に考えたものである。

 

本当に具合が悪ければ、駆けつける甲斐もあろう。

夜中に電話で人を起こし

わざわざ来させるほどの体調不良が生じれば

たいていはそのまま入院するだろうから

夜中の呼び出しはせいぜい1〜2回で終わる。

 

しかし母の場合、電話からして芝居がかっている。

そして芝居なんだから、何回でも続く。

「しんどいんよ…苦しいんよ…」

枕元の携帯に出たら、いきなりこれだ。

次の句も決まっている。

「一人で死にとうない…」

 

一人暮らしの母は防犯に神経質で

家のどこもかしこも、常に厳重に施錠している。

しかし呼び出される時は、いつも玄関の鍵が開けてある。

私は実家の鍵を持ってないので

開けておいてくれれば助かるが、母の寝室は2階。

今にも死にそうな人間が、1階の玄関まで降りて鍵を開け

それからまた2階の寝室へ戻っているというわけだ。

 

わざわざ玄関の鍵を開けたのなら

電気も点けておいてくれれば、なお助かるが

夜中に明かりを煌々と灯したら、向かいの交番が異変を感じる。

異変を感じてもらっては困るため、家中、必ず真っ暗だ。

そして本人は真っ暗な寝室で布団をかぶり

息を潜めて私の到着を待つというホラー。

 

夜中の呼び出しが始まって何日目だったか

やはり深夜3時に電話が鳴る。

「救急車はどうやって呼ぶん…」

毎晩、同じセリフでは芸が無いと思ったのか

この夜はセリフを変えてきた。

 

これを聞いて飛んで来ると思っただろうが

敵は救急車の呼び方を質問しているのだから

優しい!私は、まず呼び方をお伝えしなければ。

「119に電話するんよ」

「……」

不本意な答えだったらしい。

 

少し間を置いて、再び質問が。

「ねえ、救急車はどうやったら来てくれるん…」

「じゃけん、119に電話するんじゃが」

2〜3回、このやり取りを繰り返した後、本題に入る。

「震えがきて、どうにもならんのよ」

「寒いんじゃないん、暖房つけんさい」

「つけとるけど、寒いんよ…

私はもう死ぬんじゃわ…わかるんよ…一人で死にとうない…」

出た…最近お気に入りの、“一人で死にとうない”攻撃。

 

“一人で死にとうない”

それは老人にとって、便利なフレーズだ。

この言葉の本意は

「いつ死ぬかわからないから、いつもそばで見守れ」

ということであり、簡潔な一節の中には

“絶対、逃がさんぞ”という、強い束縛が配合されている。

実際に言われたら、わかる。

 

「はいはい、お見送りに行きますけん

玄関を開けといてちょうだい」

「わかった…」

今夜もこれから死ぬ人が、1階へ降りて鍵を開けてくれるそうだ。

 

実家へ行くために化粧をしていたら、長男が起きてきた。

今宵は電話のやり取りが長く

耳が遠くなった母に大きな声でしゃべっていたので

目を覚ましたようだ。

 

「ワシも行くわ」

彼はそう言って、実家まで車を運転してくれた。

親の欲目かもしれないが

“夜勤続き”の老親が心配になったのだと思う。

 

「死にそうなのに、玄関開けるパワーはあるんか…」

この不可思議に、長男も気づいたようだ。

いつもこうだと言ったら

「女優じゃ…」

小声でつぶやいた。

 

二人で2階の寝室へ向かうと、母は例のごとく暖房をガンガンにかけ

頭から布団をかぶって寝ていた。

が、この夜は長男が一緒だと知って張り切る女優。

「マコト、おばあちゃんは胸が苦しいんよ…」

いつもにも増して迫力の演技。

急に孫扱いされた長男は、目をパチクリするのだった。

 

この頃の私は、すでに覚悟を決めていた。

前に進む覚悟である。

 

それまでの方針は、現状維持。

母の実子であるマーヤを始め、他の人に災禍が及ばないよう

できるだけ長く前座を務めるつもりだった。

そうしているうちに年月が経ち

施設か病院、どちらかの方向が自然に決まるか

あるいは母の生命が尽きて、いずれにしても終了するだろうという

何もかも母次第の受け身の体制を取っていた。

終了まではできるだけ彼女に寄り添い

悔いのない世話をしようと思っていたのである。

 

しかし、夜中に呼ばれるようになってから考えが変わった。

好きな時間に人を呼びつけ

睡眠を取らせないのは立派な暴力だと判断したのだ。

 

母は昔から、人がどこまで自分のワガママを聞いてくれるか

じっと観察するところがあったので

性格上、あるいは精神的な分野の症状かもしれない。

だから私も腹は立たず、仕方のないことだと思っている。

それでも、病人が振るおうと元気な者が振るおうと

暴力は暴力だ。

 

このまま母と私のどちらかが倒れるまで

命懸けのバトルを繰り広げている場合じゃない…

母を施設か病院に入れることを真剣に考え始めた。

それが、前に進むということだった。

《続く》

コメント
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