「○○候補のご健闘を心よりお祈りいたします」
とエールを送り合うのが、一応のマナーである。
この時、新人は、現職議員のうぐいすからナメられることがある。
議員生活の長い候補は、うぐいすも手練(てだ)れが多いので
さりげなく皮肉られたりする。
「フレッシュな若さで、せいぜい頑張ってくださ~い。
こちらは議員経験○年!熟練!しております。
今後も長年!の実績!を生かして…」
などと言いながら、離れて行く。
要するに「おまえは若いだけだろが…」と言っているのだ。
おぼこいうぐいすであれば、おちょくられたことに気づきもしない。
なされるがまま、やられ放題だ。
しかしこっちはオバタリアン…仕掛けてこられたら、応戦はさせてもらう。
「おごらず!初心を忘れず!謙虚に!市政に取り組みます」
「裏表のない!変わらぬ態度で!働かせていただきます」
などと、相手候補の古ダヌキぶりを皮肉る。
あんまり調子に乗って根に持たれたら
当選した時に本人が気まずいだろうから、この程度で押さえる。
誰も気がつかない、うぐいす同士の静かなバトルである。
ある日、とある現職議員が、自らマイクで
こちらの候補を自分の選挙カーへ呼びつけた。
「○○君、ちょっとこっちへ…」
若い新人候補としては、名指しで呼ばれたからには
車を降りて、行かなければならない。
営業妨害もはなはだしい。
戻って来た候補に、何を言われたのかと聞けば
「当選したら、オレの派閥に入れと言われました」
つまらぬ用事にかこつけて、わざと人前で先輩ヅラをし
選挙カーの内外に、己の力を誇示するのである。
市議ぐらいで、何が派閥だ。
うちの候補は、落ち着き払った若年寄りみたいな男の子で
こういう際のかわしかたも、ちゃんと知っている。
それでも公衆の面前で呼びつけられ、子分になれと言われて、いい気分ではない。
だから、候補に言ってやるのだ。
「30年前、あいつは町のゴロツキだったのよ。
だからすぐ群れたがるんだわ。
弟は私の同級生で、すごくアホだったんだから~」
長く生きていれば、余計なことも知っているのだ。
稚拙な悪口であるが、気持ちを切り替えるには、励ましや同情より早い。
陣営に戻って、その話が出たので、私は言った。
「候補、あいつの子分にならなくてすむ方法があるわ!
ヤツより、上位で当選するのよ!」
それを聞いた周囲は、ザワリと失笑した。
何番でもいい、落選さえしなければ…それが謙虚な彼らの願いであった。
毎回上位当選している6期目の彼を、越せるわけがないと言うのだ。
これといった支持団体の無い、うちの候補の下馬評は
落選か、良くてビリから3番まで…という話であった。
悪い評価ではない。
危ないと言われたほうが、票は伸びる。
さて中盤以降…
元国会議員秘書という候補の経歴は、逆効果と言われ始めた。
先の選挙で落選後、後始末のまずさから
元議員を恨んでいる人が多いというのだ。
「あんな議員の秘書やってた男なんか、入れるものか」
多くの市民がそう憤慨し、そっぽを向いているという話が
陣営の口から口へ、まことしやかに伝わっていた。
その噂を鵜呑みにした面々は、おずおずと私にクギを刺す。
「秘書の経歴は、もう言わないようにお願いします」
私にセリフの指図するなんざ、百万年早いわい!とは言わない。
言いたいけど。
善良な初心者ばかりで構成されているので
ちょっとしたことでビビるのも、無理はない。
だが、秘書の経歴を省くと、候補の売りである“即戦力”の根拠が失われる。
元がはっきりしないただの噂を、聞くつもりもない。
市内を回るうち、候補と私は、次第に手応えらしきものを感じていた。
近年、親分が悪事を働いては、全部秘書のせいにする事件が多発し
秘書って、何かとかわいそうなムードである。
しかもうちの候補は、親分の落選で失職したという不運に見舞われている。
かわいそうは、選挙ではお得なのだ。
大勢から恨まれていると言われた元国会議員は
私も全く知らない人物ではない。
官僚出身の怜悧な気質で、身内の地盤をしばらく引き継いだだけである。
信頼が恨みに変わるほど、ねっとりと懇意だった人間が
この界隈にたくさんいるわけがない。
私はこの噂を、現職のけん制と判断した。
なかなか良い兆候である。
うちの候補の得票を、ひそかに恐れる者がいるのだ。
どこの陣営にも、コウモリみたいなのが出入りして
デマや余計なことを耳に入れては、揺さぶる。
これも一種、選挙の華といえよう…ショボい華ではあるが。
私は常に、陣営の誰をも信用しない。
信じるのは、雇い主である候補ただ一人。
そしてもっと強く信頼するのは、自分自身だ。
議員秘書の経歴は、ますます言っちゃう。
噂を流した者どもに「あんたらの思い通りにはならんぞ」
と知らしめるためである。
そして陣営には、こう言う。
「私はトシなので、やっと覚えたセリフを急に変えるのは難しくて。
今度こういうことがあったら、ご本人が直接私に注意してください」
こんな時は、年寄りになりすます。
なんて便利な50代!
もちろん誰からも注意は無いし、できるわけがない。
それが、デマの証明である。
今回は、落選者の少ない選挙だったので
誹謗中傷などの、たいした足の引っ張り合いは無かった。
これくらいですめば、かわいいもんだ。
少々物足りない私であった。