殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

現場はいま…トリオ・4

2023年10月30日 08時46分54秒 | シリーズ・現場はいま…
話は少し戻るが

重機アシスタント、シゲちゃんの操作ミスによって

夫の車の右半分が潰れた日。

この惨状を見に来いと、夫から連絡があったので会社へ行った。

そこへ、修理工場の車両運搬車が到着。

ガラスが割れて運転できないため、運搬車で移動させるのだ。

修理工場の人と話をした後、車は引き取られて行った。


事務所にはアイジンガー・ゼットがいる時間だが

どこもかしこも厳重にブラインドが降ろされているので

中の様子はわからない。

私が会社に近づく時は、外から見えないようにしてあるのだ。

彼女と顔を合わせないための、夫の配慮である。

私はある意味、事務所に出禁らしい。


全然、構わん。

もっと怖がればいい。

そこまで女房が怖いのであれば

最初から妙なことはしない方が賢いとは思うが

これもまた色道の一興。

隠してヒヤヒヤするスリルも、密室で息を潜めるスリルも

アレらにとっては必要な栄養だろうから放置。


事務所の前の駐車場にはアイジンガー・ゼットの車と

彼女が昼食を食べに自宅へ帰るための社用車が並んでいた。

夫と義母が2月に事故に遭って以来、乗らなくなり

アイジンガー・ゼットが昼休憩に帰るアシになった、あの軽自動車だ。

メチャクチャになった事故車にドアや部品をくっつけ

どうにか元の形に成型したシロモノなので、彼女が使うことに異議は無かったが

この子、悪運が強いらしくて未だに何事も無いとは残念だ。


その車のルームミラーには、緑色のマスコット人形がぶら下げてある。

体長10センチ弱の、怪獣のぬいぐるみだ。

他人の物に自分の痕跡を残してアピール…

よその旦那にちょっかいを出す人種に見られる、マーキングである。


持論が当てはまり、非常に満足する私。

この手の女って、他人の物と自分の物の区別がつかないらしくて

すべからくこれをやる。

ぬいぐるみをぶら下げて可愛ぶるのもいいけど、たまには車を洗わんかい。

ホコリで真っ白じゃないか。


しかしこれも、この手の女のあるあるじゃ。

飾るのは好きだけど、掃除は嫌い。

そして可愛い物は好きだけど、やることは可愛くない。


可愛くないのは見た目だけにしてもらいたいのはともかく

その可愛くない中で最も困るのは、不用意な発言で社内の空気を乱すこと。

例えば事務所で社員の誰かが、その場にいない他の誰かのことを話した場合

その内容を本人に、あるいは無関係の人に伝えてしまう。


こういう話になる時はたいてい、あんまり良い話ではない。

「今日は寝癖がすごい」

「あの人はよく休むから、有休は残ってないかもね」

私も事務員の経験があるのでわかるが

さまざまな人が出入りする事務所に座っていたら

重大なことから些細なことまで、たくさん聞こえるものだ。

事務員の仕事はもちろん事務だけど

聞こえたことを聞き流すのも仕事のうちと思って働いていた。

世間の事務員の大半は、そうだと思う。

ことに守秘義務のうるさくなってきた昨今

事務所で耳にしたことを事務員がしゃべりまくっていたら

内容によっては大変なことになる。


しかしアイジンガー・ゼットは、伝えなければ気が済まない。

「◯◯さんの寝癖がすごいって⬜︎⬜︎さんが言ってたよ」

「有休が残ってないんだって?」

それを親切と思っているのか、情報の発信元になるのが好きなのか

内部を分断させるのもスパイの任務なのかは知らないが

彼女はそれも仕事の一部だと思っている様子。


いずれにしても、聞かされた方は面白くない。

実際に彼女の入社以来、言った言わないでゴタゴタすることが増えた。

社内の人間関係は、こういうところから少しずつ崩れていくものだ。

この分だと、ピカチューのニックネームも

とうの昔に本人へと伝わっていることだろう。

平然としているピカチューは、立派だと思う。



ところでアイジンガー・ゼットは、埼玉県出身。

月に一度、一週間の休みを取って実家に帰省するのが習慣だ。

前任のトトロもそうだったが

私が3日でやっていた仕事を1ヶ月かけてチビチビやるのだから

一週間休もうと半月休もうと支障は無いので自由にさせている。


同じ会社で働く次男は当然、アイジンガー・ゼットが帰省する日を知っている。

教師志望の彼女は事務所のホワイトボードに連絡事項を書くのが好きで

自身の帰省休暇もデカデカと書き込むため、嫌でもわかるのだ。


…と、次男が言うには、彼女が帰省したその晩から

彼女の家に別の女性が滞在するんだそう。

アイジンガー・ゼットの旦那と手を繋いで散歩に出たり

車でどこかへ出かけるのを、次男夫婦はそれぞれに目撃するようになった。


そしてアイジンガー・ゼットが戻って来る前の晩

その女性は車でどこかへ去って行く。

これが毎月、繰り返されているという。

何しろ、お互いの住まいは向かい合わせ。

見るつもりは無くても、見えてしまうのだ。


つまりアイジンガー・ゼットはアキバの社長と不倫しているつもりだが

旦那は旦那で女房の留守によその女を引き入れ

ホテル代の節約を兼ねて新婚気分を楽しんでいるらしい。

どっちもどっちの似たもの夫婦だ。


アイジンガー・ゼットは、このことを知らないと思う。

なぜって、愛人体質の女は嫉妬深い。

自分の留守に別の女が入り込んでいると知ったら、とても平常心ではいられまい。

仕事どころではなくなるだろうし、子供がいないので早期の離婚も考えられる。

が、彼女の身の上に変化が無いところをみると

何も知らないから結婚生活が続いているし

毎月のん気に帰省できるのだと思われる。

浮気がしたかったら、遠くから嫁をもらうのも手かもしれない。

実家が遠ければ、帰省が長くなる。

その間、浮気亭主はパラダイスだ。


このように、何かと話題のアイジンガー・ゼット。

夫は彼女が原因で会社が揉めるたびに、つぶやく。

「早よう辞めてくれんかのぅ」

恋は好きでもゴタゴタは嫌いな彼らしい発言。

邪恋にゴタゴタは付きものなんだけど、まだわかってないらしいのはともかく

学びの無い彼は、私に冷たく言われるのだ。

「誰が入れたんじゃ」


そんな不都合なことなど、とうに忘れ去っている夫は

彼女が教員採用試験に合格して、来年にはうちを辞める予定だと言う。

しかし、それは欲目だ。

何年も落ち続けてきたのが、急に合格するとは思えん。

そもそもアレを合格させたら、県教委の目は節穴じゃ。


それ以前に、この人は教師に向いてない。

言っていいことと悪いことの区別がつかないだけでなく

愛人稼業の片手間に先生なんかされたんじゃあ、子供がかわいそうだ。

また、念願叶って節穴をかいくぐり、なんとか合格したとしても

すぐ問題教師として糾弾されて続かない気がする。

採用にあたって使用される税金の無駄遣いだ。

試験に落ち続けてうちに居る方が、世の中のためになるかも…

それも広い意味では社会貢献…

などと考える秋である。

《完》
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現場はいま…トリオ・3

2023年10月25日 14時27分26秒 | シリーズ・現場はいま…
単位の変更を却下され、次は配車に手を出して怒られ…

前任の松木氏と同じ道を辿るピカチュー。

彼が松木コースを歩むつもりであれば

次は港湾事務所に船舶の着岸許可の印鑑をもらいに行くなどの

猿でもできる単純な用事を発見して夫から奪い

本社に向けて、さも重要な仕事をしているかのように振る舞うはずだ。


彼らは、責められるのをひどく恐れる。

何もわからないんだから誰も責めはしないのに、一人で勝手に恐れ

その恐怖を払拭するために、どんなことでもやってしまう。

何もわからないからこそ、周囲にとって迷惑なことを平気でやってしまうのだ。

うちには未経験の年配者が赴任するとこうなるという前例が二つあるので

おそらく間違いない。


それらをマスターしたら、ほどなく本社への告げ口が始まる。

暇にあかせてこちらの日常を観察、大袈裟に報告して

本社の視線を自分から遠ざけるのだ。

並行して、こちらの仕事を横取りして自分の成績にしようと企むようになり

やがては夫を追い出して自分が成り代わろうとするようになるのが松木コース。


が、ピカチューの場合、そこまで進まないと思われる。

なぜなら彼は、松木氏や藤村のように

職を転々とするうちに歪んだテンテン族とは毛色が異なる。

のどかな島の生コン工場へ何十年も勤続した真面目人間であり

仕事の傍ら、山村の自宅周辺で稲作に従事している農耕民族だ。

つまり勤続の信用と農業の退路を持っているため、切羽詰まった飢餓を感じない。


さらに彼は松木氏や藤村と違って本社直接雇用でもなく

本社営業部の一員でもない。

つまり前任者とは雇用条件が異なるため、成績ゼロを責められて苦しむことは無い。


しかも62才という、ピカチューの年齢的ネックが存在する。

松木氏と藤村が中途採用でいきなり営業所長に抜擢され

こちらへ着任した頃はどちらも52才。

転職を繰り返したために少ないであろう年金を案じ

来たるべき老後に向けて野心をギラギラさせながら、最後の一発勝負に賭けていた。

が、ピカチューに残された時間は少なく、追い落とすターゲットである夫も同様。

どちらもじきに引退だから、人を蹴落としてまで自分が居座る必要性が無い。

前任の二人より、気楽ではないかと思われる。

ただしあからさまな悪人より、悪気の無い善人の方が

取り返しのつかない大胆なことをやらかす場合があるので

油断しないでおこう。



さて、ここまではシゲちゃんとピカチューに触れた。

タイトルにあるトリオのトリを飾るのは

言わずと知れた事務員のノゾミ42才…通称アイジンガー・ゼット。

彼女は相変わらず、勤めてくれている。

性格はともかく、頭が良いので仕事はスムーズだ。

他のことはどうでもいい。


夫は、彼女が隣のライバル会社、アキバ産業の社長と愛人関係で

うちのデータを盗むために夫に近づいたことが判明しても

「ノンちゃん」と呼んで可愛がってきた。

あれ、浮気者特有の心理なのよね。

他人のものとわかっても、騙されたと知っても

一回握ったロープは向こうが切るまで離さない。

それを未練がましいと呼ぶんだけど、本人はそうじゃない。

最後の最後まで、可能性は残しておきたいらしい。


「会社に入れたら絶対バレるのに、何でわかりきったことをやらかすの?

やっぱりバカでっか?」

そんな疑問をお持ちの方もいらっしゃるだろう。

バカは認める。


ともあれ社内恋愛で結婚された方は、けっこうおられると思う。

恋愛中は楽しかったし、楽しかったから結婚なさったはず。

秘密を持つのは楽しいし、公になって冷やかされるのも楽しいものだ。

しかしそうなるには、たまたま同じ会社だった…

たまたま同じ部署になった…

たまたま社内のレクリエーションで話すようになった…

など、偶然の出会いという条件が必要になってくる。


一方、自分で人事を決められる自営業者は、そのシナリオを自分で書ける。

言うなれば、社内恋愛の自作自演が可能になるわけだ。

会社で偶然出会うのではなく、好きな人を会社に入れてしまえば

その日から楽しい社内恋愛が始められるではないか。

めぼしい女性の入社を待つより

最初から自分のオンナを入れた方が早く楽しめるという寸法よ。



というわけで、少なくとも夫の方は

嬉し恥ずかしラブリーライフを送って7ヶ月が経過。

夫が楽しければ、私は嬉しい。

毎日、命の洗濯をして、できるだけ長生きしてもらいたい。

年金、あてにしてるからね!


だけど近頃は、さすがの夫も熱が冷めてきた模様。

というのも5月に結婚した次男の新居は、会社にほど近い地域にある。

そのアパートは、夫が毎日通っておしゃべりをする青果店の持ち物。

安く貸すから住んで欲しいと言われ、一も二もなくそこに決めた。


次男のアパートの何軒だか隣には、アキバ産業の本社事務所があった。

さらに住み始めて知ったのだが、アイジンガー・ゼットが旦那と暮らす一軒家は

次男のアパートの向かいだった。


ご近所だとわかり、お互いに驚いた二人。

その時、家賃の話になって、彼女はこともなげに言った。

「ここ、アキバ産業の社宅だから、家賃はタダ同然なのよ」

バブル期の先代たちは、会社の近くに物件が空くと競って買い求めたものだ。

その名残りの家らしい。


それはさておき、アイジンガー・ゼットの旦那とアキバ社長は

ニコイチと呼ばれるほど確かに仲がいい。

が、いくら仲良しでも、住居まで与えてもらうのは不自然だ。

アイジンガー・ゼットの旦那はアキバの社員ではなく、隣町にある工場の後継者。

昔はアキバ産業より、ずっと大きな会社だった。

歴代の社長一族は旧家の名士で通っており

昭和期になって雨後のタケノコのごとく出現した

うちやアキバ産業のような建設業とは格が違う。


今は落ち目とはいえ、その末裔がよその会社の社宅へ転がり込むなんて

男のプライドは無いのか…

それともあの家は、アイジンガー・ゼットの愛人報酬なのか…

モヤモヤした次男は、夫にこの件を話した。

ノンちゃん夫婦がアキバ社長と色々な意味で親密なのは夫も知っていたが

そこまでとは思わなかったので、びっくりしていたそうだ。


以後、私も夫の体温低下を感じる。

アイジンガー・ゼットが、完全にアキバの手の者と認識したのだろう。

あからさまな変化は無いが、出勤する時におしゃれをしなくなったように思う。

新しい服も欲しがらなくなったし、月に3回の散髪の頻度も下がった。

乙女か。

《続く》
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現場はいま…トリオ・2

2023年10月22日 09時01分41秒 | シリーズ・現場はいま…
重機を制する者は、現場を制す。

得意の重機をとっかかりに、采配を振るう予定でいたピカチュー。

しかし早晩、彼の実力では無理と判明した。


夢破れた彼が次に何をしたかというと

うちで使っているm3(立方メートル)という単位を

彼が長年、慣れ親しんだt(トン)単位に変えてくれと言い出す。

生コン出身者は、この単位の違いに強い違和感を感じるらしい。

同じ生コン出身の松木氏も、着任してからしばらくは同じことを言っていた。


なぜって、学校でも職場でも

チンプンカンプンで何もわからないのは辛いものよ。

仕事を覚える以前に、最初の一歩である単位でつまづいたら最後

年配者の硬い脳には何も入らなくなり、別世界に迷い込んだような孤独の淵で

新人の位置に甘んじ続けるしかない。


年を取ると、わからない状態を続けるのが恥ずかしくなる。

わからないうちは、他の皆より下っ端だからだ。

お飾りの肩書きを与えられ、意気揚々と着任したはずの年配者にとって

これは実に苦しい状況と思われる。

一日も早く慣れて、営業所長という肩書き通りに振る舞いたい…

そんな焦りに苦しむようになるのは、松木氏をつぶさに見てわかっていた。


前任の藤村や松木氏より、善良なだけマシなピカチューも62才。

したたかなオジさんであることに変わりはない。

オジさんはやがて、この苦しみから脱出するスベを発見するのだ。

「何もわからないのは自分が劣っているからではなく

単位が違うからではないのか。

慣れている単位に変えさえすれば、自分にもわかるのではないか」

何ヶ月か経つとそう錯覚し始め、単位の変更を主張するようになる。


が、言われるままに単位の変更を認めてしまったら

従来のm3にいちいち掛け算をして、tに換算しなければならない。

単位を変える行為は、現在の日本で使われているメートル法を

インチや寸に変えるのと同じことだ。

我々の業界にとって単位の変換は、法律を変えるほどの暴挙であり

本社を含めた内部にも、取引先にも混乱を引き起こすのは明白。


しかし彼にはその意味すらわからず

「トンに変えれば自分にもわかるのに」

と再三訴えては変更をねだる。

単位を変えても、わからないものは永遠にわからないことを夫は知っていた。

こんなバカバカしいことを思いつき、臆面も無く口に出すような者は

そもそもこの仕事に向いてない。

それすらわからないのも、入社した頃の松木氏と全く同じである。


夫がなかなか首を縦に振らないことに焦れたピカチューは、この時点で言い出す。

「僕は本社直轄の営業所長なのに…」

つまり子会社の者は、本社直轄の言うことを聞けと言いたいのだ。

この発言も松木氏と全く同じだった。


単位の変更に続いて本社直轄を振りかざすピカチューは

夫の中で松木氏と重なった。

せっかくいなくなったのに、また同じことの繰り返しか…

絶望した夫は厳しく言った。

「この業界には、足を踏み入れたらいけん領域がある。

それ越えたら、わしゃ噛みつくど!」

年上の松木氏には、言いたくても言えなかった言葉だ。

「これでようやく、単位のことを言わなくなった」

夫は私に報告した。


松木氏の方が一つ年上ということで、夫は我慢に我慢を重ねてきた。

その結果、どこまでも増長させてしまった反省を踏まえ

「年下のピカチューには強気で行きんさい」

彼の着任が決まった時点で、私は夫に言い聞かせたものである。

しかし今回の夫の発言は、抽象的過ぎると感じた。


右も左もわからないうちから単位の変更を言い出して

アウェーを自分のホームグラウンドにしたがるような者は、元々勘が鈍い。

ことに商売の勘が鈍いから、そんなことを言い出せるのだ。

鈍い奴に、領域の境界線なんか見えるわけがない。

よって、これでは終わらないだろうと思った次第である。


夫の剣幕に驚き、単位の変更を諦めたピカチュー。

最近は配車に興味を持ち始めた。

初心者にはこの配車が、暇つぶしに持って来いの良さげな仕事に見えるらしい。

ある日の夕方、近くの取引先を訪問し、在庫を確認して長男に直接連絡。

「かなり減ってるから、明日は多めに行って。

1台につき6往復ぐらいのつもりでね」


いきなり言われた長男は、腹を立てた。

突然、配車の仕事を奪って見当違いの指示を出し

仕事をしたつもりになっている厚かましさが

長男の天敵、藤村を彷彿とさせたからだ。


取引先の在庫が減っているのは、子供でも見たらわかる。

近い取引先へ一軒だけ行って在庫を確認したところで

他の取引先との兼ね合い、こちらの在庫や入荷の予定

運転手のスケジュール、さらに天候を無視して配車はできない。 

ダンプを遊ばせないように、さりとてオーバーワークにならないように

うまくコントロールするのも配車の大事な仕事である。


藤村もそうだったが、ピカチューも

取引先の在庫が切れて操業がストップするのを恐れる。

が、それこそ初心者特有の無駄な恐怖。

全車が一軒の取引先に集中したら、出入り口や納品ポイントで渋滞が起きる。

順番待ちのためにかえって時間がかかり、スムーズな納品が難しくなるのだ。

取引先が在庫切れを起こさないよう、さりとて過剰納品にならないよう

そしてこちらはダンプが無駄な燃料を炊かず、残業にもならないよう

つまるところは利益を出すために各方面をやりくりするのも配車のうちである。


一見、誰でもできそうな配車だが、実はこのように奥が深い。

勝手なしろうと考えで台数と往復回数を決めて

失敗、つまり損益が出たら誰が責任を取るのだ。

先の先まで見越す勘と経験が無いから、いきなり配車をしたくなるのであり

そんな人間は絶対に責任を取らない。

しろうとがいきなり配車を奪うのは

夫を始め運転手たちに対する冒涜に他ならない。

我々の業界で配車に口を出すとは、そういうことである。


長男から話を聞いた夫も怒った。

単位の変更が未遂に終わった松木氏も、一時は同じことをやったし

あの藤村なぞ、そのまま配車の仕事を奪ってしまい、損益を出し続けた。

さらにはピカチューまで同じ道を歩もうとしているのだから

腹が立たないはずが無い。


しかし感情的なものばかりでなく、物理的な問題もあった。

翌日の予定は決まっているのに、夕方になって変えるわけにはいかない。

重機を扱う夫は、取引先にいちいち行って目視しなくても

ダンプに積み込んだ商品の数量で向こうの在庫状況を把握している。

退屈しのぎに取引先までドライブした人に

納品の台数と数量を勝手に決められても困るというものだ。


よって、配車も足を踏み入れてはならない領域だと

ピカチューに説明した。

配車をやって喜ばれると思っていた善良な彼は、かなり当惑していたそうだ。

こちらへ来て8ヶ月、彼は今この地点にいる。

《続く》
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現場はいま…トリオ・1

2023年10月20日 14時03分50秒 | シリーズ・現場はいま…
会社は今、安定している。

私の言う安定とは、ひどく忙しくもなく、さりとて暇でもなく

車両の故障や揉め事などの問題も多少ある日常のこと。

会社にまつわる安定、順調、平穏とは、そういう状態を指す。

人間が生きていれば、毎日色々あるように

会社も生きているんだから、色々あって当たり前だ。


つい先日も夫のアシスタント、シゲちゃんが重機の操作を誤り

夫の自家用車は右半分が潰れた。

たまたま、駐車場でない場所に車を置いていたのが敗因である。

軽く“お察し”のシゲちゃんは、イレギュラーに対応できないのだ。


ショック?無い無い。

怪我人が出なくて良かった…他の人の車じゃなくて良かった…

我々夫婦はこの幸運を喜んだ。

これしきのことで怒りや衝撃を感じていたら

とてもじゃないけど建設業界で生きては行けない。


重機にも保険を掛けているので修理費用は出るが

半分潰れた車は2月に起きた夫と義母の交通事故を彷彿とさせ

直して乗る気にはなれない。

廃車にして、別の車を買うことを即決。


夕方になって、シゲちゃんがうちへ来た。

夫はいつものように青果店で遊んでいる時間だったので、私が応対。

彼は青い顔で、お詫びの印らしきお菓子の箱を差し出し

「今日はすみませんでした」

と謝った。


彼をちゃんと見たのは、この時が初めてかも。

10年ぐらい前、彼と次男が山口へフグを食べに行った帰りに

新幹線の駅へ迎えに行ったのが初対面だったが

当時40代後半の彼は一言も発せず、後部座席に座ったまま。

夜だったので姿はよく見えず、声も聞いたことはなかった。


一昨年、うちへ入社してからも、あんまり見たことは無い。

慣れない人と接触するのが苦手らしく、重機の中へ逃げているのだと思う。

その印象から、小さくて痩せた男を想像していたが

実物はメガネをかけた恰幅のいいおじさんだった。

謝罪の言葉も、しっかりした話し方。

人見知りの彼にしては、ものすごく頑張っているのではなかろうか。


「ここに来るまでドキドキしたんじゃないの?

申し訳なかったわねぇ。

誰にも怪我が無くて良かったのよ」

と言ったら

「いえ、これは怪我のある無しの問題じゃなく 

僕はぶつけたことを謝りに来たのであって…」

と説教じみて言う。

「あの車はもう古いんだから、気にしないでくださいね」

と言ったら

「いえ、これは古い新しいの問題じゃなく…」

また説教だ。


人付き合いが苦手で、ろくすっぽ挨拶もできず

いつもオドオドしているにもかかわらず

自身の感覚にヒットしたフレーズに対しては

言葉尻を取って饒舌になり、小理屈をこねる…

ここらが“オタク系お察し”のユエンじゃ。

こういうところが人をナメているように受け取られ

嫌われたりいじめられたりするのだが、本人は気づかないまま一生を送る…

こんな人、時々いる。

夫の苦労がしのばれた。


とにかく菓子折りを受け取って欲しいようなので、受け取った。

包装だけは派手なレーズン入りクッキー。

もっと美味しそうなの、くれや。



さて、肺癌で引退した松木氏の後任として

4月からこちらに配属された板野さんは、やっと慣れてきたところ。

社員から密かにピカチューという、可愛いらしいニックネームも付けられた。

ネーミングの由来は黄色いからではなく、頭部の輝きである。


慣れてきたというのは

何もわからない…何もすることが無い…何もできない…

その状態から何とか抜け出そうとし始めたこと。

つまり、今のところは順調に松木氏を踏襲している。


長年、島しょ部の小さい生コン工場で所長をしていたピカチューは

重機のスペシャリストという鳴り物入りでこちらへ赴任した。

本人も大好きな重機を扱えるとあって、やる気満々。

シゲちゃんが役に立たないため、我々夫婦は喜んだものだ。

夫も本社も、ピカチューが重機オペレーターとして使えそうならば

いつ低血糖で倒れるかわからないシゲちゃんの肩叩きを敢行する腹だった。


が、その目論見は一瞬で打ち砕かれる。

ピカチューの実力は、シゲちゃん以下であった。

下手というのではなく、業種の違い。

生コン工場で重機を扱っていた…

このプロフィールが、我々の運搬業界に通用しなかったのである。


ピカチューがやっていたのは

資材を右から左へひたすら移動させ続ける行為。

しかしこっちの職場は、商品をダンプに積み込まなければならない。

ダンプは、荷台に積み込まれた商品を乗せて公道を走る。

重心が偏ってカーブや急ブレーキで荷崩れを起こさないよう

バランスを考えて積むのが鉄則だ。


最もバランスの良い荷姿(にすがた)は、縦長の美しい台形。

ダンプの運転手は、この荷姿に強いこだわりを持つ。

醜い荷姿とは、重心が偏っていることであり

重心が偏ると、ダンプはその重みで斜めに傾く。

傾いたダンプを運転するのは危険防止と美意識の両面において

恥以外のなにものでもない。

美しい荷姿で送り出してくれる重機オペレーターのいる会社で働くことは

ダンプドライバーの誇りである。


シゲちゃんも荷姿にこだわらないので、運転手にひどく評判が悪い。

夫の留守や来客中に、ごゆっくりさんの彼が積込みをすると時間がかかる。

そして遅いわりには雑。

彼にとっては積むことだけが目標であり

バランスや美しさといった付属的なことは考えられないようだ。


ともあれシゲちゃんのようにダンプの運転をしたことがない人は

運転手が何を求めているのかがわからないので、向いてないと言えよう。

ましてやダンプの運転どころか、ダンプ積みも未経験のピカチューに

美しい台形を素早く形成できるはずは無かった。

島の工場で使っていた旧式の重機と違い

こちらで使っているコンピュータ制御の新型も扱いにくいようで

ピカチューは早々に重機オペレーターの路線を諦めたのだった。

《続く》
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手抜き料理・過去最高

2023年10月15日 11時14分22秒 | 手抜き料理
魔の懐石料理教室が終わった翌週

同級生ユリちゃんのお寺で、恒例のお寺料理を作った。

お盆行事で熱中症になって以降、初めての料理番だ。


お寺では危険防止のためにエアコンが付いたが

あれから季節は移り、秋になったので出番は無い。

ユリちゃんを始め、お寺の人たちは得意げな一方

病み上がり?の私に気を使っている様子だ。


「結局付けるんなら、こんなことになる前にやらんかい…」

台所の壁に高々と祀られたエアコンを見て、私はいまいましく思った。

こっちはずっと後遺症に苦しんでいたのだ。

私の夏を返せ。


一方、料理番仲間の同級生マミちゃんは張り切っている。

前の週にやった懐石料理の教室で、さんざん働かされた恨みが

彼女を燃えさせていた。

「お金を取られて働かされるより、タダ働きがわかってるお寺の方がまだマシ」

だそう。


とはいえマミちゃんも、お寺料理から足を洗いたいと思っている。

しかし、ユリちゃんと気まずくなるのは困る。

狭い田舎町で、お寺は人の口に上りやすい。

特にユリ寺は、住職が常駐していないことや跡取りがいないこと

檀家がひどく少ないこと、住職の夫婦仲が険悪なことなど

お寺にとって不利な条件が揃っているため、何かと噂の的である。

“そして誰もいなくなった…”という結末になるその日を

町の人々は興味本意で見守っているのが正確な現状。


そのように注目を集めている対象との関係がこじれたら、噂はすぐに広まる。

客商売40年のマミちゃんは、そうなると面倒くさいことを知っていた。

主観でしか物を見られない年寄りは、とんでもないことを言いふらすものだ。

“あのユリ寺で同級生が仲間割れ”

噂にそんな見出しが付いたら、みっともないではないか。

先はどうあれ、今の関係を自ら壊すわけにはいかない…

この縛りがマミちゃんを引き留め

私は彼女の縛りに付き合っているという格好である。


ともあれ今回は、宗派の開祖の命日を記念した、“御会式(おえしき)”。

めでたさと規模では、夏祭りの次に重い行事だ。

参加者が少ないとはいえ、それなりの格は必要。

スンドゥブチゲやチーズダッカルビでランチというわけにはいかない。


ということで、私が思いついたのが

《みりこん作・レンコン饅頭》


言わずと知れた、あの恐怖の懐石料理に対する反抗だ。


懐石料理で作ったレンコン饅頭は、蒸したものだった。

ボケた味で、ちっとも美味しくなかった。

私にとってのレンコン饅頭といえば

以前勤務していた病院の厨房で作っていた名物料理である。


これは以前、レンコン団子という名称でご紹介したことがある。

レンコン、ギンナン、ニンジンをそれぞれフードプロセッサーで粉砕した物と

大葉のみじん切りを鶏ミンチに混ぜ込み

卵、酒、ショウガ汁、塩、薄口醤油を加えて

小さいハンバーグ状に丸めて揚げたもの。

材料さえ揃えればすごく簡単で、油はねが無く平和に揚がる。


レシピは50個から60個分と、多いのが申し訳ないけど

鶏ミンチ1キロ、くずレンコン1キロ、ギンナンの缶詰中型2缶

ニンジン3本、大葉50枚、ショウガ5センチ大1個分の汁

卵3個、酒大さじ1、塩小さじ2、薄口醤油80CCってところか。


こうして揚げたレンコン饅頭を汁椀に置き

昆布とカツオ節で取った出汁に酒、薄口醤油、塩で吸い物状に味付けして

片栗粉で緩やかなトロミを付けた汁をヒタヒタにかけ

スダチでもミツバでもカイワレでも飾れば

ハイ、何やら上品そうな椀ものの出来上がり。

しかも香ばしくて美味い。

デキる女の名声は欲しいままである。



《みりこん作・イカ大根》


我が家の魔境、冷凍庫から

いつぞや息子の釣ってきたイカが発掘されたので煮て持って行った。

私の料理はこれだけなので、すごく楽。

今回から、マミちゃんと誓い合ったのだ。

「これからは、あんまりようけ作るまぁや。

ようけ作ってもアレらが喜ぶだけで、こっちは洗い物や持ち帰りの土産が増えて

自分の首を絞めるだけじゃけん」


一方、マミちゃんは春巻き特集。

お盆行事で倒れた私がほとんど食べられなかったため

改めて作ってくれた。

春巻きは生も揚げたのも好物なので、嬉しかった。

《マミちゃん作・海老入り生春巻き》



《マミちゃん作・キムチ入り生春巻き》



《マミちゃん作・揚げ春巻き》



《マミちゃん作・生リンゴと溶けるチーズの揚げ春巻きハチミツ添え》



《マミちゃん作・シイタケの肉詰め》


この料理もヘビーローテーションだが、私の好物なので作ってくれた。



この行事ではユリちゃんと兄嫁さんが作った精進の炊き込みご飯が土産に付くので

主食は凝らずにおむすびを作る予定だった。

が、お天気がパッとしなかったのもあって参加者のキャンセルが続き

結局、檀家は3人だけ。

料理番はマミちゃんと私とモンちゃん、そして公務員OGの梶田さんの4人。

あとはユリちゃん夫婦に兄嫁さん

それからユリちゃんの従姉妹夫婦がランチに訪れて5人。

総勢12人、身内とスタッフの方が多いという安定のメンバー構成。

檀家が少ないので、焼香など法要の手順が早く終了してしまい

昼食が早まったため、おむすびを作る時間が無くなって白ごはんになった。


他に、ゼンザイを作ってジプロックに入れて持って行った。

冷凍の白玉団子も買って行った。

冷凍白玉は凍ったまま、鍋に移したゼンザイに入れて温めればいいので楽ちんだ。


今回は料理をあえて少なく作ったため

残り物は多めに作っていたレンコン饅頭だけ。

カラシ醤油を付けて食べるとカジュアルな居酒屋風になり

汁ものとは違ってまた美味しい。

水分に気を使わなくていいので土産の折り詰めも早くできて、とても楽だった。


マミちゃんは材料費が8千円近くかかったと気にしていたが

構うもんか。

私も躊躇なく、7千円ほど買った。

量の少なさと予算の高さは過去最高となり、満足だった。
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情報通信局

2023年10月12日 14時33分19秒 | みりこんぐらし
昨日の夕方、おニューな詐欺電話がかかってきたので

取り急ぎご報告。


最初はいつものように、義母ヨシコが出た。

「は?携帯電話?

私は持っていませんけど?

え?何言ってるか、ようわからん。

今、若い者に代わります」

なんて言ってる。

家の電話に嬉々として出たがる彼女だが、友人と通販以外は

“若い者”と呼ばれる私に押しつけるのが常。


「なんか、局の人が相談があるって言うのよ。

私に相談されても困るわよ」

ヨシコはブツブツ言いながら、私にバトンタッチ。


「もしもし、お電話代わりました」

電話に出ると、女性の声で立板に水のごとくツラツラとおっしゃる。

「こちらは情報通信局です。

◯◯様(うちの苗字ね)の携帯電話の番号が

手違いでたくさんの所にかかってしまって

このままだと月末に高額請求が発生します。

この電話は、未然に解決するためのご相談です」


「手違いなら、あんたが解決しなさいよ!」

そう言ってみるが、相手にその気は無いみたい。

「このままだと月末に高額請求が…」

と繰り返す。


私は最初に“情報通信局”と名乗った時から、詐欺だと気づいていた。

電波管理局や陸運局なら実在していて、うちもまんざら無関係ではないが

情報通信局なんて無さそうだもん。


一方、年寄りは“局”と聞いたら、昔の郵便局や電話局と混同する。

「ちょっと、局へ行ってくる」

私の親世代は、郵便局へ行く時にそう言って出かけたし

通信手段が家庭電話と電報しか無かった時代なので

「局で電報を打って来る」

という会話も日常的に交わされていた。

そのため、年寄りは局と聞いたら、一瞬で国の機関だと錯覚し

すっかり信用してしまう。

言うことを聞いてしまう人もいるだろう。

それを利用した詐欺だと思う。


しかも相手の女性の声は、録音。

言うのも恥ずかしいけど、これでも幼少の一時期

音楽家を目指した私は耳が鋭い。

微かに混ざるノイズの量で、直接しゃべっているか録音かぐらいはわかる。


さらに言うのも恥ずかしいけど、滅多にやらないとはいえ

一応は選挙のウグイス、女性の声には敏感だ。

しっかり日本語をしゃべっているようでも

微妙に違う言い回しと声の質は聞き分けられる。

電話の相手は、日本語の達者な東南アジア系の中年女性が

下を向いて原稿を読んでいるのを録音したような感触。

あるいは抑揚が無くて体温を感じない話し方から

今流行りのAIかもしれん。

AIが、裏ぶれた中年女の声を出せるほど発達していればの話だが。

とにかく相手は、女性の声を吹き込んだ音源を回しながら

こちらの反応によって進めたり繰り返したりしているようだ。


「コラ!詐欺はやめい!」

と言ったら、電話は切られた。

不甲斐ない奴らだ。


銀行を名乗る詐欺の手口は国民に浸透してきて使えず

警察を名乗れば身構えられて実入りが少ない。

そこで今度は、気持ちも新たに“局”というのを使い始めたらしい。

気をつけてください。


胸くそ悪いので、爽やかな画像でもどうぞ。



友だちが、ドバイ経由で帰国するラグビー日本代表チームと

同じ便だったそうで、写真を送ってくれました。
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手抜き料理・料理教室・2

2023年10月10日 08時42分23秒 | 手抜き料理
翌朝は、珍しく足腰が痛かった。

台所仕事には慣れているつもりだったが、人の指示…

特に行き当たりばったりの気まぐれで仕事を振られ

余計な筋肉を使ったみたい。

しかもタダ働きとくれば、痛みが増すような気がする。


しかしこの日は、早出を要請されていた。

予定より1時間早い9時出勤だ。

前日が予定通りに行かなかったため

お客様に料理を出す12時には到底間に合わないからである。


そうなってしまったのには、明確な理由があった。

料理教室の開催前日、真っ先に食器を出して

二つある作業台の一つを潰してしまったからだ。

すると残り一つの作業台しか使えなくなり

切るのも、食材や料理を置くのもそこしか無くなる。

作業台の上は物でひしめき

何をするにも物をどこかへよけてからでないと進まない。

そして皆が作業台を取り囲んで仕事をすることになるため

人の交差すら難儀。


2人からせいぜい5人程度の少人数を相手に

細やかな接待をするのが懐石料理というもの。

調理場の我々を含めた30人分弱の料理を作るのは

先生も初めてだとおっしゃっていたが

いつもの習慣で食器を先にお出しになったのだ。

予定通りに進まないのは、こういった手順の問題なのであった。


ともあれ、身体のあちこちに湿布を貼った私は

昨日と同じく迎えに来てくれたマミちゃんの車に乗り込み

重い足取りで再び会場へ赴いた。

「今日も労働…」

「次は誘われても絶対断ろうね」

車中で話していると、マミちゃんが思い詰めたように言った。

「ねぇ、今日来るお客さんて、食べるだけなんじゃろ?

その人らの会費は半額の5千円じゃん。

座って食べてお金は半額なら、そっちの方がいいよね」

「うちもそう思うよ」

「私らは倍のお金出して働くって、おかしいんじゃないん?」

「しょうがないが…誘いに乗ったうちらが悪いんよ」

「うちらってさ、どこ行っても働かされるよね」

「うちらのようなおバカさんは、そういう人しか付き合ってもらえんのよ」

「かわいそうじゃね、うちら」

「ほうじゃね」


価格設定に疑問は残るが、これも経験。

はるばる東京から来る二人の旅費と宿泊費を捻出するには

物好きな田舎のお人好しからぼったくるしか無いだろうよ。

お客の方も、5千円の会費に見合った料理が出てくるなんて

夢にも思わない方がいい。

大半は旅費宿泊費と講師代に回される。


お寺に到着して、また働いた。

本番が近づいた先生は、昨日にも増して気が立っているみたい。

が、それも今日で終わり。

あとあとまで語り草になるネタを拾ったと思えば

これは良いイベントである。


やがて昼が近づき、人が集まってきた。

大半が70〜80代のおばあちゃんだけど

とっても期待しておられるご様子なのは、華やいだ服装でわかる。

その人たちに、また先生の自己紹介、そしてお経と講話が終わったら

いよいよお食事会の始まりだ。


これから、ごはんを盛るところ。

平たい皿は、《鯛の昆布〆》


昆布〆は、鯛を前日から昆布で巻き、ラップにくるんで冷やしておいた。

同量の酢と醤油に浸しておいた海苔を添えると

醤油をたらさなくても刺身が食べられる格好。


汁物は、ちぎった海苔にカラシを一滴たらした味噌汁。

味噌はもちろん、自然醗酵のもの。

が、昆布〆のワサビは市販のチューブだった。

自然を食すというコンセプトは、どうなっとるんじや。


作法としては、ごはんと汁の一回目が終わったら

向付(むこうづけ)、つまりなま物に箸を付ける。

最初にごはんと汁を先にいただくのが鉄則で

食べ終わったら、ごはんと汁のお代わりを補充する。


《碗盛…レンコン饅頭》


レンコンとトロロ芋をすりおろし、ヒジキとニンジンを混ぜて蒸したもの。


《焼物…イワシのオーブン焼き》

生のイワシの開きに大葉を乗せ、梅味噌を塗って巻いてある。

お客様には、これが一番好評だった。

味、姿ともにわかりやすかったからだと思う。


《煮物…冬瓜(とうがん)のあんかけ》


湯で煮た冬瓜に、鶏ミンチのあんをかけたもの。


《八寸…サーモンの油漬け・栗きんちゃく》


懐石料理って、私の推奨?する手抜き料理とは

一番遠い所にあると思っていた。

しかし、これは見事な手抜き料理じゃないのか。

なぜならサーモンの油漬けは通販だそうで

それをスダチの上に乗せただけ。

レインコートの生地みたいな

水分を通さない懐紙(かいし)に置かれ、もはや皿すら無い。

ちなみに懐紙は、二つに折った折り目の方をお客様に向ける。



一緒に座って食べるように言われたが、懐石料理はお給仕が頻繁。

椅子を温める暇は無い。

料理は一品ずつ、次々に出さないといけないし

味噌汁は2回、ごはんは3回つぎ直す。

本当の懐石料理は、もっと頻繁なつぎ直しがあるそうだけど

立ったり運んだり配ったり座ったり食べたりを繰り返していたら

昨日に引き続き、胃がおかしくなった。


《菓子…じょうよ饅頭》



食後のお抹茶と饅頭が終わると、お客様は満足してお帰りになった。

夕方まで後片付けをして、ようよう終わり。

いや〜、どんなすごい料理に出会えるかと思ったけど

普通のおかずだったというのが正直な感想よ。


が、ダシ巻き卵のコツだけは掴んだ。

初日の賄いでレンコン饅頭の下ごしらえをしたんだけど

卵の白身を使ったので黄身が余り、それを消費するために卵を足して

先生がダシ巻き卵を作ってくださったのだ。

わたしゃダシ巻き卵はよく作るんだけど

時間が経ったら卵焼きからジャブジャブとダシが滲み出て

皿が水浸しになるのが悩みだった。


あれはあらかじめ、砂糖と塩で味付けしたダシに片栗粉を入れて混ぜておき

それを生卵と合わせたら、時間が経っても水気が出ないのね。

さすがプロ。

これを知り得ただけでも、参加した甲斐があった。

重労働に身を挺してゲットした、一生役に立つコツだ。

もっと色々知りたいのは山々だが、我々に次は無い。

《完》
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手抜き料理・料理教室・1

2023年10月06日 09時11分16秒 | 手抜き料理
先日、仲良し同級生のマミちゃんと私は

ある共通の知人Aさんに誘われて料理教室に参加した。

東京から講師を招いた講習は2日間。

参加費1万円。

会場は市外のお寺。

即決で参加を決めたのは、それが懐石料理の講習だったから。

普通の料理なら、行ってない。


お寺でやる理由は、我々を誘ってくれた世話人のAさんが

お寺の奥さんと懇意なのもあったが

広い座敷に台所、趣きのある食器が豊富という条件も欠かせない。

そして何より、懐石料理の雰囲気とお寺の風情がマッチしているから。

味気ない公民館では、やりにくいだろう。


さて、懐石料理は茶道に由来する。

本格的なお茶席の前に

長い時間をかけて出される特別なおもてなし料理だ。

つまり我々のように茶道に興味の無い者にとっては、別世界のこと。

教室では料理の作り方だけでなく

懐石料理の作法や精神も教えてもらえるという。

そこで一生に一度ぐらいは、敷居の高い未知の領域に触れてみたくなった。

それを“血迷った”と言うのはともかく、二人は午前中からいそいそと出かけた。


東京からやって来た先生は懐石料理の店を経営する、我々と同年代の女性。

助手は10才ぐらい年上の、やはり女性。

そして生徒はAさんと、40代後半らしきお寺の奥さんにその友だち一人

それから我々の計5人だ。


先生と助手の自己紹介が終わり、お寺の台所でいよいよ料理教室が始まる。

1日目は昆布とカツオ節を使った出汁の取り方だ。

『出汁の取り方など』

予定表にも、そう書いてある。

で、実演を見たが、コツは昆布とカツオをたっぷり使うくらいで

まあ、普通だった。


で、メモを片手のお勉強はこれで終了。

出汁の講習が終わると、いきなり労働が始まった。

食材の下ごしらえ、洗い物、道具の出し入れ、雑用…

休憩無しの立ちっぱなし。

病院の厨房とユリ寺は労働量が同じぐらいだと認識していたが

ここもなかなかどうして、それを上回るハードっぷりである。


あまりの人使いの荒さに

1日目の予定表にあった『出汁の取り方など』

の文字を虚しく思い出す。

『など』の方が、断然多過ぎるぞ。


というのも2日目はお寺の座敷に

20人余りのお客様をお呼びして料理を出す。

メンバーは、そのお寺の檀家さんや地元のお友だち。

5千円のお食事代で懐石料理の作法と精神を学びつつ

料理を味わえるそうだ。


よって1日目は、その準備をするらしい。

それが『など』の正体。

『など』とは翌日の本番のために行う労働であり

その労働の中に時折、サービスとして

懐石料理のレクチャーが挟まるということらしい。

要するに我々は、生徒という名の人足なのであった。


とはいえ労働基準法もタジタジの労働に次ぐ労働は

仕方のないことかもしれない。

先生は普段、東京で懐石料理の店を経営しておられる。

料理教室の講師をするのは初めてで、あんまり余裕が無さそう。

こう言ってはナンだけど段取りが良くないもんで

全てが行き当たりばったり。

慣れない場所というのもあるだろうけど

ボールにバット、フライパン、味噌こし、すりこぎなど

次々と必要になる備品の所在、数、サイズを

未確認のままで作業を進めたら

まずそれを探したり調達することから始めるので

どうしてもバタバタしてしまう。

周囲が忙しくなるのは当たり前だと思った。

言わないけどね。


さらに、先生と助手の自己紹介が長過ぎた。

先生は今回の料理教室をとっかかりに

地方への出張教室や出張料理を模索しておられるご様子。

そして助手の方は手芸の先生で、やはり今回の広島行きをとっかかりに

地方の生徒を増やしたいご様子。

自己紹介が長く、結果的に時間が押したのは

この目的のためというのが私の個人的見解である。


参加者としては、一緒に講習を受けるお寺の奥さんとその友だちの

せめて苗字ぐらいは知りたいと思った。

名前すらわからんのでは、労働するのに不便じゃないか。

しかし先生たちは田舎者に興味が無いご様子で

二人分の長い自己紹介が終わると、次は先生の人生苦労絵巻が始まる。

長い自分語りで時間が押したため、後の予定がハードになるのは当然なのだ。


そして午後3時、翌日の本番で使う食材のおこぼれや

出汁を取った後の昆布とカツオ節を使って作った昼食の時間。



ごはんだけ、懐石風の“一文字盛り”というやつ。

小鳥が食べるくらいしか無いけど、お代わりはできない。

多めに作った他の賄い料理と一緒に、お寺のご家族のお夕食になるんだそう。

ブッ…どこのお寺も一緒なのね。

だけどこのお寺の奥さんは、よく働きなさるわ。


おかずの方は翌日に出す鯛の昆布〆で余った鯛アラと

レンコン団子に使うレンコンのおろし汁でトロミを出した潮(うしお)汁。

出汁を取った後のカツオ節を細かく刻み、鯛アラからせせり出した身と一緒に

醤油とミリンで炒めてフリカケ状にしたもの。

それから、やはり出汁を取った後の昆布で佃煮。

差し入れのソウメン瓜で作った生酢。

卵焼き。

明日使う四角豆で梅和え。

明日使う厚揚げを炒めて醤油をかけたもの。

明日出す栗きんちゃく用の茹で栗。


が、疲れ過ぎの空腹過ぎで、あんまり食べられなかった。

醤油味と酸味が多く、胃が受け付けない。

自然の中に食を見い出す…

いただいた生命に感謝して何一つ無駄にしない…

懐石料理はこのコンセプトが大前提なので

賄い料理にも当然、その方針が適用される。

大いなる自然や生命が対象だもんで

疲労困憊したオバさんへの優しさなんか、ありゃしないのだ。

立ち仕事に慣れてないマミちゃんは、食事もそこそこに目を閉じて

うつむいたきりである。


食事の後片付けと明日の準備が終わったら、午後4時半。

我々はほうほうのていで、逃げ出すようにお寺を後にした。

「どこが料理教室じゃ!」

「お金を払って働くなんて変!」

「騙された気分!」

「詐欺よ!」

帰りの車では、これで盛り上がった。


「明日も働かされるんなら、もう行きたくない!」

お互いに本音を言い合うものの、すでに支払った1万円は惜しい。

本物の懐石料理となると、何万円もする高級料理だ。

真似事とはいえ、1万円の会費で匂いだけでも嗅げるなら…

そう思って申し込んだ料理教室、ここでリタイヤするわけにはいかない。

いや、明日こそ美味いモンが食べられるかも。

その期待を胸に

「あと一日、何とか頑張ろう!」

最終的にはそう誓い合う二人だった。

《続く》
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