殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

VS老人の心構え・3

2024年09月29日 08時52分56秒 | みりこん流
前回の記事では、恩を忘れろと申し上げた。

親の恩は海よりも深く、山よりも高い…

そう教えられてきた我々子世代としては、その恩の一文字を重く受け止め

親が弱ったとなると、恩返しを目論む。

それはスゴロクの上がり、つまりゴールのような位置にあって

親孝行から恩返しへと進めば

子供として百点満点が取れると思い込んでいるフシがある。


が、なかなかゴールはやって来ない。

親の世話をすることに慣れていなかった頃

物珍しさもあって、なまじ張り切ってしまったばっかりに

親はそれが当たり前と思うようになり、常に全身全霊の全力疾走を望み続ける。


不可能を可能にさせ、片時も休ませず

牛馬のごとく使い倒して甘ったれた挙句

やがてこっちが動けなくなれば

「不甲斐ない子」の称号を容赦なく与えて

選ぶ権利など無いにもかかわらず、次の交代要員を物色する…

それが未知の生命体、つまり超高齢者だ。


そこに愛は無い。

すでに愛を忘れた者に、恩を感じる必要は無い。

それでも我々子世代の深層心理に

恩の一文字はしっかり刻まれて消えないので

忘れるぐらいでちょうどいいんじゃないの?

というのが、私の主張である。


恩返しは、鶴と亀にやらせときゃいい。

罠にかかったところを助けてもらったお礼に

若い娘に化けて爺さん婆さんの家へ行き

自分の羽を使って豪華な布を織った、あの鶴じゃ。

いじめられていたのを助けてもらったお礼に

浦島太郎を竜宮城へ案内した、あの亀じゃ。


しかしアレらも、ロクなことにはならなかったけどな。

「見ないでね」と頼んだのに

はた織りしてるのをのぞき見された鶴は、どっか飛んで行っちゃったし

亀ときたら、乙姫様の土産に問題があって

浦島太郎はヨボヨボになっちまった。


げに恩返しとは、難しいものらしい。

恩を感じるのは自由だが、それを返そうとするのはやめた方がいい。

シロウトが、みだりに手を出すものではないと思う。



『寄り添うな』

お年寄りの心に寄り添いましょう…

近年の老人対策に、これがよく言われるようになった。

ケッ!


怒らず、責めず、優しく微笑みながら話に耳を傾け

温かく誠実に接するのが寄り添うということであれば

老人が相手じゃ無理。

血を分けた者同士だからこそ、常軌を逸した言動に当惑するし

腹も立つし悲しくもある、それが真っ当な家族だ。


寄り添いなら、寄り添うことが給料になるプロがやればいい。

しかし介護業界も人手不足。

だから家族にも、寄り添うように求め始めた。

甘いって。


そりゃあね、老人を囲んでアハハオホホ、みんな笑顔で平和な家庭…

理想よ。

それができれば、どんなに楽かしらね。

だけど、できんって。

老人は譲ることを知らないもの。

アハハオホホは、年長者の譲歩によって成立するんだもの。


アハハオホホと笑ってて、「何がおかしい!」

なんて言われてごらんなさいよ。

「こっちゃ足腰が痛いのに!」

「メシはまだか」

「頼んどいた、あれはどうなった?」

そうでなければ説教、昔の自慢、耳タコの思い出話の独壇場。

老人は、話題をすぐ自分のことに持って行きたがり

回りが譲ってくれないと怒り出す。


笑ってた家族は、口を閉じて去るよ。

家庭を暗くしているのは、老人なんだよ。

だから寄り添わなくていい。

ビシバシ行け。

寄り添ってもらいたければ、施設でどうぞ。

何が「長生きもつらい」だ。

つらいのは、こっちだ。

いたずらに長生きした代償は、自分で払うべし。



親の面倒を見る羽目になった人は大抵、逃げ遅れた優しい人である。

だから、これぐらいの気でやらないと

老人の発散する負のエネルギーにやられてしまうのだ。

同志諸君、気をしっかり持って心身のダメージを最小限にとどめ

できるだけ長生きをしよう。

その時には、今の経験が大いに役立つはずだ。

共にマイルド老害(まえこさんのキャッチコピー)を目指そうではないか。

《完》
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VS老人の心構え・2

2024年09月28日 09時55分58秒 | みりこん流
前回の記事で、親孝行は死語だと申し上げた。

頭に刷り込まれた親孝行の三文字に縛られ

自分を犠牲にして親に尽くす子供の何と多いことか。

そして子供の献身に、あぐらをかく親の何と多いことか。

彼らは足りない物を探すのが習性だから、その要望に終わりは無い。

老化で片付けるには、あまりにもむごいことである。


親の方こそ、子孝行を心がけるべきだ。

労働に見合ったお金をよこせとか、無理を言っているわけではない。

何もできない身体であっても、せめて心配をかけないようにするなり

クドクドと余計なことを言わないなり、何かしらできることはある。

親は子孝行を心がけ、子は親孝行の概念を手放す。

これでようやく、バランスが取れるのではなかろうか。



『恩は忘れろ』

親孝行と似た分野に、恩返しがある。

人の子であれば大抵は、親に生み育ててもらった恩を感じているだろう。

その親が年を取って弱り、手がかかるようになれば

恩返しをしたくなるのは自然なことである。


私もその一人だ。

生んでもらったことは無いが、共に生活していれば

世話になることが確かにあった。

他人という理由で知らん顔をするほど、私はガキではないし

数々あった軋轢(あつれき)を言い訳にして逃げるほど

先見の明があるわけではない。

調子が悪くなって協力が必要となれば、つい手を出す。


それがどんなに過酷であっても

「な〜に、そのうち治るんだから、この機会に恩返しだ」

そう思って、相手の要求を叶えるべく動く。

私の場合、これが失敗だった。


我が子が風邪を引いたり熱を出したら、親はどうするか。

「きっと治る」と思って看病するはずだ。

治ると信じているから、期限付きと信じているから

寝ずの番もできるし、病児の欲しがる物を必死で調達する。


しかし相手が老人となると、これが治らんのじゃ。

こっちも最初は燃えて、一生懸命やるが

老人は治らんどころか、世話をしてもらう楽ちんに一瞬で味をしめ

治らんことにしてしまう。

気がつけば、本当に苦しいのか、それとも芝居なのか

私はもちろんのこと、本人もわからなくなっている始末。


電話一本で呼びつけられては無理無体を命じられていると

恩返しをしたい熱い気持ちは、だんだん冷めてくる。

どんなに頑張っても、全快して看病が終了する日は訪れない…

つまり報われることは無いと知るからだ。

人は恩返しをしたい気持ちの分だけ、報われたい気持ちが付いて回る。

老人相手だと報われることが無いので、冷めていくのである。


こりゃあ、とんでもないことに手を出してしまったわい…

そう気づいた時にはもう遅い。

その昔、電話や車の便利を知った時と同じく

子供の便利をも知ってしまった彼らは、もう子供の世話無しでは生きられない。


「ハイジ!私、歩けたわ!」

「良かったね!クララ!」

「ありがとう!ハイジ!」

「ううん、クララが頑張ったからよ!」

クララと違って年寄りは、こうならない。

進歩は望めず、衰えるばっかりだ。

永遠に歩く気の無いクララを支え続ける、冷めたハイジ。


しかし子供が冷めれば冷めるほど、親は寄りかかってくる。

勘違いの権化であっても、丁稚の心が離れた気配だけは

敏感に感じ取れるらしいのだ。


丁稚の方は、もはや恩返しなんかどこかへすっ飛んで

ひたすら我慢の日々が続く。

老人の世話をする家族は、一部の物好きや聖者を除いて

みんな歯を食いしばって我慢しているのだ。

我慢は楽しくない。

恩返しなんて思うから、ますますしんどくなる。

敵は恩なんて微塵も感じてないんだから

こっちも恩に縛られる必要は無い。

《続く》

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VS老人の心構え・1

2024年09月26日 08時49分38秒 | みりこん流

同居する姑と実家の母、二人の老人を抱える私は

このところ頭が老人モードになっているため

老人ネタが続いている。

興味の無いかたには、申し訳ない限りだが

コメント欄でちぃやんさんが

この場を「お悩み相談室」と言ってくださったのに気を良くして

またまた老人ネタをお話しさせていただきたい。

 

語弊の嵐になりそうだが、これを語弊と捉えることができる人は

おそらく老人との戦闘を免れたか、軽傷で済んだ人だ。

心からお祝いを申し上げたい。

本当におめでとう!

で、免れることのできない人には

せめて私流の心構えをお話ししておきたい。

 

『親孝行は死語』

さてご存知のように、世は長寿ブーム。

太古の昔から、人類がこれほど長生きする時代は無かった。

そのため長生きの老人は高貴な珍種としてチヤホヤともてはやされ

88の米寿まで生きようものなら、やんやの喝采。

それがどうよ、今や90才超えが当たり前になっている。

 

何才まで生きようと、彼らの自由だ。

しかし彼らの長寿によって、犠牲者が出現するのは紛れもない事実。

我々、子世代のことである。

 

今の老人は

老人がこんなに長生きしない時代に生まれ育った。

そのため彼らは、老人とは敬うべきものであり

親孝行は美徳だという常識の中で生活し

我々子世代も、その教えを鵜呑みにしてきた。

だから親の方は、自分が敬われるべき存在と信じて疑わないし

子供の方も、親孝行という美徳を遂行するのが人の道と信じて疑わない。

 

しかしここに来て、昔とは違うところが出てきたではないか。

昔の老人は、老人でいられる期間が短かく

周囲から大切にされるうち、早々に亡くなるのが当たり前だった。

そのため子世代は、親孝行と称して親に尽くすのが当たり前だった。

大事な親の先が短いと思えば、何でも一生懸命できるものだ。

 

が、今の老人にはゴールがなかなか訪れなくなった。

つまり老人期間が長い。

それでも子供の方は古くからの慣習通り

親孝行の三文字に縛られて親に尽くそうとするので

肉体的、精神的な負担は長期間に渡る。

ここに現代の不幸があるのではなかろうか。

 

そう、不幸だ。

親が90才前後なら、子供の方だって還暦前後。

衰えつつある体力と相談しながら

これからが自分の人生だと希望を抱く年代であるにもかかわらず

いつの間にか

親からアゴで使われる丁稚(でっち)に成り下がっている。

自分の生活を犠牲にして、ひたすら老人のために生きる長い年月は

はっきり不幸と呼んでいいと思う。

 

おかしいではないか。

親が長生きをするのは喜ばしくも幸せなことであるはずが

不幸とは。

この不幸は親と子、双方の認識が

時代遅れであることから生じるのではなかろうか…

私にはそう思えてならない。

 

親は、自分がこんなに長生きをするとは思っていなかったので

超高齢者になった自分を想像していなかった。

加齢や病気によって日常生活が次第に困難になっていく情けなさ…

大切な人が自分より先に次々といなくなる寂しさ…

誰かの手を借りなければ生きられない不安…

これら負の感情にさいなまれながら

いつ終わるとも知れぬ日々を送る羽目になるなんて

考えてもみなかっただろう。

 

子の方も、親がこんなに長生きをするとは思っていなかったので

親が超高齢者になった時の自分を想像していなかった。

「いつまでも長生きして欲しい」と願いながらも

親に翻弄されて世話に明け暮れる日々が早く終わるように願う矛盾に

身を引き裂かれる思いをするなんて、考えもしなかっただろう。

 

私は常々思うのだが、親孝行という美徳は

親への奉仕が短期間であることを前提に作られたものではないのか。

こうも長引くようになると、美徳どころじゃない。

子世代にとっては、ほぼ地獄だ。

 

思うに今の惨状は、親世代の生育環境も関係しているようだ。

戦前、戦中、戦後と物の無い時代に

国から生めよ増やせよと言われてバンバン生まれた彼らは

とにかく人数が多い。

 

だから個性を尊重するなんて騒ぎではなく

ひたすら周りの人間と比較される教育方針で育てられた。

「あのお兄さん、お姉さんのようになりなさい」

「隣の誰々ちゃんを見習いなさい」

こうして見本を提示しておけば

子供はその人物に憧れ、同じようになろうと頑張るため

親や指導者としては楽で、扱いやすくなるからである。

 

そんな彼らが大きくなると、日本はいきなり好景気で豊かになる。

しかし、幼い頃から染みついた比較主義は変わらない。

今度は自分たちが憧れられ、敬われる番だ。

何を躊躇することがあろう。

 

比較教育は負けず嫌いを育てる。

それは戦後の復興や経済成長に効果的だったが

弊害として、足るを知らぬ人間に仕上がりやすい。

いつも目を皿のようにして足りない物を探し続け

何とかしてそれを補充しなければ気が済まない性質になるのだ。

負けず嫌い=ワガママの図である。

 

その人たちが年を取ったらどうなるか。

加齢によって理性が薄れると、ワガママだけが全面に出てくる。

頭と身体が劣化してもワガママを通したいとなると

どうしても人の手を借りなければならない。

人の手とは、身近にいる自分の子供である。

そんな人たちに10年も20年も振り回される子世代は

たまったもんじゃない。

 

親と子のお互いが、前代未聞の世界でもがいている…

それが今の現実。

親世代は未知の世界に足を踏み入れて戸惑っているだろうが

我々子世代もまた、未知の人類と対峙して戸惑っている。

このような背景を理解しなければ

老人との対戦は五里霧中のまま、過酷になるばかりだ。

 

親を大切にする日本人の心は、尊く美しい。

やがて自分も行く道だと思えば、無下にもできない。

しかし長生きが普通になった親の方も

親孝行の慣習に甘えず、たまには子孝行でもしたらどうだ…

そう思わずにはいられない。

 

時には黙って子供の言うことに従ったり

時には愚痴を封印して、自分がいかに恵まれているかを考えたり

衰えた頭では難しいかもしれないが

それだけでも子供の気持ちは楽になるものだ。

親世代が無理ならば、せめて我々は

子供を苦しめない年寄りになりたいものである。

《続く》

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ショウタキ・2

2024年09月16日 08時36分24秒 | みりこんぐらし

退院後に母サチコがお世話になる、小規模多機能型居宅介護…

通称ショウタキをたずねることになった私。

町外れの農道を進んだ先に現れた平屋の建物は、過疎村の保育園サイズ。

ホンマに少人数が対象らしい。

 

対応した施設長とケアマネジャーは、気さくで適度に下世話な中年女性だ。

二人からシステムの説明を聞きながら、契約書などの書類作成。

サチコの健康保険証、介護保険証、通帳と銀行印

それから私の印鑑、妹二人の連絡先を用意して行ったので

記入はスムーズに進んだ。

 

が、書類の中には身上調査など時間のかかる物もあり

それらは宿題になった。

家に帰ってからよく見たけど、ものすごく多いじゃんか。

家の見取り図、簡単な家系図、病歴、通院歴、職歴を始め

コロナワクチンの4回目と5回目をいつ打ったか

立って歩けるか、座る姿勢を保てるか、風呂は好きか嫌いか

食事の好みや量は…細かい質問が永遠に思われるほど続き

それらにいちいち「家族の思い」とやらを書かないといけない。

 

無いよ!家族の思いなんて!

残ってる歯が何本なんて、わかんないし!

ただし、“延命治療を望みますか?”の質問だけはサッサと解答。

「望まない」。

 

退院まで日にちがあるとタカをくくり

タラタラと書類を書き進めて数日、病院の相談員から再び電話が。

「サチコさんの退院ですが、20日でもいいでしょうか?」

患者が増えて、ベッドが空くのを待っているという。

◯刑執行が5日ほど早まったからといって

今さらジタバタする◯刑囚がおろうか。

どうせその日はやって来るのだ。

一瞬で諦めた私は、承諾した。

 

退院が早まるのをOKした途端、サポートの参考にするため

先日会ったショウタキの施設長とケアマネが実家を見に来るという。

その際、病院の相談員と看護師もサチコを連れて来て

私を含めた総勢6人で色々話し合うそうだ。

 

先日、そのお宅拝見と話し合いが行われた。

午前10時に実家で待ち合わせたが

私を見るなり病院の相談員と若い女性看護師が駆け寄る。

「どうしましょう…

もう病院には帰らない、施設なんか行かないとおっしゃって…」

「こちらに来る間も車の中で暴れておられて、今もご機嫌が悪くて…」

こういうことがあるから、外出の時は相談員だけでなく

看護師も付くのだろう。

 

あ〜ハイハイ…私はこともなげに答える。

「大丈夫、前言撤回はこの人の習慣ですから、また撤回しますよ」

しかし相談員と看護師は、不安げに顔を見合わせるのだった。

そうよね…対老人、対精神病患者には百戦錬磨のあんたたちだって

サチコみたいなのはお初だと思うわ〜。

 

やがてショウタキの人たちも到着し

皆で家の見学ツアーを行いつつ改善点を話し合うが

そこはやはり施設の人。

洗濯はしちゃダメ、入浴は週3回のデイサービスだけで家の風呂はダメ

一人で外出しちゃダメ…

転倒予防のためだと言って、禁止事項を増やすことに余念が無い。

 

洗濯と入浴と外出はサチコの三大好物なのに

それを止めたら家で生活する意味が無さそう。

しかも補足がある。

「衣類の洗濯はこちらでやりますけど

デイサービスや泊まりの時は紙パンツを使ってください。

シーツなんかの大きい物は娘さんに洗濯してもらって

どうしても家のお風呂に入りたい時は娘さんに見守ってもらって

買い物などの外出は必ず娘さんと二人でお願いします」

マジか。

 

つまり彼女らの主張は、週3のデイサービスと週1の泊まり以外は

私に足しげく通えということだ。

「私たちが介護しま〜す!」

と言いながら、大方のことは家族に押し付ける気満々。

さりげなく責任回避の道を作る、プロの技である。

 

粗相の無いように紙パンツをはけとまで言うけど

尿漏れの無いサチコが喜んではくとは、とても思えん。

こりゃあ、サチコも私も続かんかもな…。

 

1時間半ほどの会合が終わり、サチコは病院へ戻る。

病院には帰らない、施設にも通わないと言っていた彼女だが

すんなり車に乗り込んだ。

相談員と看護師も、ホッとした様子だった。

 

その翌日は、また友だちとランチ。

サチコが帰って来るまで遊びまくって、有終の美を飾るのじゃ!

この日のメンバーはいつものマミちゃんと、お寺料理の仲間、梶田さん。

モンちゃんは転んで足を骨折したので、欠席だ。

健康志向の梶田さんお薦めの自然食のお店へ、3人で出かけた。

これ、2人分。

小麦粉、砂糖、卵を使わない食事だそう。

確かに珍しいけど、美味しいわけではなかった。

 

楽しい食事の席で老人話は気が引けるので

行き帰りの車中にて、母のことを梶田さんに相談した。

元看護師で、市の保健活動をしていた元公務員の梶田さんは

真剣な表情で言う。

「私、みりこんちゃんに長生きしてもらって、老後も一緒に遊びたいの。

だからお母さんには、入りっぱなしの施設に行ってもらいたい。

行ったり帰ったりするショウタキは

他に手伝う家族がいれば便利な所だけど、ワンオペだと大変よ。

老人施設は要介護4からでないと入れないけど

グループホームは要介護2から入れるのよ。

入所は市内在住が規則だけど、“みんなの介護”でググったら

市内のどこかにあるはずよ」

 

梶田さんの91才になるお母さんも、要介護2。

しかし徘徊がひどいため、“みんなの介護”で調べて

隣市のグループホームへ入所させたそうだ。

医療介護に詳しく、その方面の知り合いが多くて

コネも効きそうな梶田さんが

CMでよく見かける“みんなの介護”を利用するとは思わなかった。

介護界は、シロウトが考えるより難しい世界なのかも。

 

「私は年寄りに◯されたくないの。

大切な友だちが年寄りに◯されるのも嫌なの。

ショウタキで安心したらダメよ。

施設が合わなかったり症状が進むことも考えて

常に次の道を準備しておかないと。

後手後手になると消耗するからね。

私も情報を集めておくわ」

なんと頼もしいこと。

 

マミちゃんも言った。

「家に帰ってまた電話魔になったら、携帯を壊しんさい。

うちのお父さんも認知症で鬼電じゃったけど

お姉ちゃんが怒って携帯を奪い取って、風呂へ沈めたんよ」

大笑いした。

家で親を見るには、それぐらいの覚悟が必要かもね。

 

帰宅して、さっそく“みんなの介護”で検索したら

グループホームは市内に2ヶ所あり、どっちも満室。

それでも要介護2で入れる施設が近場にあると思うと

何となくホッとした。

なんなら携帯を壊す覚悟もできた。

 

今は塗り絵や色鉛筆、紙パンツなど

ショウタキで必要な細々した物を買い集めているところだが

要介護2が付いて以来、自分でも意外なほど気楽になっている。

 

というのも医者が鬱病と診断しても、私にとってのサチコは

昔から変わらない悪魔のような女のまま。

今さらそれを病気と言われたって、半信半疑の感は拭えなかった。

しかし、その鬱病に認知症が加わるというダブルの裏打ちにより

私はようやくサチコを正真正銘の病人と認定するに至った。

彼女の言動全てが、病気の症状だとはっきりしたのだ。

 

そうなると、病気と戦うのはサチコと医者であって私じゃない。

自分の中に、“やれるのはここまで”という太い一線が引かれて

スッキリしたような気がする。

とりあえず、要介護ワールドに飛び込んでみるか。

《完》

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ショウタキ・1

2024年09月14日 09時54分15秒 | みりこんぐらし

実家の母サチコが、鬱病と認知症で精神病院へ入院して3ヶ月。

入院する前の4年間も、サチコの世話で慌ただしかったが

入院したらしたで、なんやかんやと慌ただしいもんだとわかった。

 

とは言いながら、この3ヶ月、私は合間を見つけては遊びまくった。

同級生のマミちゃんやモンちゃんとランチに出かけて

お気に入りのレストランを見つけたり

週末は夫と買い物に行ったり、ドライブしたり。

 

実家にも病院にも行かなくていい自由な日々…

サチコを連れて出歩かなくていい日々…

壊れたレコードみたいに繰り返すサチコの愚痴を聞かなくていい日々…

4年ぶりに味わうこの気楽さ、ありがたさ!

なんて幸せなの?!

私は有頂天だった。

 

 

ところが先日、病院の相談員から電話があり

今月の25日にサチコが退院すると知らされる。

とってもお元気になられたそうよ。

終わった…。

 

無人になった実家の管理など、ほったらかして遊び呆けた3ヶ月。

たまにサチコに所望されて服を取りに行ったが

部屋には食べ物が無くて◯んだゴキブリが転がり

裏庭の木や雑草はボーボーに伸びまくり

サチコが大事にしていた盆栽や花々は、そのうち見事に枯れ果てた。

ありゃりゃ。

 

面会に行くたびに、サチコは植物たちの消息をたずねた。

生返事で切り抜けながら

「でも大丈夫…」

私はいつも、そう思い直したものだ。

「もう帰ることは無いんだから、責められることも無いのよルンルン♩」

 

それがどうよ、帰って来るなんて!

もう二度と出てくることは無いと思われたサチコだが

やはり、あの人を甘く見ちゃいかんかった。

 

今回、精神病院へ入院する時に介護認定を申請したら

サチコは要介護2の判定が付いた。

つまり、介護度としては低い。

相談員の言うことにゃ、要介護2じゃあ

滞在型の老人施設へ入所することは難しく

「自宅で生活したい」という本人の希望も非常に強いため

在宅で介護できる“小規模多機能型居宅介護”

(しょうきぼ たきのうがた きょたくかいご)

という種類の施設を選択したそうだ。

その施設が、実家の町の外れにあるという。

 

そんな施設が存在するのも、それが地元にできているのも

全然知らんかったのはさておき

小規模多機能型居宅介護、通称“ショウタキ”は

10何年か前に始まった、わりと新型の施設らしい。

少人数の老人を対象に、きめ細かな介護を行うという話である。

 

ショウタキのサービスの内容はまず、送迎付きのデイサービス。

それから宿泊。

泊まりたい時は、部屋が空いていれば自由に泊まれるという話だ。

デイサービスから帰るのがかったるくなったり

台風などで心細い夜なども、やはり部屋さえ空いていれば

何日でも泊まれる。

 

「部屋さえ空いていれば」というのがミソかな?…

疑り深い私は思うのである。

少人数が対象というからには、泊まれる部屋も数えるほどであろう。

空いてないことも多いので、好き放題に泊まれると思わない方がいい。

老人の宿泊をあてにする…

なんなら永遠に泊まってもらって構わない私のような人間だと

失望するかもしれないので、期待しないでおこうと心に決める。

 

さらに毎日、昼と夕方の弁当配達。

ショウタキのバックは地元の老人施設なので

弁当はそこの厨房で作られ、配達員はそれを持って日に2回

各家庭を訪問するのだ。

もちろん弁当は日に1回でもいいし

外出などで必要無い時は、断ることもできる。

言うなればショウタキは滞在型の老人施設と訪問介護

両方の長所を取った融通のきくサービスで

在宅の要介護者をサポートする施設だそうよ。

 

ネットで調べてみたけど、やはり同じようなことが書いてある。

ただし在宅で要介護認定を受けていて

すでにケアマネジャーが付いている老人にとっては

ちょっと厳しいものになる可能性があるらしい。

ショウタキのサービスを受けるからには

ショウタキのケアマネが付くのが鉄則なので

慣れたケアマネとのお別れがやってくるからだ。

老人は変化を嫌うので、従来のケアマネを気に入っていた老人には

辛いものになるのかもしれない。

サチコの場合、今回が初めての介護認定だったので

その心配は無いというのが唯一の救いである。

 

「ご自宅で暮らしたいサチコさんのご希望にも添えますし

ここならいいと思うんですが、どうですか?」

自信たっぷりにのたまう相談員。

“いや、サチコのご希望なんて、どうでもええですけん!

二度と出られん施設プリーズ!”

私の心の叫びなど、善良が服を来ているような彼女は知るよしもない。

 

私の方もまた、ちょっとの間、サチコから離れたのがいかんかった。

4年ぶりの自由を知ってしまったら、もう3ヶ月前には戻れない。

こっちの都合なんかお構い無しに

電話一本で呼びつけられる、あの情けなさ…

家政婦と車を確保するためと知りながら

「あんたがおらんかったら、私はとっくに◯んどる」

歯の浮くようなセリフを聞がなければならない、あのうすら寒さ…

二度と嫌なのじゃ!

 

…私のことを器が大きいと言ってくれる人がいる。

ありがたいことだ。

けれども私に器の大きさがあるとしたら

それは屈辱を受けてきた回数が、人様より少しだけ多いからに過ぎない。

 

さて数日後、退院を控えたサチコは相談員と看護師に連れられ

問題の施設を見学に行ったそうで

その後、相談員から電話があった。

「ショウタキの施設はサチコさんのご実家や畑の近所だそうで

とても気に入られたんです。

急なことで申し訳ないのですが

今日の午後2時以降なら、施設長もケアマネもいらっしゃるそうなので

もしお時間が取れるようでしたら

施設へ行って話をしていただけたらと思うのですが…」

ということで、サチコが見学に行った同じ日の午後

いきなり準備を始めることとなった。

《続く》

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みりこんおばちゃんのお勝手相談室・心の傷の癒やし方2

2024年09月10日 09時58分08秒 | みりこんおばちゃんのお勝手相談室

今日も引き続き、いかどんさんからのご質問、二つ目です。

『② 話が長い→短く

私が仕事や家庭の事で 夫に意見を言う時

忙しいから 手短に言ってと、よく言われます。

自分では 要点のみを伝えているつもりですが

何処を気をつければ 手短になるでしょうか?』

 

「忙しいから手短に言って」

まだ優しいじゃん。

同級生マミちゃんのご主人は、厳しいわよ。

「はあ?なに言いよるかわからん。

ちゃんとしゃべれんのなら黙っとけ」

だとよ。

うちの夫がこんなこと言ったら、無傷じゃ済まんわね。

 

親の代で土地成金になった人と

お見合い晩婚したマミちゃんだけど、中途半端なお金持ちには

人格と財産のバランスが取れてない人がいるものよ。

自信だけある旦那って、奥さんの気苦労が多いみたい。

だから彼女はお出かけが好きなのよ。

過疎でお客があんまり来ない、親の洋品店を引き継いで

市外からせっせと通うのも、そういう理由から。

 

確かにマミちゃんは、要点を簡潔に話すタイプじゃない。

だけどその分、優しい言葉を優しい声で話すので癒されるし

彼女の周りにはいつも温かい安心感が漂ってる。

私と違って、とってもいい奥さんだと思うんだけど

それでもこんなこと言われるなんて、あんまりよ。

「傷つくのが嫌だから、旦那がイライラしない話し方をしたい」

マミちゃんは健気に言うの。

 

さて、いかどんさんは

『自分では 要点のみを伝えているつもりですが

何処を気をつければ 手短になるでしょうか?』

謙虚にそうおっしゃっています。

 

頭はパッパラパーなのに、口だけ達者で毒舌の私こそ

こういうことに気をつけなきゃいけないのよ。

放っといたらナンボでもしゃべるもんで

話をできるだけ短く切り上げる努力をしないと

生きる迷惑、歩く凶器になっちゃうからね。

 

そのために色々考えてきたんだけど、おそらくこれは男女の脳の違い。

女性が要点と思っているのは、経緯という名の物語なのよ。

「さっきね、Aさんがこう言って、それからBさんがこう言って

そしたらCさんが来て、それは違うって言い出して

私はその時に思ったんだけど…」

女性にとって経緯は物語だから、どの場面も大切。

最初から何もかも説明して

できるだけ多くの情報を伝えるのが親切だと思ってる。

女性は、その手順で伝えてもらうと安心だから。

 

一方、男性は結論が大事で、経緯はオマケ。

彼らの多くは長文が苦手なので、物語は聞きたくない。

欲しいのは「ぶっちゃけ何が起きたのか」という結論で

経緯は添え物だから手短かを望む。

夫や息子たちの話し方を聞いていると、つくづくそう思うわ。

 

重要と考えるものが男女で違うから

「女の話は長い」、「男は気が短い」

それぞれが思ってしまうんじゃないかしらね。

女性が男性に話す時は、できるだけ結論から言うようにして

説明を求められたら経緯を述べる習慣をつけると

スムーズになるかもよ。

 

あとは、伝える内容に優先順位をつけて

絶対に伝えなければならないことから話す。

伝えないと危険なこと、伝えないと大変になることなんかね。

「あんたが座ってる椅子、壊れてるよ」

「この手形の期日、今日なんだけど」

とかね。

 

他の情景描写や自分の気持ちは、余計なことだから後回し。

優先順位をつけることを習慣にして行ったら

話の容量って自然に減るものよ。

そしたら、そうまでして伝えたいことなのかどうか…

まずここから考えるようになるので、話す回数も減っちゃうんだけど

私はサッパリしていいと思ってる。

 

家族経営に携わる奥さんは

こういうのを身につけると便利かもしれません。

社員さんや取引先にも男性はいるでしょうから

ナメられないように立ち回るためにね。

争いって、ナメられて起きるものだから。

 

少しずつ訓練して行ったら、話が長くて嫌われる年寄りにも

ならないような気がします。

私は好かれなくていいから

せめて嫌われない年寄りになりたいんだけど

なれますやらどうやら。

 

 

いかどんさんのご質問は、もう一つ。

彼女の会社にも、周囲を混ぜ返すアホがいらっしゃるようです。

『今度夫 長男の3人で この方に対する話合いを

する予定なんですが 何か注意点など有るでしょうか?』

 

私のお返事は以下です。

『アホについて話し合っても無駄です。

こちらがリスクを負ってでも去ってもらうか

我慢し続けるしか道は無いです。

しかし主人とご長男と3人で話し合いの場を持つのは

私の持論、“共通の敵は結束を深める”において

とても良いと思います。

この重要な3人が1人のアホに対して団結することは

会社にも家庭にも良いことです。

悪口大会でいいじゃないですか。

気楽にやってください』

 

ざっくりそう申し上げたので、少し補足をさせていただきますね。

アホは何を言っても理解しないし、ましてや改めることはできません。

無理です。

しかし理解や自己改善はできないのに、アホは隙を突くのがうまいです。

人と人の間にある小さな隙間を見つけては

隙間を広げて壊そうとしたり、そこから入り込もうとします。

 

アホは常に、争いを招きたがる生き物です。

自分の思い通りにならない場所を破壊したい本能に加え

ゴタゴタが起きている間は

自分の怠惰や落ち度に矛先が向かないので

安心していられるからです。

アホはその安心を求めて、色々と仕掛けてくるものなのです。

 

アホが原因でゴタゴタしたからには

そのアホは、いかどんさんたちの間に隙間を見つけたことになります。

心当たりはあると思います。

よって、いかどんさんご夫婦と長男さんが話し合いを持つのは

隙間を埋めておくために必要です。

こういう機会に結束を深められるので

アホの存在も悪いばかりではありません。

3人の絆がより強固になれば、また違った展開が訪れます。

 

給料を支払いながら揉まされるご主人は

たまったもんじゃないでしょうが、経営者とはそういうものです。

一族経営だと、なおさらです。

起業の苦労をしてない経歴が、生涯付いて回るので

周囲にナメられやすいからです。

 

トップがしっかりしなきゃいけないことなので

奥さんはあんまり口を出さずに

見守る程度でいいんじゃないですかね。

女の意見や助言って、あんまり役に立たないことが多いので

「自分が何とかしよう!」と思わないことが意外に大事です。

 

ということで、勝手なことばかり言っちゃって

申し訳ないんですけど、応援しています。

《完》

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みりこんおばちゃんのお勝手相談室・心の傷の癒やし方1

2024年09月08日 09時13分16秒 | みりこんおばちゃんのお勝手相談室

前回の記事『撃ち返し』のコメント欄で

いかどんさんからお題をいただきました。

彼女は少し前、ご家族で話し合いを持たれ

その場のやり取りに深く心を傷められたご様子です。

 

『前回の爆発、炎上騒動後 私はフツフツが中々治らずにいました。

今回の記事を読み直していて

「相手の言葉でなく 自分の発した言葉で自分が傷ついている」 

なるほど…。

① どうしたら その傷を癒せるのでしょうか?

今回の原因は 日頃溜まっていた鬱憤があったとはいえ

「感情にまかせて発言をした」事です。

② 話が長い→短く

私が仕事や家庭の事で 夫に意見を言う時

忙しいから 手短に言ってと、よく言われます。

自分では 要点のみを伝えているつもりですが

何処を気をつければ 手短になるでしょうか?』


こういうご質問でテーマを与えていただくのって

すっごく嬉しいのよ。

内容を考えなくていいからだろうって?

それもある、確かにある…ププ!

だけどそれよりも、記事の更新を待ってくださる方が

少なくともお一人はいらっしゃるって

本当にありがたいものなんですよ。

 

というわけで、ご質問やテーマのご提案は随時募集中です。

ご満足のいく高度な内容にはならないと思いますが

ご勘弁くださいませね。

 

では、一つ目のご質問です。

『①どうしたら その傷を癒せるのでしょうか?

今回の原因は 日頃溜まっていた鬱憤があったとはいえ

「感情にまかせて発言をした」事です。』

 

あるわよね〜、そういうことってね。

言いたいことを言ってスッキリするかと思えば全然なんだわ。

むしろ逆。

言ってしまったことを後悔したり

いや、こう言えば良かったんじゃないかと考えたり。

日にちが経っても、あの時のみんなの表情

言葉、声なんかがフッと蘇ってきて、そりゃあ苦しいものよ。

 

私もこういう場面に遭遇したり、巻き込まれたことが何回もあるわ。

どんな場面かというと、まず家庭。

ほら、うちはゴタゴタ続きの一族じゃん、慣れとるわ。

それから幼稚園や学校のPTA

ママさんバレー、少年野球の家族会、仕事、選挙、自治会…。

それぞれ、なかなかの修羅場ですよ。

だからシチュエーションは違っても、自分じゃわかるつもりでいるの。

“もの言えば、唇寒し秋の風”じゃないけどさ〜

ゴタゴタがあると、後味の悪さが付いて回るわよね。

 

何であんなに苦しいのか…

そりゃ私だって最初のうちは、人並みに悩んだわよ。

で、そのうちカラクリがわかったような気がする。

言い合いになって派手にドンパチやったのに

問題そのものは解決してないからよ。

 

その時は興奮していて、それに気がつかなかった。

でも後から思い起こすに、どうも違う。

自分はもっと核心に触れた説明をして

理解してもらいたかったし

後腐れの無いようにしっかり話し合っておきたかった。

なのに時間切れになったり

お節介なヤツがさっさと締めくくって

強制終了させたり(いるんだよ、どこでも)

平和主義のヤツが「悪いのは私です」

とか言い出して(いるんだよ、どこでも)

論点がズレたまま終わったりして、こっちは不完全燃焼。

その上、争いの原因を作ってるヤツ(いるんだよ、どこでも)

は無傷だし!

 

じゃあ決死の覚悟で何もかもさらけ出したわたしゃ、どうなる?

みんなで脱ごうと決めたのに、まんまと自分だけが乗せられて

裸になっていたような恥ずかしさ…

これが、感情にまかせて発言した結果

自身が傷ついて苦しくなった原因なのよ。

 

つまり苦しみの正体は、恥。

恥なんだから、かくのはタダよ。

だから、忘れりゃいいのよ。

 

わかったのはそれだけじゃない。

揉めたメンバーの全員が全員

後で苦しんでるわけじゃないってこと。

よく見回してごらんなさい。

平気な人の方が多いもんよ。

 

これって、立場の違いなのよね。

揉めて一番困る立場の人が、一番苦しいのよ。

どうしてかというと、立場が弱いから。

自分だけ他人だったり、年下だったり

部下だったり、後輩だったり。

 

感情的になって口走った内容で

うるさい人認定や酷い人認定、自分勝手認定されたら

嫌われたり避けられたりで浮いてしまって

この場所で生きにくくなるのではないか…

自分では、このコミュニティの一員と思っていたけど

本当は周りの人にとって部外者だったのではないか…

色々と心配が出てくるものよ。

 

ゴタゴタってさ、立場の弱い人にとっては

自分の立場が吹けば飛ぶようなものだったと再認識する祭なのよ。

当然、孤独を感じるし、立場だけでなく気も弱い人は

孤立することへの恐れも出てきて、それらも苦しみの原因になる。

 

で、最終的にわかったのは

争いが勃発する場面には、必ず民度の低い人間…

つまりアホがいるという現実。

アホは、自分さえ良ければいい。

自分だけが良くなる意見を主張して、引かない。

その意見は筋が通らなくておかしいというのも、わからない。

だってアホだもん。

つまりゴタゴタは、アホが作るんじゃ。

 

え?そんな人、いないって?

気がついてないだけじゃ。

全員が賢かったら、ゴタゴタは起きん。

 

みんなで問題点を話し合うとか、よく小立派なことを言うけど

究極を突き詰めれば

一人か二人のアホに喧嘩を売られとるだけなんじゃ。

小数点以下のアホに売られた喧嘩で

なんでこっちが傷ついてやらにゃならんの?

苦しんでやらにゃならんの?

よせよせ。

アホに負けんな!

 

…というのが、私の考え方です。

長くなったので、②のご質問については次の記事で

お話しさせてくださいね。

《続く》

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撃ち返し・2

2024年09月04日 15時47分49秒 | みりこん流

夫と息子、そして義母の次は

友だちのことをお話しするつもりだが

その前にここでもお馴染み、お寺の嫁のユリちゃんを挙げよう。

隙あらば我々同級生に労働をさせようと画策する危険人物は

もはや友だちとは呼べないため、対応は老婆と同じだ。

 

彼女も電話やLINEで思わせぶりに謎かけをしたあげく

結局やらせたいのは料理。

思いもよらぬ導入から、うっかり暇な日を特定されて砂を噛む

バカな私よ。

 

が、やられてばかりはいられない。

ここしばらくは、手のかかり始めた実家の母サチコを口実に

料理の要請を何度か回避できたが

6月末に入院させて以来、また危険な誘いが増えてきた。

 

「消防点検の業者さんを知らない?

昔からお世話になってる業者さんに電話したら

もう廃業されていたの」

先日も、そう言って電話してきた。

お寺は人が集まる場所なので、消防設備の点検義務があるのだ。

 

夫と知り合いの業者を教えて終了かと思えば

例のごとく旦那の愚痴、姑や弟夫婦の愚痴へと続く。

私はこんなに可哀想なんですアピール

可哀想なんだから、少しは手伝ってくれていいでしょアピールだ。

突然、別件から入り、面白くもない話でジワジワと攻めて

目的の達成を目論む…

闇討ちのようなこの行為は、老婆そのものじゃないか。

 

サチコの世話から解放され

今の穏やかな生活を守りたい気持ちが強くなっていた私は

これを撃ち返した。

「あら、結婚って、相手の一族からバカにされることなんよ」

「え…」

「バカにされるのが結婚のスタンダードじゃけん

これで正しいんよ」

「そんな…」

「私もバカにされながら頑張っとるよ。

一緒に頑張ろ。

今日はユリちゃんと話せて楽しかった。

じゃあまたね!」

 

これで寺の労働は回避できたが、問題はサチコじゃ。

急きょ、今月末の退院が決まった。

ガ〜ン!!

鬱病は劇的に回復、ものすごく元気になっとるんじゃ。

あんなに元気になったら、退院するしかないそうじゃ。

恐るべし、サチコ!

今、相談員と、退院後の生活設計を話し合っているところ。

私の未来は暗黒よ。

さあ、笑ってくれ!楽しんでくれ!

 

 

…友だちに対する撃ち返しに、話を戻そう。

わたしゃ口だけは達者なので、言葉は機関銃のように出るけど

言っていいことと悪いことの区別については、はなはだ疑問が残る。

しかし今のところ支障は無いので、私は気にしない。

相手のこと?

もちろん考えない。

短くて済むんだから、我慢してもらう。

これでモメるような人物とは遊ばないので、友だちは少ない。

友だちは数じゃないので、十分だ。

 

ついでに行きずりの人に対する撃ち返しも、話しておきたいと思う。

以前、記事かコメント欄で話した記憶があるが

私史上、最高傑作だと自分では思っているので、また話したい。

 

30数年前のこと、仕事の一環で講習を受けることになった。

午前の講習が終わると、昼食のために一旦外へ出て

午後は別の会場に移動しての実技講習だ。

 

たまたま顔見知りの女性が講習に来ていたので

その人と二人で部屋を出ようとしたら

同じ講習を受けていた中年男性に声をかけられた。

「みりこんさん、お昼をご一緒しませんか?

それから午後の会場へ、一緒に連れて行ってください」

彼が私の名前を知っていたのは、講師が出欠を取ったからだと思う。

 

スラリとした長身に、着慣れた風のスーツ姿。

頭は少し薄めだが、見た目は決して悪くない。

が、女性ばかりの講習に男性一人の参加は浮いていたし

「お送りしますから、お昼をご一緒に」

ならわかるけど、車が無いのに見知らぬ女子を昼飯に誘い

その上、午後の会場へ連れて行けなんて

交通網が発展してないゆえに車社会の田舎では、普通じゃない。

いきなり名前を呼ばれたのも、ねっとりした話し方も気持ち悪い。

 

こいつは危ない…私のカンはささやいた。

知らない男の車に乗るのも危ないけど

知らない男を車に乗せるのも危ないはず。

だから、間髪入れず言った。

「あ、私の車、二人乗りなんですよ〜!」

 

ポカンと立ちすくむ男性をその場に残し

女性の手を引っ張って、ヘラヘラと笑いながら立ち去った私。

「二人乗りの車って、何?!軽トラ?!トロッコ?!」

後で、その女性と腹がよじれるほど笑い転げたものだ。

午後の実習に、その男性がいたかどうかは覚えてないが

相手を傷つけず、自分も傷つかず

その後、長く笑えるという意味において

30年以上を経た今でも、我ながら秀逸だったと思っている。

 

それから、これは近年の話だけど、実家の母がしばらくの間

“お菓子を配りたい病”に取り憑かれた。

これも認知症の一端なのかどうかは知らないけど

お気に入りの菓子屋(すごく遠い)へやたらと行きたがり

1個1,500円ぐらいのお気に入りの菓子(あんまり美味しくない)

をたくさん買い込んで、コーラスを始め趣味のお仲間や

ちょっとしたことでお世話になったという地元の人々に

配り回る行為を繰り返す。

もちろん全部、私の車で移動する前提だ。

お世話なら、私が一番していると思うんだけど

それはカウントされない模様。

いや、いらないよ、あのお菓子は。

 

行く家々の中には、私が地元を出た後で嫁いで来た人や

年取ってから故郷に帰って来た人など

我々の関係を知らない人もけっこういる。

だから母に付き添っている私を見て

「あら!この方が、ご自慢のお嬢さん?」

そう言われることがよくあった。

母の娘自慢は、地元じゃ知れ渡っているのだ。

 

「あ、自慢じゃない方の娘です〜」

だから、そう言ってやる。

「えっ?……」

母の娘が一人だと思い込んでいる相手は、そりゃ驚く。

目を見張って愕然とするレベル。

「ま!何を言うの、この子は…」

慌てる母。

うしし…こうして地味に溜飲を下げるんじゃ。

 

 

そういうわけで、華麗なる技なんて無くて

何の参考にもならないだろうけど

とりあえず“短い”を基本精神に据えていただけたら

短文勝負の技術がだんだん身についてくる。

そしたら頭の方が短い言葉に慣れて

言いたいことや言うべきことが、素早く簡潔に言えるようになる。

それが、“ポンポンと撃ち返す”ということだ。

ポンポンができれば、その都度、言い返せるので

ストレスは溜まらない。

 

かく言う私も未だに日々、訓練中。

つい長くなったり、口は達者なのに肝心なことを言わなかったり

反省することもあるわけよ。

話は短く、寿命は長く…そんな老婆を目指して頑張ります。

《完》

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撃ち返し・1

2024年09月03日 10時47分06秒 | みりこん流

前回の記事、“始まりは4年前”のコメント欄で

しおやさんからお題をいただいた。

『このシリーズではじめてみりこんさんが

テンポよくぽんぽん言い返す技を使ってらっしゃるのに気づきました。

この技はほかに旦那さん息子さん義母さんすべてに

使われてるのでしょうか?

〜中略〜

旦那さん、息子さん、義母さん、お友達への

「撃ち返し」の使い分けなどありましたらいつかまたご教授ください』

 

お題をいただくって、ありがたいものなのよ。

「撃ち返し」って、いい言葉よね。

だからホイホイと引き受けたものの、皆さんご存知の通り

実は私、そんなに頭が良くないのよねん。

お教えするほどの技術も無いんだけど

おこがましくも、お話ししてみようと思います。

 

まず、私のコンセプトはこれ。

「自分の言ったことがテープレコーダーに録音されたとして

後から聞いて恥ずかしくないかどうかを考えて話す」。

 

これは父の教え。

自分の父親を立派げに持ち上げるつもりはないが

事実、彼は感情に任せて不用意な発言をしない男だった。

早い話が無口ってことよ。

無口なら、録音しようにもなかなかできんじゃないの。

 

無口なもんで、何を考えているかもわからないから

継母の仕打ちに耐える我々姉妹に、彼が気づいていたのかどうか

それもわからん。

そして我々姉妹は、大好きな父が悲しまないよう全力で耐えた。

男って、あてにならん…

妹は知らないけど、私はそう思って成長した。

 

ともあれ“録音あと聞き”の教えは、聞いていてよかったと思っている。

ただでさえ、きつい性格だ。

知らなければ、ちょっと気に入らないことがあると

罵詈雑言で周囲を苦しめただろうから、その歯止めになっている。

この教えが無かったら、仕事にも就けなかったと思う。

 

とはいえ夫の浮気が発覚して、めっちゃ腹が立った時は

ガンガン言った。

薄汚い嘘やアリバイ工作の大根劇に

私まで引っ張り出されて悪役を演じさせられる、この無念!

何年も後で聞いたら倒れそうな酷い言葉を言いまくった。

 

ナンボ言うても言うても、言い足りなかった。

足りないどころか、ますます言いたいことが出てきて止まらん。

人は家族から傷つけられた時、受けた傷そのものよりも

自分の発した言葉が自分自身を傷つけると知った。

 

で、夫の方は何を言っても馬耳東風。

改めたり反省するどころか、ますます悪事にのめり込んだ。

私の渾身の怒りは、女房のヒステリーという

もっともらしい言い訳を与えてしまうだけだった。

「自分の毒に自分が当たってちゃ、自滅じゃ」

そう思ってやめた。

疲れるし。

 

以後は短文勝負に路線変更。

そうよ、短ければ毒も薄いんじゃないの?…

録音したとしても、恥ずかしいのが早く終わるじゃん…

これに気づいた私は、短い言葉でいかに相手にダメージを与えるかを

考えるようになった。

 

しかし、努力も研鑽もいらんかった。

男の子を育てていると、自動的に言葉が簡潔になるからだ。

長々と話したって、男の子は聞いちゃくれないもん。

「いいじゃん!」、「やるね〜!」、「さすが!」

これだけ言ってれば、たいていはどうにかなるもんよ。

むしろ男は、これを聞くために生きているようなものかも。

 

「オカンと接触したら、長くなるからな〜」

という印象を普段から持たせないようにするのが

いざという時に話を聞いてもらえるコツ。

よって、滅多なことでは電話もLINEもしない。

そうしておかないと、アレらは肝心な時に話を聞かない。

もちろん彼らが助言を求めたり、彼らが話したい時は

いくらでも会話する。

 

あ、そうそう、夫とはLINE交換してない。

メール時代の経験上、相手を間違えて

愛の言葉を送られたら気持ち悪いから。

 

横着な私は、やがて夫もまとめて同じ扱いをするようになった。

するとじきに彼の行動について、何か言うのがかったるくなり

放置を決め込んだ。

しかし、息子たちと違う扱いが一つ。

「子供らに恥かかしたら、◯す」

これは言う。

このひと言で、こちらの気持ちも夫が今置かれている状況も

十分伝わる。

彼がそれをどう受け取るかは、自由だ。

最初は「あんたのやっとることは知っとる。

子供らに恥かかしたら…」だったけど、そのうち端折った。

 

子供にかこつけて、釘を刺しているのではない。

息子たちが大きくなってくると、本当にそれだけになるのだ。

私はどうでもいい。

こういう修羅暮らしも長くなると慣れちゃって

笑われようが何を言われようが構わなくなる。

しかし何の罪も無い息子たちが

「あの浮気者の子供」と言われるのは

実際に言われて嫌だったので、そうしたまでだ。

 

「長いはNG」

だから私は、そう認識して生活するようになった。

え?その割にあんたの文章は長ったらしいよねって?

反動ということにしてちょ。

 

ご質問では

『この技はほかに旦那さん息子さん義母さんすべてに

使われてるのでしょうか?

旦那さん、息子さん、義母さん、お友達への

「撃ち返し」の使い分けなどありましたら

いつかまたご教授ください』

ということなので、まず夫と息子のことをお話しして

次は義母についてだが、これは明らかに夫や息子とは使い分けている。

使い分けの理由は一つ。

自分の身を守るためである。

 

同居する義母ヨシコと、実家の母…私には二人の母がいるが

どっちも90才前後の高齢。

老婆は急にとんでもない用事を思いついては

他者にやらせようとする特徴を持つ。

アレらは自分が得や楽をしたり、ええカッコするためなら

他者がどうなろうとかまわないので始末が悪い。

 

できることならやるし、疲れも大変も諦めるが

うっかりイエスと言って行動したばっかりにトラブルになったり

成果が気に入らなくて文句を言われることも多々ある。

敵が本当は何を求め、どのような結果を期待しているか…

相手の発する最初のひと言で推理し

間髪入れず撃ち返さなければ、アレらの罠にはまり放題だ。

 

沈黙したり、言い訳を考えてグズグズしたら押し切られるので

確かにテンポは大事。

テンポよくポンポンと撃ち返しながら、だんだん話題をそらして行き

スピードに付いて来られなくなったアレらの神経が

別の方向へ向いたら、ようやく解放される。

 

このように神経を使わせるから、老人は嫌われるのだ。

夫と息子はリラックスできる相手なのでポンポン言わないが

油断ならん相手にはポンポンするのが、私の流儀である。

《続く》

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