殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

すけきよ女房

2009年06月30日 11時55分52秒 | 女房シリーズ
病院に勤めていた時のバイト栄養士。

40前で、中学生のお母さんなんだが、この人がすごい。

根性もすごく腐っているが

もっとすごいのは、夏のお姿。

紫外線防御の装備がすごいんじゃわ。


黒い帽子…常識。

黒いサングラス…常識。

黒い長手袋…常識。

黒いマフラー…常識。

そして黒いスカーフで、鼻と口を覆い隠す。

さらに駐車場から職場のドアまで10メートルの距離を

黒い日傘をさして移動。

見る度に、わかってはいてもギョッとする。


最初の1年は、センエツながら

「夏の太陽に当たったら良くない、深刻な体の事情があるのだろう」

と思っていた。

わけを聞いてはならぬと気を使い、よっぽどのことだと気を回した。


しかし翌年、たまたま耳にしたところによると

ただの美白の一端だと言うではないか。

性格が悪いのも、仕事ができないのも

体が弱いからだと思い込み

何かとかばって我慢したことを一同後悔する。


しかも「なぜそこまで?」とたずねた同僚に、ヤツはこう言い放った。

「あなたたちとは違うから」

その「なぜ?」は

“そこまでの美肌でもなかろうに…”のニュアンスを含んだものであるが

彼女にはそう聞こえなかったらしい。


ご自慢の、某有名通信会社勤務の旦那様と

習い事のスケジュールでいっぱいの優秀なお子様たちに囲まれた

セレブな暮らしの自分とおまえらは、はなからスタンスが違うのだ…

とおっしゃられたのであった。


心で思うのは自由だが、口や態度に出したら

とたんにお里が知れてしまう。

ま、思うから日々の言動に出てしまうのであろうが

その程度で鼻にかけると

かえってハングリーな育ちを連想させるものだ。


以来、ひそかに「すけきよ」と命名。

“犬神家の一族”に出て来る登場人物だ。

そんなに白いのがよけりゃ、すけきよの名をくれてやる。


その形状から「マイケル」でもいいようなもんだが

ヤツにこの名前はもったいない。


すけきよの夏は、出勤時の脱皮と、退勤時の装着で忙しい。

その情熱を少しでいいから仕事に向けてほしいものである。


思うに、そうまでして守るほどのご器量でもないおかたに限って

紫外線対策が激しいような気がする。

元々浅黒いあんたの肌が少々黒くなったって、誰も気づきゃせんわいね…。

ちょっと焦げたくらいが

黒い腹とマッチして、ちょうどいいんじゃないかしら?


本当に日焼けが怖いなら

金欲しさに、のこのこ仕事に出て他人に迷惑をかけるより

家で静かに隠れておればいいのだ。


あの心境はもしや、気を付けている自分が好きなのかもしれない。

守るに値する肌であり、器量であると世間にアピールし

おのれの価値を自力で上昇させようとたくらむ。

ご苦労なことじゃ。
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うつくし村

2009年06月29日 10時36分41秒 | みりこんぐらし
うつくし村…

それは遠く離れた場所にあるあこがれの村…。

その村の永住権欲しさに、これまでどれほどの努力を重ねてきたであろう…。


へんてこ村・字・中年地区から、年寄り地区へ

じりじりと追いやられつつある私にとって

中でも美容室という施設は、化粧品と同様

安近短で夢が見られる希望の園である。


長い人生、実にさまざまな美容室に通った。

つまり、あこがれのうつくし村を夢見ては美容室を変え

その数だけ失望してきたといえよう。


しかし、そのサロンに行かなくなる理由…

それは必ずしも美への夢破れて…が原因というだけではない。

「行くたびにナンか品物を勧めるので面倒になった」

「先に帰った客の噂で盛り上がる」

「美容師の美意識が強すぎ、客は作品扱いで緊張する」

「店の人間関係が悪く、重い空気にくたびれる」

「うっかり者の美容師に、トイレのドアを開けられた」

などの、ごく些細なこともある。


トイレは“現場”を見られたわけではないが

鍵が壊れたのを放置した上、ノックの習慣もないという怠慢により

技術及び人間性も推して知るべし…の判断からである。

そんなヤツに金を払うこたぁないんじゃ。

女性は繊細なんじゃ。


私の頭が、重度の絶壁という呪われし形状ゆえ

毎回そのことを指摘され…というのもあった。

身長不足の新弟子じゃあるまいし

他人のためにシリコン注入なんぞするわけにはいかない。


一カ所、気に入って長いこと通っていた所もあった。

決してうまいわけではない。

それでも、彼女の穏やかな性格と

店の人たちが仲良しで楽しそうな雰囲気が好きだった。

癒やしも重要な項目である。


やがて彼女は、かなり年上の男性と結婚した。

私はこのご主人が苦手だった。

近くでやはり商売をしているご主人は、自分の手が空くと店にやって来る。


くどいシャツ、派手な指輪、色のついたメガネ…

小さい犬を抱いて店の椅子に座り、飽かず晩婚の新妻を眺める。

それは勝手にやってくれ…。

しかし必然的に、妻の延長線上に位置する私まで

しげしげと眺められる羽目になるのよ。

耐えられなかったのよぉ~…。


今の美容室は、友達が勧めてくれた。

おっさん(本人談)が一人でやっている完全予約の店だ。

店の者同士の仲や連携を心配することがない。

看板を出していないところや、シンプルなたたずまいも好ましい。


元々男性美容師は苦手なほうなのだが、そこは大丈夫だった。

慣れるまでの1~2年は、完全に個性を消して接客してくれたので

“男性”というより“人間”として認識できたからだ。


年齢が近く、ものの考え方が

どちらかといえば右寄りなところに安心感がある。

皇室をあがめ、武士道を好む私もかなりの右寄りだ。

政治経済(とある党の悪口)や世界情勢(とある国の悪口)について

熱く語り合ううちに、カットとヘアカラーは終わってしまう。


客単価を上げる目的で、あれこれしたがる…ということも絶対に無い。

これは以前、腕が良くて感性の合う、好きだった美容室でのこと。

そこのご主人が勤務先をリストラされた途端

特殊なカラーリングだの、特別なトリートメントだの…を勧めるようになり

辟易した経験がある。

投資には目をつぶるが、なにしろ時間がかかる。


ここでは毎回、一期一会の真剣勝負。

しかし緊張感はなく、むしろユルい。

そこでやっとこさ「うつくし村」…と言いたいが

たやすく転居できない素材なのは、自分が一番よく知っている。

それでも高度なカット技術により

頭の面倒をみる時間が大幅に短縮されたのは、画期的大進歩である。


ドライヤーや整髪料でこねくり回さずとも

寝起きの時点ですでに落ち着いているので、その時間を顔に費やせる。

千里先のうつくし村へ、20メートルほど余分に近づける気がするのだ。


実はこのおっさん(本人談)

以前、パリかどっかへ修行に行ったのを噂で聞いて知っている。

本人が言わないので、私も聞かない。


聞いたってどうせ「行っただけ」とか

「髪質が違うからあんまり…」とか、うそぶくに決まっている。

普通なら、3日行っただけでも「パリ帰り」とガラスに書きそうなもんだ。

何かっちゅうと「パリでは…」と言いそうなもんだ。

決して舞台裏を明かさない…そういう所も右寄りのような気がする。


唯一の難点は、始末に負えなくなり早々に駆け込むという事態が起きないので

放っておけばいつまでも行かないため

なかなか“上客”という自己満足を得られないことであろうか。


皆さんはどんな美容室がお好みなのか、知りたいところである。
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エコ女房

2009年06月28日 16時23分08秒 | 女房シリーズ
病院の厨房に勤めていた頃の話。


そこの医師は、たいてい1~2年で転勤する。

行きずりの医師たちは、おしなべて人柄が良かった。

田舎の小さな公立病院に流れてくるのは、派閥でうまく立ち回れない人だ。

独身もいたが、妻が医師の娘でないというのも共通点であった。

医者ってたいへんなんだなぁ…と思う。


そんな医師の中に、若いイケメン…Y先生がいた。

俳優にしてもおかしくない。

性格も明るく穏やかで、患者や職員に大人気。

本人は自分の外見に気付いてないふしがあり、そこがまたかわいらしい。

食堂で救急搬送の電話を受ける姿は、ドラマのワンシーンのようであった。


院長を始め、医師はたいていそうだが

彼もまた、我々と気さくにおしゃべりをして行く。

病院内では見下された扱いを受けることの多い給食科だが

まことに勉強した人、まことに収入のある人は

妙な差別意識がないのもまことであった。

偏見は、いつの時代も中途半端な者が作り出す。


自分はサラリーマンの子供で、苦学して医者になったと話す。

若い奥さんと乳児を連れて、病院の敷地内にある官舎に住んでいた。

見た目も性格も良い医師は、早くからツバがついているものだ。


それだけなら“素敵なお医者様”ですんだであろう。

しかし我々は、生きとし生けるものとして最も本能的な部分…

“食”を預かる身の上である。


医師というのは、食に対して強い関心があるか

反対に、全く興味がないかの両極だ。

関心の有無だけならよいが

見なければよかった…知らなければよかった…

ということも、ままあるのが悲しいサダメよ…。


夜間警備員や、夜勤の看護師から「食堂のジャーにごはんが無い」

と苦情が出たのは、Y先生着任後、初めての当直の夜だった。


公立病院は、米粒ひとつまでうるさい。

厳密に計量された米を人数分炊くのだ。

Y先生は食事を一番に取りに来て、ありったけのごはんを持ち去ってしまった。

他の職員には待ってもらって、急いで炊き直す。


Y先生は、おそらく大食漢なのだろう…ということになる。

対策として3日に1度のY先生が当直の時は、米を多めに炊くと決定。


これで万全…と思った我々が甘かった。

ごはんは残るようになったが、どうも雰囲気が違う…

考えた末、やっと判明。

まだ来てない職員の皿の、一人4コずつ乗せた鶏の唐揚げが

3コになっとるっ!


またY先生対策会議が開かれる。

食事は毎回「検食」といって、試食みたいなものをひとつ用意する。

当直の医師はこれを食して、固いだの柔らかいだの、色がどうの味がどうのと

アンケートみたいなのを書くのが決まりだが、試食なので無料である。

そのついでにおかずをかすめ取られては

給食代金を支払っている他の職員が気の毒というものだ。


Y先生に直接言おう…という意見も出たが、これは上から止められた。

基本、医師は何をしてもいいのだそうだ。

それがこの病院の伝統、すべては転勤するまでの辛抱だという。

結果Y先生が当直の夜は、他の職員食を厨房に隠しておくことに決定。


そのうち、だんだん事情が明らかになってくる。

Y先生の奥さんは、エコライフに大変関心があるらしい。

地球温暖化を食い止めるため、食事の皿には全てラップを敷く。

その上に食べ物を盛って汚さないように心がけ、台所洗剤を使わない。

すべてにおいてこういう方針なので、食事の支度じたい

「しないのが一番エコ」ということになる。


「当直の食事を持って家に帰ったら

“なんで私たちの分は無いの?”と嫁さんに言われて…」

と何気なく話したY先生のひと言で判明した。


この一家は、当直の夜に確保したおかずを家族3人で食べ

ごはんの残りを冷凍して、次の当直まで持たせていたのだった。

徹底したエコライフの中で、ごはんを解凍する電力は許されるらしい。

とんでもねぇ“エコ女房”である。


土、日の朝、Y先生は

小さい娘を抱いて、厨房にやってくるようになった。

「この子に何か食べさせるもの、ありませんかね」


奥さんは、休日の朝は起きないことになっているそうだ。

日々の育児とエコライフで疲れているのだろう…ということにしておく。

赤ちゃんがお腹をすかせて泣くので、やむなく連れて来た様子であった。

ま、うちらも鬼ではないので、みつくろって離乳食を差し上げる。


なにしろエコな赤ちゃんなので、洗濯に合成洗剤は使わない。

パジャマがわりなのか、いつも同じピンクのタオル地のつなぎ。

靴下の部分もオールインワンになってるやつだ。

元の色はピンクだが、よく汚れる足元や手首の末端にかけて灰色に変色。

このボカシ、あのやんごとないおかたのお洋服みたいではないか。


…上品な淡いピンクから、末端にかけてグレーのグラデーション。

 落ち着きのある高貴なイメージが、とてもお似合い…

○○子皇○…とひそかに呼ぶ。


もうここらへんになると、Y先生の美しさもかえってあざとい。

どんなに“ええオトコさん”でも、幻滅を通り越す。

人の親切心や我慢の上に、女房まであぐらをかきだした

ハイエナ一家の世帯主…というだけだ。


さて食堂には、温かいおかずを入れておく保温器がある。

人数によっては入らない小型なので、たまに伝統の技を使う。

カラの小鉢をふせて台座を組み立て、絶妙なバランスで皿を重ねるのだ。


Y先生、その小鉢を手に、すごい形相で厨房に来た。

「この小鉢、何が入ってたんですかっ?僕のは無いんですかっ?」

毎回こうなるので、小鉢の台座はやめた。


2年後、Y先生の転勤が決まった。

荷物を早めに送ってしまって食器が無いので

毎日3食「多めに」作って欲しいと言う。

家族も困っていると言うが、我々は確信犯と察する。

離任の朝まで数週間、Y先生一家の食事の面倒を見る羽目になるが

これでお別れ…と思うと、苦にはならなかった。


あの赤ちゃんが成長して、もしも会うことがあったら

絶対言ってやろうと思う。

「あんたを育てたのは、うちらだよっ!」

会うことはないと思うけど。
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焼きそば女房

2009年06月26日 11時38分42秒 | 女房シリーズ
友人のカズミが来た。

ものすごく怒っている。


先週、知人の新築祝いに招かれたのだと言う。

カズミは数年前に、念願だった雑貨の店を始めた。

ほとんど趣味みたいなもんだが、楽しんでやっている。

そこへ時々来て、ささやかな物を買っていく若い奥さんから

家の新築パーティーに招待されたのだ。


「手作りの招待状くれて、おばちゃん、来て…と言うのよ。 

 私もお客さんから家族みたいに思ってもらえるようになったんだわ…

 って、嬉しかったわよ」


ここで説明しておかねばなるまい。

いずこもたいした違いはないかもしれないが、私の住む地方では

家を新築したら、ごく近しい親類縁者を招いてお祝いの宴会を開く。


「披露」といって、新しい家を見てもらい

好事の厄落としと、日頃の感謝をこめて

料理屋の折り詰めなどを手配し、精一杯のご馳走を振る舞う慣習だ。

ていねいな家では、引き出物も用意する。


招かれたほうは、もちろん手ぶらでは行けない。

しかしながら、娯楽の少ない田舎のこと…

新築披露におよばれすることは

結婚式の次くらいに光栄で、特別な行事なのだ。

カズミがお祝いを包み、喜んで参上した気持ちはわかる。

 
行ったら…あんた…と、カズミはいっそう険しい表情になる。

「町内の商売人ばっかりなのよ!」

        「…どういうこと…?」

「車屋さんでしょ、電器屋さんに保険屋さん、ガソリンスタンド

 居酒屋のママ…それから…肉屋さんに美容師さん…」

とにかく、若夫婦が日頃買物をする個人商店の人たちばかりが

招かれていたという。


「電話で話してるのをチラッと聞いたら

 “今日は業者さんの日”なんて言ってるじゃない?

 親族の部は先月すませて、この前の日曜日は友達呼んだって…」

     「なんじゃ?そりゃ…」

「私達は、お客さんの祝い事に駆けつけた業者というわけよ。  

 招いたほうは、無邪気そのもの! 

 割り切れない自分が情けない!」


その子はスシ屋の一人娘なので、料理のほうも少しは期待感があった…

と告白するのがカズミらしい。               

「…何が出て来たと思う?ねぇ、何だと思う?」

      「知らねぇよ…」

「…焼きそばよっ!」


大爆笑。

「何とも言えない空気の中で、ホットプレートの焼きそば食べて

 みんな早々に帰ったわよ…」

      「食べたんかいっ!」


袖すり合うも多生の縁…とばかりに

片っ端から招待すれば、もれなくお祝い金が付いて来る。

親の目と援助のある親族の部でも、焼きそばを出したなら見上げたものだが

そこは慣習にのっとり、ちゃんとやったと思われる。


ザコの部でお出しするのは、ゴチソウでなくテキトウ。

人の気持ちや後々のことを考えなければ

ローリスク・ハイリターンのやったモン勝ち。

やるのぉ!焼きそば女房!


実は去年、ちょっと似たようなことがあった。

社員で焼き肉をすることになり、家を新築したばかりの男の子が

「新築披露も兼ねて、うちでしよう」と言い出した。


肉やビールは、あらかじめ招かれる者たちで用意した。

もちろん、各自お祝いを入れたのし袋も持参する。

土地と頭金は女房の実家から出たということであったが

彼の幸運も含めて、めでたいことである。

我々夫婦からも、心ばかりの金一封を息子にことづけた。


さて帰り際、彼の奥さんから

野菜とウィンナーの分を割り勘で請求されたという。

一同、一瞬複雑な心境だったらしい。


その男の子は、その後すぐに退職した。

女房の親のコネで、どこか大きい会社に入ったそうである。

辞める会社の者を呼んだのは、行きがけの駄賃。

私はその話に感動?し、ひそかに「ぼったくり女房」と名付けて喜んだ…。


無邪気と非常識が紙一重のこういう問題は

言えばセコい、ウツワが小さいと思われやすいので

人の口にのぼることは少ない。

どうでもよさげなことだけに、男は気が付きにくいので

女のほうが気を回さなければ笑われる…と相場が決まっていた。


しかし最近はどうも、その通念が崩れつつあるようだ。

焼きそば女房も、ぼったくり女房も

可愛がられて大きくなり、運良く地元で結婚した。

結婚後も亭主と孫の3点セットで、金銭面と子育てにおいて

親の庇護を受け続ける。


百人の他人より、しっかり者の親が一組そばにいれば

たいていのことは乗り越えられるものだ。

娘が何か失礼をしたって、被害者は親に免じて口をつぐむ。


親がいなくなったら困るだろう…と人は言う。

しかし親…死なない。

娘が老いても、たいていまだ生きている。

しかも娘一家から絶え間なく刺激を受け続けるため

いつまでも若々しくて、ボケにくい。

よって、他人が心配する必要なし。

親が死んだら、ぜひ法事でも同じことをしてもらいたい…と期待している。


また、そのような女と結婚する男も、だいたい似かよったタイプ。

友達が少なく、実家が遠方…またはしっかりしておらず

性質は、裏はどうあれ、表向きおとなしくて従順だ。

心ではどう思っていようと、とりあえず得なほうへ身を寄せることが

本能的にうまい。


気がきかないので出世は望めないが

それゆえ転勤の心配も無いので、女房一家はご満足。

生まれつき運が強い…というのは、こういう無敵の女の子たちのことを

言うのではなかろうか。


カズミと私は

「ついて行けないうちらが悪い」

という結論に達した。
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スピリチュアル

2009年06月24日 17時03分39秒 | 前向き論
他の町と同様、我が町でも、さまざまな宗教活動が盛んである。

各自、良いと思ってなさっていることなので

それについてとやかく言うつもりはない。

あ、人の家を訪問して勧誘するのは、とやかく言わせて…

「そんなに良い宗教なら、自然に信者は集まるだろうから、来ないでちょ」


二十年近く前だろうか…一時期、市内において

とある山岳信仰が流行ったことがあった。

この町にそれを招き入れたのは、ある建設会社の社長だった。

この人は霊感があるそうで、もっと強い霊感が欲しくて修行を続けており

その過程で、教祖と知り合ったということであった。


社長は教祖に心酔し、自分の周囲に紹介した。

といっても、誰でもいいわけではない。

男性事業主限定である。


教祖は日替わりで信者の家を巡回し、部屋の中で火をつけるという。

放火魔ではない…護摩を焚く。

炎が大きく立ちのぼっても、不思議と畳も天井も焼けないのだそうだ。


男というのは心の中のなんやかんや…より

実際目に見えるものしか認めないところがある。

畳や天井が焼けないからどうした…だが

その不思議が、男心をくすぐるらしい。

ファイヤーパフォーマンスを目の当たりにすれば

たいていの者が、たちどころに入信するのだった。


儀式を披露した後、その家でメシも喰って酒まで飲んで帰るという。

思いつく限りのご馳走を用意し

自宅で護摩を焚いてもらうことが、町の事業主の間で流行した。


愛人を連れ歩き「男の夢」を叶える道を説く教祖の護摩焚きは

とりわけ商売繁盛にご利益があるという。

信仰のために身を律する必要が無く、不倫も全然OKという

“懐の大きさ”にも人気があった。

そういう方面のお好きな社長さんがたが、競って彼を家に招いた。


さて、年月が経過した。

今はどうなっているか。

教祖は病死、最初の霊感社長は会社をたたんで後を継いだが

社長本人は霊感が強くなりすぎて、外に出られないという。

その社長が霊とやらを感じて、少ない髪の毛が逆立つのを

私も見たことがあるが、逆立ったからナンなのさ?という感じだった。


彼は、人は良かった。

我々夫婦の仲を心配して、頼みもしないのに間に入ってくれたこともある。

何も言わなくても、ドラマのように情景が浮かんでくるそうで

すべてが手に取るようにわかると言う。

「原因は父親」と述べておられたが、最後まで

夫の姉カンジワ・ルイーゼの出演はなかった。


「いくら厳しい舅でも、嫁を殴ったりはしないはずだから

 親父さんと旦那さんの間に割って入って

 うまく取りなしていけば、いずれ解決する」

とのご神託。


あんた、甘いで…。

人はなぁ、殴られた痛みは忘れても、言われた言葉は忘れんのじゃ…

もうちっと勉強せい…そう思ったものである。


真実、霊験あらたかなお方なら、根本であるルイーゼの件も見えるはずである。

毎日実家へ帰り続け、火のない所で火を燃して

そこへさらに油を注ぐ、夫と犬猿の仲のルイーゼが登場しなければ

我が家の問題は語れない。

ま、その程度…と、こういうお方を見抜くバロメーターにしている。

とはいえ、この方面に身を置く人で

いまだかつて、そのことに触れた人間は一人もいない。

やっぱり、その程度のモンである。


こぞって信仰し、梵字のおフダをペタペタ貼っていた各社長さんのおうち…

そのほとんどが倒産、廃業、規模縮小。

火を焚いて、火の車になってちゃどうしようもない。


中でもひときわ熱心だった一家。

会社のほうはどうにか残っているが、そりゃもう見事な衰退ぶり。

不況が原因というのもあったろうが

事業を顧みず、家族で山へ修行に行ったり

家で火を焚いて喜んでいるうちに時流の変化を見落とした…

というほうが正しい。

夫婦双方の親は、それぞれさほどたがわぬ時期に

道や畑の小さな焚き火から起きた火に巻かれて亡くなった。


今にして思えば、あれは画期的な戦略だった。

主婦や老人からの草の根でなく、あえて男性事業主に限定すれば

その家族はもとより、従業員、出入り業者、社長仲間などへ一気に広がる。

しかも優越感、選民意識をくすぐり、お布施の額も競争になる。

バブル崩壊後も、まだバブリーな夢を見たがる

欲張り爺たちの心をとらえたあだ花であった。


ここらで、私の経歴を知るかたがたは

「うふふ」と微笑んでおられることであろう。

そう…義父アツシもまた、その信者であった。

義父は教祖の死後、年下の霊感社長をあがめる気になれず

飽きてやめてしまった。


余談で話はさかのぼるが、夫の浮気が発端で両親との同居が決まった時

実家の増築工事を依頼したのは、あの霊感社長の会社だった。

義父と霊感社長は、その時からのつきあいだ。


当時霊感社長は、その山岳信仰をまだおおっぴらにやっていなかった。

柱建ての際、霊感社長自らその信仰にのっとった祭事を執り行い

天井裏には、おフダが貼られた。


新居に暮らし始めた私は、連日激しい頭痛に悩まさた。

病院を回っても原因はわからず、いっそ殺してくれ!級の激痛だ。


ある日、義母ヨシコが、はたと気付いて夫を天井裏に登らせ

こっそり隠すように貼られていたおフダを発見した。

はがして捨てた途端、頭痛がおさまったのはまぎれもない事実である。


痛む間は目も開けていられず、立つこともできなかったので

家事どころではなく、迷惑だったのもあろうが

「嫁をなんとか助けてやりたい」という強い気持ちがなければ

このようなインスピレーションは湧かないと思う。

よって、ヨシコには恩を感じている。


また我が家の場合は、ヨシコが昔から別の宗教を熱心に信仰しているので

家での焚き火は、許されなかった。

そのおかげかどうかは知らないが、会社はまだ存続している。

しかし近年、世情もあろうが

ヨシコが熱心に信仰すればするほど、経営は悪化していくような気がする。


2~3年前から、それまで無関心だったルイーゼまで一緒に拝むようになった。

頭を下げて仕事をもらうようなつらいことをするより

家で座ってナンカ拝んでるほうが楽ちんであろう。


やればやるほど、傾いていく。

傾けば傾くほど、熱心になる。

眺めているぶんには、なかなか楽しい。
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どうよう

2009年06月20日 15時13分33秒 | みりこん昭和話
♪赤い靴 はいてた 女の子

    イージンさんに 連れられて 行っちゃった…♪


イージンさんて、何者なんじゃ!

私は恐怖におののく。

童謡というより、激しく動揺。




♪重いコンダーラー 試練の道を

        行くが 男の ど根性♪

“コンダーラー”というトレーニング器具で

体を鍛えるらしい飛雄馬!


大リーグボール養成ギプスを装着して

その上まだコンダーラーなる重たい器具まで使いながら

さらに“試練の道”という怖そうな道を歩くという飛雄馬!

お父さんキツいし、貧乏だし、これで何の生きる甲斐があろうか…。

よよよ…。

童謡ではないが、同情。


我ながら、困った子供であった。

こんな私を捨てずに育ててくれた

家族に感謝するのみである。
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プラッシーの誘惑

2009年06月20日 11時54分39秒 | みりこん昭和話
昔の話で恐縮であるが

結婚にあたり、3人のおかたからアプローチがあった。


モテた…ということではない。

いにしえの田舎町では、恋愛はもとより

親しいというだけでも結婚が前提となり

現在の世情とは、少しニュアンスが違うと思われる。

そういう時代であった。

たいていのことは“時代”ですませられる、いい年齢になったもんだ。


その中の一人は、まだ学生であった。

穏やかで良い人だが、恋愛感情は湧かない。

しかも名字がちょっとイヤ…。


もう一人は消防士。

これも名字がかなりイヤ…。

しかもしかも!農家の長男!

うちのルーツはどこを掘っても稲作農家だ。

農家の嫁がどれほど厳しいものか、よ~く知っている。

改善されつつあるとはいえ、長い歴史を完全に覆すのは難しい。


最後の一人は…言わずと知れた我が夫。

これは簡単明瞭で、好きな名字であった。

我が家と同じ自営なのも、安心感があった。


君がいないと死ぬ…と言う。

あまりの情熱に恐れをなして、一度断わったら

ものが食べられなくなって寝込みやがった。


死んでも構わない…いやむしろ、その時死んでもらっておけば

あまたの女人を苦しめて罪を重ねることもなかったであろう。

しかし、そこへ出て来たのがヤツの母親。

私と両親に「なんとか付き合ってやって欲しい…」と言う。


それで情にほだされ結婚したのか…というと、そうではない。

「バカだからよしたほうがいい」

と止める家族をふりきり、私は自分の意思でヤツに決めた。


決定打は…

「プラッシー」じゃ。

昔、お米屋さんだけで販売していたあのオレンジジュース。


何が嬉しいといって、ヤツの家に行くと

プラッシーが飲み放題なのだ。

農家出身の我が家は、米屋とつきあいがなく

その上清涼飲料水のたぐいは極力避ける主義だったので

プラッシーは夢の飲み物であった。


プラッシーの次は、キリンレモン!

どっちもケース買いして、たんまり冷やしてある。

結婚したら毎日飲める…と思った大バカ者の私であった。


年月は経過し、学生君はいまや花のお江戸でテレビマン。

消防士君は、市役所のエライさんになった。

どちらも良い妻をめとり、幸せに暮らしているという。

プラッシーなんかに魅せられるような愚か者と

結婚しなかったからにちがいない。


今、プラッシーはスーパーで普通に売られている。

なにげに腹立たしい。
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忍耐力検定

2009年06月19日 10時34分16秒 | みりこんぐらし
このところ、私は忙しいのだ。

なぜなら、義母の病気全快の内祝いを配る作業が始まったからである。


ギフトの店に行って、発送してもらえばどうってことない。

しかし、義母はそれでは納得しない。

いつもお茶を買う店で

義母の好みを取り入れたお茶の詰め合わせを作ってもらう。

それが届くと、友人関係に配るのだ。

義理や礼儀というより、それを口実に一人一人に会いに行く。


その行脚(あんぎゃ)の同行者として、わたくしめに勅命がくだりたもう。

名誉あるお役目を果たすには、それ相応の忍耐力と

運転技術(みりこん家・比)を兼ね備えていなければならぬのじゃ。

いと、かなし。


「あ、そこの角を曲がってみて…あら?行き止まり?

 じゃあ、さっき通り過ぎた所かも…バックバック!あはは~」

…笑ってごまかす義母。

「この道よ!通ったことあるわっ!ほら!やっぱり!」

…得意満面の義母。

一軒ごとに、その行程を何度も繰り返す。


こんなことでムッときていては、とても身内なんぞやっちゃーおられん。

つまらぬイラ立ちは、おのれの首をしめるに過ぎない。


年寄りというのは、昔ながらの入り組んだ場所に生息していることが多い。

離合不能、複雑な迷路状の

道路と呼んでやるにはおこがましい路地、小路を

行ったり来たり向きを変えたりする。

しかも「暑いし、日がかげってから…」という指定により

夕方、交通量がマックスに増えた時間帯限定である。


しつこいようだが、年寄りの家というのは

車を停めるスペースなど無いことが多い。

やっとこさたどり着いて、義母がキャッキャ言ってる間

後ろから車が来ないかと気が気ではない。


「じゃあね~」

と言ってからが長い。

義父ならぶっとばされ、かつ、車の四隅は丸く変貌し

夫の姉ルイーゼならば、置き去りにされるであろう。

息子である夫は例の整体に行くので、最初から対象外だ。


昨日の部、最後に回った家は比較的大きな道路沿いにあった。

その先に工場や住宅地があるため、車がビュンビュン行き交い

その場で停車して待つことができない。

義母を降ろして向きを変え、道路の反対側で待つことにする。


やがて出て来た義母は、こちらに向かおうとする。

門を出たら、歩道や車両進入禁止ラインなどの余白がなく

いきなり車道というデンジャラス地帯だ。

その様子を車内から見ていた私は、思わず叫ぶ。

「ぎゃ~!」


車が義母のすぐそばをかすめる。

なんで無事なんだ?と不思議なほどの間一髪。

義母…気付かず。

見送りに出てきた家の人に、振り返って手なんぞ振りながら

名残惜しげにまだ何か言ってるからだ。


迫る夕闇…見通しの悪い緩やかなカーブ…

しかもなにげに下り坂…黒いワンピースの義母…

事故には絶好のコンディション。


義母は気にも留めず、さらに前に進もうとする。

「ひ~!やめれ~!」

降りて迎えに行こうにも、車が横をじゃんじゃん通るので

ドアが開けられない。

車が一台が通過したって、後続車があることや反対側からも来ることが

わかってないのだ。


見送るほうも、ここに車の通らなかった昔から住んでおり

なおさらわかってないので、お互いのん気に手を振り合っている。

道路の横に家を建てたのではなく

道路が家の前に出来たので、現状のすべてを認めてないふしがある。


ひらり…ひらり…義母はゲームに出てくる勇者みたいに

奇跡的なタイミングで道路を横断。

窓を開けて「気をつけろ!」なんて叫んだら

こっちに意識が行ってなおさら危ないので、天に祈りつつ耐える。

このヒト…死ぬ時は病気じゃなくて、交通事故かも…と一瞬思う。


お茶をひととおり配り終えると、次は「商品券組」が始まる。

お茶を飲まない家、店にお茶を置いている家

自分の店で商品券を買って欲しい家…などがそうだ。


せっかく元気になったのに

車に轢かれていたのでは、元も子もないではないか。

次回からは、反対側で待つのは絶対にやめよう…と深く反省した。
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お買物

2009年06月16日 15時37分30秒 | みりこんぐらし
もうずいぶん前になるが

夫が一時期、隣国及び東南アジア各国へ

頻繁に出かけていた時期があった。

仕事絡みの協会やゴルフ同好会などの旅行である。


メンバーの大半は中年男性。

いちおうゴルフ旅行という建て前だが

まあ、どこのホールを狙っているかはおわかりであろう。


そのあたりに男性のみで旅行して

清らかなまま帰るのは子供と病人だけだと思って、まず間違いない。

不審の目を向ける妻に、皆必ず言う。

「あいつは行ったけど、俺は行かなかった。好きじゃないし…」

そういう時代であった。


一度自分が経験すると、今度は人を案内して

同じ「お買物」の体験をさせたがるのは、男性の習性らしい。

夫もそのお導きで「買物の楽しみ」を知った。


女性の地位向上を叫んで販売を抑制するのもよかろうが

こういう男どもをいったん根絶やしにするほうが

早いと思うのは過激であろうか。


その中のひとつ「た」で始まるお国には

古くより義父の馴染みである商店及び商品が存在した。

製造協力者は不明だが、その商品のお腹から

やがて新たな商品が生産され、それが今度は夫の担当となった。

世襲もありか?

なかなか面白いシステム…と感心した次第である。


なぜそんな話を知っているか…

口の軽い理髪店で、めったなことをしゃべるものではない。

私が子供を散髪に連れて行った時に、筒抜けなのだ。


身近なしろうとと違い、代金引換・現金御礼の商品は

面倒臭い野心や将来が始めから存在しないので、あとくされがない。

「あとくされ」を好む性質の夫には、少々物足りなかったようだが

どうでもよい。


さてそんなある日…私は知人を出迎えるために、ある駅に出かけた。

待合室がなんだか騒がしい。

「パパサン、パパサン」

若い外国人女性が、ちょっとハスキーな声で

しきりに連発している。


沈黙してたたずむ「パパサン」は…

おおっ!なんと夫の旅行仲間…この町在住の若社長、B氏ではないか!

もちろん、妻子あり。

ブラボー!!


「キタヨ、ミンナキタノヨ」

女性の背後には、両親と思われる男女

兄妹なのか、若い男から子供

じいさん、ばあさんまでいる。

総勢10人ほどが、それぞれ大きな荷物を携えてゾロゾロいた。


B氏、汗を拭き拭き、ボソボソと何か言う。

女性、激しい口調で詰め寄る。

「コイイッタネ!ワタシキタ!パパサン、オイデイッタ!」


B氏は周囲を気にし、身振り手振りで声を小さくするように促す。

奥ゆかしく!控えめな!私は

他人の不幸にぶしつけな視線を送るようなことはしない。


そのかわりといっちゃあナンだが

“だるまさんが転んだ”のように

座っていた椅子をひとつ…またひとつ…

座り直しながら、その集団に近づく。


女性の父親らしき人物は、少し日本語が話せるらしく

B氏となにやら小声で会話した。

やがてB氏は公衆電話に向かう。

ほどなく駆けつけたのは、黒い大きなカバンを持った

銀行員とおぼしき男性であった。


ああっ…そこで時間切れ…待ち人到着である。

友達なら一緒に最後まで見物するが

そうもいかない人だったので、未練を残しながら

振り返り振り返り立ち去る。


かなり後になって聞いた話によると

寝物語で「日本へおいで」と言ったのを鵜呑みにした彼女は

一族で現地を引き払い、B氏と結婚するために

はるばるやって来たということであった。


お金を渡してお帰りいただいたそうだが

そのことがあってから、ゴルフ旅行が減った。

この件が原因なのか、不況になったせいなのかは

ご一行様に渡した金額とともに不明である。
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まがたま夫人

2009年06月14日 14時37分48秒 | みりこんぐらし


ちょこっと京都へ行って来た。

友達と現地集合、現地解散。


目的その①…京都御所“潜入?”

源氏物語の舞台である。

ここで「あんなコト」や「こんなコト」が…と勝手に想像し、いたく満足する。




目的その②…○嶋亭のすき焼き

明治時代に建てられたというレトロな三階建てにメロメロ。

さらに、すき焼きを作ってくれた中年の仲居さんに驚く。



うちの実家の町で昔っから「小町」「町一番のベッピン」と呼ばれ

その前後に並ぶ者無し…と言われて60有余年の“はま子さん”に

そっくりであった。

顔立ちが純和風でなく、ちょっと「洋」が入ったところも似ている。


客商売未経験である我が町のはま子さんと違い

こちらの「はま子さん」は気配りがあり

粋とサッパリの間に位置するしっとり感がある。


田舎じゃ右に出る者無しの、ずば抜けた美人ランクが

ここでは普通にさりげなく社会人…さすが京都…。

“私たちが今まで食べていた物体は何だったのっ?”級の肉と共に感動。


翌日は買物ざんまいのあげく、行商人のような荷物を抱えて車中の人となる。

故郷の駅(おおげさな…)に降り立つと

行く時、さんざん世話を焼かせた駅員さんがいた。

駅で開口一番「わたしゃ旅慣れないんだから、どうにかしてちょ」

みたいなことを言ったら、色々どうにかしてくれたおじさんだ。

「無事に帰って参りました」

と帰還兵士のように報告し、待たせてあった夫の車へ乗り込む。


ここでハッと気付く。

夫へのお土産が何も無いことに…。

ゾウリ、数珠、Tシャツ、便箋…自分へのお土産はたんまり。

たら~り(汗)


帰宅して荷物を解く間も、何か無いか…と気もそぞろ。

もらい物のメロンも、私が帰るまで食べずに待っていた…と言う夫…。

いつも夫に「思いやりを持て」「常識を知れ」と

小言を言っていたことを後悔。


夫は目を輝かせて“何か”出て来るのを待っている。

やばいっ!

そこへ出てきたのは、駅ビルの「東北フェア」で買った山形牛。



はい…これ…

牛肉のパックを渡す。

「何?これ」

「ぎ…牛肉よ」

「これがお土産?」

かなり不審げである。

「そ…そうよっ。おいしいのよっ」

「あ、すき焼き食べるって言ってたよね。それだね」


どうせ老眼だ。

スーパーで買うのと同じ、発泡スチロールのトレイに貼られた

「山形牛」の小さい字なんか、見えやしないのだ。


チクチク…良心が痛む音。

しかし!…と私は自分に言い聞かせる。

この男は海外に行った時

私には3枚ひと組のスカーフの1枚しかくれず(残り2枚は母親と姉)

愛人には指輪を買っていたではないか…。

また別の時には、愛人には本物のシャネルの腕時計

私のは同じデザインのなんちゃってモンを与えたではないか…。

あれはクツジョクだった…などと思い出す。


しかし、今回旅したメンバーの一人がくれた

ブランドもののハンカチに思いをはせる。

こんなプレゼントをもらって

過去のザンネンは、あらかた昇華されたのではなかろうか…。

また振り出しに戻る。



そうだ…国内旅行でマガタマのネックレスを

買って来てくれたこともあった…。

しかもそれを首にかけた私を見て

「怪しすぎる!やっぱりおまえはそのスジの女!」

と大笑いしたではないか!


「こんなもんぶら下げて、どこ行け言うんじゃ…」

とつぶやくと

「どこでもいいから、お告げを聞いて稼げ!」

と言ったではないか!

ミヤゲが牛肉になったくらいで、うろたえてはならんのじゃ!

…と自分に言い聞かせる。


それでもチクチクはおさまらない。

もう一人のメンバーがくれた本場のピーナッツを

しぶしぶ差し出す。

一人でこっそり食べるつもりだったやつだ。

大好物を手にして、夫はとても喜んだ。

やっとチクチクはおさまった。
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お金の話

2009年06月11日 13時59分23秒 | みりこんぐらし
たぶん私は、節約好きな質実剛健主婦と思われている。

違ってはいないが、夫の浮気に耐えながら爪に火をともすような暮らしの中

二人の息子を育て上げた努力の人…というわけではない。

元々は、おのれの容姿もかえりみず

ブランド好きで見栄っ張りのお軽い女だ。


嫁いだ先も悪かった。

今がザンネンな者は過去のことをよく言うが、私もそのクチだ。

まさに衣食住に浪費をいとわない、私好みの家庭だったので

衣類や宝石など、多少の恩恵にも預かった。


雲行きが怪しくなってきたのは

やはり義父と夫が競うように浮気をしていた頃だった。

バブル全盛期とはいえ、夫の不始末で大きな仕事を逃したことから始まる。


当然独占できるはずの公共事業だった。

規制が厳しくなり始めた頃で

現場を仕切るためには、国からのとある許可が必要だという。

許可申請の行程は順調に進み

夫は最終的に支払う手数料を持って、司法書士の事務所へ行くはずだった。


しかし、夫はその日に行かなかった。

司法書士の事務所と、愛人のアパートが近所だったのがいけなかった。

ついでに泊まっただけでなく、手数料を使い込んで手続きが遅れた。


困ったことに正月が近かった。

日にちは充分あると踏んでいたのに

お金を使ってしまったと告白する決心をするまでに数日を擁し

世間は完全に正月休みに入ってしまった。


結果、期日までに間に合わず、工事の参入は不可能となった。

数年は続くであろうその仕事を見越して購入していた

車両や土地の購入がことごとく借金に変わった。


それが岐路と言えるかもしれないが

そんなバカ息子を取締役に据えて疑問を抱かない会社だ。

遅かれ早かれ、同じ事態になっていたと思う。


資金繰りが厳しくなり、元々多くない給料が減った。

経費でナントカしてもらっていた範囲がぐっと狭まる。

バブルがはじける前に、バブル崩壊体験!

時代の先取りだ~い!


逃避からか、義父と夫の道楽は会社の辿る下降線と反比例してひどくなり

ますます困窮していった。

その辺から序々にではあるが

噂に聞く、かの有名な「貧乏」というものが

少しずつ理解できるようになってきた。


それで節約するようになったのかというと、そうではない。

そんな事態になる少し前…

あれは、誰でも知っている通信電話会社が

まだ公的機関だった頃のことだ。

もうすぐ民間になるという話はあったものの

子育て真っ最中の私は、気にもしていなかった。


知り合いだったそこの職員が、展示会の案内状をくれた。

つきあいで出かけたら

発売されたばかりの「テレホンカード」なるものが展示されていた。


最終日の夕方、閉会間際に行ったのだが

田舎ではまだ知名度が無いため、大量に売れ残っていた。

知り合いはつぶやいた。

「残った分を自腹で買わされるかもしれない…」


私は同情してしまい、無いお金をはたいて何十枚も買った。

後で思えば、私なんかより

公務員だったその人のほうがよっぽどお金持ちなのだ。

とんでもないバカなことをした…と後悔したが、あとの祭である。


やがて、電○公社はN○Tとなった。

さらに数年して、空前のテレカブームがやってきた。

今となっては誰も見向きもしないが

猫も杓子もテレホンカードを集めて喜んでいた時代があった。

旧公社のカードは、収集家なら喉から手が出るほど欲しいものだと言う。


輪ゴムでくくり、何年もタンスの奥に突っ込んでいたアレ…。

目に映るたびに、ええ格好しぃの向こう見ずな我が身を呪い

バカを後悔していた、いましめのカードの束…。


半信半疑で、こういうものを扱っている知人にまとめて売った。

ごく初期のものだった数十枚のカードは

少々のまとまった金額を私にもたらした。


その後、なけなしの貯金と合わせ

とある芝生の上で行う球技の、とある権利を一回だけ転がした。


同じ手法は二度と使わないのが私の主義である。

またそれをタネ銭にして…と損したり、得したりしながら

夫の収入が女性のところへ注がれていた数年も含め

それで乗り切った。

たいした金額ではなかったが、それが支えになっていたと思う。


子供が成長して社会人になり、ひとまず戦いが終わると

テレカから始まったあぶく銭もきれいに無くなった。

タイミングの良さに、一種感慨をおぼえる。


その頃には、お金のありがたみも多少はわかるようになっていた。

お金は祈ってもケチケチしても、自分からはやって来ない…

必ず「人」によってもたらされることも、身に沁みてわかった。


しかし、一番よくわかったのは

亭主が働いたお金でバーッと何か買うのが

やっぱり一番気持ちいい…ということである。
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組長・6

2009年06月09日 09時53分17秒 | 組長
組長のことなどどうでもよかろうが、このところ事態が変化したので

書いておかないと忘れてしまうため、とりあえず記録しておく。


前年度の決算に異議を唱えて総会を開かせ

そこで一味に推薦されて、めでたく自治会長になるというSじじいの計画…

総会を開くには、会長不在の今、組長の私という難関を越える必要がある。

うしろ暗い野心がないならうちへ来て、納得のいく説明をすればいいのだ。

奴の襲撃を楽しみに待っていたのに

いっこうにその気配はないまま日が経っていった。


しかしついに先日、奴は動いた。

近所のT子がうちに来る。

「昨夜Sさんが来て、総会を開くのに賛成してくれって…。

 役員さんに言ってください…と言っても聞かないの。

 自分が自治会長になる予定だから、悪いようにはしないと…」


T子の家は女しかいない。

Sじじいにとって、格好のターゲットであった。

うちを避けて脅しやすい家を狙い、草の根運動を始めたようだ。


「子供が何かされたらと思うと怖くて…。

 総会がしたいと言うんだから、開いてもらえないかしら?」

T子は心配そうな顔つきで言う。

弱い者を責めて、総会を招集せざるを得ない状況に持って行く構えである。


正直なところ、Sじじいがなりたいんなら、ならせてやりたい。

幼少の頃から、ザンネン村の住人だったと見て取れるSじじい…

値打ちのないものに執着の炎を燃やすのは、その証拠であろう。

冥土のみやげに望みを叶えてやるほうが、よっぽど楽だ。


しかし、さすがに子供には何もしやしないだろうが

万が一にもそんな懸念を抱かせる人間が

自治会長になるのを黙認するわけにはいかない。

少なくとも、私が役員の間はあきらめてもらおう。


これで言うことを聞き、総会を開いたら終了ではないのだ。

もっと面倒な支配の始まりとなる。

Sじじいが会長だった一昨年までは、事実そうだった。

“メンズ”の存在に守られ、自身もタチの悪いオバタリアンである私には

知ったこっちゃないが、おとなしい者は住みにくくなるであろう。


実家へ行く時間だったので、そのまま家を出た。

そこで今まさに、老人一人暮らしの家に入ろうとするSじじいを発見。

ここでまた「総会のススメ」をする気に違いない。


「ちょっと!Sさん!言いたいことがあるんなら、私に言いなさいよ」

普通、いきなり他人にそう言われたら喧嘩が始まるもんだが

よこしまな野望に溢れるSじじいのハートには響かなかったようだ。


「…若いもんじゃあ話が進まんから…」

「話って何の話?自治会のことはSさんに関係ないでしょ?」

それには答えず、Sじじいはニヤつきながら突飛なことを言う。

「Cさんは、オレに会長になれと言うんだ…」

Sじじいはこれを言いたくてたまらなかったようで、さも嬉しげに発表する。

筋金入りのバカだ。


「役員でもないCさんが口出すのはおかしいじゃん」

「Cさんはここに長く住んでるからなぁ…」

「長い人の言うこと聞くの?

 じゃあ、Sさんより長い私の言うことも聞いてくださいよ。

 自治会のことは、役員で決めます。

 あちこち行って変なこと言うのやめてくださいね」

Sじじいを残し、そのまま私は実家へと急いだ。


しかし、早急に決着をつけなければ

またSじじいにねじ込まれる犠牲者が増えるばかりだ。

封印するつもりだったワザを思い切って使うことに決めた。


その夜、私は会計の子と作戦を練り、Cの家におもむく。

「Cさ~ん、いらっしゃるぅ~?」

うへっ…相変わらず醜く太ったおっさんだ。


「Cさん…自治会長の件なんですけどぉ…

 実は私たち、SさんじゃなくてCさんにやっていただきたいんですぅ」

「え…?」

Cは、細い目を精一杯見開く。


「オ…オレは…ここをまとめるにはSのほうがふさわしいと思うけど…」

「人望に問題が…。現にSさんが怖いと言う人もいますしぃ~」


打ち合わせどおり、会計の子も続ける。

「私も、Sさんが怖くてぇ…」

“怖い”という形容詞は、非常に便利である。

主観の問題なので、説明の必要がない。


Cの嬉しそうなこと!

「イヤ…オレは…そんな…無理だよ…。

 まあ…確かにSはガラの悪いところがあるから…

 女性は怖いかもしれんなあ…」

「そうなんですぅ~!Cさんだったら、私たち大丈夫ですぅ~」
 
「オレは…だめだよ…Sを押した手前…。

 誰かほかの人に頼んでよ…」


「えぇ~っ?」

私たちはさも残念そうに身をよじり、そそくさと帰る。

“ほかの人”という言葉を引き出したら、こいつにもう用はない。


自治会長は、来年度の順番の中から

近所づきあい?なんのこっちゃ?の若夫婦に下話をしてあった。

もちろん、我々の全面サポートサービス付きである。


翌日、私はさっそく新メンバー紹介の回覧板をまわした。
 
その後の噂によると、SじじいとCはやはり仲間割れをしたという。

回覧板を見て、野望を打ち砕かれたのを知ったSじじいがCのところへ行った。

“自分のほうがいい”と言われて“辞退”したと思い込んでいるCが

「人望」を持ち出して喧嘩になったらしい。


しょせん酒から芽生えた仲良しごっこ…

ザンネンな方々の友情なんて、そんなモンだ。

口ではきれいごとを言っても、腹では自分こそ…と思いながら

つまらぬ生涯を終えるのだ。


あれ以来、Cの熱い視線が少々不快ではあるが

とりあえず身を挺して?Sじじいの野望は葬った。

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あしあと

2009年06月06日 12時03分13秒 | 検索キーワードシリーズ
ブログの「あしあと」サービスを利用し始めて50日あまりが経過した。

その目的や活用法は、いまだによくわからないままだ。


友人の噛んで含めるような説明をメールで受けながら

おっかなびっくり始めたものの

今ではすっかり“アクセス解析”の中のある「キーワード」のとりこ。

どんな単語で検索され、自分のブログにヒットしたかがわかるのだ。

さまざまな人間模様が垣間見え、かなり笑える。


タイトルでの検索や、よく使われる単語などの「一般部門」は省略し

ここでは少数派にスポットを当て、表彰してみたいと思う。


『深刻部門エントリー』

  「不倫 夫の実家 慰謝料」「不倫 脅迫」「不倫との戦い」

  「不倫相手 対応」「不倫相手 観察」「早く堕ろせ 夫」

  「夫 実家から自立させる方法」「定年後 夫不倫 手口」

 
 優勝…「夫 実家から自立させる方法」

 理由…無理だから  


『スポーツ部門エントリー』

  「組体操 愛」「組体操 回避」「夜の組体操」

  「うずまきサポーター」「チョウチンブルマ」

  「ママさんバレー 監督と不倫」「39才 コーチに恋」

  「社交ダンス 不倫」「社交ダンス 悪口」「社交ダンス 男らしさ」

  「社交ダンス教室 ドロドロ」「男と女ですもうをとる」
   
  「男女交際 野球部」 
 

 優勝…「39才 コーチに恋」

 理由…年齢をはっきり示したところ


『マジメ部門』

  「協議離婚 子の相続」「子供の代 資産として残す 貸しビル」

  「事務職 合わない」「選挙 出陣式 服装 マナー」

  「自治会費 賢い使い方」「自治会 会計 殺人」 


 優勝…「事務職 合わない」

 理由…頑張ってほしいから  


『インパクト部門エントリー」

  「誘惑屋」「「PTA不倫」「義母不倫」「ブルドッグおばさん」

  「ソバージュ 昭和」「幼少 デブ 骨格」「筋肉デブ」「菓子パン」

  「隣の若妻」「浮気してる人のブログ」「浮気妻 末路」  


 優勝…「隣の若妻」

 理由…響きがいいから


『お笑い部門エントリー』

  「暇 年寄り 覗き 趣味」「上半身までのストッキング」

  「いじめてという夫」「主婦 浮気 気持ち 不倫 聞き取り」

  「今夜つきあって 体もたない」「やらせてくれる保険外交員」

 
 優勝…「主婦 浮気 気持ち 不倫 聞き取り」

 理由…長さは情熱 


              以上で、第一回表彰式を終わります。
  
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ワイナリー

2009年06月04日 15時28分26秒 | みりこんぐらし
我が家から車で1時間のところと、2時間のところに

それぞれ「ワイナリー」なる観光スポットがある。


出来た順番は遠いほうから。

小さい、セコい、ショボい順番は、近いほうからだ。


先に出来たワイナリーの成功を見て

「ぜひ我が町にも…」

ということになったらしいが

そこの町民は、大事なことを忘れていた。


手本にしたワイナリーは

古くより、とある鉱物の流通で栄えた街道筋の宿場町にある。

つまり、江戸時代から旅人の往来でうるおい

現金を扱って生活することに慣れた人々の子孫であろう町民が

中心となって運営しているのだ。


現在は鉱山も廃れ、山奥の田舎町に成り下がったものの

訪れた人を喜ばせることがお金に変わるという

商売人の心意気、歴史と文化が脈々と受け継がれている。


セコショボワイナリーには、それがない。

こないだまで、つつましい農耕民族だった者たちが

ひと山をさら地にして、いきなり観光事業を始めたのだから無理もない。


彼らの知恵は、箱物の建設終了とともに出し尽くしてしまった。

来場者の心理をおもんばかってリピーターを増やすことに

さらさら興味は無いようだ。


しかし、娯楽の少ないこの界隈。

オープンから数年、訪れる人数は確実に減少しているが

入場無料とあって、休日にはまだ多少の来場者はある。


何がセコショボかというと、まず入り口。

ワイナリーに行って、人がまずやりたいことは何か…

ワインの試飲である。

しかし、試飲コーナーへ入るためには関所がある。

入り口でやたら元気なおばちゃんが

来場者を追い回すようにして、見慣れぬキノコを売っているのだ。


地元一押しの新しい名産という怪しげなキノコを突破しなければ

試飲は出来ない。

キノコを買いもせずに試飲コーナーへ行かせるものか!

というおばちゃんの気迫が、ひしひしと伝わってくる。


遊びに来て、いきなりどす黒い不気味なキノコを買う気になれない

こちらの気持ちなど、お構いなし。

その情熱に脱帽。


やっとワインの試飲。

遠いほうのワイナリーは飲み放題だが、ここはちょっと違う。

ワイナリーに出かけるのは、たいてい女子供が中心。

ガバガバ飲む者は少ないだろうに、それが惜しいと見える。


タダでワインを飲みたければ

高さも直径も3センチほどの小さ~いカップを持って

まず並ばなければならない。


カウンターの向こうには女の子がいて

「この4本のワインのうち、どれがいいですか?」

ともったいぶって聞く。


選ぶと、おもむろにそのビンから「チビリッ」と入れてくれる。

…はやっ!!

ちょうど三三九度で巫女さんが注いでくれる仕草と量だ。

はい、終了。

惜しむあまりに編み出されたであろう

その卓越した技術に脱帽。


次に試飲コーナーを出て、地元の物産を扱う店に入る。

野菜だの卵だの、ごちゃごちゃと品物が置いてあるが

目を引くのは、やはり地元の有志が出品した「作品」の数々。


山里らしく木のツルで編んだ、物を入れたら全部下へ落ちるであろうカゴや

木の実で作ったとても気の毒な姿のマスコット人形

近くに窯もあるらしく「湯飲み」と書いてなければ花瓶と思う陶芸作品

などが誇らしげにホコリをかぶり、高い値札を付けて並んでいる。

その感性に脱帽。


気を取り直して庭に出、小さなテントの産直野菜の販売コーナーへ近づく。

ここでは売ってる人が皆、尻を向けて立ち

野菜も彼らの立つ向こう側に並べられている。


もしも買いたいお客がいれば、いったん回廊からはずれて土の上を歩き

レジに立つ彼らの背後をぐるりと回ったあかつきに

やっと野菜を目にすることができるのだ。

丹精込めて作った野菜なので

本当は売りたくないのかもしれない…などと思う。


しかし「売れないねぇ…」などと雑談している。

あ、売りたいのか。

そのおおらかさに脱帽。


その時、突然賑やかなメロディが鳴り響く。

すると試飲コーナーや売店から、わらわらと数人のご婦人が出て来て

小さい輪になり、いきなり踊り出す。


曲名…「ワイナリー音頭」。

♪ワイナリーよいとこ、またおいで…♪

お揃いの手ぬぐいを首にかけ、無表情で踊る。


事態を把握出来ず、呆然と立ち尽くしてその光景を眺める観光客。

終わるとまた、サッと散っていく。

そのさっぱり加減に、やはり脱帽。


お土産を買って帰ろう…と、ふたたびキノコを突破して試飲コーナーへ戻る。

晩酌をしない我が家に、ワインは無用。

地元のお菓子屋さんが作っているという

“おすすめ”の「ワイン入りアイスもなか」を買う。


帰り道、待ちきれずに…

いやいや、溶けていないか確認のためであるぞよ…

アイスもなかをかじってみる。

「ゲ~!!」


私は断じて食べ物にうるさいほうではない。

子供の宿題に「お母さんの好きなもの」というのが出た時

“たべもの”と書かれた女である。


しかし、これはすごい!

過去1、2位を争うランクだ。

凍ってるのにジュクジュクの皮…

口の中にザラザラの粉が残る中味…

後味、犬のにおい…

これをおすすめと言い切る度胸に深く脱帽。


二度と行かない…で結ぶのが正しいのかもしれないが

私はこのワイナリーがわりと好きで、たびたび行ってしまう。

後で感想を言い合うのが楽しいからである。

なに、アイスもなかさえ買わなければ安全だ。

ワイナリーよ!永遠に!
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ウソつき嫁

2009年06月03日 16時14分45秒 | みりこんぐらし
友人ヒロミに誘われ、深夜のファミレスへ行く。

ヒロミは開口一番

「実家の母が…ボケてきたみたいなの!」


同世代の友人の親ともなれば、もはやいつお隠れあそばしても

おかしくはない“お隠れエイジ”ではある。

しかしその前には、頭や体に各種嵐が待ち受けている。


「いつも物を無くして、そこらじゅうひっくり返して探し回るし…」

        …ほぉ~…

「つまんないことで、急に怒り出すしさ…

 いったい何が気に入らないのか、全然わかりゃしない」

       …よくある老化現象じゃないの…?

「何言ってんのよ。驚くなよ…。

 こないだなんて、どこから引っ張り出したんだか

 どっピンクの口紅つけてたんだから~!」

       …いいじゃん…口紅くらい…
      
「おかしいじゃん!

 なんでこんなのつけたの?って聞いたら、無くしたからって言うのよ。

 でもね、もう…顔が違うの。

 いたずらが見つかった子供みたいに、目が泳ぐのよ」


ヒロミはそれから

人の話を最後まで聞かず、突然別の話題に飛んでしまう…

伝えたことを見事に覚えておらず、作り話に変える…

感情がコロコロ変わって、ついていけない…などの現象を事細かに話す。


計算ドリルと漢字ドリルを買って、毎日やれと言ったら

バカにするな!とドリルを引き裂いたと言う。

大笑いして、ヒロミに怒られる。

「人のことだと思って!あれは絶対病気よっ!」

ヒロミは熱いココアを飲みながら

認知症だったら、どうしよう…とため息をつく。


こういうデリケートな問題は、しろうとが余計なことを言うもんではない。

「みりこんが病院へ行けと言っていた」

なんてダイレクトに伝えられて、恨まれるのはまっぴらごめんだ。


まだまだ大丈夫!と言ってやれば、満足するのだ。

ま、たとえ大丈夫でなくても、よその親…♪

いざとなったら家族でどうにかするもんだ。

みんなそうやって生きて来た。


しかし、ひとごとではない…私は複雑な思いにかられる。

ヒロミが話した内容は、まさに義母の観察日記だ。

年取ってからではない。

昔、嫁いだ時からそうなのだ。

しかも、年々増強。

それを個性と思っていた私の幾年月は、どうなるのだ?


つい数日前、それこそどこから引っ張り出したのか

濃いどっピンクの口紅をつけて通院から帰って来た。

多少のことは“個性”でスルーできるが

日頃の義母とはあきらかに違う、完全に浮き上がったその色彩は

さすがにショッキングであった。


さらにヒロミと会う数時間前にも

ちょっとしたことがあったばかりだ。

前日の夜、近所の奥さんが来るというので

義父とサウナへ行った夫を待たずに

私だけ先に帰ったのがお気に召さなかったようなのだ。


理由は伝えたのに、義母はそれを忘れてしまい

一昼夜かけて妄想をふくらませたらしい。

「実家に居るのがいやで、ウソをついて逃げ帰った…」

という結論に達し、翌日にはすっかりいじけていた。


義母は自称我慢強くて遠慮深い女…

芽生えた不信をその場で確認するようなことはない。

話しかけても聞こえないふりをして

時折じと~っとした目つきでこちらを凝視し

「怒ってるぞ」を表現する。


「(自分はよくても人からつかれる)ウソが大っ嫌い!」なので

いくら忘れっぽいとはいえ

“ウソつき嫁”にペナルティを課すことは忘れない。

この日用意された罰は、食後の大掃除であった。

こちらがまったく気にしないので、じれて煮詰まると報復に出る…

いつものパターンである。


「あそこを長いこと掃除してないから気になる…」

「ここもきれいにしたいんだけど…体が…」

などと、そっぽを向いてつぶやく。

年を取れば、手の回らない箇所は出てくるもの…

いい機会なので大汗かいて掃除させていただく。


それを横目で見ぃ見ぃ

「あ~ら、今日は帰らないのぉ?」

のひと言で怒りの原因もやっとわかったが、和解は望まない。

何に引っかかるかわからないので、気にしないのが一番だ。


そこへ親戚から電話…

「あら~!大丈夫よ~。うん…うん…。

 娘がよくやってくれてねぇ…うん、まあね、嫁さんも…

 そうそ!…私はね、なんでもポンポン言うのよ~。

 こういうさっぱりした気性でしょう…」


長い電話が終わる頃には義母の機嫌は直り、こちらの掃除も終わる。

義母は本来が善人なので、激しい感情の後には深い後悔が押し寄せるのだ。

この落差が、自身を病気に追いやっているのかもしれない。

だったら誤解のないように気を使ってやれよ…だが

私もそこまで親切ではない。


帰る私を追って「ありがとうね、ありがとうね」と門までついて来る。

夜風がぴゅう…と義母の髪を乱す。

いつになくセンチメンタルな気分になる私…。


ヒロミのお母さんなんて、軽症だ。

ドリルをやらせるべきなのは、こっちではなかろうか。

引き裂くのを見てみたい気もする。
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