殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

手抜き料理・デンジャラストリート編

2021年03月28日 09時56分55秒 | 手抜き料理
私の住む界隈は、後期高齢者だらけのシルバー地帯。

老人ならではの事件がよく起こるため

私はこの通りをデンジャラストリートと呼んでいる。


思えばデンジャラストリートに触れるのは、久しぶりだ。

朝から我が家に訪れては、昼ごはんを食べて夕方まで帰らない…

義母ヨシコの悩みのタネだったこはぎちゃんは

一昨年、亡くなった。

享年94才。

その少し前に、「大嫌い」と公言していたご主人が亡くなり

しばらく来ないと思っていたら、すぐだった。


他のメンバーは存命だが、入退院を繰り返す人が多くなってきた。

中でもうちの2軒隣に住む加瀬さんは、深刻だ。


加瀬さんは、ご主人が86才、奥さんが82才の夫婦。

ご主人は少々気難し屋だが、奥さんはうちの義母ヨシコと気が合う。

私も、年配者には珍しく愚痴も小自慢も思い出話もしない

サバサバした気性の彼女が大好きだ。


加瀬さんのご主人は何十年か前に胃癌を患っており

摘出手術の後遺症で、たびたび腸閉塞を発症する。

奥さんは細心の注意で食事の管理をしていたが

彼女も丈夫ではない。

数年前に腸の病気をしてからは目に見えて弱り

腰まで悪くなって、歩きにくくなっていた。

近年は数ヶ月おきに救急車が来て

夫婦のどちらかが病院に運ばれるのを繰り返している。


2月のある日も、加瀬さんの家に救急車が停まった。

私とヨシコはいつものように表へ飛び出したが

すでに加瀬家には右隣の若奥さんが駆けつけていたので

そのまま見守る。

後で隣の若奥さんが言うには、今回運ばれたのはご主人で

いつもの腸閉塞ではなく、背骨の圧迫骨折らしいという話だった。


ご主人はそのまま入院した。

今年に入ってから奥さんの腰痛が悪化したため

ご主人が家事をしていたというから、疲れが出たのかもしれない。


50代になる彼らの一人息子は独身で、東京在住。

つまり、あてにならない。

動けない奥さんが困っていたので

ここはオレの出番とばかりに、私は料理の差し入れを始めた。

奥さんはとても喜んでくれたが、わずか数日後

彼女も救急車で運ばれた。

意識不明で廊下に倒れていたのを

たまたま訪問した親戚が発見したそうだ。


加瀬さん夫婦は約1ヶ月、同じ病室で過ごし

ご主人の方が先に退院した。

ヨシコは奥さんの容態を聞こうと、さっそく電話。

奥さんは快方に向かいつつあるという話だった。

その時、ご主人から

「ヨシコさんは、どこの弁当会社に頼んでいるんですか?

女房が退院するまで、僕も弁当を取りたいので紹介してください」

そう言われたそうだ。


年配の男性には、思い込みの激しい人がいるものだ。

加瀬氏もその一人で、ヨシコは宅配弁当を取っていると

勝手に思い込んでいたらしい。

娘も息子の嫁もいない加瀬さんには想像がつかないだろうが

ヨシコは、みりこん弁当会社の上げ膳下げ膳である。


ともあれ頑固者で通っている彼が

こんなことを言うからには、困っていることは確か。

その日、我が家の夕食はタケノコごはんと若竹汁の予定だった。

タケノコを食べられるのかをヨシコに聞いてもらい

大丈夫という返事だったので配達した。


加瀬氏は大変喜んだが

私はその夜、救急車が来ないか心配だった。

腸閉塞は気をつけていても、突然発症する。

消化の良い、柔らかい物ばかりを食べていればいいかというと

そういうわけでもなく、暑い時や疲れている時にも発症する。

とっても消化の悪いタケノコはどうなんだろう…。


しかしその夜も翌日も、救急車は来なかった。

これでホッとした私は3日に1回程度、差し入れをすることにした。

自分でも思うが、本当に出しゃばりでお節介な性分。


とはいえ、年取った男性の世話は難しい。

特に加瀬氏のような頑固爺さんは

他人の世話になるくらいなら死んだほうがマシという思考に走るからだ。

加瀬氏は骨折はしたが車には乗れるので

合間に好きな惣菜や弁当を買いに行けばいいと思い

3日に1回と決めた。



これは、ある日の弁当。

メバルの煮付け、だし巻き卵と大根おろし

ほうれん草と人参のおひたし。

家族の食事の中から

加瀬氏の食べられそうな物をピックアップするだけなので簡単だ。


メバルは一度焼いて、それから煮ると臭みの無い煮付けになる。

私は焼くと見た目が悪くなるし、生のまま煮ても美味しいと思うが

ヨシコの好みに合わせている。


この中でこだわりの一品は、ほうれん草のおひたし。

身体にいいらしいから仕方なく作る、食べる…

ポパイも食べてたし…

ほうれん草というと、そんな印象があるのではなかろうか。


しかしうちの場合、ほうれん草のおひたしは人気商品。

秘訣があるのだ。

それは、茹でて水にさらしたほうれん草を

絶対に絞らないこと。

ギューギュー絞るから、歯ざわりが悪くて青臭い仕上がりになり

嫌われる。


水にさらして熱を取ったほうれん草を束ねたら

斜めに立てたまな板に、根っこの方を上にして

ピタッと貼り付ける。

そのまま20分ほど放置すれば、自然に水が切れる。

その間に他の料理をしたらいい。


まな板で適度に水切りされたほうれん草は

そのまま食べやすい長さにカットする。

習慣で、つい絞りたくなるだろうけど我慢。


味付けはほうれん草の量にもよるが

1束につき、砂糖少々に濃口醤油大さじ1杯弱。

ここにまな板で水切りしたほうれん草を入れて混ぜれば

ほうれん草に残った水分で醤油が薄まり

シャキシャキとした歯応えの美味しいおひたしができる。


ほうれん草だけをやたら食べると

腎臓結石だか胆石だかの原因になると言われているので

うちではおひたしに必ず、かつお節やちりめんじゃこなど

結石を防ぐカルシウムを含んだ食品を混ぜている。

ここへさらに、すりゴマをたっぷり入れるのが私の方針だが

加瀬氏には腸閉塞の持病があるので

本人に確認しなければ、滅多な物は入れられない。

よって今回は安全策を取り、茹でた人参だけにした。

家族の分には、後でかつお節とゴマを混ぜた。


…とまあ、張り切って作ってたけど

近日中に奥さんが退院するそうな。

全快したのではなく、入院期限の2ヶ月が来るので

半強制的に一時退院。

夫婦で介護申請をしたので、どこぞから弁当が届くようになるそうだ。

よって私はお役ごめんとなるが、現実には

私のお節介から解放される加瀬氏の方が

ホッとしているかもしれない。
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マッサージチェア引き取り詐欺・アゲイン

2021年03月20日 11時07分39秒 | みりこんぐらし
先日の昼下がり、家の電話が鳴って

いつものように85才の義母ヨシコが出た。

しばらくしゃべって電話を切ると、彼女は私のいる台所へ来て言う。

「マッサージチェア、引き取ってもらうからねっ!」

試合で得点をあげたエースのごとく、勝ち誇った表情だ。


「マッサージチェア?」

私は眉間にシワを寄せて聞き返す。

ヨシコのアジトである居間の縁側に置かれた

壊れたマッサージチェアは、長年に渡って我が一家の邪魔者。

このマッサージチェアを巡り、ヨシコと私は長年の攻防を続けてきた。


ヨシコはこれを捨てたい。

私も捨てたい。

両者の願望は一致している。

そして処分の方法はちゃんとある。

車で隣町にある公営の廃棄場へ持って行けば、引き取ってくれる。


しかし縁側の隅にあるマッサージチェアは

その上にガラクタが積み重ねられ、テトリスのようになっている。

それらのガラクタを取り除き、マッサージチェアを外へ引っ張り出すのは

ヨシコが考えている以上に大変だ。

自分がしでかしておきながら、この作業を私にやらせようとする…

その根性が気に入らないので、私は捨てに行くと言わない。



以前に一度、記事にしたが

この諸悪の根源とも言えるマッサージチェアを

引き取ってくれるという電話があった。

古いマッサージチェアを無料で引き取るという

殊勝な申し出をしたのは 、産廃業者を名乗る人物であった。


嬉しい話に舞い上がるヨシコと電話を代わった私は

相手が産廃業者ではなく、新しいマッサージチェアの販売者と知って断った。

が、今回のヨシコは電話を私に代わらず

自分で話して引き取りの日にちを決めた。

嫁に代わると水際でブロックされて、敗北を味わうのが嫌なのだ。


「また詐欺よ」

私は言ったが、ヨシコは強気だ。

「今度のは違う!

古物商じゃ言うとった。

古いのや壊れたのを直して、外国に売るのが仕事じゃと!」

「古いのや壊れたのを引き取って、直して、外国へ運んで

どんだけ金がかかるんじゃ。

新品買うた方がよっぽど安いじゃんか」

言葉に詰まるヨシコ。

しかし彼女には、逆上という常套手段がある。

「あんたはいつまでたっても捨ててくれんじゃないの!

私は運転ができんけん、業者を使うしかないが!」

ああ、うるさ。


私はヨシコに言った。

「じゃあ、賭けようや。

業者が来ても私は口出しせんけん、お義母さんが一人で応対して。

ほんまに無料じゃったら、小遣いあげる。

詐欺じゃったら今後一切、かかってきた電話を信じるのはやめんさい」

「ほんまじゃね?後悔しんさんな?」

すでに勝ったつもりで、ニヤリと笑うヨシコ。

それはこっちのセリフじゃわい。


2日後、業者と約束した日曜日がやってきた。

ヨシコは次男に手伝わせ

ガラクタの魔境からマッサージチェアを引っ張り出した。

そして庭の片隅に置き、まんじりともせずに業者の到着を待つ。


やがて、自称“古物商”とやらは、やって来た。

30代半ばの、小太りで人の良さそうな男だ。

12時の約束だったが、来たのは1時過ぎ。

時間を守らないところからして、すでに怪しい。

しかも彼が乗ってきた車は、なにわナンバーの軽バン。

引き取る気が無いことは、この車でわかる。

ヨシコには、近くで何軒か頼まれていると言ったそうだが

複数の家を回ってマッサージチェアを引き取るつもりなら

もっと大きい車で来るはずだ。


家の中から見ていると、男は庭に鎮座するマッサージチェアを

様々な角度からスマホで撮影している。

その間、ヨシコは初対面の人にいつもするように

昔の栄光をハイテンションで語り続ける。


男は、ひとしきり写真を撮るフリをした後

…そうよ、私にはフリに見えた…

「本部に写真を送ったので、もう少ししたら返事が来ます。

他にいらない物があれば、返事が来るまで拝見させていただきますよ。

もう使わないカメラとか、腕時計とか、ありませんか?

古くても安い物でもかまいませんよ?」

と言っている。


「う〜ん…カメラはもう無いしぃ〜」

可愛ぶって人差し指をアゴにあて、考えるヨシコ。

「腕時計はね、いい物でなくてもオモチャみたいな物でも

いくらかのお金になりますよ?」

そこでヨシコは家の中に入り、景品や記念品の腕時計を何本か持ち出した。


「5百円?」

と言っているので、それらはまとめて5百円になったのだろう。

ガラクタで金がもらえると知ったヨシコは

再び家の中に入って壊れた足裏マッサージ機を持ち出した。

「これも5百円?」

そう叫んでいるからには、5百円の値がついたらしい。


老婆を喜ばせるのに成功した男は、だんだん核心に迫りつつあった。

「それから今、ネックレスや指輪のケースが不足してるんですが

ありませんか?」

「ケース?ネックレスや指輪じゃなくて?」

「そうなんですぅ。

製造が追いつかなくて。

もし余ってるケースがあったら、高く買わせていただきますよ?」


これは、彼ら詐欺師の手。

いきなり貴金属や宝石では警戒される。

最初、ガラクタに5百円の値段をつけて、次にケースと言う。

いい貴金属は、たいてい紺やグレーのベルベット製で

金属の縁取りが付いたケースに入っているものだ。


ガラクタに値がついたことで、欲の扉が開いた人間は

ケースがいくらになるのかを聞きたくなるものだ。

ケースに入れるような宝石を持ってないと思われるのもシャクだし

「これはまあ、売るわけにはいかないけど…」

と言いつつ、自分の宝石の入ったケースをつい見せてしまうだろう。

ここまでコトを運べば、流れで中のお宝も拝見するようになる。

彼らの目的は、ケースの中身だ。


「無いわ」

だがヨシコ、これには引っかからなかった。

昔の女には宝石と、それに合わせたケースが

切っても切れない一対だという揺るぎない信念がある。

宝石だけ、ケースだけという状態は考えられないのだ。


そうこうしているうちに、“本部”から連絡が来たそうで

男とヨシコは玄関に入ってきた。

ガラクタ時計と足裏マッサージ機で、合計千円の受け取り証を書くらしい。


玄関で、男は言った。

「ここでは書きにくいんで、机のある所で…」

上がり込もうとしているのだ。

しかしヨシコ、その点は心得ている様子。

「ここでいいわ」

と玄関で住所や名前の記入に取り組んだ。


書き終わると、男は言う。

「一応、確認のために免許証か保険証を見せてください」

ヨシコは居間へ保険証を取りに行き、男は保険証を受け取ってペンを持つ。

「ええと…番号は…」

もうあかん。

口出しはしないと言ったが、放置しておけない。


「ちょっと待てぃ!」

台所にいた私は、そう言いながら玄関へ走った。

「保険証の番号、書かせるわけにはいかんわ」

と、保険証を取り返す。

「え…でも…お金と交換で受け取り証をいただかないと…」

「お金はいらん。

それより、マッサージチェアの引き取りはどうなったんですか」

「あ〜、それはですね、本部から連絡が来て

こちらの物は海外で非常に需要の高い型なので、ぜひ欲しいんですが

今、コロナでしょう。

それで、見送るという結果が出たんです」

「マッサージチェアは、コロナにならんよ」

「いえ、輸出の都合でちょっと…」

「マッサージチェアは口実で、本命は貴金属じゃろ。

コロナ言うときゃ、年寄りが納得するけんね」

「いえ、うちの会社は古物商なんで、本当にマッサージチェアが必要で…」

「じゃが、うちのマッサージチェアは海外向けじゃけん、引き取れんと」

「はい、そういうことです」

「マッサージチェア引き取ってくれんのなら、もうあなたに用は無い。

お金はいりませんから、受け取りを返してください」

「いえ、あの…奥様も何か、引き取って欲しい物があれば…」

話をそらそうと、にこやかに営業する男。

「犬!そこの茶色いの!(愛犬リュウには謝る)」

「犬は…」


男は諦めたらしく

ヨシコが書いた3枚綴りの受け取り証を差し出す。

ついでにガラクタ時計と足裏マッサージ機も置いて

帰って行った。


コピーを重ねて印字が薄くなり、文字の歪んだ書類に会社名は無い。

しかも紙の間に黒いカーボンシートを挟んで複写する、レトロな様式。

受け取り証なんて、本当はどうでもいいのだ。

まずマッサージチェアで、家の門を開く。

次にガラクタの買い取りで玄関に入り、書類の記入で家に上がり

宝石のケースで金庫を開けさせて、最後は免許証か保険証の番号。

つまりは貴金属の買い取りと、個人情報の収集が彼の目的だ。


問題のマッサージチェアは翌日、長男と廃棄場へ行って捨てた。

せっかく庭まで出ているんだから、いい機会だった。

以後、ヨシコは少しおとなしくなった。

騙された無念なのか

マッサージチェアが無くなって安心したのかは不明である。
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手抜き料理・手羽先餃子

2021年03月18日 10時17分44秒 | 手抜き料理
はじめに、gooブログの不具合でご迷惑をおかけしております。

数日前から編集画面にかすかな異変が生じ

昨日からコメント欄が応答しなくなりました。

コメントくださっているかた、そしてもしいらっしゃれば

コメントしようにもできないかた、申し訳ありません。

私も、せっかくくださったコメントにお返事ができないままです。

もう少し、様子を見させていただきますね。

本当にごめんなさい。



さて、手羽先餃子の作り方なんて知りたい人がいるんだろうか。

そもそも鶏の手羽先は、そのまんま塩胡椒を振って

魚焼きグリルで焼くのが簡単で一番おいしいと私は思っている。


手羽先餃子は面倒臭い。

餃子の中身を作り、それを手羽先に突っ込んで加熱するのは

二重の手間がかかる。

頑張ってこしらえても、しょせんは居酒屋メニューのB級料理。

冷凍の手羽先餃子も出回っているし、そっちの方が楽だ。


しかし今回は、マミちゃんと梶田さんが張り切ってくれている。

私が一品しか作らなくていいのは、珍しい機会だ。

珍しい機会だからこそ、適当な物を作って

「参加することに意義がある」

とタカをくくるわけにはいかない。

いつもは時間的な問題で作りにくい物を…そう考えてしまう。

しかし考えたところで、梶田さんの作るご飯ものと揚げ物を避け

マミちゃんの作る炒め物や煮物、サラダに汁物を避け

2人の料理の邪魔にならないものといえば手羽先餃子しか思い浮かばなかった。




これはお寺料理の前に、家で試作したもの


『骨との戦い』

手羽先餃子を製作するにあたり、一番の難関は骨抜きだ。

手羽先の身のある方に隠れている2本の骨。

これを抜き去った空洞に餃子のタネを詰めるのだが

この2本の骨が作り手を苦しめる。

手羽先餃子は手抜き料理どころか

骨を抜くために苦心惨憺する骨抜き料理なのだ。


思い返せば、手羽先餃子を初めて作ったのは10年前

県議選の選挙事務所の賄いである。

選挙で知り合った、一回り年上の友人ヤエさんが

作ろうと言い出した。

手羽先餃子といえば、居酒屋で注文する冷凍食品だと思っていた私は

自分で作れると知って驚いたものだ。


手羽先餃子といえば、まずは手羽先の骨を抜かなければならない。

ヤエさんの指導で数人が骨抜きに取り組んだものの

あまりの困難に脱落者が続出。

「やってられるか!」

そう叫んだ私も脱落者の一人。


今もそうだが、あの頃のヤエさんはもっと負けず嫌いだった。

キッチンバサミと手羽先をセットで渡された我々生徒?が

次々と投げ出すさまを見て、嬉しそうなヤエさん。

骨抜きには何やらコツがありそうだが、絶対に教えてくれず

一人でやり終えて満足そうだった。


それ以来、手羽先餃子は2年に1回程度作っている。

長男は手羽先餃子よりも普通の餃子が好きで

姑は偏食から鶏を食べないため

家族の5分の2が嫌がる、しかも手間がかかって面倒な物を

たびたび作る気にはならない。

それでも作るのは、骨抜きの攻略法を体得したいから。

ヤエさんにできて私にできない、その差を知りたいのだ。


近年になって、最初に手羽先の関節部分を前後に曲げたり

左右にねじったりして関節を外しておくと

あまり力を入れずに骨が抜けると知った。

しかし抜くべき2本のうち太い骨の方は

構造上、肉と密着しているのでやっぱり抜きにくい。

細い方の骨は関節を外しておけば簡単に抜けるが

太い方はどうしてもキッチンバサミを奥の方まで差し込んで

まとわりついている肉から切り離す必要があるとわかった。


ちなみに鶏の皮は、我々が思う以上に頑丈だ。

滅多なことで破れはしないので、思い切って作業をするといい。


さて、この日のお寺料理では44本の手羽先と格闘。

コツをつかんだとはいえ、前日の準備は時間がかかってしんどかった。

以前、田舎爺Sさんがアドバイスしてくれた

「それとわからない冷凍食品を使う」

というフレーズが、1本ごとに頭をよぎる。

同級生ルリ子の居酒屋へ行けば、ひと袋20本入りの冷凍手羽先餃子が

冷凍庫に入っている…

(ルリ子はこれをお好み焼きの鉄板で焼き、2本500円で客に出す)

近所のスーパーにも、冷凍手羽先餃子は売られている…

冷凍でも、多分わからないのではなかろうか…

などと考えつつ骨を抜いていたら、ものすごく疲れた。


『餃子のタネ』

骨を抜き終えたら、餃子のタネを作る。

これは豚のひき肉と、キャベツ、ニラ、ネギを混ぜ合わせて

すりおろしたニンニクやショウガ汁を入れ

塩胡椒や酒、醤油、ゴマ油なんかで味付けすればいい。

誰でも作れるので、細かい説明は省く。


ただし手羽先餃子に使うタネは、普通の餃子よりも

かなり濃いめに味付けした方がいい。

なにしろタネがペアを組む相手は、炭水化物でできた餃子の皮でなく動物だ。

しかも食べる時に餃子のタレはつけず、そのまま食す。

薄味だと鶏に負けてしまって味がボヤけ、美味しくない。


それから爆発を防ぐため、タネに片栗粉を混ぜこむ。

片栗粉を入れなくても大丈夫という説もあるが

私は爆発が嫌なので、おまじない気分で入れる。

片栗粉の量はタネの量にもよるが

中型のボール1杯のタネにつき、大さじ1杯程度でよかろうと思う。


私のやり方で特徴的なのは、キャベツをミキサーにかけることだろう。

これは中華の料理人から教わった。

軽く茹でたキャベツと、たっぷりの水をミキサーにかけたら

あっという間にみじん切りのキャベツができる。

それを水ごとザルにあけ、しばらく放置して自然に水分を切るのだ。


混ぜる時に水気が多いと思ったら、軽く絞る。

少量であれば手で刻むもよし、フードプロセッサーにかけるもよしだが

量が多い時はミキサーが断然早くて、不要な甘みや粘りが出ない。


『詰め』

手羽先の骨を抜き、餃子のタネを作ったら

スプーンで手羽先の中にタネを入れる。

慣れないうちはたくさん詰め込んでパンパンに膨らませがちだが

加熱すると手羽先は縮む。

一方でタネの方は野菜の水分が出て膨らむ。

その結果、タネが飛び出して汚くなるので

控えめに入れた方がいい。


『加熱』

手羽先餃子はそのまま焼くか、または揚げるのがポピュラーで美味しい。

が、今回は会食というのを考慮して

一度焼いた後、酒、砂糖、醤油の薄味で煮詰めてから持って行った。

焼いたり揚げたりよりも風味は落ちるが、生焼けだけは防げるからだ。

生焼けは、料理番としての信用を失う。

会食は美味しさより、信用だ。


もちろん自分一人であれば、じっくり時間をかけて焼く、または揚げる。

他にも料理に携わる人がいる場合、ガスコンロがいつ空くか予測できない。

共同作業に慣れてない人だと、自分の料理を仕上げるのに一生懸命で

他の人の都合は考えられない。

不穏な空気が流れるのは、こんな時だ。

それを防ぐために、ガスコンロは使えないものとして

家で仕上げて行くのである。



とまあ、お世辞にも手抜き料理とは言えない手羽先餃子。

しかしこれが作れたら、ちょっとやそっとでは型崩れしないので

ジップロックに入れて運搬するのがたやすい。

つまり持ち寄りや、おすそ分けに便利な一品である。
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手抜き料理・懲りずに寺

2021年03月16日 09時06分00秒 | 手抜き料理
3月5日、同級生のマミちゃん、モンちゃん、私の3人は

またもやユリちゃんの実家のお寺へ集まった。

今度は料理を作るためだ。

先日、グリーンカレーの会でお世話になった梶田さんも一緒。

話が盛り上がって、彼女も来ることになった。


この日は境内を美化する作業なので、檀家さんは参加しない。

お手伝いの男性が中心で、マミちゃんが事前に

ユリちゃんから聞いたところによると総勢14人という話だった。


この人数だが、私はいつもたずねない。

大勢が集まるお祭り以外は、たいてい12人から15人。

檀家の減少により、消滅寸前のお寺なので

どうあがいてもそれ以上にはならないのだ。

参加者が帰る時に持たせる余った料理のパックと

ユリちゃん一族の晩ご飯を考慮したら約30人分になるのは

もはや決定事項。

改めてユリちゃんにたずねるまでもない。


もちろん慣れないうちは、参加人数や米を炊く量が気になっていた。

しかし回数を重ねると、何をどうやったって30人分が必要だし

米は一升炊きの炊飯器で8合炊けばいいとわかってくる。

残った料理は多ければ多いなりに、少なければ少ないなりに

パック詰めしてお土産にすればいいし

ご飯の余りはおむすびにして、やはりパック詰めしておけば

欲しい人が競って持って帰る。

老人は、ご飯を炊く手間を省きたいものだ。

よって、今さらユリちゃんにたずねるまでもないのである。


余談になるけど、このおむすび…

米は、お寺のお供え物が支給されるが

おむすびに巻く味付け海苔は無いので私が持って行く。

残りご飯の身の振り方を心配したくなかったら

自分で持って行くしかないのだ。

そのため家族に食べさせる、ちょっと高級な味付け海苔の他に

安いお徳用の味付け海苔を常備している。

おむすびに不可欠な塩も、アジシオの方が抜群においしいので

お寺料理の時は必ず持参する。

身体には良くないだろうが、料理はハレとケのメリハリが大事。

たまに食べる物は、おいしい方がいい。


さらに余談になるけど、私が作るおむすびは小さい。

幅の細いお徳用の味付け海苔のサイズに合わせて

小さく握った俵むすびをズラリと並べるのが好き。

なぜ俵型かというと、三角型ではパック詰めが困難だから。

で、このおむすびを人に握らせると面白い。

小柄な人は、丸っこくて大きなおむすびを作ることが多く

天才画家、山下清のドラマを彷彿とさせる。

大きな俵むすびに、細いお徳用味付け海苔が巻かれたさまは

見苦しくも楽しい。


さて、この日を迎えるにあたり、一番張り切っていたのはマミちゃん。

グリーンカレーの会で気分が盛り上がり

「私、八宝菜と酢豚、作って行く!

それから干し大根、たくさんもらったから干し大根の料理も!」

と宣言。

「じゃあ中華繋がりで、私は春巻き!」

梶田さんも乗り

「じゃあ私は天津飯作る!」

私も乗った。


が、5日が近づいた3日の晩、マミちゃんが迷走を始めた。

「今日、ミネストローネたくさん作ったから

あさって持って行くね!」

LINEでそうおっしゃる。

おいおい、中華じゃなかったんかい。

それ以前に、今日作った物をあさって持って来るんかい。


マミちゃん、さらに続ける。

「酢豚は面倒だからやめて、八宝菜にする。

これから作るね!」

八宝菜も今日作るんかい。

大胆じゃ〜。

が、余計なことは言わない。

マミちゃんはやる気になっているのだ。

夏ではないし、大丈夫だろうと思うことにした。


思い返せば、いつぞやユリちゃんの嫁ぎ先のお寺に遠征した時

マミちゃんは素晴らしく美味しいビーフシチューを作って

大きなジップロックに3袋も持って来てくれた。

それを食べた私は、簡単には出せない深いコクに感嘆し

マミちゃんの底力を賞賛したものだ。

もしかして、あれも何日か前に作ったのか。

だったら納得できる。


ともあれマミちゃんがミネストローネと言うからには

すでに中華から逸脱したらしい。

私のほうも季節柄、生の小海老が出回っておらず

冷凍海老では味が変わるので迷走予定だったため

急きょ手羽先餃子に変更した。


それから梶田さんにも連絡を取る。

「天津飯やめるから、タコ飯作ってよ」

横文字料理のオーソリティー梶田さんだが、和食も作る。

中でもタコ飯の評判は、ユリちゃん夫婦から何度も聞いていた。

梶田さんは二つ返事で了承してくれ、春巻きと一緒に作ると言った。

しめしめ、これで主食の心配は無くなったぞ。


そして当日。

梶田さんもマミちゃんも私も家で作って来たので

わざわざ料理をする必要は無く、温めたり盛り付けるだけなので楽だった。

梶田さんは例のごとく、皿まで自前の盛り付け済みだ。

私も次から、温めなくていいものは自前の皿にしようと思った。

盛り付けの手間もあるが、ユリ寺の食器は寄せ集めなので

我々のパッとしない料理が、ますますパッとしないからである。



お寺の境内に咲くミモザが飾られたテーブルで、食事会の始まりだ。

14人と聞いていたが、雨模様だったこともあって

フタをあけてみたら、我々作り手を入れて9人。

つまりは身内ばかりの単なる昼ごはんだった。




梶田さん作のタコ飯。

この地方ではわりとポピュラーだが、下手な人が作ると生臭くなるタコ飯。

でも梶田さんのは、もっちりとして本当においしかった。





こちらも梶田さん作の春巻きとシュウマイ。

春巻きは時間が経っていてもパリパリしておいしい。

シュウマイは冷凍食品だそうだが、揚げてあるので香ばしかった。




私の手羽先餃子、マミちゃんのミネストローネと八宝菜。

お寺にスープカップなんて洒落たモンは無いので

ミネストローネはザンネンな汁椀に入れるしかない。





これはマミちゃん作、アボカドとキュウリと塩昆布の和え物。

味つけは塩昆布だけだそう。

あっさりしていて、おいしかった。



あとは、マミちゃん作の干し大根料理二品。

干し大根とニンジンの煮物

干し大根とキュウリとツナのマヨネーズ和えがあったはずだが

撮影し忘れたみたい。

干し大根のツナマヨは歯ごたえがあり、さっぱりしていて

あとを引く味だった。

マミちゃんに干し大根の処理の仕方をたずねたら

「水で戻した干し大根を茹でずにそのまま使うのよ」

そりゃあ歯ごたえが出る。

マミちゃん、どこまでも大胆。


さて、みりこん作の手羽先餃子だが

今日は長くなってしまったので、次回お話ししたいと思う。
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手抜き料理・完全版

2021年03月14日 09時10分33秒 | 手抜き料理
2月の末、いつもの仲良し同級生、旧5人会は

ユリちゃんの実家のお寺に集まった。

旧というのは、メンバーの一人だったけいちゃんが抜けたから。

昨年の11月末に、東京へ引っ越してしまったので

5人会は4人会になったのである。


残された我々は、けいちゃんロスにより

彼女が去って以降、女子会を催す気になれないままだ。

そんな我々を見かねた梶田さんから

お手製グリーンカレーのランチを振る舞ってくれるという

ありがたい申し出があった。

梶田さんは、ユリちゃんの嫁ぎ先のお寺でよく料理を作っていて

このシリーズにもよく登場する60代半ばの女性。

見た目も心も美しい、元公務員だ。

グリーンカレーを始めロコモコ、ガパオライス、ラタトゥイユなどなど…

外国籍のメニューが得意な料理の達人である。


実はユリちゃんや兄嫁さんが本当に食べたいのは、こういう料理。

女性は、横文字の料理が好きなものだ。

あまり家で作らない横文字の料理は、どうしても食べたけりゃ

専門店に行きゃあよかろう…私はそう思っているが

工夫を重ねて何としても家庭の食卓に並べたい人や

何としても居ながらにして食べたい人はよくいる。

梶田さんやユリちゃんたちは、その流派だ。

そっちの流派は、単なる食いしん坊の場合もあるが

梶田さんの場合は豊富な海外旅行の経験から

現地で食べたものを再現したいという熱意によるものである。


ともあれユリちゃんと兄嫁さん2人の本音は

いつも梶田さんに料理をお願いしたい。

それは言動から見て取れる。

しかし料理によっては、年取った檀家さんに向かないものもある。

大人数の料理に慣れてない梶田さん1本に絞ると彼女の負担になるし

我々旧5人会の心がお寺から離れるのも困る。

そこで梶田さんがやらない時は、我々に田舎料理を作らせる…

というところで間違いない。

ユリちゃんは人数が多めの行事には我々同級生を

選ばれし精鋭が集まる内輪の会食には梶田さんを起用するという

シビアなシステムを確立しているのだ。


「私らは、梶田さんの合間の繋ぎよね」

メンバーのマミちゃんは時々、確認するように私にささやく。

「そうよ…うちらは梶田さんの前座、補欠」

私も言って、フフフと笑い合う。

繋ぎ、前座、補欠…

それらはやっかみではなく、気が楽になるからだ。

我々がユリちゃんたちのお気に召さない料理を作っても

次回は梶田さんがカバーしてくれる…

我々の役目は、シェフ梶田の料理を引き立てることだ…

そう思ったら、何やら肩の荷が軽くなる。

ただし、このことに気がついてから

お寺料理に対する我々の情熱が、いささか冷めたのは事実だ。





さて当日がやってきた。

お寺の座敷で、いよいよグリーンカレーの会の始まりだ。


梶田さんの料理は完全持ち込み方式。

料理も食器も全て持って来て

使った皿やスプーンなんかはそのまま持って帰るし

ランチョンマットや手作りの箸袋まで持ってくる。

食べる前に、料理を温めることすらしない。

せっかくの楽しい時間を準備や後片付けに使うのは

もったいないからだそう。

ユリちゃんから話には聞いていたが、実際に見たのは初めてだったので

その徹底ぶりとスピードに感嘆しつつ

これだけのものを家で作って運ぶ労苦と頭脳に頭が下がる思いだった。


そんな彼女の秘密兵器は、二重底の保温鍋。

小ぶりなバケツくらいのステンレス製で

タイガーというメーカーが出している。

これで温かい料理を作ると、そのまま保温できるという。

ただしこの鍋で料理を作り

梶田さんの家にある5合炊きの炊飯器でご飯を炊き

さらにデザートや食器まで用意して、美しく盛り付けるとなると

可能な人数はせいぜい7〜8人分で、それ以上は無理。

梶田さんの持ち込み料理には、人数制限が設けられているのだ。

だから大人数の料理が、我々に回ってくる。


ちなみにその日は我々4人とユリちゃんの兄嫁さんで5人

それから梶田さんで、計6人。

残りは兄嫁さんの娘と、ユリちゃんのご主人モクネン君の夕飯だ。


今回はこの制限付きの鍋に、熱々のグリーンカレーが入っている。

そのグリーンカレーを一人分ずつ、器に移す。

そしてグリーンカレーに付き物の“サフラン的ライス”は

直径8センチくらいの半円形のタッパーに入れられ

保温されたものが人数分、用意されている。

皿にタッパーをひっくり返したら

温かいご飯が丸く型抜きされるというわけだ。


おっと、サフラン的ライス(みりこん命名)の説明をしておこう。

黄色く色付けしたサフランライスを作りたい時

通常はサフランという花の雄しべだか雌しべだかを

乾燥させたものを使う。

これを入れると真っ黄色のご飯が炊けて

カレーのご飯やパエリアになるが、難点がひとつ。

スパイスにしては、少しお値段が高め。


そこで、やりくり上手の梶田さんはご飯を炊く時

サフランの代わりにクチナシの実を入れて黄色に染める。

クチナシの実は、さつま芋のキントンを

より鮮やかな黄色にするために使うものだ。

味も香りもつかないし、ただ黄色ければいいのだから

安価なクチナシで代用するというわけ。


あとは、保冷剤で適度に冷やされた野菜サラダを各自の器に移す。

それから付け合わせとして人参のサラダ、油揚げのチーズ巻き

数種類の豆を煮た物と焼きカボチャが用意されており

それをサフラン的ライスの周りに飾れば

彩りも鮮やかな梶田スペシャルの出来上がりだ。


梶田さんのグリーンカレーは、例の兄貴のイベントで

二度、食べたことがある。

油断したらゲホッとむせてしまうほど辛いが、抜群にうまい。

三度目を食べられて、幸せだ。

デザートは撮影し忘れたが、梶田さん特製のパンナコッタ。

上にかけるフルーツソースにこだわりがあって

この日はいちじくジャムとフレッシュいちごの組み合わせだった。


楽しい食事が終わると、梶田さんは慣れた手つきで皆の皿を回収し

ダンボールに収納。

テーブルはあっという間に片付いた。

家に帰ってから洗うと思うと申し訳ないが

ユリちゃんの説明によれば、それが彼女の心意気であり

それらを含めた全てが彼女の料理だそうなので、甘えることにした。


楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、解散する前にユリちゃんが言った。

「じゃあ、一人千円ずつ、梶田さんにお支払いしましょう」

マミちゃんと私は、思わず顔を見合わせた。

無言だが、その胸中はお互いの顔に描いてある。

「うちらが作る時は材料費の領収と引き換えで

梶田さんだと、お食事代になるのかよ?!」

わかっていたとはいえ、ずいぶんと差がついたものだ。

(ここ、笑うところよ)


「そんなつもりで作ったんじゃないのよ!」

謙虚な梶田さんは飛び上がって驚き、遠慮した。

裕福で優しい彼女は、けいちゃんが抜けて元気の無い我々を励まし

また女子会を催すきっかけになれば、と思っただけだ。

それは皆、わかっている。

兄貴の所で、これと全く同じものを1,500円で出していたので

千円が控えめな金額であることも知っている。


梶田さんは結局、皆の勧めに折れる形で

恐縮しながら受け取ることになった。

こうして差別化すれば、人の良い彼女が今後

もっともっと頑張ってくれるのは目に見えている。

お寺の奥さん歴40年のユリちゃんは人を動かすプロとして

それをちゃんと見越しているのだ。

さすがである。


楽しいグリーンカレーの会は終わった。

そして翌週。

ユリちゃんから請われるままに、我々旧5人会は懲りもせず

お寺で田舎料理を作ることになる。

それは近いうちに、お話しさせていただくつもりだ。


あ、何が完全版だって?

人に全部作ってもらうのが、一番の手抜き料理だと思ったから。
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現場はいま…攻防戦・5

2021年03月06日 15時00分51秒 | シリーズ・現場はいま…
トンジの前例を持ち出して

人の気持ちが変わりやすいことを長男に話した私は

いよいよ本題に入った。


「ところで君、佐藤君の国籍を考えたことがありますかいの」

「……」

長男はポカンとして私の顔を見た。

「そこまで考えを巡らせんと、大人とは言えん。

同胞の絆は、友情より強いんよ。

あんたにとっては寝返りや裏切りでも

あの人たちにとっては同胞を大切にした美談になる」

「…母さんは知っとったん?」

「はっきり確認はできんけど、おそらく」

「何で…」

「何年も前になるけど、佐藤君がこっちにおった時

料理を教えてもらったのを知っとるよね?

あの人は料理が好きじゃけん、説明がわかりやすかったけど

教えてくれた料理はナムルと冷麺。

他にオムライスとか、色々聞いたけど

ナムルと冷麺ほどの熱意は感じられんかった。

その時に、あれ?と思うたんよ。

お客さんと、北の太った坊っちゃんのことを話した時にも感じた。

いっつも人の話に口挟んでくるのに、この話題になったら毎回沈黙。

絶対に精密検査に行かん頭痛もじゃけど

いろんな人に近づいちゃあ、あれこれ聞き出して

それをまた別の所でチクッて、必ず人を揉ませるじゃろう。

言い方がソフトなけん、気がつきにくいけど

やりょうることは藤村と同じじゃん。

でもそのうちよそへ飛ばされたけん、そのままになった。

去年、藤村に誘われて戻ってきたけど、今思えば同胞絡みじゃないかと。

同胞で組むのは、習性じゃけんね」

「新しい運転手が入ったら、佐藤さんは元の支社に戻るじゃん」

「甘いわ。

向こうでもいらんけん、こっちに来たんじゃん。

この3ヶ月の間に、早く佐藤を返して欲しいなんて

向こうの人が言うの聞いた?

ゼロじゃろ?

厄介払いで回ってきたんよ」

「……」

「一緒に働く人の国籍まで考えて

仕事をせんといけん時代になっとるんよ。

どこの国の人でもそうじゃけど

民族性いうもんを頭に入れて付き合わんと、ケガするで。

見よってみ。

佐藤君の手の平返しは、幕開けに過ぎん。

これからは、あんたが想像できんことが色々起きる」

「え〜?まだ?」

「藤村は何やかんや理由つけて、こっちに来るよ」

「そんな…」

「あいつが一回手にした物を手放すもんかい。

独裁の味を覚えさしたけん、よう離れんわ」

「本社の命令は?」

「関係無いね。

こっちの落ち度を探して、カムバックを狙い続けるよ。

そのためには、こっちへ通うてネタを探さにゃならん。

これで藤村とお別れなんて、夢にも思うなよ」

「……」


「それから松木と藤村は今は仲が悪いけど、そのうち絶対組む」

「あ、それ、俺もちょっと考えとった。

父さんが邪魔っていうのが共通しとるけん」

「ほうよ。

ゲスほど、共通の利益のためには簡単に群れる。

父さんは松木を信用しとるけど、あんたは油断したらいけんよ。

父さんのサポートも、あんたの仕事のうちじゃけんね。

社員とチャラチャラしょうる段じゃないで。

親父と息子が一枚岩になっとかんと、やられる」

「わかった…」


さて、藤村と佐藤君の計画が失敗に終わったため

佐藤君は3年ぶりに頭痛発症。

配車がこっちへ戻った場合に備え、難所へ行かされないための準備だ。

長男はその変わり身に呆れ

彼と付かず離れずの距離を取るようになった。



やがて藤村がヒラの営業マンとして本社に戻る

運命の20日が訪れた。

藤村以外は皆、ウキウキとその日を過ごし

藤村からはこれといった挨拶もないまま、その日は終了した。


そして週明けの月曜日。

藤村、相変わらず来とるし。

何ごとも無かったかのように、彼の私物が無くなった席に座っとるし。

驚く一同に、藤村はしれっと言う。

「残務整理。

俺が配車したチャーターも今日来とるけん、責任がある」

その責任感は、別の所で発揮して欲しいものだ。

例えばセクハラとパワハラで訴えられた時とか。


藤村の“残務整理”は、何日経っても終わらなかった。

変わらず毎日やって来ては事務所で時間をつぶし、配車権も返さない。

配車権を返したら、癒着相手からのリベートが止まるので

何が何でもしがみつく所存だ。


自分がやるはずの仕事…威張ることや、無意味な命令をすること…

がいっこうに回って来ないので苛立つ松木氏。

「早く営業に行け」

藤村に言う松木氏と

「まだ用事がある」

のらりくらりと動かない藤村は、たびたび衝突して言い合いになり

夫はそれを眺めて楽しむ状況がしばらく続いた。

松木氏は、近いうちに必ず夫を裏切る…

私はその懸念を払拭できないままだったが

夫にもつかの間の安らぎが必要と考え

余計なことは言わずに見守るのだった。


やがて藤村は、松木氏とのせめぎ合いにストレスを感じたらしく

次男に本音を訴えた。

「年末のボーナスから俺の査定がCに下がったけん

支給額も下がったんじゃ。

ずっとAじゃったのに、何でや!」

藤村は悪人だが、妙に子供っぽいところがあるのだ。

「そりゃあ、神田さんに訴えられたけんじゃろう」

「たった1回の過ちで?!」

「1回でも過ちは過ちよ」

「ケチじゃのう!」

次男は藤村の査定が下がったことよりも

今までAだったことに驚くのだった。


それから藤村は、将来の展望を話した。

「お前の親父は65才になったらクビじゃろうけん

俺の時代まで、あと2年の辛抱じゃ」

次男は父親の引退を指折り数えて待ついやらしさよりも

あと2年したら、ヒラの彼自身が定年退職になるのを全く考えてないことに

やはり驚くのだった。


次男からこのことを聞いた私は

藤村の居座りが、あと2年は続くと確信した。

軒を貸したら家まで盗られる…かの民族の得意技だ。

藤村の所属が本社に戻ったとはいえ

本社の方も彼に出入りしてもらいたいわけではない。

藤村がこのまま動かなければ

子どものように手を引っ張って連れ出すわけにもいかず

そのうち、なあなあになって、このまま放置される可能性が高い。

我が社は、給料泥棒の軟禁所に成り下がるのだ。


そんなに残りたいなら、簡単なことだ。

事務を覚えればいい。

そうすれば営業ができなくても、現場のことがわからなくても

残留しやすい。

しかし藤村に事務は無理だった。

民族性の違いから、漢字が苦手だからである。

音読みと訓読みの区別がつかないため

書類や取引先の名称がわからない。

藤村が裏リベートを受け取っているM社の漢字すら

未だに間違えているありさま。

彼にできるのは、仕事をするフリと空威張りしか無いのである。


やがて3月に入ると、松木氏がコロリと変身した。

次長の肩書きをもらって威張りたい一心の松木氏は

難航しそうな藤村の排除をあきらめ

夫や息子たちに思いつきで無茶な命令をしては

従わせようとし始めたのだ。

やっていることは、藤村と同じである。


もちろん、そのたびに衝突したが

舌戦の不得手な夫の消耗は激しかった。

藤村と松木氏が交代したと思っていたら

アホの船頭が2人になっただけ。

夫のみならず、我々の失望は大きかった。


が、滅入ってはいられない。

我々は最近、新しい道を発見したのだ。


始まりは先月の末、次男の引き抜き話からである。

相手は市外にある同業者。

同業者としての歴史は浅く、規模もまだ小さいが

その会社と仕事をするうちに親しくなった。

運転手たちの気持ちの良さや仕事への情熱は素晴らしく

別の堅い事業がベースになっているこれからの会社で、金だけはある。

そこが次男を高給で引き抜こうとしているのだ。


その経緯で次男から現状を聞いた社長が、夫に新規事業への参加を打診した。

つまりそこはチャーターだけでなく

我が社と同じ卸業の仕事を始めたいと考えているが、ノウハウが無い。

そのため仕入れと船舶のルートを持ち

ベテランの重機オペレーターである夫を責任者として迎えたいという話。


社長の話では去年の夏、藤村がやたらとチャーターを呼んで

夫が三桁にのぼる積み込み回数をこなしたことを

チャーターとして来ていた社員から聞き、その時から考えていたそうだ。

社長は、夫が転職したあかつきに

今の会社を潰すつもりで勝負に出るという。

我々は、今の会社にアホな船頭だけ2人残し

みんなで転職したら、さぞ面白かろうと笑っている。


とはいえ夫は誘われたことよりも

自分のオペレーター技術が評価されたことを喜び

「今までの10年が報われた」と言う。

私も、夫の技術がわかる人がいたことが嬉しく

そんな社員のいる会社は素晴らしいと思う。

これなら、たとえ騙されたとしても本望だ。

誘いに乗るかどうかは未定だが

還暦を超えても未来が拓かれる夫は、やっぱり強運だと思っている。

《完》
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現場はいま…攻防戦・4

2021年03月01日 10時34分52秒 | シリーズ・現場はいま…
40才の長男は昨年の夏まで、自分のことを

いっぱしの経験を積んだ立派な大人だと思っていた。

つまりは、自信満々の横柄なおっさんだ。


しかし8月に夫が63才を迎えた途端に老人扱いとなり

本社は夫から様々な権限をもぎ取って、それを藤村に移行させた。

その藤村が与えらた権限を悪用して、自分の王国を作ろうとしたことは

これまでにお話ししてきたが

長男はその経緯の中で、少しずつ変わり始めた。

藤村と日々対峙するうちに、彼がこれまでに出会った人々とは

ケタ違いのゲスが存在することを知り

この世には正義や努力では…

ましてや、たかが知れた自分の経験だけでは

太刀打ちできないことがあると思い知ったからだ。


やがて長男は自ら私の教えを乞うようになり

今では藤村講習の一番熱心な受講生である。

今回、親しい佐藤君の…大袈裟に言えば裏切りを体験した長男は

私の話を真剣に聞いている。

チャンスだ。

この際、言いたいことを言ってやるもんね。


「あんたは佐藤君に親切をしよったつもりじゃろうけど

わたしゃ、そのうち止めよう思よったんよ」

「何で?何が悪いわけ?」

長男は不服そうだ。


「自分じゃ親切をしたつもり、優しくしたつもりじゃけん

佐藤君のしたことが裏切りに思えて腹が立とうけど

向こうは違う。

マコト君は優しいなあ…なんて、1ミリも思うとりゃせん。

あんたの昼ごはんに、付き合わされとるつもりなんよ。

最初はそうじゃなかったかもしれんけど

だんだんそうなってくるもんなんよ」

「え〜…」

「人の気持ちって、そういうもんじゃん。

忘れたんか」

私は3年前に起きた西日本豪雨の際

我々が経験した前例を持ち出した。


長男の親友、理容師のトンジは水害のひどかった町に住んでいて

店も隣接する自宅も氾濫した川の水に浸かった。

家族は事前に、市外にある奥さんの実家へ避難していたが

トンジだけは店と家が心配なので残っていたのだ。


車も水没してしまったので、トンジは身動きできない。

彼の安否を確認した長男は決死の覚悟で彼を迎えに行き

うちで風呂に入らせ、食事をさせた。

落ち着くまで泊まれと言ったが、店や近所の人が心配なトンジは

水没してない二階で寝起きする意思が硬い。

朝と昼はパンが支給されるということなので

それから約2週間、長男は毎晩トンジを送迎しては

うちで入浴と食事をさせ

そのうちトンジのお兄さんも一緒に訪れるようになった。


やがて自衛隊が、トンジの町に風呂を設置してくれた。

その頃には食品の流通が再開し、ガスや電気も通って

トンジの家族も避難先から帰って来たので長男の送迎は終わった。

私も微力ながら、トンジの役に立つことができて満足だった。


その2日後のことである。

家族でニュース番組を見ていたら、トンジが出た。

「町にお風呂ができて、どんな気持ちですか?」

トンジは自衛隊の設置した風呂へ入りに来たらしく

テントの前でインタビューされている。

トンジは美男だし、小さい子供連れだったので

絵ヅラが良かったのだろう。

「はい、とっても嬉しいです」

答えるトンジ。

思わぬ登場に、我々一家は沸きに沸いた。


「お風呂が無い間は、大変でしたか?」

女性インタビュアーは、なおもたずねる。

「すごく大変でした」

「その間、お風呂はどうされていたんですか?」

「時々、友達の家で入らせてもらいましたけど

気兼ねでシャワーしか使えなくて、つらかったです」

「それは大変でしたね。

町にお風呂ができたら、もう気兼ねしなくていいですね」

「はい、思う存分、入れます」

ニッコリと笑うトンジ。


我々の興奮は、一気に冷めた。

(ここ、笑うところよ)

時々じゃなくて毎日じゃないか…

何が気兼ねだよ…

食事と送迎付きで、酒まで飲んでいたじゃないか…。


しかし、人の気持ちとはそういうものなのだ。

我々が偶然、テレビを見てしまうことなんぞ

トンジは想像していない。

アップで撮影される緊張も手伝って

あらぬことを口走ってしまうこともあるだろう。

嬉しいことがあればなおさらで

今までの生活との落差は大きいほどいいってもんよ。


確かに感じは悪いが、家と店が被災したトンジの気持ちは

我々に計り知れない。

まだショック状態だろうし

我々も感謝してもらいたかったわけではないので

この件については以後、触れないようにしてきた。


とまあ、トンジと佐藤君の心変わりは性質が異なるものの

人の気持ちは時と場合によって簡単に変化することに加え

こちらが良かれと思ってしたことが

相手に必ずしも響くものではないことを復習。

そして私の教育は、いよいよ本題に入った。


「明日から、昼は前みたいに家へ帰っておいで。

特定の社員と2人で毎日外食なんて、ゴタゴタする元じゃけん」

「なんで?」

「わからんのじゃろ?

そこがあんたの甘いところよ」

「ますますわからん」

長男は不服そうだ。


「あんたと佐藤君は確かに同僚じゃけど、佐藤君はあんたより15も年上。

あんたは佐藤君より先輩で、父さんの息子であるからには経営者の身内。

こういう微妙な関係は、接近せん方がええ」

「シュウちゃんなんて、30以上も年上じゃん」

「シュウちゃんは別じゃ。

若い頃は祖父ちゃんの会社に勤めようたけん

うちの家のことを何もかも知っとるし、73才で変な野心は芽生えん。

でも55才の佐藤君は違う。

最後にひと花咲かせとうなる年頃よ。

一緒にラーメンか何かすすりゃあ、色んな話のついでに

つい藤村や会社の愚痴も出よう。

そしたら向こうはだんだん、あんたを下に見るようになるわいね。

そこへ藤村においしい話を吹き込まれたら、気持ちは動くわ。

あんたを裏切っても、たいした仕返しは来そうにないけん

藤村に付いた方が得じゃと思うたんよ。

佐藤君ばっかり責められんよ」


長男が佐藤君の裏切りに遭った、たまたま同じ日。

義父の七回忌が近いということで

シュウちゃんは御供えを用意して出勤し、夫にことづけた。

中身は義父の好きだったアラレ。

こういう人こそ、大切にしなければならない…

などということを話して聞かせる私だった。

《続く》
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