殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

エキストラ・アゲイン

2013年02月23日 23時19分24秒 | みりこんぐらし
去年の今頃、サスペンスドラマのロケでエキストラをしたが

今年もまた、それらしき行事に関わることとなった。

今度は映画じゃ。


「この地方で映画を撮影することになった…

 つきましては、あんたのとこにある仕事用の大型車両を貸しとくれ」

という成り行きだ。

夫の友人が、ロケの現地コーディネーターをすることになり

そこからもたらされた話である。


車両は一日分のチャーター契約をしてくれると言うし

この友人は、我が社の顧客でもある。

その上、我ら一家に流れる呪われし血…物見高さ…もあって

断る理由は見あたらなかった。


事前にロケ地を訪れて準備をする“前乗り”という役割りの男性が

車両の写真を撮りに来た。

東京の監督に送信したところ、意外にもダメ出し。

過去の回想シーンに使うため、新型だと都合が悪いらしい。


ガックリした我ら…ふと周囲を見回すと、あるじゃないか…古いのが。

たまたま半月前、ある手続きのために親会社のほうから運ばれて

そのまま放置していた20年ものがっ!

そっちの写真を送ったら、OKが出た。



さて当日。

撮影での運転はスタントマンがやるそうなので

息子がロケ地まで車両を届けることになった。

息子は「仕事だから一人で行く」と言い、午後には出発してしまった。


夜になり、静かに夕飯を済ませた頃、呪われし血は騒ぎ始めた。

「行こう!」

夫が言った時には、私もダウンジャケットを着込んでいた。


ロケ地に到着すると、車両はまだ出番待ちの状態であった。

多くのスタッフや見物人の中に息子を探すと

人ゴミから隔離された出演者用の席で、ぬくぬくとストーブにあたっていた。

なんと、急きょドライバーとして出演することになったと言うではないか。

なるほど、ダサいチョッキを着せられている。

“いかにも田舎の土建屋”みたいなこのチョッキは、衣装だと言うではないか。


スタントマンを使う話はどこに行った?と聞きたかったが

ウチの子にやらせてくれるというんだから、邪魔をすることもあるまい。

おそらくウチの子が“いかにも田舎の土建屋”らしい

人相風体だったからであろう。


息子は、未来ある若者を轢き殺す役らしい。

息子と差し向かいでストーブにあたっている男の子が、轢かれる役だという。

今をときめく若手のイケメン俳優だそうだ。


「役作りの邪魔になりますから、話しかけないでくださいねっ」

マネージャーらしき小太りの女性に、あらかじめ注意される。

そちら様のプライドには申し訳ないけど、話しかける気なんてさらさら無し。

だって、そんな若い子、知らないもんね~。

そこにいるのは、やたらとタバコばっかり吸っている

暗~いガリガリの男の子だもんね~。


撮影が遅れ、さらに待つこと数時間…

日付が変わる頃、やっと出番がやってきた。

全長150メートルほどの直線道路をセコ発進で全力疾走し

カメラの寸前で急ブレーキをかけろという。

総重量20トンを越える大型車両にとって、短距離加速と急ブレーキは

スタント以外のなにものでもない。

それがどれほど難しい注文か、たぶん我々以外の人は知らない。


しかし、撮るほうも命がけである。

真正面から、迫り来る大型車をギリギリまで撮り続けるのだ。

映画への情熱とは、すごいものだ。


発進、疾走、急ブレーキ、バック、発進…

何度も繰り返すのをながめ、私は鳥肌が立った。

感動からではない。

この車は本当にボロボロで、いつチェンジやブレーキがイカれるか

たぶん我々以外の人は知らない。


20年ものといえば、この業界では立派な骨董品なのだ。

次々運転者が変わることで、各自の癖を取り込みながら

目一杯こき使われた古い仕事車の危険性は、乗用車の比ではない。

ツボや掛け軸ならいざ知らず、誰もがまたげて通りたいシロモノ。

いわば病気の老人に、ダッシュと急停止という異例の動きを強要して

ムチ打っているのと同じだ。

壊れたら、まず大惨事であろう。

映画への情熱、並びに“知らない”という最大の度胸によって

撮影は続けられた。


その後は、停めた車に俳優が接触するところを撮影。

轢かれる瞬間、運転席の息子と目を合わせるのだ。

スクリーンに映るのは、車と、せいぜい田舎チョッキの胸あたりだろうけど

厚かましく言えば、ここが俳優と息子の共演シーンとなる。


それからCG合成用に、緑色の巨大なスクリーンの前で

俳優が倒れるシーンなどの撮影。

顔や腕に血のりをつけた俳優が、道路に寝転がるシーンのところで雨天中止となり

午前2時、息子と一緒に帰った。


帰り道、息子がぽつりと言った。

「ねえ、あの俳優さん、鼻毛が出てたよ」

   「あれだけタバコ吸えば、鼻毛も出よう」

「ボーボーだよ…映らないのかなあ」

   「後でうまく消すんじゃないの?」

「お付きの人が、あんなにいるのにね」


マネージャー、ヘアメイク、血のり用意係

コート着せ係、ショール掛け係、椅子用意係…

たくさんいるのに、鼻毛を解決してあげる人は誰もいないことに同情しつつ

本日の業務は終了した…と営業日誌には書いておこう。
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着地点

2013年02月09日 15時27分12秒 | 前向き論


着地点…多くの人は、これにこだわって生きている。

その意味は、気持ちの収まりどころ、納得どころとでも言おうか。


そしてできれば、着地点には華麗に安全に舞い降りたいのが人情というもの。

人は皆、理想通りの着地点に、美しく着地したいのだ。

着地の妨(さまた)げになる人物や事柄を、人は悩みと呼ぶ。


ゆえに多くの人は、降りるより先に考えてしまう。

高い所から見下ろすと、当然ながら着地点はよく見えない。

降りた所に犬のフンでもあったら、どうしよう…

剣山の上だったらどうしよう…

そう案じて、なかなか降りられない。

「こんなはずじゃなかった…何で私がこんな所に着地を…」

と、ワンパス、ツーパスを繰り返して、着地を延期すればするほど

ますます気に入らない着地点が用意される。


地に足がついていないのだから、当然不安である。

先延ばしにすればするほど、雨風が強くなって不安は増す。

「はい、私に与えられた着地点はここですね」

と覚悟を決め、素直に降りれば塞翁が馬…

どこかでどうにかなる手はずになっている。

剣山と思っていた着地点が、意外にも健康サンダルだったりするのだが

つい疑っちゃうのが人間である。


浮気もしかり。

浮気というくらいだから、いずれ降りてくるのは決定している。

発覚した時点で、本当は着地点探しの段階に突入しているが

たいていは、自分に与えられた着地点が気に入らない。

なかなか終われないのは、お好みの着地点を探しているから。

何がお好みか…“女房に頭を下げ、謝って帰る”以外の着地である。


上空からああでもない、こうでもないと

着地の延期を続けるのは、さぞ不安だろうと思う。

居直り、もめまくり、本当に愛しているのはあっちだのこっちだの…

これらの醜態は、着地するまでの時間稼ぎに過ぎない。


ただでさえ気に入らない着地点で、女房が今か今かと待ちかまえてちゃ

恐くてなかなか降りられない。

気の小さい者は、木陰で震える小鹿のように敏感だから、わかるのだ。

心に憎悪の炎を燃やしながら、優しく手を広げる姿は、まさに剣山。

女房は、亭主が今やっているのは浮気ではなく

単なる着地点探しだと認識し、監視、注視の目をそらしてやることが肝要である。


女房もまた、着地点を探している。

亭主が泣きながら謝って帰って来るのが、お好みの着地点。

彼の今後には、下へも置かぬもてなしと、懺悔の日々を期待。

亭主にとって、一番恐しい着地点である。


亭主は、こんなに恐くてカッコ悪い着地をするくらいなら

いっそ新しい生活のほうが楽だと思ってしまう。

家だって、リフォームより新築するほうが簡単そうであろう。

決して愛人のほうがいいのではなく、エネルギー消費量の問題なのだ。


夫婦がそれぞれ考える美しくて気持ちの良い着地点が

正反対なんだから、そりゃもめる。

どちらか一方が(たいていは煮え湯を飲まされた方だけど)

お好みの着地点にこだわらず、今与えられている立場を受け容れれば

悩みは終わる。


以前のプロフィールは確か、短く“妻”だったはずなのに、愛人の出現で

“浮気され、捨てられそうな妻”と、長くなってしまった。

この着地点が気に入らないから、苦しみもだえる。

そして悩みが大きければ大きいほど

着地はこの一回こっきりだと思いこんでしまう。

そうではない…いったん着地したら、また飛び立てる。


長いのが気に入らなければ、とりあえず

“本妻”や“正妻”に甘んじればよい。

側室が憎たらしければ「ええい、下がりおれ!」

とでもつぶやいていたらいいのだ。


理想に囚われず、現在の位置で手を打って機嫌良く過ごしていたら

そこから“塞翁が馬”が始まる。

いずれ“心から愛される妻”や“もっと素敵な人と出会った元妻”

“亭主のみみっちい火遊びなんて気にならないほど、人生を楽しんでいる女性”

なんかになるのだ。


満足いく着地点なんて、本当はありゃしないのが人生である。

これまでは、何かあってもそこそこいい感じの着地点へ

そこそこ美しく降りられていた…

それなのに、今度ばかりはどうして?と思うかもしれない。

今までは、自身の考えや人づきあいの度合いがまだ浅かったので

たまたまそれで済んでいただけである。

人生をより深く味わうチャンスが到来したのだ。


不本意な場所へ不時着し、妥協とか、あきらめと呼ぶしかない時もあるだろう。

それでも、着地した場所を華やかで美しい都にしていく覚悟を

持ってもらいたい。



余談になるが、このところ義母ヨシコの

“老人特有の症状”というやつが、進行いちじるしい。

ボケたと言えばそれまでだが、私には

ヨシコが着地点を探しているように見えた。

こんなはずじゃなかった老後へ、ヨシコは着地できずにいる…。


そんなある日、ヨシコは久しぶりに友達と遠出することになった。

友達は、ヨシコの症状を知らない。

立ち寄ったスーパーで、ヨシコは迷子になり

パニック状態で立体駐車場へ続く自動車専用通路を歩き回って

迷惑をかけたらしい。


このままでは危険なので、少し前から考えていた着地点の贈呈を

実行してみることにした。

「私達はお父さんとお母さんに、人の縁という大きな財産を

 生前贈与してもらってるのよ。

 迷惑かけてるなんて思わなくていいのよ。

 安心してちょうだい」


これは本心である。

病身の彼らの世話をする時間と、養う経済力を確保するために

新会社設立と合併の道を選んだ。

よそへ勤めたのでは、気ままと贅沢の染みついた彼らが邪魔になるのは

目に見えていたからだ。

守るべき弱者の存在が、この路線を進める強い起動力となった。


しかし、我々だけでは立ちゆかない事態が多くあったのも事実である。

「昔、アツシさんにゴルフで世話になったから」「ヨシコさんと同郷だから」

そんな場面に何度も出会い、助けられた。

弱者を守るどころか、守られていたのはこっちだったのだ。


このようなことを噛んで含めるように話したら

ヨシコはパッと解き放たれたような表情になった。

そして、家事まで手伝う明るいおばあちゃんに戻ったではないか。

驚きであった。


ヨシコは、この内容を病床のアツシにも伝えた。

アツシはそれを聞いて、涙を流したという。

彼らもまた、ひそかに苦しんでいたのだ。


我々もまた、解き放たれた。

その日から“韓流の刑”が無くなったのだ。

家族のいる所へやって来ては、あの手この手で

チャンネルを韓流ドラマに変える刑である。


一人はイヤ、韓流は見たい…そこでこの方針になっていたらしい。

俳優や筋書きの解説付きだが、肝心の名前が思い出せないので

じれて悔しがるのをながめる時間だけが、むなしく過ぎてゆく。

ヒョンさんが誰を愛そうと、パクさんの運命がどうなろうと

どうでもいいんじゃ。
コメント (21)
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