殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

イソップ君・2

2018年07月31日 08時46分35秒 | みりこんぐらし
夫の盟友、田辺君をご記憶だろうか。

長年、うちの取引先で営業をしていたが

数年前、後継者争いに敗北した専務と共に退職し

今度はうちの仕入先の一つへと転職した40代の男である。


任侠系の会社で鍛えられた彼は、以前から伝説の営業マンとして有名だった。

その名を聞きつけた本社が彼を欲しがって

引き抜きを試みたものの、バッサリ断られた経緯がある。


ちなみに私は、彼の整ったルックスと

スラリとしたプロポーションの密かなファン。

加えて揺らぎのない誠実と、肌の美しさがお気に入りである。

公私ともに充実している男は、顔に上品な艶がある。

身に付ける物のセンスや質もさることながら

この艶が垢抜けや洗練を添えるのだ。

色黒でアバタ顔の永井部長と同年代で同職とは、とても思えない。


この田辺君が、ある噂を聞きつけて会社を訪れた。

「永井部長があっちこっちで、ここを閉鎖すると言ってるみたいだけど」

田辺君は心配そうだ。


その心配は、我々の命運を危惧するものではない。

彼は本社から引き抜きの話があった時

初対面だった永井部長の人となりを一瞬で見抜いていたため

うちを閉鎖する権限や実力など、永井部長に無いのを知っていた。


けれども悪い噂は千里を走る。

営業マンの不用意な言動‥

つまり決定事項でなく願望を口にすることが

いかに会社の信用を傷つけ、商売の展開を邪魔するか

そしてうちだけでなく、本社にどれ程の恥をかかせているか

曲がりなりにも営業のトップでありながら

それがわからない永井氏の頭を本気で心配しているのだった。


実は永井部長の気持ち、我々にはよくわかる。

本社の上層部は皆、70才を越えて引退が秒読みになってきた。

上層部がいなくなると、次は永井部長が上に上がる。

永井部長より上は社長しかいなくなるんだから

これまでの嘘とおべんちゃらが通用しないばかりか

多くの支社支店と共に、我が社の面倒も見なければならない。


彼が、性格の合わない夫や

畑違いの職種である我が社の運営を持て余すのは目に見えている。

できれば今の上層部が会社にいるうちに

消滅させておきたくなるのは当然であろう。


実際に永井部長は、我が社の閉鎖をあちこちで触れ回っていた。

我々がそれを知ったのは、複数の同業者に

うちの重機やダンプを現金で即売して欲しいと言われたからだ。


豪雨の災害復旧で、業界は猫の手も借りたいほど忙しい。

しかし車両が足りない。

新車を発注して納車を待っていたら、早くて1年かかる。

そこへ閉鎖の噂があれば、誰でも一応は電話をしてみるものだ。


大型ダンプは乗用車と違い、買ってそのまま乗れる乗り物ではない。

錆び付きや傷を避けるためにステンレスを張ったり

積み荷に酸や塩分が含まれる場合は材質の違う鉄板で補強したり

それぞれの使用目的に耐えうる装備を1台ごとに整えるのが常識である。


これらの作業を架装(かそう)と呼び

販売するディーラーとは別に、専門業者がちゃんといる。

この架装作業に、月日と金がかかるのだ。


架装を施す過程で、購入者や運転者の感性とおしゃれ心も加味される。

この時、購入する経営者は予算の許す限り、運転者の要望を叶える。

業界人が最も萌える瞬間である。

運転者が命を預ける相棒なんだから、適当では済まされない。

それが業界の心意気でもある。

車両界のオートクチュール、それがダンプトラック。


しかしそんなことをしていたら、復旧が終わってしまう。

どこも血まなこで、すぐに使える中古車を探していた。

同業者、つまりライバルから、いきなり買い取りの打診をされた

我々の気持ちがどんなものであったか。

敵は外でなく、中にいる‥

この思いを再認識したまでである。



「やっつけちゃおっか」

田辺君は、俳優の玉木宏に似た爽やかな笑顔で言った。

「永井部長を?」

「ううん、会社ごと。

何て名前だっけ?宗教の勧誘する経理部長といい、永井さんといい

バカを見逃して甘やかす会社に未来は無いよ?

早いか遅いかの違いだけで」


「待って!」

夫が止めたのは言うまでもない。

田辺君なら、やる。

ただの憎まれ口でなく、本当にやる。

その頭脳と豊富な情報量、そして各方面の人間関係を用いて

本社の泣きどころを押さえ

とことんまで追い詰めるであろうことに疑いの余地は無い。


けれども本社には、大変な時に助けてもらった恩義がある。

それに、バカを見逃して甘やかすという優しい社風によって

生き延びている台頭は、他でもない我々であった。


夫にストップをかけられた田辺君は少し残念そうだったが

帰り際にこう言った。

「でも永井さんが僕に直接何かしたら

その時は好きにやらせてもらっていいでしょ?」

夫は永井氏限定で、本社の方はそっとしておくようにと注釈をつけ

その提案を承諾した。


営業力でも人間性でも田辺君より格段に劣る永井部長が

表立って彼に何かするとは思えなかった。

よって田辺君のこの発言は

無いに等しいものとして一旦は忘れられた。

《続く》
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イソップ君・1

2018年07月28日 09時05分35秒 | みりこんぐらし
我が社の社員、アラフィフのA君は人当たりが良くて優しい性格。

その上、仕事の技術に優れ、器用で几帳面。

言うことなし。

休まなければ。


彼が頭痛を理由に、たびたび休み始めたのは1年ほど前。

それは、彼に初孫が生まれた時期と重なる。

本人は原因不明の頭痛に悩まされていると言うが

我々は、初めてのじいじ役にハマってしまったのだと思っている。

我が社は月給制なので、欠勤してもA君の収入に不都合は無いことが

休み癖を増長しているように見えた。


ともあれ社員が病気になった場合

それを理由に解雇はできない決まりがある。

雇う側は手をこまねくしかない。

痛いと言う者を引きずって働かせるわけにもいかず

様子を見るしかなかった。


このことは本社にも報告済みで

突発性ナントカ頭痛という診断書も提出していたが

1年経っても改善が見られない。

そこで本社サイドは、配置転換を提案した。

表向きは、山間部にある支社の一つへ移動。

けれども本来の目的は肩叩き。

世間一般で、よく使われる手である。


支社の雇用条件なんて夫にはわからないので

本社から人が差し向けられ、A君と話をすることになった。

その役に営業部長、永井氏が手を挙げた。

覚えておいでだろうか。

得意のおべんちゃらと見て来たような嘘を駆使して

取締役に登りつめた40代後半の男である。


何かと我が社のことに首を突っ込みたがる彼の癖は

現在も続いている。

彼は合併当初からずっと、夫と我が社を目の敵にしていた。

目の敵にして意地の悪い言動を繰り返しながら

うまい話があれば横取りを企んで、手柄欲しさにすり寄ってくる。

本社と合併して丸6年、我々がひたすら戦ってきたのは

取引先でも数字でもない。

暇と嫉妬に支配された、卑しいゲスどもである。


取締役になってからの彼は、我が社の排除を主張し続けていたので

A君の件は渡りに船。

夫の責任を追及するかたわら

「社員教育もまともにできないバカ」と吹聴した。

それは当たっているので否定しないが

またもや波乱の起きそうな予感は強かった。



6月半ば、永井部長は意気揚々と我が社を訪れて

この話をA君に伝えた。

「本社は君の実力を買っている。

今とは畑違いのきつい仕事ではあるが、支社の方で活躍してもらいたい」

というニュアンスのことだ。

「あんた、よく休むからクビね」

そんなこと、口が避けても言えやしない。

自主退職を促すセリフとして、 教科書通りである。


A君はしばらく考えていたが、月末になって本社に意向を伝えた。

「転勤します」

彼がうちの息子に話したところによると

A君は、永井部長の話を引き抜きの打診と受け取ったらしい。


驚き慌てたのは、本社と永井部長。

てっきり退職すると思っていたら、まさかの残留。

A君を引き取るしかなくなった本社は

渋々、そして取り急ぎ、転勤にまつわる諸手続きを行った。


A君は6月いっぱいで我が社を去り、7月から支社で働くことになった。

1日は日曜だったので、2日の月曜日が初出勤だ。

3日、4日、5日‥

「仕事がきつい」

彼は毎日、息子に訴えて我が社へ戻りたがった。



そして、魔の7月6日がやってくる。

支社は豪雨で土石流に埋まり、A君は転勤早々

地獄絵図の後始末に追われる羽目となった。


連日、泣きごとの電話をかけてくるA君のことを

「イソップ童話のラクダみたい」

息子たちは私に言った。

背中に荷物を積んだラクダが川で転び、積み荷の塩が流れて軽くなった‥

味をしめたラクダは、次も川で転んだが

その時の積み荷は綿だったため、水を含んで何倍も重くなった‥

そのラクダである。


一方、A君を失った我が社は、入れ代わりに60代の男性を雇った。

若い頃、義父の会社へ勤めていた旧知の人物である。

仕事の内容がよくわかっているため、教える必要の無い即戦力で

昔と変わらず、よく働く。

「今日は来るやら、来ないやら」と案じることが無いので、すごく楽。

A君が去り、ベテランが入社したことで社内の雰囲気は良くなり

申し分ない人事となった。



面白くないのは、A君の肩叩きに失敗した永井部長。

こんな時は得意の責任転嫁で、ネチネチと夫の責任を責め続けた。

この非常時だ。

営業の彼は暇でも、こっちは復旧作業に忙殺されている。

年下の若造から、つまらんだの責任を取れだのと言われて

夫が嬉しいはずはない。


無口な夫は、明解な反論も弁明もできない。

無理に何か言えば、相手の思う壺。

言葉尻をとらえられ、攻撃のバリエーションが増えるだけだ。


「腹が立ったら我慢せずに喧嘩しんさい。

クビになっても全然かまわん。

後のことは任せて!」

私は言い、そしていつものセリフでしめる。

「見よってみんさい。

父さんの値打ちを認めんヤツは、必ずバチが当たるんじゃけん!」


歯の浮くようなこの発言は、おべんちゃらの範疇かもしれない。

けれども私は、夫の値打ちというものをはっきり認めているので

まんざら嘘ではない。


夫の値打ち‥それは強運に尽きる。

浮気三昧、悪業三昧の半生を送ったにもかかわらず

たいしたバチが当たるわけでもなく、変わらず人に好かれ

困った時には必ずどこからか救いの手が差し伸べられて

どうにもならないことは女房が何とかしてくれる‥

これを強運と呼ばずして、何と呼ぶのだ。

少なくとも私より、ずっと強運なんだから

恨んで反目するより、認めて乗っかった方が得策である。


ともあれ、これを言うと、夫は落ち着いて冷静になる。

言葉を尽くして慰め励ますより、極めて効率がいい。

ちょっとした誤解や悪意、あるいは不運によって

ペチャンコにされた男の自尊心が早く復活するようだ。


夫が冷静になると、運命の歯車がギーと低い音を立て

ゆっくりと回り始めるのを感じる。

そしてやがては巡り巡って立場が逆転し、窮地を脱する現象は何度も体験した。

偶然や気のせいかもしれないが、言うのはタダなので頻用している。

はたして運命の歯車は、今回もゆっくりと回り始めた。

《続く》
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

還暦旅行の計画

2018年07月25日 08時27分29秒 | みりこんぐらし
来年の2月、我々同級生一同は還暦旅行に出かける。

この一泊旅行は、町に伝わる恒例行事だ。


旅行には、さまざまな掟がある。

旧正月の直前に行くこと‥

旅先の方角は、町より西へ下ってはならないこと‥

当日の朝は正装し、神社でお祓いを受けること‥

その後、全員で最後の集合写真を撮ること‥

出発前には、出船(でふね)と呼ばれる宴会を行うこと‥

帰ったら、入船(いりふね)と呼ばれる宴会を行うこと‥

この旅行を最後に、同窓会は解散すること‥

などなど。


いちいち書くと面倒くさそうだが、我々はこれを楽しんでいる。

伝統を大切にする町の一員として、誇りのようなものすら感じつつ

昨年より計画を立ててきた。


一番難航したのは、行き先。

旅行のキモなので、当然といえば当然だ。


私は最初から、意見を言わないと決めていた。

旅行なんて、男どもに任せておけば

何でもホイホイやってくれる。

旅は気軽に出かけられる男の方が、女より経験豊富だ。

還暦近くもなると、JRや旅行会社でそこそこの地位に立つ者もいる。

プロが張り切ってくれるのだから、しろうとは黙っていればいいのだ。


が、黙っていられない者は、どこにでもいる。

あそこはダメ、ここも良くない‥

反論を繰り返すのは、人の世話をしたことのない者ばかり。

その言い分は自己中心的で聞き苦しく

結局どこがいいのか問うたところで、これといった案は無い。

ただ反対、反対と繰り返すさまは

打倒安倍政権を叫ぶ人たちに似ている。


何ヶ月もすったもんだしたあげく、兵庫県の城崎温泉に決まった。

何で真冬に厳寒の城崎へ行くのか、よくわからないが

うるさい者のダメ出しに抵抗していたら

最後に残ったのが、ノーマークのここだった模様。


やっと行き先が決まったら

今度は同窓会のメンバーにアンケートを発送する。

日程や行き先を知らせ、出欠を書く返信ハガキを同封して

およその参加人数をつかむのだ。


会長の自宅へ返信が届いて集計が終わった先月、会合があった。

その夜、通称モトジメと呼ばれる会長の顔色は冴えなかった。

建築業を営む彼は、同窓会を立ち上げた30年前

一番大変な会長を引き受けた。

それ以来、尊敬を込めてモトジメと呼ばれている。

会長は2年ごとに交代したが、最後の会長もやはり彼でなければ‥

ということで、今年から再び就任した。


「みりこんちゃん、これ、見てみい」

モトジメは、4人の女子から届いた返信ハガキを私に見せた。

A子‥都市部在住、旦那と美容室経営。

『私は人見知りなので、慣れない人とは眠れません。

B子、C子、D子の4人部屋限定でお願いします。

この希望が無理なら、4人とも参加できません』


B子‥A子と同じ都市部在住の主婦、旦那はエリート。

『A子、C子、D子と一緒の4人部屋をお願いします』


C子‥関東在住の介護職。

旦那は金持ちの御曹司という自己申告。

『4人部屋の件、よろしくお願いします』


D子‥隣県在住の主婦兼ピアノ教師。

『4人部屋の件、よろしくお願いします』



「どう思う?ワシ、めっちゃ腹立つんじゃけど」

モトジメは小声で言う。

「ハハ‥この子ら、昔のままじゃね」

「こいつらの根性が気に食わんのじゃ。

ワシ、来んでええ言うちゃるか、くじ引きにしちゃろう思よんじゃけど」

「わざわざ恨まれることないが。

旅行が済んだら一生会うことないんじゃけん」

「いや、許さん!」


この4人は、昔から目立つグループだった。

文武に長じた美人揃いで、とにかくモテたため

中学、高校では同級生の男子と

惚れたはれたを繰り返しながら青春を謳歌していた。


中でもリーダー格のA子は、サバサバした性格が男子に好かれ

中学時代から「同級生キラー」の異名を持っていた。

つまり、同級生の中に寝たオトコがたくさんいたわけ。

彼女はしょっちゅう別れる切れるですったもんだしながら

妊娠の心配をしていたものだ。


こんな女の子の行く末なんて、およそ知れていそうだが

彼女は違った。

しっかりした男性と結婚して4人の子供に恵まれただけでなく

都会で2軒の美容室を経営していれば、田舎じゃ立派な出世頭。

弟子たちに先生と呼ばれ、たまにショーなんか開いているA子にとって

昔の男、それも複数と一緒の旅行は非常に気まずいはずである。


だったら来なきゃいいのだが、行きたいらしい。

4人で協力し合い、甘えやわがままを通すのは

昔から彼女たちのパターンだったが、乙女気分は今だに継続しているようだ。


モトジメの怒りはおさまらない。

「こいつらのために旅行の計画立てようるんじゃないんで?!

ナメやがって!」

モトジメは声を荒げる。

ハガキを回し読みした一同も複雑な心境らしく

場はシ〜ンと静かになった。

ちなみに、このメンバーの中にもA子の元カレが2人いる。

男子8人中の2人だ。


「みんな、そんなことより

ワシらには別の心配があるんじゃないんか?」

沈黙を破ったのは、タクヤだった。

「おお!そうじゃった、そうじゃった!」

皆も続く。


我々の学年は、旅に弱い。

小学5年の林間学校は、出発の日が豪雨。

目的地の山寺が土砂崩れで、日延べになった。

6年の修学旅行では、先生が日にちを間違えて予約。

バスが来ず、出発は翌日になった。


中学の修学旅行は、何ごともなかった。

しかし高校の修学旅行では、ヘアピンカーブの続く山道で

先頭のバスが対向車線のクレーン車と正面衝突した。

フロントガラスにクレーンの先が突っ込み

生徒は軽症または無傷だったが、バスの運転手とガイドは骨折した。


当時、私は4号車に乗っていた。

バスが急停車して、しばらくすると1号車の同級生が分乗してきたので

事故を知った。

このニュースはテレビで報道された。



我々同級生はズバ抜けた秀才とその反対を除いて

ほとんどが町内の同じ高校に進んでいる。

だから小学校と高校で起きた旅行のトラブルを

共に経験した者の人数が多い。


「ワシらはミソ付きじゃけん、無事に帰ることだけ考えようや!」

そう言うタクヤはバス事故の時、1号車に乗っていた。

無傷だったので、バス会社からの見舞金は7千円だったと

この時、ついでに告白した。


「7千円?安っ!」

「それで片付けられたんか!」

「でも無事が何よりよ!」

「そうじゃ!無事に帰るのが目標じゃ!」

「4人部屋なんか、ほっとけ!」

「そうじゃ!ほっとけ!ほっとけ!」

ほっとけコールで盛り上がり、会合は盛会のうちにお開きとなった。

以後、例の4人組は“4人部屋”と、ひとまとめで呼ばれるようになり

4人の希望を飲むか否かは、モトジメの判断にゆだねられた。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地名と漢字

2018年07月19日 08時14分03秒 | みりこんばばの時事
3年前、私の暮らす地区で防災に関する勉強会があった。

市外から防災士と呼ばれる専門家を招いて講義を聞いた後

皆で近所を散策し

危険が予測される場所を実際に見て回るというものだった。


その時、配布された資料の中に興味深いものがあり

ここでご紹介したいと思ったが、はばかられた。

私は単に地名に隠された意外なメッセージに驚き、魅かれただけだが

見る人によっては不安と誤解を招く可能性がゼロではないからだ。


けれどもこの度、地域で豪雨による災害が起きたため

そんな綺麗事を言っていられないんじゃないか‥

と思い直し、ご紹介する。

すでにご存知であれば、あしからず。




梅、桜、萩、椿、草‥

草はともかく、美しい花の名前が並ぶ。

何を意味するか、わかるだろうか。

これらの漢字が使われた地名は要注意だそうである。

土砂崩れや土石流が起きやすいとされているからだ。


スピリチュアルの世界ではない。

過去、実際に土砂崩れや土石流で流された場所を指す。

その過去とは、はるか昔の江戸時代や明治時代。

災害発生の事実が、これらの漢字に表されているという。

災害の規模は、地形と大きな関連性があるため

一度起きた場所は二度、三度と繰り返し発生する可能性が高いという。



★梅(うめ)‥「埋(う)め」に由来。

土砂崩れで砂が堆積した土地の可能性がある。

人工的な埋立地の意味もある。


★桜(さくら)‥「狭(さ)」と「割(さ)く」に由来。

豪雨で崩れやすい山間部。


★萩(はぎ)‥「剥(は)ぐ」に由来。

表面が剥がれ落ちるような、斜面の崩落が盛んな土地。


★椿(つばき)‥「戯(つば)ゆ」に由来。

戯ゆとは、たわむれるという意味で知られているが

刈り取るという意味もある。

侵食された崖地や、崩壊しやすい地形の土地。


★草(くさ)‥「腐る」「臭し」に由来。

崩壊しやすい地形、硫黄臭などを放つ地形。



植物に続いて動物編。

★猿(さる)‥「去る」「曝(さ)る」に由来。

曝るとは、さらされるという意味。

崖地などを表し、外気に曝されて崩れやすくなった場所。


★駒(こま)‥「転(ころ)」と「間(ま)」の組み合わせに由来。

川と川に囲まれた土地で、洪水発生地帯。


★鷺(さぎ)‥「裂(さ)く」「割(さ)く」に由来。

大きく切り開かれ、裂かれたような谷間。


★蟹(かに)‥「掻く」「薙(な)ぐ」の組み合わせに由来。

地面が浸食作用によって剥がれやすい傾斜地。


★亀(かめ)‥「噛む」に由来。

水が土や岩を激しくえぐり、侵食されて陥没した地形。


★鮎(あゆ)‥「揺く(あゆく)」に由来。

揺れるという意味で、軟弱な地盤を表しており

地震災害が発生しやすい。


★蛇(へび)‥土砂崩れを「蛇抜け(じゃぬけ)」と呼ぶことに由来。

大雨によって土地が崩れる可能性が高い場所。

蛇崩(じゃくずれ)というのもあり、川岸や崖などの斜面の土砂が緩んで

崩れそうな場所を指す。


★津留(つる)‥鶴の首の形状に由来する。

水路のある低地で、川が鶴の首のように曲がった

水害が起きやすい土地。


★龍(りゅう)‥水神の龍に由来。

龍がのたうち回るような激しい豪雨や津波など

多様な災害に襲われやすい場所。



その他にも色々ある。

★柿(かき)‥「掻く」「欠く」に由来。

爪跡が残って欠けた土地を意味する。

崩れやすい崖地帯や堤防決壊による氾濫および津波常襲地。


★女(おな)‥「男波(おな)」に由来。

荒々しい波という意味で、過去に津波被害を受けた可能性あり。


★釜(かま)‥「鎌」の湾曲した部分に由来。

えぐったような崖地や、海辺の急に深い場所

水のたまりやすい場所。


★倉(くら)‥「刳(く)る」「崩(くず)れ」に由来。

刳るとは、えぐるという意味。

山中の切り立った岩盤、断崖など非常に崩れやすくなった土地。


★滝(たき)‥「滾(たぎ)る」に由来。

煮えたぎる、の滾るである。

水が激しく流れることによって、浸食作用が盛んな絶壁や崖。


★灘(なだ)‥「傾(なだれ)」に由来。

傾斜地、または川の流れが激しく、荒々しくて不安定な場所。


★荻(おぎ)‥「穿(うぎ)」に由来。

穿つ(うがつ)という意味で、崖などの地形

または過去に災害を受けて荒れ地になった場所。


★袋(ふくろ)‥水に囲まれた袋状の地形に由来。

堤防決壊や越水が起こった場合に浸水しやすい土地。


★衾(ふすま)‥「狭間(はざま)」「伏す」に由来。

低地のため水が流れ込む、地下水多量な浸水地。


★野毛(のげ)‥「抜(ぬ)け」「除(の)け」に由来。

岩石の崩壊地や崖などの危険な地形で、地すべりが起きやすい。


★放(はな)‥「放(はな)つ」に由来。

取り払う、壊すの意味で

沼沢地から大量の水を「放ち出す」場所。



漢字のイメージとは裏腹に、思いもよらぬ使われ方をしているのは

おわかりいただけると思う。

あからさまに表現することをはばかったのは何となくわかるが

当て字にもほどがある。

そこが私の感覚をくすぐったのである。


以上はあくまで資料の一つであり、可能性の一つ。

あなたの住んでる土地に、この字が入っているから危ないわよ

というものではない。

これらは小さな集落や土地に古くから伝わる通称‥

つまり字名(あざな)であって、現在の住所登録とは異なる場合も多い。

後世になって新しく名付けられた地名に

これらの漢字がたまたま入ることもあるので、いちがいには言えないからだ。


しかし該当する字が使われた、古くから存在する地域が

住まいやその上流にある場合、注意して生活するに越したことはない。

また、住宅を購入する際や引越しの際は

周辺の地形の把握と共に、古い住人に話を聞いて

上流や周辺地域の呼称をチェックすることが必要だと思う。


周辺の災害慰霊碑の有無や、竹やぶの有無を把握するのも有効だ。

災害は地形と関連性が高く、そして繰り返すわけだから

災害慰霊碑が存在するということは

再び同じ災害が起こる可能性が高いということになる。

そして竹やぶは土砂崩れや地すべりで、木がすっかり無くなった所へ

生命力の強い竹が生え、やぶになるケースが多いので注目すべき点である。


そんなこと言ってたら、どこにも住めないじゃん!

ということになりそうだが、災害は全国どこでも起こりうる。

備えあれは憂い無しの精神で、避難袋や避難場所の確認に加え

日頃から周辺を見回して、異変に気付く知識と感覚を養うことも

大切な防災行為だと思っている。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めて知ったこと

2018年07月16日 10時34分25秒 | みりこんぐらし
豪雨を心配してくださった皆様、ありがとうございました。

お陰様で私と家族と家は、申し訳ないほどの無事ぶりでしたが

ご近所にも避難された方がいらっしゃるし

後片付けが大変だった家もありました。

家々が並んでいるのは川に沿ったまっすぐな道なのに

道路に生じたわずか数センチの高低差によって

川から溢れた水と土砂が、低い場所へ一気に集中するんですね。

こうなるまで、知りませんでした。


会社の方も無事で、急ぎの仕事があったために

豪雨の翌朝、外へ出たのですが

センターラインの無い市道を走る時は怖かったです。

被害の無い、ごく普通の住宅街の道で

対向車が次から次へと真ん中を走って、こちらへ向かって来るからです。

通い慣れた道ですが、普段、こういうことはありません。

何か精神的な切迫感を感じました。

災害が起きなければ、知らなかったことでした。


本社の方も無事でしたが、山間部にある支社の一つが

壊滅的な被害を受けました。

そこの復旧作業のため、我が社に出動要請がありました。

大量に流れ込んだ土砂を撤去するために

ダンプをよこして協力してくれと言うのです。


けれどもそれは、無理な相談でした。

道路があちこち崩れていたので、大型ダンプが通れないからです。


しかもその時、我が社はすでに市内の国道の復旧作業に参加中。

途中で台数を減らし、身内の手伝いに充てるのは困難でした。

土砂の中に車が3台埋まっていて、中に人がいるかどうか

まだはっきりしていなかったので、急ぐ必要があったからです。

行方不明者はいないという話でしたが、掘り起こすまでわかりません。

翌日、土砂から出てきた車は、幸い無人でした。


国道の工事はまだ続いていましたが

支社に通じる道路が復旧したため、まず長男だけを向かわせました。

安全確認ができていない難所を家族が引き受けるのは

我が社の常識です。

社員、つまり他人様だと、何かあった時にゴメンで済まないからです。


応援を要請する側は来てもらいたいばっかりですから

たとえ危険でも、受け入れの準備ができていなくても

「大丈夫!」と言ってしまうことを私たちは経験で知っています。

ダンプを連ねて行かせれば、向こうは喜んで元気が出るでしょうが

大事な社員と、1台1千万を超える大型ダンプを

みすみす危ない目に遭わせることはできません。


人命第一はもちろんですが、ダンプの方も、いためると復旧が遅れます。

新調するには早くて半年かかり

今回のような災害が起きると需要が高まって、1年から2年待ちになります。

運良く故障で済んでも、各メーカーのディーラーが軒並み被害を受けているため

修理どころではない状態です。

広い敷地が必要なトラックディーラーは

災害に弱い、町はずれの山際や川沿いにあるものだからです。


つまり保険をかけているから大丈夫、という問題ではありません。

車両が壊れたら復興が遅れます。

冷たい、やる気が無いとののしられようとも

奉仕の心や忠義より、まず安全が優先の世界なのです。


夕方、長男が無事に帰宅するまで、私は気をもんでいましたが

案ずるより生むがやすし。

こちらの地区に比べれば大したことはなく

仕事そのものよりも、ただ来て欲しかったようでした。


中でも後片付けに駆けつけていた我々のボス、河野常務の喜びは大きく

長男をチヤホヤしてくれたようです。

6年前、本社の反対を押し切って我が社との合併を強行した常務でしたが

期待するほどの会社ではなかったので、厳しい立場に置かれていました。

彼の独断を非難する声が、社内で大きくなっていたのです。

しかし今回の災害で合併の価値が見直され、面目が立った様子でした。

常務の辛い立場は理解しているつもりでしたが

ここまで気に病んでいたとは知りませんでした。


いざ労働してみると、土砂の分量や敷地の規模から

ダンプは1台で十分ということがわかったので

そのまましばらく長男を通わせることにしました。


被害を受けた支社には、社長を始めとする本社や

県内各地に点在する支社、支店から

多くの社員が連日、交代で後片付けに来ていました。

松木氏が工場長をしている生コン会社からも数人が参加していましたが

松木氏は姿を見せないそうです。

「胃痛で検査入院中」という話でした。


彼は豪雨の翌々日

支社へ手伝いに行けという本社命令が回った朝から入院して

今も入院中ということになっています。

長男の話では、誰も本当に入院しているとは思っていないそうです。

手伝いが嫌で仮病を使ったのも、退院は片付けが終わった頃だというのも

後で行けなかったのを無性に残念がるのも

皆、わかっているようでした。


何か面倒なことがあると、伯父さんや伯母さんがバタバタ死ぬのは

彼が我が社で営業課長を名乗っている頃から知っていました。

けれどもこの6年で親戚の名も使い果たし、今度は病気に切り替えた模様です。

嫌なことを回避するためなら何でもする松木氏の

臨機応変と決断力は知っていましたが

ここまで見事だというのも、今回初めて知りました。


さて近隣の町には各地から自衛隊が入り

復旧や行方不明者の捜索にあたっています。

断水が続く町で、風呂を用意してくれたことも

住民にはありがたいことだったそうです。

その住民の一人が教えてくれました。

「用意してくれた風呂に、自衛隊員は入らないのよ」


仮設の風呂は被災者が入るものということで

自衛隊員は持参した水で水浴びをするだけだそうです。

被災者と共に、あるいは被災者が入った後で自分たちも湯に浸かり

疲れを癒すのではないというのです。

それを知った人たちは、彼らに手を合わさずにはいられなかったそうです。

徹底した救済の姿勢に驚くと同時に、私も感謝の涙が浮かびました。


自衛隊は尊い‥

自衛隊は日本にとって大切‥

自衛隊は日本人の誇り‥

そりゃ私だって思っています。

でも、そこまですごいとは思いませんでした。

彼らは言わないから、多くの人は知らないのです。

知って良かったと思います。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手抜き料理・汁

2018年07月14日 08時18分37秒 | 手抜き料理
汁物は、寒くなったら触れるつもりだった。

でも豪雨があった。

見知った町々の壮絶な光景や

肉親を失い、涙にくれる人々に胸が痛む。

いなくなった我が子を必死に捜す父は、母は、自分だったかもしれない‥

どこの、どんな災害でもそう思う。



被災した長男の友達が、一昨日まで毎晩

うちの風呂へ入りに来ていた。

自衛隊による風呂のサービスが始まるまでの数日間だ。


彼の自宅は浸水し、断水が続いていた。

支給される食事はパンやインスタント食品ばかりらしいので

風呂のついでに夕食も提供していた。

元々人数の多い我が家は、食事の人口が一人や二人増えても

どうってことない。

「生き返った‥」

最初の晩、豆腐の味噌汁を一口飲んで、彼はそうつぶやいた。


そう、こんな時は汁。

ホッとして元気が出る、汁。

ということで、私がよく作る汁物をご紹介したいと思う。

なお、汁の名称は我が家における呼び名である。



『元気汁』(ベーコンとキャベツの味噌汁)

①炒め物が可能な鍋で、1センチ幅に切ったベーコンをサッと炒める。

②5センチほどのざく切りにしたキャベツを加え、再び軽く炒める。

③そこへ湯を注ぎ、顆粒ダシを入れて味噌汁を作る。

以上。


ベーコンとキャベツの鍋に水を入れると、煮立つまで時間がかかり

キャベツが煮え過ぎておいしくないため、湯を入れる。

温水器から出る熱めの湯でいい。

食欲の無い時や、忙しい時にこれを飲むと

他の人はどうだか知らないが、私は身体に沁みわたって元気になる。

おかずがいい加減でも許される、便利な汁である。



『小鳥汁(ことりじる)』(鶏モモと野菜のけんちん汁)

①小さく1センチ角に切った鶏モモ

イチョウ切りの大根と人参、ささがきゴボウ

下ゆでして小さめに切ったコンニャクを鍋に入れ

ゴマ油で軽く炒める。

★野菜は下ゆでをせず、生のまま炒めて大丈夫。


②炒めた鍋に湯を注ぎ、顆粒ダシ入れて煮る。

★湯を注ぐのは、水だと鶏モモの臭みが出やすいため。


③材料が柔らかくなったら、醤油や麺つゆで味付け。

④火を止める前に、豆腐一丁を丸ごと入れて崩す。

以上。


豆腐は傷みやすいので、夏は厚揚げや油揚げに変えてもいい。

子供が小さい頃、けんちん汁と言ったら食べないのに

小鳥汁と言ったら喜んで食べたので、以来うちではこう呼んでいる。


鶏モモを豚バラに、醤油を味噌に変えれば豚汁になる。

これは「子豚汁」などと言わなくても、子供はよく食べた。



『胡麻汁(ごまじる)』

①汁椀に、すった白ゴマ大さじ1杯とネギを入れておく。

②味噌汁を注ぐ。

以上。


簡単だが、すりゴマのコクが食欲をそそる一杯。

普段、飲んでいる味噌汁とは別の味になるので

お試しいただきたい。



汁つながりで、スープもご紹介しよう。

『ミルクスープ』

①みじん切りにしたハムと玉ねぎをバターで軽く炒める。

②少量の湯を注ぎ、コンソメスープの素を入れて少し煮る。

③牛乳をザバザバ入れて塩コショウで味を整え、パセリかアサツキを散らす。

以上。


これは消費期限の近づいたお中元のハムと牛乳

両方の処分方法として、人から教わったもの。

さほどおいしいものではないが、ちょっと何か欲しい時に手早く作れる。

ハムや玉ねぎと一緒に缶詰のコーンを入れてもいい。

玉ねぎのプツプツした食感が楽しいスープだ。



『野菜スープ』

①ニンニク少々、ベーコン2枚

玉ねぎ、人参、キャベツ、ブロッコリーの茎、ピーマンを

それぞれ適当な量、細切りにする。


②炒め物が可能な鍋でベーコンをカリカリに炒めたら

ニンニクを加え、さらに玉ねぎを加えて再び炒める。


③玉ねぎが茶色になったら、その他の野菜を入れ

しっかり炒めながら塩コショウ。

④水か湯を注ぎ、コンソメスープの素を入れて10分ほど煮込む。

⑤味をみて火を止めたらバター少々を落とし、粉チーズとパセリを散らす。

以上。


これは元々、ブロッコリーの芯を処理したい下心で考えたスープ。

が、子供が喜んで食べたので欲を出し、あれこれ加えるようになった。

長年に渡る試行錯誤の結果、野菜は上記の組み合わせが

我が家における究極である。


ピーマンは、全体の味の引き締めに大きな役割を果たすため

ぜひ使っていただきたい。

こちらもたいしておいしいものではないが

一杯で多くの栄養が摂れるという満足感だけは大きい。


さて、私の汁ライフに「炒め物が可能な鍋」という物体が

頻出していることにお気づきだろうか。

内側がテフロン加工になった鍋のことである。


フライパンで炒めて鍋に移し直していたら

手間が増え、洗い物も増え、炒めた旨味も無くなる。

また、「炒める」と「煮る」を別の道具にすると

頭の中もくっきり分かれて作業を複雑に感じ

料理は大変というイメージが定着する。

しかし両方こなせる鍋であれば、気楽に取り組めて

レパートリーが広がると思う。


内側がテフロン加工の鍋は、ホームセンターで安く売られている。

私が愛用しているのは、インスタントラーメンが2個作れるほどの大きさ‥

つまり、あまり大きくない片手鍋。

食欲旺盛な5人家族でも、これでこなせる。

軽いので、ラーメン気分で気軽に使える。


また、鍋には洋風のものと和風のものがある。

洋風の鍋は底が角ばっているので、炒めづらい。

見てくれはダサいが、雪平鍋(ゆきひらなべ)と呼ばれる型の

底が丸みを帯びた和風の鍋が使いやすい。

活用して、楽に料理をしていただきたいと思う。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無心、有心・2

2018年07月11日 14時20分48秒 | みりこんぐらし
事務をやりたいと言い出した藤村だが

あっさり断ったため、請求書の作成は宙に浮いた。

しかし、藤村の無責任を責める暇は無い。

発送日は迫っている。

ダイちゃんは私から仕事を取り上げた手前、今さら返しにくいようだった。


男って、誰でもそうだけどオバさんが苦手。

苦手な存在に、思いつきで人聞きの悪いことをしておきながら

オバさんの口を恐れて、ビクビクと機嫌をうかがうのだ。

自分の女房とかぶるのだろうか。

ともあれ、請求書を出さなければお金が入らないので

5月分の請求書は急遽、ダイちゃんがやることになった。


作成日は6月2日。

私はその日、同級生ユリちゃんの実家のお寺で行われるお祭を

手伝っていた。


祭の間、ダイちゃんから何度も着信があった。

請求書ができなくて、電話しているのはわかっていた。

彼の方は今まで、バカなオバさんに指導しているつもりだったろうが

実際に我が社へ来て行っているのは宗教の勧誘のみ。

その間に単価や請求システムは、どんどん変化していた。

急にやることになっても浦島太郎である。


「苦しめ」

私はほくそ笑み、電話に出なかった。

ダイちゃんは夫や息子たちにたずねながら

どうにか終わらせたらしい。


5月は連休がある。

大手企業だと現場の責任者が半月ぐらい休みを取るので

大きな取引は無かった。

小さい土建屋さん相手の仕事がチラホラだったため

これといったミスは無く、ダイちゃんもこれに自信を得た様子だった。


そのまま1ヶ月が経過。

入信しない懲らしめのために、ダイちゃんから振られ

何日もかけて格闘していた複雑怪奇な書類の数々は

彼の手元に戻ったままである。

藤村にやらせるつもりが、断られたので戻せなくなったのだ。

私は6年前にやっていた簡単な仕事だけでいい。

ものすごく嬉しい。


7月に入ってさっそく、請求書の作成日がやってきた。

ダイちゃん、頑張って作ったようだが

今回出す請求書は少々勝手が違っていた。

ゼネコンや共同企業体との取引が、たくさんあったからだ。


この6年で、大手企業に出す請求書は様変わりしていた。

我が社オリジナルのものは、すでに通用しない。

用紙も書式も計算方法も添付する書類も、会社ごとにさまざま。

宗教勧誘の下心しか無かったダイちゃんは

それらを全く知らず、また、知ろうともしなかった。


彼はイチかバチかの当てずっぽうで作成し、送った。

当然、クレームの嵐。

ダイちゃんは何度も書き直し、何度もダメ出しをされた。

電話してたずねても、ダイちゃんには相手の話す内容が理解できなかった。


当然である。

私以外の者にできるわけがない。

ただし、優秀だからではない。

専用のCD‐ROMやら、添付書類を出力するためのパスワードやら

その他請求に必要な一式は、全部私の手元に残っているからだ。


意地悪で隠していたのではない。

引継ぎや説明を求められなかったので、そのままになっていた。

ダイちゃんは、何も聞かなくても全部知っているんだ‥

やっぱり頭がいいんだなぁ‥

そう思って感心していたが、単なる無知だったと判明。


こうしている間にも、日は過ぎていく。

請求書の提出期限に遅れたら、相手方の処理は翌月以降に回される。

金額が大きいので、責任問題になるのは明白だ。

取引先から、ダイちゃんの能力をいぶかしむ電話が夫にかかってくるため

彼が行き詰まっているのは手に取るようにわかった。

「多分無理だから、すぐ交代できるように準備しておいて」

夫は私に言うのだった。


苦節数日を経て、ダイちゃんはついにギブアップした。

「相手先を回って、教えてもらいながら書いて

そのまま出して来てよ」

やはり私には言いにくいらしく、夫にそう頼んだ。

最高に困った時、明るい上から目線で夫に振るのは

彼の常套手段である。


夫はこの無茶振りに従う気などさらさら無く

これらの請求書は私がやって速達で送った。

「宗教に狂ったら、こうなるのか‥」

夫婦でしみじみと話し合ったものである。


その数日後、藤村の口からダイちゃんの秘密が暴露された。

ダイちゃんが本社の接待交際費を使い過ぎて、問題になっているという。

昼あんどんの藤村、仕事では使えないが

こういう情報をキャッチする能力には優れているのだ。


使い込みではないため、罪にはならないそうだが

6月は新入社員に宗教勧誘をして問題になり

今月はお金の使い過ぎが問題になり

定年まで飼い殺しは決定事項という話だ。


「あのしっかりした経理部長が、なんでこんなことをしたんだろう?」

藤村は首をかしげるが、我々にはすぐわかった。

献金がたくさん必要な宗教なので

大酒飲みのダイちゃんは酒代にこと欠いたのだ。


我が社が入会する幾つかの協会では、時々会合があるが

酒の出そうな時は、必ずダイちゃんがはるばるやって来て出席する。

酒の飲めない夫に代わって親睦を深めるという

もっともらしい理由である。


しかし他の出席者は我々の地元民だから、口さがない。

恐ろしいほど飲む人物として、ダイちゃんはすでに有名人であり

はっきり言えば笑い者になっていた。

車を扱う業界で、酒好きというのは自慢にならない。

升や本単位の飲みっぷりでは、現場に出ない人間であっても

会社の姿勢が疑われるのだ。


みっともないから、あんまり飲んでくれるな‥

こっちは祈るような気持ちだが、参加費や宿泊費は会社の経費から出るため

ダイちゃんはこの時とばかりにタダ酒を飲みまくる。

我々しか知らないダイちゃんの一面から

いずれ彼が、宗教か酒で問題を起こす予感は確実にあった。


せっかく賢い頭を持ちながら

宗教と酒に溺れるとは、もったいないことだ。

本当はこういうのを「悲しい人生」と呼ぶのかもしれない。

《完》
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無心、有心・1

2018年07月10日 14時47分05秒 | みりこんぐらし
今は亡き義父アツシの入院中、同じ病室だったFさん。

彼は先天性の心臓病で、何年も入院していた。

広島カープが大好きな彼のために

夫は毎日スポーツ新聞を届けるようになった。

途中でアツシの部屋が変わっても、夫は新聞を持って彼の病室を訪ねた。


新聞の配達は、アツシが他界してからも続いた。

その間、Fさんの妹さんのご主人が

我が社の取引先の所長だったことを知って驚いたり

広島カープが久しぶりに優勝しそうな時は

「死んでもいいから球場に行かせて!」

そう言い出したFさんを皆で止めたりと、さまざまなエピソードがあった。



こうして約2年半が経った今月の始め、Fさんはとうとう亡くなった。

少し前に風邪を引いて以来、日増しに弱ってきていたので

夫は心配していた。

それでも前の日は話ができた。

しかし翌日行ったら、亡くなっていた。


Fさんは、61年の生涯の半分以上を病院のベッドで過ごした。

働いたこともなく、友達と遊びに行くこともなく、ただ病気と闘った。


「悲しい一生」

以前の私なら、そう思って気の毒がっていたはずだ。

けれどもFさんの死で感じたのは、「美しい一生」。

誰かを傷つけたり、嫌な思いをさせることもなく

嘘をついたり、取り繕って装うこともなく

無心に生き、そして終わった。


夫もまた、無心であった。

何も言わないので、夫がFさんの所へ行っていることを

私はともすれば忘れていた。

Fさんと夫は、友情という仰々しいものではなく

ただ淡々とした無心で繋がっていた。

それを目の当たりにした今は、美の基準が変化したように思う。


Fさんが亡くなって通夜葬儀が終わり、夫の新聞配達も終了した。

夫は少し淋しそうだが、ひどく悲しむでもなく

Fさんと関わった年月を振り返るでもなく

相変わらず飄々、淡々と過ごしている。




無心は清らかな湧き水のごとく、涼やかに輝く。

そのきらめきを横目に、こっちは相変わらず濁流担当。

5月下旬、突然の肩叩きに遭遇した私であった。


きっかけは、本社から我が社へ差し向けられた営業課長、藤村。

以前記事にしたが、自営の土建業とペットショップを潰したあげく

本社に流れ着いた‥

夫に焼肉屋での忘年会を頼んでおきながら、前日にドタキャンした‥

53才の大男である。


3月に着任した藤村は、私のやっている事務に興味を示し

「自分がやりたい」と言い出した。

この症状は前任の松木氏と同じ。

仕事のできないヤツの癖みたいなものだ。

本業の営業ができないので、人のやっていることに目が行き

取り上げたくなる。


私の仕事は誰がやっても同じ、簡単な事務処理だ。

それを奪うことは、そのまま彼らの安泰を意味した。

一粒で二度おいしい人材を装えば

営業の方がダメでも逃げ場を確保できるからである。


松木氏が事務に意欲を示した6年前

我が社には経理部長のダイちゃんが張り付いていた。

彼は自身が信仰する宗教に、我々一家を勧誘する予定だったので

松木氏の希望はダイちゃんの所で握り潰され、実現には至らなかった。


けれども今度は状況が違う。

先頃、私はダイちゃんの宗教勧誘を断って、ひどく怒らせた。

もう見込み客ではなくなった私は、彼にとって敵でしかない。

ダイちゃんが私の排除に積極的になるのは、当たり前のことだった。


「藤村の給料はそのままで、営業職のかたわら事務をやらせれば

人件費削減になる」

もっともな理由を述べて、藤村を推すダイちゃんに本社も同意した。

「意欲を示している藤村にやらせてみよう」ということになり

さしあたって月初めに行う請求書の作成から取り組ませ

徐々に藤村の分担を増やしていく方針が決まった。


そう言えば聞こえはいいけど、要は肩叩き、引退勧告、戦力外通告。

ダイちゃんも本社も、私に直接言いにくかったようで

この話はまず夫に打診され、夫から私に伝えられた。


聞いた私はどんな気持ちだったか。

狂喜乱舞。


というのもここ数年、私の仕事は増える一方だった。

ダイちゃんが仕事をどんどこ振るからだ。

「教育のため」「成長のため」などと立派なことをおっしゃるが

ババアを今さら鍛えてどうなるというのだ。

本当は、なかなか入信しない私への懲らしめである。

根をあげるのを待っているのが、ひしひしと伝わってくる。


「できません」と泣きついたら

仕事を減らすのをエサに入信させる魂胆なのは明白。

さんざん勧誘されたこの6年で、教団の傾向や手口はわかっている。

だから意地でやっていた。


近いうちに、これらの面倒くさい仕事から解放されるのだ。

「ブラボー!藤村!」

私はゲンキンにも藤村を見直し、心から感謝した。



2日後、藤村に事務のレクチャーをするため

ダイちゃんとその部下が来た。

私は出社しなかったので、後から夫に聞いたが

藤村は膨大な書類を見て、唖然としていたそうだ。


それでも1日、おとなしく講義を受けた藤村だが

ダイちゃんたちが帰った夕方、夫につぶやいた。

「僕には無理‥やっぱり断ろうっと」

自分から熱心に頼んでおいて、平然とキャンセルできるのが藤村であった。

昨年末の焼肉キャンセル事件と同じである。

翌朝、藤村は本社へ出向き、本当に断った。

《続く》
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱ、これでしょ

2018年07月08日 10時12分04秒 | みりこんばばの時事
豪雨、大変でしたね。

安否を気遣ってくださり、ありがとうございました。

皆様に被害はありませんでしたか?

お見舞い申し上げます。




凄まじさのあまり、すでに有名な写真となったこの1枚。



カーディガンとワンピースを同系色の濃淡にして

夏らしい装いのカヨさん。

色白なので、淡いブルーがとてもお似合い。


同系色の組み合わせは、ともすればボヤけた印象になりがちだけど

カヨさんは、大きめのサングラスで全体を引き締めながら

ミステリアスなムードを演出。

白と黒でまとめた周囲の男性までも

カヨ・ブルーを引き立てる背景にしてしまうあたり、さすがだわ。


風を切ってドスドス行進しても

肩にかけたカーディガンが脱げない不思議は

まさにカヨ・マジックね。


薄手の柔らかい素材は、太めの中高年女性が避けがちなもの。

軽くて動きやすいから、本当は着たいんだけど

崩れたプロポーションを強調してしまう恐怖が

その願望を打ち消すのよ。

中高年女性の遠慮をものともせず、着たいものを着るカヨさん。

度胸だけは、あっぱれだわ。


加齢で色素沈着したヒザと共に、細くも長くもない生足をさらすと

どうしても生々しく見えるものよ。

目にした人に迷惑がかかるし、自分も恥ずかしいから

年を取ると自然に隠すようになるんだけど

彼女には、その自然がまだ訪れていないようね。


トレードマークのペタンコ靴を洋服と同系色でまとめたのが

唯一共感できる部分ではあるけど

サングラスでドスを効かせるなら

ヒールのある高級な靴の方がいいんじゃないかしら。

写真じゃわかりにくいけど、短い生足はアンクレットで飾られてるわ。


このお姿に、どうしてもこのフレーズが浮かんでしまうのよ。

『化け物のよそ行き』。

息子さん、恥ずかしくないのかしら。

あ、最初から恥知らずだったわ。

こんなのを警護しなきゃならないSP、本当にお気の毒。
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする