殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

こはぎデー

2013年08月16日 15時07分25秒 | みりこんぐらし
隔週の月曜日は、こはぎデーである。

何のことかって?

こはぎちゃんという名前のおばあちゃんが、我が家を訪れる日じゃ。


88才のこはぎちゃんは、義母ヨシコの友人である。

ヨシコの近所に住んでおり、昔は一緒に生け花を習っていた。

この10年余り、行き来は途絶えていたが、数ヶ月前に親交が復活した。

ヨシコの作るくす玉をこはぎちゃんが習いに来て

こはぎちゃんの作るアクリル毛糸の皿洗いをヨシコが習っている。


こはぎちゃんは名前もかわいいが、姿もかわいい。

身長137センチ、靴のサイズが21というから

私が小学4年生の頃と、ほぼ同じである。

元気でおしゃれなおばあちゃんだ。


こはぎちゃんは一週間おきの月曜日

朝9時に来て、夕方5時までうちにいる。

昼ご飯もうちで食べる。

長っ尻だから警戒してつきあわなかったのを

ヨシコはすっかり忘れていたのだった。


こはぎちゃんには、定年間近の一人息子がいる。

東京に家庭を持っているが、先頃、車で1時間ほどの町へ単身赴任した。

こはぎちゃんはご主人と暮らす自宅と、一人暮らしをする息子のアパートを

一週間おきに行ったり来たりしており

息子が帰った月曜の朝、寂しくなってうちへ来る。

隔週なのは、そのためだ。


こはぎちゃんが来ると、私は水分補給や栄養補給の用意で慌ただしい。

よその老人を預かると、その健康状態に気を配る責任があるからだ。

その日は老婆2人に捧げるようなものだが

それでも一日ヨシコの相手をしてもらえるのは、たいへんありがたい。


ヨシコは、こはぎちゃんと遊ぶのを女学生のように楽しんでいた。

しかし、彼女が時折もらす予想外の発言に当惑もしていた。

「旦那さんが嫌いで、一緒に居るのがいやでうちへ来てるんだって。

 友達はみんな死んで、行く所が無いからってケロッと言うのよ」


最初の頃は小さい憤慨ですんでいたが

ヨシコがこはぎちゃんの教える皿洗いの編み物をマスターした頃

「これでもう、私はヨシコさんに負けてしまった…ああくやし!」

こはぎちゃんは、かわいらしい顔のまま、確かにそう言ったのだと言う。


「教えておいて負けたなんて、なんだか恐くなったわ」

ヨシコは怯える。

我々は、こはぎちゃんの外見のかわいらしさに惑わされ

彼女の女王体質を見くびっていたのだ…

会議の結果、ヨシコと私はそう結論づけた。


とはいえヨシコ、こはぎちゃんが来た日は、疲れてよく眠れるようだ。

痛し痒しの気持ちを込め、ヨシコと私は、その日をこはぎデーと命名した。


こはぎデーは規則正しく続行されていたが

先月、ヨシコに災難が訪れる。

義父アツシの容体は、悪化するばかり…

来たるべきXデーには、喪服姿で人前に出なければならない。

そこで、昨年痛めた足を治しておこうと思い立ったのが運の尽き。

   「やった直後は放置しておいて、今さら行かないほうがいい」

と止めるのもきかず、整体に行ったのだった。


その日は「良くなった!」と喜んでいたが

翌朝、腰が抜けて動けなくなった。

刺激が強かったのか、歯茎まで顔の形が変わるほど腫れ上がり

しゃべれないヨシコは、ぷつりと静かになった。


10日ほどで元気になったが、その間に私は新たな発見をする。

老人の世話は、いっそ寝たきりのほうが楽だということを。

中途半端に動き回り、しゃべりまくるのを相手にするより

おかゆを運んだり、トイレに連れて行ったり

のぞき込んで励ましたりするほうが、介護者の心と身体には優しいみたい。


人はこうして、寝たきりになって(されて)いくことも

中にはあるんじゃなかろうか…

そのほうが、お互いに平和だから…

なんてことも、考えちゃった。



この寝たきりの終盤に、こはぎちゃん来襲。

   「今日は調子が悪くて、寝込んでいるんですよ」

やんわり断る私を押しのけるようにして、こはぎちゃんは進む。

「せっかく来たのに!」

人の都合もなんのその…かわいい外見とは裏腹の押しの強さである。


こはぎちゃんはヨシコの枕元に座り、あれこれと話しかける。

途中で何度かお引き取りを願ってみるが、聞いちゃいない。

ヨシコ、持ち前の律儀さでどうにか対応。

そして気力で、夕方まで相手を務めきったではないか。


無理をしたのがかえって良かったのか、翌朝からだんだん元気になり

やがて不死鳥さながらの復活を遂げたヨシコだった。

しかしそれ以来、こはぎデーをマジで嫌がるようになった。


隔週の月曜日が来ると、ヨシコは憂鬱そうだ。

「今日も来るかしらん」

   「来るよ、絶対来る」

「ふぅ~…」

溜息をつくヨシコに

   「頑張るのよ!どうせ先は短いんだから」

とゲキを飛ばす私である。

「こはぎちゃんと私、どっちの先…?」

嫁姑の間に、一瞬の沈黙が流れるのであった。
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介友

2013年08月05日 16時15分17秒 | みりこんぐらし
  「庭のクチナシ(八重咲き)でもごらんください」




50才を過ぎると、友人の大半は

実の親、または義理親の介護に関わっている。

介護体験中の友人…介友は増加の一途をたどり、会えば老人話に花が咲く。


彼女らが口を揃え、胸から絞り出すように言うのが、これ。

「何が情けないといって、自分がこんなに小さい人間だと思い知ること」

些細なことにカチンと来るのは、いたしかたない…

そこでおのれの心の狭さを思い知り、苦しむ自分が嫌になるという。

特に強く感じるのは、お金、食べ物、小姑に関する時だというのも共通。


聞き役に回ってヘラヘラするのが私の常であるが

それは達観しているからではない。

私もまた、些細なことでムッとしたり、カッとしては

心の狭さに改めて驚く繰り返しである。

その内容があまりにもセコくて細かいため

口に出すのをはばかっているだけだ。


ただし、義理親を養い、家事を引き受け、小姑が毎日帰って来る我が家の場合

お金、食べ物、小姑なんかで、いちいちカチンカチン来ていたのでは

頭蓋骨が凸凹になってしまう。

私のカチンは、時間関係が多い。

老人特有の遠慮や意地で、食いつぶされる時間の喪失だ。


義母ヨシコが「卓上用のホウキとチリトリを知らない?」と言う。

さんざん探したが見つからないので、何に使うのかたずねると

そこで初めて「廊下に植木鉢を落とした」と告白。

散らばった泥の後始末をして欲しいが

ストレートに言いにくいので、卓上ウンヌンから入る。


「病気で力が抜けた…足が悪いからしゃがめない…」

長い事情説明の後は

「泥が乾いて、片付けやすくなったんじゃない?アッハッハ~」

との励ましをたまわる。

その頃、家にあったはずの卓上ウンヌンは

「便利そうだから、今度買おう」になっている。


最近は外出許可が出ないので、あまり家に帰ってこなくなった

入院中の義父アツシだが、帰るといつも「温まるものが食べたい」と言う。

ここで鍋焼きうどんなんか出しても、アツシは温まらない。

病気で体温調節ができないため、無理もなかろうと同情し

あれこれ試みるが、やはりアツシは温まらない。

カニで鍋、和牛で焼肉あたりで、やっと「温まった」と満足するアツシ。

アツシの言う温まるものとは、高いもののことだと

ようやく理解した次第である。

養われる手前、高いものを食べさせろとは言いにくいようだ。

アツシは温まろうが、こちらの財布は冷える。


目的達成のため、とりあえず変化球で様子を見る…

遠慮が美徳だった世代の人と暮らす家では、よくある光景かもしれない。

ここで私は、変化球の真意を知るまでに費やした時間を惜しんでしまう。

ついでに、彼らに遠慮させてしまっているのではないかと

うっかりと、そして殊勝にも、自分をかえりみたりなんかしちゃう。


本当は、そんなことを考える時間こそ惜しむべきなのだ。

親がいて、子がいる…それでいいはずだ。

ああ、私は小さい!大物になりたい!と思ってしまうのである。



さて介友の一人、お馴染みの八重さんである。

65才の彼女は、90近い姑さんを介護しながら暮らしている。

認知症の姑さんはピンピンしているが

ご主人のほうが病気になって入退院を繰り返すようになった。


先日、久しぶりに会ったら

「この間、大変だったのよ」と言う。

ある夜、八重さんは急に目の前が真っ暗になった。

しゃべろうにもロレツが回らず、立ち上がろうにも足がいうことをきかず

四つん這いになって、部屋をぐるぐる回るしかなかったそうだ。


ちょうど家族と実家に来ていた娘さんは、驚いて電話をかけた。

お寺に…。

少し前に書いた、あのタケノコ寺である。


「母の様子が、おかしいんです!」

娘さんは住職に訴えたが、住職は晩酌の後だったので

駆けつけるのは翌朝ということになった。

やがて落ち着いた八重さんは、そのまま就寝し

翌朝訪れた住職は、お経をあげて帰った。


「何かに取り憑かれたようだったって、娘が怖がってねえ。

 私もお経をあげてもらって、安心したのよ」

八重さんは、恐怖の霊体験を真顔で話してくれた。


八重さん…私も真顔で言った。

   「それ、たぶん脳梗塞よ」

「え?でも、私はお経をもらって楽に…」

   「小さい血管だったから、それですんだと思う」

「ええっ?」


ロレツが回らない…四つん這い…何かに取り憑かれたよう…

10年前と昨年、脳梗塞で倒れたヨシコの症状とそっくりである。

初めて見たら、その様子は恐いかもしれない。

親の異変であれば、さらに恐いかもしれない。

が、娘も40近いオトナである。

いくら信心深い一家でも、病気と霊を間違えたではすまない。


お坊さんは何で尊敬されるかというと

古来、民衆より物知りだったからである。

お布施のために何でも霊で片付けて

「念のため病院へ」の一言が言えない人は、僧侶をやってはいけない。


   「娘さんによく言っておいて。

    今度そんなことが起きたら、お寺じゃなくて

    脳神経外科に電話しなさいって。

    お寺にも言っておいて。

    必要なのは、お経じゃなく点滴だって」

八重さんはその後、脳神経外科に行き、軽い脳梗塞の痕跡が発見された。


いまどきの老人は長生きするから、逆縁もあり…私は最近、よくそう思う。

日頃のすったもんだなんて、気にしてる場合じゃないのだ。

疲れ果ててこっちが先になったら、腹立たしいどころじゃない。

自分を甘やかし、どうでもこうでもとにかく生きながらえるのだ。

こんなにあてにならないバカな娘だって、実際にいるんだから。


   「いいかえ?私の具合が悪くなったら病院へ…」

息子達に言い聞かせるが

「あんたは死なん!」

と断言された。
コメント (20)
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