殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

女難、男難

2017年04月22日 10時12分11秒 | みりこんばばの時事
北朝鮮からミサイルが飛んでくるかもしれない今日この頃。

それなのに、こんなことで騒ぎを起こす‥

皆様のお怒りは、ごもっとも。

私も同感。


しかし、いつか何かあると思っていたので驚きは無い。

ずいぶん前から感じていた。

あの男は、自分に一部の女性を惹きつける魅力があることを

知っている。

そういう顔、そういう目。


多くの女性を惹きつけるのではなく、一部というのがミソ。

人によっては「濃い」だの「暑苦しい」だのと敬遠されそうな顔だが

一部の女性のハートを強くつかんで離さない、色情の相である。

何でわかるかって?

うちの夫と顔立ちは全く違うけど、雰囲気は同じだから。


さっきから何を話しているかというと

自民党・中川俊直議員のこと。

自慢できることじゃないけど、浮気者の配偶者という面で

一応のベテランを自負する私としては

触れないわけにはいかないじゃないの。


父親の秀直氏と共に、親子二代に渡り女性問題で失敗‥

ということが取り沙汰されているが

同じ色情問題でもお父ちゃんとはケースがちょっと違う。


お父ちゃんの方は、代議士だった舅の地盤を引き継ぐため

婿養子に入った。

若い頃は、舅の支持者だったうるさがたの目が光っており

本人もお世辞にも美男とは言えなかったので、おとなしかった。

月日が経って古い支持者はいなくなり

本人も順調に出世したので、やっとモテ期がやってきた。

でも地位とお金目当てで寄ってきた女の性根は

あんまり良くないと相場は決まっている。

もちろん本人の身から出た錆だが、女難とも言える。


子供って親が教えたことは習わないけど

やってきたことは教えなくても習う。

特に悪いことは、親より早い時期にマスターする。

息子の方は、お父ちゃんのように亡き舅の影を気遣う必要もなく

持ち前の色情をいかんなく発揮できた。

その天真爛漫で周りを不幸にしてしまう

歩く男難と言えよう。



ハワイで結婚式‥

なかなか笑わせてくれるじゃないの。

奥さんは癌で闘病中らしいけど、こういう男は、やる。

善悪の判断力は無いのに体力と行動力はあるから、やる。


古い話になるが、うちの夫の場合

愛人と婚約パーティーはやった。

彼女の友人だけが集まった、ささやかなものだったらしい。

もしも彼にゼニがあったなら、女の要望のままに

結婚式もしていたと思う。

一介のビンボー人なので、やれなかっただけだ。

人の旦那と寝る女なんて、似たようなもんさ。

愛人作る男なんて、似たようなもんさ。

どんなに取り繕っても、シモの話には変わりないのさ。


シモの方は似通っていても、中川氏と夫には立場の違いがある。

公人、つまり国民の税金でおマンマ食べてる人と

一般人との決定的な違いである。

同じようなことをしでかして、もしもバレたら

一般人は家族だけ泣けば済むが、公人は国を貶める。


この立場の違いがわからないのは、当然といえるかもしれない。

お祖父ちゃんとお父ちゃんの票に恵まれていたため

立派な政治家になるための努力精進は必要ないし

バックにはご同胞ともささやかれている在日企業が付いているので

選挙資金の心配も無い。

政治家の命である票と資金の心配が無ければ

恋をする余裕もあろうというもの。


お父ちゃんの件といい、今回の息子の件といい

このまま続行させれば、同じ韓流ラブの先輩のお引き立てにより

そこそこの地位まで登り詰めるのは確実で

韓流ラブの政治を行うのは目に見えていた。

世間は、親子二代で同じことをしでかした符号に注目しているが

私は、親子二代で絶妙のタイミングにより

スキャンダルのリークがあった符号に注目している。

天の配剤は、時に痛みを伴うものだ。

コメント (26)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腹が立ったこと・2

2017年04月15日 22時34分46秒 | みりこんばばの時事
3年が経った頃、採算の合わないM社の仕事は終わり

同時にうちの息子は、そこにいるかとも言われなくなった。

縁が切れて、やれやれと思っていたら微妙に違った。

我が社のやっていたM社の仕事は

いつの間にかY興業がやるようになっており

仕事を奪ったら気がすんで、引き抜き話も消えたというのが真相である。


Y興業は、してやったりと得意満面だった。

が、我々もまた、仕事が終わったという中途半端な終焉ではなく

仕事を奪われたという天下晴れての理由により

確実に縁が切れたことを安堵した。



それから1年余りが過ぎた先月、我が社はT建設の仕事に専念していた。

現場が町内なので、ありがたい仕事だった。

現場が近ければそれだけロスが少ないため、利益が出るからだ。


T建設は都市部の小さな会社だが、働く人たちの人柄が良い。

こういう会社は、きっちりした良い仕事をするものだ。

T建設と我が社は和気あいあいと工事を進め

終わりが近づいたある日のことだった。

施工上の都合により、T建設はある予定外の製品を使う必要にかられた。

相談された夫は距離や時間をかんがみ

M社の製品が妥当と判断してT建設に紹介した。


もちろんシブシブである。

M社の情報は、同じ建物に事務所を構えるY興業に筒抜けなので

また半島人らしくヤキモチを妬いて干渉してくるに違いない。

せっかく縁が切れたのに残念だが

距離的に近いM社を飛ばして別の会社に頼むと

輸送が往復で3時間以上かかる。

運賃がかさむ上、日程が長引いてしまうので

T建設の負担を考慮して決めたことだった。


製品を現場まで運搬するのは、当然うちの仕事。

そこでM社の要請により、書類をM社の事務所宛に送った。

安全管理のため、工場の敷地へ進入する際には

車両ナンバーや車検証、運転者の免許証などのコピーを提出し

事前にエントリーする義務があるのだ。


が、その仕事が予定された前日になっても

M社からは打ち合わせの連絡が無かった。

「Y興業が絡んだと思う。

1日で終わる仕事じゃし、どうするか見てやらんかい」

夫が言うので、あえてM社に問い合わせはしなかった。

M社が万一、我々が考えるより少しは骨のある会社で

Y興業が万一、我々が考えるより少しはマシな会社だった場合

すぐ対応できるように車両と人員を待機させ

成り行きを見守ろうということになった。


そして当日。

T建設の現場には、ちゃっかりY興業が入って仕事をしていた。

やはり、うちの仕事は乗っ取られたらしい。

恥も外聞もなく他者に成り代わる、人呼んで“背(はい)乗り”は

彼ら半島人の得意技である。

まったく、期待を裏切らない民族だ。

この行為は、掟破りというより犯罪。

よその店で万引きした品物を自分の店で売るのと同じである。


わかるよ‥近くておいしい仕事だから、どうしても欲しいよね。

うまくやれば、T建設とのラインも繋がるもんね。

人の物と自分の物の区別がつかない民族だもんね。

我々は苦笑するのだった。


T建設の責任者が、のんびりと我々にたずねた。

「ねえ、どういうこと?」

それはこっちのセリフである。

「何があったの?」

こっちが聞きたい。


Y興業は、うちが急に来られなくなったので

代わりに来たと説明したそうだ。

さすが、息をするように嘘をつく民族である。


夫は抗議せず、そのまま続行させた。

どこの会社が運ぼうと、製品はちゃんと届いているのだ。

工事は安全第一。

メンツにこだわって波風を立て

顧客の大切な現場を荒らすことはできない。


この事態を知ったM社の営業マン、日向君が飛んできた。

日頃から夫を慕う彼は、営業所の一員として謝罪したいと言う。

しかし夫は会わなかった。

何度もかかってくる電話にも出なかった。


夫は全く怒っておらず、日向君にも罪は無いが

会うのは謝罪を受け入れるのと同じ。

営業マンが謝っただけで許されるとなると

Y興業におねだりされて、またやる。

うちでやらなくても、必ずよそでやる。

インスタントな和解で済ませることはできないのだ。

絶対に譲れない業界の作法であり、これをスジと呼ぶ。



後日、全容が明らかになる。

M社は最初から、うちの車両をエントリーしていなかった。

Y興業に仕事を回すため、うちから送った書類は葬られたわけ。

牛耳られるのも、ここまでくれば重症だ。


Y興業の社長の言い訳は

うちの申請書類が、M社に届いてなかった‥

事務員さんが送り忘れたと聞いている‥

そのためにM社はうちの車両をエントリーできず

急遽、Y興業の車両を使うことになった‥

というストーリー。


しかし残念ながら、書類をM社に送ったのは私。

他に事務員なんていないんだから、しょうがない。

優秀な事務員でないことは認めるが、相手が相手なので

この書類は証拠が残る書留で送った。


が、そんなことはどうでもいい。

後付けで嘘の言い訳を捏造し

見知らぬ誰かのせいにして平気でいられるのも

彼らのDNAに組み込まれた特徴である。

証拠を突きつけたって、またぞろ韓流の言い訳が出てきて

ゲンナリするだけだ。


仕事を奪ったY興業は勝ち誇るだろうが

これはプライベートではなく商売なので

怒って喧嘩をするより、黙っている方が利益を生むことを

我々は知っている。

とりあえずの利益として

この一件でさらに信頼を深め合ったT建設が、次の仕事をくれた。

嬉しい。


ところで先日、私はハタと思い出した。

送れと言ったから送ったのに、書留の切手代はどうしてくれる!

急に腹が立った。

遅いか。

《完》
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腹が立ったこと

2017年04月13日 09時10分26秒 | みりこんばばの時事
時は春。

新社会人がスタートを切ったばかりなので

仕事に関わる半島人の話もしておこうと思う。


私の生息する建設業界にも、在日はいる。

この業界は、お世辞にも上品とは言えない世界。

出自や育ちを問われないため、彼らが紛れ込むには好都合だからである。


しかも在日韓国人、在日朝鮮人には在日特権というものがある。

日本人より何かと優遇されているのが実情。

言うと問題になって損をするから、彼らは言わないだけだ。


中でもステキな特権は

いったん払った各種の税金が、全額戻ってくるシステム。

形式的とはいえ一応の条件があり、手続きも必要だが

ちゃんと手続きをしたら、ちゃんと返ってくる。

日本人なら納税したら終わりの金が、彼らには戻ってくるのだから

事業を展開すれば、よっぽど商売がヘタな人や

金使いの荒い人以外はたいてい儲かる。


この業種は仕入れや人件費のみならず

車両と重機の購入及び維持管理に金がかかる上

扱う金額が大きいので税金も大きい。

税金の滞納料は高く、督促は厳しい。

不況で税金の支払いができなくなった日本人の会社は

預金残高を差し押さえられたあげくの倒産や廃業によって淘汰されるが

税金が戻ってくる彼らは、そっちの心配をしなくていいので

生き残る確率が高まる。

よって在日の会社は、とりわけ増えもしないがさほど減りもせず

一定の数を維持しているのだ。


ただし在日の経営する会社は、非常識な所が多い。

半島の常識と日本の常識が大きく違うので、仕方ないのだが

腹を立てるのがバカバカしいため、我が社は極力避けている。


しかしただ一社、避けられない所がある。

そのY興業は、大企業M社の製品を運搬する運輸業。

M社の地方営業所と同じ建物の中に、事務所を構えている。


何代か前の営業所長が接待に弱いバカだったようで

Y興業が会社ごと入り込むのを許してしまったという話だ。

「軒を貸したら家まで取られる」という半島人を指したことわざ通り

上場企業のM社の方が、有限会社のY興業にすっかり牛耳られている。


避けられなかった理由は5年前、うちが本社と合併したことに由来する。

本社は元々M社と取引があり、本社から近い町にある営業所と懇意だった。

合併にあたり、我々の町に近い営業所とも取引の話を成立させたが

そこがY興業の牛耳る営業所で

5年前から、たまに出入りするようになった。

その仕事は、合併祝いのお付き合い程度の小さいもので

採算は取れないのに事務処理だけは手間がかかり

その上、Y興業の干渉があるので割に合わなかった。


出入りするようになると、Y興業は高給を提示して

うちの息子を熱心に引き抜こうとした。

こう言うと、いかにもうちの子が良さげに聞こえるだろうが

そのようなタマでないことは、親の私が一番よく知っている。

引き抜きは、Y興業の単なる癖に過ぎない。


よその社員を甘い言葉で誘い

自分の会社に入れる癖があるのは昔から有名で

会社が義父アツシのものだった頃にも、それはあった。

うちに勤めていた若い運転手N君が、誘われてY興業に行った。

間もなく彼は、社長に勧められて自分でダンプを購入し

自営としてY興業の仕事に入るようになった。

大型ダンプを買うための1千万を超える借金は

社長が保証人になってくれたそうだ。


ダンプを買って3年が経過した頃、急にY興業の仕事が減った。

親分の所に仕事が無いのだから、自前のダンプで下請けに入る者に

仕事を振ってもらえるはずもなく

彼はたちまち行き詰まって月々の返済ができなくなった。


そこでY興業の社長は、優しく手を差し伸べた。

「ダンプは残りの借金ごと、こっちで引き取るから

また社員に戻ったら?」

N君は社長の温情に感謝してダンプを渡し、再び社員に戻った。


これは美談ではない。

日本人に仕掛けられた、巧妙なワナである。


引き抜いた社員をそそのかし、ダンプを買わせる。

そして自営業の社長ともてはやし、3〜4年かけて借金を払わせる。

返済が七割がた終わったところで、急に仕事が減ったふりをすれば

若いカモは当然、金が回らなくなる。

そこで助けると、どうなるか。


Y興業は、大型ダンプ1台が格安で手に入る。

乗用車と違い、仕事の車は3〜4年なら新車のうち。

自分の商売道具として大切に扱われた車なので

コンディションも良好だ。

ついでに、恩を感じてナンボでも働く社員も付いてくる。

これを繰り返してダンプを増やし、大きくなったY興業である。


で、今度はうちの子の番というわけよ。

よその会社の後継者を引き抜いて、どうする。

Y興業は、独占しているつもりのM社に出入りする

我が社の存在が目障りだったに過ぎない。

内部から崩すのは、彼らの得意技である。



社会人になった子供に、親は言う。

「世の中は甘くない、騙されるな、気をつけろ」

甘くないのは、世の中という漠然としたものより

在日に特化しても、さほどのハズレは無い。


もしもあなたのお子さんが、本人に非が無いにもかかわらず

ひどい上司やとんでもない先輩、悪い同僚に苦しんでいたら

一度、その人物が日本人かどうか確かめることをお勧めする。

顔と性格の特徴や、彼らが好んでつける通名があるので

ネットで調べてみるといい。


ビンゴであれば、間違っても

歩み寄ったり可愛がってもらおうなどとは考えないことだ。

もちろん、国籍その他、余計なことに触れてはならない。

そして悩んだり、死ぬことを考える時間があるなら

明治から昭和までの『日本の本当の歴史』を勉強するといい。

在日の習性と、彼らが日本で行ってきたことを知れば

日本人としての誇りが生まれる。

その誇りに救われるだろう。


《続く》
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この機に乗じて『思い出』・5

2017年04月09日 10時19分06秒 | みりこんばばの時事
父が急死した当時、45才だった私は

当然ながら世間知らずの小娘ではない。

仕事や子供のPTA活動で

在日、または帰化人と呼ばれる人たちと接触する機会は何度もあった。


顧客同士や職場の同僚、役員仲間にその人たちが混ざっている場合

激しいライバル心に由来する人間関係のトラブルが必ず起きた。

あんまり負けず嫌いだから、きちんとしているのかと思いきや

お金にはアバウトで、その方面のトラブルもたびたびあった。


その中でただ一人、常識的な女性が存在した。

仕事で知り合った50代のその人は

つり目に高い頬骨、耳たぶの無い耳に張ったエラという

お決まりの顔立ちではなかったので

彼女から聞くまで素性を全く知らなかった。

優雅で謙虚なたたずまいに

「例外もいるんだ‥」

私はひそかに驚いたものだ。


じきに彼女の娘とも、挨拶くらいは交わすようになったある日

その娘から突然電話があった。

「10万円、貸してもらえませんか?

母には言えなくて‥」

本人だけでなく、身内にも注意が必要だと痛感した。

結果、残念ながら私は、いまだかつて安全な人と出会った経験は無い。

よって油断大敵なのは、隣のA一家だけじゃないと知っていた。


同胞同士が人前でつかみ合いの喧嘩をし

疲れてくると一休みして、お互いのタバコに火をつけ合い

それからまた喧嘩に戻るシーンも目の前で見た。

彼らが日常、頻繁に繰り返す激高は

「火症」という病名のごとき名称で呼ばれており

自分ではどうにもならないのだと教えてくれる人があった。


特に男性は精神を病むケースが多く

その場合、中年を過ぎると手に負えなくなるというのも

40代になって人から聞いた。

隣の男はこれだったのだ‥父が死んだ時、そう思った。


その民族性が父に執行されたのだと思うと、不憫でならなかったが

隣の長男が直接手を下したわけでもなし、腹を立てたって父は帰ってこない。

「何があった?」「どうしてこんなことに?」

昨日までピンピンしていたのだから、弔問客は次々に問いかける。

「さあ‥」「心当たりは全く‥」

ひたすらそう答え続けるしかなかった。


答えているうちに、こっちもだんだんその気になった。

父は寿命だった‥

大好きなゴルフをしながら幸せに旅立った‥

私たちは自然に、そう思えるようになった。

父は感情に任せて人を恨んだり騒ぎ立てるのを

最も嫌う人間だったので、それでいいのだろうと思った。



通夜葬儀に、隣の長男は顔を出さなかった。

見たくもないから、かまわない。

代わりに奥さんと、20代半ばになる上の息子が来た。

こんな時、あの人たちの国では

「人殺し!父を返せ!」

などと泣き叫んで責めるのがお決まりだろうけど

こちとらメイドインジャパンじゃ。

罪の無い者に当たり散らしはしない。



葬儀が終わり、唯一心配だったのは

次は母がターゲットになるかもしれないことだった。

何も知らなかった父の時と違い、今度は戦おうと思った。


が、何日経っても、何年経っても、何も無かった。

人ひとりを死ぬ間際までいじめておいて

死んだらピタリと静かになる、この根性。

精神病なのに自分で止められるのか‥

自制がきくんなら最初からするな‥

無害を安堵しながらも、これはこれで腹が立つ。

しかし、それが彼らなのだ。


あれっきり現在まで、全く何ごとも起きていない。

隣の長男は嘘のようにおとなしくなり

母は奥さんと、普通に近所付き合いを続けている。

父が、うちと隣の40数年に渡る因縁をかついで

あの世へ行ったような気がするのは娘の欲目だろうか。



そんなある日、和歌山でカレーに毒を入れたとされる女性が帰化人だと

ある人から聞いた。

あの女の人は、顔立ちや話し方がA子によく似ており

気になっていたのだが、たまたまよ‥その時は思った。


しかし今度は、神戸で小学生を殺害し

その首を校門に乗せた中学生が在日だと知った。

さらに山口県で若いお母さんを暴行し、赤ちゃんと一緒に殺害した少年や

イギリス人の女性英語教師を暴行して殺害し

自分で顔を整形しながら逃亡を続けた男もしかり。


地下鉄に毒ガスを撒いたカルト教団も

教祖は在日と言われているが、正確なところは知らない。

しかし実行犯や側近には在日が多かったことが、明らかになっている。


記憶に残る、衝動的で凄惨な殺人事件の犯人は

その多くが半島関係者という事実に驚愕するばかりだ。

マスコミはこういうことをあまり報道しないので

日本人が日本で起こした事件と思い込み

物騒な時代になった、変な人が増えたと嘆く人も多いが、それは違う。

移民が日本で起こした事件なのだ。


それらの事件と、父に起きた出来事はレベルが違うので

同じとは言わない。

しかし民族的衝動の犠牲になるのは、いつも罪なき者である。


《完》



つたない連作にお付き合いくださいまして、ありがとうごさいました。
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この機に乗じて『思い出』・4

2017年04月05日 09時24分22秒 | みりこんばばの時事
その日は早朝から、何となく胸騒ぎがしていた。

病院の仕事は午後からだったので家にいたが

今日は休むことになるような予感がした。


妹から電話があったのは10時を回った頃だった。

「お父さんが死んだ!」

これだったのか‥曇り空を見上げて思った。

今から12年前の4月のことである。



当時72才の父は、医者と縁のない健康そのもの。

祖父から引き継いだ会社を5年前、人に譲ってからは

母と二人で静かに暮らしていた。


父はその日、友達とゴルフに行った。

グリーンに出て最初の一打を打ったところで倒れたという。

救急車で病院へ運ばれたが、すでにこと切れていた。

ゴルフ場から連絡を受けた母は、同じ町内の保育園に勤める妹を呼び出した。

早退した妹は母を連れ、車で1時間ほどの病院へ駆けつけた。


医師の話によると、脳にも心臓にも問題は見つからず

死因は特定できないという。

「一応変死なので、お望みであれば解剖します」

医師は言ったが、母は断って遺体を連れて帰る車を手配した。

妹が電話をかけてきたのは、その車を待っている時で

1時間後に実家で合流することにした。


実家に着くと父の遺体は戻っており、布団に寝かせたところだった。

ここで母は私を連れ、隣のAさん宅へ行った。

まず隣に知らせて挨拶するのだと思い、付いて行った。


出てきた奥さんに向けて、母はごく普通に言った。

「こんにちは。

うちのお父さん、死んで帰ったわよ」

これだけ言うときびすを返し、家に戻ったので

私も何が何やらわからないまま、後を付いて帰った。

母は冷静沈着な、肝の据わった女である。

突然の事態にうろたえて、あらぬことを口走るタイプではない。

これは尋常ならぬことがあるに違いないのだ。


しかしたずねるまでもなく、母は私に真相を話し始めた。

「わかってんのよ、何で急にお父さんが死んじゃったか。

死因はストレスよ」


もう何年も前から、父は隣の長男‥

つまりA子のお兄さんに意地悪をされていたという。

50才前後から精神を病み、何につけ父に文句を言っては

しつこくからんでくるようになったそうだ。


父はおとなしく優しい性質で

天地がひっくり返っても他人とトラブルを起こすタイプではない。

ただ、当たる相手は父しかいなかった。

賑やかだった駅前通りはさびれ果て、商売をしていた人々も死に絶えた。

近くの住民は、うちと隣しか残っていない。

そこでヤツは気丈夫な母より、おとなしい父をターゲットに選んだ。

父は、魅入られてしまったのだ。

相手は在日の精神病患者、誰が助けてくれよう。

耐えるしかなかった。


隣の兄妹の中で、唯一マトモに見えた長男の変貌に

両親は信じられない思いだった。

一度、母は隣の奥さんにたずねたことがある。

「どうしてご主人は、うちのお父さんに意地悪をするの?

お父さんが何をしたっていうの?」

奥さんはこう説明した。

「主人は、裏の土地が欲しかったんです」


うちと隣の共通の裏手に、地続きの小さな空き地があった。

元の持ち主はとうに亡くなり、相続した息子さんは遠くに住んでいる。

故郷に帰るつもりは無いので

今のうちに処分しておきたいということで

その息子さんから、うちか隣のどちらかに

この土地を買ってもらえないかと持ちかけられた。


隣は、金銭的な余裕が無いと断った。

うちの両親もいらなかったが、亡くなった先代とは懇意だったので

息子さんの頼みをきいて買ったといういきさつがあった。

「また土地か!」

これを聞いて、私が苦々しく思ったのは言うまでもない。


「主人は、裏の土地が欲しかったんです」

隣の奥さんの言ったことは、日本人から見れば

いじめる理由の説明になっていない。

しかし彼らにとって、嫉妬は正当な理由になる。

ここが民族間の埋められない溝であり

また、埋める必要のない溝であり、決して埋めてはならない溝なのである。



そしてあの日がやってきた。

早朝6時、おい!おい!と隣から声がする。

ヤツはこうして父を呼びつけるのが習慣になっていた。


父が裏庭へ出てみると、ヤツが窓から顔を出して言った。

「これ、どういうつもりなら!」

植木鉢の葉っぱが伸びて、隣の壁に触れそうになっていたのだった。

とっかかりは何でもいい。

本日の材料はこれだったというだけだ。


「ああ、ごめんね」

父は鉢を動かした。

するとヤツはさんざんののしったあげく

「その木を切れ!」

と指差して言った。

裏庭に植えていた、小ぶりな柿の木である。


「今日はこれから出かけるけん、帰ってから切るわ」

父はいつものようにあしらい、家に入ろうとしたが

この日、ヤツはいつもにも増して執拗に叫んだ。

「今切れ!すぐ切れ!」

奥さんが出てきて取りなすと、ますます激しくわめいた。


「大丈夫、すぐ切るよ」

父は奥さんに言うと、ノコギリを持って来て柿の木を切り倒した。

その間、ヤツは窓から監視を続けた。


柿の木が倒れると、ヤツはピシャリと窓を閉め

父は迎えに来た友達の車でゴルフに出かけた。

「お父さん、優勝して来てね!」

父の心境を察して、母は明るく手を振り

「うん、頑張ってくるよ」

父も笑って手を振った。

それが今生の別れとなった。


《続く》


いつもお越し下さって、ありがとうございます。

明日の6日は、gooブログのメンテナンスだそうで

ほぼ1日、お目にかかることができません。

どうかお元気でお過ごしください。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この機に乗じて『思い出』・3

2017年04月04日 11時49分31秒 | みりこんばばの時事
30代の始め、祖父が他界した。

死ぬ前、祖父は幾つかの事柄を私に伝えた。

その中に、A一家がうちの隣にやって来た

詳細な経緯も含まれていた。


それまで知らなかったので、驚いた。

日頃はやたら口数の多い祖父だったが

この件に関してのみ、一言で結ばれた。

「油断大敵」


その時、祖父が私の交友関係に異様なほど厳しかったのは

隣にたまたま同級生がいたからだと理解した。

思えば近所へ遊びに行くにも送迎がついたし

うちへ来る友達にもチェックが入る面倒臭い子供時代だった。

家はどこか‥

お父さんの職業は‥

きょうだいは‥

お母さんのお里は‥

祖父の尋問は、友達に評判が悪かった。


その一方で、なぜか妹は野放し。

自由自在に友達との交流を楽しんでいた。

どうして自分にだけ口やかましいのかわからず、祖父を恨んだものだ。


が、関所を緩めることは

A子と親しくなる可能性を広げることであり

それが危険をはらんでいることを祖父は知っていたのだ。

そして実際に、中学の時のいじめや成人後の行いをかんがみても

安全とは言えなかった。



さらに月日は流れ、40代になった私は病院の厨房で働いていた。

三年に一度、正月に開かれる小学校の同窓会はいつも欠席。

子供の帰省で三ヶ日を休みたがる同僚が多いため

シフトがきつくなるからである。


その頃は関西に転居していたA子、近年の同窓会には皆勤らしい。

大きなダイヤの指輪を見せて

「主人と始めた新しい事業が成功したのよ」

先生や同級生にそう話していたそうだ。

同窓会では級友の成功を喜ぶ者あり、ひそかに半信半疑の者ありで

反応は二つに割れたという。



絶対、ウソじゃ‥

私には確信があった。

A子は昔から、よくホラを吹いていた。

「みんなには黙っていたけど、本当は私、野口五郎と文通してるの」

という類いのものである。

高一で駆け落ちを言い出しても、みんなホラだと思っていたから

止めなかった。


大きなダイヤ=成功は、うちらの親の世代まで。

すなわち古典である。

成功ならぬ、精巧なイミテーションも出回っていることだし

彼女は駆け落ちした15才当時のフィーリングのまま

古典にのっとったホラを吹いているのだ。



そもそも他人に保険証を貸せなんて言ってくるヤツが

何年経とうと、ゼニをつかめるわけがない。

お天道様が許しても、福の神が許さん。

だが、嫉妬と誤解されたら心外なので黙っていた。



次の同窓会には、参加することができた。

A子も来ていて、私を見ると顔が変わった。

保険証のことがあったからか、私を明らかに避けていたため

話題のダイヤは拝見できなかったが

どうひいき目に見てもゼニの匂いはしなかった。


もっとも本当に成功した人間は、自分で「成功した」とは言わない。

人はそう評価しても、本人はそう思ってないからだ。

願った地点まで登ると、そこから落ちたくないという恐れを知る。

そして、もっと上の景色を見てみたいという欲を知る。

この恐れと欲から絞り出される知恵が、継続と発展をもたらす。

成功した、と安心している暇は無い。

自ら成功を口にするのは、成功したことの無い人間だ。



再び3年が経った。

私はまた同窓会に行けた。

A子は来ていなかった。

それきり、今も来ない。

誰も気にする者はいない。



さて、隣の家ではA子のお父さんが亡くなって何年も経ち

A子の長兄一家に代替わりして久しい。

A子の次兄と姉は今で言うヤンキーで

青少年の頃から危なっかしい印象だったが

一番上のお兄さんは昔から、静かで真面目な働き者だった。


私が中学生の頃に結婚した、やはり在日の奥さんもいい人だ。

A子のお母さん同様、いつも私に優しく接してくれた。

パチンコ屋と焼肉屋を閉じた後、別の仕事を始めたこの夫婦は

成人した2人の息子と家族4人で仲良く暮らしている様子だった。


うちの実家も両親だけになって久しい。

隣の奥さんは高齢になった両親を気にかけてくれていたし

舅を長年世話した彼女の人となりを両親も評価していた。

代替わりをすませた隣り合わせの二軒は、つつがなく生活している‥

私は長い間、そう信じていた。


《続く》
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この機に乗じて『思い出』・2

2017年04月02日 10時16分32秒 | みりこんばばの時事
隣のA夫婦には長男、次男、長女、次女と4人の子供がいて

末っ子の次女A子は、私と同級生だった。

幼稚園が違ったため、小さい頃は接触する機会がほとんど無かったが

同じ小学校に入学すると、子供会が一緒なので

時々言葉を交わすようになった。

が、親しくなることはなかった。

A子が不思議に包まれた少女だったからである。


A子の家の台所は店の2階にあり、うちの裏庭に面している。

妹と裏庭で遊んでいると、よく野菜クズや卵の殻が飛んできた。

びっくりして見上げたら

A子とお姉さんが私を見おろしてニヤニヤ笑っている。

彼女たちは幼い頃からパチンコ屋の店番や家の手伝いをしていて

何か飛んでくる時は、姉妹で夕飯の支度中なのだった。


そんないたずらをしておきながら、次の日には

「おはよう!」とフレンドリーに寄ってくるので

いつも狐につままれたような気持ちになる。

記憶喪失なのか、時間ごとに人格が変わるのか‥

この謎を解明できない限り、気は許せないと思い

うわべだけの付き合いを続けた。


中学生になると、ある日を境にA子と私の関係が変化する。

ずいぶん前に「おとな帳」という記事で書いたが

うちの祖父が北朝鮮からの密航者を発見して

警察に通報した事件があったからだ。


隣の一家は、同胞と呼ばれる人たちの逮捕シーンを目の前で見た。

決していい気持ちでなかったことは想像に容易いが

A夫婦は沈黙を守り、大人の対応に努めていた。


しかしA子は同級生の女子を扇動し、私をいじめるようになった。

なあに、扇動は簡単だ。

うちの祖父のせいで、祖国の同胞が逮捕されて悲しい‥

そう泣きわめけば、同情する者が必ず出てくる。

5〜6人に増えたその集団は、私を罰することに燃えた。


祖国だの同胞だの言われても、わけのわからない私は

ただ耐えるしかなかった。

そのついでに、台所の窓から投げられていた野菜クズや卵の殻は

明白な悪意だったと認識した。


戦いが始まって数ヵ月後、一つ年上の野球部員が

私に交際を申し込むという青天の霹靂が起こった。

休憩時間になると上級生の男女が次々と教室に押しかけて

私の意向をたずねる。

問題の野球部員はゴリラのような男で、迷惑だったが

日朝問題よりこっちの方が興味深かったのか

集団の結束は一瞬で崩れた。


取り残されたA子は、急に私の親友を装った。

「私が一番仲がいいから、説得してみる」

上級生の前でそう言うのを聞いて、耳を疑った。


ついぞ2〜3日前まで私の弁当に砂を入れたり、椅子に画鋲を置いたり

学校帰りに待ち伏せして取り囲んでいたのが

素早い変わり身にもほどがある。

当時の私は、隣の家との経緯を一切聞かされていなかったが

隣との付き合いに、家族が細心の注意を払っているのは

小さい頃から感じていた。

こういうことなんだ‥と、その時理解した。



やがてA子と私は、町内の同じ高校に進む。

当時の彼女は学校が終わると、親が隣町で始めた焼肉屋を手伝っていたが

年の離れたお客と親しくなって、結婚すると言いだした。


A子は体が大きくて目鼻立ちがはっきりしており

着る物も水商売風だったので、とても15才には見えない。

お酒を出す所で働かせていれば、こうなるのは時間の問題で

近所の人々は、心配とも陰口ともつかない噂をし合っていたものだ。

しかし親はそう思っていなかったらしく、驚いて大反対した。


反対されると燃えるのは世の常。

A子は進学の2ヶ月後、親に内緒で退学届を出して駆け落ちした。

学校では「愛を貫く!」と騒いでいたが

実際のところは、家の手伝いが嫌になったのだと思う。


彼女が荷物を詰めた紙袋を二つ持って、男の車に乗るところを

たまたま自分の部屋の窓から目撃する機会に恵まれた。

何の感慨もなかった。


翌年、A子のお母さんが急死した。

お悔やみに行ったら、A子が帰って来ていた。

ガリガリに痩せており、駆け落ち暮らしの苦労を物語っているようだった。

それからしばらくは会うことのないまま

私は結婚して実家を離れた。


20代の後半になると、たまにA子から電話がかかるようになった。

同窓会発足の準備で同窓会名簿が作成され

それがA子の手にも渡ったからである。

懐かしいからではない。

この頃、電車で1時間ほどの町に住んでいたA子は

同級生を回って訪問販売の品物を売りつけようとしたり

怪しげな仕事の話を持ちかけたりした。

相手にする者はいなかった。


最後は「ちょっとお醤油貸してくれない?」と言うのと同じ口調で

保険証を貸して欲しいと言ってきた。

「歯が痛いけど、旦那が無職で保険証が無いのよ」

狂っていると思った。

これを好機ととらえ、絶交を言い渡した。


《続く》
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする