夫に配車権を返上しておきながら
次男には、父親に協力するなと平気で言える藤村。
その藤村が、今度は河野常務と永井営業部長の来訪を告げた。
何かがおかしいと感じたのは
2人の来訪を伝えた藤村に、緊張が見られないからだった。
本社からエラい人が訪れる時、彼はいつも緊張する。
後ろ暗いところがあるからだろう、捕らえられた熊のように
巨大を揺らしてウロウロしながら
「何だろう、どんな用件だろう」と案じるのが常であった。
それが今回は、2人も来るというのにリラックスしている。
ということは、用件がわかっているのだ。
そしてその用件とは、藤村にとって都合の良い内容に違いない。
だからその内容は、2人が来るまで秘密にしておく必要がある。
つまり常務と部長を呼んだのは藤村で
彼らの来る用件が、想像を絶する内容なのは確かだった。
藤村と一緒に働くようになって数年
彼が吐く数々の嘘に、お人好しの夫はまんまと騙されてきた。
しかしもう、その手は食わん…いや、食わさん。
神田さんに愛の告白をしたことにより、変質者扱いの藤村が
起死回生を目論んで吐く嘘は、お世辞にも巧妙とは言えないだろう。
しかし国柄の違いから、あまりにも大胆な嘘をつくために
うっかり騙される日本人は多い。
よって、家族に心構えを説くことにした私だった。
こうして準備を整え、我々は当日を迎えた。
常務と部長は、午後1時に来るという。
「今朝、神社にお参りして来た」
夫は昼休みに帰った時、私に報告した。
少々、怖がらせ過ぎたか。
いや、これぐらいでちょうどいいと思い直す。
そして運命の午後1時。
私は家で、まんじりともせずにその瞬間を迎え…
と言いたいところだが、ちょうど農協の用事でうちに来た
友人のモンちゃんとしゃべり倒していた。
で、会社に来たのは永井部長1人だった。
常務は急きょ、来ないことになったそうだ。
病みあがりの常務に、急用が入るとは考えにくい。
おそらくは藤村のために、わざわざ来る価値無しと判断したのだろう。
会談の席に着いた永井部長は
夫、藤村、神田さんの3人に加え、なぜかうちの長男を呼んだ。
そして永井部長はまず、長男に言った。
「君が社内の人間関係を滅茶苦茶にしているそうだけど
それについて何か言うことがありますか?」
寝耳に水の長男。
「僕ですか?」
驚く長男に、永井部長は続けた。
長男が社員とグルになって神田さんをいじめていること
藤村の言うことを聞かないこと
会社の悪口を言っていること
社員を扇動して、藤村に反抗していることなどを挙げ
呆然としたままの長男に言った。
「会社がゴタゴタするようになったのは、君が原因なんだろ?
反省して態度を改めるつもりが無いなら、左遷を考える」
役付でも何でもない長男に
転勤でなく左遷と言う永井部長のアホはともかく
藤村の罠は、これだった。
無関係の長男を突然、争いの渦中に巻き込み
藤村は何もかも長男が原因ということにするつもりだったのだ。
長男は反論した。
「会社を滅茶苦茶にしようなんて考えていませんが
藤村さんの配車がおかしいのは事実なので
おかしい時はおかしいと言います」
「じゃあ君は、藤村さんに楯突いていることを認めるんだね?
そうか、やっぱり君がみんなを揉ませていたのか」
「そういうことじゃなくて…」
「君ね、経験が長いからって、配車に口を出したらいけないよ。
藤村さんが配車をやってるんだから、逆らわずに言うことを聞かないと。
できないのであれば、よそへ行ってもらうしかないんだ。
ねえ、藤村さん」
永井部長の隣でニヤリと笑う藤村を見た時
長男はテーブルをひっくり返して
永井部長と藤村を殴り倒したい衝撃にかられたが
「会社は直を守る」
という私の言葉を思い出して我慢したという。
同時に、何を言ってもダメなんだと悟ったそうだ。
永井部長はなおも続けた。
「神田さんは、ここが運転手を募集していると聞いて
応募した人なんだ。
それを女だからという理由でみんながいじめたら
上司の藤村さんが神田さんに気を使うのは当たり前でしょ。
そしたらそれが気に入らなくて、もっといじめるなんて
男性として恥ずかしくないの?」
ことの経緯というものは、ちょっと順番を並べ換えたり
新しい登場人物を加えると違う話になる。
藤村が神田さんに目をつけて入社させ
異様な優遇を続けたあげくに愛を告白して振られ
パワハラとセクハラの告発におびえながら気まずい日々を送っている…
藤村はこの事実をかき消し
全ての発端が長男のいじめというストーリーを考え出したのだ。
このストーリーは、藤村を変態認定から救うだけではない。
罪を着せられた長男は、怒って辞める。
続いて夫も、怒って辞める可能性が出てくる。
煙たい2人がいなくなれば、藤村の天下。
熟練者2人が去ったことで、本社の目は人員補充に向けられる。
やがて全ては忘却の彼方だ。
そんなことを考えつく藤村も藤村だが
大嘘を信じて踊る永井部長の方も、前からわかってはいたが尋常ではない。
彼らを同胞認定してあげよう。
永井部長もそうであるならば、今までの数々の愚行が腑に落ちるというものだ。
もちろん長男の受けた衝撃に、母の胸は痛む。
いきなりこんなことになって、どれほど驚いたことだろう。
が、同情ばかりしていられない。
長男はボヤッキー。
日頃から気に入らないことが多く、何につけ不満をボヤくし
相手に直接言うこともある。
この子は、義父の会社が危なくなってから入社した
6才年下の次男と違い、まだマシな頃に就職したので
古き良き時代を少しばかり知っている。
じいちゃんの会社だから自由がきくし
社員にも良くしてもらって生き生きと働いていたが
薔薇色期間を体験した分、今の環境を残念に思う気持ちが強い。
良く言えば昭和の職人気質、悪く言えば融通のきかない長男の性質が
魑魅魍魎の跋扈する今の会社に合わないことは
以前から私の危惧するところだった。
彼とは何度も話し合ってきた。
しかし改善は見られないまま、現在に至っている。
今回、断片的に聞こえてきた彼のボヤきや批判を
藤村に利用される羽目になったのは
長男にとって良い薬になったと思っている。
そう思うしか、ないではないか。
時間を巻き戻すことはできないのだ。
《続く》
次男には、父親に協力するなと平気で言える藤村。
その藤村が、今度は河野常務と永井営業部長の来訪を告げた。
何かがおかしいと感じたのは
2人の来訪を伝えた藤村に、緊張が見られないからだった。
本社からエラい人が訪れる時、彼はいつも緊張する。
後ろ暗いところがあるからだろう、捕らえられた熊のように
巨大を揺らしてウロウロしながら
「何だろう、どんな用件だろう」と案じるのが常であった。
それが今回は、2人も来るというのにリラックスしている。
ということは、用件がわかっているのだ。
そしてその用件とは、藤村にとって都合の良い内容に違いない。
だからその内容は、2人が来るまで秘密にしておく必要がある。
つまり常務と部長を呼んだのは藤村で
彼らの来る用件が、想像を絶する内容なのは確かだった。
藤村と一緒に働くようになって数年
彼が吐く数々の嘘に、お人好しの夫はまんまと騙されてきた。
しかしもう、その手は食わん…いや、食わさん。
神田さんに愛の告白をしたことにより、変質者扱いの藤村が
起死回生を目論んで吐く嘘は、お世辞にも巧妙とは言えないだろう。
しかし国柄の違いから、あまりにも大胆な嘘をつくために
うっかり騙される日本人は多い。
よって、家族に心構えを説くことにした私だった。
こうして準備を整え、我々は当日を迎えた。
常務と部長は、午後1時に来るという。
「今朝、神社にお参りして来た」
夫は昼休みに帰った時、私に報告した。
少々、怖がらせ過ぎたか。
いや、これぐらいでちょうどいいと思い直す。
そして運命の午後1時。
私は家で、まんじりともせずにその瞬間を迎え…
と言いたいところだが、ちょうど農協の用事でうちに来た
友人のモンちゃんとしゃべり倒していた。
で、会社に来たのは永井部長1人だった。
常務は急きょ、来ないことになったそうだ。
病みあがりの常務に、急用が入るとは考えにくい。
おそらくは藤村のために、わざわざ来る価値無しと判断したのだろう。
会談の席に着いた永井部長は
夫、藤村、神田さんの3人に加え、なぜかうちの長男を呼んだ。
そして永井部長はまず、長男に言った。
「君が社内の人間関係を滅茶苦茶にしているそうだけど
それについて何か言うことがありますか?」
寝耳に水の長男。
「僕ですか?」
驚く長男に、永井部長は続けた。
長男が社員とグルになって神田さんをいじめていること
藤村の言うことを聞かないこと
会社の悪口を言っていること
社員を扇動して、藤村に反抗していることなどを挙げ
呆然としたままの長男に言った。
「会社がゴタゴタするようになったのは、君が原因なんだろ?
反省して態度を改めるつもりが無いなら、左遷を考える」
役付でも何でもない長男に
転勤でなく左遷と言う永井部長のアホはともかく
藤村の罠は、これだった。
無関係の長男を突然、争いの渦中に巻き込み
藤村は何もかも長男が原因ということにするつもりだったのだ。
長男は反論した。
「会社を滅茶苦茶にしようなんて考えていませんが
藤村さんの配車がおかしいのは事実なので
おかしい時はおかしいと言います」
「じゃあ君は、藤村さんに楯突いていることを認めるんだね?
そうか、やっぱり君がみんなを揉ませていたのか」
「そういうことじゃなくて…」
「君ね、経験が長いからって、配車に口を出したらいけないよ。
藤村さんが配車をやってるんだから、逆らわずに言うことを聞かないと。
できないのであれば、よそへ行ってもらうしかないんだ。
ねえ、藤村さん」
永井部長の隣でニヤリと笑う藤村を見た時
長男はテーブルをひっくり返して
永井部長と藤村を殴り倒したい衝撃にかられたが
「会社は直を守る」
という私の言葉を思い出して我慢したという。
同時に、何を言ってもダメなんだと悟ったそうだ。
永井部長はなおも続けた。
「神田さんは、ここが運転手を募集していると聞いて
応募した人なんだ。
それを女だからという理由でみんながいじめたら
上司の藤村さんが神田さんに気を使うのは当たり前でしょ。
そしたらそれが気に入らなくて、もっといじめるなんて
男性として恥ずかしくないの?」
ことの経緯というものは、ちょっと順番を並べ換えたり
新しい登場人物を加えると違う話になる。
藤村が神田さんに目をつけて入社させ
異様な優遇を続けたあげくに愛を告白して振られ
パワハラとセクハラの告発におびえながら気まずい日々を送っている…
藤村はこの事実をかき消し
全ての発端が長男のいじめというストーリーを考え出したのだ。
このストーリーは、藤村を変態認定から救うだけではない。
罪を着せられた長男は、怒って辞める。
続いて夫も、怒って辞める可能性が出てくる。
煙たい2人がいなくなれば、藤村の天下。
熟練者2人が去ったことで、本社の目は人員補充に向けられる。
やがて全ては忘却の彼方だ。
そんなことを考えつく藤村も藤村だが
大嘘を信じて踊る永井部長の方も、前からわかってはいたが尋常ではない。
彼らを同胞認定してあげよう。
永井部長もそうであるならば、今までの数々の愚行が腑に落ちるというものだ。
もちろん長男の受けた衝撃に、母の胸は痛む。
いきなりこんなことになって、どれほど驚いたことだろう。
が、同情ばかりしていられない。
長男はボヤッキー。
日頃から気に入らないことが多く、何につけ不満をボヤくし
相手に直接言うこともある。
この子は、義父の会社が危なくなってから入社した
6才年下の次男と違い、まだマシな頃に就職したので
古き良き時代を少しばかり知っている。
じいちゃんの会社だから自由がきくし
社員にも良くしてもらって生き生きと働いていたが
薔薇色期間を体験した分、今の環境を残念に思う気持ちが強い。
良く言えば昭和の職人気質、悪く言えば融通のきかない長男の性質が
魑魅魍魎の跋扈する今の会社に合わないことは
以前から私の危惧するところだった。
彼とは何度も話し合ってきた。
しかし改善は見られないまま、現在に至っている。
今回、断片的に聞こえてきた彼のボヤきや批判を
藤村に利用される羽目になったのは
長男にとって良い薬になったと思っている。
そう思うしか、ないではないか。
時間を巻き戻すことはできないのだ。
《続く》