殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

再び・現場はいま…10

2020年11月30日 09時29分52秒 | シリーズ・現場はいま…
夫に配車権を返上しておきながら

次男には、父親に協力するなと平気で言える藤村。

その藤村が、今度は河野常務と永井営業部長の来訪を告げた。

何かがおかしいと感じたのは

2人の来訪を伝えた藤村に、緊張が見られないからだった。


本社からエラい人が訪れる時、彼はいつも緊張する。

後ろ暗いところがあるからだろう、捕らえられた熊のように

巨大を揺らしてウロウロしながら

「何だろう、どんな用件だろう」と案じるのが常であった。

それが今回は、2人も来るというのにリラックスしている。

ということは、用件がわかっているのだ。


そしてその用件とは、藤村にとって都合の良い内容に違いない。

だからその内容は、2人が来るまで秘密にしておく必要がある。

つまり常務と部長を呼んだのは藤村で

彼らの来る用件が、想像を絶する内容なのは確かだった。


藤村と一緒に働くようになって数年

彼が吐く数々の嘘に、お人好しの夫はまんまと騙されてきた。

しかしもう、その手は食わん…いや、食わさん。

神田さんに愛の告白をしたことにより、変質者扱いの藤村が

起死回生を目論んで吐く嘘は、お世辞にも巧妙とは言えないだろう。

しかし国柄の違いから、あまりにも大胆な嘘をつくために

うっかり騙される日本人は多い。

よって、家族に心構えを説くことにした私だった。



こうして準備を整え、我々は当日を迎えた。

常務と部長は、午後1時に来るという。

「今朝、神社にお参りして来た」

夫は昼休みに帰った時、私に報告した。

少々、怖がらせ過ぎたか。

いや、これぐらいでちょうどいいと思い直す。


そして運命の午後1時。

私は家で、まんじりともせずにその瞬間を迎え…

と言いたいところだが、ちょうど農協の用事でうちに来た

友人のモンちゃんとしゃべり倒していた。


で、会社に来たのは永井部長1人だった。

常務は急きょ、来ないことになったそうだ。

病みあがりの常務に、急用が入るとは考えにくい。

おそらくは藤村のために、わざわざ来る価値無しと判断したのだろう。


会談の席に着いた永井部長は

夫、藤村、神田さんの3人に加え、なぜかうちの長男を呼んだ。

そして永井部長はまず、長男に言った。

「君が社内の人間関係を滅茶苦茶にしているそうだけど

それについて何か言うことがありますか?」


寝耳に水の長男。

「僕ですか?」

驚く長男に、永井部長は続けた。

長男が社員とグルになって神田さんをいじめていること

藤村の言うことを聞かないこと

会社の悪口を言っていること

社員を扇動して、藤村に反抗していることなどを挙げ

呆然としたままの長男に言った。

「会社がゴタゴタするようになったのは、君が原因なんだろ?

反省して態度を改めるつもりが無いなら、左遷を考える」


役付でも何でもない長男に

転勤でなく左遷と言う永井部長のアホはともかく

藤村の罠は、これだった。

無関係の長男を突然、争いの渦中に巻き込み

藤村は何もかも長男が原因ということにするつもりだったのだ。


長男は反論した。

「会社を滅茶苦茶にしようなんて考えていませんが

藤村さんの配車がおかしいのは事実なので

おかしい時はおかしいと言います」

「じゃあ君は、藤村さんに楯突いていることを認めるんだね?

そうか、やっぱり君がみんなを揉ませていたのか」

「そういうことじゃなくて…」

「君ね、経験が長いからって、配車に口を出したらいけないよ。

藤村さんが配車をやってるんだから、逆らわずに言うことを聞かないと。

できないのであれば、よそへ行ってもらうしかないんだ。

ねえ、藤村さん」


永井部長の隣でニヤリと笑う藤村を見た時

長男はテーブルをひっくり返して

永井部長と藤村を殴り倒したい衝撃にかられたが

「会社は直を守る」

という私の言葉を思い出して我慢したという。

同時に、何を言ってもダメなんだと悟ったそうだ。


永井部長はなおも続けた。

「神田さんは、ここが運転手を募集していると聞いて

応募した人なんだ。

それを女だからという理由でみんながいじめたら

上司の藤村さんが神田さんに気を使うのは当たり前でしょ。

そしたらそれが気に入らなくて、もっといじめるなんて

男性として恥ずかしくないの?」


ことの経緯というものは、ちょっと順番を並べ換えたり

新しい登場人物を加えると違う話になる。

藤村が神田さんに目をつけて入社させ

異様な優遇を続けたあげくに愛を告白して振られ

パワハラとセクハラの告発におびえながら気まずい日々を送っている…

藤村はこの事実をかき消し

全ての発端が長男のいじめというストーリーを考え出したのだ。


このストーリーは、藤村を変態認定から救うだけではない。

罪を着せられた長男は、怒って辞める。

続いて夫も、怒って辞める可能性が出てくる。

煙たい2人がいなくなれば、藤村の天下。

熟練者2人が去ったことで、本社の目は人員補充に向けられる。

やがて全ては忘却の彼方だ。


そんなことを考えつく藤村も藤村だが

大嘘を信じて踊る永井部長の方も、前からわかってはいたが尋常ではない。

彼らを同胞認定してあげよう。

永井部長もそうであるならば、今までの数々の愚行が腑に落ちるというものだ。


もちろん長男の受けた衝撃に、母の胸は痛む。

いきなりこんなことになって、どれほど驚いたことだろう。

が、同情ばかりしていられない。

長男はボヤッキー。

日頃から気に入らないことが多く、何につけ不満をボヤくし

相手に直接言うこともある。


この子は、義父の会社が危なくなってから入社した

6才年下の次男と違い、まだマシな頃に就職したので

古き良き時代を少しばかり知っている。

じいちゃんの会社だから自由がきくし

社員にも良くしてもらって生き生きと働いていたが

薔薇色期間を体験した分、今の環境を残念に思う気持ちが強い。

良く言えば昭和の職人気質、悪く言えば融通のきかない長男の性質が

魑魅魍魎の跋扈する今の会社に合わないことは

以前から私の危惧するところだった。


彼とは何度も話し合ってきた。

しかし改善は見られないまま、現在に至っている。

今回、断片的に聞こえてきた彼のボヤきや批判を

藤村に利用される羽目になったのは

長男にとって良い薬になったと思っている。

そう思うしか、ないではないか。

時間を巻き戻すことはできないのだ。

《続く》
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再び・現場はいま…9

2020年11月28日 10時33分02秒 | シリーズ・現場はいま…
22日の日曜日と、23日の月曜日は連休。

癌は眉唾だろうが、藤村が夫に配車権を返還したのは

ひとまずの進展に思えた。

もちろん配車権だけが戻っても全面解決にはならないが

とりあえず小さな一歩は踏み出せたことに

夫も私もホッとして、晩秋の休日を楽しんだ。



が、24日の火曜日。

藤村は朝一番で、次男に言った。

「明日の分から、お前の親父が配車するけど

絶対に協力するなよ」


藤村が配車権を握るまでは

次男がチャーターの発注を担当していた。

発注歴が長いため、台数がたくさん必要な時も

必ず集めるという定評が次男にはあり

彼もそのことを誇りにしていた。

藤村はそれを奪い取って自分で発注するようになり

そのうち自分に迎合しない業者を切り捨て

最終的にリベートをくれるM社に絞った経緯がある。


「親父にチャーターを集められるわけがない。

あんなにようけ、集められるのはワシしかおらん。

お前が協力せんかったら、親父はすぐ根を上げて

ワシに配車を返す。

そしたらまた、ワシがやる。

じゃけん、絶対に協力したらいけんど」

元々おかしい藤村だが、とうとう狂ったのではないか…

次男はそう思ったが、彼は大真面目だ。


「僕らは親子じゃけん、親に協力するのは当たり前じゃ」

次男が言うと、藤村は怒り出し

「ダメじゃダメじゃ!

ええか?絶対に協力するなよ!」

と言った。

次男はあまりのバカらしさに、呆れたという。

「バカ村(次男は彼をこう呼ぶ)は、親子の情を知らんのかも。

かわいそうなヤツじゃ…」


夫に一旦、配車を返すふりをして根を上げるのを待つ…

そして夫が降参したら、天下晴れて自分が配車を行う…

これが連休の間に考えた、藤村の作戦であることはわかった。

配車をやめたら、M社からのリベートが終了するのを思い出したのだ。

ついでに癌は、やっぱり嘘だった。

仕事を続ける気、満々じゃないか。


昼に帰宅した夫に、次男の話を伝える。

「そこまで腐っとるんか…」

人の言うことには、あまり動じない夫だが

今回はさすがに驚いていた。


「バカたれが…罠仕掛けたつもりか」

「昭和の少女漫画よ、トウシューズに画鋲よ。

腐っとるんが基本人格じゃけん、油断したらいけんよ」

夫はわかった…と答えたが、トウシューズは知らないと思う。


ちなみにトウシューズに画鋲とは、昔のバレエ漫画にあった話だ。

発表会で主役を射止めたヒロインに嫉妬したライバルが

ヒロインのトウシューズにこっそり画鋲を仕込んで怪我をさせ

自分が主役を奪おうとするストーリー。

卑怯でゲスな行為に接した際、私はついそう言ってしまうのである。



その日の夕方、色々考えたのであろう藤村は夫に言った。

「工場が、ワシにどうしても配車をして欲しい言うけん

工場だけワシがするわ」

彼の言う工場とは、神田さんの古巣である。

夫が黙ってにらみつけると、藤村はそそくさと帰って行ったという。

ここしばらくは他にチャーターを雇う仕事が無く

社内のダンプで事足りるため、夫の業務に変化は無い。


翌25日、水曜日の夕方。

事務所に居た藤村をつかまえて

神田さんは何やら激しく文句を言っていたという。

何を言っていたのか知らないが、藤村は困り果てた様子だったそうである。


翌26日の木曜日。

藤村は夫に伝えた。

「明日、河野常務と永井営業部長が来る」

単独ではそれぞれよく来るが、よっぽどのことが無ければ

この2人が一緒に来ることは滅多に無い。

仲が悪いわけではなく

永井部長は常務の後継者と目されているため

常務の代理として動くことが多い。

本人と代理が連れ立って行動しても仕方がないというのが

合理主義者、常務の考えだからである。


「何で?」

夫がたずねると、藤村は

「わからん」

と答えた。


しかし夫は何かあると言い、それを聞いた私も同意した。

「わからんわけがない。

藤村が呼んだんよ。

神田さんが始末に負えんけん、面倒になって上に投げたんじゃわ」

「ワシもそう思う」


だが常務を引っ張り出すとなると、藤村では始末に負えない理由を

はっきりさせなければならない。

たかだか人間関係のイザコザで、永井部長だけでなく

常務にまでお出まし願うには

それなりのもっともな理由が必要になるからだ。


常務は自分からフラリと来ることはしょっちゅうで

会社に復帰した翌週の16日にも夫の顔を見に訪れ

10分ほどで帰った。

しかし今回、わざわざ来訪予告をするからには

何か重い理由が存在するはずだった。

そして常務の来訪を夫に伝えた藤村が

その理由を知らないと言うのは、非常に怪しい。


藤村には、常務が来る理由がわかっているのだ。

それは、彼が神田さんにした愛の告白ではない。

自分が変態だと上司に告げて、神田さんの始末に来てもらうなんて

我が身だけが可愛い藤村は絶対にしない。

先週、神田さんの話を聞きに来た永井部長も

藤村が可愛いので、常務には本当のことを言ってないはずだ。

必ず裏がある…夫も私もそう考えた。


「藤村は、何か別のストーリーを思いついたと思う。

罠かもしれんけん、気をつけて」

私は家族を前に、かの民族の習性をレクチャー。

自分が助かるためなら、どんな創作も捏造もやる…

それは想像を絶する内容かもしれない…

しかし驚きのあまり、ひるんではならない…

だからといって激昂したら、相手の思うツボ…

すぐに決着をつけようとせず、冷静に反撃のチャンスを待て…

などなど。


そして息子たちには、改めて念押しする。

「母が実子を守るように、会社は直(ちょく)を守る」。

常務も部長も、決して味方だと思うな…

正しいとか間違っているなんて関係なく、藤村は擁護される…

それを思い知っても、絶対ヤケになるな…

これは世の法則なのだ…

法則を知らない人間は、ヒスを起こして辞めるしかなくなる…

辞めるのはかまわないが、人を恨んで辞めるのではなく

冷静な時に堂々と辞めろ…。

《続く》
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再び・現場はいま…8

2020年11月25日 20時56分47秒 | シリーズ・現場はいま…
藤村が神田さんに愛の告白をして断られた…

16日の月曜日に、このことを次男から知らされた夫は

翌17日の火曜日の朝、本社営業部の今井課長に電話をした。

「ちょっと相談があるんですが…」

こちらの藤村が新入社員の神田さんに交際を申し込み

怖がった神田さんは告発を口にしている…

個人的なことなので関与したくないのは山々だが

2人の様子からトラブルに発展する懸念がある…

万一、問題が公になった場合、発生場所が会社の事務所なので

本社に迷惑がかかるのを心配している…

という内容。


伝える事柄は、事前に打ち合わせていた。

絶対に抜かしてはいけないのが、会社の事務所という部分。

これさえ言えば、藤村の本当の姿は伝わる。

職場で女の尻を追いかける、スケべな月給泥棒という実態だ。


そして藤村と神田さんの仕事ぶりには、あえて触れない。

まず藤村に対する疑惑を本社に持たせれば

黙っていても彼らは調査を開始する。

こういう暇つぶしが大好きな会社なのだ。


子供でも大人でも、疑問を持った事柄を調べて

真相を発見するのは楽しいものよ。

探偵気分で探してもらおうではないか。

それは本社に華を持たせる意味合いもあるが

人から聞いた話より、自ら調べたことの方が強く印象に残り

二度と忘れないからである。


「事務所で?」

今井さんは最初にそう聞き返したという。

「藤村さんが?」

ではないことから、藤村の行動に意外性を感じてないとわかる。

藤村が、会社で女に告白するようなバカだと納得しているのだ。

やはり今井さんは、藤村を嫌っていた。


「わかりました。

この件は僕に任せてください

ヒロシさんは藤村さんの近くにいるので

何かあるといけないから、出ない方がいいですよ」

今井さんは言った。


翌日、18日の水曜日。

夕方4時に、永井営業部長が会社を訪れた。

神田さんの聞き取り調査に来たという。

今井砲は炸裂したようだ。


神田さんに告白して以来、彼女と顔を合わせにくくなった藤村は

外出ばかりしていて例のごとく留守。

とはいえ営業部の社員は、自分の予定を毎日パソコンへ入力して

社内に公開する義務があるため、永井部長は藤村の予定表を見て

不在の確認をしてから訪れたのかもしれなかった。


しかし永井部長は、以前から何かと藤村をかばう。

嘘と芝居とおべんちゃらで生きる藤村と彼は、同類だからである。

調査と言いながら、藤村擁護のネタを探しに来たに違いなかった。


話が始まると、夫は気を利かせて事務所を出た。

そのため神田さんが何を話したのかは不明だが

話は1時間半に及んだという。

その後、永井部長は深刻な表情で帰って行った。


翌日、19日の木曜日。

藤村は、朝から緊張していた。

夕方、河野常務から呼び出されているという。

前日に行われた神田さんへの聞き取り調査の結果

永井部長は藤村をかばいきれないと考えて、常務に下駄を預けたのだ。

何も知らない藤村はソワソワしながら

相変わらずどこかへ行ったり帰ったりしていたが

午後になると、早々に本社へ行った。


翌日、20日の金曜日。

藤村、この日は前から予定が入っていた関西出張なので

1日中、来ない。

よって、前日に常務から何を言われたかは不明。


藤村の留守がわかっているからか、午後になって突然

ダイちゃんが来た。

この人、今は窓際の嘱託パートだが

いやらしいほどの細かさが武器なので

社内で生じる疑惑の内偵には、たいてい参加する。

今回は河野常務の命令により、藤村問題を調べに来た様子だった。

が、それは表向きで、本当は我が町にある

背脂ギトギトラーメンを食べたかったのだと思う。


翌日、21日の土曜日。

夫が出勤すると、藤村も来ていた。

そして彼は言った。

「神田のことが本社にバレた」

当たり前じゃ…ワシが言うたんじゃ…

夫は思ったが、黙っていた。


そして藤村は続けた。

「ワシ、癌かもしれんのじゃ。

配車はもうできんけん、来週からよろしく」

木曜日に常務から言われたことをボヤくと思っていた夫は

あまりの肩すかしに驚き

「そうなん?お大事にね」

と言った。


昼に帰って来た夫は、この経緯を嬉しそうに報告し

「これで元通りの会社になる」

と言った。

私はそれを聞いて

「おめでとうございます」

と言ったら、涙が出そうだった。

配車なんか、どうだっていい。

この数ヶ月、苦しんできた夫の心が晴れて嬉しかったのだ。


夜、このことを聞いた息子たちも

「藤村をやっつけた」

「これでM社を切れる」

と喜び、来週以降の配車について夫と相談を始めた。


しかし、喜んでばかりはいられない。

「信用したらいけんよ」

私は釘を刺した。

そりゃ、いつまでも一緒に喜び合っていたいさ。

だけど藤村の癌は、多分嘘。


私は家族の誰よりも、かの民族の特質に詳しい。

藤村の癌発言は、彼らの好むドラマチックストーリーだ。

あちらのドラマでもわかるだろう。

話が行き詰まると、不治の病で同情や涙を誘って誤魔化す手口。


私の同級生もそうだった。

嘘ばっかり言って皆を翻弄し、怒りを買うと

自分は白血病だの、ハタチまで生きられないだのと

涙ながらに告白していた。

これを言われると、誰も責められなくなるものだ。


しかし、いつまでもピンピンしているし病院へ通う様子も無いので

病気はどうなったのかとたずねると、「奇跡が起きて治った」

あるいは「あれは親の話」と言って逃げる。

彼らの常套手段である。


藤村が本当に癌だったらどうするのかって?

1日も早く退職して、治療に専念するがよかろう。


ともあれ常務に呼び出された藤村は

パワハラとセクハラの件を癌の告白で逃げたようだ。

しかし異常に高額なチャーター料金の方は

明確な数字が出ているので逃げられなかった。

常務に厳しく叱られ、何もかも嫌になって

配車を返したと思われる。

《続く》
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再び・現場はいま…7

2020年11月22日 09時41分01秒 | シリーズ・現場はいま…
藤村が神田さんに愛の告白をし、振られた…

次男からこれを聞いた我々は、もちろん大笑いした。

割れ鍋が、とじ蓋に断られて大恥をかいたのだ。

こんなに面白いことがあろうか。

今回のシリーズに取りかかった当初は、予想だにしなかった展開である。


「必ず幸せにします!」

神田さんにそう言ったって、ヤツは借金持ちだ。

そして3人だか4人だかと結婚、離婚を繰り返し

誰も幸せにできなかった輝かしい実績を持っている。

うち1人を除いて、相手はフィリピン人ホステスという国際結婚の熟練者。

ちょっと前までは、同じくフィリピン人ホステスのテレサと結婚目前だった。

彼女が祖国へ里帰りした途端、コロナで疎遠となったまま

現在に至っているが、今回は国内結婚でいいのか。


「お母さんの面倒も見ます!」

と言ったって、一人っ子の彼は認知症の母親と暮らしている。

この上、母親をもう一人増員する経済的余裕があるのか。


「2人でこの会社をやって行きたい!」

そんなこと言ったって、お前の会社じゃねえし。

万年学生のまま結婚、結婚と急ぎながら

相手を幸せにできる根拠を何一つ持たない小室圭じゃあるまいし

理論崩壊もはなはだしい。


そんな変なのに魅入られた神田さんは気の毒ではあるが

最初から藤村の下心を知りながら

自分は楽な仕事に従事できるよう画策した。

それだけではない。

彼女は藤村を操り、自分と仲良しのチャーターを呼ぶように仕向けた。

そいつらと一緒に楽な仕事をむさぼり

藤村の女房気取りで会社を牛耳っていたのは事実。

それを今さら若い娘のように怖がるのは、厚かましいというものだ。



やがて、浮かれて笑い転げた束の間が終わると

我々は真剣な表情になった。

上司が部下に求愛した場合、部下が合意すれば秘密は守られる。

しかし合意に達しなかった場合、相手の受け取り方によっては

パワハラにセクハラのダブルハラスメントになる。

これが公になったら、無傷では済まない。

部下への告白は、天国か地獄かの大博打なのだ。


その博打に藤村は負け、神田さんも気が弱っている。

これは千載一遇のチャンスではないのか。

逆襲するなら今だ。

我々は、この問題を発展させるか

それとも「面白かったね」で終わるかを話し合うことにした。


まず意見を聞くのは、夫。

彼には過去、自分の愛人を会社に入れて共に働いた実績がある。

経験者の意見に耳を傾けるのは当然ということになった。

「藤村とは順番が違う!

親の会社に愛人を入れるのと、雇われの身で新入社員を狙う差は大きい!」

夫は強く主張しつつも

「早めに本社の誰かに連絡した方がいい」

と言った。


その理由として、神田さんがいきなり見ず知らずの常務に電話をして

藤村のことを訴える可能性は低い…

藤村の幼稚な性格上、このまま放置していたら

神田さんに何をしでかすかわからない…

どっちもガキだから、こじれて事件になったり

労働基準監督署へ駆け込まれたら、社長を始め会社全体が迷惑を被る…

自分は報告義務を怠ったことにされ、責任追求は免れない…

これらの事柄が挙げられた。


義父の会社だった頃、似たようなことがあったのを

夫は忘れていなかったようだ。

社員が取引先の女子事務員をデートに誘い

チューを迫ってトラブルになったというものだが

向こうの顧問弁護士まで登場して揉めた。

シチュエーションは違えど、人の気持ちは紙一重であり

本人や周囲の受け止め方次第でどうにでも転がる様子を

我々は実際に見ていたため、ここは用心する必要があった。


息子たちは、「チクれ!チクれ!」の合唱だ。

私もそれに加わった。

従来の私であれば、一応は止めるふりをしたかもしれない。

人のしたことを…しかも思いっきり恥ずかしいことを

誰かに告げ口するなんて、かわいそうだわ!

なんて道徳家ぶって反対意見なんぞ言ってみせ

3対1の多数決で負けて、薄笑いを浮かべるパターン。


が、藤村に、もうそんなことはしない。

人の道や慈悲にこだわって、我々は彼の態度に我慢を重ねてきた。

だけどそんなもの、彼には通用しなかった。

思い返せば、夫の愛人どもも同じく。

情けをかければ、どこまでもつけ上がりやがった。

こんなヤツらに心を砕くのは、時間の無駄である。

よって満場一致、本社の誰かに話して対処をゆだねると決定した。



となると、誰に話すかが問題になる。

ここは慎重な人選を行わなければならない。

一発でコトを大きくするには、人選が鍵になるからだ。


常務を始め身分が上の人は、内々で済ませたがるのでダメ。

本社の耳に入れると、最初に神田さんへの聞き取り調査が行われるはずだが

長年、人の上に立ってきた人物は効率的な動きが身に付いている。

エラい人が遠くからわざわざ来て、親身に話を聞いたという形を取れば

告発者の気持ちが八割がた治まるのを知っているのだ。


これでひとまず静かにさせ、一緒に働くのが嫌なら…と転勤を提案してみたり

合間で「どうだね?大丈夫かね?」と、気にかけるふりをしながら

実際は何もせず、自己都合退職を待つ。

厄介な問題で騒ぎ出す人間の多くは、長く勤めないことを知っているからである。


会社組織というものに、物事の善悪はあまり関係ない。

特に今回のようにテーマが破廉恥で、どっちもどっちの傾向が強い場合は

自動的に上を守るようにできている。

よってエラい人は、ヒラの神田さんより上の藤村を庇いつつ

穏便に片付けるからダメ。


かといって藤村の前任、松木氏のような下っ端も

ただの噂で終わるからダメ。

若いのも、権力が無いからダメ。

程よい中間層に位置する人物が望ましい。

地位にある程度の重みがあり、上層部の信頼は厚いが

まだ自己判断は許されていないため

必ず上に相談する人でなければならない。

ちょっと下の者が知っているとなると

上はもう、内々で収めるわけはいかなくなるからだ。


中間層となると、私や息子たちはよく知らない。

夫には心当たりがある様子なので、人選は彼に任せることにした。


翌日、夫は本社営業部の今井課長に電話をした。

彼は営業部のNo.3である。

一番上が河野常務、次が永井営業部長、その次が50才の今井さんで

藤村を含む営業部社員のまとめ役。

営業部のボーナス査定も、この人がやる。


夫が今井さんに決めたのは、本社で数少ないマトモな人というだけではない。

少し前、藤村が彼に暴言を吐いたからだ。

理由は知らないが、夫は今井さんと藤村の双方から

その時のことを聞いていた。

今井さんの話では急に興奮して、ひどい言葉を浴びせたという。

かたや藤村のほうは、「今井に喝を入れてやった」という武勇伝だった。


「今井さんは藤村を嫌っとるけん、絶対に動く」

夫はそう言った。

パーフェクトな人選である。

《続く》
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再び・現場はいま…6

2020年11月19日 17時15分42秒 | シリーズ・現場はいま…
引退すると思われた河野常務の復帰は、本当に嬉しかった。

復帰によって何かが変わるのを期待するほど、我々はウブではない。

常務に何かしてもらおうと目論むほど、ヤワでもない。

しかし夫にとって最大の理解者であり、唯一の庇護者のカムバックは

大きな安心感をもたらした。

この安心感が、今の夫には必要だ。

安心は自信に繋がるからである。


「藤村の留守を喜んでどうする!

逆じゃ!逆!

そもそもあのバカタレが増長したんは、あんたがナメられたけんじゃ!

ヤツがあんたの顔色をうかがうぐらい、ギューギューやったらんかい!」

私の本心はこれだが、優しい夫にそんなことができないのはよくわかっている。

外で他人をギューギューできる男は、家でも同じだ。

仕事では厳しく、家庭では静かで穏やかな男なんて

あんまりいるものではない。

逆ならたくさんいるけど、そんなのはいらんし

社会人としても家庭人としてもちょうどいい男性は

どこかの心がけの良い女性とくっついて私の所へは回ってこない。

だから無い物ねだりはしないことにしている。



さて先日…正確には今週の月曜日のことである。

夕方、仕事が終わった次男は

神田さんから「相談がある」と言われ

2人きりの事務所で話をすることになった。

本性はどうあれ、父親に似て人当たりのいい次男は

神田さんのお気に入り。

藤村を除いては、社内で唯一の話し相手だ。

話の内容が彼の両親に筒抜けなのは、考えないらしい。


神田さんは開口一番、こう言ったそうだ。

「私もう、仕事辞めるけん」

次男はヨッシャ〜!と手を叩きそうになったが

神田さんが真剣なので自粛したという。


神田さんの話すところによると

“事件”が起きたのは11月6日の金曜日、時間は昼どき。

午前中に河野常務復帰の一報が入り

続いてM社から400万の請求書が届いた日である。


その時、神田さんと藤村は事務所で弁当を食べていた。

蜜月が終わり、お互いに避け合っていたが

この日はたまたま、2人きりの状況になった。


ちなみに弁当だが、藤村は神田さんと一緒に取り始めた宅配弁当。

この宅配弁当の会社は以前、神田さんが勤めていた所で

弁当を取るようになったのは彼女の推薦によるものである。

神田さんも当初は仲良く食べていたが、藤村との間が冷えてきた頃

宅配を断って外食するようになった。

しかしこの日は、買った弁当だった。


その弁当を食べている時、藤村が突然立ち上がると

神田さんの前に来て言った。

「前から好きでした!」

驚く神田さん。


「僕と結婚を前提に交際してください!」

驚く神田さん。


「必ず幸せにします!」

驚く神田さん。


「子供さんに会わせてください!

お母さんの面倒も見ます!」

驚く神田さん。


「広島へ来て、僕と一緒に暮らしてください!

僕が毎日運転しますから、一緒に通勤しよう!」

驚く神田さん。


「2人でこの会社をやっていきたい!

神田さんの支えが必要なんだ!」

驚く神田さん。


「お願いです!イエスと言って!」

神田さんはノー!と叫ぶと事務所を飛び出した。

そしてダンプへ逃げ込み、午後の始業を待った。


それからというもの、神田さんは気分が悪くなり

翌日からの土日は会社が休みなので寝ていた。

9日の月曜日になっても気分の悪さは続き

出勤して藤村の顔を見るのが怖くなったので

4日間、休むことになったそうだ。


一方、藤村も同じく9日から休んだ。

河野常務は9日から出社することになっていたので

藤村は恐怖のあまり、体調を崩したと思っていた。

彼の休みも4日間続き、我々はよっぽど常務が怖いのだと

ほくそ笑んだものである。


しかし、全く違っていたのだ。

藤村は、神田さんに愛の告白をして玉砕。

そのショックで体調を崩したのだった。


2人はそれぞれの立場で具合が悪くなり

4日後、13日の金曜日から出勤した。

神田さんは表向き、いつもと変わらない様子だったが

藤村はこの日を境に、外出が頻繁になった。


ここでも我々は、常務の復帰で落ち着かないんだろう…

常務は急に来るから、それが嫌で逃げ回っているんだろう…

と思っていた。

まさか神田さんにプロポーズ大作戦をしかけていたとは

夢にも思わなかった。

そして振られたために、神田さんと顔を合わせられなくて

逃げ回っていたなんて誰が考えつこうか。



「私、怖くて、気持ち悪くて

もう続ける自信無いけん、辞める。

でも辞める時は、藤村さんのことを全部言う」

神田さんは目に涙を浮かべ、次男に言った。


「う…うん、それがええんじゃない?」

笑いをこらえながら、そう答えた次男は

河野常務の携帯番号を教えた。

「常務なら、ちゃんと話を聞いてくれるよ」


これでも次男は、神田さんに同情しているという。

若くてイケメンならまだしも

ただいたずらに巨大で不細工なおじんから

突然、愛を告白された精神的ショックは大きいと言うのだ。


一応は神田さんを励まし、事務所で別れた次男。

この件を真っ先に伝えた相手は父親、つまり我が夫だった。

夫は腹を抱えて大爆笑したという。

「親父があんなに笑ったの、久しぶりに見た」

満足そうな次男。

思えばここ何ヶ月、終わった年寄りとして扱われ

不遇の日々を送った夫であった。


ここで男どもが首を傾げるのは、藤村の精神状態。

神田さんの前夫が取引先にいると知って

嫌悪感を丸出しにして以来、彼女は飽きた女として

藤村の視界から消え去ったのではないのか…

という疑問である。

藤村が毎日、神田さんの悪口を言うのを聞いていた夫は

まだ信じられない様子だ。


が、そもそも藤村は、神田さんに下心を抱いたから入社させたのだ。

元ダンが取引先にいると知って幻滅はしたものの

やはり気になるから、しつこく悪口を言い続けたと思われる。

こういうことになって、やっとわかった。


急な告白は、やはり河野常務の復帰と

チャーターの高額な請求書が原因。

以前お話ししたが、やはりチャーターの請求書が届いた時

藤村は、船を使った4日連チャンの大量仕入れに走った。

あれと同じだ。

一つの事柄を隠したい時、もっと目立つ大きな事柄を行えば

最初の一つはかき消される…それが藤村のセオリー。


常務は復帰する、請求書は来る…

パニックに陥り、血迷った藤村のハートは神田さんに向けられた。

病みあがりの常務に打ち明けるのは、留守中の悪行ではなく結婚の報告。

「僕たち、結婚しま〜す!リンゴ〜ン!」

これで全てリセットできると思っている藤村は

やっぱりバカだった。

《続く》
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再び・現場はいま…5

2020年11月17日 11時38分49秒 | シリーズ・現場はいま…
向かいの工場で前代未聞の納入ミスをした神田さんは

出入り禁止となった。

工場と夫には長年の付き合いがあるので

厳重注意や取引停止などの大事には至らなかったが

双方の折り合いをつけるために、神田さんの出禁という措置に落ち着いたのだ。


「わからんかったら、聞きんさい」

夫は後で神田さんに言ったが、彼女は黙っていたという。

「ホンマにかわいげの無いヤツじゃ」

夫は機嫌が悪かったが、私はそうではないと思う。


コトが起こった時、藤村は恐れて事務所から出なかった。

“この会社のトップ”と認識していた親分は逃げ

“会社が潰れそうになり、お情けで雇ってもらっている年寄り”

そう認識していた、その年寄りが出てきて事態を収める…

彼女はこの衝撃に言葉を失ったのだ。

それを言うと夫は、「そんなタマじゃない」とせせら笑う。

けれども女とは、そういうものである。

自身の計算が最初から間違っていたと知った

神田さんの衝撃は大きいはずだ。


私はこれによって、何かが動くような気がした。

とはいえ私が注目するのは神田さんではなく、夫の行動である。

憎たらしい神田さんのミスで、夫は立場上、二つの道を選択できた。

一つは今回、夫が取った行動。

そしてもう一つは、神田さんを解雇に持ち込むことだ。


ミスの後始末ができるのは、夫しかいない。

重機で向かいの工場へ駆けつけるには、短距離でも公道を通る。

重機で公道を走るには大型特殊免許が必要だが

これは社内で夫しか持っていない。

そして一旦、荷下ろしをした商品をサイロと呼ばれる穴から引っ張り出し

短時間で正しい場所へ移動させる技術は夫しか持っていない。


だから夫がグズグズして、なかなか後始末をしてやらず

大ごとにして本社へ報告すれば、神田さんのミスは拡散される。

本社から取締役を呼んで工場への謝罪をさせれば、藤村の無能も公になる。

河野常務が不在の今、誰も何もわかっちゃいないんだからどうにでもなる。

藤村や、彼の前任だった松木氏ら

本社の中途採用者たちが常習する針小棒大の手口だ。


根性曲がりの私なら、この手口の誘惑にしばし迷うかもしれない。

神田さんと藤村の2人を同時に陥れるには、絶好の機会だ。

しかし夫は、迷わず神田さんを救済する行動に走り

神田さんが出禁になったことも藤村や本社に言ってない。

今後は神田さんを行かせなければいいことであり

話をつけた夫が黙っていれば済むことだからである。


私は常々、夫は強運だと思っている。

浮気三昧で家族を泣かせ、他人にも多大な迷惑をかけてきた人間にしては

天から愛され過ぎると思っている。

彼が本当に強運だとしたら、ここだと思うのである。


ともあれ停滞している事柄が動き始める瞬間は

思わぬ事態と一緒に訪れる。

その時に慌てず騒がず、自分にできることを精一杯やっていれば風穴が開く。

穴から吹いてくる風は、歓迎すべきそよ風とは限らない。

冷たい強風かもしれないが、それでも息はつける。

その風が、事態を転がしていく。


転がる先が、自分たちにとって良い方向なのかどうかはわからない。

自分たちにとって良い方向である時は、他の誰かにとって悪い方向だったり

またその逆もあるが、気にしない。

一生懸命生きていれば、気にならない。

そんなことが、長く生きていればわかるようになる。



それから1週間後、正確には11月6日。

我々に嬉しいニュースが届いた。

腰の手術で長期休暇を取っていた河野常務が、週明けから復帰するそうだ。


手術以来3ヶ月半、このまま引退すると言われていた。

やっと先月、つたい歩きができるようになったとも聞いていた。

しかし即決断主義の常務がいないことで、我が社はもちろん

本社グループ全体は混乱していた。

そこで社長の強い希望を受け、残留することになったのである。

常務が復帰する…

大きな安心感に浸りながら、私は思った。

これが風穴だったのだ…。



常務は9日から、杖をついて出勤を始めた。

こちらに顔を出すのは、まだ先になるという。

そして常務の復帰と同時に具合が悪くなった人が、こちらに2人。

藤村と神田さんである。


2人は9日から、同時に休み始めた。

どちらも体調不良だそう。

「2人でおデート…」

「まさか…」

そう言いながらも、目障りな2人がいないので夫は楽しそうに働いていた。


藤村は4日間、休んだ。

「血圧が上がって冷や汗が出て、腹が痛うなって震えがくるんじゃ」

電話で夫に欠勤の理由を説明したが、我々は常務に会いたくなくて

不登校みたいになったと思っていた。


常務の復帰を知らされた6日、M社から10月分の請求書も届いていた。

400万円ちょっとプラス税。

一社分のチャーター料金としては、新記録の高額だ。

そりゃあね、1日4万円のチャーターを毎日5台ずつ

20日ほど呼べば、どうあがいてもそうなる。

請求書を見た藤村は、頭を抱えていたという。

常務は全てに目を通すので、もちろんこの請求書も見る。

その後、罵倒されるのは火を見るより明らかだ。

藤村の体調不良の原因はこれだと、誰だって思うだろう。


一方、神田さんも4日間、休んだ。

しかし休み始めた初日、仕事で市外を走っていた長男が

孫らしき幼児を連れてスーパーへ入る神田さんを目撃したので

病気でないことは知っていた。


「辞めるかもしれない…」

私はチラリと思った。

どんな仕事でも、辞めていく人は休むようになるものだ。

彼女は入社して日が浅いため、まだ有休が付かない。

それでも連続で休むからには、決心が堅いような気もした。



そして5日後の13日、2人はそれぞれ出勤した。

夫が話すところによると、神田さんは休む前と変わらないが

藤村は様子がおかしいらしい。

今までは日がな一日、事務所でふんぞり返っていたのが

チョコチョコと外出ばかりしているそうだ。


「常務が来るのが怖いんかね」

「落ち着かんのじゃろう」

我々は話し合ったが、とりあえず藤村の留守が増えたため

夫はリラックスできると言う。

それを聞いて、良かったと思った。

《続く》
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再び・現場はいま…4

2020年11月15日 09時51分38秒 | シリーズ・現場はいま…
藤村の邪心から始まった神田シフトは

彼が神田さんを見放した後も続いていた。

藤村の子供っぽい性格からして、飽きた女への優遇は

あからさまに取りやめるはずだ。

しかし藤村は神田シフトを解かず、無駄なチャーターを呼び続けている。


そして彼が呼ぶチャーターは

隣町にあるM社のダンプに絞られるようになった。

神田さんと一緒に近距離を往復する仕事は

これまで二社、あるいは三社で分担されていたが

いつしかM社のチャーターばかりになったのだ。


この状況から考えられるのは、裏リベートしかない。

経営者側の人間でない者が配車を握ると

裏リベートの誘惑が高確率で訪れること…

どんなにしっかりした人でも、お金の魅力には勝てないこと…

我々はそれを経験で知っていた。


会社が義父のものだった頃の話だが、夫は恋愛や駆け落ちに忙しいので

社員が配車係をしていた時期が何度かあった。

それぞれ経験の長い、しっかりした人だったが

ことごとく裏リベートを受け取るようになり、発覚しては辞めて行った。

不道徳を犯し、社長に合わせる顔が無くて辞めるのではない。

自分だけが裏で得をしたのがバレた場合

社内の仲間として生きて行けないからである。


なぜ裏リベートが発生するかというと

誰しも、楽で燃料を食わない仕事を独占したいからだ。

そして、それが長く続けば言うことはない。

チャーター業者が配車係に取り入って、1回につき幾らという密約をし

良い現場へ優先的に回してもらうのは、利益と直結した効率の良い働き方である。


また、リベートを受け取る方も

良さげな現場を選んでやるだけなので、さほど罪の意識は無い。

彼らはこの行為を、業者が自分だけにくれるご褒美と信じている。

しかしその現実は、わずかな金ですぐに飛びつくとバカにされているからこそ

話を持ちかけられるのであり

そのわずかな金で会社や仲間を裏切るようそそのかされているに過ぎない。


配車の癒着は、たいてい発覚する。

毎日、仕事の終了時にチャーターが提出して帰る伝票と

癒着相手から届いた請求書と照らし合わせると

仕事の内容が数字で浮かび上がるため、事務に慣れた者には一目瞭然だ。

裏リベートを受け取る社員は、本業が運転手なので

事務にはおおむね疎い。

そのため、黙っていればわからないと思い込んでいるのだった。


藤村は以前にも、この配車をめぐって別の会社と癒着した前歴がある。

河野常務が気づいて雷を落とし、夫と次男に配車を戻したが

夫が年を取ったので、配車の仕事は再び藤村へと移った。

今回、常務は腰の手術で長期療養中。

一度吸った甘い蜜の味は忘れられないものだ。

お目付役がいないため、藤村はやりたい放題である。


我々は、藤村が金に困っているのを知っている。

リベートの話を持ちかけられたら、飛びつくのは間違いない。

彼がM社からリベートを受け取っていれば

そりゃ、神田シフトはやめられないだろう。


夫は、M社だけに絞る危険性を藤村に忠告した。

よそから複数のチャーターを呼ぶ場合

できるだけ二社以上の業者に声をかけるのは業界の鉄則だ。

一社に絞れば連絡が楽になるが、いざという時に困るからである。


チャーターがたくさん必要になった時

絞っている一社だけでカバーしきれない場合は他の業者を探すが

うちが忙しい時は、よそも忙しいものだ。

当然、チャーターの争奪戦になるが

普段から呼んだり呼ばれたりの付き合いをしてない業者は来てくれない。

繁忙期が終われば見捨てられるのが、わかっているからだ。


それだけではない。

浮き沈みの激しい建設業界、絞っていた一社が倒産したり

台数を維持しきれなくなって減車することもある。

そしてそのようなことは、突然起こる。

日頃から、助けたり助けられたりの関係を複数の業者と結んで

セーフティネットを用意しておかなければ

チャーターを集められないばっかりに

儲けどきに儲けられないという情けない事態になる。

仕入れも販売も、取引先は一社に絞らない…

これは単価の大きい業界の常識である。


夫は、リベートのことには触れずにそれらを説明し

そこの社長が信用に値しないことも付け加えた。

しかし藤村は生返事をするだけで、改める気配は無い。

この態度こそ、癒着の自白に等しかった。


日を追うにつれてわかってきたが

藤村は最低でも毎日5台は入れる約束をしてしまったらしい。

仕事が少ない時にも5台来るからだ。

半日で帰らせる日もあるが、伝票は8H

つまり8時間分で切られている。

そうしなければ、藤村のリベートが減るではないか。


彼は肝が小さく、M社の社長はケチなので

1台につき1日数百円の小金で話がついていると思う。

500円としても、5台で1日あたり2,500円。

それでも1ヶ月分まとまれば、良い小遣いになる。


夫はこの様子を見て心配しているかというと、これが全然。

「藤村も神田も、もう詰んどる。

あとはあの2匹が、どうやって自滅していくかを見るだけじゃ」

と、むしろ楽しみにしていた。

加齢という不可抗力によって各種の権限を失い

一時はしょぼくれていた夫だが

やがて権限に付いて回る責任から解放されたのだという結論に達し

楽しまなくては損だと言う。


藤村のやっていることを告発するつもりは、全く無い。

前にもお話ししたが、そんなことをしたらバカを見るのはこっちよ。

藤村の悪業を判定する役目の上層部が、みんなやっているからだ。


車両、携帯電話、OA機器を始め

本社グループを全部数えたら数百台になるであろう自動販売機…

数がハンパないので、裏マージンや裏リベートの宝庫である。

高齢化が進む一方の上層部だが

これがあるから辞められないという一面もあるのだ。

おいしいのもだが、ケースによっては

証拠を完全に隠滅してから退職しないと晩節を汚すことになる。

よって取締役一同は藤村でなく、告発者を葬ろうとするだろう。

どうでもいい藤村をかばうより、そっちの方が早くて確実だ。



M社のチャーターたちは、今や我が物顔…

神田さんはその中で女王気取り…

藤村は相変わらずのバカ…

鬱々とした日々は続いた。

胸突き八丁、ここが辛抱のしどきというのは

夫も私も長い経験からわかっていた。


そして一週間後、正確には先週末

藤村は初めて、神田さんを向かいの工場へ納品に行かせた。

なぜ急にそんなことをしたかというと

例のごとくM社のチャーターを呼びすぎて余ってしまったから。


こんな時にどうするかを見るのも

リベートをもらっているか否かの判断基準になる。

藤村が迷わず神田さんを外して、チャーターを残したとなると

M社はお小遣いをくれる大切なお客様で間違いない。


さんざんチヤホヤした後での方向転換は

神田さんにとって屈辱だったが、従うしかない。

彼女は大きな顔をして新しい現場に行ったが

2回ほど往復した後、工場から連絡があった。

「納入場所を間違えている」

事故も怖いが、このような納入ミスも同じレベルで怖い。

規格外の異物が混入すると、場合によっては賠償問題になるからだ。


夫はすぐさま重機で駆けつけて、謝罪。

神田さんが間違って荷下ろしをした商品を引き上げて

正しい納入場所へ移した。

さしものプレデター神田も、この時ばかりは

「すみませんでした」

と夫に謝ったそうだ。


ついぞこの間、大きな口をたたいた相手に助けられて

悔しかったことだろう。

ついでに神田さんは、向かいの工場から出禁を言い渡された。

《続く》
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再び・現場はいま…3

2020年11月12日 11時12分10秒 | シリーズ・現場はいま…
藤村から疎まれるようになった神田さん。

追いかけられているうちは、嫌よ嫌よと言いながら

まんざらでもなかったらしいが

距離を置かれるようになると面白くないらしく

ふてくされた日々を過ごしていた。


藤村もまた、神田さんの運転が危なっかしいことを始め

支給された作業着を着ないことなどを夫に愚痴るのが日課になった。

まるで姑だ。


そんなある日、夫は向かいの工場へ配達に出た。

このお得意様は、事前の計画的な納入もあるが

部署によっては急な発注もある。

なにしろ近いので10分足らずで済むため

そういう時は夫が積込みの合間に対応している。


夫の留守に、神田さんが会社へ戻って来た。

オペレーターがいないので、彼女は夫の携帯に電話をした。

携帯番号を交換しているからではない。

各自の番号は、事務所に貼ってある。


「どこ行っとんね!早う積込みしんさいや!」

プレデター神田(マロンさん命名)は当たる所が無くて

今度は夫に牙をむいたのだった。

シャー!


彼女は早く積込みを終えて、再び古巣の工場へ配達に出たかったらしい。

これは、運転がヘタクソで積込みができない運転手にありがちな心境。

イライラして気がせくというのか

少し待って状況を把握する余裕が無いのだ。


夫は、神田さんの命令的な口調に腹を立てた。

「じゃかましい!配達中じゃわい!」

神田さんも負けてはいない。

「はよせぇや!」

物静かな夫も、これにはさすがにキレた。

「わりゃ何様じゃ!誰に向いてモノ言よんな!」

少し沈黙した後、神田さんは「フン!」と言うと電話を切った。


神田さんの入社以来、これまでは夫が一方的に短くしゃべって

何かを伝えることは何度かあった。

たいてい、だらしないダンプの停め方に対する指導だが

神田さんは返事をするでもなく、無視が定番。

しかし今回は、記念すべき初の会話であった。


「とんでもない女じゃ!」

私に一部始終を訴えた夫は、かなり怒っていた。

あんたが付き合ってた女たちも、似たようなもんだったけど…

と思うが、言わない。



藤村、神田さん、夫の3人は、三者三様のストレスを抱えていた。

彼らも面白くなかろうが、長男や社員は以前から

もっと面白くない状況に置かれていた。

血迷っていた藤村が毎日、神田さんを中心にした配車を組んでいるからだ。


その手法は、長男を始め社員は出仕事…

つまり、よその会社のチャーターに入らせることである。

運転手とダンプをセットにして1日8時間、貸し出すのだ。


チャーターの仕事は、きついのが常識。

忙しい時に呼んで手伝わせるのもチャーターだが

自分の会社のダンプにはやらせたくない仕事を

よそのダンプにやらせるのもチャーター。

遠い、燃料を食う、危険、車が傷む、タイヤがすり減る…

そういう現場へはチャーターを送り込み

自社のダンプを楽な現場へ回すのは

社員を優遇する意味でも、経費を抑える意味でも

経営者にとって当然の心得である。


このきつい出仕事に、わざと長男や社員を行かせるのは

ひとえに神田さんのため。

運転がヘタな彼女は、古巣の工場しか行けない。

そして彼女は、無愛想な長男を恐れていた。


問題を解決するには、長男を引き離すしかない。

そこで長男を出仕事に行かせる。

神田さんに厳しい目を向ける他の社員も、行かせる。

チャーターは早出残業が当たり前なので

神田さんの出勤前に会社を出て、退勤後に戻る。

よって長男たちが、彼女と顔を合わせる機会は無くなる。


社内の人間を外へ追い払うことで、手薄になった社内の仕事は

よそからチャーターを雇ってやらせる。

近くて楽な仕事だから、喜んでナンボでも来る。

おいしい仕事を手放したくなくて、藤村にペコペコする者も出てくる。

藤村は、これが嬉しい。

そして神田さんは、藤村が用意したペコペコメンバーに指示を出したり

ペースリーダーとして彼らを先導して走ったり、楽しくお仕事ができる。


この神田シフトによって

彼女の勘違いが増幅したのは言うまでもないが

ともあれ社員を不利なチャーターに出し

よそから雇ったチャーターに金を払って楽な仕事をさせる…

これは人心の面からも経費の面からも完全に間違った配車。

常識の逆をやっているため、同業者の間ではすでに笑い者になっている。


働く者の気持ちを全く考えず、経費を湯水のごとく使い

私情全開で何もかも滅茶苦茶にしてしまう…

藤村に配車を握られるとは、こういうことなのだ。

長男や社員の気持ちは察するに余りあるが

神田さんが入ってまだ3ヶ月にも満たないので

今のところ、彼らは自制して様子を見ている。

申し訳なく、またありがたいと思っている。


さて、ここに次男が出てこないのは、人当たりのいい彼が

藤村と神田さんのお気に入りだから。

はなはだ身勝手だが、仕事のできない人間は

そもそも身勝手なものだ。

身勝手だから、役に立たなくても平気で給料をもらえる。


そして兄弟で同じ仕事をするのは、我が家の身勝手。

兄弟が同じ会社にいたら、どうしても周りの人々に気を使わせる。

そのペナルティとして、多少の波をかぶるのは当たり前だ。

平等に扱って欲しいだの、ひどいだのと

甘ったれた不満に浸る気は毛頭ない。

そんな些細なことで感情を揺らしていたら、この業界では生きていけない。

当の次男は何ら気にせず、自分の行きたい仕事を自由に獲っては

一人で出かけている。

《続く》
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再び・現場はいま…2

2020年11月10日 12時14分44秒 | シリーズ・現場はいま…
「みんなが私をいじめる…」

神田さんは藤村に泣きついたが、彼は取り合わなかった。

別れた旦那が取引先に居るという現実が

藤村の脳内に充満していた桃色の雲を吹き飛ばしたのだ。

女性は運転が穏やかなので事故の可能性が低く、安く雇える…

彼が女性運転手に抱いていたイメージは、崩れ去っていた。


穏やかな運転どころか男より荒く

もはや藤村を含む誰もが案じる事故予備軍。

技能給や資格給、経験給の類いが付かないため

基本給だけで雇えるメリットも、すでに都市伝説。

修理代の方が高くつく。

仕事のほうは、彼女が夏まで勤めていた取引先しか行けないので

配車がうまく回らず、チャーターを雇ってカバーするから

余計な出費がかさむ。

しかも女性には言葉や態度に気を使う必要があり、何かと疲れる。

業界の常識をようやく理解した藤村だった。


本社初の女性運転手ということで、鳴り物入りで迎えたスターが

フタを開けてみれば全く使えず、経費を食いつぶすばかり。

この上、事故でも起こされたら引責は免れない。

業界の常識を理解すると同時に、神田さんが自分の立場を脅かす

危険な存在だったことにようやく気づいた藤村は

彼女を疎ましがるようになっていた。


が、ちょいと遅かった。

神田さん、近頃は社内で“班長”と揶揄されている。

彼女が前に勤めていた会社なので取り組みやすいらしく

仕事では必ず先頭を走り、仕事が終われば

チャーターの伝票を集めて取引先のサインをもらったり

取引先から勝手に翌日の予定を聞いて采配を振るったりと

すっかり親分気取りだ。

「小学校にようおるじゃん。

頼まれもせんのにプリント配ったり

みんなに指図する出しゃばりの女子が。

あれよ」

息子たちは笑う。


神田さんが小学生並みなのはともかく、すでに彼女は自分のことを

藤村に次ぐNo.2だと思い込んでいる。

のぼせている間にあれこれと夢を並べる藤村の発言が

彼女を勘違いさせてしまったのだ。

こうなったらもう、止められない。

特に女は、のさばると手がつけられない。

そのままのさばらせるか、揉めた挙句に切るかの

どちらかしか選択肢は無くなるのである。


こういうことは、よくある。

夫の愛人たちもそうだった。

妻にする、専務にするなんぞと、うっかり口にしては勘違いさせ

別れる時に詐欺と言われて揉める。

相手が愚かなほど、揉める。


藤村が女性運転手ばかりを集めるアマゾネス計画を企てていた頃

構想が現実化したあかつきには、彼女をトップに据えると約束した。

これは長男が藤村から直接聞いている。

「いずれ、この会社は女ばっかりになる。

給料の高い男は雇わないから、いい所があったら

今のうちに転職した方がいい。

神田さんの部下になるのは、嫌だろうし」


このように不用意な発言をする、それが藤村である。

発言の裏を読めば、単純な藤村の本心がわかるではないか。

藤村は神田さんに肩書きを付けるつもりであること…

彼も神田さんも長男を煙たがっていること…

つまり彼らのパラダイスをこしらえるためには

長男が邪魔だということだ。


夫も邪魔ではあるが、もう年なので退職は時間の問題。

そこで長男の追い出しを図り、奇妙なことを言ったのだが

残念ながら長男は、そんなことを言われて凹むようなタマではない。

ご期待に添えず、申し訳ないことである。


ともあれ計画が頓挫した今、藤村にとってそんな約束はとっくにホゴだが

神田さんの方はそうはいかない。

人間、自分にとって都合のいいことは、いつまでも忘れないものだ。

いずれアマゾネス軍団のトップになるつもりだから

親分の練習に余念が無い。


藤村は、これも気に入らなかった。

親分は自分のはずだからである。

自分が獲得した新しい取引先から神田さんを引き抜いたのは

内情を知っていて便利と思ったからで

自分の代わりに威張らせるためではないのだ。



さて、シュウちゃんに注意されたことを言いつけたものの

何の措置もしなかった藤村に腹を立てた神田さんは

彼と一緒に取って2人で食べていた昼食の仕出し弁当を解約した。

彼女なりの報復であるらしかった。


冷える一方の藤村と、ますます燃える神田さん。

2人の間の溝は日増しに深くなり

孤立した藤村は、夫にすり寄るようになった。

「神田さんに辞めてもらうには、どうしたらいいか」

今のところ、すり寄って相談するのはこれ。

もちろん、神田さんを辞めさせるにあたって

自分は無傷であることが大前提。

夫に変わって人事権を得たとはいえ、彼は人事のことを何も知らない。

威張って面接するのを知っているだけだ。


とはいえ、よそへ勤めた経験が無い夫もまた詳しいわけではない。

そこで質問は、OL時代になぜか面接もやっていた私に回ってくる。

「いったん入社させた正社員を

こっちの都合で辞めさせることはできない。

何かできるとしたら配置転換しか無い」

藤村にはそう伝えるよう、夫に進言。

配置転換の権限など、藤村にありはしない。

本社に配置転換を頼んで、怒られたらいいのだ。


一方で神田さんも孤立していた。

当たり前だ。

最初から藤村の言うことを鵜呑みにして、夫のことを

“会社が潰れそうになり、お情けで雇ってもらっている年寄り”

と認識しているため、見下げて口をきかず

おはよう、さよならの挨拶もしない。

息子たちも社員も同じ扱いだったので

今さら彼女を相手にする者はいない。


そこで目下の仲間は、チャーターの数人。

藤村の悪口大会で盛り上がっているらしい。

しかしその内容はもちろん、藤村の耳に入っている。

こういうことは、伝わるものなのだ。


それによれば藤村は、詐欺だそう。

罪状は、約束したのになかなか上の肩書きを付けてくれないことと

まだ修理して欲しい所があるのにそのままであること。

神田さんにとっては、これが詐欺ということになるらしい。


藤村は詐欺と聞いて恐れおののき、ますます夫にすり寄った。

改心したのではない。

揉める前に夫に近づいておいて

何もかも夫のせいにできる土壌を作っておかなければ

自分が危ないからだ。

そして神田さんをますます嫌うようになった。

《続く》
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再び・現場はいま…

2020年11月08日 10時14分53秒 | シリーズ・現場はいま…
決算が終わり、昼あんどんの藤村が

大赤字でクビになるかと楽しみにしていたら、何も起きなかった。

なぜならトータルでは、かろうじて黒字だったからだ。

藤村が独断でやり始める前の「貯金」が、ヤツの暴挙をカバーしていた。

それを自分の手柄と思い込み、いい気になる藤村。

残念だ。


さて現場は今、神田さんが熱い。

48才、バツイチ、孫ありの新人女性運転手、神田さんである。

8月の盆明けに入社して以来、彼女は一生懸命

頑張っておられるそうだ。

本人がそう言うのだから、そうなのだろう。


9月の初め、彼女に与えられた新車の大型ダンプは

すでに何度も修理を繰り返している。

端的に言えば、ヘタだからだ。

にもかからわず、ぶっ飛ばすので

社員や同業者はもとより、通り道で行き交う他人までが

事故を心配している。

息子たちは、ある資格の申請をわざと引き延ばしている。

この資格を取ったら、責任が彼らに及ぶ恐れが出るからだ。


ヘタクソは、ぶっ飛ばすものなのだ。

彼女が前の会社でやっていた仕事は

郊外の山合いにある会社から

山間部の仕入れ先まで商品を取りに行く往復。

広くて交通量の少ない道路を走っていればよかったので

実力を問われることは無かった。


しかし彼女は今回、沿岸部の会社、つまり我が社に転職した。

運搬先は今まで通り、彼女が前に勤めていた会社だが

今度は町の中を通り抜けなければならない。

田舎町でも山奥村より人や車は多く、信号もたくさんある。

ヘタクソがヘタクソと呼ばれる所以は

慣れない場所や苦手な場所を少しでも早く通り抜けようと

無意識にスピードを出してしまうところにある。


この癖を持つ者は、何年やっても上達することはない。

つまり向いてないのだ。

向いてないのだから、頭の中は早く走って終わることでいっぱい。

大型車両が周辺に及ぼす音響や風圧などの影響なんて、考えられない。


毎回、砂ぼこりを舞い上げながら会社に戻ってくる彼女を見かねて

我が社の最年長、72才のシュウちゃんが注意した。

「スピードを緩めて、もうちょっと静かに入りんさいや」


シュウちゃんの注意は正しい。

彼女が今まで働いていた、ポツンと一軒家状の所と違い

うちの会社の向かいには工場がある。

ISO基準を満たした、言うなれば社内の環境にも厳しいが

社外にはもっと厳しい工場で、我が社のお得意様の一つである。


この工場は火を扱うので、粉塵(ふんじん)を嫌う。

粉塵とはチリ、ホコリの類だ。

お掃除パタパタのチリ、ホコリではなく

砂ぼこりや道路の磨耗で生じる微細なアスファルト片などのことである。

これらの粉塵、つまり微粒子は火気と相性が良い。

砂ぼこりやアスファルト片だけでなく、小麦粉でも爆発が起こるのだ。


もちろん粉塵が発生すれば、即爆発というわけではない。

距離は十分あるし、常識的に考えても起こり得ない。

しかし企業として予防する姿勢は、世間体を整える意味で大切だ。

よって工場も我々も、粉塵に対する意識は高い。


が、それ以前に構内、つまり会社の敷地は徐行が鉄則だ。

これは、どこのどんな会社でも同じである。

スピードを緩めないまま構内に飛び込んでくる神田さんに

注意をする者はいない。

藤村は何も知らないし、夫は彼女と口をきかないからだ。

そこでシュウちゃんが、親切で注意したのだった。


神田さんは、これにキレて叫んだ。

「一生懸命やりよるのに、女じゃ思うてバカにしやがって!

お前らが陰でウチの悪口言いよるんは知っとるんど!」

この発言により、神田さんは一生懸命やっているつもりで

彼女の一生懸命は、飛ばすことだと私は認識したのだった。


ちょうどその場に居合わせた長男は

“お前ら”と言うからには、自分も入っていると思い

シュウちゃんの仇を討つべく2人に近づいた。

そしてきつい一言でとどめを刺すのを楽しみに

神田さんの矛先が自分に向けられるのを待った。

しかし神田さんがきびすを返し

事務所に座る藤村の所へ駆け込んだので、反撃のチャンスは失われた。


「下品って、ああいうことを言うんだね」

帰宅した長男が、私に報告する。

「あなたの母親は上品だから、さぞ驚いたざましょ」

そう言ってみたものの、返事が無かったのはさておき

神田さんの一生懸命発言は、間違っている。

自分なりの一生懸命を通せばいいというものではない。


彼女は男並みの給料が欲しくて、自ら男の世界に入ってきた。

それなら、男並みの仕事をするのが当たり前だ。

女だと思ってバカにする者は誰もいない。

彼女がバカにされていると感じるなら

男に追いつこうとする努力を怠り、女を武器にして甘える狡さが

そう感じさせているだけである。


神田さんは、藤村に泣きついた。

「みんなが私をいじめる…」

しかし藤村は、もう以前の鼻の下を伸ばした藤村ではなかった。

その数日前、神田さんのプライベートについて

衝撃的なことを耳にしていたからだ。

神田さんがアルバイトとして8月まで勤めていた会社に

彼女の別れた旦那が工場長として勤めているという事実である。


我々は次男から聞いて知っていたが、藤村には黙っていた。

「世の中にはそういう人もいる」

その程度の印象であり

わざわざ藤村に聞かせるほどのことではないと思っていたからだ。


神田さんの前職であり、神田さんの別れた旦那が勤める会社は

今や我が社の新しい取引先となっている。

何も知らなかった藤村は、そこへ足しげく出入りするうちに

その会社の人から聞いたのだった。


民族性の違いなのか、離婚と再婚を何度も繰り返して

今は独身だからなのか、そこのところは不明だが

藤村は大変なショックを受けたらしい。

結婚や交際といった真面目なものでなく

遊び相手として神田さんを狙っていた藤村は

毎日のように顔を合わせる男が神田さんの前夫と知って

気分が一気に氷点下。

彼女を以前のようにチヤホヤしなくなった。


《続く》
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大人のチラシ知育・4

2020年11月04日 08時41分26秒 | みりこんぐらし
大塚君はなおも続けた。

「120万なんて、もったいないでしょ?

リースにして、また新車に乗った方がいいですよ」


これは、いきなり高額な清算額を告げて

買い取りの意思を萎えさせ、次のリース契約に持ち込む手口である。

長男が選んだ車の値段は、約250万円。

5年間、リース料の4万5千円を払い続けたら、総額は270万円。

その差額20万円と、残クレ清算額の120万円を足すと140万円。

つまり合計390万円を払って、250万円の車を買うことになる。

高い買い物だ。


しかし文句は言えない。

こういう結果になっても従うと、契約時に印鑑を押しているからだ。

契約書に小さい字で印刷された内容を

しっかり読んで判断するような人間は、リースを利用しない。


売り手にとって、ポンと車を買うお客はありがたいが

こういうお客は心変わりも早い。

次の車は、よそのメーカーに乗り換える可能性があり

それを売り手が阻止することはできない。

しかしリースだと、期間終了後の買い取りができなくて

あるいはまとまったお金を用意するのを躊躇して

契約を続けてくれる可能性が高い。


リース契約という名前で目先を転換しているものの

実はクレジットで車を販売しているのだから、その時点で利益は出ている。

リース契約で縛れば3年あるいは5年に1回、必ず買ってくれ

よそへ浮気はしない。

売り手は、乗り手が残クレ清算して買い取っても儲かるが

次のリース契約をしてくれたら、ずっと儲かり続ける仕組みなのだ。

サラ金もそうだけど、借りたものを完済されたら

儲けはそこでストップする。

いつまでもズルズルと借り続けてくれるお客が、一番儲かる。

売り手にとってリースのお客は、絶対逃げない確実なお客なのだ。



さて、友達だと思っていた大塚君の見下げた物言いに

長男はますます嫌気がさし、頑として買い取りを主張。

半年後の満期を待って車を買い取ったが、その時も穏やかではなかった。


大塚君から、清算金の支払いと所有権解除の手続きに会社へ来いと言われ

休みを取って、はるばる都市部にある大塚君の会社へ出向いた長男。

所有権解除とは、清算金支払いの確認後

クレジット会社が車の所有権を手放すことである。


残クレを清算し、所有権解除の手続きをしたら

今度は車を長男の名義に変える、名義変更の手続き。

長男は人の機嫌を気にするタイプではないが

大塚君を始め、支社の人々は素晴らしく冷淡だったという。

次を契約しないヤツは、どうでもいいらしい。


このような契約終了時の手続きは

町のディーラーでリース契約したのであれば町内で済むが

大塚君の所は石油メーカーなので、田舎に支社が無い。

向こうに来る気が無い場合、こちらが行くしかないのだった。

契約前は足しげく通って来て、やめるとなったらお前が来い…

よくあるパターンだ。


残クレ清算額が120万円と聞かされた時点で

長男は中古車販売店を自営する友達に相談していた。

大塚君の手のひら返し以降、キレそうになる長男をなだめ

仕組みを説明しながらアドバイスをしてくれたのも彼であった。

その彼によれば、大塚君の会社が名の知れた大手企業であっても

車のリースでは後発。

つまり自動車メーカーがリースで利益を上げるのを見て遅くに始めたので

システムや教育が、まだ追いついてないのだろう、ということだった。


名義変更が終わると、長男はいまいましい車をその友達に預けた。

走行距離が少なく状態も良かったので、車はすぐに売れた。

長男はそのお金を元手に、彼の店で別の車を買った。


こうして長男はリース契約から足を洗い、大塚君との友情も終わった。

いや、友達だと思っていたのは長男だけで

大塚君にとって長男は、一人のお客に過ぎなかったのかもしれない。

苦い経験だったが、知って良かったと

彼は今でも話している。



人間の見栄と欲に際限は無い。

精神的、経済的に未熟な人間がひとたびリースに関わると

人生がしんどいものになる。

自動車税を払わなくていいので

排気量を気にして小さい物を選ぶ必要が無いため

車は新しい契約のたびにグレードアップして、リース料も増えていく。

それこそが売り手の目当てであり、そうなるようにチヤホヤして

リースの継続とグレードアップに心血を注ぐ。


やがて生活費と家賃とリース料が、同じ割合に近づく。

貯金なんて無理、支払いで手一杯。

そういう時に限って物入りがあるもので、リース料が滞り始める。

行きはよいよい、帰りは怖い…

組むのは容易いが、取り立ては厳しいのがリースのクレジット。

蓄えが無ければ、借金をしてリース料を払うしかなくなり

今度はリース料に加えて借金の返済が始まる。

さあ、安アパートでラーメンをすすり、ボロをまとって

車だけはピッカピカの暮らしが待っている。


独身ならまだいいが、家庭があれば存続の危機は間違いなし。

それが本望であれば構わないが、そうでなければつらいと思う。

どこかで大金を払ってリースに別れを告げなければ、一生このままだ。

いや、一生ではない。

高齢になってクレジットの審査が通らなくなるまでである。


長くなってしまったが、そういうわけで

個人向けリースのチラシを見ては心配になり

なんやかやと言わずにはいられない我々母子なのだ。



そんな我々が、ひと頃注目していたのはケーキ販売のチラシ。

町の公園や施設の駐車場など、色々な所で

北海道のパティシエが作った美味しいホールケーキを

冷凍で運んで来て販売するという。

ケーキは何種類かあり、それぞれ15個だか20個だかの数量限定。

販売日は1日限りで、午前は公園で15分だか30分

午後は中学校前の駐車場で、やはり15分だか30分と販売時間は短い。


チラシはカラー印刷のしっかりしたもので、お金がかかっている。

この綺麗なチラシを新聞に入れ

人と車を使って15個だか20個だかのケーキをチビチビ売って

採算が取れるはずがないと、大いに怪しんでいた。

本当にケーキが売りたいのなら道端ではなく

スーパーと交渉して入店販売を行えばいいではないか。


で、チラシが入るたびに何回も怪しんでいたら

自然にわかってくるもので

このケーキのチラシが入った数日後には必ず

とある物品販売のチラシが入ることが判明した。

空き店舗を借りて食パンや天ぷら油を配って人を集め

高い健康食品や健康器具を売りつけるやつだ。


ケーキの販売は、その地区にどれだけ

財布の緩いバカがいるかを調査するためだと我々は踏んでいる。

出処のはっきりしないケーキを買いに来るのは

限定販売に弱く、暇で物見高い人々だからだ。

現在はコロナのため、人をたくさん集めることができなくなったので

このチラシは入ってない。

まったく、チラシは世情を映す鏡である。

《完》
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大人のチラシ知育・3

2020年11月02日 14時39分33秒 | みりこんぐらし
長男は、リース契約を決行した。

相手は自動車メーカーでなく、石油メーカーなので

好きなメーカーの好きな車種が選べるそうだ。

彼はファミリータイプのワンボックスカーを選んだ。

無料車検の特典は付けず、5年契約で月々4万5千円。

安くはないが、独身で実家暮らしの彼にとって

難しい金額ではない。


我々親は、身分不相応な高級車を選ばなかったことに

とりあえず安堵した。

独身の長男が、大人数乗りの車をあえて選んだのは

今後、病気の祖父母を運ぶ機会が増えるからだと聞き

それ以上は何も言えなかった。



新車が届いて2ヶ月後、長男に悲劇が訪れる。

前から危なかった義父アツシの会社が、最初の倒産危機を迎え

手形を落とすために長男が乗るダンプを売却することになったのだ。

運転する車を失った長男は、自動的に無職ということになる。


彼がリース契約をすると言い出した時

我々夫婦がいい顔をしなかったのは、この事態を予測してのことだった。

当時は円高の影響で、海外に輸出する中古のダンプを

即金で高く買い取る業者がたくさんいた。

もしも会社が危なくなって売り飛ばすことになったら

息子たちのダンプに白羽の矢が立つのは間違いない。

社員、つまり他人だと退職金が必要になる。

売却金が手形を落とすためでなく、そっちに流れてしまうではないか。

だから身内を泣かせるしかない。

そしてそれは、一番古い長男のダンプ以外に無いと思っていた。


ダンプが売られた日、長男は黙って会社を去った。

母親としては不憫に思ったが

一度目の倒産危機をダンプの売却金で免れた今

これから訪れるであろう大波を前にして

甘ったるい感傷に浸るわけにはいかない。


多少なりとも経営者の身内として恩恵を受けてきた者には

経営者の身内として負うべき試練もある…

それが嫌であれば、よそへ勤めればいいのだ…

これを昔から、口が酸っぱくなるほど言い聞かせてきた。

だからなのか、生まれつきの性格なのか

長男は泣き言ひとつ言わず、淡々としていた。


が、我々も長男も、そこで心配になったのがリース料。

当面は何とかなるだろうが、なにしろ無職君だ。

我々は親の生活と会社の面倒で手一杯。

この子のリース料まで知らんわ…

と思っていたら長男、数日後には近所のガソリンスタンドに転職したので

リース料の心配は無くなった。

社長は昔から知り合いのいい人で、給油に来た長男と世間話をしている時

無職になったのを知って、明日から来いと言われたのだ。


社長には、若くして亡くなった息子がいた。

体格や顔立ちが長男とよく似ているということで

非常にかわいがってくれた。

やがて本社との合併が行われ

長男が乗る新車のダンプが出来上がって呼び戻されるまでの2年弱を

彼はそこで過ごすことになる。

長男が会社に戻って数ヶ月後、社長は急病でこの世を去った。



以後は何事もなく過ぎ去り、やがてリース生活は4年目に突入。

この時、大塚君が動いた。

「リースはあと半年で終わります。

残(ざん)クレ清算で買い取るか、次の新車をリースするか

決めておいてください」

長男に、買い取りか、再び次の新車をリース契約するかの岐路が訪れたわけ。


残クレ清算で買い取るとは、ローンの残りを一括返済すること。

“クレジットの残金”という意味で、残クレだ。

一括返済してローンを無くすことが

すなわち今乗っている車を買い取るということになり

自分が正当な所有者となるのだ。

この辺が曖昧でわかりにくいため

リース初心者は、満期が近づいて初めて知ることになる。


ちなみに次の新車を選んで、再度リース契約した場合

残クレの存在は消える。

現在乗っている車を返却したら、中古車として販売されるため

それで相殺されるのだ。


その車はもちろん、残クレ清算額より高値で売られる。

だからリース契約の乗用車は、何年で何万キロ以下と

走行距離の制限が設けてある。

厳しい制限ではないが、あんまり走ってもらっちゃ

中古車で売りにくくなるので、チラシには一応書き添えてある。



さて、長男は大塚君に、買い取るつもりだと告げた。

乗り飽きた車をぜひ買い取りたいわけではないが

リース契約が嫌になったのだ。

最初の頃に、突然無職になるスリルを味わったからではない。

車の車検証に記載された所有者が、クレジット会社になっているからである。


ダンプ乗りは、車検証にこだわる。

“部屋とワイシャツと私”の歌じゃないけど

ダンプと車検証とボクは、常に三位一体なのだ。

仕事をするには、この3つが必要不可欠で

ダンプの性能とボクの技術があっても

事前に車検証のエントリーをしなければ現場に入れないからである。

大塚君に良かれと思い、足を踏み込れたリースの世界だが

長男は車検証の名義がクレジット会社なのが気に入らず

恥ずかしいとまで思っていた。


次の契約を渋る長男に、大塚君はたたみかける。

「期間終了前の今なら、高級車が割引き料金でリースできます。

今より2万円多く出すだけで、クラウンですよ」

彼が、今の車よりバージョンアップさせて

何が何でもリース契約を継続させたいのはわかったという。

長男はこの時に悟ったそうだ。

「大塚君の言いなりになってリースを続けていたら、一生貧乏暮らしだ…」


そこで、もうリースはやめたいから買い取るのだと話した。

すると大塚君は言った。

「買い取るなら、残クレは120万ですけど

用意できるんですか?」

70万から80万くらいだろうと踏んでいた長男は、予想を上回る金額にもだが

大塚君の冷ややかで見下げたような口調に驚いた。

個人でリース契約をした者は

リース料の支払いに追われて貯金が無いという不文律があるのか

いかにも「お前には払えないだろう」と言いたげな

大塚君の手のひら返しだった。

《続く》
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大人のチラシ知育・2

2020年11月01日 10時54分07秒 | みりこんぐらし
どうして我々は、個人向けの車のリースを憂慮するか。

リースにはカラクリがあり、経済的にしっかりしていなければ

生活が破綻する恐れがあるからだ。

逆に言えば、経済的にしっかりしている人はリースを利用しない。

損だからである。


カラクリの餌食になるのは、世間知らずの若い人。

詳しい内容を知ろうともせず、経済的な準備も無いまま

新車を乗り回したい一心で契約してしまうと

やがては借金地獄に陥る可能性がある。

そういう人たちが増えたら自殺も増えるだろうし

軽傷であっても結婚どころではなくなり、子供も増えない。

日本の未来が危ないではないか。


とはいえリースには、メリットがあるのも確か。

まず、手元に現金が無くても憧れの新車に乗れる。

ここがそもそも間違いの元で、車を買うお金が無ければ

ボロ車か自転車で我慢するのが正しい経済生活だ。


それから、毎年の自動車税を支払わなくてもいいというのも

リースの長所。

自動車税の納付書が来なければ、そりゃ嬉しい。

けれどもチラシの小さい文字をよく見ると

○○オートローン、○○クレジットなどと

頭に自動車メーカーの名前を付けたクレジット会社や

よく耳にする信販会社の名前と共に、高い金利が記載されている。


とりわけメーカーの名前が付いていると

うっかりメーカー直の機関と思って信用してしまいがちだが

系列が同じでも、別会社の金貸しだ。

リースと言ったら聞こえはいいけど

実際はクレジット会社でお金を借りて

3年または5年のローンを組むことなのだ。


ローンが終わるまでは、そのクレジット会社が所有者になる。

自動車税は乗っている人ではなく、所有者が払うものだから

クレジット会社が払うのが当たり前。

だから自動車税を払わなくていいというわけだ。


そしてリースのローンは、審査が甘いことでも知られている。

買うためにローンを組むのであれば審査は厳しいが

リースだと、たいていの人は審査に通る。

顧客は貧しくても新車に乗れて、車のメーカーは顧客が拡大できる…

顧客とメーカーの双方がウィンウィンの関係に思えるが

現実は、お金が無いのに新車に乗りたい見栄っ張りと

そのような人々をそそのかして儲けるメーカーの二者がいるだけなのだ。


さらに契約内容によっては、車検も無料になる。

車検代がいらなければ、どんなにいいだろう。

そりゃ経済オンチは飛びつく。

しかしこれも厳密に言えば、月々の支払いに3年後の車検代を分割し

その金額を上乗せして積み立てているのだ。

よって月々のリース料は、どうしても割高になる。


つまり車を持つにあたって付きまとう経済的な悩みが、リースには無い。

これを魅力ととらえるか、罠ととらえるかの話である。


もちろん収入やライフスタイルによって

リース料がもたらす経済的な負担は異なるし

このシステムを上手に活用して、楽しいカーライフを送る人もいる。

そういった人々はさておき、総支払額も金利も意識しないまま

リース契約をするのは危険だ。


というのも、うちに一人、リースに関わるとどうなるか

止める時はどうなるかを実体験した者がいるのだ。

それでつい、リースのチラシに熱くなる。

体験者、それは長男である。


10年ほど前から我々は、ダンプに注入する「尿素」という液体を

とある石油メーカーの地方支店から購入していた。

尿素とは、ダンプの排気をクリーンにする薬剤。

その数年前から、地球温暖化を防ぐ活動の一端として始まった。

大型のダンプやトラックは、これを定期的に注入するよう義務付けられ

近年の大型車は皆、尿素を注入する作りになっている。


「おしっこじゃ、いけないの?」

本社との合併後、尿素と聞いて

真顔でそうたずねたのは経理部長のダイちゃん。

今にして思えば、こんなあんぽんたんに経理を任せていた本社が

人材の墓場になるのは時間の問題であった。


ともあれ尿素はガソリンスタンドには売ってないので

石油メーカーから直接、大量購入するしかない。

この尿素が縁で知り合った石油メーカーの営業マン

大塚君は、プライベートでも息子たちと交流していた。

彼と年齢の近い長男は特に親しく、その「親しい」には

一緒に遊ぶ親しさもあったが、仕事関係の知り合いを紹介して

大塚君の営業に貢献する親しさもあった。


しばらくして大塚君は、長男に乗用車のリースの話を持ちかけた。

会社で個人向けのリースを扱うようになり、ノルマがあるという。

ちょうど車の買い替え時期だった長男は、その話に乗った。


我々親は、仕事でリース車を使った経験がある。

リースのシステムにまんざら無知ではないので、一応は止めた。

まず、そこからお話しさせていただこう。


会社の景気が悪くなると、社用車を始め

トラックやダンプなど仕事用車両の新規購入が難しくなる。

車を買うより借金払えということで、銀行がお金を貸さなくなるからだ。

そこで審査の甘いリースを利用するようになる。

ディーラーもその辺は心得ていて、早くから仕事用車両のリース事業を推進してきた。

車種によって異なるが、たとえばダンプのリース料だと月々35万円前後。


仕事用の車両は、長い年月を経ると故障が増える。

古いポンコツを修理に入れると、その間は水揚げゼロ。

しかし損害はそれだけではない。

乗り手を休ませて月給を払い続け

さらにはリース料と同じくらいか、それ以上の修理代を毎月のように払う。

こんな割に合わないことを続けるより、高いとわかっていてもリースで新車を入れ

リース料の10倍以上の売り上げを出す方が得策である。


そして契約によって年数は違うが、数年後にリース期間が終われば買い取る。

その金額は数百万だが、車はまだまだ元気に稼いでくれるのだから

買い取って、さらに稼がせるのが常識だ。


このように法人にとって非常に便利なリースは

うちだけでなく多くの同業者が利用していて、重機もリースという所が増えている。

新車を買い、4年かけて減価償却するという従来のやり方よりも

今やリースの方が主流になりつつあるのだ。


法人は毎月のリース料を手形、あるいは口座引き落としで経費から支払う。

経費で処理できる法人にとっては便利でも

自分の給料から身銭を切る個人のリース契約は違う。

1円も稼がない車に、高いリース料を払ってまで乗る価値があるのか…

リース期間の途中で万が一、無職になってもリース料は払わなければならない…

所有者はクレジット会社なんだから、売り飛ばすこともできない…

我々夫婦は以上のことを長男に説明し、よく考えるように言った。


しかし当時の長男は、まだ若かった。

大塚君との友情を持ち出し、どんなものか一度やってみると言うので

じゃあ好きにしたら…と言うにとどまった。

《続く》
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする