松木氏が古巣の生コン工場に転属願いを出した時点で
本社は新たな人材を募集するようにと言ってきた。
10月に退職したスガッちと同じく、夫に代わって重機を操縦できる人である。
スガッちが大企業のOBと聞いて飛びついた本社だったが
あまりにも使えなかったので、重機オペレーターの募集は諦めたはずだった。
だから夫がやっていた簡単な事務処理や電話番を代行させるために
旗野さんを雇った。
しかし松木氏がいなくなると、夫に負担がかかる…
やっぱり重機ができる人も入れよう…
本社はコロッと考えを変えたのだった。
松木氏がいなくなるのは、夫にとって歓迎すべきことだった。
つまらぬことに尾ひれをつけて本社にチクり、あと先を寝て過ごす松木氏は
夫にとって鬱陶しい存在以外のなにものでもない。
しかし本社は、そう思ってない。
松木氏が自身の経験を生かして常に夫を支え、時に指導もして社内の尊敬を集める
会社にとって無くてはならない存在と信じている。
彼は裏表二つの顔を駆使して、それほどうまく立ち回っていたと言えよう。
本社もまた、彼の自己申告の真偽を確認するつもりは無い。
直接雇用の彼と、合併した馬の骨である我々は
本社から見れば娘と嫁みたいなものだ。
嫁が主張する真実よりも、娘の嘘を簡単に信じるのが親の本能だということを
私は身に染みて知っている。
この原則を知らなければ、「なぜ?どうして?」の疑問に苦しみ続け
膨らんだ疑問がやがて爆発するのは必然なので
この10年を無事には過ごせなかっただろう。
ともあれ我々にとって重機オペレーターの募集は、いささかの僥倖であった。
合併を繰り返して大きくなった本社は、合併先の会社に必ず本社直轄の営業所を開設する。
そして中途入社の変なオジさんを見繕い
営業所長という名のスパイに仕立てて送り込むのが常套手段だ。
営業所は本社直轄なので、その人事に口を出すことはできず
合併後の我々は、これに苦しんできたと言っても過言ではない。
松木氏の代わりだと言って、また変なのを投入されたり
万が一、藤村がカムバックなんてことになったら
一家で辞める覚悟をしていたが、それは免れたからである。
とはいえ、藤村カムバックの可能性は低かった。
運転手のヒロミに事務員の旗野さん、うちには2人の女性がいるからだ。
ヒロミが猿のようであろうと、旗野さんが力士のようであろうと、女は女じゃ。
ヘンタイ藤村の毒牙から、複数の女性を守らなければならない…
夫はその建て前を武器に、藤村の配属をブロックするつもりだった。
そもそも夫が旗野さんの採用に反対しなかったのは
藤村ブロック作戦に使う女性が、モンキー・ヒロミだけでは心もとないからだ。
が、松木氏の後任を選出する話にはならなかったので、藤村のカムバックも杞憂に終わった。
さて、こうして夫の交代要員を務める重機オペレーターを募集することになった。
とはいえ本社の方は募集をする、すると言いながら、来るわけないと思っている様子。
募集はあくまでも、建て前だからである。
なぜなら64才の夫が倒れでもしたら、年寄りをこき使ったということになり
労災認定は必至。
それを回避するためにハローワークに募集を出して
一応の努力はしたという証拠固めの意味合いが大きかった。
夫もまた、即戦力のオペレーターが希少なことを知っているので
何の期待もしていなかった。
良いオペレーターは、良いキャッチャーと同じだ。
会社の利益が出るように動く知識と技術に加え、温厚かつ冷静な性格が求められる。
そのような人材は、勤務先が手放さないからだ。
一方、ブラブラしている経験者や転職したがるオペレーターは
難有りの人物である可能性が高い。
口が過ぎて職場の和を乱したり、現場管理の立場を利用して
裏で私腹を肥やす癖が付いていたりする。
そのような人に引っ搔き回されたり、再びスガッちのような
口だけ達者で実技はサッパリみたいなのに消耗させられるのは、夫にとって恐怖だ。
そもそも夫は仕事がしんどいだの
たまには誰かに代わってもらいたいだのと考えたことが無い。
変なのが来て滅茶苦茶にされるより、自分が動く方がよっぽど楽なので
今のままでいいと思っていた。
が、就職希望者は早くも出現した。
以前、取引先でオペレーターをしていたシゲちゃん、56才の独身。
10月に辞めたスガッちとは以前、同じ会社で働いていた。
その会社のことは、一度、記事にしたことがある。
30年余り前、義父アツシが土地を購入して、東京から誘致した大手企業の工場だ。
しばらくは良かったが、やがてアツシの会社は
町内にある某組の企業舎弟になったライバル会社に仕事を奪われてしまった。
そして10年前、すっかり組に牛耳られた工場は閉鎖が決まる。
現地雇用のシゲちゃんは、その時に解雇されて転職し
本社雇用のスガッちは、市外にある支社へ移動になった経緯がある。
シゲちゃんには軽い吃音があり、人と話すのが苦手なので
職場ではいじめられていた。
ライバル社の社長父子もシゲちゃんをバカにして
おもちゃのエアガンで狙い、彼を撃って遊ぶのが日課だった。
この父子を恐れて誰も注意しないので、見かけた時は義父や夫が止めていたものだ。
工場を解雇になったシゲちゃんは、畑違いの宅配の仕事に就いて頑張っていたが
数年後にそこは閉鎖された。
再び解雇の身となった彼が夫の所へ相談に来たので、親戚の土木建築会社を紹介し
重機オペレーターとして就職したのは4年前のことである。
が、シゲちゃんは数日で辞めてしまった。
彼からは何の報告も無いままで、親戚からも文句を言われた夫は
「恥をかかされた」と言って腹を立てていたものだ。
けれどもシゲちゃんの事情もわかる。
土木の仕事って、言葉や合図で頻繁にコミュニケーションを取りながら進めるのが常識。
そうしないと危ないからだ。
コミュニケーションが苦手なシゲちゃんに、土木は無理だったと思う。
そのシゲちゃんが先日、次男に電話をかけてきた。
スガッちが辞めたのと、オペレーターの募集をどこかで聞いたらしい。
次男はシゲちゃんがエアガンの的になっていた頃
なぜか毎年、二人で山口県までフグを食べに行く仲だったので
他の者よりも話しやすかったようだ。
無口なシゲちゃんのことだから、数年ぶりの電話で積極的な売り込みはできない。
夫への不義理も気にしているようで、かなり控えめだったらしい。
「はっきりせんのじゃけど、言ってることを総合したら
何だかこっちへ転職したいみたい」
次男は夫にそう伝えた。
《続く》
本社は新たな人材を募集するようにと言ってきた。
10月に退職したスガッちと同じく、夫に代わって重機を操縦できる人である。
スガッちが大企業のOBと聞いて飛びついた本社だったが
あまりにも使えなかったので、重機オペレーターの募集は諦めたはずだった。
だから夫がやっていた簡単な事務処理や電話番を代行させるために
旗野さんを雇った。
しかし松木氏がいなくなると、夫に負担がかかる…
やっぱり重機ができる人も入れよう…
本社はコロッと考えを変えたのだった。
松木氏がいなくなるのは、夫にとって歓迎すべきことだった。
つまらぬことに尾ひれをつけて本社にチクり、あと先を寝て過ごす松木氏は
夫にとって鬱陶しい存在以外のなにものでもない。
しかし本社は、そう思ってない。
松木氏が自身の経験を生かして常に夫を支え、時に指導もして社内の尊敬を集める
会社にとって無くてはならない存在と信じている。
彼は裏表二つの顔を駆使して、それほどうまく立ち回っていたと言えよう。
本社もまた、彼の自己申告の真偽を確認するつもりは無い。
直接雇用の彼と、合併した馬の骨である我々は
本社から見れば娘と嫁みたいなものだ。
嫁が主張する真実よりも、娘の嘘を簡単に信じるのが親の本能だということを
私は身に染みて知っている。
この原則を知らなければ、「なぜ?どうして?」の疑問に苦しみ続け
膨らんだ疑問がやがて爆発するのは必然なので
この10年を無事には過ごせなかっただろう。
ともあれ我々にとって重機オペレーターの募集は、いささかの僥倖であった。
合併を繰り返して大きくなった本社は、合併先の会社に必ず本社直轄の営業所を開設する。
そして中途入社の変なオジさんを見繕い
営業所長という名のスパイに仕立てて送り込むのが常套手段だ。
営業所は本社直轄なので、その人事に口を出すことはできず
合併後の我々は、これに苦しんできたと言っても過言ではない。
松木氏の代わりだと言って、また変なのを投入されたり
万が一、藤村がカムバックなんてことになったら
一家で辞める覚悟をしていたが、それは免れたからである。
とはいえ、藤村カムバックの可能性は低かった。
運転手のヒロミに事務員の旗野さん、うちには2人の女性がいるからだ。
ヒロミが猿のようであろうと、旗野さんが力士のようであろうと、女は女じゃ。
ヘンタイ藤村の毒牙から、複数の女性を守らなければならない…
夫はその建て前を武器に、藤村の配属をブロックするつもりだった。
そもそも夫が旗野さんの採用に反対しなかったのは
藤村ブロック作戦に使う女性が、モンキー・ヒロミだけでは心もとないからだ。
が、松木氏の後任を選出する話にはならなかったので、藤村のカムバックも杞憂に終わった。
さて、こうして夫の交代要員を務める重機オペレーターを募集することになった。
とはいえ本社の方は募集をする、すると言いながら、来るわけないと思っている様子。
募集はあくまでも、建て前だからである。
なぜなら64才の夫が倒れでもしたら、年寄りをこき使ったということになり
労災認定は必至。
それを回避するためにハローワークに募集を出して
一応の努力はしたという証拠固めの意味合いが大きかった。
夫もまた、即戦力のオペレーターが希少なことを知っているので
何の期待もしていなかった。
良いオペレーターは、良いキャッチャーと同じだ。
会社の利益が出るように動く知識と技術に加え、温厚かつ冷静な性格が求められる。
そのような人材は、勤務先が手放さないからだ。
一方、ブラブラしている経験者や転職したがるオペレーターは
難有りの人物である可能性が高い。
口が過ぎて職場の和を乱したり、現場管理の立場を利用して
裏で私腹を肥やす癖が付いていたりする。
そのような人に引っ搔き回されたり、再びスガッちのような
口だけ達者で実技はサッパリみたいなのに消耗させられるのは、夫にとって恐怖だ。
そもそも夫は仕事がしんどいだの
たまには誰かに代わってもらいたいだのと考えたことが無い。
変なのが来て滅茶苦茶にされるより、自分が動く方がよっぽど楽なので
今のままでいいと思っていた。
が、就職希望者は早くも出現した。
以前、取引先でオペレーターをしていたシゲちゃん、56才の独身。
10月に辞めたスガッちとは以前、同じ会社で働いていた。
その会社のことは、一度、記事にしたことがある。
30年余り前、義父アツシが土地を購入して、東京から誘致した大手企業の工場だ。
しばらくは良かったが、やがてアツシの会社は
町内にある某組の企業舎弟になったライバル会社に仕事を奪われてしまった。
そして10年前、すっかり組に牛耳られた工場は閉鎖が決まる。
現地雇用のシゲちゃんは、その時に解雇されて転職し
本社雇用のスガッちは、市外にある支社へ移動になった経緯がある。
シゲちゃんには軽い吃音があり、人と話すのが苦手なので
職場ではいじめられていた。
ライバル社の社長父子もシゲちゃんをバカにして
おもちゃのエアガンで狙い、彼を撃って遊ぶのが日課だった。
この父子を恐れて誰も注意しないので、見かけた時は義父や夫が止めていたものだ。
工場を解雇になったシゲちゃんは、畑違いの宅配の仕事に就いて頑張っていたが
数年後にそこは閉鎖された。
再び解雇の身となった彼が夫の所へ相談に来たので、親戚の土木建築会社を紹介し
重機オペレーターとして就職したのは4年前のことである。
が、シゲちゃんは数日で辞めてしまった。
彼からは何の報告も無いままで、親戚からも文句を言われた夫は
「恥をかかされた」と言って腹を立てていたものだ。
けれどもシゲちゃんの事情もわかる。
土木の仕事って、言葉や合図で頻繁にコミュニケーションを取りながら進めるのが常識。
そうしないと危ないからだ。
コミュニケーションが苦手なシゲちゃんに、土木は無理だったと思う。
そのシゲちゃんが先日、次男に電話をかけてきた。
スガッちが辞めたのと、オペレーターの募集をどこかで聞いたらしい。
次男はシゲちゃんがエアガンの的になっていた頃
なぜか毎年、二人で山口県までフグを食べに行く仲だったので
他の者よりも話しやすかったようだ。
無口なシゲちゃんのことだから、数年ぶりの電話で積極的な売り込みはできない。
夫への不義理も気にしているようで、かなり控えめだったらしい。
「はっきりせんのじゃけど、言ってることを総合したら
何だかこっちへ転職したいみたい」
次男は夫にそう伝えた。
《続く》