殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

近時事・オリンピック

2021年07月24日 16時49分36秒 | みりこんばばの時事
新国立競技場の設計コンペで揉めて、エンブレムの盗作疑惑で揉めて

賄賂で揉めて、コロナで延期になって、あとは辞任、解任、辞退の嵐。

ミソがつきまくりのオリンピック、始まりましたね。


中でも変なのは、開会式のプロデューサー、音楽担当者、絵本作家

トリは元芸人の演出家だっけ?の相次ぐ辞任、解任劇。

そうよ、劇なのよ。

開幕直前になって、こんなに不祥事が続くわけないじゃないの。


開会式って、最初は狂言師の野村萬斎さんがプロデュースの予定だというから

私は楽しみにしていたんだけど、よっぽどのことがあったのかしら。

立ち消えちゃった。


野村氏が引いた後

わざわざ胡散臭い人たち(私にはそう見える)を集めておいて

その人たちの醜聞をLINEやSNSという

お手軽で反響の大きい便利な手法で暴露。

日本は女性差別者、サイコパス、民族差別者が大手を振って活躍する低級国…

そう印象づけるために暗躍する人や組織の存在がバレちゃった。

オリンピックが終わったら、こういう人品卑しき者どもの大掃除を

お願いしたいものね。


ところで、音楽担当サイコパスが辞任した直後

開会式にマツケンサンバ待望説が浮上ですって。

おお!と思ったわ。



松平健さんが派手派手衣装で、派手派手バックダンサー引き連れて

マツケンサンバを歌ったら、さぞや素晴らしいでしょうね。

世界中の人がびっくりすると思う。

それから、じっとしていられずに踊り出すと思うわ。




いや、わかってる、わかってますよ。

サンバはラテン音楽で、日本らしい音楽じゃないからダメとか

タイトルの頭に個人名が付くのはダメとか、制約があるのは。

それでも今、世界中に必要なのは

底抜けの明るさと楽しさじゃないかしら。

そういうことを思いついた若者がたくさんいる…

私にはそれが嬉しかったわ。

浮上したというだけで満足よ。


ブルーインパルスのアクロバット飛行は、楽しみだったわ。

以前、生で見たことがあるけど、今回もゾクゾクしちゃった。

日本の自衛隊はこんなにすごいんだということを

世界に知らしめてちょうだい!

頼むわよ!

って、ブルーインパルスが登場するたびに思うの。

変な奴らの思い通りにはならんぞ!ってね。


雲がかかって見えにくかった?

やかましい。

無事ならええんじゃ。


東京へ引っ越した友達のけいちゃんなんて、わざわざ見に行ったのよ。

時間が知らされなかったもんで、朝から張り込んでたわ。

始まった時は音だけ聞こえて、どこ?どこ?と思ってたら、後ろだった。

ビルがあるから、ほとんど見えないまま終了。

それでもLINEで中継してくれて、5人会の仲間は狂喜乱舞だったわ。

というか、こんな時に行くなよ。



開会式の内容は、ありゃりゃ…と思ったり、素敵!と思ったり

退屈しなかったわ。

わたしゃ個人的に、イメージを抽象的な踊りで表す“表現”という行為が

好きじゃないのよ。

たいてい、ありゃりゃ…なんだもの。

聞いとるか。

血管踊り考えた人と、森山未來。


それから、木遣りっていうの?

あれもまあ、お江戸らしさということだろうけど

たくさん出て踊るんなら、何人かは浴衣ぐらい着せても良かったんじゃない?

真矢みきは必要だったかのぅ?

美人なんだから綺麗だったけど、女棟梁という設定には無理があって

見ていて気恥ずかしかった。

これ多分、彼女へのサービス。


この木遣りの場面で、最初に出てきた木製の土台が何に変化するのか

わたしゃ楽しみに待ってたのに

アクロバットとタップダンスの台になって終了しちまったわ。

もう一捻りして、何か完成させてくれりゃよかったのに。


学園祭のノリのプログラムで

市川海老蔵さんの“暫”に、私ら年寄りは安定と安心をいただけたわ。

これにジャズピアノを合わせるフィーリングは

私ら年寄りには痛々しくて苦しかったけど。


入場行進がアニメ音楽だったのは、喜んだ人が多かったんじゃないかしら。

漫画の吹き出しに国名を表示したプラカードも、きっと喜ばれたと思う。

よく思いついたものよ。

前回の東京オリンピックから今まで、日本は経済、人材、道徳心を始め

たくさんの物を失って、おかしなことになってるけど

そうだ!日本にはアニメがあった!…と実感させられたわ。


約2千台のドローンで作った地球は、素敵だったわ。

日本、すごいぞ!って、嬉しくなっちゃった。

白くて丸いボールが花びらのように分解されて

聖火台になる発想も繊細で好きだわ。

大阪なおみは疑問だけど、制作側としては

強いインパクトが欲しかったんだろうから、しょうがないわね。


あ〜あ、今日も勝手なこと言っちゃって、ごめんなさいね〜!

色々あったけど、始まったからには

アスリートの皆さんを応援するわよ!

フレー!フレー!
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デンジャラ・ストリート リアル編

2021年07月20日 08時07分54秒 | みりこんぐらし
《我々一家の暮らす川沿いの通りは

後期高齢者だらけのシルバー地帯。

時折、老人ならではのデンジャラスな出来事が起こるため

私はこの通りをデンジャラ・ストリートと呼んでいる》



デンジャラ・ストリートの住人に多いのは

小規模な会社経営者、店舗経営者、雇われ社長、農場主、教師。

ただし、どれも“元”がつく。

今は代替わり、あるいはリタイアして、どなたも長い老後を満喫中だ。

うち以外は裕福かつ上品な人々なので

それぞれが付かず離れずの距離を保ちながら穏やかに生活してきた。


ところが昨年、その中の一軒に異変が起きる。

うちから8軒ばかり先にある、Aさんの自宅が競売にかけられたのだ。

Aさんは、販売系の会社経営者。

25年ほど前に家を建て、夫婦で越して来た。

創立?半世紀のデンジャラ・ストリートでは、新人さんである。


Aさん夫婦がこちらに来てほどなく、奥さんは病気で亡くなった。

以来、彼は一人暮らしをしていたが、数年後には二世帯住宅に改築された。

一人娘の一家と同居して、いずれ娘婿に会社を継がせるのだろう…

住民は思ったが、娘が同居することは無かった。


二世帯住宅になった自宅で、Aさんは相変わらず一人暮らしを続けていた。

その間、彼の会社はだんだん先細り、社員もいなくなった。

こちらに来た時は50代半ばだった彼も、25年を経て立派な後期高齢者。

経営者が高齢化すると、銀行が金を貸さなくなる。

80才を超えた彼は、倒産するしかなかった。

それが去年の話だ。


この経緯、10年前の我が家と似ていたので

とても他人事とは思えなかった。

地獄のような日々に、夫婦で立ち向かった我々は乗り越えられたが

老人が一人で戦うのは、さぞや辛かったと思われる。


倒産後、Aさんの二世帯住宅は競売にかかり

市外のとある不動産業者が落札した。

競売物件を専門に扱う不動産屋があるのだ。

競売物件を安値で買い、リフォームを施して高く売る商法である。


長期に渡る大々的なリフォームが終わり、Aさんの家は売りに出された。

しかし、なかなか売れなかった。

二世帯住宅ということで値段が高いのもあるが、一番のネックは駐車場の狭さ。


駐車場は2台分ある。

しかし小さいので、今どきの車高が高いタイプや車幅の広い乗用車は入らない。

だからといって、改造は無理。

コンクリート製のガレージは、庭と家の土台を兼ねている。

駐車場を広げるには、家を建て替えるしかない設計だ。


多人数で住むはずの二世帯住宅に、たった2台しか駐車できないのは致命的。

知り合いが購入を検討したが、これを理由に諦めた。

親夫婦と子供一家が住むにはせめて3台、できれば4台分欲しい…

価格には交渉の余地があっても、駐車場の狭さはどうにもならない…

オープンハウスを見学に来た知らない人たちも、やはり同じことを言った。


売り家と書かれた赤い旗が色褪せてきた頃、我々住民はタカをくくるようになった。

「競売物件なんて縁起悪いし、駐車場に難があるから誰も買わないさ」

この条件をものともせず、Aさんの家を買う酔狂な人物はいないと思われたのだ。


しかしAさんの二世帯住宅は、ある日突然売れた。

赤い旗が取り除かれ、ファミリーカーや軽自動車が4〜5台

路上駐車するようになったからだ。

ナンバープレートは、この辺りのもの。

比較的近い場所から移って来るらしく

引越し業者を使わずに、自力で引越しをしているらしい。


路上駐車は、1週間ほど続いた。

通行に支障をきたす無遠慮ぶりから

新しい住人の人と成りは、およそわかるというものだ。

どうやら、あまり歓迎すべき人物ではないらしい。


やがて引っ越しが終わったらしく、路上駐車は無くなったが

近所に挨拶が無いので、引越してきた人物は謎のまま。

自治会長が挨拶に乗り込んだらしく、苗字だけは回覧板で知るところとなった。


が、そのうち黒い噂が流れてくる。

家の名義は女性で、町にある某組の組長の愛人という話だ。

反社ではローンが組めないので、愛人の名前を使ったという。

どう見ても愛人を囲えるほどリッチな組織とは思えないし

住宅ローンが組める愛人というのも眉唾ものだが

噂ではそういうことになっている。


しかし住んでいるのは、いかにもそれらしき人たちではない。

我々と同年代らしき普通のおじさんと

その娘なのか、30代らしき太った地味な女性

それに彼女の子供らしき幼児と、白い小型犬…

常時住んでいるのはこの3人と一匹。

そこへ時々、組長と呼ばれる人物が出入りしているのは

息子たちの目撃情報があるので確かだ。


その家と我が家は町内会は同じだが、ギリギリのところで組内が違う。

この辺りに悪さ盛りの中高生もいないことだし

反社の関係者が住むようになっても、これといった被害はなさそうに思えた。


しかし被害は、彼らの隣に住むUさん夫婦に降りかかっていた。

Uさん夫婦はご主人が90才超え、奥さんがもうすぐ90才。

どちらも入退院を繰り返しながら、夫婦で支え合って生活している。


ある日、Uさんの家の前を通りかかったら

ガレージに赤い紐が張られており、紐には弱々しい文字で

手書きの札がぶら下がっているではないか。

「ここに車を止めないでください。お願いします」


隣の住人が無断で車を停めたのは、聞かなくてもわかる。

Uさんは免許を返納して長いので、ガレージに車は無い。

新しい住人が、駐車スペースの不足を気にせず家を買った理由はここで判明した。

隣のガレージを無断で使えばいいのだ。

さすが、反社。



ともあれ、彼らが越してきて4ヶ月が過ぎた。

越してきた当初から、庭や屋内の施工業者が来て

あちこちのリフォームをやり直していたが、それは現在も続いている。

今は、駐車場周りのタイルを張り替え中。


こだわって手直しをしている…普通はそう思うだろう。

それは合っているが、リフォーム代金の出どころは違うと思う。

家を販売した不動産屋に次々とクレームを出し

工事費は不動産屋持ちで、リフォームのリフォームを続けさせているのだと思う。

その根拠は、引越し業者を雇うお金を惜しみ

迷惑駐車で引越しを乗り切った彼らが

門扉のデザインを変えたり庭木を抜いて植え替えるといった

急を要さず、代わり映えのしない手直しを自費でやるとは思えないからである。


引き渡し後も延々とクレームを出し続け、手直しを繰り返させれば

叩きまくって買ったであろう家は、より豪勢に仕上がる。

不動産屋は、彼らに家を販売したことを激しく後悔しているのではなかろうか。


というのも、この某組はクレームにおいて実績があるのだ。

古い話になるが先代の頃、彼らの本拠地を新築した建築業者は

引き渡し後のクレームに翻弄されたあげく、家を建てた代金をもらえないまま倒産した。

そこの社長は、義姉の旦那の親友だった。

銀行で融資を担当していた義兄は、何とか親友の力になろうとしたが、力及ばす。

気に病んだ義兄は一時期、鬱状態になったものだ。


ともあれ、静かで風光明媚なシルバーストリートに反社がやって来たという噂は

町に広がり、散歩がてら見物に訪れる暇人もチラホラいる。

この辺りは、マジでデンジャラ・ストリートになったわけよ。

これで固定資産税が安くは…ならんだろうな。
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手抜き料理・炭焼き編 4

2021年07月14日 10時32分03秒 | 手抜き料理
ユリちゃんと兄嫁さんの言動に傷つき

お寺料理を続けることに疑問を感じ始めたマミちゃん。

そこで、今までの経緯を話し合っていた彼女と私だった。

が、台所に近づいたユリちゃんに気づかなかった。

洗い物の水音に負けまいと、声は自然に大きくなっていたはず。


「あの…どのあたりから、お聞きになりました?」

そうたずねたいのは山々だが、欲だの何だのと

お寺人にとって一番言われたくないであろうことを口にしていたのだから

聞くに聞けないではないか。


が、そこはさすが、口さがない檀家を40年近く相手にしてきた彼女である。

何ごともなかったかのように、空いた皿を乗せた盆を置くと

「お疲れ様」と言って出て行った。

しかしその顔は、心なしか蒼ざめているように見えた。

ぜって〜、聞かれとる。

それも、けっこう前のあたりから。


「どうしよう…」

マミちゃんはおののいたが、私は気を取り直して言った。

「聞かれたものはしょうがない。

何か言われたら謝るし、バチが当たるんなら受けるわ」


梶田さんだけでなく我々まで逃してしまったら、困るのはユリちゃん。

だから、おそらく聞かなかったことにするだろう。

そして我々の方は、進退を決める時期なのかもしれない。

これで友情もお寺料理も終わるのか。

あるいは新たな関係の始まりか。

ユリちゃんが店のお得意様であるマミちゃんと違い

私はギブアンドテイクの関係ではないので、どっちでもかまわない。

ユリちゃんにはホンマに申し訳なかったが

我々の本心を知ってもらう良い機会だった…そういうことにするしかない。


やがておやつの時間となり、兄嫁さんの作った牛乳寒天を出した。

お供えのミカンの缶詰が惜しげもなく入っているので、おいしい。

私はおやつが足りなかった場合に備え、家にあった温室ミカンを持って行ったが

冷蔵庫の牛乳寒天を見て、ミカンがダブってはいけないと引っ込めたものだ。


ちなみに、なぜミカンを持って行ったか。

皿がいらないからさ。

飲み物もいらないので、コップを洗わなくていいからさ。

横着な私が行き着いた、名案のはずだった。


だがもう、こんなことはすまいと誓う。

どうあがいても、洗い物は増えるばかりなのだ。

現に牛乳寒天を固めるステンレスの容器が二つ、増えとるじゃないか。

液を注ぐ時点で個別に分かれる、厄介な部品付きだ。

あきらめるしかない。


おやつの時間もユリちゃんは平静を装っていたが、明らかに元気がなかった。

申し訳ないが、もはや致し方ない。

他人をタダで使うのは、難しいのだ。


知らず知らずとはいえ、ユリちゃんは今まで

無償で働くたくさんの人を傷つけてきたと思う。

彼女はそれを「いじめられた」と表現し

折に触れては自分の苦労を話すが、多分違う。

昔は、頑張って奉仕をしたら極楽へ行けると信じた人がたくさんいただろうけど

今は多くが外で働いて賃金を得る生活をしている。

労働と賃金はセットが常識だ。

そんな時代に人をタダで使うとなると、それなりの知識や技術が必要になる。

信仰心やカリスマ性だけに頼らず、お寺も時代に追いつくべきであろう。



さて、おやつの片付けが終わると、恒例のマミちゃんツアー。

マミちゃんの洋品店を開けてもらい、買い物をするのだ。

ユリちゃんが付いてきたので、立ち直りを感じた。

店ではすっかり元気が戻り、楽しそうだったのでホッとした。


ユリちゃんを再びお寺に送り、マミちゃんと私は帰途につく。

バイバイ!と発進したところで、ユリちゃんが叫んだ。

「あ!清算!」

料理のために購入した食材のレシートと引き換えに

ユリちゃんからお金をもらうのだ。

私は家の冷凍庫にある魚を持って行っただけなので、清算は無し。

マミちゃんは次でいいと言って、そのまま帰った。


次は、多分ない。

お互いに忘れている。

どちらかが思い出したとしても、「もう、いいわ」となる。

ユリちゃんがそれを狙っているとまでは言わないが、実際にそういうことは何度もある。


そう、こういう所が甘い。

立て替えはたいした額ではないのでかまわないが

たいした額でないだけに、こちらからは清算を言い出しにくいものだ。

ユリちゃんは、帰る間際まで言わない。


「では清算させていただきます」

その時のユリちゃんはなぜか高飛車で、経営者の顔になっている。

金額が多い時は、明らかに不機嫌。

礼儀を重んじる“お作法奉行”のわりには、けっこう失礼な態度だ。

我々はこれが嫌なばっかりに

できるだけ貰い物や釣った物を使うよう心がけているのはさておき

その日はショッキングなことがあったとしても

経営者を気取るのであれば、これだけは忘れてはならない。

それは借金だからである。

朝、顔を見た時に清算してもいいくらいだ。


うちの夫もまた、自分の同級生のお寺で行事や作業を手伝うことがある。

檀家でなく、ただの同級生が数人で手伝うという条件は私と同じだ。

その流れで買い物が発生する場合、絶対に立て替えることは無い。

先に多めの金額を預けられ、後で領収とお釣りを返却するシステム。

事前に住職が、夫の所へお金を持って来ることもある。


いつもユリ寺料理の買い物に付き合わされ、荷物を持たされる夫は

タダで使う友だちに、お金を立て替えさせるユリ寺のシステムをあざ笑う。

「栄える寺と廃れる寺は、ここが違うんじゃ」

そう言って勝ち誇る夫を見るのは、なにげに悔しい。

が、一理あると思う。



以後のユリちゃんと我々は、表向き普通。

来月のお寺料理の日程も決まった。

LINEの文面では、何となく遠慮がちな雰囲気を感じるが

我々の本性を知りつつも現状維持を決めたらしい。

我々もまた、新たな気持ちで取り組むつもりだ。


こういうことがあっても、ユリちゃんが変わることは無いと思う。

何がマズいのか、一生わからないだろう。

特に肉親の情に関係する事柄と金銭感覚の問題は

どんなに立派な人でも通じない。

この日のことは、信じていた友だちに裏切られた苦労話として

またいつか、誰かに聞いてもらったらいいのだ。


ともあれ、この心身共にハードだった5日のお寺料理は

一部の偏食家を除いて概ね好評に終わった。

兄貴のたっての願いを受けて息子たちに釣らせ、渾身で焼いた天然ウナギも

兄貴はもちろん、食べた人は皆喜んだ。


が、その兄貴が最も喜んだのは、イカの沖漬けである。

イカを釣り上げたハシから醤油に漬ける、酒の肴。

いつぞや山陰へイカ釣りに行った長男の友だちがくれたのを

4ハイ残して冷凍していたのだ。

プラスアルファになればと持って行った、全く気合いの入ってない一品。

墨を除いて、ただ切るだけ。



なによ!

《完》
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手抜き料理・炭焼き編 3

2021年07月13日 09時18分42秒 | 手抜き料理
会食が終わり、マミちゃんと私は台所で洗い物に取りかかった。

…と、マミちゃんがつぶやく。

「自分が作りたい料理を作っちゃあいけんのじゃね…」

彼女は本来、軽々しく愚痴を言うタイプではない。

明るく穏やかで、いつもニコニコしている天然さんだ。

客商売の長いマミちゃんは平静を装っていたが

やはり内心、ユリちゃんと兄嫁さんの会話がこたえたらしい。


「私ら、檀家さんのごはん作る話じゃったのに

ほとんどユリちゃん家族のごはんになっとるよね。

ミクちゃんの好き嫌いにまで合わせんといけんの?

なんか、嫌になっちゃった…」

今まで張り切って、私と一緒に頑張ってくれたマミちゃんだが

ここにきて大きな岩の前に立ちつくした模様。

これは無償の奉仕を一生懸命頑張っている人の前に、突然現れる岩だ。


岩には名前がある。

“やってられな岩”。

この岩に行く手を阻まれた時、おのれのお人好しを思い知る。

そして、善意だけでは乗り越えられないと知るのだ。


私もまた、この大岩に出会ったことがあった。

「来てくれるだけで助かる、作ってくれるだけでありがたい」

初めの頃は言われる。

なにしろバカだから、喜んでくれるのが嬉しくて張り切る。

が、一、二度やると向こうにも欲が出て、ハードルが上がり始める。

参加者に持ち帰らせる折り詰めや晩酌の肴

そしてユリちゃんが晩ご飯の用意をしなくていいように

それとなく量の倍増を要求されるようになった。


大量生産が慣例化すると、今度は各自の好み。

あれが食べたい、これがいい、あれはダメ、これはちょっと…。

量を増やすのは、買い物や切る材料が増える程度なので何とか追いつけるが

好みの問題は、品数を増やすしかない。

何種類もこしらえて、その中から好きな物や食べられる物を選んでもらうのだ。

が、あれダメこれダメと言うわりには、皆さん、けっこう召し上がる。

色々食べたいし、たくさん持って帰りたいから

品数を増やせということだったのね…と理解。


こうして各自の好みに合わせた何種類もの料理を

それぞれ大量に作ることになる。

買い物も準備も数日がかりになって、体力的にハードとなり

お寺料理はこの辺りから、ほぼ修行。

それでも私は、努めて楽しむ所存だった。

日頃タラタラしているんだから

たまにはシャキッとして人様のために働きたいと思った。


が、それではまだ終わらない。

多種の料理を大量に作るのが慣例化し、ある程度は思い通りになると

今度はヒョイと別の料理が食べたくなる…それが人情というものよ。

そこでユリちゃんは、別の人を引っ張ってくる。

ユリちゃんの嫁ぎ先のお寺で時々料理を作る、梶田さん。

アジア系の横文字料理を得意とする、あの梶田さんだ。


梶田さんはいい人で、私も好きだが、ユリちゃんの真意はキャッチした。

梶田さんをお手本にして、変わった料理を作れということだ。

実際にユリちゃんは我々の料理を食べながら

その場にいない梶田さんの料理がいかに素晴らしいかを熱く語る。

私の“やってられな岩”は、ここに現れた。


華やかで美しい梶田さんの料理と比較されるのは、仕方がないと思う。

けれども我々と彼女では、立つ土俵が違う。

会食用と持ち帰り用の折り詰めを大量に作る仕出し給食と

厳選された少人数にワンプレート料理を提供し、テイクアウトはやらない

小さなカフェの違いだ。

この異なる二者を比較するのは、おかしい。

梶田さんも我々もそんなことは望んでいないのに

あらぬ方向へ持って行かれてしまう、この無念。


とはいえユリちゃんがそうなってしまう理由は、何となくわかる。

梶田さんは、ユリちゃんが敬愛してやまない兄貴の紹介で

お寺に出入りするようになった。

知り合ってからの年月は浅いものの、兄貴を経由しているので

ユリちゃんにとっては非常に大切な人である。


さらに近年、定年退職した梶田さんのご主人も

手弁当で境内の整備作業を手伝うようになった。

夫婦で尽くしてくれるのだから、そりゃありがたい。

そして夫婦どちらも見栄えが良く、爽やかで気持ちのいい人だ。

お寺としても個人としても、彼らと長く付き合いたいのは当然である。


良かったね…それで終わればいいものを

ここでユリちゃんはなぜか、格付けに入る。

それが彼女の性質なのか、お寺の習慣なのかは不明だが

あからさまに梶田さんを持ち上げるようになった。

無論、梶田さんはそうされて然るべき素敵な人だから文句は無いが

そこに梶田さんの料理を見習ってもらいたいという意図をありありと感じ

我々の中にも、それを快く思わない者が出てきた。


私は梶田さんの料理を模倣する件について、考えてみたことがある。

ワンプレートの一食で済ませて、土産無しなら可能だ。

変わったモンを一つ、それからスープか付け合わせをちょっと作り

余った時間を使って、ひたすら飾り立てればいいんだから。

が、檀家の爺ちゃん婆ちゃんは、アジア系の刺激物に耐えられるのか。

土産無しで、彼らが納得するのか。


これらの疑問をユリちゃんに問うてみたところ、答えはぶっ飛んでいた。

「あら、身内だけの時でいいのよ。

檀家さんが来る時は、いつもの料理で。

臨機応変にね」

身内だけの時も作るって、いつ決まった?

料理しない人って、すごいわ。


で、結論から言うと、お寺は梶田さんに逃げられた。

梶田さんが逃げたということは、彼女のご主人も逃げたことになる。

表向きは、彼女が頼まれて仕事に復帰したという話。

10年前に早期退職した65才の元公務員にカムバックを要請する市って

大丈夫なのかどうかはともかく

梶田さん夫婦はモクネン寺にもユリ寺にも来なくなった。

賢い人は方向がズレ始めたらすぐに察知するし、逃げ方もスマートだ。

ほとぼりがさめたらまた来るかもしれないが、今はしばしのお別れ中。


結果、バカが残る。

天秤にかけられる相手がいなくなると、私の“やってられな岩”は消えた。

梶田さんに会えなくなったのは淋しいけど

お寺の胸先三寸で比較されたり競わされ、コントロールされるのはゴメンだ。

梶田さんも、そうだったに違いない。


「ユリちゃんは外で働いたことが無いから

その辺のことがわからないかも…」

「こればっかりは、話してわかるものではない…」

「人間の欲とは、限りない…」

「欲が、金の鶏の腹を裂いた…」

そのようなことをマミちゃんと話していたら

後ろにユリちゃんが立っとるじゃないの。

ガビ〜ン!


お寺は広くて構造が入り組んでいる。

いつ、どこで、誰が聞いているかわからないので

滅多なことを言わないように、いつも気をつけているけど

その日は深刻なテーマと疲れによって、うっかりしていた。

《続く》
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手抜き料理・炭焼き編 2

2021年07月11日 10時57分26秒 | 手抜き料理
トマトの料理をたくさん作り

トマト嫌いがいたらどうしよう…と心配していたマミちゃん。

私はいないと断言したが、はたしてトマト嫌いは一人いた。

ユリちゃんの兄嫁さんだ。


兄嫁さんのフランケン・トマトが手付かずのままなので

マミちゃんが勧める。

「お姉さん、温かいうちにどうぞ」

すると兄嫁さんは、申し訳なさそうに言った。

「ごめんなさい…私、トマトは苦手なの…」


「あ…そうなの?じゃあ、トマト以外のをたくさん食べてね」

マミちゃんは明るく返したが、ちょっと打撃を受けた模様。

一生懸命作った物を苦手と言われたら

他人に手料理を振る舞い始めて日の浅い人は凹むだろう。

今までにもトマトの料理はあったが、サラダや飾りに使う程度。

フランケン・トマトのようなメイン料理は無かったので

兄嫁さんのトマト嫌いは目立たなかったのだ。


「ミクちゃんに取っておけばいいじゃんか」

ユリちゃんが、すかさずフォロー。

ミクちゃんというのは、兄嫁さんと暮らす26才の娘さんで

昼間は仕事に行っている。


ちなみにミクちゃんは、この辺りで言う“ハブタチ”。

ハブタチとは、気に入らないことがあると

すぐふくれっ面になる人のことだ。

菩薩のように穏やかな兄嫁さんとは似ても似つかない攻撃性を持ち

ご機嫌のよろしくない時は挨拶すらしないので

檀家さんも我々も、かなり気を使っている。

というか、私たち、ミクちゃんが苦手よ。

これで器量がいいならまだしも、誰に似たんだか…。


子供のいない人が、甥や姪をことのほか可愛がるのはよくあるが

ユリちゃんもミクちゃんが可愛くて仕方がない。

もちろん兄嫁さんも、娘のミクちゃんを目に入れても痛くないほど愛している。

我々がお寺で作る料理は毎回、このミクちゃんの晩ご飯にもなっているのだ。



さてさて、マミちゃんの料理は他にもある。


『玉ねぎのリング揚げ』

リング状に分解した玉ねぎに小麦粉をまぶし

小麦粉、コンソメ顆粒、マヨネーズを混ぜて水を足した衣を付けて

油で揚げたもの。

コンソメとマヨネーズが実にいい仕事をしていて、あとを引く一品。



『ナスの味噌炒め』

乱切りにしたナスを味噌とみりんで炒めたもの。

わずかに混ぜたミョウガがアクセントになっていて

甘辛い田舎風ではなく、さっぱりした大人の味が美味しかった。



…それで終わればよかったのだ。

が、ミクちゃんにフランケン・トマトを取り置く話から

ユリちゃんと兄嫁さんの、ミクちゃん愛が炸裂。

「バジルの匂いが移らないように、先に取っておこう」

「そうね、ちょっとでも匂いがあったら食べないもんね」

そうよ…ミクちゃんは、ユリちゃんに輪をかけた偏食家。

特に香草の類いが大嫌いなのだ。


「トマトのサラダはダメね…あの子の嫌いなパセリが入ってる」

「あ〜、混ぜ込んである〜、これはダメだわ」

「あ、ナスもダメ…ミョウガが入ってるし、大葉が乗ってる。

あの子、どっちも大嫌いだもの」

「玉ねぎは、今のうちにパセリをよけたら食べるかな」

「ちょっとでも匂いがあると、ダメだからねぇ。

もう匂いが移ってるかも」

ミクちゃんに食べさせる料理を物色するユリちゃんと兄嫁さん。

彼女たちは毎回、会食の席でこんなことを言っている。


しかし今回は人数が少ないのもあって

マミちゃんと兄嫁さんは、たまたま向かい合って座り

兄嫁さんの隣にはユリちゃんが座る。

つまりマミちゃんの目の前で料理をほじくり返し

「ダメ」や「嫌い」という無神経な会話は交わされていた。


食べ手にとっては単なる日常会話でも、作り手にとっては非常に感じが悪い。

香草が好きなマミちゃんは、香草とスパイスを組み合わせてうまく使う。

つまりマミちゃんの料理は、香草で成立するといっても過言ではない。

今、目の前で交わされている会話は、それを全否定しているようなものだ。

マミちゃんは平然としている様子だが、私はハラハラしていた。


ちなみにこういうこと、私にも経験がある。

ユリちゃんのご主人と芸術家の兄貴は

大葉、ミョウガ、パセリなどの香草が大好きなので意識して使って欲しい…

だけどミクちゃんは、それらの香草が大嫌い…

あの人は、これとこれがアレルギー…

この人は最近、これを食べなくなった…

お寺で料理を作り始めて2年ぐらいになるだろうか

時にこのようなことを言われながら、現在に至る。


私はそれについて、ほとんど気にしない。

アレルギーには気をつけるが、他のことは聞き流す。

料理って、食材も味付けも、人の好みは千差万別。

みんなが喜ぶ料理なんて、ありゃしない。

せいぜい品数を増やして対応するぐらいだ。

いちいち余計なことを考えたら料理なんかできないので

ユリちゃんが特に重んじる芸術家の兄貴と

ご主人のモクネン君に照準を合わせると決めている。

この二人が良ければ全て良しのスタンス。


その献立が、ユリちゃんや兄嫁さんの好みでないことは知っている。

彼女たちは、コロコロしたその体型が証明するように

こってり、がっつりの横文字料理を好むが

そんなモン作っていたら、手間も予算も大変なので無視。

ましてや仕事でいない娘の偏食なんか、徹底無視。

嫌なら食わんでええ。

それぐらいの図太さが無いと、他人に無償の料理なんか作れない。


だからミクちゃんの大嫌いな魚料理を中心に、献立を立てる。

マミちゃんのフランケン・トマトだって

私なら、中に詰めるチーズにパセリやバジル、フェンネルにローズマリーを

たっぷり混ぜ込むところだ。

クックックッ…。

《続く》
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手抜き料理・炭焼き編

2021年07月10日 09時15分23秒 | 手抜き料理
5日は例のごとく、同級生の友人ユリちゃんの実家のお寺で料理を作った。

お寺では、毎月5日がお勤めの日。

この日は檀家さんが来ない。

近頃はこの日に合わせ、最低でも月に一回のご奉仕が慣例になった。


お勤めが終わると、ユリちゃんの身内やブレーンが境内の整備作業を行う。

そして昼食は、我々同級生の作った料理ということになっている。

ユリちゃん一族とお友達のために、我々はせっせと料理を作るのだ。


人数が少ないので楽ちん、というわけではない。

口さがなくて気の張る檀家さんが来て人数が増え、お昼の支度が大変だから…

そんな理由で始まった料理のはずだった。

それが今は、気の置けない身内と仲良しだからこそ

珍しくて豪華な料理を要求されているような気がする。

釈然としないのは確かだ。


釈然としないなら、手抜きに限る。

私はこのところ、そればっかり考えている。

だからここ何回か、せめて洗い物を減らそうと躍起になって

プラスチックの弁当パックや発泡スチロールの寿司桶なんかを使った。


しかし肝心の洗い物は、あんまり減ってないような…。

それもそのはず、よく考えたらユリちゃんの兄嫁さんお手製の

焼き菓子やゼリーの類いが増えている。

同時に、それらに合わせて飲むコーヒーカップを始め

ジュースやお茶のコップも増えているではないか。

弁当パックで出すのは味気なくて、皆さんに申し訳ないと思われてしまうらしく

兄嫁さんはデザートの種類と、提供の回数を倍増なさったのだ。

少しでも楽をしようと思って取り組んだ

使い捨てのパック方式は逆効果となった。


暑い夏が来て、お寺の台所はエアコンも換気扇も無い灼熱が始まった。

私は何とかして身体を守る秘策を考える。

そしてひらめいた。

炭焼きだ。

お寺の境内、つまり屋外で料理を作っちゃるもんね!

焼くだけだから簡単だし、外なら多少は涼しいはず。


炭焼きといえば焼肉だけど、ユリ寺ではNG。

表向きは一応、匂いの問題ということになっている。

でも本当は違う。

予算の問題。

安く上げるために我々を使って料理をさせているのに

高い牛肉なんか、ガンガン買われちゃ困るのよ。


いいもんね。

息子たちが釣ってきた魚、焼いちゃるけん。

もうね、何でもええのよ。

熱中症で死にたくない一心。


そんな横着の権化と化した私とは違って、マミちゃんはケナゲだ。

「焼いたり揚げたりは私がやるから、任せて!」

と言う。

ああ、なんていい人だ。



さて当日の料理番は、マミちゃんと私の2人。

モンちゃんは仕事なので欠席だ。

我々も入れて合計8人のランチを作るべく、料理は開始された。


台所で真の料理に取り組むマミちゃんを残し、私は足取りも軽く庭へ出る。

炭をおこして、ひたすら焼くだけ。

あ、炭焼きの網は、焼く前にレモンの汁を塗っておくと

焦げつきにくくなる。

半分に切ったレモンを網全体にこすりつけるだけ。



まず、長男の釣った天然鯛5匹。

塩まぶして、焼け焼け〜い!

次男の釣った天然鮎40匹。

塩まぶして、どんどん焼け焼け〜い!


焼けたばい。

つーか、燃えたばい。


だけど今日は、鯛も鮎も前座に過ぎない。

真打ちは、息子たちが協力して獲った天然ウナギだ。

これは、ユリちゃん夫婦が尊敬してやまない芸術家の兄貴がご所望のメニュー。

天然のウナギが食べたいな、という兄貴の会話を聞いたユリちゃんが

私に水を向け、私が息子たちに頼んだものである。


釣った端から丸ごと冷凍していき

当日までに大きいのが一匹、中くらいが一匹

あとは「逃がしてやれよ」級の、ごく小さいのが二匹確保できた。

8人分のうな丼には少ないので、私は食べないことにする。

同じ食べるなら、たっぷり食べてもらいたいじゃない。

ウナギはあんまり好きじゃないので、かまわない。

偏食家のユリちゃんも、養殖はいいけど天然は無理ということでパス。

これで皆に行き渡るだろう。



ウナギはさばいて持って行き、串刺しにする。

百均で買ったシリコンのハケで両面に酒を塗り、まず素焼きだ。

ウナギを炭で焼くのは初めて。

貴重なウナギを台無しにしはすまいかと、兄貴が張り付いて見守る前で

緊張しながら焼く。

そんなに心配なら、あんたが焼いてちょうだいよ。


素焼きのウナギに、今度は市販のタレを塗る。

焼いては塗り、焼いては塗りを数回繰り返し、軽く焦げ目がついたら終了。

なかなかうまくできたような気がする。

5センチほどの長さに切って、カットした海苔をまぶしたご飯に乗せ

上からさらにタレをかけて、うな丼だい。

焼くのに忙しくて途中の写真が撮れなかったばかりか

うな丼のできあがりも撮りそびれ、急いで隣の人の食べかけを撮影させてもらった。

申し訳ない。



私が作った…いや、焼いた物は以上。

そうそう、唯一、煮炊きしたものがある。

ウナギの肝吸い。

数が少ないので、男性陣4人に提供した。


で、外は涼しいと思っていたら、大間違いだとわかった。

火のそばは、熱かった。



あとはマミちゃんの作品だ。

「もらったトマト、もらった玉ねぎ、もらったキュウリ、もらったナスを使う」

そう宣言していた通り、トマト、玉ねぎ、キュウリ、ナスで

おしゃれな料理を作っていた。



『フランケン・トマト(みりこん命名)』

普通サイズのトマトをくり抜き、中に溶けるチーズを詰め

外側に豚バラ肉のスライスを包帯のようにグルグル巻いて

ひたすら全面を焼く。

上にかけるソースはコンソメとポン酢と水を合わせ、トマトの角切りを入れて

ひと煮立ちさせたら、フランケンにかける。



これがソースをかける前のフランケンの姿。

ここにソースをかけてバジルを飾り、黒胡椒をかけて終了…らしい。

私は庭で焼きまくっていたため、製作の現場を見ていないのだ。

トマトの甘みが出て、すごく美味しかった。



『トマトジュレ』

緩めのコンソメゼリーが固まったら粗めに崩し

切った生のトマトを乗せて軽く混ぜて終了…らしい。

さっぱりして、おしゃれな一品だ。

暑いのでジュレのゼラチンが溶け

やがてトマトの浮かぶ冷製コンソメスープになっていった。


トマト料理はまだ続く。

撮影し忘れたが、プチトマトとキュウリの塩昆布和え。

あと、撮影はおろか、どんなものだったかも忘れたが

トマトの入ったサラダもあったように思う。


朝、マミちゃんは不安げに言った。

「トマトの料理が多いんだけど、嫌いな人がいたらどうしよう…」

私は断言した。

「そんな人、おらんよ。

おったとしても、他の料理もあるんじゃけん

黙ってそっちを食べりゃええが。

みんなの好き嫌いをいちいち気にしょうたら、やっとられんわ。

少なくとも私はトマト大好きじゃけん、マミちゃんの料理が楽しみなんよ」

「みりこんちゃんが好きだったら、いいか〜!」

マミちゃんはホッとした顔で言ったものだ。

が、フタを開けてみると、トマト嫌いはいた。

《続く》
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目から相撲・4

2021年07月08日 10時57分46秒 | みりこんぐらし
雨が大変なことになっていますが、皆様は大丈夫でしょうか?

私のほうは家の前を流れる川がスリリングですが

3年前の西日本豪雨の時ほどではないようです。

県内各地もまだ、目立つ被害は出ていませんが

油断はできない状況だと思います。

ご心配いただいたモモさん、ありがとうございます。

皆様もどうか、気をつけてくださいね。





さて帰宅して、夕飯の支度をしていると電話が鳴った。

義母からだ。

当時、我々一家は義父母とは別に生活していた。


「ちょっと、さっきAさんが電話してきたよ。

あんたのことで、怒ってるみたい。

いったい何をしたん?」

何もしてない。

むしろ挨拶や贈り物など、向こうが望むことをしなさ過ぎだ。

うちでなく、先に夫の実家へ電話したことから

やはりAさんは次男を足掛かりに仕事の発展を狙っていて

いよいよ勝負に出たと思われた。


「とにかく、ヨシキの携帯に電話してみて」

義母に言われて、かけてみる。

次男が出て、社長に代わると言った。


「もしもし、Aですが!」

初めて聞くAさんの声は、野太くてガラガラしている。

しゃべり方は横柄。


「いつも息子がお世話に…」

みなまで言わぬうちに、Aさんはいっそう大きな声で言った。

「あんたなぁ、それでも母親か!」

「は?」

「さっき、ヨシキと会うたやろ。

ヨシキがうちへ来て、母さんが手を振ってくれんかったいうて

ショボンとしとるんや。

俺はヨシキがかわいそうになって、お祖母さんとこへ電話したんや」

関西弁なのか、四国弁なのか、Aさんはまくしたてる。


とにかく、先ほど次男と交差点で会った際についてのクレームだというのは

わかった。

次男は私が手を振らなかったことを気にしているらしい。

Aさんと我々親との板挟みになって数ヶ月

両方で気を使い過ぎたためか、彼のハートはガラス状に変化したようだ。

私がなぜ手を振らなかったのかを疑問に思いながらAさんの家に向かい

慕わしいAさんの顔を見た途端、甘えが出たのだろう。

バカじゃあるまいか…

そう思われるかもしれないが、若い男の子の中には成人した、しないに関係なく

大人と子供の間を揺れながら成長していく子がいるものだ。


「あんた、母親やのに何とも思わんのか!」

Aさんは興奮して、なおも叫ぶ。

彼は今、かわいそうな子供を守る自分に酔い

敵をやっつける使命感に燃えているらしかった。

穏やかに話すことができない人らしい。


何でも自分だけの物差しで測って、早々に善悪を決めつける。

その善は必ず自分で、相手は必ず悪。

善は悪をヒステリックにののしっていい。

どうしてこうなるかというと、本当は人の話を聞き取る能力が無いからである。

それを隠すために最初から強気に出て相手をビビらせ、一発目でケリをつけようとする。

つまり義父と同じ人種だ。

攻略法は知っている。

向こうがヘトヘトになるまで、怒鳴らせるのだ。


ともあれ、母親であるにも関わらず何とも思わないのかという質問を受けたので

一応は答えなければならない。

「はい」

そう返事をしたら、Aさんはますます怒り狂う。

「あんた、鬼か!

子供が傷ついて悲しみよんぞ!よくも平気でおられるもんや!

それでも母親か!」

「はい」

「な〜に〜?!そっち行ったろうか!ワリャ〜!」

いいぞ、もっと怒れ。

彼の横で耳をそばだてる次男よ、聞くがいい。

お前の崇拝するおっさんは、ヤクザまがいの言葉で女性を威嚇する恥ずかしい男だ。

非紳士だ。

君はこれでも崇拝できるか。

彼のようになりたいか。

次男よ、お前ならわかるはずだ。


「どうぞ、いつでもお越しください。

ですが、ご足労いただく前に、この電話でご説明できると思いますよ」

「何じゃと〜?コラ〜!

言いたいことがあるんなら言うてみやがれ!ワリャ〜!」

「じゃ、お話しします。

さっき私が手を振らなかったのは、交差点だったからです。

夕方ですから車が混雑しておりましたし、ヨシキはバイクです。

私が親子の情に流されて、うっかり手を振りますと、ヨシキも手を振り返すはずです。

ヨシキが手を振り返しますと、一瞬でも片手運転になります。

この子は過去に何回か、バイクで事故に遭っていますから

危険防止のために、私は母親として正しい判断をしたと思っています」

「……」

「ご納得いただけましたでしょうか」

「…はい…」

「ヨシキの気持ちを思いやってくださって、ありがとうございます。

それでは失礼いたします」


その夜、次男は遅くに帰って来た。

そして二度とAさんの所へ行くことはなかった。

出入り禁止になったのか、次男に何らかの気づきがあったのか、理由は知らない。


そして数年が経過したある日。

新聞にAさんが載っていた。

見出しは、“窃盗の常習犯逮捕”。

水道の修理であちこちの家に行っては、金品を盗んでいたという。

縁が切れていて、良かったと思った。



とまあ、こんなことがあったので、次男は幾分慎重になった。

そして今回、接骨院の先生との出会いがあった。

安心して見ていられる…何というありがたさじゃ。

「コロナが落ち着いたら、お母さんも一緒に大相撲の観戦に行きましょう」

先生は次男に伝言してくれる。

だけど私は微妙な気持ちよ。

最後に会ってから何十年、老いさらばえた姿でお目にかかる勇気が無いんじゃ。

さしあたって、やるのはダイエットか。

《完》
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目から相撲・3

2021年07月07日 19時09分23秒 | みりこんぐらし
親が渋い顔をするので、ますますAさんに傾いていった次男。

Aさんの家に行ったり仕事を手伝う頻度は、さらに増えていった。

が、本業の方をおろそかにすることはなかったので

面と向かって注意しにくい。

親は手をこまねいて見守るにとどまり

「ご迷惑だから、あんまりお邪魔しないように…」

遠回しに言う程度だ。


もちろん馬耳東風。

しかし我々の本心は、Aさんに伝わった様子だ。

気分を害したらしく、次男に我々の悪口を吹き込むようになったからである。


たいした内容ではない。

「父親は町一番の浮気者、母親は舅にいびられて家出するような女。

俺はヨシキがかわいそうだと思うから、かわいがってやるんだ」

「子供が世話になっていると知りながら、挨拶にも来ないし盆の中元も無い。

お前の親は非常識」

というようなことだ。

浮気亭主に家出妻、おまけに非常識ときた。

こっちへ来て数年にしては、なかなかよく調べとるじゃないか。


ともあれAさんは、次男との交流を歓迎しない我々に敵意を持ったらしい。

そのため次男には、迷いが生じ始めた。

親の悪口よりも、“かわいそう”と表現された自分を

すんなり受け止めることができなかったのだ。


「僕はかわいそうな子じゃないよね?」

次男はAさんの発言を私に打ち明け、そして問いかけた。

疑問を感じ始めた…チャンス到来だ。

私は満を持して答えた。

「多分、かわいそうじゃないと思うよ」

ここでした話は、おそらくAさんに伝わる。

我が子といえども、今はAさんの手の者。

こじれると長引くので、滅多なことは言えないのが惜しい。


「人は他人のことをかわいそうと言いたいもんよ。

そうすりゃ、自分がその人より幸せじゃと思えるけんね。

かわいそう、かわいそう言うてもらいながら

Aさんの丁稚(でっち)をしょうりゃええが」

「丁稚じゃないよ。

社長(次男はAさんのことをそう呼ぶ)は、父さんや母さんらと

家族ぐるみの付き合いをしたいって言うとったんよ」

「挨拶もお中元も無い非常識な親じゃけん、よした方がええと思うわ」


社員がおらんのに、何が社長じゃ…

と毒づきたいが、言えないのはさておき

「家族ぐるみの付き合いをしたい」

そう言ってくる人は、Aさんが初めてではない。

仕事の絡みで、何か得なことがあるかもしれないと思っておられるのだ。


そんな皆さんは誤解なさっておられるが

うちの商売は、そういうことができる職種ではなく

それ以前に会社が火の車なので、人に得をさせて差し上げる余裕は無い。

また、安易にそのような思い込みをしてしまう人たちと親しく付き合っても

慣れた頃に借金の申し込みをされるぐらいで

何らメリットが無いのは経験上、確かである。


そのような人々に、こちらから挨拶に行きでもしたら

やはり経験上、面倒くさいことになるのも確か。

勘違いして「頭を下げに来た」と吹聴して回られ

気がついたら、その人と親戚ということになっていたり

その人が義父の会社の取締役に就任…なんて、あらぬ噂が飛び交っていたりする。


それで終われば、まだいい。

が、噂に終わると、なぜかすっかりその気になっていたその人に

恨みの感情が芽生えることがある。

その恨みがうちの子供に向く可能性は、ゼロでは無い。

だから非常識と言われようと、恩知らずと言われようと

線を引かなければならない所にはスッパリ線を引かなければ

会社なんてやっていけないのだ。


Aさんの場合、うちの子を取り込んで勝ち誇ったつもりだろうが

私に言わせりゃ逆よ。

「人の子供をタダで使いやがって。

日当出さんのなら、挨拶に来るのはそっちじゃわい!」

声を大にして、そう申し上げたい。

しかし言えないのが、つらいところさ。

我が子を勘違い星人から切り離すには、一に根気、二に根気。

慎重にやらなければ。


その日は、これで終了。

以後の次男は、私に対して何となくよそよそしくなり

相変わらずAさんとの接触を続けていた。

次男にしたら、私にAさんの所へ挨拶に行って欲しかったのだと思う。

そして、Aさんと仲良くなってもらいたかったのだと思う。

私がそれをしなかったので、残念な気持ちなのだろう。


そんなある日の夕方。

私は運転中に、とある交差点でバイクに乗った次男と出くわした。

私は右折して家に帰るところ、次男は左折して

おそらくAさんの家に向かうところだ。


左折する次男と、右折のレーンで停止する私は目が合った。

ヘルメット越しの次男の目には、チラッと親しみが浮かび

すぐに通り過ぎて行った。

私の方も、目にできるだけの親しみを込めたつもり。

あんまり大きな目じゃないから、わかったかどうかは知らないけどさ。


この一瞬の出来事が、後に問題となる。

まさかそんなことになるなんて、思いもよらない私だった。

《続く》
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目から相撲・2

2021年07月06日 15時35分09秒 | みりこんぐらし
夫が崇拝するのはとにかく女子だが、次男の場合は年かさの男性が多かった。

浮気三昧で家庭をかえりみない父親の代用品を求めている…

そんな見方があるかもしれないが、長男にはその兆候が見当たらないので

単に父親譲りの性分と考えている。


新興宗教に傾倒する人もそうだが

精神的な支えが複数、必要な性分の人間はいるものだ。

これは夫を通り過ぎていった女性の人数が増えていくにつれて

だんだん感じるようになり

やがて二桁に到達した頃、確信した。



ともあれ家庭があって、崇拝の対象が異性の場合は問題が生じる。

しかし独身で同性を崇拝する場合、これといった問題は起きない。

慕って崇拝しているうちに、いろんなことを吸収すればいいのだ。

ただしそれは、崇拝する相手がマトモだった場合に限定される。

ロクでもないのに引っかかったら、おしまいだ。


次男は今まで、仕事や趣味で知り合ったおじさん達に対して

崇拝の遍歴を繰り返してきた。

仕事の都合で疎遠になったり、趣味が変わったりで縁の切れた人もいるが

大半は善良な人たちで、現在も行き来している。

その安全ぶりは、次男に人を見る目があったからではない。

彼が、わりと早期に体験した出来事に由来するものである。



今から10数年前、次男が20代前半の頃だ。

どこで知り合ったのか、町内の個人事業主Aさんを慕い始め

仕事のかたわら、その人の仕事まで手伝うようになった。

言動がみるみるチンピラ風になって、これはいけないと思ったが

親の言うことを聞かないのはどこの子も同じ。

深入りしないようにと釘を刺したところ、ますますのめり込んでしまった。


当時のAさんは、50才。

我々夫婦より、少し年上だ。

数年前、この町にやって来て中古の家を買い

一人で水道工事の会社を始めた…

40代の奥さんとは再婚で、二人の間には高校生の娘が一人いる…

次男から断片的に仕入れたAさんのプロフィールは、これだけ。

会ったことは無かった。


我々夫婦はそれぞれに、見知らぬAさんを怪しんでいた。

無給で自分の仕事を手伝わせるために親分を気取り

次男を舎弟のように扱っている…

そう感じる私は、心穏やかではなかった。

若いうちは利用されてバカを見る経験も必要だろうが

ちょっと度が過ぎているような気がした。


次男が断片的に口走る、Aさんの語録も気になっていた。

「今は一人でやっているが、事業を拡大する計画があるので

いずれ、この業界で天下を取る」

「そうなったらヨシキを娘婿に迎えて、そのうち会社を任せたい」

次男はそれを信じているわけではなく、娘婿の話も嬉しくないが

天下取りの意欲だけは、軽めに肯定している模様。


私にはこれが、大いに気にくわない。

夢物語とはいえ、他人の息子の将来を勝手に決めていらんわい。

しかも「いずれ」、「そのうち」ときた。

安易に「いずれ」や「そのうち」を使う御仁は、嘘つきと決まっている。

義父母から、この二つの言葉でさんざん騙されてきた私は

嘘つきが吐く「いずれ」や「そのうち」が絶対に来ないことを

すでに知っていた。


親が言うのもナンだが、フットワークが軽くて働き者の次男は

使い勝手の良い若者だ。

奥さんと女の子しかいないAさんにとって

次男が便利なアイテムだというのはわかる。

しかし夜になって呼び出されたり、時に泊まったりすると親としては心配だ。

若い娘さんもいることだし、もしも何かあって恨みを買い

未成年をどうしたこうしたの罪に問われでもしたら

目も当てられないじゃないか。


このようなメンタル面において、私はAさんを警戒したが

一方の夫は物理的な理由から、Aさんに疑惑を持っていた。

夫の主張は、こうだ。

「水道工事の会社を名乗って、うちと取引が無いのはおかしい」


そうなのだ。

夫の会社は当時、まだ義父の会社だったが

その営業形態は他の同業者と異なっていた。

大手取引先への大量販売だけでなく、市内の水道工事や建築工事の会社にも

少量の小口販売を行っていたのである。


他の同業者は、小口販売をしない。

在庫が無い場合、わざわざ仕入れなければならないからである。

売る側のこっちは、ドカンと大量に仕入れるしか無いので損が多いのだ。

しかし義父は、たとえ損をしてでも

町の小さな業者のために商品を仕入れていた。

義父の会社だけでもそうしなければ、小さい所は困るからだ。

義父はそれを地域貢献と考えていた。


そういうわけで、市内の水道工事関係者はおしなべて

義父の会社の商品を買う。

つまり夫の知らない水道工事の会社は、この近辺に存在しない。

それなのにAさんは水道工事の事業主を名乗っているし

次男がお手伝いしているのも水回りのようだ。


となるとAさんの仕事は、地下を掘って配管を繋ぐという

夫の認識する水道工事ではなく、家庭用上水道の修理ではないのか。

修理を工事と拡大して自称するのは厳密に言えば詐称であり

このような詐称をする人物はたまにいるが

マトモな人間は皆無というのが夫の意見だった。


次男が、そのような胡散臭い人物と交流を深めるのは良くない…

我々夫婦の意見は一致した。

かといって大きな子を家の柱に縛りつけて

行かせないようにするわけにもいかず、さしあたっては様子を見るしかない。

我々がいい顔をしないため、次男はますますAさんに傾倒していった。

《続く》
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目から相撲・1

2021年07月03日 11時25分56秒 | みりこんぐらし
昨年の10月、次男が交通事故に遭ったことは

『現場はいま…』のシリーズでお話しした。

対向車がセンターラインを越え、次男のダンプに突っ込んできたのだ。


相手の運転者は無傷、同乗者は軽傷。

そして次男には、首の違和感と視力の異常が残った。

首は仕方がないとしても、困るのは目のほう。

視力の異常は、運転手にとって死活問題である。


視力というと1.2とか0.3などの数字を思い浮かべる人が多いと思うが

大型車両に乗る運転手の場合は、見える見えないを数字で表す視力に加え

深視力(しんしりょく)と呼ばれる視力も必要となる。

深視力とは、物体の動きをとらえる視力のことだ。


普通運転免許の更新をする時には視力検査をするが

大型免許を持つ人は、この視力検査に加えて深視力検査が行われる。

通常の視力検査で合格しても、深視力検査をクリアできなければ

大型免許の更新は認められない。

つまり運転の仕事で食べて行けなくなるのだ。


音楽の授業で使う、メトロノームを思い出してもらいたい。

振り子がカチカチと左右に動いて拍子を取る、三角形の道具だ。

深視力検査は、このメトロノームみたいな機械を見て

振り子の針が真ん中へ来た時にスイッチを押す。

ど真ん中にピシャリと合わせないとダメ…という厳しいものではなく

左右に多少ズレてもかまわないが、ズレが大きい人は大型免許の更新が認められない。

年を取ると深視力が衰えるので

大型免許の返納を余儀なくされる老人が多くなり

普通車の免許だけが残るのだ。


事故から数日後、次男は病院で

目が見えにくいような気がすると言ったところ

この深視力に異常が起きていることが判明。

眼科と脳外科を紹介されて行ってみたが、これといった問題は見当たらず

事故の衝撃による一時的な症状かもしれないので

しばらく様子を見ようということになった。


日にちが薬というのは、次男にもわかっている。

しかし、免許の更新をこの夏に控えた彼は焦っていた。

更新までに深視力が戻らなければ、ダンプを降りるしかないからだ。

彼は警察署で行われる更新手続きで、一緒に深視力検査を受けた年配者が

振り子の動きを見逃して大型免許を返納させられるのを何度も見ていた。

普段は厚かましいのに、妙なところで気にしぃの男の子というのがいるものだ。

30代の次男にとって、この検査で脱落するのは耐え難い屈辱であるらしかった。


「誰でもいつかは来ることよ。

戻らんかったら営業か、重機に乗りゃあええじゃん」

夫も私もそう言ったが、ダンプ愛の強い次男にとって

運転から離れるのは死ねと言われるに等しいようで、何の慰めにもならなかった。


病院で治らないなら別の治療を…

そう考えた次男は、整体関係の治療院へ行ってみようと思い立つ。

そしてたどり着いたのが、とある接骨院。

次男は何も知らずに行ったのだが、そこは奇しくも我が家と縁のある所。

先生の亡き父親は夫の柔道の師範、先生本人は長男の師範だった。


先生と次男はすぐに親しくなり、色々な話をするようになった。

それによると先生、本当は柔道より相撲の方が好きだそう。

「うちのおかんも相撲が好きなんです」

次男が言うと

「この辺りで女性の相撲好きは珍しい!」

先生は大いに喜び、開催中だった11月場所の番付表と

「相撲のことなら何でも聞いて!」

という伝言を次男に託した。

次男から番付表と伝言を受け取った私が

飛び上がって喜んだのは言うまでもない。


大相撲が好きといったって、ほんの数年前からのにわかファン。

暇な時にテレビで見るぐらいでルールもようわからんし

特に好きな力士もいない。

そもそも取組より、観客の衣装の方が気になるという低レベル。

そんな私が、相撲部屋のハンコが押してある

本物の番付表を手にする日が来るなんて思ってもみなかった。


以後の私は次男を経由して、数々の質問を届け

先生がそれに答える習慣が始まる。

そして場所が巡ってくるごとに、先生から新しい番付表が届くようになった。




これは明日から始まる名古屋場所のもの。

名古屋場所といえば、高そうな夏着物を毎日変えながら

これまた高そうな前の席に凛と座る、かの有名な名古屋の姐御。

昨年は名古屋場所が無かったので、テレビでお姿を拝見できなかったが

今年は会えるだろうか。

楽しみだ。


ともあれ先生の弁によると、近年はひたすら手で相手を押す

“押し相撲”が増え、勝負が単調になって残念だそう。

相撲は本来、マワシを取って技を繰り出すことに醍醐味があるそうだ。

そう聞いてからテレビを見ると、確かに押し相撲が多い。

今まではそんなこと、全然わからないまま

ただ勝ち負けの結果のみに注目していたが、一歩前進したように思う。


また、若隆景の目つきは他に類を見ない闘志の塊で

アクシデントが無い限り、そこそこの地位まで行けるだろうとか

照ノ富士の膝は限界が来ているため、早めに綱取りに挑戦させるはずとか

それまで考えたこともなかった事柄を聞くと、大相撲がますます面白くなる。

もちろん、私の好物であるスキャンダルの真相や

相撲協会の裏話も教えてくれる。

夫も少しは詳しいが、実際に相撲に関わっている先生は

見る側でなく取る側の視点で話すので、目からウロコなことばかりだ。

ああ、次男はいい人に出会ったものだ。


で、彼の目はどうなったかって?

やはり日にちが薬だったのか、ほどなく深視力は戻った。

接骨院の治療はあまり関係が無いような気がするが

先生という尊敬の対象ができて、気持ちが安定したのは確か。


思えば今まで、父も兄も彼の尊敬には値しなかったため

彼はごく若いうちから、尊敬の対象を他人に求めてきた。

悪いことではないかもしれないが、危なっかしさはある。

慕う相手を間違えた場合だ。


そういう短慮なタイプの男の子がいるということは、夫で知った。

ただし夫の場合、やたらと崇めたてまつる対象は愛人で

考え方やしゃべり方まで影響を受け、本人は大真面目でも

見ているこっちが恥ずかしくなったものだ。

次男も対象は異なるが、その血を引いた感は否めない。

それについて話したくなったが、長くなったので次回に続けさせていただこう。

《続く》
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