義父アツシは、今月上旬から入院中である。
先月の24日を最後に、食事の宅配をやめてからほどなく、動けなくなった。
糖尿病で腎機能が低下し、透析は秒読みだったが
それより先に、腰のヘルニアが悪化したのだった。
病気があるので強い痛み止めが使えず、家では手の施しようが無い。
夫が病院へ連れて行ったら、透析準備も兼ねて
そのまま入院することになった。
アツシを見舞うと、力なく横たわっていた。
持って行った花に目をやり
「気を使わんでいい」
と言う。
「病室が殺風景だと密告を受けたからね」
「そうか」
“密告”と言うと、いつも納得するアツシだった。
「ひげが伸びた…」
「ひげ剃り持って来たけど、無精ひげもワイルドでかっこいいわよ」
「そうか」
“かっこいい”と言うと、いつもご機嫌になるアツシだった。
帰り際、アツシの手を握って私は言う。
「早く良くなってね。
代わってあげたいよ」
「ありがと…」
アツシも涙目で、手を握り返す。
まさか彼とこんな交流をするようになろうとは
ほんの少し前まで、想像もつかなかった。
こう言うと、私はいかにも優しそうだが、そうではない。
他人だから、血のもつれや生い立ちに関連する厄介な感情が無い。
他人だから、その人が現状を失うことによってこうむる不利益が無い。
「気の毒な人には優しくしましょう」という、人間なら誰でも刻まれている
マニュアルみたいなものが、反応しているに過ぎない。
アツシも気が弱っているので、私のうわべの優しさに
ほろりとくるに過ぎない。
ともあれ歳月は、シブシブの義理親子だったアツシと私を
心地よい人間同士の関係まで運んでくれた。
そしてそれはまた、見送る者と見送られる者という
新たな関係が始まったことを意味している。
入院中のアツシに、義母ヨシコと夫の姉カンジワ・ルイーゼは厳しい。
今の病院は家から近いので、2人は足しげくアツシを見舞うが
腰の激痛で息も絶え絶えのアツシに
「あ~あ~!何してんの!」
「しっかりしなさいよ!」
などと、とにかくポンポン言うのだ。
こう言うと、いかにもヨシコとルイーゼがひどい女のようだが、そうではない。
この気持ち、なんだかわかるのだ。
彼女達にとって、夫は、父親は、強く猛々しいものであった。
決してベッドに転がって、弱音を吐く人物ではない。
自分の認識しているアツシはもういないことが、受け入れられないのだ。
これは私も経験がある。
7年前、実家の父がゴルフ中に急死した時だ。
家に運ばれ、寝かされた父の姿を見て、こう思った。
「なによ!のん気に死んで!早く起きてよ!」
それは怒りの感情であった。
父の死を知って、驚いたし、悲しかった。
だが、死体を見て最初に浮かんだのは、まぎれもなく怒りであった。
父を突然連れ去った何かに対しての怒りであった。
それに黙って従った父への怒りであった。
が、お門違いの怒りは、すぐに終わった。
私が腹を立てたところで、死者が生き返らないのは
常識や経験でわかっているからである。
まだ命があり、頭や体に不具合が生じた場合はどうだろう。
「こんなんなっちゃいました~」を「はい、そうかいな~」
と受け入れるには、時間がかかると思う。
その間は、復帰、復刻、復元を望むあまり
つい叱咤してしまうのではないだろうか。
この気持ちは、近しい間柄であるほど強いのかもしれない。
さて入院して半月も経つと、アツシは愛犬パピに会いたがった。
そこで先日の日曜日、パピを連れてアツシの病院へ行くことにした。
夫と共に、彼の実家へパピを連行しに行ったら
ヨシコとルイーゼも一緒に行くと言う。
一緒に行くとはいえ、なにしろ仲の悪い姉弟であるから
ついぞ数百メートル先の目的地まで、車は別々だ。
ヨシコがどっちの車に乗ろうかと迷う踏み絵も
最終的には娘のほうを選ぶのも、恒例の行事である。
暖かい日であった。
夫とパピを駐車場で待機させ、女3人はアツシの病室へ迎えに行く。
病室で車椅子に乗ったアツシだが、折りたたみ式のを広げた時にずれたようで
足を乗せる所が、くるりとよそを向いている。
ルイーゼが、アツシの足元をガンガンと何度も蹴った。
どうやら、足の台を通常の位置に戻そうとしているらしい。
急に粗暴な行動に出るのは、若かりし頃のアツシそっくりである。
それで直るはずもなく、アツシの腰に響くような気がして、私が手で直した。
そのまま背後に回って車椅子を押そうとすると
「それはやめてっ!」
ルイーゼが叫ぶ。
「自分でやらせるのよ!甘やかしたら社会復帰にならないわ!」
いつになく雄弁なルイーゼであった。
私はすでに、車椅子を直した出しゃばり罪により
ルイーゼ大明神のゲキリンに触れていたのだった。
へへ、社会復帰?できるもんならやってみぃ…だが
なにしろルイーゼさん、近頃は老人ホームの厨房へお勤めの身である。
ご自分の中では、すっかり老人問題の有識者になっておられるのだ。
険悪な雰囲気を察したアツシは、いじらしく自力で車椅子を動かし始めた。
が、不慣れなので方向転換ができず、エレベーターに入れない。
ヨシコが手伝ったが、それには不問のルイーゼであった。
社会復帰はどうした。
玄関に着くと、パピが待っていた。
ここでヨシコ、パピに気を取られたのか
急にアツシに社会復帰してもらいたくなったのか
車椅子を手から離した。
今まで気づかなかったが、玄関の外はゆるいスロープになっていた。
アツシを乗せた車椅子は、スーッと自動的にスロープを駆け下りる。
おお!アツシ!それはコントだぞ!
走って車椅子をつかんだ私と、茫然自失のアツシを交互に見て
ルイーゼは、腹を抱えて大笑いしている。
「ブレーキを使わないと、だめじゃない!」
社会復帰のためのレクチャーも忘れない。
「ほらほら、ブレーキはここよ!」
ヨシコも、手を離したことなど忘れて指導する。
加速のついた所へブレーキをかけると
多分アツシは車椅子から放り出され、無傷ではすまないと思うけど…。
社会復帰の名を借りた、アツシの受難はまだ続きそうである。
先月の24日を最後に、食事の宅配をやめてからほどなく、動けなくなった。
糖尿病で腎機能が低下し、透析は秒読みだったが
それより先に、腰のヘルニアが悪化したのだった。
病気があるので強い痛み止めが使えず、家では手の施しようが無い。
夫が病院へ連れて行ったら、透析準備も兼ねて
そのまま入院することになった。
アツシを見舞うと、力なく横たわっていた。
持って行った花に目をやり
「気を使わんでいい」
と言う。
「病室が殺風景だと密告を受けたからね」
「そうか」
“密告”と言うと、いつも納得するアツシだった。
「ひげが伸びた…」
「ひげ剃り持って来たけど、無精ひげもワイルドでかっこいいわよ」
「そうか」
“かっこいい”と言うと、いつもご機嫌になるアツシだった。
帰り際、アツシの手を握って私は言う。
「早く良くなってね。
代わってあげたいよ」
「ありがと…」
アツシも涙目で、手を握り返す。
まさか彼とこんな交流をするようになろうとは
ほんの少し前まで、想像もつかなかった。
こう言うと、私はいかにも優しそうだが、そうではない。
他人だから、血のもつれや生い立ちに関連する厄介な感情が無い。
他人だから、その人が現状を失うことによってこうむる不利益が無い。
「気の毒な人には優しくしましょう」という、人間なら誰でも刻まれている
マニュアルみたいなものが、反応しているに過ぎない。
アツシも気が弱っているので、私のうわべの優しさに
ほろりとくるに過ぎない。
ともあれ歳月は、シブシブの義理親子だったアツシと私を
心地よい人間同士の関係まで運んでくれた。
そしてそれはまた、見送る者と見送られる者という
新たな関係が始まったことを意味している。
入院中のアツシに、義母ヨシコと夫の姉カンジワ・ルイーゼは厳しい。
今の病院は家から近いので、2人は足しげくアツシを見舞うが
腰の激痛で息も絶え絶えのアツシに
「あ~あ~!何してんの!」
「しっかりしなさいよ!」
などと、とにかくポンポン言うのだ。
こう言うと、いかにもヨシコとルイーゼがひどい女のようだが、そうではない。
この気持ち、なんだかわかるのだ。
彼女達にとって、夫は、父親は、強く猛々しいものであった。
決してベッドに転がって、弱音を吐く人物ではない。
自分の認識しているアツシはもういないことが、受け入れられないのだ。
これは私も経験がある。
7年前、実家の父がゴルフ中に急死した時だ。
家に運ばれ、寝かされた父の姿を見て、こう思った。
「なによ!のん気に死んで!早く起きてよ!」
それは怒りの感情であった。
父の死を知って、驚いたし、悲しかった。
だが、死体を見て最初に浮かんだのは、まぎれもなく怒りであった。
父を突然連れ去った何かに対しての怒りであった。
それに黙って従った父への怒りであった。
が、お門違いの怒りは、すぐに終わった。
私が腹を立てたところで、死者が生き返らないのは
常識や経験でわかっているからである。
まだ命があり、頭や体に不具合が生じた場合はどうだろう。
「こんなんなっちゃいました~」を「はい、そうかいな~」
と受け入れるには、時間がかかると思う。
その間は、復帰、復刻、復元を望むあまり
つい叱咤してしまうのではないだろうか。
この気持ちは、近しい間柄であるほど強いのかもしれない。
さて入院して半月も経つと、アツシは愛犬パピに会いたがった。
そこで先日の日曜日、パピを連れてアツシの病院へ行くことにした。
夫と共に、彼の実家へパピを連行しに行ったら
ヨシコとルイーゼも一緒に行くと言う。
一緒に行くとはいえ、なにしろ仲の悪い姉弟であるから
ついぞ数百メートル先の目的地まで、車は別々だ。
ヨシコがどっちの車に乗ろうかと迷う踏み絵も
最終的には娘のほうを選ぶのも、恒例の行事である。
暖かい日であった。
夫とパピを駐車場で待機させ、女3人はアツシの病室へ迎えに行く。
病室で車椅子に乗ったアツシだが、折りたたみ式のを広げた時にずれたようで
足を乗せる所が、くるりとよそを向いている。
ルイーゼが、アツシの足元をガンガンと何度も蹴った。
どうやら、足の台を通常の位置に戻そうとしているらしい。
急に粗暴な行動に出るのは、若かりし頃のアツシそっくりである。
それで直るはずもなく、アツシの腰に響くような気がして、私が手で直した。
そのまま背後に回って車椅子を押そうとすると
「それはやめてっ!」
ルイーゼが叫ぶ。
「自分でやらせるのよ!甘やかしたら社会復帰にならないわ!」
いつになく雄弁なルイーゼであった。
私はすでに、車椅子を直した出しゃばり罪により
ルイーゼ大明神のゲキリンに触れていたのだった。
へへ、社会復帰?できるもんならやってみぃ…だが
なにしろルイーゼさん、近頃は老人ホームの厨房へお勤めの身である。
ご自分の中では、すっかり老人問題の有識者になっておられるのだ。
険悪な雰囲気を察したアツシは、いじらしく自力で車椅子を動かし始めた。
が、不慣れなので方向転換ができず、エレベーターに入れない。
ヨシコが手伝ったが、それには不問のルイーゼであった。
社会復帰はどうした。
玄関に着くと、パピが待っていた。
ここでヨシコ、パピに気を取られたのか
急にアツシに社会復帰してもらいたくなったのか
車椅子を手から離した。
今まで気づかなかったが、玄関の外はゆるいスロープになっていた。
アツシを乗せた車椅子は、スーッと自動的にスロープを駆け下りる。
おお!アツシ!それはコントだぞ!
走って車椅子をつかんだ私と、茫然自失のアツシを交互に見て
ルイーゼは、腹を抱えて大笑いしている。
「ブレーキを使わないと、だめじゃない!」
社会復帰のためのレクチャーも忘れない。
「ほらほら、ブレーキはここよ!」
ヨシコも、手を離したことなど忘れて指導する。
加速のついた所へブレーキをかけると
多分アツシは車椅子から放り出され、無傷ではすまないと思うけど…。
社会復帰の名を借りた、アツシの受難はまだ続きそうである。