殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

社会復帰?

2011年11月23日 11時46分37秒 | みりこんぐらし
義父アツシは、今月上旬から入院中である。

先月の24日を最後に、食事の宅配をやめてからほどなく、動けなくなった。

糖尿病で腎機能が低下し、透析は秒読みだったが

それより先に、腰のヘルニアが悪化したのだった。

病気があるので強い痛み止めが使えず、家では手の施しようが無い。

夫が病院へ連れて行ったら、透析準備も兼ねて

そのまま入院することになった。


アツシを見舞うと、力なく横たわっていた。

持って行った花に目をやり

「気を使わんでいい」

と言う。

    「病室が殺風景だと密告を受けたからね」

「そうか」

“密告”と言うと、いつも納得するアツシだった。


「ひげが伸びた…」

    「ひげ剃り持って来たけど、無精ひげもワイルドでかっこいいわよ」

「そうか」

“かっこいい”と言うと、いつもご機嫌になるアツシだった。


帰り際、アツシの手を握って私は言う。

    「早く良くなってね。

     代わってあげたいよ」

「ありがと…」

アツシも涙目で、手を握り返す。

まさか彼とこんな交流をするようになろうとは

ほんの少し前まで、想像もつかなかった。


こう言うと、私はいかにも優しそうだが、そうではない。

他人だから、血のもつれや生い立ちに関連する厄介な感情が無い。

他人だから、その人が現状を失うことによってこうむる不利益が無い。

「気の毒な人には優しくしましょう」という、人間なら誰でも刻まれている

マニュアルみたいなものが、反応しているに過ぎない。

アツシも気が弱っているので、私のうわべの優しさに

ほろりとくるに過ぎない。


ともあれ歳月は、シブシブの義理親子だったアツシと私を

心地よい人間同士の関係まで運んでくれた。

そしてそれはまた、見送る者と見送られる者という

新たな関係が始まったことを意味している。


入院中のアツシに、義母ヨシコと夫の姉カンジワ・ルイーゼは厳しい。

今の病院は家から近いので、2人は足しげくアツシを見舞うが

腰の激痛で息も絶え絶えのアツシに

「あ~あ~!何してんの!」

「しっかりしなさいよ!」

などと、とにかくポンポン言うのだ。


こう言うと、いかにもヨシコとルイーゼがひどい女のようだが、そうではない。

この気持ち、なんだかわかるのだ。

彼女達にとって、夫は、父親は、強く猛々しいものであった。

決してベッドに転がって、弱音を吐く人物ではない。

自分の認識しているアツシはもういないことが、受け入れられないのだ。


これは私も経験がある。

7年前、実家の父がゴルフ中に急死した時だ。

家に運ばれ、寝かされた父の姿を見て、こう思った。

「なによ!のん気に死んで!早く起きてよ!」

それは怒りの感情であった。


父の死を知って、驚いたし、悲しかった。

だが、死体を見て最初に浮かんだのは、まぎれもなく怒りであった。

父を突然連れ去った何かに対しての怒りであった。

それに黙って従った父への怒りであった。


が、お門違いの怒りは、すぐに終わった。

私が腹を立てたところで、死者が生き返らないのは

常識や経験でわかっているからである。


まだ命があり、頭や体に不具合が生じた場合はどうだろう。

「こんなんなっちゃいました~」を「はい、そうかいな~」

と受け入れるには、時間がかかると思う。

その間は、復帰、復刻、復元を望むあまり

つい叱咤してしまうのではないだろうか。

この気持ちは、近しい間柄であるほど強いのかもしれない。




さて入院して半月も経つと、アツシは愛犬パピに会いたがった。

そこで先日の日曜日、パピを連れてアツシの病院へ行くことにした。


夫と共に、彼の実家へパピを連行しに行ったら

ヨシコとルイーゼも一緒に行くと言う。

一緒に行くとはいえ、なにしろ仲の悪い姉弟であるから

ついぞ数百メートル先の目的地まで、車は別々だ。

ヨシコがどっちの車に乗ろうかと迷う踏み絵も

最終的には娘のほうを選ぶのも、恒例の行事である。


暖かい日であった。

夫とパピを駐車場で待機させ、女3人はアツシの病室へ迎えに行く。

病室で車椅子に乗ったアツシだが、折りたたみ式のを広げた時にずれたようで

足を乗せる所が、くるりとよそを向いている。


ルイーゼが、アツシの足元をガンガンと何度も蹴った。

どうやら、足の台を通常の位置に戻そうとしているらしい。

急に粗暴な行動に出るのは、若かりし頃のアツシそっくりである。

それで直るはずもなく、アツシの腰に響くような気がして、私が手で直した。


そのまま背後に回って車椅子を押そうとすると

「それはやめてっ!」

ルイーゼが叫ぶ。

「自分でやらせるのよ!甘やかしたら社会復帰にならないわ!」

いつになく雄弁なルイーゼであった。

私はすでに、車椅子を直した出しゃばり罪により

ルイーゼ大明神のゲキリンに触れていたのだった。


へへ、社会復帰?できるもんならやってみぃ…だが

なにしろルイーゼさん、近頃は老人ホームの厨房へお勤めの身である。

ご自分の中では、すっかり老人問題の有識者になっておられるのだ。


険悪な雰囲気を察したアツシは、いじらしく自力で車椅子を動かし始めた。

が、不慣れなので方向転換ができず、エレベーターに入れない。

ヨシコが手伝ったが、それには不問のルイーゼであった。

社会復帰はどうした。


玄関に着くと、パピが待っていた。

ここでヨシコ、パピに気を取られたのか

急にアツシに社会復帰してもらいたくなったのか

車椅子を手から離した。


今まで気づかなかったが、玄関の外はゆるいスロープになっていた。

アツシを乗せた車椅子は、スーッと自動的にスロープを駆け下りる。

おお!アツシ!それはコントだぞ!


走って車椅子をつかんだ私と、茫然自失のアツシを交互に見て

ルイーゼは、腹を抱えて大笑いしている。

「ブレーキを使わないと、だめじゃない!」

社会復帰のためのレクチャーも忘れない。

「ほらほら、ブレーキはここよ!」

ヨシコも、手を離したことなど忘れて指導する。


加速のついた所へブレーキをかけると

多分アツシは車椅子から放り出され、無傷ではすまないと思うけど…。

社会復帰の名を借りた、アツシの受難はまだ続きそうである。
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家政婦のミタ

2011年11月16日 09時51分42秒 | みりこんぐらし
水曜10時に放映中のドラマ「家政婦のミタ」が、人気らしい。

松嶋菜々子演じる、感情の無い家政婦ミタさんが

母親の亡くなった家に派遣される。

家族は、ロボットのような家政婦に戸惑いながらも

彼女の言動から様々なことを学んで、絆を取り戻していくドタバタ劇である。


テレビ局は違うが、前に「家政婦は見た」というサスペンスドラマがあった。

市原悦子が下世話な家政婦を演じる人気のシリーズだ。

これは人気で、長く続いた。


回を重ねるにつれて、ラストシーンでは

派遣先の家庭の悪をあばき、啖呵を切って去るという

水戸黄門めいた筋書きに迷走していった感もあったが

彼女の出るドラマは必ず面白いという神話は、広く定着した。

「家政婦のミタ」が、この「家政婦は見た」を

もじったタイトルであることは明白。


この秋のドラマは、私にとって近年まれに見る豊作である。

「DOCTORS 最強の名医」も始まったし「相棒」も復活した。


「科捜研の女」も再開したけど、沢口靖子の芸風が変化していて、いまひとつ。

ただパッチリ目を見開いて、沈黙するシーンが激増し

ずっとびっくり人形を見せられているようだ。

それまで放映していた「京都地検の女」の

名取裕子の熟練が懐かしくなる。


毎日「カーネーション」もあるし

長期連続物の「江」と「イ・サン」もある。

ざっと地デジだけでも、これだけあるのだ。

しかもフィギュアスケートのシーズンに入った。

この程度で充分、我がテレビライフは多忙である。

その中で、中国のテーマパークのような勇気に敬意を表し

「家政婦のミタ」を最優先で見ることにした私だった。


劇中、母親の死は、旦那の浮気が原因の自殺だったことが明らかになる。

浮気旦那に離婚届けを突きつけられたとはいえ

年端のいかない4人の子供を残して、あっさり死ねるかどうか疑問ではあるが

さっさと死んでもらわなければ物語が始まらないので、しかたがない。


母親が死んだ家の子供は、もっとおとなしいと思う。

大人の顔色を見ながら、息をひそめて暮らすものだ。

自分より大人のほうが悲しいのだと言い聞かせながら、悲しみに耐える。

時には感情が溢れてしまうこともあるだろうけど

この家みたいに、始終ギャンギャンとうるさく叫ばない。

興奮したら、もっとつらくなるのを知っているからだ。

だが、躾の行き届いた良い子では

面白さが半減してしまうので、しかたがない。


父親ですら49日の意味を知らないライトな家族でありながら

やたら「長女だから」「長男だから」と古風に自負するのも不自然ではあるが

それでは進行に支障があるので、やはりしかたがない。

視聴者は物語のすべてに、リアルを望んでいるわけではないのだ。


とはいえ、浮気するお父さんの言動は、実にリアル。

「妻は自殺なんです!僕のせいなんです!」

「子供なんて欲しくなかったんです!

 子供ができて、結婚してくれないと死ぬと言われて、仕方なく…」

お父さんはしょっちゅう、ミタさんに熱く告白する。

何か重たそうなことを叫べば、同情してもらえると思っている。

このお父さん、相当な甘ったれだ。

しかしこの甘ったれ加減、浮気者の特徴をよく現わしている。


子供が苦手なら、せめて増やさなければいいものを。

朝ご飯はパンより和食がよかったなら、ダメ元で言ってみればいいものを。

環境が不本意なら、せめて改善を試みればいいものを。

その時点では、あらがう気概を持たず、流れに任せておきながら

後で「実は不満でした」と、死者に鞭打つ。


「子供がかわいいかどうか、わからない」と、子供の前で口走る。

信じられないお父さんであろうが

浮気者って、本当にこういうことを普通にする。

何でも自分が中心なので、我に快を与えぬ存在は、そのまま悪となるのだ。

やってることがことなので、彼に快を与えてくれる協賛者の人数は少ない。

だから居場所を無くして孤立する。


振られた浮気相手を待ち伏せし、ストーカー呼ばわりされる。

そこへ浮気相手の新しい彼氏登場。

左遷される前に、部下だった男だ。

母親の死の真相を知った娘が、ミタさんを使って

父親の勤務先に社内不倫を言いふらし、お父さんは左遷されたのだった。

当然のごとく新彼に軽蔑されるが、そんなことよりも

彼女に冷たくされたショックのほうが大きいお父さん。


「こんなみっともないこと、やるわけないじゃん、普通…」

と思う人もいるだろう。

ところが、やるのだ。

何でなのか、自分にもわからないまま、浮気者はやっちゃうのだ。


浮気をすると、感情の目盛りが快と不快の両極二個しか無くなるようだ。

その上、受け入れがたい衝撃があると

浮気者は、より熱心に快の方角を求めてしまう。

そっちの方角が、たとえさらなる不快をもたらすとしても

今の不快目盛りに居たくない気持ちの方が強い。

時には、見境を失える衝撃を待っているように見えることもある。

周囲はそれを“無茶”と呼んで戸惑うが、本人に違和感は無い。


外見が草食系だけに、ギャップが不気味なのはさておき

4人も子供を作っておきながら、外に女をこしらえる

いたずらに旺盛なスタミナ。

いつも現実から逃げ回り、おのれのスケベの言い訳に不平不満を活用。

嘘は得意なのに、変なところでバカ正直。

まさに浮気男の象徴的キャラクターである。


制作者は想像を働かせて、なさけない浮気者の極地を

表現したに過ぎないと思われる。

しかし想像の極地が、実は浮気者のリアルな生態となった意外性が

私には興味深い。


ところで、あの家政婦のもの言いは

夫の姉カンジワ・ルイーゼにそっくりである。

姿も声も違うが、笑わないところと、木で鼻をくくったような受け答えで

会話のキャッチボールが不可能なところだ。


キャップをま深にかぶって、地味なダウンを着ているのは

犬を散歩させる時のルイーゼと同じ。

よその人には珍しかろうが、うちには昔から

家事をやらないミタさんが一人いる。


家族で大いに笑いながら、楽しく見るドラマがあるって

とても幸せなことだと思う。

笑いの意味はちょっと違うけどさ。
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人選ミス

2011年11月12日 12時44分53秒 | みりこん昭和話
高2の時、クラスに、なにかっちゅうと私に突っかかる女、ひでよがいた。

中学では番張っていたと吹聴するような、その程度の女である。

ええとこのお嬢という自己申告の触れ込みであった。

家が遠すぎて、同じ中学から来た者はいなかったので、言いたい放題だ。

いけ好かない女であった。


当時、英語の教科書に、私のお気に入りの話が載っていた。

初めてのファンレターをもらった、若く貧しい小説家が

手紙の主を食事に招待した。

文面から、若い娘だと思い込んでいたが

待ち合わせたレストランに現われたのは、太った中年のご婦人であった。

小説家は驚いたが、気を取り直してご婦人をエスコートする。


食欲旺盛なご婦人を横目に、彼は財布の中味を案じてヒヤヒヤしていた。

そこへ運悪く、グリーンアスパラガスのカゴを抱えたウェーターが…。

「本日は、良いアスパラガスがございます」

「私は小食なので、もうお腹がいっぱいですの。

 でもバター焼きにしたグリーンアスパラガスがあれば、別ですわ!」

そこで小説家は、しぶしぶ一人分だけオーダー。


やっと食事が終わったと思ったら、今度は桃のワゴンが近付いて来た。

「本当においしいお食事でした。

 あとは桃さえあれば、すばらしいですわ!」

そう言われて、小説家はしかたなく桃をオーダー。

ご婦人は結局、彼の小説をあまり読んでおらず

彼はその後の数日をパンと水だけで過ごしたという、かわいそうな話だ。

小説家のお人好しと、ご婦人の図々しさが、私のツボであった。


この時、クラスは騒然となった。

桃は知っている…けどグリーンアスパラガスとは、どんなもんぞや?

当時、我が町の食料品店に、グリーンアスパラガスは存在しなかった。

我々が認識するアスパラといえば、缶詰の白いやつか

田辺の胃腸薬だけである。


ここで、ひでよが得意げに言った。

「おいしいよね~、グリーンアスパラガス!」

おまえの住む山奥に、そんなハイカラなもんがあるものか…

私は意地悪く思った。


どんな味?どんな味?と男子達が無邪気に聞くものだから

ひでよは困って言った。

「う~ん、どんな味って~…香ばしい!」

香ばしいって?どんな感じ?と、またたずねられ、怒り出すひでよ。

「あ、おめえ、ほんまは食ったことねえんだろ」

「貧乏人にはわからないわよ!」

このやりとりの後、ひでよは多少おとなしくなった。


やがて2年の3学期も終わりに近づき、3年生の卒業式があった。

私は卒業を迎えた女子数名に呼び出された。

ツッパリと呼ばれる女の子達である。

あまりしゃべったことは無い。

リーダー格の女の子が、時々体操服を借りに来たので、貸してやったくらいだ。

ぺちゃんこに加工した学生カバン以外は

荷物を持たずに学校へ来るのが、イケテるとされた時代であった。


私の通った高校は、おとなしくてのどかだったので

男子にも女子にも、際だった不良というのはいなかった。

よってツッパリの基準は、あくまでファッション優先の校内比であり

世間一般で通用する水準ではないため、恐れるほどではなかった。


そこで紙袋を渡され

「3年になったら、これをはいて」

と言われた。

「学校の女子をちゃんとシメるのよ」

私の住む地方では、シメるというのは意地悪をすることではなく

支配するということである。


なんと、この人達は女子をシメていたつもりだったのか。

私達は、この人達にシメられていたのか。

初めて知った。

ああ、驚いた。


紙袋に、どんないいものが入っているのかと思ったら

古びた制服のスカートが出てきた。

長いやつである。

所々ほつれているし、はき古されて、テカテカ光っている。

「ええ~?」

私の顔は曇った。

反応がいまひとつの私を残し、彼女達は去って行った。


どうも、何代かに渡って受け継がれたものらしい。

どうも、これを渡された者は、おカシラみたいな人になるらしい。

どうも、適任者がいないので、体操服を借りていた私に回ってきたらしい。

スカートの主と私の体操服のサイズが、同じMのロングだったからにすぎない。

この人事、適当にもほどがある。


私は困った。

こんな汚いものをはいて、何か勘違いをして、いばれということか。

それはみっともなくて、恥ずかしいことではないのか。

しかも3年になるにあたり、町内の田平洋装店で

新しいセーラー服をあつらえている最中であった。

そっちのほうが、断然いい。


私はそのうちひらめいた。

「3年になったら、あの人達、もういないじゃん!」

あのグループに、地元の子はいなかった。

ボロスカートをはかなくても、誰もとがめる者はいないのだ。

この名案に、有頂天であった。


が、そこで再び問題発生。

スカートの処分方法だ。

どこへ捨てようか。

子供というのはかわいそうなもので、何かをどこかへ捨てたとしても

必ず大人に見つかって怒られることを、私は幾たびかの経験で知っていた。


すると都合の良いことに、ひでよがこのスカートを欲しがった。

「私がもらってあげてもいいけど?」

おお!ひでよ!なんていいヤツだ!

一瞬でひでよを見直した、ゲンキンな私であった。


そうよ!あの人達は、私じゃなくひでよに渡せば良かったのよ!

きっと感動的な贈呈式ができたはずよ!

正当な継承者を発掘したような気になり、ホイホイと進呈した身勝手な私であった。


3年生になり、ひでよは得意満面で、長いスカートをひきずっていた。

しかしある日、何の拍子か、ウエストのベルト芯とプリーツの部分が

大きくお別れしてしまい、バサリとひでよの足元に崩れ落ちた。

縫い目が朽ちていたようだ。

周りに女子しかいなかったのが、不幸中の幸いであった。


ジャージに着替え、仏頂面で授業を受けたひでよ。

「みりこんの陰謀だ」と私をにらんだひでよ。

ひでよは、本当にいいヤツだ。
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渡りに乳

2011年11月04日 11時51分37秒 | みりこんぐらし
4月の選挙で仲良くなった5人で、月例会を発足したのは以前お話しした。

毎月1回食事をする気軽な集まりである。

年齢が40代、50代、60代、70代と連なっているのが

私にとってお気に入りであった。


しかし3ヶ月前、40代が脱会した。

脱会の理由…表向きは「多忙」

本当は「ラン子さんの毒がつらい」というものであった。

「娘と孫の自慢ばっかり聞かされて、うんざりです!」


ラン子は私より3つ年上のうぐいす仲間だ。

良く言えば個性が強い、悪く言えば自己中の自慢屋である。

おぼこい40代は最年少の遠慮もあって

本気でラン子の相手をして、くたびれたのだ。


自慢したければ、優しい60代70代に

好きなだけ聞いてもらえばいいようなもんだが

自慢は、それを持たぬ者にひけらかし、うらやましがらせてこそ自慢である。

娘も孫も持っている60代70代に自慢すると、自慢返しの刑が待っている。


娘や孫を持たぬ私も、最初の頃はさんざん聞かされたクチだが

ある事情をきっかけに放免された。

そこでニューフェイスの40代が、ターゲットになってしまった。

気をつけていたつもりでも、力及ばず。


私が放免されたある事情とは

この春、独り身のラン子と同居していた娘一家が

内緒で家を借り、突然引っ越したという出来事である。

別居の原因は、ラン子が5才の孫に自分のお乳を吸わせている現場を

娘ムコが目撃し、恐れおののいたという少々デリケートなものだった。

家族とはいえ、他人にはちょっとしたホラーである。


ショックで寝込んだ彼女と、母親の自殺を心配する娘。

孫のおもちゃとして用をなすラン子の巨乳をうらやましく思いつつ

双方に泣きつかれた私は、仲介役を引き受けた。


お互いにあふれるほどの愛情を持ちながら

不器用ゆえに歯車を狂わせる母娘。

前々からマスオさん生活に嫌気がさしており

この一件を“渡りに舟(乳?)”にした、ムコの打算も垣間見えた。

立場は違えど、なんとなく他人事ではないような気がして

力になりたかった。


しかしそこは血を分けた親子、やがて普通に行き来するようになった。

よって、負けず嫌いが母親そっくりの娘と、5才で婆の乳を吸う孫が

自慢するほどのタマでないと知る私は、その時から圏外に置かれた。


「絶対に人のことを良く言わないし

 割り勘の時、あの人だけなかなか払わないじゃないですか。

 私、そういうのがすごく気になってしまうんです」

40代が言ったので、私はそれもそうだと大笑いした。

「笑いごとじゃありませんよ。

 私たちのことだって、きっとよそで悪く言ってますよ。

 とにかく私はもうこりごりです。

 これからは、あの人がいない時だけ誘ってください」 

そして40代は去った。


確かにラン子は、扱いにくい女だ。

しかし彼女の毒に、私はなぜか甘い。

ラン子はこんな性格なので、友達づきあいに慣れておらず

遊ぶのはたいてい身内だ。

身内であれば、自慢も悪口もそのまま意見として認められる。

他人にも同じ態度を通しているに過ぎない。


親兄妹であれば、グズグズしているうちに誰かが支払いをしてくれる。

割り勘が遅れるのは、おそらく払うタイミングがつかめないのだと思う。

それも「トイチの金利がつくぞ」と私にうるさく言われ

最近は徐々に克服しつつある。


こういう女は、こっちが男役になってグイグイ引っ張ると

そこいらの女性よりも従順になる。

使用法がわかれば、なんてことはない。


30年前に別れた旦那をいまだに恨んでいるラン子。

離婚の原因は、旦那の浮気であった。

今は高級マンションで、その相手と優雅に暮らしているのを悔しがる。

当時の義理親の冷たい仕打ちを根に持ち

再婚相手との間に生まれた子供と、自分の娘の扱いに差があると憎む。

娘や孫の自慢をするのも、満たされない心の叫びのように思える。


そんな彼女に、もっと楽しいことがたくさんあると教えたいような

おせっかいな気になるから、困ったものではないか。

気が合うって、こういうことなんだろう。


と、思っていた…思っていたのだ、先月までは。


先月の月例会は、ラン子の仕事の都合で日程を変更した。

そして当日、ラン子に「これから迎えに行く」と電話したら、様子がおかしい。

「あのぉ、私ぃ、会社の人の結婚式の二次会にぃ

 今ぁ、みんなで向かってるんですよぉ」

変によそよそしく語尾を伸ばして若ぶるのは

そばに若い同僚達がいるからだと思われる。


「急にぃ、二次会だけ出てと言われてぇ

 遠くなんでぇ、今日は行けそうにないんですけどぉ」

    「こらこら、日にちを変更したのはラン子さんじゃん」

「そうなんですけどぉ、私も体は一つしか無いしぃ」


一瞬ムッとしたが、よく考えればラン子が欠席して困ることは何も無い。

同僚の前で引っ張りだこの人気者を演じるラン子につき合って        

フラレ役をするのは願い下げだ。

いつも遠くて珍しい所へ行きたがるラン子は

より遠く、より珍しいほうを選んだまでだ。

こういうことは、初めてではない。

そしてドタキャンしては、後で急に淋しくなってすり寄って来るのだ。


このやりとりを義母ヨシコが聞いていた。

「ラン子さん?」

    「そうよ、またドタキャンよ」

「あの子、悪魔みたいでしょ」

ヨシコの口から、まさかの悪魔発言。

ヨシコが人をこのように一刀両断するのは、珍しい。


    「何でラン子さんを知ってんの?」

「遠いけども、親戚なのよ」

    「どえぇ~!!」

驚愕する私を前に、ヨシコはさらりとのたまう。

「あの子、昔からそうよ…親もあんなだわよ」


ヨシコの母方の祖母と、ラン子の父方の祖母がイトコ同士だと

この時初めて知った。

「子供の頃、ラン子さんの実家に泊まったこともあるわ」

    「し…知らんかった…」

「私も忘れてたけど、最近あんたが名前をよく出すから思い出したの」


後日、ラン子にこのことをたずねてみた。

やはり彼女も、昔から親戚だと知っていたそうだ。


薄いとはいえ、ヨシコの血筋と知ってしまったからか

どんぐりチックな体型、粋で華やかな印象

こまめで几帳面、体は弱いが気は強い…共通点多し。

もしや気が合うのは、ラン子の中にヨシコを感じているからかもしれない。


この世には私の知らないことが、まだたくさんあるみたい。

だから人間はやめられない。
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