殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

手抜き料理・コロナバージョン

2021年05月30日 08時23分24秒 | 手抜き料理
一昨日は同級生ユリちゃんの実家のお寺で、また料理を作った。

世間はコロナ自粛のさなか。

バカじゃなかろうかと思われるだろう。

私もそう思う。


ともあれこの日は、“お磨き”と呼ばれる掃除の日。

お寺の本堂にぶら下がったキンキラキンの飾りを磨いたり

境内に祀られた小さなお稲荷さんを綺麗にする行事だ。

数名の檀家さんがお磨きに参加するため

昼ごはんを作って欲しい…

いつものようにユリちゃんから、我々同級生に依頼があった。


それを聞いた夫は、あきれ顔で言ったものだ。

「非常識にもほどがある…」

彼に非常識と言われたら、おしまいなのはともかく

毎年6月にはお稲荷さんのお祭がある。

人が集まるイベントとしてのお祭は、去年から開催を自粛しているが

お経をあげて感謝を捧げる仏事は例年通り行われる。

自粛だから掃除もしません…というわけにはいかないらしい。

神仏に、そんな言い訳は通用しないのだ。


もちろんユリちゃんにも、直前まで迷いはあった。

お磨きを行うのは決定事項だ。

しかし食事係を呼んでまで、決行するのはどうなのか…

また、少ないとはいえ人が集まる場所へ我々を呼んで

嫌がられはしないか…

ユリちゃんは心配していた。


が、お磨きは朝から午後までかかるため、昼ごはんはどうしても必要。

食べ物を出す店はことごとく休業中なので

コンビニ弁当しか無く、そんなモンではねぎらいにならない。

だからといって彼女か兄嫁さんが料理をするとなると

ただでさえ少ないお磨き要員が減ってしまう。

ユリちゃんの悩みは深い。


だから私は提案した。

「この状況は、まだしばらく続くと思う。

行事のたびに悩んでも仕方がない。

ちょっと前から考えていることがあるので、今回やらせて欲しい」


考えていたのは、弁当。

料理を皿に盛って出すのではなく、使い捨ての弁当パックに詰めるのだ。

おかずは全部、家で作って持ち込む。

お寺の台所でやるのは盛り付けと

ごはんを炊いて、おにぎりを作るのだけ。


それを各自に渡せば

お寺で食べる人、早退する人、ことづける人の全てに対応できる。

奉仕作業に飽きた檀家さんが次々に

「お手伝いします」

と言って台所へ集まる密も避けられる。


汁もお茶も紙コップ。

そうすれば洗い物も少ない。

前から思っていたのだが、食後に檀家さんたちがゾロゾロと台所に入り

我々と一緒に洗い物をする慣例こそ、密ではないか。


とはいえ弁当方式は、コロナ対策のためというより

これから訪れる地獄の夏に備え、私が無い頭で考え出した秘策である。

エアコンも換気扇も無いクソ暑い台所で、火を使うのは命がけだ。

直撃の西陽に炙られながら

いつ終わるとも知れない食器洗いだって、もうたくさんだ。

弁当にすれば、この二つの苦しみは一気に解消するではないか。


弁当のことを話すとユリちゃんは、う〜ん…とかすかに難色を示した。

理由はわかっている。

彼女の頭に浮かんでいるのは、味気ないコンビニ弁当。

パック詰めの弁当なんて、ショボくて失礼という気持ちがあるのだ。

今後も弁当方式にしたい私は“時節柄”を強調し、ユリちゃんに決断を迫る。

結果、「とりあえず今回は…」の注釈付きで許可がおりた。



さてこの日、いつもたくさんの料理を作ってくれるマミちゃんは

月末のために洋品店を閉められないので、私とモンちゃんの2人。

身体が弱くてスローなモンちゃんは、あんまりあてにできない。

私一人だと思ったほうがいい。

しかし当日になって欠席が相次ぎ、お寺で食事をするのは檀家さん3人に

ユリちゃん、兄嫁さん、我々で7人となった。

史上2番目の少なさ。

が、その分、持ち帰りやことづける弁当が増えるので

作る量はいつもとあまり変わらない。



今後も弁当方式を定着させたい私は、目にもの見せてやるわ…

と張り切り、家で作って現地で詰めた。



メニューは煮込みハンバーグ、ナスバンジャン、海老とししとうの天ぷら

アスパラと赤パプリカの牛肉巻き、サバの南蛮漬け、キンピラごぼう、五目卵焼き。


煮込みハンバーグは、パン粉に牛乳を加えて柔らかくするという

いつものやり方を使用しない。

多めのパン粉と卵でタネを固めに練り、焼く時、表面に小麦粉をまぶす。

そうした方が煮込んだり持ち運ぶ際に崩れにくい。

缶詰のデミグラスソースは高いので、ハッシュドビーフの素を使って煮込んだ。

我ながら名案だと思った。


ナスバンジャンはユリちゃんの兄嫁さんから教わった、檀家さんたちの好物。

長ナスはまだ出てないため、普通のナスで作ったが

時期的にまだ固いナスだったので、うまくいった。

本当は揚げナスの煮浸しにするつもりだったが

みんなが好きな物の方がいいジャン、簡単ジャンと思って変えた。


天ぷらは、弁当に海老が入っていると嬉しかろうと思って作り

牛肉巻きは、本当は鶏モモ肉で何か作るつもりだった。

しかし今、なぜか鶏モモが高い。

牛バラの方が安かったので、牛肉巻きに変えた。

夜、せっせと肉を巻いていたら

「最近、お寺で牛肉巻き、多くない?」

と長男に指摘されたが

「巻く中身が違う!食べる人が違う!」

と言い張る。


サバの南蛮漬けは、長男が釣ってきたサバを冷凍していたので採用。

南蛮漬けは前の日に作り置きができるため、時間的に都合がいい。


キンピラごぼうは、新ごぼうのシーズンなので作った。

新ごぼうは柔かいので、細切りしやすくて疲れないからである。


五目卵焼きは、病院のメニュー。

弁当には卵焼きだろうということで、登板。

みじん切りのハム、人参、ピーマン、ネギを入れる。

あと一つが何だったか忘れたので、かつお節を投入。

これで何とか、五目の面目が立った。

かつお節はダシと香りが出て、水分は出ないから、いいよ。





とりあえず20パックを用意。

隙間を埋める補欠に、貰い物のスナップえんどうを茹でて持参していたので

胡麻ドレッシングで和え、持ち帰り用のパックに置いた。


おにぎりは、なんとモンちゃんがにぎってくれた。

さすが事務職35年、きっちりと綺麗な形だ。

彼女の隠れた才能を発見。

お見それしました。

今後はおにぎり女王と呼ばせていただきます。


汁ものは撮影し忘れたが、写真を撮るまでもない。

温めるだけのスジャータ・コーンスープ。

弁当のおかずを作ったら、かったるくなり

数日前、特売で2本買ったのが冷蔵庫にあったので

これでいいやと持って行った。

パセリのみじん切りを散らして、紙コップに注げば終了。

今日一番の自信作かも。





デザートはプリン。

私の意気込みに刺激されたのか、長男がプリンを作ると言い出した。

前の晩に材料と容器を買いに行ってハウスプリンを固めておき

朝、生クリームを泡立てて、フルーツの飾り付けを済ませて出勤。

使い捨ての容器には背の高いフタが付いていて

仕上がったプリンの上にパカッと被せれば無傷で運搬できる。

キウイアレルギーの人が欠席だったので、緑が添えられて良かった。


さて弁当にしてみて、何が良かったか。

洗い物が少ないのは予想していたが

一番は台所と座敷の往復が1回だけだったこと。

モンちゃんが弁当7個、私がスープ7個とお茶の紙コップだけだもんね。

小さいお寺とはいえ、台所から座敷までは距離や段差があり

一般家庭のようにはいかない。

お盆に乗せた重たい料理を持って、何往復もする行程が無いのは大きい。


最初から弁当なんだから、持ち帰りの分を詰める作業も無い。

これもけっこう時間がかかって消耗するのだ。

疲れが全然違ったので、びっくりした。

弁当、ええわ〜!
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お試し詐欺

2021年05月26日 08時06分52秒 | みりこんぐらし
一緒に暮らす義母ヨシコは、昔から通販好き。

電話の勧誘で、相手が自慢話を聞いてくれたら

たいていの物は買う。


電話でアポを取り、家に来て高額な商品を売りつけるタイプも

昔からヨシコの好物だが、今は亡き義父アツシもこの手のことが好きだった。

値段の高いものは、たいてい誰かの紹介で回ってくる。

その誰かが「うちも買った」と言えば、負けじと買うので

売る方にとっては勝率100パーセントの上客といえよう。


昔の話になるが、ゴミだけでなく水も吸うというバカ高い掃除機

(試しに水を吸ってみたら、壊れた)

牛乳タンパクの繊維で作ってあるという布団

(すごく寒い)

家用電話の受話器5台と配線工事

(離れのある大邸宅向けなので、狭い家だと5台が同時に鳴り響いてうるさいだけ)

商業用無線と無線塔工事

(周波数がよその会社と共有で、その会社の使用中はなかなか割り込めず

無理に割り込んだところで情報がダダ漏れ)

など、彼らはさまざまな物を買っては騙され、無駄遣いを重ねた。

日頃、自慢ばかりしていると、いざという時に断れなくなるものだ。



これも昔の話になるが、お試し詐欺もあった。

入手困難な特殊金属でできていて、身体の凝りや痛みが根本から解消されるいう

ピップエレキバンみたいなやつ。

試しに2週間、1ダース貸してくれるという。

当時、このように気前のいい話は珍しかったので

アツシとヨシコは嬉々として試用。

腰痛を理由に仕事をせず、余った時間と体力で浮気三昧をしていた

若かりし我が夫にも試させた。


しかし夫は一夜にして、特殊金属とやらのくっついたシールを紛失。

若い身体は脂が多い。

肩や腰は特にだ。

その脂でシールの粘着力が弱まり、どこかへ落ちてしまったのだ。


2週間後、再び業者がやって来て商談となった。

アツシもヨシコも何十個だかのセットの値段を聞いて、あまりの高額に断る。

すると業者は平然と言った。

「では、お預けしていた商品を回収して帰ります」

しかし1ダース12個のうち、半分は無くなっていた。

夫が3個、アツシが3個、どこかで無くしたのだ。


借り物だからと、大っぴらに探すわけにはいかない。

彼ら父子が無くした場所は、自宅でない可能性が高い。

それぞれの愛人宅、あるいはホテルかもしれないのだ。


業者は言った。

「無くなった分だけ、実費をいただければけっこうですよ」

アツシは、おとなしく従うしかなかった。

正確には知らないが、なにしろ入手困難な特殊金属だそうだから

1個につき2万円以上は支払ったらしい。


シールの粘着力は最初から弱めで、すぐ剥がれるようにしてあり

紛失した分の実費を回収するのが商売だったのではないか…

私はそう思ったが、余計なことは言わない。

夫が無くした分を払えと言われたら、嫌だからだ。



で、今回、ヨシコが遭遇したのもお試し詐欺。

ある日、例のごとくヨシコに電話がかかる。

今、わりとブームのイタ◯リという野草から抽出した

身体の痛みを取るというサプリメントの業者からだ。

あえて伏せ字を設けたのは、この植物を使ったサプリが

複数の会社で販売されており

その全てがトラブルを引き起こすわけではないであろうことを

ご理解いただくためである。


ともあれ1ヶ月分を無料で試せるというので、ヨシコは送ってもらった。

このことは、後で聞いた。

何ヶ月か前にあったマッサージチェアのトラブル以降

彼女の通販生活は秘密裏に行われているからだ。


マッサージチェアのトラブルとは

古いマッサージチェアを引き取ると言われて乗ったヨシコだが

マッサージチェアは引き取ってもらえず

相手の目的は貴金属と健康保険証の番号だったため

私が撃退したというもの。

この時、ヨシコのプライドは大いに傷つき

以後、電話によるセールス関係は隠すようになった。


ヨシコがイタ◯リのサプリを飲み始めて、1ヶ月が経過。

「全部飲み終わったら、継続するか終わりにするかを電話してください」

そう言われていたので、ヨシコは業者に電話した。

「もういりませんから、止めてください」

無料だから飲んだまでで、高い実物を買うつもりはなかったのだ。


すると、相手の女性は明るく言った。

「あら〜、昨日、二箱目を送ったところです」

「え?でも、飲み終わったら電話をって…」

「昨日が30日目でしたから

昨日で飲み終えていらっしゃるはずですよね。

お電話が無かったので、送ってしまったんです〜」

「でも…私は夜、飲んでいたんですよ。

昨日の晩に飲み終わったから、今日、朝のうちに電話したんですよ」

「それは申し訳ないことをいたしました。

届いたら、受取拒否してください」

「受取拒否って、どうやったら…」

「品物を届けに来る郵便屋さんに、受取拒否しますと言ってくだされば

そのまま持って帰って、こちらに返送してくれますから」

「わかりました」

ヨシコは納得して、電話を切った。


しかし、それでは終わらなかった。

昨日送られたはずのサプリメントは、その日も翌日も届かなかった。

そして3日後。

サプリメントはひっそりと、うちの郵便受けに入っていた。

ヨシコはゆうパックの宅配で届くと思い込み

配達の人が来たら断ればいいと考えていたが

サプリメントは日を置いて、普通郵便で届いたのだった。


絶望したヨシコはこの時初めて、私に事実を打ち明けた。

隠れて買っても結局は知られてしまい、人の手や知恵にすがる結果になるのだ。

そして誰も責めてないうちから、一人でキレる。

「私はねっ、自分で買いに行かれんのだからねっ!

痛いのが治るか思うて、買うわいね!」


これといった効果を感じなかったサプリメントに

数千円のお金を払うか、それともこちらが実費を出して送り返そうか

あるいは庭で番をして郵便が配達されるのを待ち、その人に渡そうか…

悩むヨシコを見て、次男はこともなげに言った。

「受取拒否すりゃあええじゃん」

ネットで調べたところ、品物に受取拒否の旨と

住所氏名を書いて印鑑を押したメモを貼り

ポストに入れたら大丈夫だという。


そこで私がメモを書いた。

“受取拒否します。

お手数ですが発送元に返送してください。

先方も了解済です。

住所氏名、印鑑”

本当は受取拒否の四文字と住所氏名、印鑑だけでいいらしいが

それでは郵便局に申し訳ない気がして、お手数ですが…を加えた。


書くのは、どこでも貼り付けられるメモ用紙

ポストイットでいいそうだが、剥がれたら嫌なので

その上にセロハンテープを貼る。

そしてサプリメントの箱は、次男の手でポストへ投函された。

以後の音沙汰は無いので、無事に返送されたようだ。



今回の件は詐欺と呼ぶべきかどうか、微妙なケース。

嘘いつわりで相手を騙したわけではなく

断るタイミングと発送するタイミングの問題で

悪いのはそのタイムラグということで逃げ切れるからだ。

1日1錠のサプリメントを朝飲むか、夜飲むかは

無料とはいえ飲む側の自由のはずだが

時間的な余裕を与えない手法は、さすがと言うしかない。

昨日送ったと言いながら、結局4日後に届くからには

断りの電話を聞いてから発送したと考えていいだろう。


ネットを使わない老人であれば、受取拒否のやり方がわからない人もいる。

わかったとしても、知らないことを初めて行うというのは

私を含めた老人には抵抗があって辛い。

あまり嬉しくないことであれば、なおさらだ。


それをおしてやり遂げたところで、ポストや郵便局から遠かったり

足腰の調子が悪ければ気分が萎えて

「今回は、まあいいや」

と、そのまま支払ってしまうケースも多いのではなかろうか。

気分が乗るまいが足腰が悪かろうが

金融機関やコンビニでの支払いはできるものだ。

知らない初めてのことではないため、抵抗がないからである。


このような、老人の習性を利用した周到な脱法的商法が

今後はますます横行すると思われる。

気をつけていただきたい。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴーストライター・5

2021年05月21日 09時58分21秒 | みりこんぐらし
また長い年月が経過した。

その間も時折、誰かに頼まれては

仕事や趣味の集まりで発生する作文、紀行文、感想文

人前で話す際の原稿…

それらのゴーストライターをやりながら過ごした。


彼らが私に依頼する目的は、その内容ではない。

何文字、あるいは何枚という容量である。

そもそも内容を問われるような高度なものは

私には回ってこないので、楽しみながら取り組んだ。


自分の子供たちの図画や作文も手伝った。

手伝っているうちに燃え、奪い取って取り組むこともあった。

長男の夏休みの宿題だったポスターが特選になった時は

さすがに冷や汗をかき、足を洗うことを誓う。


作文の方では、これも長男が小学生の時

ピクニックを題材に書いたことがあった。

私と子供たち、それに長男より3つ年下の親戚T君

この4人でピクニックに出かけ

最後に一つ余ったデザートのいちごを誰が食べるかで

一触即発の事態となった思い出である。


学校へ提出する前にチェックした私は

長男に命令…いや、アドバイス。

「タイトルを“いちご事件”にしろ」

作文は楽しい思い出から、一気にサスペンス調へと変わった。


『…ほんとうにあまくておいしい、いちごなので

だれもがもう一つたべたいと思っていました。

さいごにのこったいちごをまんなかにして

ぼくたちのにらみ合いはつづきます。


お母さんが

「一こしかたべてない私がたべたら、いいんじゃない?」

と言いました。

でもぼくたちはゆるしません。


お母さんが、また言いました。

「家でまってるT君のおばあちゃんにあげよう」。

それを聞いたT君が

「そうやな、そうしよ、そうしよ」

と言って、いちごからはなれたので、ぼくと弟もはなれました。


するとそのしゅん間、T君がサッといちごに手をのばして

パクッと口に入れました。

「ああっ」

ぼくはさけびましたが、もう手おくれです。

ほんとうにおそろしい、いちごじけんでした。』


これを先生が気に入り、長男は皆の前で読む羽目になった。

深く反省。

長男は次男より6才年上なので、私の被害に遭う回数が多かった。

彼も慣れっこになっていたものの、申し訳ない気持ちだ。


思い返せば実家の父も、よく私の宿題を手伝ってくれた。

親がやったと一目瞭然の絵や工作に、幼い私はたびたび当惑したものだ。

しかし言い訳がましいが、自分でやらなかったことが原因で

のちのち困るようなことは一度も無かった。

楽しそうに取り組む父の姿は、以後の私を精神的に支え続けたし

父の技法を思い出して自分に取り込みもした。

よって遺伝ということにしておこう。



というわけで前置きが長くなったが(前置きだったのか!)

今回は夫と息子2人の計3人分

ハラスメントの本を読んだ感想文を400字書いて

本社に提出しなければならない。

こんなことになったのも藤村のパワハラとセクハラが原因だと思うと

腹が立ってなかなか取り組む気になれなかったが、一旦その気になれば早い。

まず夫のができた。

続いて長男のもできた。


この2人は、神田さんが訴え出た訴状に名前が載っている。

賠償金がたくさん欲しい神田さんは彼らの行動をデフォルメし

会社ぐるみのイジメに拡大する必要があったからだ。

藤村ほどの重罪ではないものの 、一応は訴えられた身なので

全くの他人事として書くわけにいかない。

さりとて素直に反省めいたことは書きたくない。

私としては、どっちつかずの皮肉入りが望ましい。

そう言うといかにも難しそうだが、否。

この方が好みなので、早々に仕上がった。


最初にできた夫のものをザッと紹介しよう。

タイトルは「ハラスメントの資料を読んで」

⚫︎行を変えて会社名、さらに行を変えて名前。

これで3行分を稼ぐ。


「読みやすい本を与えてくださり、ありがとうございます。

マンガが入っているので非常にわかりやすく

楽しんで読むことができました」

⚫︎これで2行稼ぐ。


本題の主軸には、アニメ「巨人の星」を起用。

「私のような“巨人の星”を見て育った世代は

何につけ、努力と根性を持ち出すところがあります。

デスクワークと違い、自社のような危険と隣り合わせた職種の場合

努力と根性は安全確保の見地において欠かせないものだと信じ

社員にもこの基本精神ありきで接してきましたし

社員もまた、これにしっかり応えてくれました。

構内無事故の実績が長期にわたって継続し、各方面の信頼を得ているのは

私と社員、双方の呼応があったからだと思っています」

⚫︎会社構内でのアクシデントが一度も起きてないのは

努力と根性でやって来たからこそであり

社員のレベルが高かったのだとさりげなく主張しつつ

努力と根性の無い者は、仕事において一番大切な

安全を脅かす存在だと言いたい。

ちなみに構内の事故は重篤になりやすく

人命を含め、損害が大きくなるケースが多いのが業界の常識。


「しかし本を読んで、その精神が通用しなくなっていると知りました。

自身の座右の銘であった努力と根性が過去の遺物となった今

こちらが対応を変えなければならない時代なのだと

痛感するに至った次第です。

たとえどんな人でも、入社したからには働き続ける権利があり

周囲の我々は安全な業務を遂行するために

より高度な指導やカバーリングを行っていく必要があると考えます」

⚫︎暗に、藤村や神田のようなパッパラパーを入れられて

大迷惑したと言いたい。

とまあ、そんなことを書き連ねて終了。


一方、長男の感想文のテーマは護身。

「本を読んで、ハラスメントには誰が見ても明らかなものと

判断しにくいものがあると思いました。

本には、立場の上下や強弱を利用して

部下に明白なハラスメントを行う上司がたくさん登場しますが

肩書き以前に、本人の資質に問題が存在すると思いました」

⚫︎暗に藤村を指す。


「また一方、最終的に被害者とされる側が

“本当は嫌だった”、“内心では傷ついていた”と後から言えば

はたからは楽しそうに見えていたとしても

結果的に全てがハラスメントになるわけです。

楽しい時は流され、途中で嫌になったり辛くなることは

誰でもあると思われますが

早めに意思表示をしなければ発見が遅れ

問題が大きくなるということも、本でよくわかりました」

⚫︎暗に神田さんを指す。


「被害者にならないため、あるいは加害者にならないための

知識と心構えが必要なのはもとより

ハラスメントの問題に巻き込まれないための

知識と心構えを学ばせていただいて、安全に働きたいと思いました。

良い本をありがとうございました」

⚫︎最後の一行が残ったので、良い本を…で終わる。


こうして夫と長男の2人分は、ゴールデンウィーク中にできた。

読み手にわかりづらい皮肉を盛り込んで、密かに溜飲を下げる…

私の得意分野である。

本社の読み手、つまり取締役の一部に

行間を汲み取る実力など無いと踏んでいるのだ。

よしんば読み取れる力があれば、人を見る目も確かだろうから

はなから藤村なんか採用しないし、権力を握らせない。


別人が書いたのがバレないかって?

パワハラ教育は、彼らのやっつけ仕事だ。

社員の書いたものを精査する気は無いので、バレない。

なまじバレたとしても、夫には胸を張って言わせようではないか。

「ワシらには黒幕がいる」。


で、3人目の次男のものが、なかなかできないでいる。

彼は藤村のパワハラ事件には無関係だったので

先の2人分と違って薄口にしようと思ったら、かえって書きにくいのだ。

通達をよく見たら、締め切りは5月末とある。

かったるいけど、この数日でやろうと思っている。

《完》
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴーストライター・4

2021年05月18日 07時59分03秒 | みりこんぐらし
前回の“ゴーストライター・3”の記事で

いつもコメントをくださる田舎爺Sさんから、立候補者の演説の内容と

立候補者が一人しかいなかった理由をたずねられたので

先にお話しさせていただこう。


演説の内容はうろ覚えだが、本当にありきたり。

初めてこの手のものを書いたので、よくわからなかったのもあるけど

A君の地味なおじさんキャラを考慮した場合

おちゃらけた内容は読みこなせないと踏んだのもある。


まずは名前、そして出身地。

彼は遠い市外から通学していた。

「ミカンの産地、◯◯町から通っています。

僕はミカンほど有名ではありませんが

できればミカンのように親しまれる生徒会長になりたいと思います」


次に立候補の動機。

家が遠くて目立たないタイプとなると、知名度が無いため

ひたすら実直をアピールするしかない。

「この学校は穏やかで、いい所だと思っています。

僕はここに立って、できそうもない改革の夢を叫ぶつもりはありません。

僕にできるのは、学校側と生徒側の中継役になることです。

生徒の皆さんが有意義な高校生活を送るにはどうしたらいいか

一緒に考えていきましょう。

それが、改革よりも大切なことだと思っています」


そして締めくくりの言葉。

「以上で終わります」

投票のお願いは省略した。

なりたいわけでもないのに投票を頼むなんて嫌だと言うので

それもそうだと思い、やめた。

A君は無投票で生徒会長になりそうなので

あえて投票をお願いする必要もないのだった。


立候補者が一人しかおらず、無投票になった理由は

一騎打ちになるはずの相手が直前で辞退したからだ。

彼も推薦で仕方なく立たされたクチだが、部活の方が忙しかった。

テニス部だか何だったか、うちの学校にしては強いほう。

生徒会長になると、雑事に追われて部活がおろそかになるため

A君が出るなら、もういいだろうということだった。

学校も会長選挙より試合で勝つ方が優先だったのか

それで許され、候補者の立会演説は形式的なものとして行われた。



さて作詞作曲以降、私のゴーストライター稼業は閑古鳥。

取り調べの厳しさを思い知ったヤカラが自重するようになり

新規で停学になる者はいなかったし

作詞作曲も一回こっきりで終わったため、需要が無くなったからだ。


そのまま月日が経ち、やがて私は結婚して

家事と子育てに追われる身となるが

合間でたまに、夫や義父母が書くべきものを代行することがあった。

夫は仕事系の会報、義父はライオンズクラブの会報

義母の場合は宗教の季刊誌に、何か書いて出す順番が回ってきた時だ。

彼らの悲惨な文章を見て、「これじゃあ外で威張れまい」と

つい手を出したのだった。


あとは、一つ下の妹が大阪で幼稚園教諭になっていたので

音楽発表会で園児に演奏させる曲の編曲を手伝った程度。

ネットもメールも無い時代、パートごとにひたすら電話でドレミを伝え

それを妹が譜面に書き取る。

編曲は、作曲より楽しかった。



再びゴーストライターに復帰したのは、下の子が幼稚園に入ってから。

一緒にPTAの役員をしていた仲良しのヤスエが、翌年は会長になった。

会長は人前で挨拶をする機会が多いので

彼女に請われるまま、挨拶の原稿を書いて渡していた。


会長の最後の大仕事は、卒園式で読むお別れの言葉。

卒園式の終わりに和服を着た会長が、和紙に筆で書かれた長い挨拶状…

つまり時代劇に出てくる果たし状みたいなやつを

園長先生の前で読み上げるのが幼稚園のしきたりである。


もちろん、この挨拶状の原稿も依頼された。

久々の本格的なゴーストライターだ。

内容は考えるまでもない。

歴代の会長が卒園式で読み上げ、園長先生に贈呈した挨拶状が

園で大切に保管されている。

それを参考として貸してくれるので、似たようなことを書けばいいのだ。

春は遠足と芋掘り、夏はお泊まり保育に流しそうめん

秋は運動会に敬老会、冬はバザー、園遊会、クリスマス会、豆まき…

どの挨拶状も季節の行事を並べ立て、その思い出を添えて行数を稼ぐ手法。

私も真似をすればいいんだから、簡単だ。


が、楽勝気分の私に問題が立ちはだかる。

和紙に筆で、誰が書くんじゃ?

過去の挨拶状は、どれも達筆だ。

皆、プロに依頼したらしい。


習字の先生だと万単位の謝礼がいる。

そこで知り合いの習字がうまい人に、牛肉1キロで話をつけて頼んだ。

お習字をやってる人って謙虚な人が多くて、お金を受け取らないのだ。

牛肉は私が買って渡したが、ヤスエから金をもらうのを忘れた。

赤字じゃん。


で、書いてくれる人は見つかったが、和紙はどうする。

歴代の会長の中に知り合いがいたので聞いてみようかとも思ったが

皆さん、きつそうなおかたばかり。

和紙の入手方法なんてたずねたら、勝ち誇って拡散されるのは明白だ。

よって文房具屋に頼み、取り寄せてもらった。

この金も、ヤスエにもらうのを忘れた。

赤字じゃん。


翌年、ジャンケンに負けた私は会長になり

卒園式で自分の挨拶状を書く羽目になる。

季節の行事をズラズラと並べる作戦は起用しなかった。

前年、ヤスエの挨拶状を書いていて、飽き飽きしたからだ。


自分で書いて自分で読んだので、これはよく覚えている。

「私が、この幼稚園に我が子を入園させて本当に良かったと思ったのは

今を遡ること6年前、長男の小学校の入学式に臨んだ時です。

校長先生のお話の後、一部の新入生から

“ありがとうございました”という、元気な声が上がりました。

どこの幼稚園の卒園者から発せられた声か、もうおわかりでしょう。

人様から物をいただいた時だけでなく

お話をいただいた時にも、外で自然にお礼が言える子供たちを目撃し

私は誇らしくもありがたく、感涙を禁じ得ませんでした。


適材適所のお礼だけでなく、子供たちは幼稚園で

正座やお辞儀など礼儀作法の基本を身につけさせていただきました。

けれども何よりの幸運は、神仏に手を合わせる真心を

ごく幼いうちに植え付けていただいたことです。

感謝の心は生涯の宝であり、子供たちはこの大きな財産を胸に

今後の人生を力強く歩んでいくことでしょう。

ひとえに園長先生を始め、先生がたのお陰です。

本当にありがとうございました」

などという賞賛に徹した。


30年近く前の卒園式から今までに

何回か自分の書いた挨拶状に再会する機会があった。

知り合いが会長になると、頼まれて原稿を書くことがあるからだ。

これもノーギャラ。

皆、最初は言うんじゃ。

「何かお礼するから」

こっちは一応遠慮する。

「そんな〜、いいよ〜」

で、それっきりになる。

他人に書かせて自分が人前で読もうなんて人は

元々会長の器じゃないから、そんなもんさ。


ともあれその人たちは、幼稚園から参考として渡された

歴代会長の挨拶状を束にして持って来る。

その中に私のも混ざっているのは、ひと目でわかる。

私のだけ、表紙に赤い花マルシールが貼られているからだ。

今は亡き園長先生には、嬉しい挨拶状だったらしい。

読み返すと懐かしい。

《続く》
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴーストライター・3

2021年05月16日 09時44分29秒 | みりこんぐらし
反省文の代筆をきっかけに、ゴーストライターの世界へと足を踏み入れた私。

次に手がけたのは、生徒会長の立候補演説の原稿だった。

同じクラスのA君が立候補するという。

2年生から誰か候補者を立てろということで、真面目な彼が推薦されたのだ。


A君、なにしろ立候補なんて初めてなので、わけわからん状態。

クラスの皆も同じで、彼を推薦しておきながら、あとのことは知らん状態。

自分に白羽の矢が立たないように、急いで誰かを推薦しておいて

わからないから何もしないなんて、おかしいじゃないか…

密かに憤慨した私は、選対部長を買って出た。

なぜならうちには、出しゃばりの祖父がいる。

近所のおじさんが長く市会議員をやっていて

祖父は選挙のたび、周囲に煙たがられつつ手伝っていたため

流れのようなものは幼少時から把握していた。


選対部長といっても、たいしたことをするわけではない。

立候補者の義務は、全校生徒の前で顔見せの挨拶がてら、一度だけ演説すること。

その演説原稿を書いてやったくらいだ。


こっちもそんなものを書くのは初めてだったので

ありきたりな内容になってしまったが、とりあえずA君は当選した。

当たり前だ。

立候補者は彼しかいなかった。

後年、ウグイスをやるようになって思ったが

選挙との縁は、この時に始まっていたのかもしれない。



やがて、私がゴーストライターの本領を発揮する時がやってきた。

普通科のみの高校だったが、2年になると選択授業が始まる。

大学受験に影響の少ない教科は、生徒が自由に選んだ授業を受けるのだ。

音楽と美術もそれで、2年の始めにはどっちを選択するかを決める。

選んだらそれっきりで、選ばなかった方の授業を受ける機会は卒業するまで無い。


私は音楽を選択した。

元々音楽が好きなのもあるし、担当がコーラス部の先生だったので迷わず決めた。

それに美術には、油絵がある。

私は小さい頃から手が汚れるのが嫌で、幼稚園の粘土遊びが苦手だった。

手が汚れるのも嫌だが、油粘土の匂いもつらく

油絵も似たようなものという偏見があった。


音楽を選択した者はたくさんいた。

美術のように道具があれこれいらない身軽さが人気だったのか

女子より男子の方が多い。

男子は、私のブラスバンド仲間やバンド仲間といった音楽好きがチラホラ。

あとの男子は、音楽といえば矢沢永吉ぐらいで

他の音楽には興味が無い者ばっかりだった。

優しい女の先生だから寝ていればいいと、軽い気持ちで音楽コースを選択したらしい。


けれども3学期に入ると、彼らに罠が待ち構えていた。

それは作詞作曲。

自分で歌詞と曲を作って譜面に書き起こし、提出するのだ。

これをクリアしなければ、3年に進級できない。

音楽コースをナメていた男子は、おしなべて譜面が読めず

ト音記号もオタマジャクシもうろ覚えなので

曲を作って譜面に書き起こすなんて、まず不可能といえよう。


一方、コーラス部の私は、先生から作曲の手ほどきを受けていたので

なんてことはない。

もっとも中学の頃から、シンガーソングライターの真似事を趣味としていた。

「あなた」という歌でデビューした小坂明子に影響されたのが始まりで

以後はユーミンに血道を上げる。

ヘタの横好きというやつで、今思い出すと赤面するような

アホらしい歌を何曲も作ったものだ。


シンガソングライターを夢見たりしなかったのかって?

ええ、全く。

私は早い時期から、自分が裏方の性分だと知っていた。

おおかたのことは七、八分目こなせるものの

頂上や中心には到達せず、マネジメントにやり甲斐を見いだすタイプ。

お嬢様のドレスにアイロンをかけがてら

そっと自分に当てて鏡を盗み見るメイドが関の山よ。


そういうわけで曲のストックを持っていた私は、課題を早々に提出。

コーラス仲間、ブラスバンド仲間、バンド仲間の男女も難なくクリア。

あとの男子は絶望したまま悶々と過ごしていたが

わりと仲の良かった男子の一人が、思い詰めた顔で私に言った。

「みりこん、代わりに作ってもらえんかのぅ…」


ああ、いいよ…

私が即答したので、彼の方が驚いていた。

彼には未知の領域でも、私には日常。

どうってことない。

「でも作詞まではできんけん、どっかから歌詞を引っ張って来んさい」

と条件をつけた。

私には作詞の方が難しいので、面倒くさいからだ。


彼は、知らない歌手の知らない歌詞を手書きで紙に書いて来た。

おそらくは、週刊明星の付録にある歌の本から拾ったと思われる。

その歌詞をいかにも田舎の高校生ふうにアレンジし、適当に曲をつけた。

単音の旋律だけでいいため、ピアノで音の確認すらしない。

頭に浮かんだオタマジャクシを歌詞に合わせて並べるだけのデスクワーク。

他人のはいい加減なもんよ。


こういうことは秘密裏にやらなければならない。

代理がバレたら、そいつだけでなく私まで危ないではないか。

そこで、仕上がった楽譜をこっそり彼に渡す。

これにて終了と思いきや、他の同類男子が

歌本から写した歌詞を一人、また一人と持って来た。

最初の彼がしゃべりやがったのだ。

一人に作ってやりながら他の者はダメとなるとモメる元なので

乗りかかった船と思い、全て引き受けた。


結局、10人余りはこなしたと思う。

あの佐村河内クンのゴーストライターじゃないが

提出期限までの連日連夜、私は歌詞をローカル修正し

曲を作りまくった。

しょせんは他人事、仕上がりを気にしなくていいのだから

進退の決まる反省文より容易かった。


この時も最初の彼だけ、学校の売店にある菓子パンを1個おごってくれたが

あとはノーギャラ。

自分のやったことが、さほど良いこととは思えず

ましてや謝礼の金品をせしめようなんて微塵も考えなかった

純真な自分が懐かしい。

《続く》
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴーストライター・2

2021年05月14日 08時49分10秒 | みりこんぐらし
「これで大丈夫かどうか、見てくれる?」

祥子にそう言われ、彼女の書いた反省文を受け取った私は驚いた。

反省文の原稿用紙は学校のオリジナルで

1枚が800字詰めのビッグサイズ。

反省文3枚って、罰にしては優しいと思っていたが

これだと2倍書かないといけない。

作文を書きなれない者には、けっこう厳しい罰だ。


この大きな原稿用紙を両手で持ち、ざっと目を通した後は

こうつぶやくしかなかった。

「大丈夫じゃないかも…」


なぜなら、まず謝罪の言葉がどこにも無い。

反省文というからには、学校側が欲しているのは謝罪だ。

しかし謝罪らしきものはどこにも見当たらず

私は本当に何も知らなかった…

誤解されて傷ついた…

弁解と恨みごとが、つたない字と文体で延々と続く。

今で言うなら、小室文書みたいなものだ。

あれより短いだけマシとはいえ、これでは誰の理解も得られない。

かえって悪印象を与えるのは、16才の私にもわかった。


しかも祥子、行数を稼ぐために

一行書いたら次の行は空欄にしている。

つまり全文が、一行おきに書かれているのだ。

祥子にとっては渾身で絞り出した知恵だろうが

これでは半分しか書かれてないので、ズルをしたことになる。

あまりにも心象が悪いではないか。


「全部消して、ウチの言う通りに書きんさい」

そう言って祥子に消しゴムを渡したが、なにしろ用紙が大きいため

これが意外な大作業。

祥子は消すだけで疲れ果て、机に突っ伏した。


文章を書きなれてない人は、消し方もずさん。

力任せで一気に消そうとするので、紙に圧力がかかり

所々薄くなって全体が毛羽立っている。

口頭で言って書き間違え、紙にトドメをさしてしまったら

ヤケになったと思われて不利じゃ…私は考えた。

これは、亡き母の受け売り。

宿題のプリントや原稿用紙は提出するまで美しく…

そりゃうるさく言われたものだ。


私は路線を変更することにした。

「明日書いて来るけん、それ写し」

祥子は目に涙を浮かべ、お願い…と言った。

この反省文で停学期間が決まるのだ。

一番重い3ヶ月になったら、留年が決まる。

退学か停学かの瀬戸際にいた祥子には

3ヶ月の停学処分が下る可能性が限りなく高い。

彼女は何としても、3ヶ月より少ない日数を勝ち取る必要があった。


その晩、私はさっそく“仕事”に取りかかった。

コツは知っているつもりなので、さほどの難関とは思わない。

謝罪、気づき、お礼、今後の姿勢。

以上の4点を繋げれば、反省文らしくなるものだ。


この時の私は友達の力になりたいのもあったが

自分の仕事が教師に通用するかどうか、力試しをしたい気持ちもあった。

とはいえ、あんまり入れ込んで大人びた表現を使うと

代筆がバレるので、自分を抑えながら取り組んだものだ。


反省文の出だしは、謝罪に次ぐ謝罪。

「このたびは私の軽薄な行動で、たくさんの人にご迷惑をおかけしました。

申し訳ない気持ちでいっぱいです。

◯◯校長先生を始め、◯◯教頭先生、学年主任の◯◯先生

担任の◯◯先生、副担任の◯◯先生、生活指導の◯◯先生

ご心配をおかけしました。

本当にごめんなさい。

深く反省しています」

先生の名前をつらつら挙げるのは、文字数を稼ぐため。

ナンボ私に長文の悪癖があっても

面白くないことばっかりで2,400字を埋めるのはきつい。


次は気づきの部。

事件があったからこそわかったこと、身に染みたことなどを表現。

「今回の私の行動は、家族も苦しめてしまいました。

父と母には厳しく叱られましたが

私を心配しているのがよくわかりました。

同時に先生がたも両親と同じように

私を心配してくださっているのだと気がつきました。

叱られるより叱るほうがつらい。

後悔先に立たず。

朱に交われば赤くなる。

今まで、このようなことを考えたことはありませんでした。

でも今は、そんな言葉が頭の中をグルグル回っています。

私は何をしていたのだろう

こんな自分のままではいけないと心から思いました」

などなど、指導者が聞きたいであろう言葉を並べる。

短文に“。”を付けるのは、行数を稼ぐため。


そしてお礼。

「私のような者のために、お忙しい時間を割いてくださり

親身になって指導してくださってありがとうございます」

お礼は最後に持ってくるのが文章の常識だろうが

停学をくらった若者が、最後に礼で締めるのは

あまりにあざといと考えて三番目に入れた。


そして終わりに今後の姿勢。

「良くないことで人をわずらわせるのが、一番悪いと思います。

これからは、もっと周りのことを考える人間になりたいです。

そして先生が私に話してくださった

“自分を大切に”という言葉の意味を考えながら行動して

勉強と部活を頑張りたいと思います」

自分を大切に…なんて、言われたかどうか知ら〜ん。

でも女子生徒を対象にした保健体育の授業で必ず出ることは

中学の時に把握していたので、行数を稼ぐために入れた。


こうしてできあがった反省文を祥子に見せたところ、大ブーイング。

「これじゃあ、ウチが悪いみたいじゃん!」

せっかく書いた下書きを破り捨てんばかりの剣幕だ。


私は笑いながら言った。

「もう停学は決まったんじゃけん。

留年せんためには、こっちが折れるしかないんよ。

これから清書して、イチかバチか出してみ」

「でも、もし留年したら?」

「退学し。

一緒に退学しちゃるけん(そんな気はさらさら無し)」

「ほんま?」

「どっか都会に出て働こうや(そんな気はさらさら無し)」

「わかった…」


祥子が清書した反省文は、その日のうちに提出され

翌日、1ヶ月の停学処分が言い渡される。

思わぬ短期に安堵した祥子は、おとなしく停学生活に入り

1ヶ月後、何事もなかったかのように復帰した。


停学1ヶ月が反省文の効果なのかどうかは不明のままだった。

しかし、私に反省文を書かせると停学が短くなるという噂は

一部の生徒の間で静かに拡まるところとなったので

以後も何人かに頼まれて書いてやった。


もちろんノーギャラよ。

だって、本人は停学になって学校へ来なくなるから

そのままになっちゃうんだってば。

むろん、停学が明けても反省文のことを覚えていて

礼を言うなり、何らかの報酬を考慮するなりの義理を通す人間なら

つまらぬ悪さをすることもないし

学校に知られて停学になるようなドジも踏まない。

《続く》
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴーストライター・1

2021年05月13日 07時59分10秒 | みりこんぐらし
先日の記事で、本社からハラスメント教育の一環として

半分マンガ、半分文字の本が全社員に配布され

これを読んだ感想文を400字書いて提出することになったとお話しした。

夫と息子2人が社員なので、うちには1冊1,260円の本が3冊ある。

もったいないことだ。


というわけで、私は3人分の感想文を書かなければならなかった。

3人とも作文が苦手なので、私がまとめて請け負うのだ。

それはごく当然の成り行きであった。

フットワークの軽い夫は買い物と犬の散歩

手先の器用な長男は家や車のメンテナンス

粘り強い次男は各種の複雑な手続き

義母は裁縫、私は代筆…

中高年ばかりの5人家族、今さら苦手を克服しようと苦しむより

それぞれ得意な分野で助け合う方が合理的である。


思い返せば、私の代筆歴は長い。

最初は高2の時だった。

のどかな公立高校だったが

校長先生が代わってものすごく厳しくなった。

同じ高校の卒業生だった校長先生は、伝統ある母校のレベル低下を嘆き

自分の代で修正する決意を固めたのだ。

例えば、保護者無しで喫茶店に入っただけで停学。

喫煙や喧嘩など、補導級の悪さをした者は即刻退学。

疑わしき者はバンバン停学や退学にしたため

心なしか生徒の人数が少なくなったような気がした。


停学処分の対象者は、原稿用紙3枚分の反省文を提出しなければならない。

その内容が職員会議で認められた場合のみ、刑の減免措置が取られ

例えば停学3ヶ月なら2ヶ月や数週間に減る。

この差は大きい。

停学が3ヶ月に及ぶと、出席日数が足りなくなって留年するからだ。


品行方正!な私は、停学や退学とは無縁の女の子だった。

コーラス部とブラスバンド部に所属しながら

なぜかソフトボール部でも活動していたので

悪さをする暇が無かったからだ。

よって本来なら停学や退学のシステムなんか知らないまま

卒業していたであろう私が、別世界の闇を知ったのと

ゴーストライターとして暗躍するようになったのは

この反省文の代筆が発端である。


最初は、女子からの依頼だった。

彼女は小学校からの同級生。

同窓会の還暦旅行で仲良し4人組だけの部屋割りを希望した

グループのボス、祥子である。


大柄で男っぽい体育会系の彼女だが

モテると言うべきか、男出入りが激しいと言うべきなのか

中学の頃から発展家で、同級生キラーの異名を持つ。

目ぼしい同級生男子は、たいてい彼女のお手が付いていたものだ。


この祥子と私は中学の時から仲が良く

同じ高校へ進んでも相変わらず親しかった。

彼女の属する4人組の元は、バスケット部で活躍する彼女ともう一人

そして私のブラスバンド仲間二人だ。


高校入学後、毛色の異なる二つの集団は

私を媒体に合流するようになり、一時は5人組だった。

が、大人数で群れるのが苦手な私は5人という人数が苦痛。

そして祥子の相棒、バスケット部の美智代も苦手だった。

小3の時、私の誕生会に招待したところ

美智代が腹痛を訴え始め、母が自転車で家まで送ったことがあった。

原因は盲腸だったが、美智代はうちの料理で具合が悪くなったと言い

私は腹を立てたものだ。


以来、美智代はなぜか私に高飛車で、私も彼女を気に入らず

他にモンちゃんやユリちゃんといった仲良しもいたので

5人組では行動しなくなった。

残った4人が生涯にわたる固い絆を結び

還暦のおばちゃんになっても、まだ4人セットにこだわって

周囲に迷惑をかける原因を作った張本人は私だといえよう。


5人組を抜けた以降も、祥子とは単独で仲良くしていた。

4人組に話したら笑われそうなことを聞いてくれる相手として

彼女は私をキープしている様子だった。


当時の彼女は、相変わらずの同級生キラー。

電車で3つ離れた町から通学しているK君と付き合っていた。

彼は俗に言う不良。

大半が我々のように地元の中学から進学したイモ揃いの学校で

彼は外見も行いも突出した存在だった。

祥子はそこに惹かれたようだ。


校長先生が代わって真っ先に、そのK君が退学処分となった。

理由は、校内や他校の生徒に対する恐喝その他という話だったが

詳しいことは知らない。

しかしこの事件によって、祥子に火の粉が降りかかった。

K君が恐喝した相手の証言により

彼女も犯行現場にいたことが判明したからだ。

恐喝はK君の単独犯ではなく、祥子との共謀…

祥子は巻き上げた金銭の恩恵を受けたのではないか…

彼女はこの二つの疑惑を持たれたのである。


彼氏が退学して一人になった祥子は

連日、校長室に呼び出されて長時間の取り調べを受けた。

肉体関係の有無まで厳しく尋問され、親も何度か呼び出されて

祥子は憔悴していた。

その結果、共謀は認めなかったものの、K君とのデートの際に

複数の店で食事やお茶をご馳走してもらったことを認めた。


K君は自営業をしている裕福な家の子供なので

いつも小遣いをたっぷり持っており

デート代に事欠いて人様から脅し取るとは考えられない。

しかし学校側は祥子の罪状以前に、K君のオンナという罪で

厳しい処分を下す構えを崩さなかった。


祥子基準によると、こんな物騒なことも4人組には話せないらしい。

軽蔑されるのが怖いのだと思う。

そこで聞き役が私に回ってくる。

親と縁の薄い私なら、家で友達のことをベラベラしゃべらないからだ。

「そんな子と仲良くしちゃいけません」

そう言って親から止められることは無いし

親の口から噂が拡散する心配も無いことを

彼女は野生の勘で把握していたと思われる。


祥子は退学こそ免れたが、停学が決定した。

停学となると、反省文3枚は必須だ。

祥子は、消しゴムの跡だらけの下書きを私に見せた。

「これで大丈夫かどうか、見てくれる?」

いつもは楽天家の彼女だが

反省文の良し悪しで停学の期間が決まるのだから、その表情は真剣だった。

《続く》
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手抜き料理・少人数編

2021年05月08日 09時36分49秒 | 手抜き料理
一昨日の木曜日は同級生の友人ユリちゃんの実家のお寺で、また料理を作った。

作り手はマミちゃんと私の2人。

食べ手はユリちゃん夫婦と兄嫁さん

それに老後をお寺の奉仕に捧げる76才の男性、Kさんの4人。

この日は境内の整備作業だったが

いつも来ている芸術家の兄貴と弟子が欠席なので6人になった。

お寺料理に携わって3年ぐらい経つが、史上最低人数だ。


しかし人数の少なさをあなどってはならない。

食べ手が少ない時は、持ち帰りの量が倍増する。

各自の家族の分、欠席する兄貴と弟子の分など

料理によっては明日の昼ぐらいまで食べられる分量を期待するからだ。


近頃は私も学習したので、晩ご飯用の料理をわざわざ別に作るのはやめた。

昼ご飯を大量に作り、同じ物を帰りに持たせる方針に一本化したので

6人分とは言いながら、結局いつもと同じ30人分は作ることになる。

ちなみに私は持ち帰らない。

作るだけで食欲が減退するため、家に持って帰りたいなんて思わない。



さて、この日もマミちゃんは張り切っていた。

6人という人数を聞いて、一時は

「檀家さんがおらん時も何で呼ばれるん?私ら、本当に必要なん?」

そんな疑問に苦しんだ彼女。

「ユリちゃんは毎日、人のために働いとるじゃん。

うちらがユリちゃんのためにご飯作るの見たら、癒されるんじゃ思う」

そう言うと納得して、やる気になった。

彼女がやる気だと、私は楽なので嬉しい。



マミちゃん作の昆布とちりめんじゃこのおむすび。

上はグリーンサラダと、ユリちゃんの兄嫁さん作キュウリの浅漬け。



豚肉の青椒肉絲(チンジャオロース)。

牛肉は高いので、遠慮して豚にしたという謙虚さ。




タケノコの中華煮。




粒コーンと絹ごし豆腐のかきたま汁。

ゴマが香ばしい。

数滴たらしたラー油が彩りを引き締めて風味が増し

とても美味しかった。

お寺の汁椀が嫌なマミちゃんは、紙コップ持参。





タラのフライ・タルタルソースがけ。

外はカリカリ、中はしっとりのタラも、マミちゃん手作りのタルタルソースも

すごく美味しかった。






長芋の唐揚げ。

麺つゆをかけてある。




ほうれん草と人参のおひたし




ほうれん草とチクワの酢和え



和洋中を網羅したマミちゃんの作品は、以上。

女の子を持つお母さんは、料理が美しい。

娘がうるさいからだと思う。

マミちゃんは献立のコツをつかんだらしく、やるたびに進化していて才能を感じる。



さて私は例のごとく、魚で誤魔化す。

魚は早くて簡単だ。


鯛そうめん。

進物で今治産の養殖鯛をいただき、冷凍していたのを使った。

最初は面倒くさいので、焼いただけのをドカンと置こうと思ったが

マミちゃんが鯛そうめんを食べてみたいと言うので、急きょ変更。

気温の高い日だったので、念のためにそうめんを持って行って良かった。

鯛そうめんは早いし喜ばれるので、強い味方である。




餃子。

鶏の手羽先で、名古屋名物テバカラを作って行くつもりだったが

マミちゃんの献立を聞いたら揚げ物が二種類あったため、急きょ餃子に変更。

餃子はユリちゃんの好物でもある。


葉を一枚ずつ剥がしてサッと茹でたキャベツを水と一緒にミキサーで回し

ザルにあけて水をきった物を入れるのが私のやり方。

量が多いのもあるが、包丁でみじん切りやフードプロセッサーで粉砕は

粘りや甘味が出るので私的にはダメ。

あとはニラ、ネギ、ニンニク、生姜汁、豚ミンチ

塩胡椒、醤油、オイスターソース、ごま油を混ぜたらタネができる。



餃子は誰がどう作っても美味しいものだ。

ただし、もっと美味しくなる技がある。

皮に包んだまま放置せず、包んだ端から焼くことだ。

すると皮はカリカリもっちり、さらに美味しくなる。


ついでに失敗の無い焼き方もお話ししておこう。

冷たいフライパンに50CCほどの水と、小さじ1杯程度の油を入れ

そこへ餃子を並べてフタをし、火をつける。

そのまま中火で放置すると、じきに水気が無くなる。

パリパリと音がし始めたらフタを開けて中をのぞき

好みの焦げ目がついていたら皿に盛る。

今回は、餃子の盛り付けをユリちゃんに任せたのが悔やまれる。




ハマチの塩こうじ焼き。

息子が釣ってきたのを下処理し、冷凍しておいたものを使った。

解凍して食べやすい大きさにカットしたらジプロックに入れ

市販されている液体の塩こうじを魚全体に行き渡るようにかけて、冷蔵庫に一晩。

味付けは本当に塩こうじだけ。

翌日、塩こうじを丁寧に拭き取って焼けば、できあがりだ。

とりわけ美味しいわけではないが

いつも照り焼きでは芸がないので、やってみた。


塩こうじはホンマに便利で、生鮭でやると絶品の焼き物になる。

鶏や豚肉でも、たまげるほど美味しいメインディッシュになる。




キュウリとクラゲの中華風酢の物。

クラゲは味付きの冷凍品なので、ごく軽く塩もみしたキュウリと合わせればできあがり。

キュウリはまず縦半分に切り、中心のタネの部分をスプーンでこそげ取る。

それをカットして使うと、水っぽくならず歯ざわりがシャキッとして美味しくなる。




サンドイッチ。

こんなもん、作る気は全く無かった。

しかしその日、ユリちゃんが長い食パンをくれた。

そして私は卵を持参していたので

ユリちゃんの強い希望により、大急ぎで作ることになった。


うちのサンドイッチは大量の砂糖と少量の麺つゆを混ぜ

卵焼き用のフライパンで焼いた甘い厚焼き卵を使う。

茹で卵をマヨネーズで和えたタイプも作るが、これはどこでも食べらるため

長男の好みで、厚焼き卵が多い。


この厚焼き卵は、両面をわざと真っ黒に焦がす。

すると香ばしいのだ。

切ったら黄色の部分しか出ないので、何ら支障は無い。

あとはパンにバターを塗り、レタス、焼いたベーコン、厚焼き卵、スライスチーズを挟みながら

合間に辛子マヨネーズを置く。

パンと卵以外は、兄嫁さんの自宅から供給。

急なことなのに必要な品と量が全部揃う兄嫁さんの冷蔵庫、すげぇ。



今回のスターは、マミちゃんの妹が前日に作っておいてくれた

デザートのカップケーキだろう。


とても美しい。

味は微妙。

この落差が、私のハートをわしづかみにしたものである。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴールデンウィークに思う

2021年05月04日 10時01分40秒 | みりこんぐらし
G・Wたけなわの今日この頃

皆様、いかがお過ごしでしょうか?


G・Wと聞くと、私の心はちょっとだけキュンとするのよ。

小学4年の時、5月の3、4、5日が三連休になったの。

母親は4月から入院してたし、うちは商売してたから

私と一つ下の妹は家に居ても邪魔なだけ。

そこで3日間、妹と近所の空き地に行って

ひたすら二人でバレーボールしてたわ。

で、頃合いを見計らって夕方帰って来ると

「遅い、どこ行っとった」

祖父に怒られる。

やってられねぇぜ…と思った最初ね。


大人になると、G・Wは遊ぶ日。

近づいてくると、指折り数えてワクワクしたものよ。

子供が生まれてからは、もっと楽しみになった。

G・W、バンザイ!


で、老人になった今は引きこもり。

コロナなんて関係無いわ。

年がら年中、ほとんど家に居るんだもの。

姑がいると、出かけられないものなのよ。

行き先や帰る時間を伝えるのが面倒くさいからよ。

耳が遠いフリして何回も聞き返すし

事前に伝えても忘れたフリして、出がけに「聞いてない」と言い出す。

「何でこの女の許可を得なきゃいけんのじゃ?」

と思っちゃうのよ。


そんなこと思う自分が嫌だから、極力出かけない。

滅多に外出しない生活を続けるうちに

人が多いのが苦手になっちゃって疲れる。

私、そんなことで疲れてるわけにはいかないのよ。

家事があるからね。


帰ったらお土産置いて

フ〜、くたびれた…ゴロリン…ねえ、夕飯も外で食べる〜?

なんて言ってられない。

靴を脱いだら即、仕事。

そうしなきゃ、間に合わない。

三世代同居の外食は難しいんだから。

だって、家族みんなが揃わないと無理じゃん。

必ず誰かが嫌がって家に残るか、まだ帰らないメンバーが出るもんで

結局は何か作らにゃならんのよ。


これが年々きつくなってきて

そしたら旦那と出かけても全然面白くないのがわかってきて

じゃあ、家に居る方がいいじゃん、という結論に達したわ。

だから今や、G・Wなんて他人事。

私には人ゴミより、自分ちの庭の方が観光地だわ。


今日は夏の準備にバルサン焚く予定。

孫の結婚式で、隣のおばさんが留守だから。

チャンスよ。



あ〜、そうそう、私、連休中にやる宿題があるのよ。

連休前、本社から正社員全員に一冊ずつ、本が配られたの。

題名…『マンガまるわかりハラスメント』。

パワハラとセクハラについて、マンガと大きめの文字で

わかりやすく説明してある本。

これを読んだ感想文を400字書いて、メールか封書で提出しろ…だってさ。

本来なら講習会を開くけど、コロナで無理だから

こういう形にしましたとさ。


私、感想文は得意だけど、夫と息子たちの3人分

代筆を頼まれちゃって面倒よ。

それぞれ違うことを書かなきゃいけないじゃない。


自分で書かせるべきだって?

奴らが書くわけないじゃん。

3人とも一応は読んだから、それで上等よ。

おカミからのお達しで、大きめの会社は定期的に

こういう教育が義務化されてるの。

上からのやっつけ仕事に煩わされるより

家族には連休を楽しんでもらいたいわ。


だけどこれって、藤村への嫌がらせじゃないかしら。

だってこの本、上司が部下に行うパワハラとセクハラに

ほぼ限定された内容なんだもの。

彼のやったことが、全部載ってる。

みんなで読んで、笑っちゃった。


で、本のサブタイトルは『それ左遷・降格になりますよ』。

藤村そのものじゃん…ということで、さらに笑ったわ。

訴えられてハラスメント行為が認定された人は

左遷か降格処分を受けると決まってるのよ。


それから、藤村はどんな感想文を書くのかが話題になったの。

自分のこと、書くかなって。

でもそれ以前に漢字書けないから、感想文はハードル高いよなって。


だけど連休前に本人が言ってるのを次男が聞いたそうよ。

「人が書いたのをコピーする」

だってさ。

それしかないわな。

藤村に自分の感想文を見せてやるお人好しがいればの話だけど。

あ、ヤツは気の弱い社員から強奪するか。


私はどんなことを書こうかしら。

「実際に目の前で起きたことと、本の内容が合致していて納得しました」

とでも書いておこうかしら。


さて明後日の連休明けは、例のごとくユリ寺で料理。

マミちゃん、今回もメニューを色々考えてくれてる。

まず彼女の作りたい料理を聞いて

それを邪魔しない物を考えるのが慣例化してきたけど

隙間産業って、けっこう難しいわね。


今回の参加者は過去最低、マミちゃんと私を入れて6人。

ほぼユリちゃん一家に食べさせるみたいなもんよ。

少人数ならではの料理を選びたくて考えるんだけど

マミちゃんの手当たり次第的な料理を引き立てる物となると

いっこうに浮かばない。

参加人数が少ない分、持ち帰って届ける人数が増えるの確定だから

それも考慮して、時間が経っても傷みにくくて味が落ちにくい物となると

さらに浮かばない。

だから何も考えないことにして、私も手当たり次第に決めるわ。


「私ら、ユリちゃんちの家政婦?」

打ち合わせの過程で、マミちゃんは時々私に疑問を投げかけるの。

「お寺のために奉仕してるつもりだったけど

檀家さんがおらん時も作らされて、何か違ってきてる気がする。

ユリちゃんが、ごはんを作りたくない日に呼ばれてる?」

わかるよ…マミちゃん…当たってるよ…。


「お寺で慌てて作るより、家で作って行く方が気楽だけど

請求できない食材や調味料がたくさんあるじゃん。

ユリちゃんは気を使って色々お土産をくれるけど

私、そんなモンより材料費もらいたい」

私も同感だよ…。


「ねぇ、私らに作らせたら安く上がるけんじゃろ?」

うんうん、マミちゃん、わかってきたね…

同じ気持ちで嬉しいよ〜…

だけど、やっちゃうんだよね〜…

それがお寺の…魔力?


そんなことを話していたら、ふと料理が浮かんだ。

手羽先唐揚げ。

手羽先を揚げて、漬け汁にぶち込むだけ。

何と言っても、テイクアウトに便利じゃん。

あとは少人数の長所を活かして、高級食材を物色しようっと。

私は今、チャレンジャーよ!

燃えるわ〜!
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手抜き料理・今さらお花見編

2021年05月03日 11時06分30秒 | 手抜き料理
シリーズ『現場はいま…』にかまけている間に

例のごとく友人ユリちゃんの実家のお寺で、お花見の料理を作った。

お花見といっても桜は散っていたが、4月なのでそういうことになった。


いつものメンバー、モンちゃんが仕事なので

作るのはマミちゃんと私の2人。

ユリちゃんの嫁ぎ先のお寺で、時々料理を作る梶田さんも来たがっていたが

用事で来られなかった。

彼女がいれば品数が増えて、楽ちんは確定だったのに残念だ。


参加者はユリちゃん夫婦と兄嫁さんに、いつもの芸術家の兄貴とその弟子

それから、お寺のメンテナンスをライフワークとしている檀家のおじさん一人。

今回は、我々を入れて総勢8人という小さな集まりだ。


少ない人数でわかるように、我々がこしらえるのは

すでに寺料理ではない。

このところ、こういうのが多い。

我々はユリちゃんの身内にランチとテイクアウトの夕飯を提供する

便利屋と化しているようである。


仕方がないのだ。

この宗派は料理を作りやすい秋、冬、春は行事があまり無い。

檀家さんの集まる行事が、夏場に集中しているからだ。

そのため我々は、エアコンも換気扇も無い灼熱の台所で

生死の境をさまよいながら大人数の料理を作る羽目になるのだが

つらい夏だけ我々を呼んで、あと先ご無沙汰というのは

呼ぶ方にとって落ち着かないものである。

そこで月に一回程度、何ぞの理由をつけては

我々に料理の舞台を与えるのが、ユリ寺の習慣となりつつある。

よって今回は、お花見ということになった。


ユリちゃんとしては、お花見弁当を作らせて庭で食べるという

いつもとは違った趣向にしたい思惑があった。

私もそれを察していたので個別の弁当か、オードブルにするつもりだった。

弁当やオードブルは、食後の皿洗いが少ないからだ。


こう言ってはナンだが、シロウトが混じると皿洗いが大変なんじゃ。

自分の料理を少しでも“映え”させたいのと

自分の料理を皆にくまなく行き渡らせたいがために

やたら皿小鉢を使いまくるからじゃ。

特に夏は午後の西日を正面から思いっきり浴びて、地獄の業火に焼かれながら

いつ終わるとも知れない皿の山を延々と洗う賽の河原(さいのかわら)となる。

パック詰めの弁当やオードブルであれば、洗うのは取り皿と湯のみぐらいで

パックは捨てりゃいいんだから、賽の河原は回避できるじゃないか。

一度やってみて、いいようなら次回から採用するつもりだった。

質素倹約のお寺精神で、パックがもったいないと言うなら自腹で買うわい。


…と鼻息も荒く、弁当あるいはオードブル

もしくは両方に取り組むつもり満々の私だったが、そうもいかなかった。

なぜなら、マミちゃんが張り切っている。


私にも覚えがあるが、最初のうちは燃えるのさ。

やがては低予算、台所の環境、時間と体力を始め

自分は美味しいと思って作っても、食べる人の偏食や体調によって

評価は違ったりと、さまざまな限界を思い知ることになるが

それまでは、あれもこれもと作りたい料理がたくさん浮かんで

ボツにするのに苦労する。

彼女も今その状態なので、パック詰めという制約を課すより

何も考えずに自由にやってもらうことにした。



お花見弁当の目論見がはずれたユリちゃんへのフォローとして

この日のメインは山賊焼に決める。

山賊焼は前にもやったことがある。

甘辛く下味をつけた鶏モモ肉を炭火で焼く

甘口の焼き鳥みたいなものだ。

牛肉は高いので、焼くのは鶏しか無いためマンネリ。

しかしユリちゃんは、いつもと違うことを外でやりたいわけだから

この提案を喜んだ。


炭火焼に決めた理由は、もう一つ。

今回、私には隠し球があった。

熊本産の紅はるかという品種の

ものすごく甘いさつま芋を使った焼き芋である。

次男の知り合いに食品問屋を経営する老人がいて

焼き芋屋さんに卸す芋を分けてもらった。

それをアルミホイルで包み、炭火で焼くのだ。

マンネリの山賊焼と違い、甘い芋は皆にたいそう喜ばれた。

火の番が忙しくて、写真を撮れなかったのが残念だ。




楽な炭火焼だけではマミちゃんに申し訳ないので

鶏レバーの甘辛煮とハマチの照り焼きに加え

生ハムのチーズ巻きを作った。

生ハムのチーズ巻きは簡単、しかし目先が変わって意外に喜ばれる一品だ。

どこでも売っている長方形の小さなチーズを買って銀紙をはがし

どこでも売っている生ハムを巻いただけ。

あとは余った生ハムで、余ったカイワレを巻いた。



これは人参とインゲンを牛肉で巻いた牛肉巻きと、アスパラベーコン。

パック詰め料理が諦めきれず、雰囲気を確認するために弁当パックで持ち込んでみた。



季節感を出したくて、タケノコの天ぷら。

煮物にしたタケノコの水分を切り、天ぷらにするだけ。

これも弁当パックで持ち込んだ。

私が作ったのは、以上。



一方、マミちゃんは

カリカリ梅とちりめんじゃこのふりかけを混ぜたごはんを

おむすびにして持って来た。

さっぱりして、とても美味しかった。



これもマミちゃん作、イカと里芋の煮物。

上品な薄味で、プロ級の美味しさ。

「マミちゃんて本当は、女子力高いよね」

ユリちゃんと言い合う。




マミちゃん作のだし巻き卵。

彼女はいつも、黄身が激しいオレンジ色の卵を使うので

卵焼もオレンジ色になる。

私は時間が無くて、食べられなかったのが残念。

「なぜ、この皿を選んだ?」

本当は言いたいが、言えないものだ。



マミちゃん作のひじき煮。




マミちゃん作のキュウリとカニカマをマヨネーズで和えたサラダ。


マミちゃんは他に、鶏ミンチと大葉をハンバーグにして

椎茸に詰めたものも作っていて

これもすごく美味しかったが、写真を撮り忘れた。

あと、汁物としてポトフも作って来てくれ

例のごとく、お寺の汁椀に入れられた。


それから彼女がもう一つ、「初挑戦よ」と言いながら

大事そうにタッパーのフタを開けたものがある。

「あ!いなり寿司!」

私は叫んだが、違った。

それは、たっぷりの生クリームにバナナといちごジャムを挟み

座布団のように巻いたクレープだった。

クレープの皮にオレンジ色の卵を使用していて

焦げ目がついているため、いなり寿司そっくりだったのだ。

これも写真を撮り忘れて、もったいないことをした。

今回もマミちゃんに、大いに助けられた。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場はいま…それぞれの春続編・俺たちの春・3

2021年05月02日 11時47分59秒 | シリーズ・現場はいま…
次男がF工業の誘いを断ったので、秒読みだった退職も消え

全ては無かったことになった2日後、河野常務が訪れた。

退職の意思が、本社に伝わっていたからだ。

退職を願い出る日まで、このことは秘密にしようと決めていたため

今や次男の仇敵と成り果てた長男にも黙っていたが

夫が松木氏にしゃべり、松木氏が報告した。


次男が通院のため、週に一度休んでいるのが松木氏は気に入らない。

なぜ次男が週一で休むかというと、頚椎に痛み止めの注射を打つからだ。

これを打つと、歩けなくなることがある。

そのため医師から、注射を打った日の運転を止められているのだ。


しかし外された藤村の代わりに来た松木氏は

経費の数字で藤村に差をつけたい。

赴任して日の浅いうちに大差をつけて

本社から賞賛されたいという願望をあらわにしていた。


次男が休む日は、チャーターを1台余計に頼む。

松木氏は、これが惜しくて仕方がない。

次男が休むたび、怠け癖だの甘やかしだのと

夫にグズグズとこぼすので、夫は頭にきて

「心配せんでも来月にはおらんようになるけん、そっとしてやってくれ」

と言ったそうだ。


バレたものは仕方がない。

次男は河野常務に呼ばれ、二人で話すことになった。

裏切り者だの後ろ足で砂をかけるだのと

てっきり責められると思いきや、常務は開口一番

「ヨシキ、辞めんといてくれ」

と言った。


「ダンプを離すのが嫌なら、今のままでええ」

「本当ですか?」

「ワシのおる間は、そうせぇ。

お前、病院へ行かにゃあいけんけぇ、迷惑かける思うて

気兼ねしょうるんじゃろうが。

ホンマは、それが辞める理由じゃないんか。

何も気にせずに、身体をしっかり治せ。

若いんじゃけん、先が長いけんの」

「はい」


常務の説得によって、次男の残留は決まった…ということになった。

転職の話は一昨日、すでに断っていたので

すでに残留しかないのだが、表向きはそうなった。

しかし病院のくだりは、常務の買いかぶりである。

次男はそんなに謙虚ではない。


このことがあって以来、次男はホッとしたのか

暖かくなって体調が良くなってきたからか

顔つきや言動が目に見えて柔らかくなった。

今年に入ってから、長男の方は冷戦に飽きた様子なので

私はのんびりと次男待ちを決め込む。

頑なになってしまった彼の心が、ほどけ始めるXデーを待つのだ。

長丁場を覚悟していたものの、はたしてXデーはすぐにやってきた。


取引先の一つに、一部上場企業のT社がある。

ここは昔からの付き合いがあったが、義父の会社が危うくなると

納品の仕事を別の同業者に奪われた。

とはいえ、東京に本社のある大手というのは

えてして地元業者を残酷に扱う。

威張って無理ばっかり言うし、単価を叩きまくるので利益が薄いため

奪われたからといって悔しい気持ちは無かった。

むしろ、せいせいしたと言っていい。


うちが切られた後、T社の仕事は

ハンカチ落としのハンカチみたいに複数の同業者を転々とした。

T社は、1円でも安く仕事を受ける業者を見つけては前任者を切る…

大企業の専属になりたい同業者は後任に飛びつくが

そのうち薄利と仕事のきつさに辟易して逃げる…

このサイクルを繰り返していた。


数年前、そのT社の仕事が何年かぶりに戻ってきた。

当時は県北にあるK興業が請け負っていたが

例の残酷に腹を立てて引き上げを決め、次男に言ったのである。

「うちは忙しくなって、T社まで手が回らんようになった。

ヨシキ、T社を頼む」


次男は以前から、K興業の社長を兄のように慕っていた。

40代のK社長は確かに好人物で、次男を可愛がり

K興業の宴会や旅行には必ず呼んでいた。

そのK社長から仕事を託されたことに加え

以前の取引先を取り戻した喜びに、次男は有頂天。

K興業から引き継いで、T社の仕事をするようになった。


が、T社の仕事は以前うちがやっていた時よりも

いちだんと安く、ますますきつくなっていた。

その人使いの荒さは、他に類を見ないレベル。

次男は自分がもらった仕事なので気にならないが

長男を始め、社員は嫌がるようになった。

そもそも兄弟喧嘩の発端は、このT社の仕事である。


「こんなこと続けようたら、社員が付いて来んど。

K興業は自分がやりとうないけん、ヨシキに押し付けただけじゃ」

兄はたびたび弟に言い、我々夫婦も何度か言い聞かせた。

「儲かっとったら、死んでも渡さんはずじゃ。

何で仕事が戻ってきたか、冷静になって数字を見んさい。

Kさんは儲からん仕事から逃げるために

親分子分の人情芝居をして見せただけじゃが」

しかし次男は耳を貸さず、K社長を悪く言う我々を憎んだ。


血の繋がった家族を足蹴にし、他人を無駄に尊敬して師と仰ぐ…

一部の若者が、一時期罹患する病いである。

夫にも若い頃、その傾向が見られたので遺伝かもしれない。

あちこち尊敬して歩いては裏切られたり

心酔した人物の底を見切って超えたりを繰り返しながら

ゆっくり成長する厄介な男子というのがいるものだ。


やがてT社の仕事は、次男が一人で行くようになった。

一人では当然足りないので、あとのダンプは

仕事にあぶれた同業者を集めて送り込むシステムが

確立した。

次男は孤立してしまったのだ。

以後、数年間の孤独が、彼をさらなる頑なへと導いた。

が、心配はしない。

義理人情と数字…対極にあるこの二つを理解し

うまく擦り合わせて仕事をするためには、冬の季節が必要である。


そして今月、T社の閉鎖が決まった。

近いうち、どこかの支社に統合されるという。

そのため、次男もあっけなく撤退することになった。

兄弟喧嘩の元が無くなり、次男は腹を立て続ける理由を失った。


そしてその日は突然、訪れた。

先日…正確には4月23日の夜

私は次男から、仕事についての相談事を持ちかけられた。

「相談には乗る。

ただし、兄貴と和解が条件じゃ」


次男は即答した。

「わかった…ワシも男じゃ」

よし、来い…私は次男と一緒に

釣り道具のメンテナンスをしていた長男の所へ行った。


「兄ちゃん、ごめん…」

次男はいきなり言い、驚いて顔を上げた長男は

パッと頬を赤らめて答えた。

「ワシも悪かった」

「こないだ兄ちゃんとすれ違った時に

ワシ、うっかり手ェ上げてしもうて恥ずかしかったんよ。

そん時、こりゃあ潮時じゃ思うたんよ」

「ワシも、いつまでもこのままじゃあ良うないけん

誰かに相談するつもりじゃったんよ」

「同じこと考えよったんか〜」

「ほうよ〜」

そのまま二人が笑いながら話し始めたので、私はその場を立ち去った。


その夜、早寝をして何も知らなかった夫は

翌朝、会社で話す二人を見てぶったまげ、珍しく私に電話をしてきた。

「どうなっとるんね」

「昨日の晩、イクサが終わったんよ」

しかし、もっと驚いたのは藤村と佐藤君だった。

ものすごく戸惑っているらしい。


ともあれこの兄弟、以前よりも仲が良くなったような気がする。

一緒に出かけたり、口をきかなかった間の情報交換に余念がない。

2年4ヶ月に渡る兄弟の冷戦は終わった。

疲れた。

《完》
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする