殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

手抜き料理・エアコン問題

2023年09月29日 09時58分44秒 | 手抜き料理
この8月にあったお寺料理のことは、すでにお話しした。

とうとう熱中症になり、倒れた件だ。

頭痛、吐き気、目まい、胸と背中を圧迫されるような痛みに耐え

料理を出し終えて横になった私に、ユリちゃんは言い放ったものである。

「エアコンを付ける経済力は、うちのお寺にはありません!」


その声は、かすかに震えていた。

自身にとって都合の悪い状況になったことを認めたくない時

人は怒りに似た感情が湧き起こり、つい声が震えるものだ。

まったく、恐ろしい女じゃ。

けれどもその時、ホッとしたのも確か。

“根性無し”として、ユリちゃんに見限られたのを確信したからだ。

ラッキー!


その後、私は熱中症が癖になった。

一度なったら後を引く…それが熱中症の怖さ。

前にも何回かなったことがあるけど、予後は平気だった。

しかし今回は加齢と体重減少で、回復力が衰えたらしい。

朝はピンピンしているのに、夕方になると胃が痛くなって

胸が押しつぶされるように苦しくなり、吐き気をもよおす。


大丈夫な日は一日も無かったが、歯を食いしばって耐えた。

苦節1ヶ月余り、ようやく解放されたのは

朝晩が涼しくなってきた最近のこと。


私が熱中症の後遺症に苦しんでいる間、ユリ寺でも色々あったらしい。

ユリちゃんの兄嫁さんからたびたび連絡があり、流れを把握した。

たびたび連絡があったのは、私の体調を気遣ってのことではない。

お盆行事で出した鯛そうめんや、他の料理の作り方をたずねる内容だ。


それをたずねていたのは、私より3つ年下で還暦のTさん夫妻。

ご主人のほうは同級生の弟だから、全然知らない人ではない。

彼らは分限者の家系で、その昔、ユリ寺はT家の全額出資により建造された。

その功績を示すため、ユリ寺の瓦にはT家の家紋が付いている。

よって檀家の長である総代は、代々T家の当主が務めるならわし。

つまりはユリちゃん一族にとって、T家はダントツのお得意様なのだ。


けれども時代は変わり、もはやT家は泣く子も黙る分限者ではなくなった。

細々と自営業を営む今の当主、T夫婦にとって総代の地位は魅力が無いらしく

一方的に辞めると通告してきたのが5年前。

以来、T夫妻は行事に参加しなくなっていた。

ユリ寺は、唯一のスポンサーから見捨てられたのである。


先祖代々の総代に逃げられて以降のユリ寺は

檀家の中から手当たり次第に総代を立ててやり過ごした。

しかしその人たちは高齢だからか、次々に他界してしまう。

任期半ばで亡くなれば、急きょ兄嫁さんが引き継ぎ

新年度にまた別の人を総代に当てがう作業を繰り返していた。


このような末期症状に苦しむユリ寺の行事に

T夫妻が再び出席するようになったのは去年から。

彼らが料理、特に夏の鮎を楽しみにしているのは私にもわかっていた。

鮎は、T夫妻の大好物なのである。


今回もお盆行事に出席したT夫妻は後日、ユリ寺を訪れた。

その来意は料理のお礼と、作り方を教えて欲しいというもの。

鮎は入手も料理も太刀打ちできないので調理法を聞く気は無いが

鯛そうめんは家でも作るそう。

が、どうしてもうまくいかず

製作者に連絡を取って欲しいと熱心におっしゃる。

夫妻がこんなに食いつくのは初めてだった兄嫁さんは、感激しきり。

私に作り方をたずねてきたのだった。


それまではユリちゃんも兄嫁さんも

私が抜けたってかまわないつもりでいたと思われる。

マミちゃん得意のカタカナ料理さえあれば、彼女らは幸せなのだ。

が、T夫妻が絡んだとなると、話は別。

若手の彼らが総代にカムバックしてくれるかも…寺はその可能性に燃えた。

夫妻の好きな鯛も鮎も、私がいなければ出てこんじゃないか。

みりこん株は急上昇、勝手なものだ。


お寺の人々は、私の引き留め作戦に出た。

その作戦とは、台所にエアコンを付けるというもの。

ユリちゃんは以前から我々がエアコン設置の要望を口にするたび

「建物が古くて付けられないと思う」、「旦那がウンと言わないはず」

などと言い訳していたが、今回、彼女のご主人モクネン君はあっさり許可。

エアコンはすぐに付いた。


「エアコンが付きました!」

ユリちゃんからは証拠の画像と共にグループLINEで報告が来たが

反応する者は誰もいなかった。

犠牲者が出て、しかも夏が終わってからそんなもん見せられても

かえって腹が立つばかり。

マミちゃんもモンちゃんも、同じ気持ちだったと思う。


LINEでは、続いて10月の行事のことに触れ

「よろしくお願いします」

と言ってきたが、これにも皆、無反応。

冷た…。


返事が無いまま数日が経過…

ユリちゃんから、檀家さんに送る行事の案内ハガキまで届いた。

こんなことは初めてだ。

これにも「よろしくお願いします」と自筆で書いてある。

が、無視。

マミちゃんにも届いたと思うが、彼女はどうだか知らない。


さらに数日後、ユリちゃんから電話があった。

マミちゃんもハガキに無反応だったそうで、不安になったらしい。

やっぱりあの子も同じ気持ちだったのね。


だから、ちょっと厳しいことを言ってやった。

うちらは使用人ではない…

人をタダで使うなら、最初に環境を整えるべきだった…

その上、手土産や晩ごはんまでとなると重労働だから続かない…

この際、言いたいことを言ってやるもんね。


「わかってる、それはよくわかってるのよ」

ユリちゃんはそう答え、やんわりと仏教の教えを語ってケムに巻くのが常套手段。

それから必ず言うのだ。

「だけどみりこんちゃんも経営側の人だから、私たちの難しさもわかるでしょ?」


今回はその件に厳しく突っ込んだ。

「うん、少しはわかるつもり。

うちらを使うのも、経費をかけずに安く上げるためじゃん。

なおかつ手作りのオリジナリティが出せたら、言うことないよね。

じゃけど人が離れていくのは、経営のやり方が間違っとるけんよ。

仏教と経営は両極にあるものじゃん。

その間を取り持つのが坊守の存在価値じゃないん?

仏の道より先に人間の心を理解せんと、現代の経営は成り立たんよ」


ウンウン、そうなんじゃね…

ユリちゃんはつぶやくように言うが、聞いてないし。

とりあえず彼女が私に聞きたいのは、10月の行事で料理をしてくれるかどうか。

我々の代わりに公務員OGの梶田さんを使えばいいようなものの

この日は御会式(おえしき)といって

宗派の開祖の命日を祝うだか悼むだかの大きな行事なので人数が多い。

上限8人、折り詰めの手土産無しという条件で料理をする彼女では回せない。


だから引き受けた。

言いたいことを言ってスッキリしたし、暑くさえなければ私はかまわない。

ユリちゃんは9月も遠慮したらしく、一度も呼び出しは無かった。

久しぶりなので、やってもいい。

ただし年末の大掃除の日と、お雑煮を作る1月3日はもう行かないと言った。


年末はそれでなくても忙しいし、正月早々、働くのはしんどい。

大掃除なんて、檀家の人数は年々減って、今じゃ一人か二人だ。

そのためにわざわざ何日も前から準備して、結局作っているのは

ユリちゃん一族の昼ごはんと晩ごはんなんだからバカバカしい。

こうして出動回数を減らすもんね。


というわけで、清々しい気持ちで行事の料理番に臨むワタクシ。

熱中症の病後?を免罪符に、家のごはんは手抜き三昧。

例えばマツタケごはんとか、豚汁とか。


マツタケごはんは前にもご紹介したことがある。

マツタケはもちろん、1本千円ぐらいの外国産。

2本使って4合炊けば、あれこれ材料を買って料理を作るより

安くて簡単にできて家族が喜ぶため、うちでは手抜き料理の扱い。

昔はこれに鶏モモを入れていたけど、年齢と共に鶏の脂が鼻につくようになり

今じゃマツタケと油揚げだけになったので、さらに安くつく。


タコ刺し


長男が釣ってきたので、切るだけでいいお刺身。

難しいと思われがちだけど、よく切れる包丁があったら意外と簡単なんよ。

大きいタコの方がやりやすいけど、これは小ぶりのタコだったので

ちょっと時間がかかった。

吸盤は生だとお腹が痛くなることがあるので、サッと茹でて適当に切って添える。

人に配ったら、喜ばれた。

刺身はそのまま食べられるんだから、喜ばれるのは当たり前か。
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デンジャラ・ストリート 新婚編

2023年09月21日 11時28分26秒 | みりこんぐらし
私の住んでいる川沿いの住宅街は、後期高齢者だらけ。

半世紀前、ここに家を建てた人々はすっかり年老いて

老人ならではの事件が勃発するため

私はこの通りをデンジャラ・ストリートと呼んでいる。


けれどもこの数年で、厄介な事件を引き起こす住人たちは大半が他界し

以前と比べてかなり静かになった。

亡くなったり子供に引き取られて無人となり、売家の看板を掲げた空き家が点在する中

親や祖父母が住んでいた家に子や孫がリフォームを施し、引っ越して来た家もある。

デンジャラ・ストリートは世代交代にさしかかっているようだ。


そんなストリートに、高齢の新婚さんが誕生。

正式に結婚したわけではなく、厳密に言えば同棲だけど

その幸せ者は我が家の二軒隣に住むうちの夫の同級生、板倉君だ。

彼のことは、ずいぶん前に記事にした。

年取った“のび太くん”みたいなボンヤリした男で

7〜8年前に離婚して実家へ戻り、相次いで親を見送った後は一人暮らし。

生ゴミの出し方が悪くてカラスの食堂となり、近所で問題になった人物である。


彼の家と我が家は似ている。

昭和中期に裸一貫で起業した父親は、非常にワンマンで口うるさい…

一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったものの、平成に入ると没落の一途…

その下降線に比例して父親の病気が進行…

似ているどころか、お空は晴れていても

その家の上空だけ雲がかかっているような、あの雰囲気まで同じだった。

外からは邸宅に見えても中は火宅で火の車…そういう家は暗く見える。


彼が父親の仕事を継がず、結婚を機に奥さんの実家で職人になった…

それを聞いた何十年か前は、意外にホネがあるじゃないかと思ったものだが

実際は違ったのだと思う。

景気が悪くて、父親の会社に就職するわけにいかなかったのだ。

彼の苦労がしのばれた。


そんな板倉君は去年、65才で定年退職した。

もっとも離婚するまでは奥さんの実家で働いていたため

離婚後は必然的に無職となり、それから畑違いの仕事に就職したので

長く働いていたわけではない。

退職後は趣味のテニスをしたり、庭の剪定をしたりして静かに暮らしていた。

のび太くんは、このまま一人で生きていくのだ…

近所の誰もが思っていた。


しかし今年の春、異変が起きる。

最初に気づいたのは、隣の若奥さん。

私より一つ年上で、都会育ちの美人である。

「板倉さんとこ、表札に苗字が二つ並んでるのよ。

どうしたのかしら」

そう言われれば、たまに女の人の姿を見かける。

板倉君と一緒に、車で通り過ぎることもある。

着る物や体型から、我々と同年代らしきことは判別できた。

どちらも笑顔で、すごく仲が良さそうだ。


「板倉君の妹の一人が、こっちで暮らすようになったんじゃろ」

義母ヨシコと私は、そういうことにして納得した。

彼の三人の妹さんは、こちらに家を建てる前に結婚して遠くへ行ったので

ヨシコも私も顔がわからないのだ。


ところが何ヶ月か経って、やはり隣の若奥さんが言った。

「ガレージを出た所で、二人にバッタリ会ったのよ。

パートナーだって紹介されちゃった。

一緒に暮らしてるんですって」


「ええ〜?!」

私の驚くまいことか。

だって板倉君は地味でおとなしい。

うちの夫なら、私の葬式の翌日に誰かを家に引き入れそうだけど

彼はどう見てもそのようなタイプじゃない。

しかも子供の中で唯一の男子として口うるさい父親の期待が集中したためか

ちょっと屈折しているオジさんだ。


というのもある年、彼は珍しくタケノコを何本かくれた。

勤務先の周辺に自生しているらしい。

ちょうど私が買って来た巻き寿司がたくさんあったので

ヨシコがお返しに1本あげた。

板倉君は固辞したが、そこは同級生の母親なので断りきれず持ち帰った。


しかし彼は不本意だったらしく、以後、近所の掃除で私と顔を合わせるたびに

「ああいうことをされたら困ります。

もう何も上げられなくなりますから、やめてください」

まるでこちらが悪いことをしたような口調で、クドクドと言われた。

彼はボンヤリしているだけではなく、七面倒くさいオッサンだったのだ。

どおりで、うちの夫が彼を嫌うはずだ。


そのように外見、内面の両方において

魅力のカケラも感じられない板倉君と一緒に暮らす女がいる…

これに驚かないで何に驚くというのだ。

となると俄然、興味が湧くのは相手の素性。

彼の家がうちと同じ命運を辿ったからには、財産狙いでないのは確か。

長年、家内工業の職人をやっていたのだから年金は多くないと思われるので

年金狙いでもないとすると、残るのは愛?

そんな物好きがいるのか。


やがて先日、私はついに“物好き”と対面することとなった。

今月はうちが月番で、各家庭から半年に一回の区費を集めるのだ。

もちろん板倉君の家にも行く。

彼が出てきたら何か聞こうと思っていたが

家から出てきたのは板倉君のパートナー、物好きさんだった。


隣の若奥さんは自分が美人なので「普通のオバさん」と表現したが

美人でない私から見ると、中肉中背の可愛い人だ。

年齢に関係なく恋をしたり、男と暮らし始める人は

美しさや色っぽさより、爽やかな妖艶がかすかに漂う可愛らしさがある。

雰囲気美人というやつ。

セミロングのフワフワした髪と

色は地味でも身体の線の出るテレッとしたワンピースがいい仕事している。


私は、3回結婚してそれぞれに子供を一人か二人ずつ産み

今は4回目の結婚中である同級生、ユキミを思い出した。

ワードローブはスカート一択、美人じゃないんだけど

なよなよとした仕草が女っぽくて、男が思わず抱きしめたくなる感じがそっくり。

そうね、どちらかといえば竹久夢二の絵みたいなの。


ともあれ私と彼女は初対面なので、とりあえず自己紹介。

「二軒隣の◯◯です」

すると彼女の顔がパッと輝いた。

「あっ!⬜︎⬜︎先生の娘さんですよね?!」

⬜︎⬜︎先生というのは、実家の母のこと。

公務員だった母は学校関係の仕事をしていた時期があるので

当時を知る人たちは母のことを先生と呼ぶ。


そうだと言うと、彼女は嬉しそうに言った。

「私、先生にはとてもお世話になったんです。

子供の頃、先生に編み物を教えていただいて、今でも編み物が好きなんです。

近所に娘さんがいらっしゃるのは聞いていました。

お会いしたいと思ってたんです」

包み込むような優しい声と話し方…やっぱり男がクラッとする雰囲気美人だ。

私には絶対に無いものであり、板倉君にはもったいないと思った。


しかし彼の別れた奥さんもこんな感じで、もっと色っぽく華やかだった。

彼には、そういった上級者の女性を惹きつける何かがあるのかもしれない。

ブル…ちょっと寒気が…。


ともあれ、この発言で浮上するのは彼女と私の地元が同じという必然。

当時は地元で働いていたうちの母を

子供の頃に知っていたということは、どう考えても同じ町の生まれ。

それをたずねると彼女はニッコリとうなづき、育った町内と苗字を言った。

そう言われれば見たことがあるような、無いような。


失礼ですが…と年齢を聞いたら、私より2才年上という。

つまり板倉君やうちの夫と同い年。

スッピンにもかかわらず、色白で柔らかい顔立ちがとても若く見えたので

年上と聞いてビックリじゃ。


さすがに馴れ初めまでは聞けなかった。

「何であんなのと?どこが良くて?」

なんて聞けんじゃないか。

だから、「これから仲良くしましょうね」

お互いにそう言い合って別れた。

板倉君のパートナーを調査に行ったつもりが、お友達ができちゃったのかも。

衝撃、未だ冷めやらず。
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祖父母と同居する子供について・3

2023年09月16日 10時39分08秒 | みりこん流
ハルさん、ミツさんという“ある意味プロ”の気働きによって

祖父の悪口大会から救済された私。

父にも笑顔が増えたようで、それが一番嬉しかった。

女の力量で、家の中はこうも変わるのだ。

恐るべし、後妻業者。


そのうち、あれほど苦しんだ矛盾の渦はどこかへ消えてしまった。

お祖父ちゃんという名の巨大な存在だと思っていた祖父が

女の手のひらでいとも簡単に転がされるのを見て

彼もただの人間だと認識したことも大きい。

同じ人間なんだから、矛盾が生じるのは仕方がない…

孤独な老人であればなおさらよ…

この結論は私に余裕をもたらした。

祖父と話していて悪口へ移行しそうな時は、別の話を振って気をそらせる技も習得し

うまくやり過ごすようになった。


やがて私は大人になって結婚。

ハルさん、ミツさん直伝の男あしらいで、うまくやっていく自信は持っていた。

が、相手の男にも家族がいるのを忘れていたのは痛恨のミス。

義父は、祖父より何倍も手強かった。

それなのに数年後、同居。

バカじゃ。


彼が私に言う意地悪は、祖父が父に言っていた内容と全く同じだった。

立ち居振る舞い、能力、働きぶり、姿かたちに嫁入り道具…

口をきわめ、顔を歪め、事細かな描写をくどくどと羅列。

なさぬ仲の相手に悪意を持って何か言う時は皆、同じパターンらしい。


とはいえ自分が言われるのは、祖父に父のことを言われるより楽だった。

私は自己犠牲を尊ぶようなタマではないが、舅に当たられることで

何だか父に近づけたような気がしたことは、まんざらでもない。

父は、血の結束の中で他人が何を言っても無駄とわかっていたのだ。

不抵抗、不服従のガンジー方式さながらに、敵の繰り出す身勝手な命令に従わず

ただ黙ってポーカーフェイスを通すことが、矜持を保つ手段だったのだ。


よって私も義父には、ガンジー方式。

暴君にはこれが最善であり、また、この方法しか無いのである。

泣いて謝り、改めると約束しない私に、義父はじれてますますきつい言葉を吐いたが

これも祖父と同じ。

パターンがわかっていれば、恐怖は無い。


祖父に言われっぱなしの父を、子供心に不甲斐なく思ったこともあったが

自分が同じ目に遭って初めて父の気持ちがわかり

何かと縁の薄かった父と人生の一部を共有できた気がした。

同時に、祖父が父について言っていたのと同じ言葉を私自身が受けることで

無実の父に辛く当たった祖父の罪が軽減されたような気もした。

我ながら、おめでたい。



やがて年月が経ち、長寿の祖父が死の床についた。

実質的な看護は、祖父と二人で暮らしていた当時のカノジョが行っていたが

病院への送迎や男手の必要な用事は、父が数年に渡って淡々とこなしていた。

最後には、いじめ抜いた相手の世話になる…

このパターン、どこかで見たような?フフ。


祖父にはたくさんの愛情をもらったが、父の件に関しては迷惑千万だった。

人のせいにはしたくないけど、悪口をたくさん聞くと

私のように自己肯定感が低く

疑り深くてひねくれた子供になってしまうのは確かだ。

こうなると、周りと同調できないことが多くなって

生きるのがしんどくなる。


しかし、何もかも平和で順調な人生なんてありはしない。

お陰で今は、押しも押されもせぬオバちゃんになった。

両親の離婚に怯え、クヨクヨと悩むだけで

何も行動しなかった自分の弱さ、不甲斐なさを戒めとして持ち続けているからだ。


離婚を恐れるも何も、どうせ片方は近いうちに他界する運命だったんだから

私は遅かれ早かれ片親になっていた。

だから、怯えることはなかったのだ。

初孫の言うことなら祖父は聞いてくれたかもしれないし

たとえ返り討ちになったとしても、父の心は癒されたはずだ。

現状にとらわれるばかりで、たった一歩先を見ようとしなかった当時のザンネン…

あれを繰り返したくない思いが、現在の私の行動を決めている。

時々失敗もするが、厚かましいオバちゃんだからすぐ忘れる。



ところで我が家にも、祖父母と生活した男子が二人いる。

炎上家庭で育った、うちの子供たちはどうなのか…

ということになるわけだが、元々塩の効いた子らではなかったからか

いたってのんびりしており、これといった異変は見受けられない。

ハタから見ればそうではないのかもしれないが

私の見る限りでは能天気でだらしなく、たまに優しい…

つまり、どこにでもいるボンクラ息子にとどまっていて

自身のように複雑な歪みは感じてない。


これについては、幸運だった。

というのも義父は浮気とゴルフに忙しく、家に居ることが少なかったので

孫はあんまり眼中に無かった。

母親の悪口をつらつらと吹き込むような暇は、無かったのだ。


そして義父は、祖父に比べると語彙が少なかった。

だから孫に聞かせる内容も、「お前らのオカンはバカ」

あるいはブス、デブ、クソ…これらの短文にとどまる。

小さい男の子はそういう言葉を面白がるので、息子たちはキャッキャと笑っていた。


そのやたらハイテンションな笑いの中には

母親を悪く言われた悲しみが、わずかに含まれているような気もしたが

祖父母と暮らすからには完全無菌状態にするなんて不可能だ。

これくらいのことであれば、多大な情報の中で矛盾の淵に突き落とされ

苦しむ状況までには至らないと思い、そのままにした。

悪口を言う方と言われる方が最後にどうなるかは、彼らが見届ければいいことである。


そしてご存知の通り、家には息子たちの祖父母だけでなく

夫の姉とその子供がほぼ常駐体制。

人数の多さから、例の情報量や矛盾が気になるところだが

これも心配はなかった。

彼女はワンパクでうるさいうちの子を嫌って、あまり近寄らせなかった。

幸運であった。


やがて息子たちが大きくなると、家族は母親について滅多なことを言えなくなる。

機嫌を損ねた場合、身長や力で負けるからだ。

女の子と違う点は、ここかもしれない。


ともあれ昔と違って、今のお祖父ちゃんやお祖母ちゃんは若いので

同居したからといって、私の家のようになる可能性は低いと思われる。

近代の教育を受け、近代の職場で働いてきたので

年長者だから何を言ってもいいというおごりが無いからだ。

そして情報の重要性や危険性をちゃんと知っており

娯楽も豊富で楽しみが多いため、忙しい。

サロンパスの香る座敷へ孫を呼びつけ

嫁や婿の悪口を延々と聞かせるような祖父母は、もはや絶滅危惧種だ。


孫のほうもネットやゲームの情報を浴びるのに忙しく

親の悪口という、いらない情報はシャットアウトする。

だから私のように歪む心配は少ないはずだ。

良かった!日本!



というわけで、さらさんのコメントで思い出した昔話を

長々とお話ししてしまった。

とりあえずは、さらさんや私のように

家族の言動で小さな胸を傷める子供が絶滅することを願う。

《完》
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祖父母と同居する子供について・2

2023年09月13日 11時20分34秒 | みりこん流
祖父の口撃から父を守る手段を考えあぐねたが見つからず

そのまま祖父の悪口を聞き続けるしかなかった私。

それでも祖父の不満を心ゆくまで口にさせることによって

父への風当たりが弱まるのでは…

そんな微かな希望は持っていた。

当時、ガス抜きという言葉は無かった。


が、この方法は失敗だった。

人の不満はとどまるところを知らない。

小学生の孫に話してもおさまるどころか、ますますひどく

そして長くなっていった。

大人になってからわかったが、誰かが聞いてくれると思ったら

不満って永遠に湧き出てくるのね。


こりゃあ、まずいことになった…

子供だって思いますとも。

私にとって祖父は、欲しい物をジャンジャン買ってくれるパトロンだったが

引き換えにひたすら悪口を聞かされる苦行は辛い。

バカよ、能無しよ、と蔑まれる悪い男の子供…

それがお前だと言われているのと同じなんだから、そりゃ辛い。


中でも子供の私を最も苦しめたのは、数々の矛盾である。

祖父の説明によると、どうやら私は悪人から生まれた子供らしい。

それなのに祖父は、私が可愛いと言う。

矛盾。


礼儀にうるさい祖父だが、彼が我々孫にかまける暇があるのは

現場と事務を取り仕切る父がいるからだ。

父がいなければ会社は回らず、祖父は社長ではいられないはずなのに

その父を悪く言うのは礼儀に反するんじゃないの?

矛盾。


「人様の悪口を言ってはいけない」

祖父は折に触れて言うが、あんたが一番言ってんじゃないの?

矛盾。


「いつも笑顔で愛想よく」

祖父はそうも言うが、あんたはどうなんだ。

鬼のような顔で父をののしり、家族の笑顔を消してるじゃないか。

矛盾。


それらの矛盾は、子供の心を痛めつけた。

孫として、この上なく愛されているのはよくわかる。

しかしそれだけに、なぜ子供が悲しむことをするのか…

喜んで聞いていると思っているのか…

疑問は膨らむ一方だ。


子供だって苦しいので、疑問を払拭し、矛盾を解消しようと懸命に考える。

が、子供の頭脳と浅い経験で解決できるわけもなく、行き着いたのがこれ。

「人間には醜い裏がある」

当時の私は、矛盾という言葉を知らなかった。



やがて1年ほど経過した頃、意外な出来事によって

突然この苦行から解放された。

母の胃癌である。

可愛い一人娘が不治の病に罹り…そうよ、当時、癌は不治の病だった…

父の悪口を言う余裕が無くなったのだ。


その2年ほど前から、母は胃の不調を訴えるようになっていた。

私は子供心に、優しかった母が怒りっぽくなって

だんだん人が変わっていく様子を感じていたが

それは父との不仲が原因だと思っていた。


後から思えば、全ては母の病気が元だったような気がする。

しんどいから周囲に当たるようになり、やがてその矛先は父に向けられた。

気ままな一人娘の母は、父に期待する事柄が多過ぎたと思う。

仕事をするのは当たり前、うるさい舅を賢くかわし

妻に優しい言葉をかけて明るい家庭作りに努めて欲しい…。


職業柄、定休日の無い会社を切り盛りしながら

無口な父にスーパーマンのような夫像を望むのは酷というものだが

このように無茶な要望を父に言い、達成されなければ母はシクシクと泣いた。

それを見た祖父は、最愛の一人娘を悲しませる父を叱咤。

ののしるだけではおさまらず、孫に延々と悪口を聞かせる。

子供には、何とも暮らしにくい家であった。


この繰り返しに疲弊していた私は、母の病気を知っても冷静だった。

むしろ、これで何かが変わるかもしれないと期待すらした。

それよりも、我が家の窮状を聞いて大阪から駆けつけてくれた祖父の元カノ…

50代のハルさんが、しばらくうちで暮らすと聞いて嬉しかった。

それまでの家政婦さんが辞めたばかりの時に、母の病気が発覚したので

我が家は人手不足だったのだ。


ハルさんの明るく温かい雰囲気は、我々子供を癒した。

彼女は父と相性が良かったらしく、30代後半の父を弟のように可愛がり

父もまた、ハルさんを信頼していた。

祖父が父の悪口を言うとハルさんがたしなめるので、祖父は何も言えなくなり

我々姉妹は人並みの子供として、安心の日々を送るようになった。


母が市外の大きな病院へ入院する前日

祖父は紙に一筆書いて居間の壁に貼り、我々姉妹に声を出して読むよう言った。

『みんな頑張る、一致協力』


それを見た私はどう思ったか。

「あんただけ、頑張れば」

9才の子供は、ここまで歪んでいた。

言行不一致の矛盾を子供に与え続けると、ひねくれるんじゃよ。

一旦ひねくれたものは、元には戻らんのじゃよ。



母の手術は手遅れで、開腹してすぐに閉じられた。

誰かに教えられたわけではない。

事前に聞いていたのより短か過ぎた手術の時間で、察しがついた。

矛盾の渦で洗濯物のように回されて来た子供は、勘が鋭いものなのだ。


それからさらに1年が経って、ハルさんは家族の待つ大阪へ帰り

交代で祖父の今カノ、ミツさんがうちへ入った。

やはり50代の明るい人で、この人も父と相性が良かった。

祖父が父の悪口を言うのを嫌ったため、我々子供の精神生活は守られた。


さらに1年後、母がいよいよ死の床についた。

近所の病院での終末期、床ずれに苦しんでいた母のために

父は山間部にある実家の協力を得て、ワラ布団を作ってもらった。

現代は床ずれに良い塗り薬があるが

昔は床ずれができたら亡くなるサインとされ

ワラを入れたクッション状の布団を使うと楽になると言われていたからである。


父が持って来たワラ布団を見て、母はつぶやいたという。

「もう、遅いよ…」

元気なうちに、優しくして欲しかったということだろう。

その数日後、母は他界した。

最後まで、わかり合えない夫婦だった。


母が亡くなると、父に対する祖父の憎しみは再開した。

一人娘を悲しませたまま逝かせた…それが祖父には許し難かったようで

実際に祖父本人から、それを聞いた。

ミツさんとの暮らしは継続していたので、以前ほどではなかったが

その頃には私も11才になり、少しは成長していた。

年齢的なものというより、ハルさんとミツさんから学んだと言えよう。

それは、男のあしらい方。


「あら、お帰りなさい、ご苦労様」

「今日の夕飯は◯◯をこしらえてみましたのよ、お好きでしょ?」

彼女らはいつもニコニコして、男がホッとする言葉を口にした。

母や、6才の時に亡くなった祖母からは一度も聞いたことのないセリフだ。


そりゃあね、年取っても人のカノジョをやるぐらいだから

男あしらいはプロだわさ。

それでも家庭の太陽として、一家を回していく女には

この気働きが必要なのだと思った。

《続く》
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祖父母と同居する子供について

2023年09月11日 14時33分27秒 | みりこん流
前回の記事『あの世の扉』のコメント欄で

さらさんから興味深いコメントをいただいた

彼女も子供の頃、父方の祖父母と完全同居だったそうで

お母様のご苦労をしのばれている。


「父方の親戚達 おじやおばが

とにかく祖母と一緒に母の悪口ばかり言っていたので

子供である私は本当にそれが嫌で悲しく

人間の裏の部分を幼い時から見せつけてられて

人を心から信用できない捻くれた人間になってしまいました笑

子供も傷つくんです。

自分の大好きな母が、有る事無い事、同居もしてない外野から言われて。

同居って子供にも、何かしら影響があると思うのは我が家だけでしょうか?笑

だから私はあまり老人が好きではありません」

という内容。


親との同居に関しては経験上、一家言あるつもりだったが

子供の心理に関しては盲点だった。

特に、“人間の裏の部分を幼い時から見せつけてられて

人を心から信用できない捻くれた人間になってしまいました”の部分。

さらさんだけでなく、そのまんま私のことじゃないか。


老人を語らせたら長いと定評?のある私。

老人と暮らす悲喜こもごもに興味の無い人には苦痛でしかなかろうが

祖父母と同居する子供の心理についてお話しさせていただきたいと思う。

そしてついでに申し上げれば、この手の話題に興味の無い方々は

ご自身の幸運に気づいていただけるとありがたい。



さて祖父母と同居する子供って、今どきは滅多にいない。

我々、そして我々の子世代あたりが最後ではないかと思う。

代わりに親世代の敷地に子世代家族が家を建てるという

敷地の広い田舎ならではのケースは現在も見受けられる。


いずれにしろ私の世代までは、以下のようなことが

まことしやかに言われていた。

「祖父母と同居する子供は、優しい子に育つ」


どこがじゃ!

祖父母と同居して育った私はどうだ。

優しくないことにかけては自信がある。

そのような家庭環境の子供が皆、優しくなるわけではないぞ。


ともあれ祖父母と同居して育った子供と、核家族の子供…

この二者の違いは、ひとえに情報量だと思う。

家族の人数が多い分、情報量も多いということだ。

家族の人数が多ければ、各自の親戚や友人知人の出入りも多くなり

家庭内を飛び交う情報量は

核家族の何倍、何十倍になるというわけである。


しかし、もたらされる情報は玉石混淆。

躾けや礼儀作法から愚痴や悪口まで、さまざまだ。

子供は望むと望まないに関わらず、それらの情報をキャッチする。

そしてキャッチした情報について、色々なことを考える。

祖父母と同居する子供は考える機会が豊富な分だけ

核家族の子供より大人びているかもしれない。


これら豊富な情報が良い結果を生むケースはもちろんあって

私の周辺にも実例は存在する。

美容師を何人も抱える美容院を経営していたお母さんに代わり

母方のお祖母ちゃんの細やかな薫陶を受けて育った同級生のみーちゃんは

その成功例の際たるものだ。

美しいのは心だけでなく、子供の時分から礼儀、所作、話し方も美しく

成績まで良かった。

女の子ならこうありたいという見本のような人物だ。


しかし、ここでも話したが数年前、59才の時に病気で亡くなってしまった。

あんまり完璧だと早く召されるのかも…

私はそう思い、自分の性悪に安堵したのはさておき

他にも祖父母、あるいはどちらか一方と同居していた友だちはたくさんいる。

5人会の仲間で旅館の娘モンちゃん、肉屋の涼子ちゃん

両親が共働きで歌の上手いサヨちゃんなどなど…

我々が子供の頃は、そういう家が多かったのだ。

そして素直で優しい、安心感の持てる子が多かった。


が、私はそうはならなかった。

持って生まれた資質かもしれない。

しかし、それに加えてさらさんがおっしゃるように

人間の裏の部分を幼い時から見せつけてられて

人を心から信用できない捻くれた人間になってしまったのだ。


その裏の部分とは、祖父の壮絶な婿いびりである。

婿養子だった父に対する祖父の態度は最悪。

物心がついて以降、祖父から父の悪口を聞かされるのが私と妹の日課で

その内容は仕事の仕方や言動だけでなく、顔立ちや婿入り道具にまで及んだ。


大好きなお祖父ちゃんから

もっと大好きなお父ちゃんの悪口を延々と聞かされる日常は

私の心を二つに分割した。

黙って祖父の話を聞き続ける自分と

「もうやめてくれ!」と叫んで暴れたい自分だ。


やめてくれ!と言いたかったよ、そりゃあ。

が、誰よりも大好きな母は、祖父の一人娘。

母と祖父は仲の良い父娘ではなかったが、父に関しては同じ意見だった。

それは両親の夫婦仲が冷え切っていたからだ。

早い話が、離婚寸前よ。

もちろんその原因は性格の不一致もあるが

父に対する祖父の態度も大きかったと確信している。

父にすれば、自分を目の敵にしていじめる男の娘を誰が愛せるというのだ。


両親が表立って喧嘩をすることはなかった。

生真面目な母が不満を訴え、父が取り合わないという形の冷戦だ。

それが目立つようになったのは、私が小2の頃からである。

祖父が父の実家から長兄夫婦を呼び

本格的な話し合いが行われたことも複数回あった。

父の長兄は座持ちの良い人で、祖父をうまく取りなしてくれたが

大好きな父と離れ離れになるのではないか…

そう思うと8才の私の心は震えた。


そのような関係性の中で、私が父の味方をすれば

祖父と母は嘆き、父はますます辛い目に遭うのではないか。

私の抗議行動が、父と母を完全に決別させてしまうのではないか。

幼い私はそう思い、身を切られるような思いで祖父の話に耐え続けた。


私が小3になると、祖父と母VS父の関係はさらにヒートアップした。

一方的な母の訴えを聞いた祖父が、声を荒げて父を叱ることが日常。

しかし父は、やはり取り合わない。

祖父と母は反省どころか無反応を貫く父にいきり立ち

悪口に拍車がかかる一方だった。


父の何がいけないのやら、私には皆目わからなかった。

いつも一生懸命、働いている父

出張に行けば素敵なお土産を買って来てくれる父

目が合うとニッコリ笑ってくれる父

抱き上げて「高い高い」をしてくれる父

背が高くてカッコいい父

町の人たちに好かれている父

やっぱり大好きだ。


「それなのに、お祖父ちゃんとお母ちゃんはどうして?」

私の軽い頭の中は、ずっとその疑問でいっぱいだった。

この状況を何とかしたかったが、考えたって名案が浮かぶわけもなく

結局は現状維持。

これまで通り、祖父の聞き苦しい悪口に耐えるのさ。

今で言う、ガス抜きの役割をしようと考えたのである。

《続く》
コメント (4)
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